2012年12月11日

原発の是非は文明そのものの問題だった (道具を作る、機械を作るものに支配されてきた文明)


原発の是非は文明そのものの問題だった

(道具を作る、機械を作るものに支配されてきた文明)


●機械に頼る生活が日本の農業を破壊した


機械に頼る生活というのはそもそも人間の歴史では人間が誕生した時代からはじまっている。だからこそホモファ-ベルと道具を使うのが人間の定義とされた。道具は石器からはじまりそれが一万年つづいたとかいわれる。道具を使うのは人間だけだった。その単純な石器から今の巨大な複雑な機械に発展したのだから機械のル-ツは簡単な石器だったのである。つまり現代の文明も道具の文明であり機械の文明であることはすでに石器を使いはじめたとき現代の文明を予想できたかもしれない、道具を使いなかったら人間はとても石器がなかったら動物に対抗できないから滅びていた。道具を発明することによって人間は人間になったということは納得がいく、自分で毎日家事していると例えばリンゴをすって汁にするとか大根オロシを手ですって作るのが手間になり嫌になるのだ。だから家事でも機械化したいのである。だから家事も電化製品で機械化された。昔は家事の仕事の割合が多いから大家族でないと暮らしていけなかった。農家だったら田植えでも稲刈りでも人手に頼っていた。村の総出で協力してしていた。それが機械化すると人を頼らず機械に頼ることになる。その機械はコンバインでも一千万とか高いのである。それでもともと農地が少ない日本の農業では割にあわないと機械貧乏で農業をやめた人がかなりいる。現代は何でも機械のしめる割合が大きいのである。何か事業をするにも機械を設備として買わねばならない、その投資額が大きいからそれが失敗の要因になる。

機械を買うということはそれだけ金がかかるから金が第一の社会に農家もなる。機械に頼ることは金のかかることであり機械に人間が使われることにさえなる。ただ機械の力は余りにも巨大化したのである。中国で麦刈りにコンパインを使うがこれと昔ながらの鎌で麦刈りにくる出稼ぎ者がいるがその差は千倍とかになるかもしれない、あまりにもその力の差が大きいからその影響をもろに受けるから機械は社会を根底から変えてしまうのである。このように農業も機械に左右されるというときそれは今にはじまったことではない、すでに農業がはじまったときからそういうことはあった。鎌であれ鍬であれ鉄器の使用が農業を飛躍的に発展させたことは知られている。鉄器の使用は石器時代から鉄器時代と時代まで変えてしまった。そして鉄を作るものが社会を支配する時代となった。戦争でも刀は鉄で作られているから鉄器の時代は鉄を生産できるものが支配者となれたのである。天皇が鉄の王だったというときまさに鉄こそが社会を支配するものだったのである。


●道具を作る、機械を作るものが文明の支配者だった


このことが不思議に原子力発電と関係ないと思っているが深い関係がある。原子力とか電気のエネルギ-はまさに電気が国を社会を支配するとまでなっていたのである。電気なくしてもはや社会は成り立たない、電気を否定してはもはや文明も成り立たない、確かに山尾三省のような人は例外的存在でありそんなこと現代にまねることはできない、社会自体のシステムが電気化しているときそういうことを全部の人に要求することはできない、そうすれば文明は崩壊するからだ。そして電気の元は実は原子力もあったが石油でもあった。石油なくして電気もありえなかった。だから石油文明ともなっていた。人間は石器時代があり道具を作ることによって動物より優位になり文明を作ったのである。その頂点に原子力発電もあった。だから現代の社会を支配していた支配者は誰だったのかというと電気を作っていた人たちだったのである。天皇が鉄の王であり電気を作っていた人が実際は王だったのである。原発事故でわかったように原発から金は生み出されその巨額の金が政治家に官僚にマスメデアに地元へあらゆる所へ流れていた。検察官僚の天下り先としても金は流れていたから検察で東電を裁けるのかとなる。政治家や官僚が力をもっているように見えているけど実質の支配者は電気会社だったのである。

電気文明なのだから当然そうなっていたのだ。第一電気会社が社会を支配できたのは電気は誰にとってもいいものであり悪いものでないからだ。電気の恩恵にどれだけ欲していたか、それを誰も否定できない、電気をいらないという人はいないのである。しかし電気はボタン一つ押して簡単に使えるものではなかった。石油にしても中東から運ばねばならないしそこは危険な地帯だった。石油に頼らずもっと安価にしようとしたら原発は危険すぎるものだった。でも社会は電気を要求したから原発が生まれたと言える。原発は現代文明そのものの問題だったのである。文明を維持するのには電気が不可欠である。石油に限界があるとしたらどうするのか、原発は不可欠であり危険でも必要だとなっていた。原発否定するということは機械文明を見直す否定することに通じているのだ。


●人間の幸不幸と文明の発展は関係ない


考えねばならないのは機械に頼ることが人間を幸福にもしたが不幸にもしたが能率的でないこともあった。農家で機械貧乏になってやめる人が多かったのもそうである。機械に頼ることは機械を作るものに農業も支配されることでありそれは鉄を作る鉄の道具を作るものに農業が支配されたと同じである。農業は実際は鉄の道具にたより大規模な灌漑事業とか開拓とかするには技術が必要であり文明そのものであったのだ。だからこそ鉄を作るものに道具を機械を使うものに支配されたのである。
結局今では家事でも電気を使う機械の操作に追われているのだ。確かに電化製品で家事の労働から解放された。ではそれで幸福になったかというとそれは別なのである。幸不幸と文明の発展は別物である。その時代時代に幸不幸かありそれは計り得ようがないのだ。原発事故でこの辺は最大の不幸に直面したことでもわかる。電気は幸福をもたらしても最大の不幸をもたらした。しかしすでにそういうことは人間が機械を使いはじめたときから予見されていたのだ。だから老子は鍬すち使うなと警告していた。鍬を使うことは原子力を使うことに発展したともいえる。

機械にたよることは逆に機械に支配されることになる。道具の道具になることに通じていた。人間はこれほど便利になっても豊になっても幸福かどうかは判定できない、機械が能率的かというとそうでもない、農家で田植機やコンバインをやらを使って効率化したようでも機械にかかる費用が莫大だから採算があわなくなったと同じである。そこでどうしても金がかかる農業となっていった。もし村の人たちで協力して人手でやっていたらそうはならなかっただろう。だから機械がすべて効率的に働くとは限らないのである。
人間は人手に頼らなくなるとき介護でも介護ロボットに頼るとかなるとき一見楽なようでもそのロボットを作るのに金がかかりかえって人を使うより金がかかるとかなる。何かそういう矛盾が常に人間にはあるのだ。

山尾三省がぜあのような極端な貧乏の生活をしてそれを味わいある意味でそこに意義と幸福を見いだしたかというのは文明への逆説だった。なぜ原発事故が起きる前に原子力発電を批判して原発のない世界を目指したということも不思議である。原発をなくせというとき今ならみんな言っているけど原発事故が起きる前は異端者だったのである。それは現代の文明を否定することに通じていたからである。誰もパン食えないとか、車もないとかエアコンもないとかそんな生活を望んでいない、農家でもそういう生活から脱するために働いてきたのだからそんな人を容認するはずがないのだ。
結局原発を見直すということは機械そのものに頼る生活とか文明そのものを見直すことに通じている。しかし電気でシステム化した社会を変えることは不可能になっている。では最後に人類の未来はどうなるのか?マヤ文明が滅びたように太陽がなくなる、光がなくなり滅びると生きた人間を生贄にささげたように人間も電気と共に原発と共に滅びるほかないということにもなる。それも怖いことだけどそれか人類の運命だともなる。


お前は電気なしで山の中で暮らせと言われたけどそういうことをできない、すると人間はマヤ文明のように原発はどうしても必要だとなりそういう人も結構いる、そして人間が生贄に献げられ原子力文明とともに滅びてゆくのである。それが核戦争の猿の惑星だった。それがこの辺で現実化していたことに驚く。イノシシをとる檻に自分たちが入るようだと言っていたのがそのことだった。街がゴ-ストタウンになり繁殖力の強いイノシシが増えた、猿も増えたから猿が支配者になっても不思議ではないとなる。この辺はそんな映画のうよな異様な世界になったのである。交通事故がいくらあってもそれもしかたのない車社会の人見御供のように原子力文明にも人身御供となり文明を維持するほかないとなっているのだ。この辺は放射能の実験台となりモルモットになっているのもそのためである。放射能の影響はどうでるかわからない、そして放射能はたいしたことがないとされ原発は安全だとされるかもしれない、電気は否定できないし原発は不可欠だとなり最後に文明の崩壊がやってくるのかもしれない、そういう大きな文明の問題として原発事故が必然的に起きたのである。

 
 
 
 
 
 
posted by 老鶯 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

冬紅葉(相馬六万石の城跡)


冬紅葉(相馬六万石の城跡)

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ここに生く冬菜に雪のしみるかな
まちば橋北風うなり日も暮れむ
北風(きた)唸る昔の祈り薬師堂
誰がたずぬ相馬藩六万石や冬紅葉
午後静か城跡に散る冬紅葉
午後静か野面積みや冬紅葉
長々と田町通りの冬柳

手水鉢に木の葉沈みぬ97才母なお生きて我が介護する

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昨日は寒かった。この辺でいいのは気候である。寒からず暑からずなのが良かった。雪もふらない、まず会津のような日本海の方には雪になるから住みたくない、岩手の方になるとまた寒いから住みたくない、ここでいいのは気候なのである。体が弱いと気候は相当影響する。夏だって今は西や南は37度かなるともう耐えられないだろう。会津のように雪だったら買い物すら大変になる。
何か買い物が毎日あり多すぎるのだ。要するに家事は機械化と外食などでその分金がかかるようになっている。自分でやれば人手があればこんなに金はかからない、変なのは農家だって機械貧乏であり機械のために農業を放棄した人はかなりいる。もし昔のように人の手を借りていればそうはならなかった。田植えでも稲刈りでもみんな村の総出でで助け合いやっていた。それが機械に頼るとなるとそういう協力もなくなってしまう。そういう矛盾が常に人間社会にはあった。


冬菜に雪がふりとけてしみこんでゆく、まさにそれはここで生きるということにつながっている。
冬菜があるということはここでこの地のものをとって生きるという象徴なのである。ただこれも今はほとんど野菜でも外部から入ってくるのが多いからまた買うということで金がかかる。今やこの辺はすべて金で外部から買うほかなくなっている。だから農業がなくなったとき一体田舎の意味があるんだろうかとも思う。確かに補償されているから食うには困らないけど山尾三省が求めた生きる意味が喪失してしまうのではないかと思う。それも結果的には彼が言っているようにそもそも農家の人はそんな生きる意義や意味などを求めていないから原発事故にもなったのである。


日立木のまちば橋は意外と目立たない、でも昔は車がなかったら相馬市内までも江戸時代ならさらに遠かったかもしれない、町場というときまさにそこが町場でありそこで用をたすほかなかった。
病気になっても薬師堂に祈る他術はないから村の中心にどこでも薬師堂があった。昔の村というとき今の村とは相当違ったものである。今は村の人もみんなス-パ-に車で買い物に行っているのだから村が一つの自給自足の小宇宙みたくなっているのとは余りにも違っているのだ。だから常に金が大事になりどこでも金が支配するようになったのである。


何人か城跡をたずねる人がいたがここが城だったということはわかりにくい、マニアであいとわかりにくい、ただ野面積み(のずらづみ)の石垣くらいがその跡を留めている。今日は冬紅葉がにあう城跡を散策した。歴史的な所も一回くらい行ったくらいではわかりにくい、また旅しても忘れやすいのである。歴史的なことはわかりにくいのだ。相馬藩だったらここが六万石だとかくらいしかわからないだろう。ずいぶん少ないなとかなる。ともかく日立木から松並木の街道は昔を偲べる道である。

この街道も実際は江戸まで通じているとき生きていたのだ。それが原発事故で断たれたから道は切れてしまった。相馬市でも通りで家を壊しているのが多かった。もともとシャッタ-通りになっているのだからどうしてももうやっていけないとなり今は壊すのが無料だからこのさいと壊しているのが多いのだと思う。街中に空き地が増えているのも淋しい。どうもあの小さな古本屋も壊された。もうあれは趣味か何かでやっていたのだろう。郷土関係のものがあり買っていたがもうあんなので成り立ちようがない、本屋とかもやがて消えてしまうのだろうか?本屋ももうアマゾンで買うという時代になっている。本の世界は実際はベストセラ-とかには向いていない世界だった。
例えば歴史関係だったら郷土史関係とかでもそれに関するものを集めることが調べている人には役に立つ、伊達政宗関係などの本が必ず必要になってくるのだ。そういうものもアマゾンで買って集めている。


手水鉢に赤茶けた木の葉が沈んでいた。それが自分の母のように見えたのだ。97でまだ生きている不思議がある。でも例え寝ていても人間は食べるしエアコンを一日ししているからかなりの電気もくう。人間は生きている限りエネルギ-を消費する、自分は去年も今年もエアコンは使わない、でも暖房にヒ-タ-などを使っているから電気を使っているのだ。いくらなんでも薪を使うわけにはいかないしそういうことはかえって金がかかる、そういうことは現代では電気のシステム化しているから普通はできないのである。だからお前は江戸時代に帰り山の中で暮らせいうときできない、山尾三省はそれをあえてした。電気を使っていないのかもしれない、ロウソク使っていたとかあり暖房の囲炉裏の火だったのである。そういう生活に意義を見いだして生を味わい死んでいった。この差が極端だからなじめないのだが何か原発事故の警鐘として彼は自らの生活で示したことが他と違っていたのだ。
そういう人がこの辺の身近にいたらあいつは何なのだとなり相手にもされないし敵対的なものとなり住めなくなったかもしれない、なぜなら絶えず不思議なことに原子力発電を否定する、抵抗する生き方をしていた。そこまで原発事故が起こる前にしていた人がいたことが不思議だとなる。