2012年12月19日

相馬総合病院に入院、短歌まとめ (津浪、原発の被害の大きさを実感)


相馬総合病院に入院、短歌まとめ

(津浪、原発の被害の大きさを実感)

病院の外に夾竹桃の花赤しその花見つつ今日もすぎゆく
病院の窓に夾竹桃の赤き花風にゆれにきいでられじかも
津浪にて家を流さるその人と病室ともに秋となるかな
朝焼けの雲を写して病院の窓や相馬は海近しかも
丸森の人は去りにきそのあとにしばし思いぬ秋となるかな
菜花という名字の人の一時を同じ病室にはや去りにけり
草むらに月見草咲き病院の窓より見えて相馬市にあり
散り散りに町民なりぬ帰れざる人の悲しき虫の鳴くかな
病院に見守る人もなきにしにかすかに聞こゆ虫の声かな
病院に隣り合いつつ一時や相馬市にあり虫の鳴くかな
日に二度の回診ありぬ病院の心やさしも励まされるしかな
掃除する人にも感謝し退院の病院なべて患者に尽くす
病院の食事にも我感謝する独り身なれば買うこと多く
身よりなき人の悲しみ人知らじ看護師も知らじ虫のなくかな
弱きもの知るは弱きもの剛き者心知らじも虫の鳴くかな
人はみな今病院の死に場なりそのこと深く思うべきかな
請戸の人飯坂に住み雪ふりていやになりしと相馬市に来る
津浪のこと語りつくせぬ一年をはやすぎてまた秋の来る
相馬市の屋並を見つつあわれかな朝にひびける秋の蝉の声
頼るべき人とてなきに病院の朝より聞きぬ虫の声かな


二週間の入院は意外と短かった。入院すると長く感じるのだ。今回の入院は病人のようにみんな思えなかった。たいがい二週間以内でありある人は入院ではなかった。検査入院の人もいて二日くらいで去る人もいた。毎日話ししているのも笑いがあるのも病院らしくなかった。ただ病気は病気なのである。それが必ずしも軽いともいえないのである。前立腺癌の手術はそれなりに重い。現実に将棋の
米長氏が69才で死んだことは死ぬということもありうるのだ。ガンになったらやはり相当に重傷だろう。今回の病院は本当に津浪の影響を受けた人が意外と多かった。原発の被害者もいた。浪江の人はそうだった。相馬市には浪江の人がかたまって仮設に住んでいる場所がある。特別室に入っていた請戸の人は一時は飯坂にいたが雪がふるのが嫌で相馬市に来た。山元町の磯浜の人も津浪の被害にあっていたし、新地の人も家が流され仮設に住んでいるし松川浦の和田の人も津浪の被害にあった。
小高の人もいた。津浪原発の被害者が相当数入院していたのである。丸森の人がいたのも相馬市である。菜花というイワキの人は二日くらいで去った。苗字がめずらしいので覚えていた。

ともかく病院であんなに話すことはない、病人だから静かなのが普通である。ただここでは病気は一応みんな直って退院している。その期間が短いからあわただしいということがあった。

自分は身寄りがないから今回も辛かった。南相馬市病院に入院したときもそうだった。そこで酷い仕打ちにもあった。今回も一回あった。身寄りがないということはいかに怖いことか?それは病気になったときわかる。そうでないとこれも実感としてわからない、自分だって病気になっていなかったら犯罪にもあわないしそれなりにのりきれたのである。つまり病人が病人を世話するとか介護するほど過酷なことはないのである。でも実際そういうことが老々介護で起きているのだ。夫婦だって一方が病気になればどっちかが介護になる。今は子供が田舎から離れていたり遠くに嫁いだりとなかなか田舎にいるとは限らない時代である。だから田舎でもそうした老々介護のようなことが起きてくる。


病院は今や実際は社会にとって大事な場所になっている。それは今は家庭より病院でほとんど死ぬからである。そこが看取りの場所となる。でも病院は死ぬ場所としてふさわしくないのだ。何か無機質であり医者でも看護師でもやはり看取りするとしても数が多いんだしまた一人死んだくらいの感想しかもてないのである。人間がモノののように順送りに処理される場になる。死んだら早くかたづけてしまう。次が待っていますよとなる。そして死んだ人を覚えている医者も看護師もそんなにいないだろう。そこは家族とは違っている。家族は死んでも長く死んだあともかかわるのである。
自分は今や身寄りもないからもう病院には入りたくない、病院は身寄りがないとしたら恐怖の場所になる。別に病院でなくてもそうだが病院はやはり刑務所とにているのだ。家で介護されて死ぬのが理想であるがそれが確かにむずかしくなっている。理想的死に方は例え病院に入院しても長居しないで二週間くらいで死ぬことである。そういう人を身近で二人くらい知っている。そういう人は別に身寄りがなくてもそんなに苦しむ必要はない、これは別に身寄りがなかろうが長く介護されることはかなりの苦痛である。無理に生かされることが生き地獄になっているのが現代なのである。


南相馬市立病院には一か月いたし相馬市の病院にも二週間いた。どちらも秋になるころだった。南相馬市立病院は10月であり今回は9月だっ
たから違っていた。まだ本当は暑く夏だったのである。ただ
冷房しているから涼しいから病院内は秋になっていたのである。外は夏の盛りだったのである。
ただ確かに蝉は秋の蝉であり虫も鳴き始めたから秋ではあった。ただ外にいたら真夏だったのである。10月ころになればしみじと秋になっていた。するとより感傷的になっていた。今回はあまりそういうことはなかった。でも相馬市は秋の蝉がにあっている感じでもあった。相馬市は原町とはずいぶん違った感じを何度来ても感じていた。病院でも同じだった。


いろいろ医者や看護師や患者や病院を話せば尽きないものになるだろう。それぞれの体験も違っている。相馬市の病院の最大の特徴はそこが迷路のようになっていた。本当に古いし建て増しして迷路なのである。相馬市の病院は新地に新しい病院ができたら患者がへるから問題にしている。新しい立派な病院に行きたいともなる。入院だったらそうなりやすい、ただ建物があっても今や南相馬市立病院は機能していない、医者も看護師もいないのだからそれだけの人員を確保できるかどうか問題になる。建物だけ立派にしてもまたそれだけいい病院とはならないのである。


病者を非病者の社会から隔てる
高い城壁の一隅に
小さな目立たぬ城門があり
そこから細長い塹壕が伸び出て
病者のまじかくまで届いている
そして病者の友人や縁者が
時折この壕をたどって病者を見舞う
・・・・・
(細川宏 遺稿詩集)


この人は人間的にも相当優秀だった。自ら医者でもあり東大に入っている。柔道もインタ-ハイとかに出るような人だった。その人があえなく病気になり44才で死んだのである。自分にはスポ-ツができてさらにこれだけ頭いいという人を理解できない、普通は体育系の人は頭は良くない、勉強できない人が多いからだ。それなのにこれだけ体力もあり頭がいいということが理解できないのである。
なぜなら自分は常に自分を標準として他人を考えるからである。凡庸な人はだから天才や偉人を理解しにくいのである。自分は体力もだめだし頭もだめだった。高校も理数が苦手で勉強が嫌いだったから本当は卒業すらできない状態だった。それでも大学に入ったといっても三流であり優秀な所は一つもなかったのである。性格的にも甘やかされたところがありだめだった。だからそういう優秀な人がいることが理解できないのである。
こういうのは生まれつきの天才型なのだろう。そういう優秀な人でもこういうふうに病気になったらすべて台無しになってしまうのである。ただ最後は病院で呻吟して終わった。こういう運命も不思議だなと思う。体力があっても病気はそれぞれの人に備わっているのだろうか?病気もまたわかりにくいのである。


ともかく相馬総合病院はこの詩のように迷路そのものだった。あそこで迷わない人はいない、迷路の中に閉ざされてしまうのである。