2012年12月17日

冬紅葉(津浪の跡の不思議はまだつづいている)

 

冬紅葉

(津浪の跡の不思議はまだつづいている)

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社消え残り守りぬ冬木立

津浪跡ここに二軒や冬の暮
冬紅葉玄関に散り誰が訪ぬ
冬紅葉色合い見つつ暮れにけり

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津浪の傷痕というかこれはなかなか消えるものではない、写真の木立には社があった。その社が流されて回りの木立だけが残っている。本尊が消えてそれを守っていた木立が残った。これも不思議である。それから川を渡ったところに家二軒があった。一軒は牛を飼っていた。ここは通ったのは数限りない、散歩道でもあったからだ。別にこの家の人と話ししたわけでもない、でもここに確かに家があった。それがないということが不思議なのである。ここだけではない、津浪ではいたるところ家が消失したからめずらしいものではない、でも身近で感じるのとテレビで見て遠くで感じるのとは違う。ここに家二軒があったことはそれなりにもの言わずも存在感があったのだろう。街中と田舎での家の存在感は違っている。街中でも取り壊された家が多いが町から離れたザイで感じるのとはまた違う。

二谷(ふたつや-二つ屋)とか四谷(よつや)とかいう地名でもわかるように二軒がありそれが地名化していることはその二軒がそこの土地の最初に住んだ家かもしれない、いづれにしろ田舎でも特に町から離れたところでは山村でもそうだがここに家があったということが存在感をもつのである。都会だったら余りにも家が多すぎてそうした存在感がない、その家はやはり大地と結びついているから存在感をもつ、特に代々の専業農家だったらそうである。だから津浪の跡でもなかなかそこに家があったという記憶は残ってゆくのかもしれない、ただ街から離れていても家が密集しているとそんなに感じないのも不思議である。ここの家は回りに家がなく二軒しかないから感じたともなる。飯館村辺りは一軒一軒が離れて森につつまれるようにあった。ここも一軒一軒の家の重みがあった。ただここは津浪で家が消えたわけではない、家は同じ様に残っている。だからその家を見れば持ち主が帰ってまたここに暮らすという感じになるのである。


これは紅葉にならず冬紅葉になった。近くで見ると色合いが違っている。いかにも冬紅葉らしい。
女性もとしとれはこんな色合いになってくる。ただ女性は若い女性と老人の相違があまりにも違いすぎるのだ。若い女性から話ししなくても近づくだけでも発散されるのが違ってくる。男性はそんなに感じなくても女性の場合、若いということがどれだけ価値あるか、年取ってみればわかる。見る方もそうだし見られる方もそうである。女性は内面というよりほとんど見た眼と内部が一致しやすいのである。男性は年取っても内面的に豊になりうる。女性は外面によって判断される、だから若者は老人を嫌うのである。男性は年取ってもその仕事で評価される。だからかえって年とると何でも熟練してくるから技が上達してくるから人間国宝とか芸も究めることができるのだ。そこに男性の価値がある。だから男性はその仕事で評価されない人は年とったらやはりみじめである。


自分は自分でも不思議なのだが60過ぎてからいろいろな今まで買っていた本を深く理解できる。
本はただ積んどくになっていたけど深く理解できる。それから詩なども短歌でも俳句でも才能がなかったのだろう。40代でもいいものができていない、だから自分がこんなに書いていること自体不思議になる。誰も若い時、自分が俳句とか短歌を作れる人とは指導する人さえ見ていない、啄木のような人ならこれはと指導者がわかる。自分にはそういうものがなかった。だから人間は生まれつきの才能で何かのものになるとは限らない、ただ天才を見本とすることは間違っている。天才は本当に生まれつき優れているからである。努力しなくても優れているのである。でも凡才でもそれなりに一芸でも追求するとそれなりのものになってゆく不思議がある。詩でも自分で本当に不思議なのである。
これはいい詩だな、こんな詩を作れたのが不思議にも思う。今まで作れなかったからである。もちろん詩はむずかしいけど理解できるようになった。だからすでに百篇くらいつづけざまに作った。
ただそれは発表していない、今年は手術などあり忙しくて「詩集の部」をプログに加えたが手術のあとは発表していない、徐々に発表するか、本にして一度発表するか考えている。本は別にインタ-ネット上で簡単に作れるみたいなのである。


今年もそろそろ終わりになる。まだ津浪の後に整理がついていない、家事全般を一人でやると本当に大変になる。ふりかえるとすでに姉が認知症になったのが2006年でありそれから2012年でありその6年の間は毎日追われていた。自らも病気になり一回は一か月入院して今年は手術もした。これが自分にとってどれだけ大変だったか、一人しかいないから全部一人にかかってきた。母も病気になり遂に動けなくなった。その前からすでに弱っていたのである。家族がもう一人いたらはこうはならなかった。そしていかにこの世が冷酷なものか知った。家族意外になると情をもつ人はまれである。ただ今は金しか目当てがない、だから実際に大犯罪にあった。これも一人だったからである。
その間に津浪や原発事故があった。つくづくこれほど悪いことがつづくことは大凶運だった。

でも手術を終えて何か一段落して楽になった。人に頼ることが自分にとってどれだけ大変なことだったか?もう人には頼れないと思った。親戚も実際はないと同じだからそうなった。

ともかく今は楽になったから来年はいい年になってもらいたい、病人をかかえているからまたわからないけど自分の病気が一段落したことが相当に楽な気分にしたことは確かである。