2012年12月02日

冬樹 (離れがたい二本の樹-ついの棲家で死ねない悲劇)

 

冬樹

(離れがたい二本の樹-ついの棲家で死ねない悲劇)


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川烏冬の清流渡り飛ぶ

風うなり墓所の脇なる冬の菊
朝日さし冬紅葉映ゆ唸る風
冬日さし二本の樹や農家かな
二本(ふたもと)の樹やここに明日もまた
この道や古碑の並びて枯芒
前畑は冬菜に暮れぬ婦(おんな)あり


北風の唸り木の葉の吹き散りぬ時の過ぎるは早かりしかな


I go on the last destined way・・・・この道や・・・というとき最後の運命づけられた道となる。軽い意味でこの道はいつか来た道とかいろいろ使われるがその道は最後の道になる。
人は最後にそれぞれ運命づけられた宿命の道を行く。それはもう変えられないし避けられない、
もう他の道を選ぶことはできない、若いときは選ぶことができる、拒否もできる、しかし最後は自分の選んだ道を行く他ない、もはや道は変えられないのだ。でもその道は若いときに決められたということもある。若いとき選んだことがずっと後年まで影響する。

栃窪は古碑の村だというときいろいろな碑が並んでいる道がある。あれで古碑の村となる。それぞれ違った碑でありあたかもそれぞれ生きてきた老人にも見える。だから枯芒がにあっている。
類似俳句として

この道や古碑の並びて枯芒
この道や古碑の並びて刈田かな
街道に並びし古碑や冬柳

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文政一二年(1815)とあり17人と書いてある。金比羅講がありこの代表で行ったものが寄進したのだろうか
江戸時代後期、金毘羅信仰の広まりとともに、いわゆる金毘羅五街道のひとつ金毘羅参詣道阿波道の西ルート(箸蔵越え)として、多くの参拝者が利用した。
萬延元年(1860)、奥州栃窪村(現 福島県鹿島町)の住人によって寄進された「箸蔵寺百丁」の道標。ここから険しい箸蔵越えの道のりが始まる

17人も行ったのだから金比羅参りは盛んだった。だからこれは真実なのだろう。

ともかく年になるとこの道や・・・というときいつも行く道でありそれが変わってほしくなくなる。認知症になると自分がどこにいるのかもわからなくなる。見慣れた人や風景や道でないと迷ってしまうのである。おそらくそこがどこかわからなくなってしまう。認知症でないにしろ何かそういう気分は必ず80才くらいになったら誰でも感じるものだろう。見慣れた所は認識できる、町並みでも変わってしまうと認識しにくくなる。だから江戸時代辺りは認知症になっても意外と辺りの景色も変わらないからそんなに症状が進まなかったかもしれない、現代はあらゆる面で変わりすぎるのである。


農家に立っている二本の樹はいつも見ている。冬の日がさしていかにも落ち着いて定着している。
それはちょうど人に見えるのだ。老夫婦のようにも見える。それで不思議だったのは津波で家が流されて庭に立っていた樹が残った。それが二本残っているのが結構ある。それはまるで離れがたい夫婦のようにも見えたのである。庭の樹は人間化した樹だったのである。そしてその樹は明日も同じ場所にあってほしいとなる。津波で原発事故でこの辺は家族もばらばらになり引き裂かれたのである。
特に辛かったのは老人だったことはまちがいない、すでに老人は故郷でも長く住んだところが「ついの棲家」になっていた。それが急に離されてそれも故郷すらなくなるということが信じられないだろう。「ついの棲家」が奪われたのである。これは結構辛いものだった。これが原発事故の悲劇だったのである。浪江でも5年間も帰れないとしたら厳しいと思う。5年間は帰るまでさらにインフラ整備で二年間とかかかれば七年とかになるのだ。へたすると10年になってしまうかもしれない、そのうち80以上の老人は死ぬ人もかなりでてくるということは故郷に帰れずに死ぬとういことは悲劇である。


前畑に婦人がいる、端仕事して夕暮れる。放射能で農作物を作るなといっても作っている人はいる。別に老人は食べてそれほど影響がないだろう。でも気持ち悪かったのは放射能の汚染がひどいところで昆虫の足がなかったのが写されたことである。あれが放射能の影響だとすると何か見た人は気持ち悪いしこれから子供産む女性は不安になる。ただ昆虫類と人間は相当違っている。昆虫は構造が単純だから影響しやすいのか複雑な人間はどうなるのか?ただ一年くらいで昆虫に放射能が影響したのだろうか?なんか放射能はわからないから不安が増大するのである。ともかく刈田もない、前畑でやはり冬菜があり暮らしがあって正常なのである。その正常な感覚がこの辺では奪われたのである。