2012年12月08日

抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱) (インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)

 


抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱)

(インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)

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冬の行灯

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マンションの灯

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都会の灯


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地下の柱

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神殿の柱


抽象画は本当に我ながら不思議である。この抽象画の元になったのは独特の明かりを作っている所であった。インタ-ネットにはそうした抽象画の元になる写真やら絵やらいろいろなものをでている。
抽象画の元は自分で作る必要がないんインタ-ネットで探せるのである。これ面白いからと加工してみるとこれはなんなのだとかなりそれに題名をつける。意味を与えるのだ。


冬の行灯というとき確かに江戸時代の暗さは今とはまるで違っていた。行灯に向かっているだけでそこから感じるものは相当に違ったものになる。何かそこには想像力が刺激される。何かそこには人の顔まで浮かんでくる。暗いが故に想像力が刺激される。あまりに明るい空間は想像力が刺激されないのだ。



清水清太郎 元治元年12・25 賜死 享年22 
長州藩家老
家老として急進派志士たちと国事に奔走。
幽閉中の詩


「世のことは絶えてをぐらき山里にこころつくしの夜半のともし火」


塀の町-萩の不思議
http://www.musubu.jp/jijimandai8.htm



このう歌はまさに行灯であった。世の中から遠い山里に灯がともっていることが何とも心にしみるのだ。その頃どれだけ暗い世界だったか、それも山里ならなおさらである。全く真っ暗闇の中にともる灯である。これは冬にふさわしいのだ。これは志士の短歌とは思えない、22才でこれだけのものを作れたことに驚く。22才で死んだのも惜しい。長く生きていれば相当な秀作の短歌を作っていた。
この人の記憶されるのはこの一首だけかもしれない、志士でも数が多い相当数混乱の中で死んでいるから記憶される人は少ないのである。 ともかく今回の抽象画は予想外のものだった。柱もそうだった。それは全くの偶然そのものであり予期しないものだった。

冬の灯(五つの部屋を使い冬籠もり)


冬の灯(五つの部屋を使い冬籠もり)


冬日さし木により入る喫茶店

橲原(じさばら)に冬の灯ともる立目石
冬の灯や長くも住みし里の家
同じ場所家の変わらず冬灯かな
風唸り家々黙し冬灯かな
部屋五つつ行き来し仕事冬籠もる


冬はやはり灯火が恋しいというかしみるとなる。冬はやはり家でじっとしているのがにあっている。だから冬の灯がともっているのがなんともいいのである。橲原には立目石がありあそこの近くに新しい家がたった。でもあの石を意識する。石と共にあるのだ。田舎がいいのは静かなことである。

最近木枯らしが何度も吹いてそのあとにさらに静まってゆく。長く住んでいるのが田舎でありその冬の灯がなんともいいのである。ただ仮設はやはり冬の灯がにあともいえない、一時的なものだからである。だから安定していないのだ。年になると何度もいうけど変わらない安定した定着志向になる。この辺は変わりすぎたのである。だから落ち着く場所が家がないということは老後はいいものではない。老後に必要なのは安らげる家になるのだ。もちろんそこにともに暮らせる人がいればいいのだけど人も大事だけど家も大事なのだ。なぜなら家にいることが長くなるからである。自分は家には恵まれている。居間から台所から介護の部屋から書斎からパソコンある部屋が二部屋とか寝室が八畳とかまだ空いた部屋がある。その部屋を行き来しているだけで一日が終わるのだ。家事は結構手間なのである。


家が狭いとやはり思索が仕事というか知的な仕事の人には向いていない、ぜいたくはいえないのだが思索するには家にゆとりがある方がいい、アパ-トのような所ではゆっくり書き物もできないだろう。あっちこっち家の中を行き来していることが気晴らしになるのである。一カ所に狭いところに閉じ込められると閉塞感があり嫌になる。この家築40年過ぎても利用されていなかった。一人死んで自分が十分に利用するようになったのである。冬は特に家が大事である。寒さを防ぐ風を防ぐ暖房できる家が大事になるのだ。仮設ではすきま風とか入りこんで長い冬を過ごすのも嫌になるだろう。

田舎ではたいがい大きな家に住んでいたからである。

枯木に冬日がさして喫茶店に入り休むとかそこにたのは年配の人だったとかなる。冬を味わうのは老人に向いているのである。冬の味わいはまた深いのである。そこでどうしても安らぐ家が必要なのである。冬は家の中にいるのが向いているのだ。過去を思い出すのにもいいし読書するのにもいいのである。


抽象画は本当に我ながら作っていて不思議である。今回の丁度提灯のようになものを明かりにしたものが元になっていた。でももうそれが元の絵だということは誰もわからない、だから著作権違反にはならないのだ。証明しようがないしむしろ創作したとなる。冬の灯がこの抽象画からはイメ-ジできた。行灯の灯でありそういうイメ-ジが広がってくる。