2012年12月23日

落葉(津浪や交通が遮断されて変わる風景と心の変化)

 

落葉

(津浪や交通が遮断されて変わる風景と心の変化)


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カシオの新しいカメラでとった。
これも特殊な効果がある。二両の電車が見える。


道の駅遠くに通わず落葉かな

病院に老人出会い落葉かな
冬日さし前に家なし柚子映えぬ
一本の松に日のさし落葉かな
冬ざれや津浪の跡に昼の月


六号線でも道が途中で閉ざされているということは江戸時代のように遠くとの交通がなくなる。江戸時代あたりだったら自給自足が原則であり遠くに頼ることがほとんどない。だから遠い地域に影響されない、一方で交通がないから飢饉のようなとき遠くから助けられることもない、そういういい面と悪い面が人間にはつきまとっているのだ。だから昨日も二両の電車のことで書いたけど意外にこの交通の変化が人間の心にかなり影響している。別に車も通っているし変わらないじゃないかと思うけどやはり六号線が東京の方へ通じない、途中が遮断されている、それが心まで影響した。
落葉というときまさに村の自給自足だったら社とかお地蔵様と薬師堂とかが中心にありそこに落葉が溜まり人間もたまるという感覚になるのだ。俳句や短歌にするにしてもそういう交通の影響を受けて作られることがわかった。もし遠くに交通がなれば明かに江戸時代の自給自足的生活にもどらざるをえない、すると心まで変わってしまう。物質的には不足しても心が変わるから何か前の村のような共同性が生まれかもしれない、何でも外との交通が拡大化すれば内部の分断が起きてくる。

それが現代でありどんな田舎でも内部は分断して田舎でも人と人のつながりは希薄になっている。
心もやはり環境で作られる面が大きかったのである。もちろん貧しいということでその心も歪むこともあった。戦前でも農民が日記に書いているけど地主をうらやみ金だ金だと叫んでいたから同じだった。小作の恨みは深かったのである。つまり貧富の差が大きいからそうなった。

不思議なのは江戸時代でも侍は貧乏なのだから農民が侍の暮らしをうらやむということはあまりないみたいだった。たしいて変わらない生活だったのかもしれない、それがヨ-ロッパの貴族と違っていたところである。自然真営道江戸(えど)時代中期の思想(しそう)家安藤昌益がいて耕さないものは働かないものは搾取していると侍を批判した人はいた。それは表に出ない思想であり隠されたということは一面侍に対してヨ-ロッパと同じ不満をもった不公平を感じた人はいた。でもそれが江戸時代のすべてではない、江戸時代また謎が多すぎるのである。ここで僧侶も耕さない働かないから批判されているのは納得がいく。侍と僧侶は公務員であり今公務員が優遇されていいると批判するのと同じである。


柚子は秋の季語だった、でも冬にも映えている。一軒の農家が樹々に囲まれてある。そういう家は何か落ち着く、まさに自然な家なのである。街のこみあった家にはそういうものは感じない、前に冬菜畑がある。許可されていないが農家では前畑に作っているみたいだ。別に老人が食べるには問題がないだろう。


津浪の跡に昼の月がでていた。津浪の跡はまさに冬ざれの景色だった。冬ざれというとき刈田ではぴったりしなかった。


「ざれる」は少し崩れる場合「どえる」は大きく崩れる場合と使い分け(池田町)
「ざれる」「くんぜる」「おちくんぜる」と使う。(徳島市)←落ちるの意味に近いよ


これも良くわからない言葉である。ざらざらということからきているかもしれない、

冬ざれ・・・ざれはまさにこうした崩れたとかの風景だとすると津浪の跡にもマッチしている。山が崩れてそうなったとしてもやはり自然災害の跡をさしてできた言葉だとなる。
日本にはそういう自然災害が多いからそういう意味合いのものが結構あるのかもしれない
冬ざれはまさにそういう風景だとすると津浪の跡はまさにふさわしいとなる。
ただ日本は山が多いからそして崩れことも多いから山崩れをさしてできた言葉というのがもっともらしい。


いづれにしろ津浪の跡はやはりなんとも不思議であり言いようのない荒寥としたものがある。
あれだけ人が住んでいたの荒地化するということがその変化が大きすぎるから不思議になる。
そうして人が住まなくなった荒地に昼の月がぽっかりでていたのである。それは北海道の荒野の風景と同じである。この辺も江戸時代の前はこんな風景だったのだろう。烏崎でも人は住んでいなかったのである。だから人が住んでいない状態にもどったことが不思議なのである。

 

明確な色のコントラスト(clear coloured contrast)ー抽象画


明確な色のコントラスト(clear coloured contrast)ー抽象画

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エロス

オリジナルはインターネットにあった 抽象画はやはり色の多様性が作り出す美である
具象画としてみれば海であり森であり土地であり街とかになるが人によってはまた別な見方がある具象画のように一定しないのが抽象画なのである。

最後のエロスはどうしてオリジナルから変化したかわからない
地球の生物でもオリジナルがわからなくなったのにている
抽象画の特徴はオリジナルから無数に変化していることなのである
バリエーションが延々と続くーそれはコピーではないー創造的変化なのである