2012年12月31日

大晦日(この6年間の過酷な過去をふりかえる) (来年は心も復興していかねばならない)

 

大晦日(この6年間の過酷な過去をふりかえる)

(来年は心も復興していかねばならない)

一匹余る鯛買う大晦日



2006-1 姉が認知症発症
2006-2 母がアパ-トに移る
2007-2008 姉脳卒中で入院-死亡
2010-10 南相馬市立病院に一か月腎不全で入院
        犯罪にあう
2010-11 母が交通事故、三か月か鹿島厚生病院に入院
2011-3-11 津浪、原発事故
2012-9 手術-相馬総合病院に入院二か月-2年間身体障害者
 


これだけのことが6年の間に起こった。認知症自体が訳のわからない病気でこれを介護するのに苦闘した。ここで思ったことは精神の病ほど怖いものはないと経験したことである。認知症は明かに精神が脳が心が崩壊する病気だから恐怖なのだ。これは知らないものは馬鹿になったとか笑っているが
人間が崩壊するのだからこれほど恐ろしいものはない、人間は脳がやられるとだめになると人間でなくなる。例え体がどんな苦しい病気になっても脳が正常ならまだ人間でいられる。しかし脳が病気になり心も病むと人間でなくなるから恐怖なのである。痴呆になることが信じられないことだった。
救われたのは二年で脳卒中になり病院に入ってからは家で看護しなくてもよくなり助かった。その後半年くらいであっけなく死んでしまった。ただここで自分が一番苦しかったのは二人の老親のめんどうをみなければならなかったことである。一人はまだ正常だから助かった。まもなく動けなくなり寝るようになってしまった。


そして今度は自分が小便が出なくなり腎不全になり一か月入院した。これは思った以上怖い病気でもあった。実際は二週間で退院できた。でも感染病になり40度の熱がでて三日寝込んだ。これも怖かった。病院はかなり感染病になりやすく怖い所である。何とかこの危機は脱した。思えば自分の体をいたわる、心配する人は一人もいなかった。自分の病気にしてもそんなもの誰もかまわない、ただ弱みにつけこまれ犯罪にあった。まさに人間の非情をこの間経験した。一人だけは馬鹿正直な人だったが本当にあわれんでくれたのである。かわいそうだなというときその人は本当に心でそう思っていたのである。その人には今でも感謝している。あとは弱みにつけこむというか援助はほとんどえられなかった。自分の病気にしても早めに誰かが心配して病院に行けるような状態だったら手術までする必要がなかったかもしれない、最初に相馬総合病院の泌尿器科に行かないのが失敗だった。そういうふうに心配してくれる人もいなかった。自分も医者に自ら行かないのが失敗だった。そのうち介護で行けなくなったのである。


さらに2011-3-11に津浪と原発事故がありさらに混乱の中にあり自ら病院にゆくような状態ではなかった。その間管とか入れて身体障害者状態だった。それでもなんとか一人介護できていたから助かった。身寄りがない、頼るべきものがないほど怖いことはない、そういう弱い時、火事場泥棒にあった。それは津浪のあの無惨な状態と光景とにていた。めちゃめちゃに家が壊されて泥に沈んだ死体、瓦礫の山、そんななかに外から入ってきた火事場泥棒がいた。それは自分が経験した風景であった。
まさに地獄の光景だったのである。この世には本当に地獄があるものだと自らも経験したし津浪原発事故は目の前に地獄を見せたからショックだった。  


2012-9月に手術して身体障害者から解放された。病気にはちがいないがこれなら旅行もできるし登山でもできる、海外旅行もまだできると思ってうれしかった。一時は身体障害者であり旅行もできないと本気で思っていた。人間は車椅子とかになり本当にそうなっている人が病気でいる。それとにていると思っていたのだ。まあ、自分はまだこれなら仕事もできる、活動できると思ってうれしかった。もう来年は悪いことは起こってほしくない、そろそろ津浪原発も厄払いして復興に向かわないといつまでたっても立ち直れない、自分の一身上でもそうでありこの辺全体でもそうなのである。
すでに二年たとうとしているのだからいつまでも震災の事故の被害者となって受け身では外からも批判されるだろう。喪の期間は終わりつつあるのだ。


来年は自分も心機一転して創造を継続したい、今年は詩を百篇ほど書いたが新しく作った詩集の部にのせていない、それだけの余裕もなかった。詩も自分の場合いい詩が作れなかったが我ながらいい詩ができるなと不思議に思っている。いづれにしろこの辺は喪の期間は終わり今度の新年は新年らしい新年にしたい、そうしないといつまでもふんぎりがつかないだろう。 
    
今日はまた一日大晦日の料理の準備だった。ラ-メンと鯛が一匹ス-パ-で残っていたので買った。縁起をかついで鯛を買った。それから元旦に飾る花も買った。元旦にアップする俳句の連作もすでにできている。今回は新しい年を祝ってもいいだろう。いつまでも津浪の被害の喪の期間をひきづっているのはよくないだろう。二年間はしかたがないがこれから実際の生活でも心でも復興していかなければならないだろう。


一匹余る鯛買う大晦日


なんとか来年はめでたいになってほしい、やはり体がまともでなければそういう気にはなれない、今なんとかそうなっているから新しい年に向かう準備ができたのである。