2012年12月08日

冬の灯(五つの部屋を使い冬籠もり)


冬の灯(五つの部屋を使い冬籠もり)


冬日さし木により入る喫茶店

橲原(じさばら)に冬の灯ともる立目石
冬の灯や長くも住みし里の家
同じ場所家の変わらず冬灯かな
風唸り家々黙し冬灯かな
部屋五つつ行き来し仕事冬籠もる


冬はやはり灯火が恋しいというかしみるとなる。冬はやはり家でじっとしているのがにあっている。だから冬の灯がともっているのがなんともいいのである。橲原には立目石がありあそこの近くに新しい家がたった。でもあの石を意識する。石と共にあるのだ。田舎がいいのは静かなことである。

最近木枯らしが何度も吹いてそのあとにさらに静まってゆく。長く住んでいるのが田舎でありその冬の灯がなんともいいのである。ただ仮設はやはり冬の灯がにあともいえない、一時的なものだからである。だから安定していないのだ。年になると何度もいうけど変わらない安定した定着志向になる。この辺は変わりすぎたのである。だから落ち着く場所が家がないということは老後はいいものではない。老後に必要なのは安らげる家になるのだ。もちろんそこにともに暮らせる人がいればいいのだけど人も大事だけど家も大事なのだ。なぜなら家にいることが長くなるからである。自分は家には恵まれている。居間から台所から介護の部屋から書斎からパソコンある部屋が二部屋とか寝室が八畳とかまだ空いた部屋がある。その部屋を行き来しているだけで一日が終わるのだ。家事は結構手間なのである。


家が狭いとやはり思索が仕事というか知的な仕事の人には向いていない、ぜいたくはいえないのだが思索するには家にゆとりがある方がいい、アパ-トのような所ではゆっくり書き物もできないだろう。あっちこっち家の中を行き来していることが気晴らしになるのである。一カ所に狭いところに閉じ込められると閉塞感があり嫌になる。この家築40年過ぎても利用されていなかった。一人死んで自分が十分に利用するようになったのである。冬は特に家が大事である。寒さを防ぐ風を防ぐ暖房できる家が大事になるのだ。仮設ではすきま風とか入りこんで長い冬を過ごすのも嫌になるだろう。

田舎ではたいがい大きな家に住んでいたからである。

枯木に冬日がさして喫茶店に入り休むとかそこにたのは年配の人だったとかなる。冬を味わうのは老人に向いているのである。冬の味わいはまた深いのである。そこでどうしても安らぐ家が必要なのである。冬は家の中にいるのが向いているのだ。過去を思い出すのにもいいし読書するのにもいいのである。


抽象画は本当に我ながら作っていて不思議である。今回の丁度提灯のようになものを明かりにしたものが元になっていた。でももうそれが元の絵だということは誰もわからない、だから著作権違反にはならないのだ。証明しようがないしむしろ創作したとなる。冬の灯がこの抽象画からはイメ-ジできた。行灯の灯でありそういうイメ-ジが広がってくる。

抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱) (インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)

 


抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱)

(インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)

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冬の行灯

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マンションの灯

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都会の灯


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地下の柱

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神殿の柱


抽象画は本当に我ながら不思議である。この抽象画の元になったのは独特の明かりを作っている所であった。インタ-ネットにはそうした抽象画の元になる写真やら絵やらいろいろなものをでている。
抽象画の元は自分で作る必要がないんインタ-ネットで探せるのである。これ面白いからと加工してみるとこれはなんなのだとかなりそれに題名をつける。意味を与えるのだ。


冬の行灯というとき確かに江戸時代の暗さは今とはまるで違っていた。行灯に向かっているだけでそこから感じるものは相当に違ったものになる。何かそこには想像力が刺激される。何かそこには人の顔まで浮かんでくる。暗いが故に想像力が刺激される。あまりに明るい空間は想像力が刺激されないのだ。



清水清太郎 元治元年12・25 賜死 享年22 
長州藩家老
家老として急進派志士たちと国事に奔走。
幽閉中の詩


「世のことは絶えてをぐらき山里にこころつくしの夜半のともし火」


塀の町-萩の不思議
http://www.musubu.jp/jijimandai8.htm



このう歌はまさに行灯であった。世の中から遠い山里に灯がともっていることが何とも心にしみるのだ。その頃どれだけ暗い世界だったか、それも山里ならなおさらである。全く真っ暗闇の中にともる灯である。これは冬にふさわしいのだ。これは志士の短歌とは思えない、22才でこれだけのものを作れたことに驚く。22才で死んだのも惜しい。長く生きていれば相当な秀作の短歌を作っていた。
この人の記憶されるのはこの一首だけかもしれない、志士でも数が多い相当数混乱の中で死んでいるから記憶される人は少ないのである。 ともかく今回の抽象画は予想外のものだった。柱もそうだった。それは全くの偶然そのものであり予期しないものだった。

2012年12月09日

冬薔薇に雪ふる(終の棲家はどこに、末期の眼で見る世界)



冬薔薇に雪ふる

(終の棲家はどこに、末期の眼で見る世界)


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冬薔薇でこんなに咲いているのはめずらしい




冬薔薇二輪定めとここに散る

冬薔薇塵もつかずに雪のふる
冬薔薇誰が見つめつつ死ぬるかな


白鳥の鳴きつつ飛びぬ列なして命のかぎり雪ふるなかを

雪ふりぬ山の彼方は飯館や仮設に住みて一年過ぎむ

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この雪のかなたは飯館村である

人間は終の棲家が意外と大事かもしれない、別にそれは故郷でなくてもいい、自分の死に場所はやはり因縁の場所なのだろう。山尾三省は屋久島に死に場所を求めたのである。原郷を求めてそこを死に場所と定めたから別に極端な貧乏でも良かった。人間は最後に何を求めるのか?たいがい何にもいらないという、金をもっていてもいらないという。でもなぜか認知症になっても異常に金にこだわる。あれも業だったのだろ。人間は今や金が一番大事なものとして生きてきたのだから死ぬ間際でも金のことを忘れない、ところがその金すら銀行からおろせなくなったのだから信じられなかった。人間がそんなふうになることが信じられなかった。だから認知症ほど悲惨な病気はない、人間は最後に悪魔にもてあそばれた感じがした酷い病気だったのである。ただこれは人によるのかもわからない、あれほどまた金にこだわってきた人、一円も無駄に使わずためていた人が金のことはわからないとけろっとしているのも不思議である。これもなんなのかわからない、認知症は相当にその人の性格によって違ったものになる。ただ死ぬ前に必ず人はどんな人も認知症になりやすい、正気を失いやすいのである。


なんか人間はもう還暦すぎると一日一日が死んでゆく感じになる。ああ、ここで死んでゆくんだなと日々思うようになるのだ。その時最後に見つめるものは何なのか、誰なのかとかまでなってくる。
死んでゆく心境は特別なものなのである。自分が病気になってそういうことを感じた。その時回りに自分を心から思ってくれる人は一人もいなかった。ただ金を求めるものしかいない、現実に金だけ奪われた。家族いないとそうなるし今や家族でも財産があれば財産目当てになるのだ。自分の場合はあまりにも露骨すぎたのである。こいつ死んだら財産残すから自分のものになる、そういうことを言わなくてもあからさまに見えたのである。もちろん看護師も医者も病気をみてもその人は見ないのである。


しかし人間は死んでゆくとき普通とは違う、末期の眼で見るとき当たり前の景色も人も別なものになっている。特別なものになってゆく、その時いかに浪費したいた時を惜しむか?もうこの景色も人も見るのも終わりだというときどんな人でも特別なものとしてこの世を見るのである。もうこの世で人とも二度と会うこともないしまたこの世の景色も見ることもないのだ。そういう日が日々迫っているし現実的になっている。

原町の産婦人科の医者が言っていたよように最後のミッションを果たしてここで死ぬというのもそうである。それがまさに土着的であり人間の仕事として全うすることになる。一方若い勤務医の医者は土着的でないから移っている人がいる。看護師でもそうである。土着的ではない使命感がもてないから移ってしまうのである。

ここがかけがえないの場所で死に場所だというとき人間は仕事も真剣になるだろう。そういうときいろいろなものを欲望を満たすために求めないかもしれない、ただここに生きここで死ぬ、ともに働き住んだ人と死ぬとかなるだろう。最後にみんなそうなってゆく。だから100才近い人がもう移動できない、墓場で死にますと自殺したのも自然だったかもしれない、とてもその年になったら移動などできないのである。だから原発事故の悲劇は終の棲家を奪われたことであったかもしれないのだ。80才くらいの女性が家に帰れなくて毎日泣いているというのは本当だろう。
そのくらいの年になると住み慣れた土地を離れることがそれほど辛いということなのだ。

俳句としては冬薔薇が一輪散るのと二輪散るのは違っている。写生で二輪になった。二輪というとき二人でもある。自然の自分でも人間を現していることがあるのだ。

白鳥でも渡りの時は命懸けで飛ぶ、これはちょっと大げさかもしれないが、いづれそうなる。
西行の最後の旅がそうだった。

年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり 小夜の中山 

この小夜の中山がどこになるのか、定着しても小夜の中山はありうるのだ。終の棲家は小夜の中山になるのだ。

ともかくは今日はさらに冬らしくなった。白鳥も十羽くらい雪の中をとんだ。近くの川にいつも来るがあそこは工事中だったし水もかれて今年は来ないから別な所に移動したのだろう。
今日は寒いから本当に冬らしい冬になった。

2012年12月11日

冬紅葉(相馬六万石の城跡)


冬紅葉(相馬六万石の城跡)

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ここに生く冬菜に雪のしみるかな
まちば橋北風うなり日も暮れむ
北風(きた)唸る昔の祈り薬師堂
誰がたずぬ相馬藩六万石や冬紅葉
午後静か城跡に散る冬紅葉
午後静か野面積みや冬紅葉
長々と田町通りの冬柳

手水鉢に木の葉沈みぬ97才母なお生きて我が介護する

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昨日は寒かった。この辺でいいのは気候である。寒からず暑からずなのが良かった。雪もふらない、まず会津のような日本海の方には雪になるから住みたくない、岩手の方になるとまた寒いから住みたくない、ここでいいのは気候なのである。体が弱いと気候は相当影響する。夏だって今は西や南は37度かなるともう耐えられないだろう。会津のように雪だったら買い物すら大変になる。
何か買い物が毎日あり多すぎるのだ。要するに家事は機械化と外食などでその分金がかかるようになっている。自分でやれば人手があればこんなに金はかからない、変なのは農家だって機械貧乏であり機械のために農業を放棄した人はかなりいる。もし昔のように人の手を借りていればそうはならなかった。田植えでも稲刈りでもみんな村の総出でで助け合いやっていた。それが機械に頼るとなるとそういう協力もなくなってしまう。そういう矛盾が常に人間社会にはあった。


冬菜に雪がふりとけてしみこんでゆく、まさにそれはここで生きるということにつながっている。
冬菜があるということはここでこの地のものをとって生きるという象徴なのである。ただこれも今はほとんど野菜でも外部から入ってくるのが多いからまた買うということで金がかかる。今やこの辺はすべて金で外部から買うほかなくなっている。だから農業がなくなったとき一体田舎の意味があるんだろうかとも思う。確かに補償されているから食うには困らないけど山尾三省が求めた生きる意味が喪失してしまうのではないかと思う。それも結果的には彼が言っているようにそもそも農家の人はそんな生きる意義や意味などを求めていないから原発事故にもなったのである。


日立木のまちば橋は意外と目立たない、でも昔は車がなかったら相馬市内までも江戸時代ならさらに遠かったかもしれない、町場というときまさにそこが町場でありそこで用をたすほかなかった。
病気になっても薬師堂に祈る他術はないから村の中心にどこでも薬師堂があった。昔の村というとき今の村とは相当違ったものである。今は村の人もみんなス-パ-に車で買い物に行っているのだから村が一つの自給自足の小宇宙みたくなっているのとは余りにも違っているのだ。だから常に金が大事になりどこでも金が支配するようになったのである。


何人か城跡をたずねる人がいたがここが城だったということはわかりにくい、マニアであいとわかりにくい、ただ野面積み(のずらづみ)の石垣くらいがその跡を留めている。今日は冬紅葉がにあう城跡を散策した。歴史的な所も一回くらい行ったくらいではわかりにくい、また旅しても忘れやすいのである。歴史的なことはわかりにくいのだ。相馬藩だったらここが六万石だとかくらいしかわからないだろう。ずいぶん少ないなとかなる。ともかく日立木から松並木の街道は昔を偲べる道である。

この街道も実際は江戸まで通じているとき生きていたのだ。それが原発事故で断たれたから道は切れてしまった。相馬市でも通りで家を壊しているのが多かった。もともとシャッタ-通りになっているのだからどうしてももうやっていけないとなり今は壊すのが無料だからこのさいと壊しているのが多いのだと思う。街中に空き地が増えているのも淋しい。どうもあの小さな古本屋も壊された。もうあれは趣味か何かでやっていたのだろう。郷土関係のものがあり買っていたがもうあんなので成り立ちようがない、本屋とかもやがて消えてしまうのだろうか?本屋ももうアマゾンで買うという時代になっている。本の世界は実際はベストセラ-とかには向いていない世界だった。
例えば歴史関係だったら郷土史関係とかでもそれに関するものを集めることが調べている人には役に立つ、伊達政宗関係などの本が必ず必要になってくるのだ。そういうものもアマゾンで買って集めている。


手水鉢に赤茶けた木の葉が沈んでいた。それが自分の母のように見えたのだ。97でまだ生きている不思議がある。でも例え寝ていても人間は食べるしエアコンを一日ししているからかなりの電気もくう。人間は生きている限りエネルギ-を消費する、自分は去年も今年もエアコンは使わない、でも暖房にヒ-タ-などを使っているから電気を使っているのだ。いくらなんでも薪を使うわけにはいかないしそういうことはかえって金がかかる、そういうことは現代では電気のシステム化しているから普通はできないのである。だからお前は江戸時代に帰り山の中で暮らせいうときできない、山尾三省はそれをあえてした。電気を使っていないのかもしれない、ロウソク使っていたとかあり暖房の囲炉裏の火だったのである。そういう生活に意義を見いだして生を味わい死んでいった。この差が極端だからなじめないのだが何か原発事故の警鐘として彼は自らの生活で示したことが他と違っていたのだ。
そういう人がこの辺の身近にいたらあいつは何なのだとなり相手にもされないし敵対的なものとなり住めなくなったかもしれない、なぜなら絶えず不思議なことに原子力発電を否定する、抵抗する生き方をしていた。そこまで原発事故が起こる前にしていた人がいたことが不思議だとなる。

原発の是非は文明そのものの問題だった (道具を作る、機械を作るものに支配されてきた文明)


原発の是非は文明そのものの問題だった

(道具を作る、機械を作るものに支配されてきた文明)


●機械に頼る生活が日本の農業を破壊した


機械に頼る生活というのはそもそも人間の歴史では人間が誕生した時代からはじまっている。だからこそホモファ-ベルと道具を使うのが人間の定義とされた。道具は石器からはじまりそれが一万年つづいたとかいわれる。道具を使うのは人間だけだった。その単純な石器から今の巨大な複雑な機械に発展したのだから機械のル-ツは簡単な石器だったのである。つまり現代の文明も道具の文明であり機械の文明であることはすでに石器を使いはじめたとき現代の文明を予想できたかもしれない、道具を使いなかったら人間はとても石器がなかったら動物に対抗できないから滅びていた。道具を発明することによって人間は人間になったということは納得がいく、自分で毎日家事していると例えばリンゴをすって汁にするとか大根オロシを手ですって作るのが手間になり嫌になるのだ。だから家事でも機械化したいのである。だから家事も電化製品で機械化された。昔は家事の仕事の割合が多いから大家族でないと暮らしていけなかった。農家だったら田植えでも稲刈りでも人手に頼っていた。村の総出で協力してしていた。それが機械化すると人を頼らず機械に頼ることになる。その機械はコンバインでも一千万とか高いのである。それでもともと農地が少ない日本の農業では割にあわないと機械貧乏で農業をやめた人がかなりいる。現代は何でも機械のしめる割合が大きいのである。何か事業をするにも機械を設備として買わねばならない、その投資額が大きいからそれが失敗の要因になる。

機械を買うということはそれだけ金がかかるから金が第一の社会に農家もなる。機械に頼ることは金のかかることであり機械に人間が使われることにさえなる。ただ機械の力は余りにも巨大化したのである。中国で麦刈りにコンパインを使うがこれと昔ながらの鎌で麦刈りにくる出稼ぎ者がいるがその差は千倍とかになるかもしれない、あまりにもその力の差が大きいからその影響をもろに受けるから機械は社会を根底から変えてしまうのである。このように農業も機械に左右されるというときそれは今にはじまったことではない、すでに農業がはじまったときからそういうことはあった。鎌であれ鍬であれ鉄器の使用が農業を飛躍的に発展させたことは知られている。鉄器の使用は石器時代から鉄器時代と時代まで変えてしまった。そして鉄を作るものが社会を支配する時代となった。戦争でも刀は鉄で作られているから鉄器の時代は鉄を生産できるものが支配者となれたのである。天皇が鉄の王だったというときまさに鉄こそが社会を支配するものだったのである。


●道具を作る、機械を作るものが文明の支配者だった


このことが不思議に原子力発電と関係ないと思っているが深い関係がある。原子力とか電気のエネルギ-はまさに電気が国を社会を支配するとまでなっていたのである。電気なくしてもはや社会は成り立たない、電気を否定してはもはや文明も成り立たない、確かに山尾三省のような人は例外的存在でありそんなこと現代にまねることはできない、社会自体のシステムが電気化しているときそういうことを全部の人に要求することはできない、そうすれば文明は崩壊するからだ。そして電気の元は実は原子力もあったが石油でもあった。石油なくして電気もありえなかった。だから石油文明ともなっていた。人間は石器時代があり道具を作ることによって動物より優位になり文明を作ったのである。その頂点に原子力発電もあった。だから現代の社会を支配していた支配者は誰だったのかというと電気を作っていた人たちだったのである。天皇が鉄の王であり電気を作っていた人が実際は王だったのである。原発事故でわかったように原発から金は生み出されその巨額の金が政治家に官僚にマスメデアに地元へあらゆる所へ流れていた。検察官僚の天下り先としても金は流れていたから検察で東電を裁けるのかとなる。政治家や官僚が力をもっているように見えているけど実質の支配者は電気会社だったのである。

電気文明なのだから当然そうなっていたのだ。第一電気会社が社会を支配できたのは電気は誰にとってもいいものであり悪いものでないからだ。電気の恩恵にどれだけ欲していたか、それを誰も否定できない、電気をいらないという人はいないのである。しかし電気はボタン一つ押して簡単に使えるものではなかった。石油にしても中東から運ばねばならないしそこは危険な地帯だった。石油に頼らずもっと安価にしようとしたら原発は危険すぎるものだった。でも社会は電気を要求したから原発が生まれたと言える。原発は現代文明そのものの問題だったのである。文明を維持するのには電気が不可欠である。石油に限界があるとしたらどうするのか、原発は不可欠であり危険でも必要だとなっていた。原発否定するということは機械文明を見直す否定することに通じているのだ。


●人間の幸不幸と文明の発展は関係ない


考えねばならないのは機械に頼ることが人間を幸福にもしたが不幸にもしたが能率的でないこともあった。農家で機械貧乏になってやめる人が多かったのもそうである。機械に頼ることは機械を作るものに農業も支配されることでありそれは鉄を作る鉄の道具を作るものに農業が支配されたと同じである。農業は実際は鉄の道具にたより大規模な灌漑事業とか開拓とかするには技術が必要であり文明そのものであったのだ。だからこそ鉄を作るものに道具を機械を使うものに支配されたのである。
結局今では家事でも電気を使う機械の操作に追われているのだ。確かに電化製品で家事の労働から解放された。ではそれで幸福になったかというとそれは別なのである。幸不幸と文明の発展は別物である。その時代時代に幸不幸かありそれは計り得ようがないのだ。原発事故でこの辺は最大の不幸に直面したことでもわかる。電気は幸福をもたらしても最大の不幸をもたらした。しかしすでにそういうことは人間が機械を使いはじめたときから予見されていたのだ。だから老子は鍬すち使うなと警告していた。鍬を使うことは原子力を使うことに発展したともいえる。

機械にたよることは逆に機械に支配されることになる。道具の道具になることに通じていた。人間はこれほど便利になっても豊になっても幸福かどうかは判定できない、機械が能率的かというとそうでもない、農家で田植機やコンバインをやらを使って効率化したようでも機械にかかる費用が莫大だから採算があわなくなったと同じである。そこでどうしても金がかかる農業となっていった。もし村の人たちで協力して人手でやっていたらそうはならなかっただろう。だから機械がすべて効率的に働くとは限らないのである。
人間は人手に頼らなくなるとき介護でも介護ロボットに頼るとかなるとき一見楽なようでもそのロボットを作るのに金がかかりかえって人を使うより金がかかるとかなる。何かそういう矛盾が常に人間にはあるのだ。

山尾三省がぜあのような極端な貧乏の生活をしてそれを味わいある意味でそこに意義と幸福を見いだしたかというのは文明への逆説だった。なぜ原発事故が起きる前に原子力発電を批判して原発のない世界を目指したということも不思議である。原発をなくせというとき今ならみんな言っているけど原発事故が起きる前は異端者だったのである。それは現代の文明を否定することに通じていたからである。誰もパン食えないとか、車もないとかエアコンもないとかそんな生活を望んでいない、農家でもそういう生活から脱するために働いてきたのだからそんな人を容認するはずがないのだ。
結局原発を見直すということは機械そのものに頼る生活とか文明そのものを見直すことに通じている。しかし電気でシステム化した社会を変えることは不可能になっている。では最後に人類の未来はどうなるのか?マヤ文明が滅びたように太陽がなくなる、光がなくなり滅びると生きた人間を生贄にささげたように人間も電気と共に原発と共に滅びるほかないということにもなる。それも怖いことだけどそれか人類の運命だともなる。


お前は電気なしで山の中で暮らせと言われたけどそういうことをできない、すると人間はマヤ文明のように原発はどうしても必要だとなりそういう人も結構いる、そして人間が生贄に献げられ原子力文明とともに滅びてゆくのである。それが核戦争の猿の惑星だった。それがこの辺で現実化していたことに驚く。イノシシをとる檻に自分たちが入るようだと言っていたのがそのことだった。街がゴ-ストタウンになり繁殖力の強いイノシシが増えた、猿も増えたから猿が支配者になっても不思議ではないとなる。この辺はそんな映画のうよな異様な世界になったのである。交通事故がいくらあってもそれもしかたのない車社会の人見御供のように原子力文明にも人身御供となり文明を維持するほかないとなっているのだ。この辺は放射能の実験台となりモルモットになっているのもそのためである。放射能の影響はどうでるかわからない、そして放射能はたいしたことがないとされ原発は安全だとされるかもしれない、電気は否定できないし原発は不可欠だとなり最後に文明の崩壊がやってくるのかもしれない、そういう大きな文明の問題として原発事故が必然的に起きたのである。

 
 
 
 
 
 
posted by 老鶯 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年12月13日

冬の日の相馬市の通り (老人の欲しいもの-シャッタ-通りも老人向きにすればにぎわうかも)


冬の日の相馬市の通り

(老人の欲しいもの-シャッタ-通りも老人向きにすればにぎわうかも)

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風かそか日のさし静か冬芒
枯草や猫一匹歩むホ-ムかな
線路見え二両の電車や木の葉散る
庭広く石組み確か北風(きた)唸る
洋風に煉瓦や枯木映える家
駅前の通りの花屋冬薔薇
日の没りし動かぬ雲や冬菜かな

相馬なる駅前の花屋冬日さしシクラメンの花赤く映えにき

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今日は相馬の病院に二カ月ぶりで行った。手術してほぼ正常に生活できるが多少血圧が高いから穏やかな暮らしをしろと言われた。血圧が高いのは不安である。塩分はひかえめにしている。毎日病院でそなえつけの機械で血圧を計っている老人がいた。あの機械があれば計りやすい。ともかく還暦すぎたらいかに病気にならないようにするのかが最大の関心事になる。病気になったらどんなに金があろうが地位があろうがなんであっても最悪になってしまうのである。還暦すぎたら病気にならないことだけで恵まれているともなるのだ。


枯芒から冬芒となってゆく、90過ぎの人は結構今は近くに生きている。それはもはや80代だと枯芒などと言われるが90過ぎると冬芒である。冬芒になってそこに静かに日がさしている。それがぴったりだとなる。人もまた生物の一種だから植物でも同化してゆくのである。今日はまた二両の電車にのった。二両だから一番前にのりやすい、すると前の景色を見ながらのる。そして線路に木の葉が散るのが何回か見た。八両の電車だったら木の葉を散るのを見ないし感じないのだ。ホ-ムが枯草になり猫に日がさしてゆっくりと歩いている風景ものんびりしているし寂れたともなる。こんな光景は都会ではありえない、この辺だって八両で東京や仙台に通じていたときはなかったし感じなかった。
二両で二つの駅にとまるだけだから電車もスロ-になり老人の感覚になったのである。自然ととけこむようになったのである。


相馬市の通りは壊された家が増えた、ここの駅前の花屋だってやっていけるのかどうか?
でも場所がいい、午後の日がさしてなんともなくなごむ、街路樹の下に冬薔薇が咲いていた。
そこでシクラメンとか買った。ここで何か買いたくなる不思議がある。そこの年配の女性も応対はいい、陶器店は怖いくらいの応対だった。あれでは買い物もしたくなくなるだろう。東北の人はそうした愛想に欠けているから農業には向いているけどこうしたサ-ビス業に向いていない、自分も全く商売には向いていなかった。だから自分は学問の方で身をたてたいと思ったができなかった。
ただ今は別に東北でもみんながそうではない、普通の応対はしている。

駅前通りはシャッタ-通りになりさびれたがこれからどうかというとそうでもないかもしれない、
高齢社会はまた社会が違ってくる。老人が欲しいものはとキ-ワ-ドで自分のプログに来る人が必ずいる。老人が求めているのは必ずしもモノではないのだ。モノを売る場所や環境や人が大事になってくる。

花が欲しいというのもあるがその場所が大事になるのだ。あそこの駅前は日がさしてシクラメンが通りに映えてなごみを感じた。高齢化社会はそうした街全体の雰囲気とかなごみとか応対する人の良さとかが影響してくる。モノ時代よりそうしたものを求めるのが老人なのである。だからモノだけを安く買うス-パ-は便利にしてもものたりないということが生じているのだ。若い人にとっては良くても老人にとってはいいとは限らないのである。確かに便利なのだが場所とか環境とか人とかになるとそういうものはない、店員と話すこともないから何か人間的なものを感じないとかなる。


ヤクルトが成功したのはモノを売るより人が直接売り渡すということで成功しているのだ。モノより人を売りにしたのである。人のサ-ビスを売りにした。だから孤独な老人の見回りもしているというのもそのためである。
これからは若い人には良くても老人にはモノ+ソフト的なものが必要になってくる。
だからこれから高齢化では必ずしも安いだけで便利なだけでは成り立たなくなるかもしれない、
中高年向きのサ-ビスをして商店街も生き残る策をたてている街もでてきている。
時代が変わるとその要求は老人だけではない、時代の要求が変わるからまた商店街が別なものとしてニニュ-アルされて繁盛するかもしれないのだ。高齢者は比較的金をもっている人が多いからまた安いだけではない商売も成り立つかもしれない、都会ではそうなっているだろう。

いづれにしろあそこの駅前からあの花屋が消えるとまた淋しいとなるのだ。

暇だから一旦病院を出て相馬市を歩いた。駅前のパスタの店で三重からきた学生とあった。津浪の被害地を見て歩いているという。そういう人がまだ結構いる。いろいろ教えてやった。自分もプログでそういうことを書いてきたがインタ-ネットは何か反応の手応えが感じられないのである。

ただ今回は報道として地元の人は外部からも助けられているしまた地元がどうなっているから事実を問題を知らせるのも義務となっているのだ。報道も実際は義務でありミッションまで高めねばならないものである。報道はあまりにも視聴率を重視しすぎた。企業や団体の宣伝部隊になりすぎたのである。そこから原発事故も起きてきた。それぞれがその仕事の義務とミッションの自覚をもって勤めればこういうことにはならなかったろう。


写真に撮った家は個性がある。庭には個性がある。石組みがしっかりして広い庭に重厚感を与えている。もう一軒はいかにも洋風でレンガもあり冬の家にふさわしく感じた。枯木が映えて中に暖炉もある感じなのだ。あれは飾りなのだろう。なんかこの二つの庭と家は冬らしく落ち着く家である。
洋風の家は外観がいいのだ。まるで絵画になるような家である。

2012年12月14日

寒夜 (マイアミから来た英語教師と駅であい話す)


寒夜

(マイアミから来た英語教師と駅であい話す)

二両の電車の行くや寒夜かな


今日は寒夜というほどではなかった。昨日は寒夜だった。普通だったら冬の夜になるだろう。
夜に駅に行ってみたら前にみかけた外人がいた。気になっていたが英語の先生だった。
今はボランティアでも来ているかとも思った。真野小学校とか小高の福浦小学校と言っていたから
鹿島区に移った生徒に英語を教えていたのである。必ずアメリカから派遣される英語の先生はいたからめずらしくはない。ただ田舎だとまだ外人はめずらしい。でも中国人も必ずいる。
アメリカ人は大学生である。その学生はマイアミの出身だった。マイアミはメキシコに国境を接するところだから暑い所だった。メキシコまでドライブするというからメキシコが身近な所だった。
何を専攻しているかと聞いたら心理学と哲学だという、アメリカンスピリットは何かと聞いたら
ペイドリッド・・とか何かわからなかった。ここで言葉の障害があった。これも字を書いてもらって調べればわかるだろう。日本はサワムラスピリットだと言ったからペイドリットと言った。
ホイットマンがアメリカンスピリットだと自分は言った。


そもそも英語で学問的になると説明すること自体相当にむずかしくなる。あの青年はマイアミの都会から来たとするとずいぶん田舎に来たので驚いているのかもしれない、近くに住んでいるとするとまた会う機会がある。田舎だから良くみかけるのだ。暇だからあちらこちら歩いている。
英語も最近使っていないのでなかなか言葉がでてこない、言葉は何でも使っていないと忘れるのである。マイアミは沖縄のような熱帯地域でもあるのだからここは寒く感じたろう。マイアミはメキシコと接しているとなるとヒスパニック系が多い、アメリカでスペイン語を話す人が実に多いのだ。
そして英語を話せないのでてある。だからヒスパニックとコミニケ-ションを計るにはスペイン語を覚えねばならない、ヒスパニック系は英語をしゃべれないし教育されていない、日本人は英語を高校まで6年間習ってもコミニケ-ションできる英語力がついていない、でも観光くらいだと中学英語で十分なのである。中学英語を馬鹿にしていたけど中学英語だけでも相当な英語の基礎力があった。


ここの土地のことを教えるにしても言葉の障害が大きいし基礎知識がないとなかなか相手も理解できないのである。ただアメリカは歴史がないから歴史的建造物がほとんどないから千年前の古墳ともなればそれだけでもめずらしいというのは確かである。確かに外国に通じるには生きた人間とコミニケ-ションするのがいい、田舎ではまれだから話すのもいい、英語でなんとか多少はできる。
英語がどうしても国際語になっている。中国人でも英語で話すほかなかったのである。

ニ-トの一人がガソリンスタンドで働くというのには驚いた。その人は身なりが普通ではなかったし
普通に働けると思えなかった。まず社会的に人とうまくやってけけいるのか疑問だった。ニ-トは田舎でも普通にいる。なぜ雇われたのか不思議に思ったがこの辺はどこも人手不足だから人を選べなくなっているのだ。あらゆるところが人手不足になっている。あるところは時給1000円にしたのもわかる。そこはすさまじい忙しさだった。この辺は待遇を良くしないと働く人がいなくなる。


まあ、若い人と接して思うのは女性もそうだったが何かやはり若い生気が体から放出している。
だから若い人からは老人はエネルギ-をもらうことができる。若返るというのがあると思った。
若い人と接している人は年取らない、若くなるというのも本当なのだろう。若い人はまだこの世の汚れにどっぷりとひたっていない、年取るとほとんどの人が体だけではない、心が世間の垢にまみれてしまってまともな人がいなくなっているのだ。自分が接した人は本当にあまりにも異常な狂気的な人だった。ただ一般的に老人はまともなのがいない、知恵ある老人などまれである。
若い人は世間の汚れにまだそまっていないからそこに見込みがあるとなる。
でも若い人でもいろいろだろう。ただ若い人と老人の根本的相違は若い人はこれから生きようとしているのだからいろいろなものに対する態度が違ってくる。だから放射能汚染で若い人が流出したことでもわかるように未来がない場所には生きたくない、子育てでもしたくないとなる。未来のある場所で子育てしてゆきたい、老人は別にそうした未来を望むこともない、要するに前にも書いたけどすでに死に場所として終の棲家する場所を求めているのだ。その差はだから相当に大きいのである。


ともかく若い人はまだ純粋な人が多い、老人はまず様々な問題をかかえた人が多く嫌になる。
老人が枯れたなどということは全くない、欲望はますます先鋭化して最後の生を欲望を貪(むさ)ぼろうとしているのだ。老人はすでに深い罪を身に負っているしそれはもはや払拭できないくらいである。若い人はいろいろあるにしてもまだそういう罪を負っていない人が多いだろう。
だから老人に接するよりは気持ちいいともなる。何かさわやかになり生気が伝播して若返るということがある。それが悪くなると回春だとか性の露骨な欲がまたむきだしになる。それで東南アジアに
中高年や老人でも回春にゆく、それが世界中から集まり若い女性を安く漁るおぞましいものとなっている。それも年老いることは本当に経験しないとわからないが衝撃的なことであり性を欲をあきらめきれないのである。


とにかく老人から発してくるのは何かそれは老いた体臭だけではない、心が影響しているのだと思う。心が体と同じく歪んでしまっているのだ。それですでに見ただけでも接することに嫌悪感を覚えるのである。でも結局はその若いときもほんの一時で消失してしまう、一時のあまりにもまばゆい輝きなのである。女性の輝くのは本当に短い、結婚して子供産むと女性の本来の輝きは消えてしまう。
25才くらいで女性の盛りが終わってしまうよな感じさえする。女性は本能的に生きる面が強いから余計にそうなる。男性は年取っても仕事に精進すればそれに誇れるが女性の場合はその見た目がすべてだとなりやすいのである。

2012年12月15日

政治には期待できない (新しい国造りは日本国土全体の栄が何か知るべきである)


政治には期待できない

(新しい国造りは日本国土全体の栄が何か知るべきである)

●政治は誰がやっても同じで変わらない

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政治はいわば大小の砂利のいっぱいつまった、社会の砂袋のようなものである。政党は対立する砂袋の半分である。時には四つにも分離することがありたがいにこすりあうのである。
ソロ- 「市民としての反抗」


今の状態はまさにこれだった。砂袋が8っつにもなっている。でもその政党が別にどの政党とくっついても変わりないように見える。共産党は別としてどの政党と砂袋と一緒になっても変わりない。
分離してこすりあっているだけだとなる。原発にしても今やみんな反対しているから選びにくいのだ。自民党は一番原発にたいしては推進派である。民主党の失敗は自民党の路線を否定したのだが結局、自民党の路線を引き継いだことが多かったのだ。また官僚に対しても対抗できなかった。そもそも政治が何によって動かされているのか?例えば電事連という団体や連合でも民主を支持した団体は原発推進である。原水協も電事連の人が入っているから原発推進だった。それで失敗したというがやはりそういうふうにどこにでもそうした組合に所属している人がいるのだからそういう団体によって政治も動かされているのだ。連合でも電事連でも原発推進だったら自民党も最初から原発推進だったからそれが日本国全体で強力な戦時中の大政翼賛会になっていた。大本営発表になっていたのである。もし民主党がこうした団体とかかわらず自主的に政策を決めていたら原発を見直したかもしれないのである。そういうことができない圧力が内部からあるのだからそんなことできなかったのである。

福島県のドンの民主党の渡部恒三が強力な原発推進者だった。そのGEの社員だったことでもわかった。
民主党は自民党の原発推進を積極的に受け継いで失敗したのである。その背景はその支持する団体が原発推進だから当然そうなったというにすぎない、マスコミでも東電から莫大な宣伝費が流れ電事連からも流れるとか何かの団体の支持によってマスコミは運営されているのだ。聖教新聞を福島民報では刷っているからその意向にはさかえらないのと同じである。それは創価だけではない、背後の団体によって政治は動かされるのだし政治が数によって決まるというときどうにもならない、権力の主体は政治家にはない、それを支持するものにあるのだ。政治が変えられないというとき政治家の問題でもない、そうした支持するものが変わらないのである。何にも団体などの支持がなくしがらみもない人は当選できないのだから当然である。たいがい団体は利害心は自己愛もっていても愛国心などはない、東電でわかったようにメルトダウンして死ぬか生きるかのときも海水を使うと原子炉が使えなくなり大損だと幹部が騒いでいたのである。人間の命より原子炉が大事だったのである。それか会社なのである。何であれ会社の利益が優先されるのか現代の社会なのである。


●インドのような価値観も現代では必要

人間は本来が自然なしには死滅するほかないものである。われわれが馬鈴薯よりも教養を砂糖菓子より啓蒙を欲するとき世界の大資源ははじめて強要される。(ソロ-市民としての反抗)


結局この辺の原発事故もこういう所から起こったのかもしれない、教養などより何がなんでも腹のたしになる馬鈴薯であり砂糖菓子を求める。山尾三省のような極貧の生活に意味と意義を求めるものは農民でもいなかった。パンを食べたい菓子を食べたい車が欲しい、電気製品が欲しい、・・・・その欲望はとまることがなかった。そのためには原発を積極的に誘致した。隣の町で財政がうるおっているからこっちも欲しいと競争だったのである。それが原発事故でどうなってしまったのか?
自然が死滅したら人間も生きることはできない、土も水も汚染されたら生きることすらできない、原発がもっと日本全土に大規模に起こればそうなった。第一ソロ-のような生活をめざせば奇人であり何だあいつは馬鹿なことをしている酔狂なやつだとしかならない、山尾三省も奇異な眼で見られるだけである。しかし原発事故が起きてそういう普通の一般の人も反省を強いられたのである。


思うに都会と田舎は本当は別な価値観をもって生活すべきだった。ソロ-のような極端な崇高な生活ではなくても山尾三省の極貧な生活までしなくても第一次産業を基盤とした都会とは同じではない、別なもともとあった山河、大地と共に生活してきた価値観を大事にするべきだった。それは国全体がそうでありグロ-バル化で世界全体が同じ価値観になってしまったのである。誰も車をもちたいというのは世界中で同じになったからだ。だから今や世界中でどこもたいして変わらない生活をしているのである。インドのような所は変わっていた。牛糞を干して燃料にしていると思えばまだ炭を使っているし街路を牛が歩いている、そんなところでも家で子供がゲ-ムを白黒の画面でしてしいたのである。インドすらそうしてグロ-バル化の価値観の中にくみこまれてゆく。ただ牛を聖なるものとして
街路を歩いていることは違っていたのである。まだそういう古来の価値観を壊さないのである。でも牛がのろのろ街路を歩いたら車も通れなくなるから文明化すれば牛もそんなふうにして放置されないだろう。でもインドではまだそうした古い価値観が生きていることが他とは違っていたのである。


●万葉集など日本古来の価値観の見直すべき

今や田舎に住んでも田舎の人も都会と同じである。むしろ都会の人より贅沢をしている。何でも金があれば手に入る時代なのである。食うもの着るものも住んでいる家もむしろ都会より広い庭でいい家に住んでいる。しかしそういう都会と同じ文明的生活に落とし穴があり原発事故になった。もし古来の価値観を継続して山尾三省のうよな思想で意味と意義を求めて生きていたらこんなふうに自然すら死滅して町すら消滅するなどということはなかったかもしれないのである。本当に人間の栄は東京の大都会になるのか?高層ビルがスカイツリ-がその栄の徴しなのか?そんなものに美があり意義があるのか?都会には数が多いから結局その数で都会人によって政治も決まる。限界集落には政治家の宣伝車も来なかったという。票にならないからそうなる。では限界集落はすべて能率的でないから消滅させるべきなのかということになる。そしたら国土が維持できるのかという問題もある。最近森林の木材が50年過ぎて使えるようになった。それで森林が再生して山村も雇用が増えて活気がでてくるという。つまり50年後でも自然のリズムが長いから栄えることがある。都会はそんなに長いリズムをもち得ないだろう。自然と離れているから自然によって豊になるのではないからその栄も短いともなる。

題詞]六年甲戌海犬養宿祢岡麻呂應詔歌一首

御民吾  生有驗在  天地之  榮時尓  相樂念者


御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば 


みたみわれ いけるしるしあり あめつちの さかゆるときに あへらくおもへば


天地と共に自然と共に生きている時そこに真の栄があり生きた験(しるし)がある。
その験(しるし)とは何か?スカイツリ-でも高層ビルでもない、まさに自然の中にあるものが験(しるし)として残る。千歳の岩であり石であり樹であれ山であれ海であれそういう栄こそが真の栄だったのである。原発事故周辺ではそういう自然の栄が奪われたのである。そしたら生きる験(しるし)もなくなってしまうことになる。自然の寿命は千年とか長い、都会の人工物の寿命は短い、その栄は一時期で消滅する。だからこれからは都会だけではない、国土全体から国が栄えるように田舎も見直すべきだしまた田舎に住んでいる人も今までの日本が有した万葉集などの価値観を再考して国造りせねばならないのである。

posted by 老鶯 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年12月17日

冬紅葉(津浪の跡の不思議はまだつづいている)

 

冬紅葉

(津浪の跡の不思議はまだつづいている)

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社消え残り守りぬ冬木立

津浪跡ここに二軒や冬の暮
冬紅葉玄関に散り誰が訪ぬ
冬紅葉色合い見つつ暮れにけり

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津浪の傷痕というかこれはなかなか消えるものではない、写真の木立には社があった。その社が流されて回りの木立だけが残っている。本尊が消えてそれを守っていた木立が残った。これも不思議である。それから川を渡ったところに家二軒があった。一軒は牛を飼っていた。ここは通ったのは数限りない、散歩道でもあったからだ。別にこの家の人と話ししたわけでもない、でもここに確かに家があった。それがないということが不思議なのである。ここだけではない、津浪ではいたるところ家が消失したからめずらしいものではない、でも身近で感じるのとテレビで見て遠くで感じるのとは違う。ここに家二軒があったことはそれなりにもの言わずも存在感があったのだろう。街中と田舎での家の存在感は違っている。街中でも取り壊された家が多いが町から離れたザイで感じるのとはまた違う。

二谷(ふたつや-二つ屋)とか四谷(よつや)とかいう地名でもわかるように二軒がありそれが地名化していることはその二軒がそこの土地の最初に住んだ家かもしれない、いづれにしろ田舎でも特に町から離れたところでは山村でもそうだがここに家があったということが存在感をもつのである。都会だったら余りにも家が多すぎてそうした存在感がない、その家はやはり大地と結びついているから存在感をもつ、特に代々の専業農家だったらそうである。だから津浪の跡でもなかなかそこに家があったという記憶は残ってゆくのかもしれない、ただ街から離れていても家が密集しているとそんなに感じないのも不思議である。ここの家は回りに家がなく二軒しかないから感じたともなる。飯館村辺りは一軒一軒が離れて森につつまれるようにあった。ここも一軒一軒の家の重みがあった。ただここは津浪で家が消えたわけではない、家は同じ様に残っている。だからその家を見れば持ち主が帰ってまたここに暮らすという感じになるのである。


これは紅葉にならず冬紅葉になった。近くで見ると色合いが違っている。いかにも冬紅葉らしい。
女性もとしとれはこんな色合いになってくる。ただ女性は若い女性と老人の相違があまりにも違いすぎるのだ。若い女性から話ししなくても近づくだけでも発散されるのが違ってくる。男性はそんなに感じなくても女性の場合、若いということがどれだけ価値あるか、年取ってみればわかる。見る方もそうだし見られる方もそうである。女性は内面というよりほとんど見た眼と内部が一致しやすいのである。男性は年取っても内面的に豊になりうる。女性は外面によって判断される、だから若者は老人を嫌うのである。男性は年取ってもその仕事で評価される。だからかえって年とると何でも熟練してくるから技が上達してくるから人間国宝とか芸も究めることができるのだ。そこに男性の価値がある。だから男性はその仕事で評価されない人は年とったらやはりみじめである。


自分は自分でも不思議なのだが60過ぎてからいろいろな今まで買っていた本を深く理解できる。
本はただ積んどくになっていたけど深く理解できる。それから詩なども短歌でも俳句でも才能がなかったのだろう。40代でもいいものができていない、だから自分がこんなに書いていること自体不思議になる。誰も若い時、自分が俳句とか短歌を作れる人とは指導する人さえ見ていない、啄木のような人ならこれはと指導者がわかる。自分にはそういうものがなかった。だから人間は生まれつきの才能で何かのものになるとは限らない、ただ天才を見本とすることは間違っている。天才は本当に生まれつき優れているからである。努力しなくても優れているのである。でも凡才でもそれなりに一芸でも追求するとそれなりのものになってゆく不思議がある。詩でも自分で本当に不思議なのである。
これはいい詩だな、こんな詩を作れたのが不思議にも思う。今まで作れなかったからである。もちろん詩はむずかしいけど理解できるようになった。だからすでに百篇くらいつづけざまに作った。
ただそれは発表していない、今年は手術などあり忙しくて「詩集の部」をプログに加えたが手術のあとは発表していない、徐々に発表するか、本にして一度発表するか考えている。本は別にインタ-ネット上で簡単に作れるみたいなのである。


今年もそろそろ終わりになる。まだ津浪の後に整理がついていない、家事全般を一人でやると本当に大変になる。ふりかえるとすでに姉が認知症になったのが2006年でありそれから2012年でありその6年の間は毎日追われていた。自らも病気になり一回は一か月入院して今年は手術もした。これが自分にとってどれだけ大変だったか、一人しかいないから全部一人にかかってきた。母も病気になり遂に動けなくなった。その前からすでに弱っていたのである。家族がもう一人いたらはこうはならなかった。そしていかにこの世が冷酷なものか知った。家族意外になると情をもつ人はまれである。ただ今は金しか目当てがない、だから実際に大犯罪にあった。これも一人だったからである。
その間に津浪や原発事故があった。つくづくこれほど悪いことがつづくことは大凶運だった。

でも手術を終えて何か一段落して楽になった。人に頼ることが自分にとってどれだけ大変なことだったか?もう人には頼れないと思った。親戚も実際はないと同じだからそうなった。

ともかく今は楽になったから来年はいい年になってもらいたい、病人をかかえているからまたわからないけど自分の病気が一段落したことが相当に楽な気分にしたことは確かである。

2012年12月18日

年の暮(もう一人の英語教師はフィラデルフィアから来ていた)


年の暮

(もう一人の英語教師はフィラデルフィアから来ていた)


我が町にフィラデルフィアとマイアミの青年来たりて年の暮かな


もう一人の英語教師はPhiladelphia(フィラデルフィア)から来ていた。

1682年、クエーカー教徒のウィリアム・ペンが同志とアメリカに渡来、この地に居住区を建設したのが市の起源。ペンはこの地を古代ギリシア語で「兄弟愛の市」を意味する(Φιλαδ?λφεια、フィロス=愛、アデルフォス=兄弟、ア=都市名につく語尾形)「フィラデルフィア」と命名したhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%
A9%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2


philosophy-Philadelphiaは関係していた。フィロス=愛、知の愛が哲学のはじめである。ここはニュヨ-クに近く寒い、ニュ-ヨ-クより古く開けた都市だった。大学や学生の街でもあった。
マイアミは平均気温が20度くらいだから沖縄のような気候である。キュ-バが近いから南国である。
アメリカは広いから気候の変化も大きいのである。中国もそうだけど大きい国の感覚は日本にいるとわかりにくいのである。

小学校から英語を教えている。近くの小学四年生もクリスマスをその英語教師としたとか言っていた。確かに英語の単語を覚えている。
思うに言葉も文化もそうだが本質的にその国に行きいきた言葉を聞かないと実感として理解できない、言葉は母国語というようにネティブから伝えられないと本当はわからないのだろう。日本はそういう機会が少なかった。確かに英語など巷にあふれているしアメリカ人など今やめずらしくもない、しかし英語となると日本人はしゃべれない、英語を大学まで勉強してもものにしている人は少ない、今は前よりは多くなったとしてもそうである。

その一番の原因がネティブから言葉を学ばないことなのである。だから留学というのはネティブから言葉を学ぶしその土地の人と一時的にでもなるから文化を肌でしるからいいのである。今は留学している人も多くなった。田舎ですらもうすでに一クラスで何人かは留学している時代である。ただ最近はまた減っているらしい。自分は海外旅行したのも50過ぎだからすでに遅かった。自分は何でも遅かった。学生時代はほとんど勉強していない、勉強に興味がもてなかったのだ。学校出てからの方が興味をもって勉強した。ただそれも何か深く理解できていなかった。語学でもやはり明かにドイツ語でもドイツで学べばその国の文化を肌で知る。言葉も密接にその国の風土や歴史と一体化してあるのだ。日本語だって俳句にしても少なくとも一年間めまぐるしく変わる日本の気候を体験しないかぎりわからないのだ。そこにその国の文化を知るむずかしさがある。


哲学専攻のマイアミの青年が哲学は何かとかちょっと聞いたらstrict-ストリクトだという。
その言葉の感覚がネティブが発音して言うときとそうでないものが言うときは違ってくる。
ストリクトでもいろんな場面で使う、そこでその言葉の感覚を知ることになる。これはなかなかむずかしい。日本は中国でも外国語は翻訳文化であり直接ネティブの言葉と接している人が少ないのである。翻訳で言葉をしるのは概念的なものは知りやすいが言葉のもっている独特の感覚はわかりにくい。それは母国語として身につけるものであり外国人は身につけられない。だから日本語にしても俳句でも短歌でも理解するのはとてつもなくむずかしいとなる。日本語の言葉の感覚が英語の言葉一つにしても理解できないのと同じなのである。いづれにしろ詩は一番むずかしいし母国語をみにつけた人でないと詩は書けない、詩は翻訳すると別なものにすらなってしまう。日本語に訳すと本来の詩とは別なものになっている。詩は翻訳不可能なのである。


だから外国語の感覚を身につけるには若い内にネティブの人とと友達になったり直接その地を踏んで言葉の感覚を身につけることである。ただそれが一般的にはなかなかできないから日本人は特に英語がいくら教育しても身につかないのである。それでアメリカからネティブの発音を聞かせるまたは外国人になれる教育をとり入れたのである。ただ今は外国人がめずらしくないから拒絶反応はあまりないかもしれない、ただ言葉は依然として日本人は身についていない。やはり今回のように一つの単語でもネティブの人と話し合うと何か言葉も生きてくるのである。言葉は本や活字やテレビでもメデアだけでは生きてこないのである。会話してこそ言葉も生きてくる。ただ観光だけでは言葉は身につかない、何かより深い詳しいことは旅ではしりえない、通りすぎてゆくことが多すぎるからだ。

観光英語は中学英語で十分でありほんとんど今回のような短い会話すらできない、哲学がどうだこうだなどと観光で話すことはないから言葉はほとんど身につかない。

だから言葉の感覚をみにつけるにはある土地に一年とか住んでいれば身につくだろう。英語にしてもアメリカ英語は違っているという、それはアメリカ人を友達にして深く通じた人が言っている。
イギリス英語とアメリカ英語とオ-スハラリア英語も違ったものなのである。その区別はよほどアメリカ人に通暁していないとそんなことわかりえようがないのだ。

まあ、アメリカで驚いたのはグランドキャニオンだった。あそこは別な惑星にでも来たのかと思った。それはもはやとても言葉では現せない風景だったのである。言葉を絶した風景である。そういう風景が現実にあったということである。ホイットマンはアメリカを詩にしたけどホイットマンにしてもアメリカノ広大な国土を知らずして理解できないのである。本当は桁外れに雄大な詩であっても日本人にはアメリカの国土の大きさが一回くらいの旅行では理解できないからまた理解できない、これは中国でも同じである。国土の大きさが実感として理解できないのである。日本だったら九州まで同じ気候である。でもフィラデルフィアは寒冷地帯になってもマイアミは沖縄のような熱帯地帯なのである。アメリカにはテキサスのように広大な砂漠もありその広大さから生まれアメリカ人気質も理解できないのである。日本のような狭い国土のせせこましい発想は起こらない、人間が知らず大きくなるということはある。


自分は海外旅行でも遅すぎたのである。英語でも早く学んでいないから身につかなかった。ただ不思議なのは別に今でも手術したので海外旅行はできる。海外旅行は別に電車とかで旅するならそんなに辛くはないのだ。精神的にはかなり疲れるにしても自分は身体障害者でもないから海外旅行できると思った。一時自分は身体障害者になり何もできなくなったと本当に思ったからある。しかし体力の負担のない旅行はできる。だから行く気だったらアメリカにも行けるのである。ただアメリカはあまり旅行しても面白くないということはある。ただ広いというだけで歴史がないからである。
あんな広い荒野のような所に住んでいる人の気持ちはどんなものだろうかとも思う。
日本人の感覚は前田の五反田とか前畑の狭い畑が自分の土地である。アメリカは米作りにしても種も飛行機でまくとか桁外れなのである。その感覚が余りにも違いすぎるのである。