2013年01月01日

(新春俳句連作-西の栄)新年の抱負を語る (今年こそ心も復興の年へ)


新春俳句連作-西の栄(新年の抱負を語る)

(今年こそ心も復興の年へ)


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(九州)


春潮や福岡城にこうろ館

開聞岳春の夕陽や船は去る
春の陽の昇り難波へ船進む


(姫路城-瀬戸内海)


花吹雪西の栄や姫路城

姫路城天守望み春の暮
春の日や侍女百人の栄かな
春の日や侍女の間つづく長廊下
侍女の間や城の回廊花におふ


(瀬戸内海)


瀬戸内や海を望みて春田かな

船のいず瀬戸内海の暮春かな
海望み電車走りて花盛り
初蝶や潮の早しや海峡に
春の海島影重ね瀬戸暮れぬ
落椿重なり島の塔暮れぬ
常夜灯古りて湊や春の月
大船の汽笛や水道春の島
常夜燈古りて湊や春の月
淡路島波のやさしく春の浜
春日さし潮の流れや五色塚


(伏見城)


愛姫の伏見に長く春愁う

伏見城伊達に最上や春の暮
政宗の茶の湯にまねかる春の夢
政宗の西の歴々と春の雲
春風や政宗西に向かうかな
殿座る広間に偲ぶ春深む
花は散る西の栄の物語



 


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今年は巳年である。去年は辰年だからやはり波乱はつづいていた。巳年は蛇だから落ち着くのかな?

「巳」(み、し)という字は、胎児の形を表した象形文字で、蛇が冬眠から覚めて地上にはい出す姿を表しているとも言われ、「起こる、始まる、定まる」などの意味があります。

「巳」を動物にあてはめると「蛇」になりますが、古来より、蛇は信仰の対象となっており、谷神(やとのかみ。谷や低湿地を司る)、豊穣神、天候神などとして崇められてきました。祭祀や祀りごとの「祀」に「巳」が用いられているのは、「祀」とは自然神を祀ることをいい、自然神の代表的な神格が巳(蛇)だったからです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/402685/


蛇は地を這うからねばり強いとか粘着するとかなる。悪い方になると執念深いとなる。自分も場合、陰性だから蛇と通じるものがある。何かにこだわる、だから人間つきあいでもそういうところがある。何か簡単に人のことでも忘れられないのである。蛇はまた冷静であり賢いということもある。
無駄な労力を使わないということもある。だからやたら動かないのである。それは石にも通じている。自分の詩のテ-マが石だったことでもわかる。冬の草でも俳句にしたように
故郷に忍び生きなむ冬の草」はこれは何か蛇的なイメ-ジがある。冬の草はあまり目立たないものである。今年は原発で放射能で田んぼが刈田になっていない、原野のようになっているから冬の草が生えていたから俳句になりやすかったのである。

牡丹を掛け軸にあしらったのは牡丹は富貴の花だった。今年は牡丹のように栄を表現する。

自分の家も二代くらいしかないんだけど複雑な事情で三代になっているのだ。栄はまず三代くらいつづかないと起きない、平泉の藤原家の栄も三代だったのである。三代であれだけのものを残したのである。一代二代はどうしても犠牲になりやすい、財を起こし残して次代で華が咲く、三代で消えたとしてもそれなりに華は咲くのである。自分の家もそういう用意がされていたのかもしれない、
とても貧乏だったら学問でも芸術でも華は咲かない、貧乏を呪いつつ才能があっても死んでいったのが戦前だった。今はみんなある程度豊だから才能を開花させやすいのである。高齢化というのもプラスの面として才能を伸ばしやすい、開花させやすいのである。才能を開花させるにはつくづく時間がかかるからだ。天才でない限り時間がかかりすぎるのである。


栄は西にあった。九州の博多から瀬戸内海から奈良、京都、大阪にあった。近江も信長がでて大きな栄があった。みちのくにはそうした西のような豪華な栄はない、ただ伊達政宗に興味をもつのは伊達政宗は東北ではいかに視野の広い人だったか?なぜそうなったのか?伊達政宗はほとんど地元の仙台にいたわけではない、秀吉について朝鮮まで戦争に行きキリシタン南蛮人とも交わり実に国際的だった。だからヨ-ロッパまで使節を派遣した快挙があった。あの当時でそういう大きなスケ-ルがあったことに興味が尽きないのである。また相馬とも争って関係深いこともある。どうしても会津は同じ福島県で人物で興味をもつということがあまりない、今度NHKの大河ドラマになる八重とかいう人もよくしらないし興味がもてないのである。伊達政宗は津浪でわかったように海を通じて相馬とつながっていた。相馬は仙台の方とつながりが深い、今でも交通的にも地形的にもそうなのである。中通りでも阿武隈地にさえぎられてつながりが地形的にもてないのである。仙台には通っている人も結構いたのだから日常的にもつながりが深いのである。

仙台から松島まで日帰りで行けるが会津には行けないのである。会津も山国で地形的に魅力があるのだがどうしても遠いから身近に感じられないのである。ただ伊達政宗は西の大大名と伍するためにかなりの無理をしたのだろう。そもそもみちのくは経済的に貧しく西のような豪商などいない、それで伊達ものとか無理な演出をして西の歴々と並ぼうとしたという見方は面白い。そんなふうにしないと軽く見られるという計算があって演出していた。
会津の物語より伏見城でも愛姫とかもっと伊達政宗を詳しくドラマ化すれば面白いと思う。

みちのくは今だ巳、蛇的な大地の世界である。土から離れられない世界である。それがいい方面にとれば自然と密着した文化の再生が起こりうる場所となる。東京から大阪にはそうした自然が喪失している。だから新しい文化は起こりにくいのである。みちのくにはまだ大地と密着した自然が残っていた。だからこそ原発事故には憤るのである。もちろんそのみちのくの大地を汚したのは地元の人たちも一枚加わっていた。別にみちのくでもそんなに自然にこだわる人は少ない、工業化して豊になりたいという志向が強かった。だからこそ原発を誘致したのである。ただそれでみちのくの復興が新しい文化の創造がありうるのか?それが疑問だったのである。万葉集の復興にしてもやはりみちのくの大地に根ざすときありうる。西にはそういう自然が消失しつつある。歴史的文化的集積があってもそこで新しい文化の創造は起こりにくいだろう。みちのくにはまだ本格的な栄はないのだろう。
藤原の栄華も三代で終わったように伊達政宗の栄も挫折したようにまだ本格的な文化の創造は成っていないのである。

元旦の俳句(国風文化の再創造の時代へ)

 

元旦の俳句(国風文化の再創造の時代へ)


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鮭をくわえている熊の置物も正月で縁起いいとなる。その子供鮭をくわえている。
三代で鮭をくわえる。代々受け継がれるものを象徴していたのである。



元旦や花満載に幸を呼ぶ 元旦や十種類の花映えにけり
元旦や日ざしおだやか津浪跡
元旦や道の間中に猫じゃれる

一本の残れる松に我がよりて朝日穏やかにさしにけるかな


元旦は穏やかな朝だった。日差しもあたたかでおだやかである。この天気が今年を暗示しているのか?そんなに災難つづきだったら生きているのさえ嫌になってしまうだろう。

昨日この新年用の花を買った。高かったが縁起物として買った。ここに花の種類が十種類くらいあるだろう。梅と思ってのは木瓜(ぼけ)だった。これも新年にふさわしい。ここの床の間の絵は古くなっていいものではない、安物である。ネットで掛け軸とキ-ワ-ド入れるといくらでも売っていた。
掛け軸などはインタ-ネット向きの商売なことがわかった。なかなか近くで買えるものじゃないからだ。種類も豊富であり縁起物としてはいい、牡丹なんかいい、掛け軸も日本の文化だったのである。そもそも真宗でも日蓮宗でも題目を書いたものは掛け軸が発展したものだった。掛け軸は日本の文化だった。こういうものを飾るにはやはり床の間が必要なのである。幸い自分の家は古いタイプだから床の間があった。これからは日本の文化が見直され新たな国風文化が起こる。もう十分に西欧化は達成した。その後にくるのは国風文化の最高しかないのである。そして意外と今や国風文化、日本の文化自体が何なのかわからなくなり失われたのである。そういう意味を再認識する時代になる。

掛け軸一つにしてもこれも奥深い日本の文化かもしれない、でもそれに注目する人は少なくなっているだろう。ヨ-ロッパだと古い家具を置くのだが日本では掛け軸とかで部屋を飾るのは文化の違いである。でも日本人自体みずからの文化のことを忘れてしまっているのだ。
文化というときもうマスメデアとかこれまでのメデアからは起こらない、その文化は大衆消費文化であり低俗なのものに終始して文化の創造はなかった。


もうこれこだけメデアが増えるとまず新聞をとっていても読む暇がなくなっている。とういうのはこうして自分で書くことに時間がとられる。一日二三時間はかかるだけで時間をとられる。自分で書いている方が面白いし創造的なのである。もう。テレビだけを見ている受動的な情報の摂取の次時代は終わったのである。マスメデアというのは原発事故でもわかったようにメデアが権力でありメデアに操作された情報なのである。その経営は宣伝費から成り立っているから宣伝費を多く出すものがスポンサ-になるのだからとても東電など批判できないのである。一番宣伝費を払っていた会社だからである。メデアはまた芸能人を通じて操作する。人も操作されるのである。メデアはただ一利益会社であり何か正義とか追求している会社ではない、自分たちの利益になることを追求している私的団体なのだけど公的団体のように錯覚していたのである。そういう特権が与えられていたのに結局宣伝費で経営していたのだから何か真実を追求することなどできるものではなかった。


ともかくマスメデアに扇動される時代は終わった。新聞もいづれは読まなくなる。だんだんインタ-ネットに集約されてくるのだろう。これまでのメデアからでてくる人物はメデアに操作された人物なのである。
例えは福島県で和合なんとか詩人だなと原発を契機にメデアで売り出した人もそうである。
マスメデアを通じて売り出している人には注意が必要である。マスメデアの芸能人化されるのである。今では直接マスメデア通じなくてもインタ-ネットで表現できるのだから本当はそうすべきである。評論家でもメデア芸人にの言動にのせられないことである。大衆を扇動するためにメデア芸人として利用されていたのである。メデアは権力であるからそういうことができたのである。
大衆操作にはパンとサ-カスなことは変わっていなかったのである。今でも原発のことはよくわからないし隠されているがそれを暴くことがメデアの仕事でも以前としてそれができていないのである。マスメデアそのものの監視の時代になったのがインタ-ネット時代である。

 

元旦の俳句(3)(盆栽の俳句)


元旦の俳句(3)(盆栽の俳句)

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元旦や盆栽の老樹陽穏やか

元旦や盆栽の根からまりぬ
新年の鐘や鎮めと海明けぬ
新年の光の海に穏やかに
新年や鳶高々と風にのる


今年の元旦は穏やかである。日差しも穏やかであり寒くない、こんな天気が正月につづくのか?今年は平穏なのかもしれない、余震がまだあるけどどうなるのかな・・・そんなにこの辺が災難つづいていたらもたない、仮設に盆栽並べているのをいつも見ていたからそれが心に残ってくる。こういうものも何度も見ていると心に定着してくるのだ。盆栽でも長寿なものがある。いろいろ個性があった。根がからまっているのはまるで蛇がからまっているみたいだった。あんな盆栽はなかなかないし相当に価値があり高いものだろう。百万はするかもしれない、あんなふうにはなかなか作れないからだ。盆栽も日本の文化であり外国で盆栽ブ-ムだというのも何かひかれるものがあるのか?
これも良く見ていないとわからない、たまたま外にいつも飾っているから心に残ったのである。
盆栽も元旦に正月に向いているものだった。


海の方へ朝に鐘が鳴った。寺は嫌いだけどこの鐘の音だけが気持ちがいいのだ。そのひびきがいい、大地に鎮まるようにひびいてゆく、山にも海にもひびいてゆく、それは鎮魂の音なのである。


今日はコンビニで昼の用意だった。今は正月でも自給自足の時代でないから買ってまにあわせる時代だからどうしても店が必要なのである。ずいぶん混んでいたし故郷に帰った人も相当いるのだろう。その家が仮設だというのも変わったことである。

正月もやはり忙しかった。今まで正月でも暇だった。二人分の食事を用意するとなると常に忙しくなるのだ。だから一日が短いのである。高々と鳶が飛んでいるのは気持ちよかった。新年らしい風景である。


インタ-ネットはリアルタイムで次々に生放送するのに向いているのだ。これで元旦は三回目のアップだ。今年の元旦はさらにアップして記録を作るかもしれない、また外にでてみよう。

元旦俳句(十種の花)- (腹の足しになるだけではない-農耕は文化を生きることだった)


元旦俳句(十種の花)

(腹の足しになるだけではない-農耕は文化を生きることだった)

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元旦や十種の花の調和かな
床飾る十種の花や賀春かな
元旦や津浪に残る松に寄る
年明けて我が家を継ぎぬ月明かり


元旦に特別な意味を認めるのは農耕文化圏である。季節の変わり目が大事だからである。焼き畑の時代は月の満ち欠けが暦となっていた。稲作になり太陽崇拝になった。十五夜に備えるのが芋とか団子であることでもわかる。農耕というときこれは単に人間が食を得るというものだけではなかった。
今になるとなぜかそればかり強調されるのも変なのだ。人間はただ腹を満たすだけに生きてきたのかというと貧乏な時代だってそうではなかった。ただこれだけ豊になったとき昔をふりかえるとき文化的なものとしてふりかえることができなくなった。絶えずただ腹を満たすということでしか農業をみれないのである。文化というとき芸術と離れて思っているけど違っていた。文化とは総合的生活のことであった。今はただ経済的観点しかから見ていないから歪んだものとなる。農民は別に俳句も短歌も作らなくても濃厚な農耕文化を生きていたのであり文化の担い手であったのだ。
だから元旦など正月は小正月を加えると二か月とか長いのである。それは中国でもそうであり正月は特別なものとして祝う時期だったのである。


工業化したときそういう文化が根こそぎ失われたのだ。文化が失われることは実は人間の精神も失われることだから実際は相当に深刻なものだった。ただそういう自覚は農民になかった。貧しさから脱することが第一とされていた。でもこの辺では原発事故で故郷を追われるとか喪失するとか田畑が放置されるとか農耕そのものが根こそぎ失われたことの影響が精神面でも相当に大きい。別に農業など金にならないし補償金もらって暮らした方がいいとかなる。高齢化しているから余計にそうなる。

でも何か田んぼがないとかいうことが別に米が他から金で買えて入ってきても精神にかなり影響しているのではないか?田舎の文化の根底には農耕があった。それがなければ田舎といえるのか、確かにまだ自然は残っている。でもそれは人間が農耕として働きかけない自然になる。それがあるから都会とはまた違っていることも確かである。ただ基本の部分で農耕があって田舎だったから何か違和感が感じるのである。もちろん今の時代は都市の時代だから都市に生きることが現代的で田舎に生きることは遅れている人たちだということを言う人も多い。田舎は都会人の税金で暮らしていると批判する人たちも多い。それも一理ある。でも国でも総合的にみるとき田舎がなければ農耕がなければ精神的にかなりアンバランスなものにならないか?現実に東京のような怪物都市に住んでいる人は何にアイデインティティを見いだしているのだろうか?何か精神的に異常をきたしてこないのか?
自分は正常を保てなくなるだろう。異様な怪物的都市の迷宮で精神が病んでくるのが普通ではなかろうか?


いづれにしろ元旦は特別な日でありそれは農耕があり日本の文化があってそうなのである。別に単に年が変わるというだけになっている国も多い。そもそも元旦とか正月とかそうした言葉もない国が多いのだ。単にNEW YEARしかない国も多いのである。人間は食うだけではない、経済的観点からだけ生活を追求することが疑問である。だから山尾三省は極貧生活だったけど農耕という文化を生きたのである。その文化を生きることに最高の価値を見いだして死んだのである。そういうふうに農耕に対して文化的価値を認める人は農民すらまれになった。今になって飯館村の人などが農業を継続したいとかキ-ワ-ドで探している。その人たちは農業のもっていた価値を再認識してそうなったのだろう。
ただ補償されて団地のような所に生きていても何ら生きる価値が見いだせないのである。
農業はただ腹を満たすだけではない、文化を生きていたのだということを痛切に感じているかもしれない、つまり普通に農業をしていれば漁業をしていればそういうことを感じないのである。
たまたまこんな極端な状態にになったから考えざるを得ないということになったのである。

 

元旦の幽玄な月


元旦の幽玄な月

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元旦や幽玄の月光るかな

雲間より幽玄の月年明けぬ
幽玄の月や巳年の初めかな
新年や一瞬消えぬ流星
 
この月も不思議だった。半弦の月というのかあまり見たことがない、雲間から光っていたので余計それを感じた。流れ星も一瞬にして消えたのを見た。今年は天候が穏やかだから気持ちいい元旦だった。雪となるとか言ったけど正月はいい天気みたいだ。天気というのも一年を占うものになるかもしれない、この幽玄の月は何を意味しているのか?自分自身が幽玄的存在だし茶の湯の道も幽玄的なところがある。幽玄という言葉自体日本的な表現の仕方なのだろう。外国にはない、外国では空が澄んでいるから太陽でも月でも違ったように見えるのだろう。日本では湿っているから幽玄的なものが生まれてくる。日本の文化には湿気がかなり影響している。朧月などがそうである。湿気は食生活にもかなり影響している。四川料理の唐がらし料理はものすごく辛い、焼けるように辛い料理である。そんなものをどうして食べるのかと思ったら湿気が強い所だから汗を出すために食べるという確かにあれだけ辛いものを食べたら汗かでる、それで体にいいとなるのか?気候とか風土化料理も作っていたのである。

幽玄というときこれは巳年(みどし)の蛇にも通じているかもしれない、蛇も神秘的だからである。
流れ星を見たというとき何をこれはまた意味しているのだろうか、天候の事象で占うということが古来中国文化にはあった。津浪が月とか天体とも関係していたというときまだその関係は科学で解明されていないのである。科学で何でも解明されたようでもされていないのがまだまだある。
人間の運命も実際わからない、自分の寿命もわからない、体もわからない、でも突然死ぬということがある。流星のように跡も残さず一瞬の輝きを残して消える、それも神秘的である。人間もそんなふうにして消えてゆくのだ。死ぬときはまさに流星になる。

今年の元旦は朝から夜までまた自転車で駆けずり回った。新しい自転車は乗りやすいからアクションを起こしやすい、今年はこの自転車でかなり行動範囲が広げられる。ただやはり疲れやすくなっている。まあ、遠くにこれで行くのが楽しみである。

2013年01月03日

三が日(山鳩と蛇)


三が日(山鳩と蛇)

蛇のように聡く、鳩のように素直でありなさい)

Be wise as serpents and harmless as doves

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山鳩の里に平和や三ケ日

山鳩の枯木に番い平和かな
冬日さし畑に山鳩質素かな
闇深く幽玄の月冬の夜


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鳩は病院とか教会とかにあうけどあの鳩は山鳩ではない、山鳩がもともとの鳩であり小型化したのが街などにいる土鳩なのだろう。鳩の形としては流線型で山鳩の方が美しいし自然により調和する。
土鳩などは教会とか病院の屋根などにとまっているときにあっている。鳩には何か確かに平和を感じる。鳩を彫刻して並べて教会とか病院の建築に彫刻するといい感じになる。病院に入院したとき南相馬市立病院でも相馬総合病院でも秋であり鳩がとまっていた。秋の鳩というのが病院にふさわしかった。南相馬市立病院では海から朝日がのぼりその光がとまっている何羽かの鳩にさしたときは荘厳な感じになっていた。南相馬市立病院は建築的に場所でも理想的だったのである。今は二病棟しかやっていないので淋しいというのも変だがもったいない感じがする。建物はやはり相当に人間の心にも影響する。ただ立地条件が良くないと建築も映えないのだ。だから大都会では建物は立派でも映えないのである。今度建てる新地の病院はもし高台であり海が見えたら海から日の出が見えたら素晴らしい景色を毎日見ることになるのだ。この辺では高い建物がないから遠くが見えないのである。


鳩は平和の象徴である。日本語だと素直になっているが英語では害がない、harmlessになっている。枯木に番いなのか二羽山鳩がとまっていたが写真にとれていないかった。鳥をとるのはむずかしい。冬は鳥の写真をとるのに向いている。鳥が見えやすいのである。ただ一瞬のシャッタ-チャンスを逃すととれないからむずかしい。自然は何でも自然に調和するから美しいのだ。木にとまっていようが地におりていようが調和している。人間も農耕していれば自然と調和しているから美しいとなる。
ただ人間の場合は機械化して何でも自然でなくなるから醜くなるのである。そこで働いている人も常に農業なんか金にならない金にならないという不満しかなかった。でもなぜ自然の鳥などはそんな不満がないのか?実際は鳥でもアカゲラとかヤマゲラとか啄木鳥類は大食漢であり木から虫を掘り出して食べている。その量は相当なものである。ただ森にひびくのは木をつつくたたく音だけである。


江戸時代あたりは人間の営みも自然の中で調和していたから今とはまるで違っていた。こんな騒々しい世界ではなかった。自然の鳥とにた面があったのだ。自然と調和しているから貧しくても美しかったのである。都会にはそうした美が喪失している。自然と調和しない、人工的世界となったからいくら繁栄しても美が喪失している。ただ巨大な怪物的胃袋となっている。大都会には文化がないのである。自然がないから当然文化もありえないのだ。冬日がさして山鳩がいる。そこには質素さを感じる。鳥はそもそもみんな雀でも質素である。何も人工的なものを身につけないからそうなっている。もちろん家もないからそうなっている。わずかの木の実だけでも食べて生きていられるのが不思議だとなる。そもそも人間はそんなにこんなにいろいろ食べる必要があるのかとも思う。別にパンを食べなくても米で十分である。パンを食べるというときそのパンの贅沢のために新たな負担が強いられているのだ。小麦を外国から輸入しなければならないしそのための負担が大きくなる。それは車をもてば石油も必要だし負担が強いられている。電気も何か簡単にポタン一つで利用できると思っていたが大変な負担を強いるものであることが原発事故でわかったのである。


もちろん文明的生活が全部悪いとは思わない、自転車にしても電動自転車が進歩すると楽になる。
技術的なものをすべては否定できないのである。ただ技術には何らかの制限が必要なのである。
それができないから必ず事故が起きて今回のようなとりかえしのつかないようなことになる。


今年は元旦は本当に穏やかだった。北風も吹いていなかった。二日目の午後から北風が吹き寒くなった。この天気は何を暗示しているのか?元旦のように穏やかだったら今年は穏やかになるだろう。
でもどうなるのか、自分の一身上も6年は波乱すぎたので穏やかになることを望む。ただどうなるかわからない。ともかく今は正月も三が日が終わると終わりだろう。睦月とはむつむ月だというのがふさわしい、人と人が睦月には集まりむつみあう月なのである。

蛇というとき元旦に見た幽玄の月はまさに蛇にふさわしかったのか?闇深くなければ幽玄の月も映えない、都会には幽玄の月はありえない、あまりにも不夜城のようになっているからだ。そこに蛇も棲む場所もないだろう。蛇は辰年とは違って穏やかな年になるのだろうか?蛇は何か陰気だけど地にくぐり忍従的であり穏やかになるのかもしれない・・そうあって欲しいともなる。


アオバト
http://shp.edu.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/~awano_s/ikimono/101223aobato.html


アオバトなど見たことがない、こんなきれいな鳥がいたのか?一度は見てみたい、森でパ-ドウォッチングがいい、写真にとれればもっいい。この写真は相当に価値があるだろう。こんなふうに普通とれないと思う。そもそもアオバト自体見つけられない、どこにいるのかわからないだろう。

2013年01月04日

女と巳年(切実にに助けを必要としたときまた人は人を助ける気になる)


女と巳年

(切実にに助けを必要としたときまた人は人を助ける気になる)

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坂越えて女ランナ-巳年かな
97の母よろよろと巳年かな
年初め男の家事も勤めかな


蛇年は何か女性とあっているのか?執念深いというか、ねばり強いというか、坂を越えてきたのも女性だった。女性のマラソンが強かったのもやはり日本人の女性は体力的には弱いようでもねばり強いことが証明された。女性は一般的にねばり強いから長生きするのである。寝ていても死にそうで死なないのも不思議である。よろよろと起き上がってくる。まるで蛇のように思えたのである。
女性には明かに蛇の性がある。女性は家に住み着く蛇ににているのかもしれない、嫁は女に家なのである。女性は死んでも家から離れない、家と一体化しているのが女性である。
でも97くらいまで生きると人間はある意味で気味悪くなるということもある。ただ今の時代はそういう時代だからめずらしくはないのだ。

家事も一つの勤め、仕事である。ただ仕事として評価しにくいのだろう。やはり人間なんでも仕事できる人間が評価されるのだ。仕事できない人間は評価されない、社会というのはそういうものである。規律正しく仕事をするということが人間を作るということは確かである。そういう点が自分には欠けていた。ここ6年は介護と家事が仕事だったのである。この苦しみで学んだことは
「人間は困った時が必ず起こるから人を助けるのは義務である」という実際の経験から感じた。
このことは震災でも東北の人がみんな感じた。相当に遠くから来ても助けられたからである。

一身上でも痛切にそのことを感じたことはない、自分は助けられなかったけど切実に助けが必要性を感じたのである。人を助けるというとき自分自身が苦し目にあい助けを切実に感じたときしかまた人も助けない、困ったことのない人、苦しんだことのない人は他人が苦しんでいてもあまり感じないのである。でも人間は金持ちでも困るときが必ずある。そして金だけですべては解決しない、お前は金もっているのだから金で助けてもらえとあからさまに親戚の人が狂気のように怒鳴って縁がきれた。あの人は異常な人だった。でも金だけ助けられないことがある。ただ困ったとき助けられたりする経験するとまた金を関係せず助けるということがある。助けるというとき金も役に立つ、何も自分でできなければ金で助けるものいい。ただ金だけやっても助けたという気分にはなれないだろう。寄付した所でネコババされていたとかその金の行く先が不明なのが多すぎるのだ。赤十字すら寄付金の行方が明確化されていなというのは本当なのだろう。だから東北でも未だに寄付金などが有効に使われないままなのである。それだけ金の扱いはむずかいということである。


ともかく助けるのが義務だというとき、一時的なものでなく義務的に継続してやらないと効果がない、一時のあわれみとかではすぐに忘れてしまうだろう。いくら同情してもそれは行動に結びつかない、人間はやはり仕事のように義務として責任を果たすというふうにならないと効果がでてこないのだろう。ともかく仕事でも学問でも芸術でも何でもねばり強くやらないと成果はでない、仕事はそういうものである。蛇はまた何か老人もイメ-ジする。年老いたいるが知恵者だという感じがする。

だから蛇のように聡くあれと言われた。蛇は何か賢者のような感じがするのだろう。知恵者と賢者になるのは老人なのである。青年には少女にははち切れんばかりの若さがあるが知恵と賢くは絶対になれないのだ。若さの暴走、欲望の暴走がかならずある。とても蛇のように賢く冷静に知恵あるものとはならないのである。そこが矛盾しているのだ。最近思うに結婚も実際は老人と若い女性と結婚すべきだと思った。若い男性は肉体的には若い女性とあうのだがどうしても知恵とか賢さとか理性とか落ち着きとかそういうものが若い男性にはない、ぎらぎらした肉体の若さのみが露出する。精神性がない。だからどうしても三分の一が離婚するのだ。これがもし老人の知恵とか賢さとかが備わっていればそうはならないのだ。ところが老人にはすでに肉体の若さはないのだ。そこに人間の矛盾、ミスマッチがあった。


ともかく人間は人生の中でいろいろ経験しないかぎり覚ったりできない、60過ぎてから人生の最大艱難になったがもっと経験を積んでいたらこんなふうにもならなかったろう。ただ経験を積んでも苦労しても学ばない、覚らない人も多い。人間ともかくやるべきことをやらないと他者からも信用されなくなる、見放される。親でもこれも恩があるのだから返さねばならない、別に親でもやはり他人なのである。だから子供を世話しなかった親は冷たくした親は世話してくれないとなる。家族でもそういう家族も結構あるからわからない、でも恩になったら恩を返すということをしないと他者からあの人はなんだとなる。そんなことは別に自由だからそんなこと古いといってしなくてもいい、でもやはりそういうことをちゃっとしていないと人間として見限られるということはあるのだ。団塊の世代はそうした日本人がもっていた基本的なモラル、道徳すらない、そういう人間は若い人からも見放されるという恐怖がある。そういうふすうに団塊の世代が若い人から絶えず批判されているからだ。
「人間としてなっていない・・」こう若い人に思われていることに恐怖感を覚えるべきである。
家族でも祖父母のめんどうみないのを見ている孫は親のめんどうもみないとなるそうである。そういうふうに具体的にモラルは悪い面でも受け継がれるから怖いとなるのだ。

2013年01月05日

新年に仙台に行く (仙台平野の津浪の範囲は広かった-高速道路を行き実感した)


新年に仙台に行く

(仙台平野の津浪の範囲は広かった-高速道路を行き実感した)

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名取川の河口

仙台や欅を仰ぎ冬の空
新年や青葉通りに鳩飛びぬ
仙台に古本また買い新知識
故郷に巣ありて帰る寒烏
新年やバスの眺めに変わるかな


泉が岳蔵王と見えて津浪跡仙台平野に冬日没るかな

新幹線駅にとまりて新年に仙台に来て人と交わる
新年に蔵王の山影名取より夕陽眩しく見えつつ暮れぬ

冬の日や蔵王の山影さえぎつつ宮城よりし山形思ふ

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蔵王が見える-名取辺り

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今日は直通のバスで仙台まで行った。あれは途中で乗り換えないから便利である。本数も一日十本くらいでているから便利になったのだ。正月もあるが乗客が一杯だった。2時間近くかかるにしても直通だから便利である。あれだと仙台に行きやすいからまた軽い気持ちで行ける。ただ今日も電気をつけっぱなしで怖かった。一つのもち焼くのがコンセントをはずさないときれないのだ。それを忘れるとものすごく熱くなる。あれが熱くなっていたら火事になると気がもめてしょうがなかった。
前は携帯で連絡できたけど今は耳も聞こえないから連絡できない、その連絡できないことで犯罪にもあった。いかに家族がいないことが困るからかぞくがある人は考えないのである。困ったことがない人は困った人がいることを知らないのである。消防署に連絡したがどうにもならなかった。
帰ってみたらやはり電気がついていたがモチ焼くのはゼロに回していたから助かった。携帯で連絡つけば簡単に電源を切れで事がすんだ。介護は本当に一人だとつききりになり離れられなくなるのだ。認知症の時も一人でいると不安になるので離れられなくなった。どうしても気晴らしに近くすら行けなくなっていたのである。一人暮らしとかこうして留守にする時一番恐いのか火事なのである。


仙台では古本をまた買った。前は一か月に何度も行って本を買いに行っていた。専門的な本は仙台で買うほかないからだ。詩の本が相当にあったけど新しい本は高かった。詩を作ることでわかったことは詩をかなりの数を集める必要がある。詩はなかなか読めないのが多いのである。有名なのは読めても他は読めない、最近アマゾンで集めた。ただ高いから金がかかる。他に絵本とか安いので買った。古本の世界も広いから何があるかわからない、本の世界はそれほど広いものだったのである。
本ははすでに天文学的なものが出版されているからとてもそれらを利用することすらできない。
本は今は素人でもオンデマンドなどで簡単に作れるみたいだ。だから自分もそうしして本を作ってみたい。ただ書店には並ばない、書店では無名の人の本など置かない、出版社ル-トでしか本は置かない、ただ地方の小さな町の本屋など消えてしまうだろう。

海側の高速道路を仙台まで通ったけどかなり海に近い、亘理の鳥の海も見えたし阿武隈川の河口や名取川の河口も見えた。あの東部高速道路を越えて津浪が来たのだからあの辺の被害も大きかった。
バスから見てその被害の広さを実感した。結構海に近い場所だったのが亘理であり名取りだった。
そしてわかったことは昔の街道が山際に作られたことは偶然ではなかった。その前は昔は湿地帯とか海だったのである。だから道を作らなかった。開拓して田んぼになったのは政宗の開拓奨励の結果だったのである。でも現代は海に対する危険な感覚を失っていた。どんどん宅地開発であの広い仙台平野に家が建っていったのだ。それで地震学者が津浪が千年前にきているとか400年前に来ていたと警告したら土地開発業者にそんな危険なことを言うなと脅迫されたという。自分たちがもうからないからそう言ったのである。これは東電の体質と同じだった。ただただみんな頭にもうける金のことしかなくなっていたのである。そしてあれだけ広範囲な地域が津浪にのまれてしまったのである。
津浪の被害では宮城県が本当に大きかったのである。


みちのくを ふた分けざまに聳えたもう 蔵王の山の雲の中に立つ 齋藤茂吉


これはみちのくではない、宮城県と山形県を分けるものとして蔵王があった。

今日は高速道路からの眺めが気持ちよかった。あそこは一段高いから見晴らしがいいのだ。だから津浪も防ぐことができた。津浪の防波堤になっていたのだ。津浪の被害の傷はなかなか消えない、ただ津浪の後でも米作りはしていたから塩害でも米は作れるらしい。放射能被害とは違っていたのである。

烏が巣に帰るというのは当たり前だけどこの辺では故郷を失い故郷の家に巣に帰れないというのも悲劇だった。自分にはまだ家があり辛うじて家族も残っている。それでまだ故郷にいる。
故郷を喪失することの傷は相当に深いだろう。だから福島市とか他でも都会の団地に避難して住んでいる人はどう思っているのだろうか?大内村の人たちは郡山市などにすんだから便利で帰りたくないというのもわかる。仙台でインド料理のパンのナン料理を食べた。カレ-にひたして食べた。
チェ-ン店になっていた味が洗練されていた。あのパンがインドで好きになったので食べたかった。
外国旅行ではそういうことがある。でも外国旅行で料理通にはよほどなれた人でないとなれない、
レストランに入りにくいし金がかかりすぎるからだ。外国のレストランは簡単に入れない場所だったのである。

2013年01月07日

南相馬市鹿島区の海老村-八沢浦の津浪で流された神社



南相馬市鹿島区の海老村-八沢浦の津浪で流された神社

南相馬市鹿島区の海老村-八沢浦の津浪で流された神社

南相馬市鹿島区南海老の金砂神社、磯ノ上稲荷神社、北右田御刀神社境内八坂神社の三ヶ所に仮社殿を設置したとのこと
http://chingokokka.sblo.jp/article/51675182.html


http://chingokokka.sblo.jp/archives/20111207-1.html



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海老村のパノラマ写真

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竹駒神社の礎石-これはしゃれているが気づかなかったろう
遺跡のようになってしまった。


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これが残り谷(屋)である

前には一軒の家残らなかった。

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残った松
八沢浦の妙見神社

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海老村の海岸のすぐ近くの金砂神社が流された。そのあとに小さな祠が建てられた。それを建てたのは地元の人ではない、外部から来た人だった。あそこの神社にも石碑があり車輪梅が密生していた。その写真をとっていたが今不明になっている。金砂神社は砂浜で砂鉄をとっていた人が建てたのだろう。茨城県の日立にもあるから砂鉄をとる人が移動してきたのだろう。黒々とした砂浜がありあれは砂鉄だったのである。江戸時代の碑が残っていたがそれも流された。不思議なのはその流された碑がどこにいったのかわからない、探せばあるはずだが探して集めているのだろうか?


神社は信仰の対象というより今は文化財として保存の対象になっている。神社にもいろいろ起源があり何で祀られたかもわからないのが多い。烏崎にも津神社があり400年前の慶長地震津浪を記念したものだというが実際は鯨の祭りをしていて鯨の碑があった。だからあそこが津浪を記念していた神社だとは地元の人すらわからなかった。でも津神社は松川浦にもあったのだから津波の津なのだから津浪と関係していた。そもそも津浪ということば慶長地震の津浪からその言葉が生まれたことででもわかる。ただ忘れて祭りさえ別なものになっていたのである。やはり

津神社という名前が何なのか問う人がなかった。津浪の津とイメ-ジする人がいなかったのである。

竹駒稲荷神社は海老にもあったし他にもあった。竹駒神社はこの辺でも岩沼に行きお参りしていたし今でも農家の人たちはしている。その伝説も残っている。米の豊作を祈願のためにお参りしている。海老村は何軒か残して壊滅した。あの立派な一軒の家は良く残ったと思う。特別頑丈だったのか新しい家だった。つくづくあの家を見ていると良く残ったなと感心する。その前は全滅しているからだ。だから良く残ったということで残り谷(屋)という地名が他でついたことの意味がわかる。あそこも明かに津浪で残った残り谷(屋)なのである。


八沢浦の海岸近くに妙見神社の祠があった。それも流された。あれは武士が開拓して祀ったものだろう。明治維新で武士を失業した人が開拓に入った。城下に勤めていた侍かもしれない、ただこの辺では農民と武士をかねていた郷士だからそうとも限らない、会津とか伊達になると城勤めの武士がかなりいた。相馬藩では少なかった。だから会津では青森のとなんとかで開拓させられた。伊達では亘理の武士が北海道に移住してそこが伊達市となった。その侍は農民ではなく城勤めだったのだろう。
農業でも経験がなければ苦しい。だから北海道で農業の経験のない人は相当に苦労したのである。

この辺で原発事故で故郷を追われた人たち,特に農業をしていた人は仕事にしても簡単にできない、会社勤めの人はできる。会社が移動してそのまま勤めている人がいた。農業は土地がなければできないのだ。だから飯館村でまた農業をしたいという人はいるし牛を飼うことをつづけたいという人はいる。若いなら新しい仕事ができるかもしれないが50代以上になると新しい仕事に就くことはむずかしいのだ。

ともかく写真も今になると貴重なものになった。一つの故郷の記録として残す必要があった。

八沢浦は海老村や烏崎村のように壊滅していていない、家がまばらだったからである。もちろん死んだ人もいる。でも何か家が少ないからあそこがあれだけ広い入江が再現したとき驚嘆したのである。それにしても海老村から眺める風景もなんとも不思議としかいいようがない、家も何もなくなることの不思議である。みんな消えてしまい何もなくなってしまったのである。こんなさっぱりと消えてしまうのかということが信じられないのである。墓所だけが残り村は壊滅したというのも不思議である。墓が壊滅した村を見守っているのも不思議である。墓参りはできても肝心の集落がなくなっているからだ。墓参りする人も死んでいるのである。


津浪の傷痕は深くまだまだ癒えることは先のことである。二年たったとしても何ら変わりなかったのである。まず津浪の跡には家は建たない、あそこで一千万とかで売り出していた白い別荘があった。あれも売る前に流されてしまってゼロ円になってしまった。一方津浪の前に売れた家もあった。あそこは得したと思った。そんな損得勘定をしているような状態でもなかった。津浪の被害の前にそんな損得勘定よりただ茫然としているほかなかったのである。津浪の恐怖は一瞬にしてあったものが人でも家でも消えてしまうということだったのである。その恐怖は未だに消えていないし継続しているのである。神も仏もないのかという恐怖だったのである。

posted by 老鶯 at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2013年01月10日

人間の罪の基は口にあった (口からすべての汚れがでてくる-現代社会の嘘は見抜くことがむずかしい)


人間の罪の基は口にあった

(口からすべての汚れがでてくる-現代社会の嘘は見抜くことがむずかしい)


口は災いの元

そのうわついた口はぺらぺらあることなきこと
しゃべりつづけて嘘もつく
口は災いのもと
口はつつしむべし
特に女性の口は軽すぎる
その口の恐ろしさを知るべし
その口よりいでしものが他者を殺す
愛なくば愛を語るべからじ
真実の一言は重し
真実の言葉に力が宿る
石の如くに真実の言葉は重し
浮ついたる口よ
そは地獄にてその舌の焼かれむ
その口は呪われるべし


人間は簡単に言葉を日常的に使っている。言葉などなんの影響があるのかと普通は思う。しかし言葉を通じて人間の心が表に出るということが人間の人間たる所以なのである。身、口、意で悪を犯すというとき人間は口から一番悪が出やすい。意というときその心が言葉となって現れる。人は言葉を軽んじているけど言葉を通じて心が表出されるから言葉は恐ろしい害毒をふりまく、自然界のものは樹でも石でも山でも動植物でもは言葉をもっていない、言葉がでてこないからこそそこにいかなる悪も表出してこないのだ。だから人間でも沈黙の行をしていれば樹や石や山のようになれば悪は表出しないし罪を犯さない、罪というとき具体的な犯罪として罰せられる罪を罪だと思っているが人間は日常的に言葉で相手も殺しているのである。人間の言葉の害毒は計り知れないほどこの世を汚している。
そしてこの世とは嘘と偽りの世界である。それは権力者から下々まで嘘と偽りの世界に汚染されているのだ。現代では嘘というとき個々人のあからさまな嘘もあるけど会社とか組織や種々の団体が嘘をつく。するとそれは権力を持っているから大々的社会に宣伝されてその嘘が嘘でなくなるのだ。

マスコミがこの頃盛んにネットなどで批判されるのは真実を報道していない、嘘だというときそうだった。マスコミも宣伝費をもらっているから大きな会社の意向に従う、東電など電事連が一番宣伝費を出すときその意向に従うほかない、そうして安全でなくても原発の安全神話は作られた。これは嘘だったのである。それは政府自体もその嘘に加担していたのである。政府と会社が一体化して嘘をついていたのである。戦争中でも政府と軍部とマスコミが一体化して実際は負けた場合でも勝っていると嘘をついていたのである。政府もマスコミも一体化して嘘をつく、その嘘が人の判断を誤らせていたし結果として300百万人も死に犠牲にされていた。


まずこの世で嘘をつかないで人生を終えた人など一人もいないだろう。現代では特に嘘をつかないということは会社とか団体と組織化の中で生きていると個人が嘘をつかないように思ってもできないのである。会社ぐるみで団体で行動しているのだから一個人の意向は無視される。だから除染にしてもごまかしていても会社の支持でやっている、政府の支持でやっているとなり個人はその大きな権力の意向に従わざるをえないのである。つまり現代は江戸時代などより偽りと嘘が天文学的に増大した時代である。組織ぐるみの嘘が莫大なものとなっているからだ。例えば江戸時代だったら職人であっても一人一人で職人気質で仕事していたのだから嘘をつくようなことはない、すると全体的に嘘は極めて少ない、だからみんな江戸時代の人は貧乏でもいい顔していたというときそういう社会の違いがあった。現代はまた嘘を見分けにくいのである。マスコミの嘘などでも見分けるのがむずかしい。もちろん政府が嘘ついていたら余計にそうである。宗教だってカルトとなると巨大な組織集団だから宗教を看板にしていること自体嘘と偽りなのである。そもそも宗教は自らが犠牲になるような崇高なものだった。するとカルト宗教団体などはまるでその正反対だし誰も自分が犠牲になるような宗教を実践することが不可能だからその看板をかかげていること自体、嘘であり偽りだとなる。ただ別に宗教ではなくてあなたたちの欲望をかなえてやりますとあればかまわない、それは法華経とか虎に自分の食わせるとかの宗教を実践できるものはいないからそもそも宗教を看板にしていること自体が嘘と偽りになってしまう。この世全体がそもそも嘘と偽りの世界だとなってしまっているのだ。


現代はなぜ嘘がこれほど蔓延してしまうのか?それは薬でも医学でもその他いろいろなことが専門化して素人にわかりにくい社会だからである。何か宣伝している人は金をもらってしているのだからそれがいいとか悪いとか真実なのかどうかなど関係ないわけである。それを自分で確かめるわけにもいかない、原子力発電とか放射能問題でもそれらは目にも見えないしわからないから嘘が一番つきやすいとなる。放射能が低いならかえって体にいいといわれればそうかなと思って信じてしまう。それは専門家しかわからないから嘘をつかれてもわからないのである。個人的嘘なら具体的でわかりやすいけどこうした科学でも組織的集団的なことになるとその嘘を見抜くことは不可能になってしまう。
建築関係の仕事をしている人が一億円資産があるもうかっていると言われたときその方面の知識がないからそういう仕事もあるのだと思っていたら嘘だった。そういうことは現代は数限りなくある。
何が嘘なのか本当なのか社会が嘘と偽りにおおわれていたら見抜くことはできなくなる。宗教を看板にしているのだから宗教を追求しているのかと思ったらそこはどろどろした現世欲望を追求している団体だったカルトだとかなる。その嘘が偽りは巨大組織化集団化されると社会に公認されるから余計わからなくなるのだ。社会でその嘘と偽りを糾弾できなくなっているのだ。


おそらく嘘をつかずに一生過ごせるとしたら奇跡的だろう。社会とかかわること自体嘘をつき偽りに生きることになる確率が大である。だからこそ出家してこの世とかかわらないことが身、口、意を汚さないようにすることだったことがこれからも理解できる。でも出家してもまたそこが嘘と偽りの場になることもありうる。宗教というのも嘘が多すぎるのである。だからこの世で人間社会で嘘と偽りから逃れようとしたら不可能になる。石と樹とか山とか動植物、自然は嘘をつかない、偽りがない世界である。だからこそ自然にひかれるのであり自然に安らぐのであり人間社会ではそういうことがありえないのだ。その社会は複雑怪奇になっていてとても何が嘘で真実なのかもわかりにくい、原発事故でもそうだった。ただ原発事故の原因は嘘にあった。必ず権力でもって嘘が隠蔽されていたのである。その嘘は政府の権力もかかわり隠されていたのである。それが事故につながっていた。原発の技術的問題として安全かどうかの前に正直にその内部の情報を出していない、嘘で隠していたことが事故につながったのである。だから原発が技術的問題よりそうした嘘をつくことにあったのだ。


ともかく愛がないのに愛という言葉を口にする人が多すぎる。それは宗教団体であろうがいたるところで愛を言うがそんな愛を簡単に実践することはできない、すると愛ということばを余り語らない方がいいとなる。いや簡単に語れないということでもある。政治家などは愛想のいい大衆受けをすることを盛んに言うけどそれはみんな自分の欲望のためであり他者の犠牲になるなどないから嘘なのである。それは政治家自身が言っているのだからおべっかと言っているのだからまちがいない、政治家はそもそも嘘を言うことで公認された職業でもある。だから公約などもほとんど実現されないのである。選挙のときだけいいことを言ってあとは実現されないのである。政治家だから相当な罪の職業だともなる。嘘をつけないではやれない職業だということである。そういう職業が結構多いのも現代社会なのである。江戸時代の職人や農民でも侍でも嘘をつく職業ではなかったろう。現代は膨大な嘘が蔓延した社会なのである。その嘘もみぬくことがむずかしい社会なのである。
女性の水商売などもどうしても嘘が商売になっている。それも相当な罪な職業なのかもしれない、今なら別に地味な職業でも食えないことはないからである。強制的にされるのではなく自ら選ぶということもあるからだ。そんなことに出入りすることは嘘の世界に自らも汚すし汚されることになる。
でも社会ではそんな堅いことでは通じないとかなり接待が普通にある。


口から入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのでる


口が人間の罪の一番の出口なことには変わっていなかった。口をつつしむことが宗教の修行の第一にあった。口をつつしめば罪を犯すことからまねがれる。だから社会とあまりかかわらず口をつつしむ禅宗の修行があった。現代社会生活で嘘をつかないで暮らすことはむずかしいからである。
ともかく心にもないことを次と次と言って恥ないのにはあきれた。女性は嘘つくのが当たり前だと弱い女性には嘘は許されるというがそんなことはないと思う。やはりその口は罰せられるだろう。それは男女に関係ないだろう。人間の謎は罪から生まれ罪を犯すために生まれた来たのだろうか?
結果的にはみなそうなる。なぜなら自然界には善悪がないから罪もないのである。人間だけが善悪をしる。人間が知恵の樹の実を食べて善悪を知るようになった。だから人間だけに善と悪がある。
嘘をつくということも悪であり真実であることは嘘のないことでありこの二つは分けられるのである。悪があって善を知り善の意味を知るということがある。山や樹や石など動植物でも嘘をつくことなど偽ることなどないからである。人間だけに悪あり嘘も悪であり嘘をつかない人など一人もいないから人は罪を犯すために生まれてきたということでもある。