2012年12月24日

ブリ大根(二三分で料理の忙しい時代)


ブリ大根(二三分で料理の忙しい時代)


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冬紅葉残りの散りぬ玄関に

冬紅葉散りて残れるわずかかな
冬紅葉今日も散りにきあわれかな
冬の月60過ぎて澄む心
冬の灯やここも介護や家一軒
料理するブリ大根や二三分

故郷の狭きをめぐり師走かな


介護になってから6年間追われつづけてきた。


私は双子の育児中です。
介護とは違いますが一日中だれかの世話に追われている点では同じかなと思いレスさせて頂きます。自分の食事は食べられるときに食べます。
双子が生まれてから食卓に座って食事をしたのは数えるほどです。
だいたい台所で立って食べています。



介護のことで書いていたけど育児もこんなふうに忙しくなる。人の世話をすることは大変な労力になる。お茶一杯わかして出すのが手間なのである。ゆっくり食事ができないのだ。食事を出す方になるとそうなってしまう。

ブリ大根を料理して食べたけどうまかった。これはタレができていてただそれをあたためて大根とブリを切っていれるだけでできたから簡単だった。でもタレがうまいからうまいのである。普通自分で料理しても鍋物でもいろいろ調味料などがめんどうになるからしていない、今の時代は料理でもインスタンが多い、それだけの時間がない、おそらく親からその家独自の料理を習うときは時間があったのだろう。家ごとに自家生産していたときは家ごとに味噌を作り味が違っていたとかその家独自の漬け物の味があったというときそれだけの時間があったのである。昔はそもそも家事の手間が大変でありその労働の半分は家事にとられていたことは確かである。

だから女性の仕事として女中が多かった。たいがい戦前では女中を経験しているのだ。女中がやたらいた時代なのである。それかお手伝いさんになったけど今はよほどの金持ちでないとお手伝いさんは雇わない,だからお手伝いさんを雇った経験のない人は極力雇わない方がいい、そういう時代ではないし危険な人が入ってくるからである。
家の中に入って仕事することの意味を知らない人が多いのである。家の中で働くことは家族の一員にもなりうる仕事なのだ。そういう人はよほど信頼ないとできないのである。そういうことを知らない人が自分をふくめて多くなっているかもしれない、昔だったらそういう人が多いのだからそれなりの注意があり雇っていたのだろう。例えば外国ではそういう人が多かったから信用はある家で信用されたものは他に移っても信用されて雇われたとかなっていた。その人について良く知らないと雇えないものだったのである。現代は家の中に入るのはまた変わって多くなってもいる。介護関係で家の中にヘルパ-として入ってくる人がふえたのである。だからここで問題が生じやすいのである。


ともかく現代は忙しい時代だから要するに料理も時間をかけて教えたり作ったりできないからできあがったものでまにあわす、オデンでもそうである。それがうまくなっているのだ。2,3分でできないと教えられないと時間がないから用をたせないとなる。情報にしても膨大だから情報に追われているのだ。情報というとき今日はあのアメリカ人にあおうとして行った団地で冬休みで遊んでいた子供に出会い話しした。中学生で結構英語ができた。まず中学英語だけでも相当な英語力でありそれ基礎にして英語力はありうる。海外旅行など中学英語で十分である。その他でも中学の学力を深めれば相当な知識人になっている。高校はすでに高度になりついていけないのである。自分も高校になりむずかしくて能力がないから落第するほかないくらいだった。今では高校までの学力はこれを基礎にすれば相当な知識人になれるのだ。ただ結局そこから学問を深化できないのである。


子供でもやはりテレビの情報に汚染されている。テレビの芸能人が誰だとかそういうものが話題になるとき今や知らないとなる。テレビの情報にまだ子供も影響されているのだ。情報過多の時代は自分から情報を選択する能力を身につけないと大量の情報に汚染されてしまう。実際にこの辺の昔のことを話ししたがそういう話しも大事である。ただそういうことを聞く機会がない、炉端でのんびりおじいちゃんおばあちゃんから話しを聞く時代ではないからだ。だから情報もじっくりと消化できない、料理のように二三分で情報もあっちこっちから聞いて見て終わってしまうとなる。何事人間は時間をかけないと自然でも人間のことでも理解できないのである。つまり人間は六〇年間生きても本番を生きていない、生きられないということもある。それで人生は終わってしまうともなるが人間はそれだけ成長するのに時間がかかりすぎるのである。


高齢化というのはその点では人間を成熟させるともなる。また堕落した人も長生きするともなる。介護とか仕事をもつと狭い故郷でも駆け回り時間が過ぎるのが早いのである。これが三食用意されていたときは常に時間をもてあましていた。そんなときはすでに過ぎ去ってしまった。一方で暇な人もいるがいかに今は介護している家が多いか。明かに何軒かおきに介護している家があるように思う。それだけ介護の時代にもなっているのだ。

介護の労力が膨大なものになっているのだ。手厚く介護すれはするほど寿命はさらに伸びるのだ。
だから一日中エアコンしていれば電気をくうからかえって施設で過ごしてもらった方が安上がりだとなる。ただ施設でも人件費やらなにやら金はかかる。いづれにしろ人を世話することは手間であり金もかかるのである。


60過ぎて心が澄んできたということはある。習熟してきたとか熟成したとかになる。ただ暴走老人のように心がどうにもならなく汚れてしまった、罪深くなってしまったという人が多い。だから一部をのぞいて老人とはつきあいたくない、そういんう汚れた人とつきあうと汚されるのである。だから子供とか汚れていない若者と女性で若い方がいいとなる。団塊の世代など六〇代などは本当に人間的にまともなのがまれであり欲望がまだむんむんしていて枯れた人などほとんどいない、欲望をむきだしにする世代になっているのだ。そういう人たちは非常に危険な匂いがあり近づくと自分も火傷するし深手を負う。結局未来はまだ汚れていない子供や若者にあるということになっている。だから孫に財産を残したいという気持ちがわかったのである。

老人の欲は消えない-権力+欲望が悪を産む (女性への欲望も消えることはない)


老人の欲は消えない-権力+欲望が悪を産む

(女性への欲望も消えることはない)

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●老人の長生きの問題はすでに古くからあった問題


人を食った話

 14世紀に編纂された書物である「神道集」にはこのような話が収められています。第二代・綏靖天皇は毎日朝夕に人間を七人ずつ食らったため、臣下は自らが生き残れるか恐れおののくと共に天皇が長生きする事によって多くの人民が滅んでしまうのではないかと心配しました。何しろ、天皇の祖父・鵜茅葺不合命は八十三万六千四十二年、神武天皇は百二十年にわたり国を統治したとされていますからこの天皇もどれだけ生きるのか、と考えると苦悩に余りあったでしょう。そこで、ある臣下が天皇を饗応し、その席で「近いうちに火の雨が降る」と奏上しました。諸国にも同様の触れを出して人々を岩屋に避難させた上で、頑丈な柱で出られないようにした岩屋に天皇を入れて幽閉。天皇の姿が見えないのを確認したうえで代理の人物が国を統治しようやく国は平和になったということです。
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/cannibal.html


高齢化社会というとき人類はじまってこれだけ大勢の人間が高齢化することは歴史上なかった。ただ今起きていることでも歴史上にはそれとにたことが必ずあったのである。これは天皇が権力者があまりにも長生きしてその配下のものが国を治められなくなった。これは今の時代にもあてはまる。
若い人が高齢者をまた寝たきりの金だけかかる老人を批判しつづけているのとにている。
実際に一つの家でも今は90才くらいまで生きるとするとまだその家の実験を財産をもっている場合が多い。財産が次の世代に譲られない、60代でやっと親が死に財産が自由になり自分のしたいことをできるようになったという人も多くなっている。そのことはすでに60代では遅いのである。
親が長生きしすぎた結果、家を継ぎ次の世代の時代を作ることができないのである。


これは自分も経験している。自分の親に当たる人が死んだのは86才でありそれまで財産をゆずりうけていなかった。だから自分で庭作りで2百万くらい使ったのははじめてだった。自分は百万という金を自由に使ったことがない、金が自由にできないことは跡を継いでも何も自分でできないということなのである。ともかく何も文句も言われないで自分のしたいことをできるには財産を譲り受けねばならない、それが親の長生きでできずにやりたいこともできなくなっていたのである。
もちろん自分の場合はやりたいことをやらせてもらった。ただ家のことでやらせてもらっていない、
親が長生きすることはやはり古い時代がいつまでもつづき新し世代の時代を作れないことなのだ。
これは一つの家の問題だけではない、社会全体の問題になっているのが高齢化社会なのである。
それは会社であれ政治の世界であれ学問の世界であれ芸術の世界であれどこにでもあてはまるだろう。高齢化とは新人が出にくい社会である。特に政治や企業などでは権力を譲渡されないと何もできない、ただ肩書だけ与えられても実権を与えられなかったら何もできないのである。実験は以前としてその高齢者がもっている場合がある。橋下氏か石原氏と組んで失敗したのはまさにこの例のように
高齢者が下のものの足かせとなり真の革新出来なかった事にあった。こういうことは高齢化社会全体の問題としていたるところで起きているのだ。


●女性の欲望は死ぬまで尽きない


テレビの時代劇のテ-マは決まっている。権力をもっている役人や商人でも若い美人の女性をものにしようとして権力に金にものいわせて従わせようとしている。それは露骨なものとして権力と欲望が結びつき悪が誰にでもわかるように演じられる。これはしかし昔から人間である限り起きていたことである。若くても女性にしても金持ちの家に嫁ぎたいとかなると女性の方も権力を望む。自ら権力に従う権力を利用するのも女性である。ただこういうパタ-ンは人間の悪として見慣れたものである。
これは欲望としてわかりやすいから悪が見えやすいから庶民的なドラマとして受ける。ところが現代になると権力+欲望が見えなくなっている。人間の欲望は女性とか性だけではない、様々なものがあり全部の欲望を否定はできない、ただ一番わかりやすいのが性の欲望だから昔からそうした事件はあった。


悪魔のメフィストーフェレス(以下メフィストと省略します)が、ファウストを堕落させて地獄に落とすことができるという自負心から、ファウストと契約を結び、ファウストを若返らせて、官能の享楽に溺れさせようとするが、純真な娘グレートヘン(グレーチヒェン;マルガレーテと訳し方は様々)に一目惚れをし、愛し合うが、以後、グレートヘンは悲劇の一途を辿り、ファウストはメフィストの力で助けようとするが、彼女は神の審判に身をゆだねる。
その後、美を追求することにより生の意義を把握しようとするファウストは、ギリシアのヘーレナ(ヘレナとも)を地下の冥界まで追い求め結婚するが、

魂まで売り若さを求める、地下の冥界まで追い求め結婚する・・・まさに女性に対する欲望ははてしない、老人になると枯れるというのは昔もなかったのだろう。老人になると若さの価値が宝石のように高いものとなる。なぜなら若さはもはやどんなに金を積んでも手に入れられないものとなっていたのである。女性など20代とその後30代40代さらに60代になるととても同一人物のように見えないほど変わってしまう。20代の輝きはあまりにも眩しかったことにその時気づくだろう。もうその若さは絶対に手に入れられないものとなっていたのだ。だからそれを手にいれようと躍起になるのも自然なのである。そのことで人間は最後の妄念が激しさをます。これは女性でも灰まで女性は女だということで人間の男女の欲望は消えないのである。70才の女性のストカ-がいたというのも驚きだがこれも高齢化社会の事件である。そういう事件はこれからますます増えてくる。老人の暴走はますます増えてくる。10倍にも犯罪はすでに増えている。老人になると性の欲望が消えないしかえって最後にその欲望が妄執のようになる。枯れるというのはほんの少数のものである。老人になるとかえって若さの価値がどれだけ高いものかしるのである。若いときはそんなもの当たり前だと思っていた。しかし老人になるとその若さの価値は黄金にも何よりもまさるから魂まで売って手に入れたいともなるのだ。

久米仙人も女性の脚を見て落下したとかダビデも晩年、女性に魅惑されて罪を犯した。若い女性と一緒にねて若返りを計ったとかやはりそういことはいくら優れた人でも起きてくる。つまり女性の魅力がいかに大きいものか、特に若さの魅力は本当に老人から見るとあまりにも眩しい輝きなのである。そこから権力をもっているとその権力で若い女性をものにしようとするのである。それは悪の典型的なパタ-ンなのだ。


●権力+欲望が悪を産む


権力+欲望というときそれは女性への欲望だけではない、権力そのものが人間の欲望である。権力をもつものがこの世で得して威張ることができる。権力なきものは虫けらのように扱われるのがこの世である。警察でも権力あるものには手加減するし権力をもっていないとまともに扱ってくれない、検察も警察も権力機構であってもさらに政治や政党などの権力がありその権力に屈する。だからこの世の権力集団は権力でもって権力を操作するように躍起になる。創価でも絶えず権力を操作するために検察や警察や政治でも圧力をかける。すでに集団化している団体は権力集団であり権力+欲望の集団である。中国の共産党でもそうなように革命は銃口から生まれるというときまさに権力は力で倒さない限り得られないということを露骨に言ったのである。戦国時代なら露骨に殺し合い戦争で権力の奪いあいをしていた。民主主義社会になると権力というのは別に武力だけではない、様々なものがありそれらがわかりにくくなったのである。なかなか目に見えないものとなってしまった。法律だって権力であり法律を知るのは容易でないから権力が東大出の官僚の派閥で支配されるようになったというのもそのためである。法律もすべて善用されるわけではなつ悪用もされるのである。それは人間の欲望がからむからそうなるのだ。

今度の原発事故でもわかったように権力+欲望が事故を起こすことに通じていた。すべての人が欲望をもっているのだから当然そうなる。東電ではもうけたい利益をあげたいから安全神話を作り安全のコストはカットする。コストカッタ-と言われた清水社長がのしあがる。さらに政治家検察官僚もマスコミも天下り先や金でその欲望をみたしてやる。地元の人も金でその欲望を満たしてやる。
人間は権力と欲望が一体になると危険なのである。欲望があってもその欲望を満たすことができないならば欲望も前面にでてこない、おさえられるのである。でも権力をもったらその欲望が前面にでてきて露骨に悪代官や悪徳商人などが若い女性を権力でものにするということがある。人間はみんな欲望をもっているゆえ、権力をもつと悪が増大するのだ。共産党も革命の後、権力を手に入れたときもともと権力を望んでいた。革命といっても自らが犠牲になることではない、権力でおさえられていた欲望がありそれを満たしたいという本心があるから権力を得るとその権力で欲望を満たすようになる。またその権力を簡単には手放したりしないのである。老人が権力をもっているというとき老人の力はもはや若さにはない、ただ権力のみが老人の力になる。家でも金がないと相手にされないとか今は老人を敬ったりしない、数も多いし敬いきれないいうこともある。老人に希少価値など全然ないのである。すると若者に対抗するには権力しかない、金しかないということにもなるのだ。だから金をもっていても手放さない、次代のものにゆずらない、長生きするから余計にゆずられなくなっているのだ。


ただ若さがすべていいかとなると若さは未熟であり知恵も備わらない、若いときはいろいろなものを理解できないのである。いくら本を読んでも自分は平凡な人間だから理解できなかったのである。
芸術でも深く鑑賞できないのである。老人になると若さを失うが深く理解力、鑑賞力が深まるということがある。だから若さがすべてではないにしろやはり若さというのは老人から消えたものだからもう手に入れられないものだからそれが特別なものに見えるのだ。恋というのは実は一生に一度しか経験されないというときそういうものなのだろう。それも20代前半でしか経験さないというとき人間はあらゆることを経験できない、経験できることは限られているのだ。ともかく人間のあくなき欲望、権力欲が尽きることがない。まず宗教が権力化していることこそ全く宗教から離れていることはない、そうではないか、シャカでもキリストでも乞食で住む場所もない生活をしていたのに宗教を説く人が今は誰一人としてそんな生活をしていない、巨大な権力集団化政治化して圧力団体となり逆らうと罰が当たるとか脅したりしているのは異常である。それは暴力団とたいして変わらないのである。


それがこの世にまかり通っていること自体何なのだろうと思う。つまり権力+宗教というのが人間として最悪なのである。それがカルト宗教団体である。ヨ-ロッパではカトリックでそういう歴史を経験しているから政教分離の法律ができた。宗教が権力で強制されることが最悪なのである。宗教は良心に訴えている。それを巨大な政治団体として個々人に圧力をかける。宗教心もないのに権力でもって強制する。むしろ人間は権力をもった時すでに清い心をもつことができなくなる。欲望が権力で達成されるとなるとおさえられないからである。宗教は集団的なものでありえないのだ。経済を良くしろとか景気を良くしろとかそういう経済的欲望はあってもいい、ただ宗教は別なものである。
カルト宗教団体はほとんど権力+欲望の集団であるからそこに宗教心の欠片もないだろう。
ただ集団でもって圧力をかけるためにある。確かにうまいものを食いたいというのを否定はできない、でもそれが宗教と結びつくはずがない、でも実際はうまいものを食べたいために祈っている。
うまいものを食べられなくても満足しようといかのが宗教心である。山尾三省のうような生活が宗教心だったのである。