2012年12月01日

山茶花に初雪 (電気は本当は貴重で高価でもその自覚がなかった-それが原発事故に・・)


山茶花に初雪

(電気は本当は貴重で高価でもその自覚がなかった-それが原発事故に・・)


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山茶花の赤に雪ふる目覚めけり
冬の菊りんと咲きける朝の雪
我が作る蕪の味噌汁介護かな


今日は目覚めたら雪だった。今年は早いのか?初雪だった。裏庭に咲いていた赤い山茶花にふった。
日本はやはり気候的に季節の変わり目がはっきりしているから身がひきしまる。これが熱帯辺りだとそういう旬や季節の変わり目がないからたるんでしまうだろう。日本の気候は変化が激しく刻々さえ変わっているうよな感じがする。料理するということもやはり日本では食べものにも季節感がある。大根とか葱とか蕪とかは冬の季語だった。ただ与えられているとこういうことすらわからなかった。さらに農家で実際に畑でも耕していればより自然と密着することになる。ただ風流で季語ができたのとも違う。現実生活から季語が生まれていた。生活なくして芸術もありえないのである。


だから変なのは多賀城跡を訪ねて「古き碑のここに並びて刈田かな」この句を作った時、これは当たり前のことでる。ところがこの辺では放射能に汚染されて田んぼが荒地化した。刈田がないのである。そうするとこの辺にも古い碑があってもそれが生きてこない、古い碑でもそれは長い間の生活の中でそういうものが風景にあうようになっていた。江戸時代の古い碑は北海道にはないから牧場にはあわないのと同じである。刈田とは荒地とか草原とかではない、それは春を待ってまた田植えをして米作りするものとしてある。それがこの辺ではなくなったのである。前にも書いたけど水が流れめぐらない田のない世界に違和感を覚えた。田は山の水を血液のようにして大地をうるおし実りを与えていたのである。


農業に意義を見いだすというときそれが生活そのものが自然と密着するから自然を風流ではないじかに肌で感じるから自然と一体化するのである。上野霄里氏が芸術は生活だというのは本当である。
だから山尾三省はまさにその自らの体を酷使して極貧の農業に意義を見いだした。その意義に死んだのである。でも一方で農家の人は逆にそうした極貧の農業からなんとか逃れることが願望であった。パンも食べられない生活など誰もしたくない。その対比があまりにも極端化していたのである。
正直自分には農業も力仕事も勤まらない、体力がない、自転車の旅だってやっとだった。最近筋肉が弱り運動するとひどく疲れる。老化すると筋肉が弱る。ただ本当に詩を書こうとしたら体力がないと書けない、山を詩にしようとしたら相当に健康手体力がないと書けない、山の厳しさを詩にはできない、ひよわで山の厳しさを詩にできない、絵にもできないだろう。その矛盾が芸術家にはある。


だからこそ山尾三省は62才で死んだ。妻も犠牲になり60前で死んだのである。パンも食べられないとなればそうなる。農業は江戸時代でも相当な重労働である。だから元旦にゆっくり休むことが本当に楽しみだったのである。休むことなく働いているほかなかったのである。結局現代の労働は機械に負うことが多い。ご飯炊くにしてもおかゆもオカユメ-カ-を使ったり暖房も電気である。つくづく電気に頼る生活なのである。一日中介護だからエアコンをしている。自分は今は炬燵であるが石油スト-ブは火事になるので使えないので電気ヒ-タ-を使う。これまた現代の生活は電気、電気なのである。こうして機械に頼り電気に頼っているから介護してでも一人でも家事ができる。これが戦前とか江戸時代になるともう家事だけで一人がかかりきりで洗濯から料理からするとなると必要である。家事自体が大変な労働となっていたのだ。

これだけ電気を使う生活はやはり贅沢でありそれが原発事故に結びついていた。でもそれだからこそ老人は暖房でも長生きしているしなかなか死なないとなる。手厚い介護をすればさらに長生きするのである。戦前とか江戸時代は手厚い介護はできない、戦前でもオムツはないとか藁で始末していたとか信じられないような悪条件の介護である。だからとても長生きはできない、つまり過酷な労働が死期を早くして病気になったら介護もおそまつだから早く死んでいたのである。

ただ今になるとそうした贅沢が限界にきている。もうなんらかで淘汰されて老人は生きられなくなる。長生きできなくなる。そうでもしなければ
年金なども支給できないし財政も破綻するのである。

人間の欲望はともかくきりがないのだ。そのきりのない欲望が原発事故を起こしたのである。
いかにこの辺でも欲が深い人がどれだけいたか、金になると言えばもう原発大歓迎だったのである。それは全国的にも言えた。電気というのは本当は相当な贅沢なものだったがそれがわかっていなかった。電気はボタン一つ押せば作れるものだという錯覚に陥っていたのである。
ロウソクが江戸時代に貴重品で高価で和ろうそくを作るためのロウの取り出しにはかなり手間がかかったため、ろうそくの滴は貴重であり、買い集めることで一つの職業として成り立っていた。
買い占められたロウは再びろうそくを精製するための材料として、再び溶かして型に流して利用されていた。

電気にはこういう感覚がない、電気は何か無駄使いしやすいのである。本当は電気はこのロウソクのように高価であり貴重なものだったのである。貧乏な家では電気を夜8時頃に消しているとかかなり節約している人が和すかだがいる。しかしほとんどの人は自分も含めて電気の無駄使いが多い、電気の貴重さがわかっていなかったのである。

でもやはり電気があればどうしても使ってしまうし無駄使いが多いのである。電気には例えは薪を買って集めてそれを燃料にするという一連の手間もないしそこで燃料を集める苦労も実感できないのである。それが電気を無駄使いすることに通じていたのである。人間は何か労働でもそれを苦労して得るものがあれば大事に思うがそれを経験しないものは大事に思わないのだ。食糧でもこの辺でも米を作っていないのに金さえあればいくらでもあるではないかと以前として食糧の大事さを実感していない、自ら苦労して作り料理してまた人に運び与えるという労働していれば貴重なものとなる。でもただ金さえあれば食糧などいくらでもあるではないかとなればその貴重さがわからない、これは電気についても同じだったのである。あまりに容易に簡単に手に入るものは人は感謝しない、空気に感謝しないとは同じである。日本では水が豊富だから水にも感謝しない、砂漠だったら水は宝石のように貴重になっている。ともかく電気は相当に貴重な得難いものだとして使わないといけない時代が来たことは自覚すべきだろう。

 

2012年12月02日

冬樹 (離れがたい二本の樹-ついの棲家で死ねない悲劇)

 

冬樹

(離れがたい二本の樹-ついの棲家で死ねない悲劇)


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川烏冬の清流渡り飛ぶ

風うなり墓所の脇なる冬の菊
朝日さし冬紅葉映ゆ唸る風
冬日さし二本の樹や農家かな
二本(ふたもと)の樹やここに明日もまた
この道や古碑の並びて枯芒
前畑は冬菜に暮れぬ婦(おんな)あり


北風の唸り木の葉の吹き散りぬ時の過ぎるは早かりしかな


I go on the last destined way・・・・この道や・・・というとき最後の運命づけられた道となる。軽い意味でこの道はいつか来た道とかいろいろ使われるがその道は最後の道になる。
人は最後にそれぞれ運命づけられた宿命の道を行く。それはもう変えられないし避けられない、
もう他の道を選ぶことはできない、若いときは選ぶことができる、拒否もできる、しかし最後は自分の選んだ道を行く他ない、もはや道は変えられないのだ。でもその道は若いときに決められたということもある。若いとき選んだことがずっと後年まで影響する。

栃窪は古碑の村だというときいろいろな碑が並んでいる道がある。あれで古碑の村となる。それぞれ違った碑でありあたかもそれぞれ生きてきた老人にも見える。だから枯芒がにあっている。
類似俳句として

この道や古碑の並びて枯芒
この道や古碑の並びて刈田かな
街道に並びし古碑や冬柳

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文政一二年(1815)とあり17人と書いてある。金比羅講がありこの代表で行ったものが寄進したのだろうか
江戸時代後期、金毘羅信仰の広まりとともに、いわゆる金毘羅五街道のひとつ金毘羅参詣道阿波道の西ルート(箸蔵越え)として、多くの参拝者が利用した。
萬延元年(1860)、奥州栃窪村(現 福島県鹿島町)の住人によって寄進された「箸蔵寺百丁」の道標。ここから険しい箸蔵越えの道のりが始まる

17人も行ったのだから金比羅参りは盛んだった。だからこれは真実なのだろう。

ともかく年になるとこの道や・・・というときいつも行く道でありそれが変わってほしくなくなる。認知症になると自分がどこにいるのかもわからなくなる。見慣れた人や風景や道でないと迷ってしまうのである。おそらくそこがどこかわからなくなってしまう。認知症でないにしろ何かそういう気分は必ず80才くらいになったら誰でも感じるものだろう。見慣れた所は認識できる、町並みでも変わってしまうと認識しにくくなる。だから江戸時代辺りは認知症になっても意外と辺りの景色も変わらないからそんなに症状が進まなかったかもしれない、現代はあらゆる面で変わりすぎるのである。


農家に立っている二本の樹はいつも見ている。冬の日がさしていかにも落ち着いて定着している。
それはちょうど人に見えるのだ。老夫婦のようにも見える。それで不思議だったのは津波で家が流されて庭に立っていた樹が残った。それが二本残っているのが結構ある。それはまるで離れがたい夫婦のようにも見えたのである。庭の樹は人間化した樹だったのである。そしてその樹は明日も同じ場所にあってほしいとなる。津波で原発事故でこの辺は家族もばらばらになり引き裂かれたのである。
特に辛かったのは老人だったことはまちがいない、すでに老人は故郷でも長く住んだところが「ついの棲家」になっていた。それが急に離されてそれも故郷すらなくなるということが信じられないだろう。「ついの棲家」が奪われたのである。これは結構辛いものだった。これが原発事故の悲劇だったのである。浪江でも5年間も帰れないとしたら厳しいと思う。5年間は帰るまでさらにインフラ整備で二年間とかかかれば七年とかになるのだ。へたすると10年になってしまうかもしれない、そのうち80以上の老人は死ぬ人もかなりでてくるということは故郷に帰れずに死ぬとういことは悲劇である。


前畑に婦人がいる、端仕事して夕暮れる。放射能で農作物を作るなといっても作っている人はいる。別に老人は食べてそれほど影響がないだろう。でも気持ち悪かったのは放射能の汚染がひどいところで昆虫の足がなかったのが写されたことである。あれが放射能の影響だとすると何か見た人は気持ち悪いしこれから子供産む女性は不安になる。ただ昆虫類と人間は相当違っている。昆虫は構造が単純だから影響しやすいのか複雑な人間はどうなるのか?ただ一年くらいで昆虫に放射能が影響したのだろうか?なんか放射能はわからないから不安が増大するのである。ともかく刈田もない、前畑でやはり冬菜があり暮らしがあって正常なのである。その正常な感覚がこの辺では奪われたのである。

2012年12月03日

牡蠣鍋 (家事も機械化、買い物はアマゾンで、変わる回りの様子)


牡蠣鍋

(家事も機械化、買い物はアマゾンで、変わる回りの様子)

冬日さす庭の大石隣かな
椋鳥の騒ぎ飛びたち仮設かな
雨にぬれ烏群れるやいつくかな
日のさして田んぼに生えぬ冬の草
牡蠣鍋を我が手に作り味わいぬ


人間の不思議は年とともに心境がかなり変わることである。特に老いるということがどれだけ心境を変えるかわからない、これも個人差があるにしろ老いることは精神的には成熟することである。
肉体的には衰えても精神的には成熟する。見えないものが見えてくるし今まで感じないものが感じる。隣の庭は手入れもしていない、そこに大きな石がある。その石を隣だから毎日見ている。するとその石に今日は朝の内は冬の日がさしていた。それがなんとも落ち着くのである。自分にとって石が性にあっていたのかテ-マとなっていた。すでに百篇くらいの発表しない詩を書いている。石からだけこれだけ書けるのも不思議である。何にしろ見方が深くなってくるのだ。ただ老いればどうしても
狭く深くなる。いろいろなことに関心がもてない、だから何でものせる網羅的な新聞は向いていない、あることについて今まで興味をもったことを深く知りたいのである。それは地元の歴史でもそうなる。どうしても専門化しやすいのである。若いときは広く浅くだったが老年になればあることについての識見が専門化してくる。ニュ-スにしても何でも関心をもていない、自分の関心、興味あることについて深く知りたいのである。だから自分の住んでいるところを深く知りたいともなる。

意外と自分の住んでいるところで今何が起こっているとかでもわからないのである。
だから福島県だけでもすべてニュ-スにすることはあまりにも広いとなる。新聞的報道は何でものせる、多くの人を大衆を相手だからそうなる。そうした報道や情報の出し方は今の時代にあわなくなっている。だからBSの団塊世代をタ-ゲットにした7時からの放送は面白いのである。
昔のテレビのように子供から老人までみんな茶の間でテレビをニュ-スを見る時代は終わったのである。情報のとり方もインタ-ネットなどでも変わってきたのである。


だからアマゾンの通販が繁盛しているのは「検索」という個々人のニ-ズに答えているからだ。
何か欲しい、何か知りたいとかいうので個々人のニ-ズに答える。それが一日で配達されるのである。自分は自転車だから大きいものは買えないから大きいものを買うのには便利である。
電気毛布を一万くらいのを買った。足が冷えると母が言うので電気アンカを買った。寒いから早く送ってもらえるから助かる。時間差はないし配達料は無料だから便利である。ただ失敗もかなりあった。パッグが見た目は良かったのだが重かったのである。重さとか大きさがわからなくて使えないものがそれなりにあったのだ。現物をみないということはそういう失敗がある。でも比較的無駄は少なかった。あまり高いものは買っていない、ただすべて通販でできるはずがない。人間的サ-ビスまで通販ではできない、でも今日は牡蠣が好きなので簡単な牡蠣鍋を作った。これも誰も教えるものがないからインタ-ネットで調べて作った。それなりにできた。ただ料理は誰かに教えてもらわないとうまくいかない、一から家事をやっているから大変なのである。


津波以後、原発事故以後この辺は変わった。椋鳥が騒ぎ飛ぶというとき仮設の人があふれているこの辺の落ち着かない状態を現している。なぜだろう、烏が朝に空一面に飛んでいた。二両の電車が通る線路の上の電線にもとまっていた。烏が増えたような気がする。雀は減ったかもしれない、原発事故の近くで昆虫に奇形が生まれたというのは解説では放射能と関係あるとは言えないらしい、そういう科学的根拠が正確ではないとあった。テレビの報道だけだとええ、足がないなと不安にさはられるがインタ-ネットでは必ず今もそのニュ-スを掘り下げて詳しく情報がどこかに提供されているのだ。

テレビは瞬間的な影響が大きいのである。瞬間的に大勢の人に注目させる。だからテレビに出るだけでその人の内容がなくても注目をあびる。政治家でも出るだけで名前が知られるからテレビに出たいとなる。最近テレビが原発批判しているのは広告費が電力会社から入らなくなったからだという。
何に注目させるかは広告費を出すものによって決められるということがある。そういう裏を絶えずインタ-ネットで報道したりフォロ-するようになった。だから今や新聞を読んでいる暇がない、いろんなことに目を通すことができないのである。いろんなことに目を通すということは気が散ることにもなり集中できないのである。


ともかく今日も一日家事に追われ一日だった。掃除から料理からまだ震災以後、家のかたづけができていない、病気の方は一応かたづいたので楽である。家事は実際は全部一人でやるといろいろある。金のこともありそうした管理でも大変でありそれに追われているのである。一人世話する介護するだけでも時間がとられる。介護も余裕がないとできない、医者でも看護師でも教育でも余裕がないと、いくらそれが仕事として大事なものであり尊敬されものであれまともにやれない、やる方も嫌になるのである。だからキ-ワ-ドで看護師が仕事に行きたくないというのがでてくる。看護師の仕事はハ-ドであり余裕がもていなからそうなるのだ。よゆうがないとあらゆる面でいい仕事はできない。
でもそういう余裕がもたせられないのが現実なのである。忙しい人はやたら忙しいのでしである。
暇な人はやたら暇なのである。

この辺でも仮設の人はいちらでも暇な人がいる。でもパチンコとかで遊んで暇をもてあましているのだ。若い人は仕事で募集しても来ないとか人手不足で時給が千円になっていたところもあった。今や老人は金をもっていたら若い人を待遇を良くしないとこの辺ではもう働き手がなくなり福祉でもサ-ビスが受けられなくなる。小子高齢化社会は全国的に人手不足になってくるのだ。だから余計に人を使うことはむずかしいから機械に頼ることになる。介護でも福祉ロボットが必要だとかなり開発されている。労働も機械的なものが多い。毎日大根おろしでも手でやると結構な労働なのである。それは機械にししてもらうのがいいとなる。だから現代は機械がいかに労働になっているかわかる。もし機械がなければ膨大な人手が必要でありとても家事など一人でやっていられない、それでも人手がたりない、機械だけでも補うことができないのである。

 


 

2012年12月04日

冬の雨(石の時間感覚は文明の時間感覚では計れない)


冬の雨

(石の時間感覚は文明の時間感覚では計れない)


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冬の雨濡れて大石隣かな

冬薔薇隠れて石の雨にぬる
雨にぬれ枯木に烏日も暮れぬ
枯芒雨ぬれあわれいつくかな
この道や落葉のぬれて仮設かな
我が庭に広葉一枚いづこより吹かれ散りにき雨にぬるるも


この石もよくみると平らであり平らであることが安定感をもたらしていた。名前をつければ伏石とかなる。昨日は冬日がさしていた。今日は雨にぬれていた。この家に庭はほとんど手入れしていない、確かに人は住んでいるけどすでに貸家だったけど20年も住んでいるけど存在感がない、隣同士でも何か今は交流がない、他ではあるのだろう。この庭は広いからもったない、でも庭を造るとなると一大事業になってしまう。だから放置されて荒れている。ただこの石を俳句にしたのはずっと見ていても今になってからだった。そこに石があるということをいつも見ていたがそれが確かにここに大きな石がありその石を身近に感じて俳句にしたのは今日が初めてたったのである。
つまり人間は近くのものを良く見ていないしその意味も知らないのである。


石は定着する存在感を示していたから絶えず移動して暮らしている現代の生活にはそぐわないところがあった。ところが誰でも年になれば定着志向になる。どこかで落ち着きたい、あまり動きたくないとなってしまう。特に病気になったりしたら動くにも動けないのである。すると近くがより大事になり近くのものに目をそそぐことになるのだ。隣近所は今は疎遠になっている。そういうのはやはり自然ではなかったのである。隣の庭に大きな動かない石があるというときそれは人間でもありそういう長く住んでいる人があれば落ち着くとなる。ただ隣近所の問題は嫌な人もいて離れがたいということがある。


石にはこの石だけではない、相馬藩内でも写真で紹介したがいろいろな石があるのだ。その石にはそれぞれの性質がある。ただ石というのはそれだけそこにあることが長い、千歳の石、岩となるから石を見ることは長い歳月をかけないとその存在感がわからないのだ。自然のものは長い時間で見ないとその存在感に気づきにくいのである。だから騒々しい都会で石のことを知ることはなかなかできない、石や岩は何か都会とそぐわない、現代文明ともそぐわない、その時間感覚でも動かないという存在感でもそうである。石の時間と文明の時間感覚はあまりにも違いすぎるのである。自然の時間感覚でもそうである。機械化された人間の時間は疎外された本来の原生の時間を奪われた時間感覚なのである。上野霄里氏が言う原生感覚の時間の復帰が望まれるのだが現代の文明生活の歯車になっていたらそれはできない、文明を離脱しないかぎり原生の自然に感動することもありえなくなったのが現代なのである。


ともかく枯芒でも雨にぬれているというとき何か心にしみるのも年である。雨にぬれつついつくということがある。いつくほかないということもある。仮設でも二年近くになると一つの定着した風景になる。落葉が雨にぬれて仮設の人が歩いている。ああ、選挙戦がはじまってうるさくなった。政治はどっちにしろ期待できない、結局より悪くない所を選ぶほかないのが選挙なのかもしれない、民主党のような甘言にのって大失敗をした。よりよい、もっとよい、最高のものを選んだ結果だったのである。悪いことをしない、実行できないことは言わないというのも誠実でいいとなった。政治だけではどうにもならないのである。政治で今の経済を良くしたりできないからである。

「エホバの証人輸血拒否事件」 (他人の血でも命が助かることは感謝すべきだ)


「エホバの証人輸血拒否事件」

(他人の血でも命が助かることは感謝すべきだ)

人の血を我が血に入れぬ人はみな血族のみにて生きることなし


 日本でインフォームド・コンセントが注目されるきっかけになった事件に「エホバの証人輸血拒否事件」があります。1992年に東大付属病院で起きた事件で、患者の了解を得ないまま、担当医が手術の際に一方的に輸血をおこなった行為をめぐって、民事訴訟で最高裁まで争われました。今回はこの「エホバの証人輸血拒否事件」を考えたいと思います。
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/yhwh.htm

宗教というのは霊的なもので、「人の魂に与える影響」を語るものです。
体内に摂取するものの是非を問うたり賛否を唱えたりすることは、医者や栄養士の仕事であって、本来、宗教が携わる仕事ではないものと考えます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1547428.html


エホバとかもカルトなのである。アメリカに本部があったり韓国に本部があったりするは独自性がそがれる。内村鑑三とか手島郁郎はアメリカを拝金主義だとかいろいろ嫌っていた純粋国産で培養するキリスト教を教えた。韓国とかアメリカが本部があり団体だということは政治的に影響されるのである。たいがい政治化した経済化した宗教はカルトになる。愛国心をあまりに鼓舞するのもカルトになりやすい。政治とか経済は一番わかりやすい,腹のたしになること欲望を限りなく満たすことをでありそれはすべて容認されるし奨励さえされている。創価などはその典型である。だからこそあれだけの数が集り権力団体、圧力団体と化して世の中を権力を我が物にしようとしているのだ。そして仏の神の権威を楯にして罰あたるとかなんとか脅してくる。もし権力がないのならかまわない、一人が言うならそれもいい、しかし実際に一千万人の人間が集団化して罰あたると叫んで権力をもったら、警察でも動かせたら恐怖である。実際にそうなっているから未だに恐怖なのである。


やはりこの世では常識をもっていればカルト団体にはひっかからない、なぜ常識が逸脱してくるのか?信仰のためには集団を組織を守るためには他者を殺してもいいということが正当化される。でも宗教で他者を殺すことを容認する教義はないだろう。どうして人を殺していいのか?そう疑問に思ったら考え込んだら簡単に人は殺せないけど集団催眠にかかっているとそういうことが見えなくなる。
そこに集団の恐ろしさがある。エホバにしてもそうした集団でありそういう教義が常識的におかしいと思っても集団の力でそうではないとされるときそれを実行するから怖いのである。宗教は常識を逸脱する。内村鑑三なとが説いた信仰は実に理性的であり常識的であることがわかる。その上に信仰を説いているのだ。集団的になるとき常識を逸脱してもそれが正しいとなるし他者の意見を聞かなくなるのだ。


自分は手術中ではなくても手術の後に輸血した。輸血したのははじめてでありなんとなく嫌な面はあった。でも自分の常識的な考えでは他人の血で助けられたという意識をもった。他人の血が入って良くなったと常識的にそう思ったのである。自分の血液型は変わっていてそんなに同じ血液型がないと言われた。だから血液が貴重だったのである。自分は自ら輸血したことはない、体が弱いこともあり親戚の人が手術するとき輸血してほしいといってもしなかった。若いときでも何か自分が体一時かなり無理して衰弱していたのである。その後今まで生きられたのは無理をしなかった一語につきる。楽な生活がつづいたからである。無理して栄養不足になったりした人はみな早く死んでいる。戦前までは長生きしていないのはそのためである。栄養をとり無理しなければ病気にならなければ長生きするのである。


自分は輸血されて単純に思ったことは他人の血で元気になり生きられるということであった。だからその血を提供した人に感謝せねばならぬと思った。病気ではだから他人の臓器でもそれでその人が生きられるとしたら他人に感謝する。自分は他人のおかげでいきられるとなる。そもそも人間は様々なことで他人の犠牲やら奉仕やら何やらでじかに感じなくても生かされているのだ。そして人間だけではない、様々なもの肉食をしているから動物の犠牲の上に命がある。だから本当はニワトリでも自らしめて殺して食べればこれは動物の犠牲の上に生きているのだと実感する。そういう過程が文明では省かれたから命の尊さのようなものがわからなくなった。人間は他者であれ動物であれ犠牲があって生かされているのだ。だから他人の血でもそれで生き延びたとなれば感謝することが当然でありそれを医者に訴えるのはカルトだからである。

カルト宗教団体は常識が通じないのである。輸血されるのが嫌ならば医者にかからなければいいのである。医者側にとってただやっかいなお荷物になるだけなのである。人間は血族とか一族とか血筋とかにこだわるけどそういうものがすべてではないし宗教は逆に血縁と肉なるものから生まれたことを否定している。つまり結婚も否定しているのは肉からではなく霊から生まれることが肉より大事とするからである。兄弟となるのは肉とは血縁とは関係ない、愛し合うものが兄弟なのである。だから誰彼の血だとか他人の血だとかこだわるのはまさにそうした血にこだわっている。別に助けてくれるならどんな人の血でもいいのである。その血にこだわるこことは肉にこだわっている証拠である。いづれにしろカルトには何を言っても通じない、盲目の国である。集団で鎧のように身を固めていて異物を入るのを拒むのである。客観的な評価を拒みすぐに宗教の批判は許されないとかなり一千万人が同調して罰当たるの大合掌になり排除されるのでてある。


カルト宗教団体でも宗教を信じる人は信じられない非常識な人もいるし冷酷な人も普通にいるのだ。だからどの宗教を信じていようとその人間をみなければならない、宗教ではわからない、どんな宗教を信じようが悪人はどこにでもいる。悪人が宗教を利用することも普通なのである。それがたいがいのカルトなのである。あの人は宗教信じているからいい人だなどと思わないし信じることもできないのである。むしろ常識を逸脱する人が多いからつきあうこともむずかしいとなるのだ。自分のいたらなさ愚かさから災いをもたらしてもそれが神仏のせいだとか信仰がたりないとかなったり変なのが多いのである。普通に嘘つきも性格の悪い人もいろんな人がいる。おとなしい人もいるからみんなが悪い人とはかぎらないがカルト宗教団体に入ったらすでにその人はその色にそまり常識を逸脱するのである。教祖様に従うというのも異常であり常識を逸脱する。その教祖様自体が欲の塊りのような俗悪なのが多すぎるのだ。だからこそ多くの人が集められるということである。精錬潔白な人はこの世では一番煙たがられ嫌がられるのが普通である。だから団体化した組織化した宗教はすでにこの世の汚れどっぷりとつかったものなのである。

posted by 老鶯 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2012年12月05日

忘れられた川や海への視覚 (津浪で海が意識された-相馬藩の中村へ城の移転の謎-多賀城の近くにも津浪)


忘れられた川や海への視覚

(津浪で海が意識された-相馬藩の中村へ城の移転の謎-多賀城の近くに津浪)


●多賀城跡に吹いた海の風


陸奥のおくゆかしくぞおもほゆる壷の碑外の浜風 西行


多賀城の壺のいしぶみに立って外の浜風を感じることは普通はない、そこが海への視覚が失われたためだった。岩切のことで書いたけど鴎が七北田川にそい飛んできてそのことを俳句にした。そしてそこで冬だったけど海から吹いてくる風を感じたのだ。川をさかのぼって吹いてくる風である。鴎も意外と川をさかのぼって川を道として上流に飛んでくる。多賀城駅の側を流れる砂押川がありそこにも鴎が飛んできたのである。多賀城のあったところの近くにも砂押川が流れていた。これは小さく感じるが古代ならそれなりに広いものだったかもしれない、堤防もないから古代の川は広く流れていたのである。多賀城辺りで今は市街地化してほとんど海を感じられない、完全に都市の景観の中に海は遮られて見えない、まず海を感じることがないのだ。だから多賀城で感じたのはむしろ遠くに見えた蔵王とか泉が岳とか連なるみちのくの冬の山だった。そこにすでに雪の冠雪がありここから大和を奈良を望んだら古代ではどれだけ遠いかと感じた。


冬の山さえぎ遠くは大和かな


こんなふうになる。そこに海の視覚は全く欠落しているのだ。そこでどうして西行が外の浜風を感じたのかと今なら思うだろう。ところが今回の津波でわかったことは海が実際は近く古代は海は近くに望まれていたのだ。多賀城でも海は近い感覚の場所だった。市街地化した建物などがなければ海の風を吹くのを感じられる場所だった。海は江戸時代までは北前船などや塩田を作ったりと生産交通の場であり漁業も盛んだから海は生活と密着していた。縄文時代から海は豊かな漁場であり松島辺りだと貝が大量にとれる住みやすい場所だったのである。東北博物館でもいかに多くの種類の魚をとって暮らしていたかわかる。縄文人が食にまずしいということは一概に言えない。新鮮な魚や貝には恵まれていたのだ。日本自体が縄文時代は海の幸に恵まれていた。今回津波に襲われた所は実際は海の幸が豊富な所であり縄文人がその幸に恵まれて暮らしていたのである。


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●忘れられた海や川の交通


江戸時代までは海や川の交通が大きなものとなっていた。明治になると鉄道になり交通としても忘れられてしまった。陸の交通はいろいろ山などが障害となりむずかしかったから川や海の交通が欠かせなかった。飛鳥でも奈良でも大和川とか大阪の難波の海と通じて交通があった。それは万葉集にも歌として残されている。

泊瀬川 夕渡り来て 我妹子が 家の金門に 近づきにけり


万葉集巻九・1775

と、万葉集にも詠まれている初瀬川だ。
古くは泊瀬川と書くことが多かったが、これは大和川を溯ってきた舟がここで停泊する瀬であったことに由来するのであろう。事実、仏教伝来の地とも言われているこの場所は、大和川を通じ瀬戸内海、ひいては大陸ともつながる交易の地であったと推定されている

後に「つばいち」と呼ばれるようになったこの場所ではあるが、万葉集の時代以前は「つばきいち・つばきち」と呼ばれていたであろうと考えられている。「山辺の道」「上つ道」「泊瀬道」「山田道」「横大道」といった古の主要道が交わる立地に恵まれたこの地は水上交通の要衝であっただけではなく陸上交通の要でもあった。
http://soramitu.net/zakki/?p=543


川の交通は大和川となると難波の海まで通じていたから長距離であった。でも川の交通は短い距離でもあった。むしろ短い距離が多く水駅がもうけられた。水駅は川の駅だった。南相馬市の泉官衙跡、廃跡も新田川と結ぶ運河があったことが発掘でわかった。新田川を利用するとしてもその距離は短い、さらに運河まで作ったというから荷物を運ぶのには川は古代ではどうしても必要だったのだ。泉官衙跡には米などが結構大量に運ばれていたのである。それで神火騒ぎがあったことでもわかる。米などを貯える倉もかなりあったのである。水駅というとき中世にもそれが継がれていた。

岩切で考察したように河原市場があったということでもわかる。舟が湊浜を通じて昔の冠川(かむり)から荷が運ばれていた。海を結ぶのが中世までは川だったのである。交通における海と川の役割は現代になり全く見えなくなっていた。交通が変わり時代が変わるのである。江戸時代は鉄道ができて交通が変わり栄えた港は過去のものとなり歴史を偲ぶだけになってしまったのである。鉄道から車になったらよけいにそうである。川でも海でも交通として死んでしまった。ただ自分は旅をしたとき船旅を相当した。北海道に行くとき必ず太平洋フェリ-で苫小牧に行き北海道を回ったのである。
一日泊まっても北海道に行くには便利だった。船の交通は陸よりずっと便利なのである。もちろん昔の船は今の船とは大違いにしろ危険にしろ船だとかえって便利だから北前船で栄えたのである。


●相馬藩の成立にも船の交通が関係していた


小高から中村へ(戦国武将相馬義胤の転換点) 岡田清一
http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2011/pdf/bk2011no09_01.pdf

をインタ-ネットで読んで面白かった。中村に相馬義胤が城を移動した理由を考察している。小高を根拠としていたが海岸の村上に城を移動して
原町の牛越城に移動したりとしたのはなぜか?それは一つは在地に根を張る一族の権力を弱めるためだったという。その一つの証拠として泉官衙跡があった泉田氏を改易したことにあった。ということはここでは何か湊が古代から中世とかまであり海との交通があった。何らか海との関係が継続していた。桜井古墳も海に近く新田川の川岸にあった。川と海が交わる要所にあったのが桜井古墳だったのである。津波は桜井古墳のすぐ近くまできていた。何か津波を想定していたような場所にあったのである。そもそもなぜ泉官衙跡があんなに海に近い場所にあるのか?それが疑問なのだがやはり何らか海との交通があったのかもしれないととるのが自然になる。そこで古代から開け泉長者とかその継続として泉田氏が勢力をもっていたのである。それでそれをそぐために牛越城を相馬氏が構えた。相馬氏はまだ在地の勢力をまとめるまでにはなっていなかったのである。

それから小高でも塚原とかに湊があり交通があった。

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村上に城を作ろうとしたのは湊があったからともとれる。海への視点があった。海は塩田であり漁業であれ交通であれ古代から重要なものであった。松川浦の宇多の湊は知られていたらしい。磯部も重要な湊の役割があった。南相馬市の鹿島区の海老も今生きている90才の人が言っていた。海老から帆掛船が出ていたとか湊があった。確かにそれは江戸時代である。江戸時代になると新田開発が盛んになるから海側へ干拓して住む土地が広がっていった。だから中世からの湊がありそこに交通があり物資や人が往来するということが想像しにくい、むしろ村が拡大したのは新しい村ができたのは米を作る開拓ができるようになったからである。それで青松白砂の風景ができた。田んぼを塩害から防ぐために防潮林の松林が海岸線に延々と作られたのである。それが今回の津波でほとんどなぎ倒されたことは衝撃だった。400年前にも今回と同じ慶長の大津波があった。その時の被害も大きかったが相馬藩から宮城県の六郷に移住している武士がいた。そこは津波の被害が大きい所だった。相馬の和田で津波の被害にあった農家の人が言っていたが塩害でも米は育っているという、意外と津波でもそれなりに回復して米は作れたから伊達藩ではどうしても江戸に米を売る必要があり津波の後も米作りをしたから相馬藩の人もそこで必要とされたのである。
いづれにしろ海の交通とかは忘れられ安いのである。古代になると特にそうである。みちのくの真野の草原(かやはら)は湊だった、地名だったと自分が解釈したが塩崎の船着とか市庭とかの地名が将にそれを示していたのだ。多賀城でも市街地化しているけど船塚とかあり海が奥まで入りこんでいたし沼も多かった。多賀城下まで砂押川をさかのほって津波がおしよせたのである。歌枕の末の松山が当時の津波と関係していたことがその時有名になったのは今回の津波でも証明された。


相馬藩では中村に城を築いたのは伊達に対抗するためだという説が大方をしめていた。それだけではない内部の時代の変化に適応するためでもあった。もし海の視点があり船の交通のために中村に城を築いたことが一つの要因とするとこれも意外だなと思う。
それは義胤が


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この見聞が影響したというのも面白い。でも宇多の湊は中村城下からは遠い、それでも当時はもっと内陸に海が入っていたのでそうでもなかったかもしれない、ただ海の視覚から中村城を築いたとは地理的には地元の人でも思えない、むしろ背後の山を防御として意識したとか思う。松川浦でも中村城だと遠く感じる。小高はむしろ海が近いし津波が小高駅まできて小高城まても近い距離にあった。不思議なのは慶長の津波の一か月後に中村城が築かれているのだからなんらか津波の影響があり中村城を作った。内部的事情があり津浪があったのだから小高では危険だとなり中村に移動した。

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2012年12月06日

寒烏(カラスには仲間意識がある)


寒烏(カラスには仲間意識がある)


びゅうびゅうと北風唸る仮設にも

寒烏一かたまりや風唸る

十羽ほど枯木に烏黒々と群れて動かじ北風唸る
我が庭の小松をゆらし北風のうなり吹くかな耐えてあれこそ

石の陰なお一輪の岩桐草咲きひそまりて北風唸る

今日の風は木枯らしというものでもなかったのか?嵐の風だったのか?すさましく一日吹いた。
烏が枯木に黒々として十羽くらいとまっている。それがなんとも身にしみるというか何かみんなで黙々と北風に耐えている姿がある。烏には他の鳥とは違って仲間意識がある、仲間意識が感じられる。鴨も仲間といつもいるから仲間意識が感じられる。俳句だと寒烏である。

鷺とか椋鳥とか雀でもそんなに仲間意識は感じられない、群れているのだけど数が多いからかもしれない、烏は数としては十羽くらいがいつも群れているから仲間として適当な数になる。鴨も百羽くらい群れているときあるから多すぎるとなる。烏が一番数として適量だからよけい
仲間として群れる鳥として意識するのである。

仮設もこのくらいの風だとどうなっているのか、風が隙間から吹き込んでくるかもしれないしかなりゆれるかもしれない、仮設もそろそろ二年になる。仮設で暮らした経験も不思議だろう。特に会津とか遠くで暮らした人はどう思っているのか?毎日故郷に家に帰りたくて泣いている年配の女性がいたからそういう人も結構いるきかもしれない、仮設に暮らした人でないとこれまたその気持ちはわかりにくい。

結局原発事故でも骨身にしみたのは住めなくなった警戒区域の人たちである。その人たちは原発の恩恵も一番受けていたのである。共産党で一部反対していたがほとんどの人は反対していない、原発で働いている人が多かった。原発はどこでも金のなる木だったのである。山尾三省はロウソクを使っていたのか、電気がなくてもロウソクでも家族一緒に暮らしたいという人が警戒区域に大熊辺りにいたことでもわかる。そういう人たちは原発事故の被害を骨身にしみて感じた人たちである。自分はそれほど感じないにしても警戒区域に入れないとか風光明媚が自然を鑑賞できないのがもったいないのである。特に浪江は高瀬川などがあったから余計に感じる。5年間も警戒区域で入れないというのが惜しいし理不尽なのである。飯館は別に自由に村の人でなくても出入りできるからいいのである。

小高の人でも帰りたくないというとき隣の浪江が警戒区域で荒れているからその影響を受けるから嫌だという。浪江は街が放棄され自然状態にもどっている。荒れ放題になっているのだ。その影響を隣であれはうける。すぐ隣がそんな状態では嫌だというのわかる。東京のような都会だったら美しい自然を失うということはない、でも田舎だったら美しい国土が汚染され失うのである。その罪は重いのだ。東京のような都会が大事にされるのは美しい自然があるからではない、自然は消失しているのだから自然がなくなるということもないのだ。だから本当は原発は東京に作るべきだったのだ。
今回の津浪でも東京だったら事故にもならなっかたかもしれない、津浪の被害はなかったろう。

原発を東京に作れと主張して本を出していた人がいた。でもそれは冗談かSFの世界の小説のようにされてしまって注目されなかった。それは注目されないように東電や政府で情報を操作していたのだ。書店も出版社も実際は巨大な権力に操作されている場所なのである。確かにそういう本が出版されても誰もそんなもの注目しない、戯れ言のようにみられていたのである。それはそのように操作されていたのである。戦争でも日本軍が勝った勝ったとばかり報道していれば勝っていると思っていると同じである。情報は必ず権力によって操作されてしむけられているものなのである。


今日も家事に追われて一日が終わる。湯豆腐は簡単である。豆ご飯も簡単に作れた。少しでもこうして料理ができるようになると楽である。料理は手間がかかりすぎるのだ。だから簡単なものしか作れないのである。

 

美の結晶 (パソコンの抽象画は化学実験ににている?)


美の結晶

(パソコンの抽象画は化学実験ににている?)

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美の結晶

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女性の接近

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脳の内部(女性的なもの男性的なもの)




パソコンのソフトの抽象画作りは化学実験とにている。つまりどういうものを描こうとしているのではない、偶然の作用でなったものに意味を与えているのだ。具象画だったらこんなことはない、描く対象がありどういうものを描くかを事前に見ていて描いている。
抽象画はただ化学実験のようにパソコンのソフトで加工しているだけである。機械的にしているのであり何か創造的なものをしている感じがしない、ただ偶然に変化したものがこれは何かににているとなって題をつける。


美の結晶というときまさに火山の中でダイヤモンドが生成して結晶する感じになる。
人間は必ず芸術を追求していれば晩年にはその追求したものが何でも結晶してくる。
若くても死ぬとなると芸術はやはり結晶した表現になる。啄木などがそうである。
一般的には晩年まで待つほかない、そこで今まで貯えていたものがダイヤモンドのように結晶してくる。


つまりダイヤモンドのように結晶するにはいろいろな経験をししていろいろな要素が混成して化学実験のように新しい物質が生み出されるのとにている。ただそこに不純なものが交じると結晶するのはむずかしい。やはり芸術として結晶しないのは何か追求する過程で不純なものが交じったためである。それは商業主義と名利とか何か芸術そのものより別なものを求めたためだろう。
そういう人が多いのである。


ともかく晩年になるとつまらない知識すら活かされてゆく、無駄なものが何一つなくなる。それが文章で絵でも何でも結晶してくる。旅でも経験したものが全部ダイヤモンドなどになる結晶作用してくる。脳というもの明かに生まれつきものではない、体さえ習慣として作られてゆくように脳も作られてゆくのだ。能力は開発しない限り発揮できない、天才は別にして能力も脳も一生の間に作られてゆくのだ。だから不純物が入ると脳は乱れ結晶できなくなるのだ。それは能力あるなしにそうなのである。人間は確かに素質はあっても習慣によって作られてゆくものなのである。

若いときからの積み重ねで晩年の脳も作られてゆくのだ。学者だってそうした知識の積み重ねの結果として論文も書ける。それはあらゆる分野でそうである。どんな人間でも一分野を追求していれば詳しくなれるということである。


 

2012年12月07日

津浪の後の冬景色(原町まで自転車で行く)


津浪の後の冬景色(原町まで自転車で行く)


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津浪でこのようになった
この景色がどれだけ美しいものだったのか
八沢浦も一時海になった
古代の風景がこうだったら
やはり真野の草原は面影にして見えるほど美しいともなる
朝日が上り陽の光がさしてきらいらかがやいたらどれだけ美しいか?
死んだ人がいるんだからそんなこと言うなと言われるが
やはり美しいものは美しいのであり感嘆するのである


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寒烏十羽一団風唸る

風受けて自転車に行く冬の草
六号線の途切れ道の駅時雨かな
みちのくの枯野の果てや沖に船
凍雲の動かず介護つづくかな
鍋こがし師走の地震また騒ぐ


津浪跡冬の夕日に残る松あわれなるかな沖に船見ゆ

塩崎津浪来たりぬ船着の名のある古代冬の陽没りぬ
静かなる冬の林にかすかにも小鳥の鳴きつ飛びわたるかも

静かなる枯木林に凍雲のたなびき動かず日の暮れにけり

烏は川にあんなにいるのは鮭が上っているせいである。鮭の死骸も食べている。なんか雀は減っている感じがする。冬もあまりみかけない、問題は動物は何を餌にしているかである。

雀の餌
よくスズメの成鳥は、お米や野菜なんかを食べに来ますが、本には、「野生のスズメのヒナは、親スズメからクモや幼虫など、動物質のエサをもらっているので、家庭で育てるときも最初は動物質のエサを与える」と書いてあります。クモや幼虫やハエや蚊、等だそうです。少しならしたら、すりエサ(水に浸したムキアワ、ボレー粉、水、水菜をドロドロにさせた物)をあげるそうです


烏の餌


・肉類と脂類が好物で、時には生きている獲物を襲うこともある。
・天敵がいないために産んだ卵が全て孵りますます増える結果となっています。
・小動物 植物 果実や農作物 樹木などの種など、農耕地に多く生息する。
・ハシボソカラスが農作物を比較的多く食べ、
ハシブトガラスが本来であれば樹木の種や森の小動物 昆虫を多く食べます。




この辺の植物とか動物の生態は変わってしまった。田んぼがないことが生態を変えたのである。田んぼには水生昆虫とか蛙とかがいたから鷺がそれらを餌にしていた。ところが夏にそれらがいなくなったから鷺がいなくなった。でも川に餌があるから鷺がいた。最近になって鷺が増えたのは鮭が多く上ってきてそこに集まっていた。今日は小さな川なのだけど鷺が集まっていた。ただあんな小さな川に鮭が上ってきているのか不思議であるが原町でも上ってきていたからなんか小さな川からも鮭が上ってきている。雀がへったのは米や野菜がないからかもしれない、でも昆虫類も食べるとすればまだ昆虫は森とかにいる。冬の森であかげらが盛んに木をたたく音がひびいていた。アカゲラは大量の虫を木をつついてほりだして食べていたのである。森閑とした森でもアカゲラにとっては忙しかったのである。そこは岩手県の小岩井牧場であり一面の雪におおわれていた。この辺ではアカゲラが一回くらいみてもなかなか見れない、


近くに森がありそこを原町まで自転車で行く、電動自転車だから坂をのぼりやすい、自転車にのっているとやはり自然を感じるからいいのだ。今日はそれほど寒くないみたいだった。風もそれほどでなかった。この辺は北風がこれから吹く、相馬の空っ風とかなる。冬の草というとき刈田になっていないから草が生えているのだ。刈田だったら草が生えないのである。
電動自転車は風にも強いから頼みになる。結局風流を感じるにはまさに風の流れを感じるのだから車ではもう風流もない、今日は時雨もあった。時雨は太陽が出ているとき日がさしているときぱらぱらとふるのが時雨である。一面に曇った時の雨は時雨ではない、それから森には凍雲が動かずたなびいていた。この凍雲はほとんど寝たきりの母とにている。介護も今は実際は相当長くつづくのだ。

人間は今は簡単に死なない、なぜならエアコンをしたり栄養あるものをそれなりに食べさせたり介護が手厚ければ簡単に死なないのだ。それで介護が長くなり余計に金もかかる。電気代もかかる。

これが病院に入院した人もそうである。南相馬市立病院は事務で金の請求があって払いにいったら半分に縮小していた。なんか病院でも淋しいとなる。自分がかかった医者はやめたのかもしれない、名前がなく福島医大の先生となっていたからだ。医者はどこでもひっぱりだこでありこうなると楽じゃないから勤めたくないということがある。勤務医は移動しやすい、両親などいなければ移動しやすいのである。開業医はその土地で暮らすから土着的になると書いた。看護師でも土着的でないと一時的に来ても仕事とならないから困る。ただその土地に何か特別愛着がないと定着しないだろう。

70才くらいの産婦人科の開業医が最後のミッションだとこの土地でがんばっていたのはそれだけ長く医者をしていたからである。つまり仕事でもその土地に長くいることで土着的になったときその土地に愛着をもつのである。一般的にその土地に長くいると愛着を覚えてくる。長くいると人間はやはり生物なのだから石や樹のようになると何度も書いてきたけどそれが自然なのである。別に特別愛着がないにしろ自然とそうなってしまうのである。だから老人が長年親しんだ土地を離れるのは一番辛いことだったかもしれないのだ。


今日は大きな地震で怖かった。1メ-トルだというとき何だとみんな思っただろう。1メ-トルでは避難する気にもなれないだろう。いくら津浪を経験してもそうである。あの時は最初、6メ-トルというときやはり驚いた。1メ-トルでも実際は3メ-トルにもなるかもしれないと警告していた。6メ-トルでも10メ-トルくらいを予想しなければならなかった。10メ-トルとなったらこれは瞬間的にも驚く、6メ-トルと10メ-トルの差が大きかったのである。これで味噌汁を作るために火をかけていたのが忘れて鍋を焦がしてしまい使えなくなった。台所が食事するところと離れているから困るのである。

食事の用意をするとなると台所が近くないとやりずらいのだ。それで運んだり手間がかかっている。料理は結構手間なのである。勤めている独身の男性でも帰って料理するのがめんどうだというのがわかる。疲れているのにまた帰って料理するのでは休めないのである。ともかくここ五年間は何か自分は何かに絶えず追われているのだ。介護であり最悪の自然災害であり原発事故とかおさまらないのである。ただ病気のことが一応手術で一段落したので余裕ができたのである。自分が病気だったらこんな状態だったら火の車になってしまう。現実そういう日々がつづいていたのである。

 


 

津浪の高さ1メ-トルか、それにしては大騒ぎ? (人間は何を信用すればいいのか?)

 

津浪の高さ1メ-トルか、それにしては大騒ぎ?

(人間は何を信用すればいいのか?)


●1メ-トルという数字にこだわる人間の心理


今日の地震は怖かった。揺れが長いし何か不安になった。すぐに津波警報がでた。南相馬市でも津浪注意報で高台に逃げてくださいと家のそなえつけのスピ-カ-から何度もアナウンスされた。その場所まで指定された。注意報でそれほどまでするのかと思った。海岸とか川には近づかないのがいいがそこまで避難せねばならないのかとなるとやりすぎではとも思った。やりすぎでもやはり地震が大きいからしかたないという意見も多かった。北海道から関東まで広範囲の地震だった。師走に日本列島が震えた。やはり自分の場合ガスに火をつけて味噌汁を作っていたがテレビで盛んに警告していたので火をつけていたのを忘れ鍋をこがし使いなくした。台所が離れているから別に地震でなくても忘れることがある。火はこうして地震のとき消せないことが多いのだ。特にガスは危ないとなる。


1メ-トルの津浪とNHKで盛んに言ったし現実に鮎川に一メ-トルの津浪が来たというしそれ以上のものが来るとも言った。でも一メ-トルだと恐怖感がまるでないのだ。3・11の津浪は6メ-トルだった。こんな数字を見たことがない、たいがい一メ-トルくらいで一メ-トル以下のが何十センチが多かった。6メ-トルは瞬間的に高いと思ったがそれでも反応しない人が多かったのである。6メ-トルは10メ-トルでもあったし実際は20メ-トルだったのである。なぜ反応できなかったのか?一メ-トルだったらわかる、6メ-トルは瞬間的にしても恐ろしく高い数字だったのである。なぜかわからないが津浪の数字など出さない方がいい、早く逃げろと言った方がいいとかいう人がいた。人間はなぜこういうとき数字にこだわるのだろう。文明とは基本的に数字から成り立っている。何でも数字で判断するのが習慣となっている。統計的にも常に数字が文明の言葉にすらなっているのだ。これが江戸時代やまして縄文時代とかなれば数字では判断しない、数字の魔術がありそれで見えるものも見えなくなっているのかもしれないのだ。


●数字の魔術に注意


例えば病気になってから新聞の死亡蘭を毎日見るようになった。そこで必ず50才でも60代でも死んでいる。一割は死んでいる。高齢化なのにこんなに死ぬのかと不安になるのだ。統計を見ると例えは65まで生きる人はすでに15パ-セントは死んでいるのだ。65までいきられなかったのである。
これが百人の15パ-セントは15人死んでいるのことなのだ。同級生で50人クラスだと6人くらい死んでいる。それだとたいした数ではない、でも百人になると15人でありこれが千人になると150人であり
百万人になると15万人死んでいるのだ。ええ、15万人も65になるまで生きられず死んだのかと驚くのだ。ここに数字の魔術がある。数字だけで判断すると何か具体的なものとかけ離れる場合があるのだ。現代文明は数字だけを追っている傾向がある。遂に人間は数にすぎないと文明批判した人もいる。個性はなく名前もなく数にすぎないとなる。現実的に文明はそうなって人間存在が希薄している。
名前すらなく数にすぎないとされる。選挙などもそうである。一票もしょせん数であり数で決まるとなり人間は一票の数にすぎない、それだけの価値しかないとなる。だから創価などでは選挙の一票としてしか人間を見ていない、どうしたら数を集めるしか頭にない、一票に結びつけばそれだけ権力をもつことができるからだ。それはどこの団体でもそうである。数を集めたものが民主主義では権力をもつことになるからだ。政治は金と数だと田中首相が言ったがそれが現実なのだ。


ただこの数字で何でも判断すると津浪さえ何かその魔術にひっかかり誤ることがあるのだ。1メ-トルというとき人間は不思議に1メ-トルにこだわる。やけに数字にこだわる。数字で判断するのだ。もし数字が出なければまた判断は違ってくるのだ。だからかえって数字を出すなという意見もあった。
6メ-トルでなくて最初に10メ-トルだとかなりのインパクトがあった。6メ-トルと出したことでそれでも避難しない人が多く死につながったのである。数字が生死を分けたことに驚いたのである。
津浪とか地震とかは数字で計れないものかもしれない、体感が大事だということもある。
機械に頼り機械の数字で地震の強度を判定して放送して失敗したという報告もあった。
体感的には3・11の地震は数字で計れずあとでマグニチャ-ド9にしたのである。
つまり体感ではなく機械を頼り数字を頼ることは一面危機に対して判断を誤ることがある。
かえって直観的な感にたよることが助かる場合があるのだ。その感が今や機械化で衰退した。
だから機械に頼り数字に頼り放送に頼りとそういうものに頼り自分の感に頼ることをしないことが危険になる。海外旅行では若者は有利である。言葉を知らなくても平気でどこでも行けるのは若者は環境にすぐに同化して外国人でも友達になりやすいとか一番有利なのはその場その場で感が働くのである。自分は50才で海外旅行だから全く感が働かないからひどいめにあった。だからもう海外旅行には行きたくないとなる。


いづれにしろ今回の地震は体感的には大きく感じたから怖かったのだ。実際に広範囲でありだからこそあれだけ警戒したのもNHKを責めることはできないとなった。揺れが震度5でもマグニチュ-ドや体感からすると大きな怖いものを感じたのである。だからこのくらいだと津浪が襲ってくると普通に判断できるし逃げるのが無難だともなったのである。ただ一メ-トルにこだわるのは危険だともなる。
今回はそうでも次はそうでもないからだ。ただ震源地が遠いから津浪もたいしたことがなかった。
3・11は近くて大きかったのである。


●高さ一メ-トルで百パ-セント死ぬの疑問


理論上では、高さ1メートルの津波にのまれると死亡率は100%。台風や大雨と違い、横から押し寄せるエネルギーで身動きが取れなくなるためだ。

中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/earthquake/sonae/20120917/CK2012091702000033.html


これって本当なの?波の圧力が一方向じゃないのが津浪なのか?一メ-トルでも圧力が違っているのか?津浪はわかりにくい、引き波で一メ-トルでもひきずりこまれるということも怖いのだ。
でも1メ-トルでそんなに怖いの?これも疑問なんだよな、1メ-トルでは逃げないだろう。
でも一メ-トルの意味は体一メ-トルにひたることだと思う。身長が1メ-トル70センチでも一メ-トルだったら半分以上水にひたるから怖い、でも体に一メ-トル水がひたるとは書いていないのだ。
つまり津浪の高さが1メ-トルとはどこから一メ-トルなのか書かれていないのだ。
体が一メ-トルひたれば怖いが普通はそうならない、どこの水面から1メ-トルなのかが問題である。
だからこういう記事も良く自分で想像してみないと誤り安いのだ。


テレビでもそうだが新聞の記事でも瞬間的に見出しからすべてを判断してしまうのである。
だからテレビの報道は常に瞬間的に判断を強いられるから危険である。
犯罪でも一旦報道されただけでその報道されたことですでに犯罪人扱いされるし悪い印象をもち消せなくなるのだ。人間はやはり想像力が大事なんだけどテレビとか個々人の想像力が入る隙間がないのである。一方的に瞬間的に決められてしまうから判断を誤るのである。テレビ局によって判断されるのであり個々の人間の判断力は全く無視されるのである。

中日新聞でも津浪の高さが1メ-トルで百パ-セント死ぬというとき一瞬驚くけど中日新聞社だから一応新聞社だから信用することがある。それは科学的に確かでもその意味は違っているのだ。でもこれも瞬間的にすりこまれて恐怖になるのだ。そういうことが報道には非常に多いのである。

今や人間の信用するのがマスメデアとかにあった。NHKは一番信用されているからその影響が大きくなりすぎたのである。そこに落とし穴もあった。原発事故などでも全くみんなマスコミを信用していたからそうなった。誰も原発が危険だなどと放送しない、東電やら電事連やら多額の宣伝費が入っていたからである。それでも今はマスメデアをみんな信じているから影響が大きいのである。
批判した本がでていてもそれはSF的な冗談のような扱いにされていたしそういうふうにしむけられていたのである。

何を信用するかとなると誰も個人的なプログとか2ちゃんねるとか信じる度合いは極端に低いのである。プログなどは別に宣伝費などもらっていないのだからかえって信用すべきものがあるかもしれないが信用されない、匿名だということも信用されない、とすると信用されるのにはどうするのかということも大事になる。インタ-ネットが信用できないのはやはり匿名だということがあるのだ。例え信用したくてもそれで信用できないということがある。名なしの人や誰かわからなん人は信用されなくても当然だからである。そこにインタ-ネットの問題があったのである。


そんな中、「地震で家が崩れ外に出られない、救助を呼んでくれ」という 
「デマツイート」が急激に拡散され、朝日新聞社会部のアカウントも釣られる事態となった。 

このユーザーあてに「大丈夫?」「寒いですし、大変ですが耐えてください いつか救助が必ずきます」など 心配のコメントが寄せられた。また、朝日新聞社会部のアカウントからも「朝日新聞社会部です。
場所はどちらですか?DMなどでもいいのでお知らせいただけますか?」との返信があった。

http://www.j-cast.com/2012/12/07157349.html

これも匿名だし身元が特定できないからこういう問題が起きる。
こうした緊急の場合とかはインタ-ネットは役に立たない、信用できない面がある。
ただ速報性に優れているから緊急の場合役立つのだ。
テレビ以上に速報性はあるのだ。
今何が起きているから知らせることができるのだ。
問題は信用できないことなのである。
緊急の場合は疑っていて遅れたら死んでしまうから困るのだ。
この場合もそう思った人がいたのである。

朝日新聞もだまされたんだな、今やそれだけインタ-ネットは広がっている
社会化しているんだから責任もでてきているんだよ
便利なもんだから庶民にも役に立つけど信用できないんだよな
マスメデアも無視できなくなっているんだよ

posted by 老鶯 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2012年12月08日

冬の灯(五つの部屋を使い冬籠もり)


冬の灯(五つの部屋を使い冬籠もり)


冬日さし木により入る喫茶店

橲原(じさばら)に冬の灯ともる立目石
冬の灯や長くも住みし里の家
同じ場所家の変わらず冬灯かな
風唸り家々黙し冬灯かな
部屋五つつ行き来し仕事冬籠もる


冬はやはり灯火が恋しいというかしみるとなる。冬はやはり家でじっとしているのがにあっている。だから冬の灯がともっているのがなんともいいのである。橲原には立目石がありあそこの近くに新しい家がたった。でもあの石を意識する。石と共にあるのだ。田舎がいいのは静かなことである。

最近木枯らしが何度も吹いてそのあとにさらに静まってゆく。長く住んでいるのが田舎でありその冬の灯がなんともいいのである。ただ仮設はやはり冬の灯がにあともいえない、一時的なものだからである。だから安定していないのだ。年になると何度もいうけど変わらない安定した定着志向になる。この辺は変わりすぎたのである。だから落ち着く場所が家がないということは老後はいいものではない。老後に必要なのは安らげる家になるのだ。もちろんそこにともに暮らせる人がいればいいのだけど人も大事だけど家も大事なのだ。なぜなら家にいることが長くなるからである。自分は家には恵まれている。居間から台所から介護の部屋から書斎からパソコンある部屋が二部屋とか寝室が八畳とかまだ空いた部屋がある。その部屋を行き来しているだけで一日が終わるのだ。家事は結構手間なのである。


家が狭いとやはり思索が仕事というか知的な仕事の人には向いていない、ぜいたくはいえないのだが思索するには家にゆとりがある方がいい、アパ-トのような所ではゆっくり書き物もできないだろう。あっちこっち家の中を行き来していることが気晴らしになるのである。一カ所に狭いところに閉じ込められると閉塞感があり嫌になる。この家築40年過ぎても利用されていなかった。一人死んで自分が十分に利用するようになったのである。冬は特に家が大事である。寒さを防ぐ風を防ぐ暖房できる家が大事になるのだ。仮設ではすきま風とか入りこんで長い冬を過ごすのも嫌になるだろう。

田舎ではたいがい大きな家に住んでいたからである。

枯木に冬日がさして喫茶店に入り休むとかそこにたのは年配の人だったとかなる。冬を味わうのは老人に向いているのである。冬の味わいはまた深いのである。そこでどうしても安らぐ家が必要なのである。冬は家の中にいるのが向いているのだ。過去を思い出すのにもいいし読書するのにもいいのである。


抽象画は本当に我ながら作っていて不思議である。今回の丁度提灯のようになものを明かりにしたものが元になっていた。でももうそれが元の絵だということは誰もわからない、だから著作権違反にはならないのだ。証明しようがないしむしろ創作したとなる。冬の灯がこの抽象画からはイメ-ジできた。行灯の灯でありそういうイメ-ジが広がってくる。

抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱) (インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)

 


抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱)

(インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)

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冬の行灯

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マンションの灯

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都会の灯


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地下の柱

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神殿の柱


抽象画は本当に我ながら不思議である。この抽象画の元になったのは独特の明かりを作っている所であった。インタ-ネットにはそうした抽象画の元になる写真やら絵やらいろいろなものをでている。
抽象画の元は自分で作る必要がないんインタ-ネットで探せるのである。これ面白いからと加工してみるとこれはなんなのだとかなりそれに題名をつける。意味を与えるのだ。


冬の行灯というとき確かに江戸時代の暗さは今とはまるで違っていた。行灯に向かっているだけでそこから感じるものは相当に違ったものになる。何かそこには想像力が刺激される。何かそこには人の顔まで浮かんでくる。暗いが故に想像力が刺激される。あまりに明るい空間は想像力が刺激されないのだ。



清水清太郎 元治元年12・25 賜死 享年22 
長州藩家老
家老として急進派志士たちと国事に奔走。
幽閉中の詩


「世のことは絶えてをぐらき山里にこころつくしの夜半のともし火」


塀の町-萩の不思議
http://www.musubu.jp/jijimandai8.htm



このう歌はまさに行灯であった。世の中から遠い山里に灯がともっていることが何とも心にしみるのだ。その頃どれだけ暗い世界だったか、それも山里ならなおさらである。全く真っ暗闇の中にともる灯である。これは冬にふさわしいのだ。これは志士の短歌とは思えない、22才でこれだけのものを作れたことに驚く。22才で死んだのも惜しい。長く生きていれば相当な秀作の短歌を作っていた。
この人の記憶されるのはこの一首だけかもしれない、志士でも数が多い相当数混乱の中で死んでいるから記憶される人は少ないのである。 ともかく今回の抽象画は予想外のものだった。柱もそうだった。それは全くの偶然そのものであり予期しないものだった。

2012年12月09日

冬薔薇に雪ふる(終の棲家はどこに、末期の眼で見る世界)



冬薔薇に雪ふる

(終の棲家はどこに、末期の眼で見る世界)


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冬薔薇でこんなに咲いているのはめずらしい




冬薔薇二輪定めとここに散る

冬薔薇塵もつかずに雪のふる
冬薔薇誰が見つめつつ死ぬるかな


白鳥の鳴きつつ飛びぬ列なして命のかぎり雪ふるなかを

雪ふりぬ山の彼方は飯館や仮設に住みて一年過ぎむ

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この雪のかなたは飯館村である

人間は終の棲家が意外と大事かもしれない、別にそれは故郷でなくてもいい、自分の死に場所はやはり因縁の場所なのだろう。山尾三省は屋久島に死に場所を求めたのである。原郷を求めてそこを死に場所と定めたから別に極端な貧乏でも良かった。人間は最後に何を求めるのか?たいがい何にもいらないという、金をもっていてもいらないという。でもなぜか認知症になっても異常に金にこだわる。あれも業だったのだろ。人間は今や金が一番大事なものとして生きてきたのだから死ぬ間際でも金のことを忘れない、ところがその金すら銀行からおろせなくなったのだから信じられなかった。人間がそんなふうになることが信じられなかった。だから認知症ほど悲惨な病気はない、人間は最後に悪魔にもてあそばれた感じがした酷い病気だったのである。ただこれは人によるのかもわからない、あれほどまた金にこだわってきた人、一円も無駄に使わずためていた人が金のことはわからないとけろっとしているのも不思議である。これもなんなのかわからない、認知症は相当にその人の性格によって違ったものになる。ただ死ぬ前に必ず人はどんな人も認知症になりやすい、正気を失いやすいのである。


なんか人間はもう還暦すぎると一日一日が死んでゆく感じになる。ああ、ここで死んでゆくんだなと日々思うようになるのだ。その時最後に見つめるものは何なのか、誰なのかとかまでなってくる。
死んでゆく心境は特別なものなのである。自分が病気になってそういうことを感じた。その時回りに自分を心から思ってくれる人は一人もいなかった。ただ金を求めるものしかいない、現実に金だけ奪われた。家族いないとそうなるし今や家族でも財産があれば財産目当てになるのだ。自分の場合はあまりにも露骨すぎたのである。こいつ死んだら財産残すから自分のものになる、そういうことを言わなくてもあからさまに見えたのである。もちろん看護師も医者も病気をみてもその人は見ないのである。


しかし人間は死んでゆくとき普通とは違う、末期の眼で見るとき当たり前の景色も人も別なものになっている。特別なものになってゆく、その時いかに浪費したいた時を惜しむか?もうこの景色も人も見るのも終わりだというときどんな人でも特別なものとしてこの世を見るのである。もうこの世で人とも二度と会うこともないしまたこの世の景色も見ることもないのだ。そういう日が日々迫っているし現実的になっている。

原町の産婦人科の医者が言っていたよように最後のミッションを果たしてここで死ぬというのもそうである。それがまさに土着的であり人間の仕事として全うすることになる。一方若い勤務医の医者は土着的でないから移っている人がいる。看護師でもそうである。土着的ではない使命感がもてないから移ってしまうのである。

ここがかけがえないの場所で死に場所だというとき人間は仕事も真剣になるだろう。そういうときいろいろなものを欲望を満たすために求めないかもしれない、ただここに生きここで死ぬ、ともに働き住んだ人と死ぬとかなるだろう。最後にみんなそうなってゆく。だから100才近い人がもう移動できない、墓場で死にますと自殺したのも自然だったかもしれない、とてもその年になったら移動などできないのである。だから原発事故の悲劇は終の棲家を奪われたことであったかもしれないのだ。80才くらいの女性が家に帰れなくて毎日泣いているというのは本当だろう。
そのくらいの年になると住み慣れた土地を離れることがそれほど辛いということなのだ。

俳句としては冬薔薇が一輪散るのと二輪散るのは違っている。写生で二輪になった。二輪というとき二人でもある。自然の自分でも人間を現していることがあるのだ。

白鳥でも渡りの時は命懸けで飛ぶ、これはちょっと大げさかもしれないが、いづれそうなる。
西行の最後の旅がそうだった。

年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり 小夜の中山 

この小夜の中山がどこになるのか、定着しても小夜の中山はありうるのだ。終の棲家は小夜の中山になるのだ。

ともかくは今日はさらに冬らしくなった。白鳥も十羽くらい雪の中をとんだ。近くの川にいつも来るがあそこは工事中だったし水もかれて今年は来ないから別な所に移動したのだろう。
今日は寒いから本当に冬らしい冬になった。

2012年12月11日

冬紅葉(相馬六万石の城跡)


冬紅葉(相馬六万石の城跡)

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ここに生く冬菜に雪のしみるかな
まちば橋北風うなり日も暮れむ
北風(きた)唸る昔の祈り薬師堂
誰がたずぬ相馬藩六万石や冬紅葉
午後静か城跡に散る冬紅葉
午後静か野面積みや冬紅葉
長々と田町通りの冬柳

手水鉢に木の葉沈みぬ97才母なお生きて我が介護する

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昨日は寒かった。この辺でいいのは気候である。寒からず暑からずなのが良かった。雪もふらない、まず会津のような日本海の方には雪になるから住みたくない、岩手の方になるとまた寒いから住みたくない、ここでいいのは気候なのである。体が弱いと気候は相当影響する。夏だって今は西や南は37度かなるともう耐えられないだろう。会津のように雪だったら買い物すら大変になる。
何か買い物が毎日あり多すぎるのだ。要するに家事は機械化と外食などでその分金がかかるようになっている。自分でやれば人手があればこんなに金はかからない、変なのは農家だって機械貧乏であり機械のために農業を放棄した人はかなりいる。もし昔のように人の手を借りていればそうはならなかった。田植えでも稲刈りでもみんな村の総出でで助け合いやっていた。それが機械に頼るとなるとそういう協力もなくなってしまう。そういう矛盾が常に人間社会にはあった。


冬菜に雪がふりとけてしみこんでゆく、まさにそれはここで生きるということにつながっている。
冬菜があるということはここでこの地のものをとって生きるという象徴なのである。ただこれも今はほとんど野菜でも外部から入ってくるのが多いからまた買うということで金がかかる。今やこの辺はすべて金で外部から買うほかなくなっている。だから農業がなくなったとき一体田舎の意味があるんだろうかとも思う。確かに補償されているから食うには困らないけど山尾三省が求めた生きる意味が喪失してしまうのではないかと思う。それも結果的には彼が言っているようにそもそも農家の人はそんな生きる意義や意味などを求めていないから原発事故にもなったのである。


日立木のまちば橋は意外と目立たない、でも昔は車がなかったら相馬市内までも江戸時代ならさらに遠かったかもしれない、町場というときまさにそこが町場でありそこで用をたすほかなかった。
病気になっても薬師堂に祈る他術はないから村の中心にどこでも薬師堂があった。昔の村というとき今の村とは相当違ったものである。今は村の人もみんなス-パ-に車で買い物に行っているのだから村が一つの自給自足の小宇宙みたくなっているのとは余りにも違っているのだ。だから常に金が大事になりどこでも金が支配するようになったのである。


何人か城跡をたずねる人がいたがここが城だったということはわかりにくい、マニアであいとわかりにくい、ただ野面積み(のずらづみ)の石垣くらいがその跡を留めている。今日は冬紅葉がにあう城跡を散策した。歴史的な所も一回くらい行ったくらいではわかりにくい、また旅しても忘れやすいのである。歴史的なことはわかりにくいのだ。相馬藩だったらここが六万石だとかくらいしかわからないだろう。ずいぶん少ないなとかなる。ともかく日立木から松並木の街道は昔を偲べる道である。

この街道も実際は江戸まで通じているとき生きていたのだ。それが原発事故で断たれたから道は切れてしまった。相馬市でも通りで家を壊しているのが多かった。もともとシャッタ-通りになっているのだからどうしてももうやっていけないとなり今は壊すのが無料だからこのさいと壊しているのが多いのだと思う。街中に空き地が増えているのも淋しい。どうもあの小さな古本屋も壊された。もうあれは趣味か何かでやっていたのだろう。郷土関係のものがあり買っていたがもうあんなので成り立ちようがない、本屋とかもやがて消えてしまうのだろうか?本屋ももうアマゾンで買うという時代になっている。本の世界は実際はベストセラ-とかには向いていない世界だった。
例えば歴史関係だったら郷土史関係とかでもそれに関するものを集めることが調べている人には役に立つ、伊達政宗関係などの本が必ず必要になってくるのだ。そういうものもアマゾンで買って集めている。


手水鉢に赤茶けた木の葉が沈んでいた。それが自分の母のように見えたのだ。97でまだ生きている不思議がある。でも例え寝ていても人間は食べるしエアコンを一日ししているからかなりの電気もくう。人間は生きている限りエネルギ-を消費する、自分は去年も今年もエアコンは使わない、でも暖房にヒ-タ-などを使っているから電気を使っているのだ。いくらなんでも薪を使うわけにはいかないしそういうことはかえって金がかかる、そういうことは現代では電気のシステム化しているから普通はできないのである。だからお前は江戸時代に帰り山の中で暮らせいうときできない、山尾三省はそれをあえてした。電気を使っていないのかもしれない、ロウソク使っていたとかあり暖房の囲炉裏の火だったのである。そういう生活に意義を見いだして生を味わい死んでいった。この差が極端だからなじめないのだが何か原発事故の警鐘として彼は自らの生活で示したことが他と違っていたのだ。
そういう人がこの辺の身近にいたらあいつは何なのだとなり相手にもされないし敵対的なものとなり住めなくなったかもしれない、なぜなら絶えず不思議なことに原子力発電を否定する、抵抗する生き方をしていた。そこまで原発事故が起こる前にしていた人がいたことが不思議だとなる。

原発の是非は文明そのものの問題だった (道具を作る、機械を作るものに支配されてきた文明)


原発の是非は文明そのものの問題だった

(道具を作る、機械を作るものに支配されてきた文明)


●機械に頼る生活が日本の農業を破壊した


機械に頼る生活というのはそもそも人間の歴史では人間が誕生した時代からはじまっている。だからこそホモファ-ベルと道具を使うのが人間の定義とされた。道具は石器からはじまりそれが一万年つづいたとかいわれる。道具を使うのは人間だけだった。その単純な石器から今の巨大な複雑な機械に発展したのだから機械のル-ツは簡単な石器だったのである。つまり現代の文明も道具の文明であり機械の文明であることはすでに石器を使いはじめたとき現代の文明を予想できたかもしれない、道具を使いなかったら人間はとても石器がなかったら動物に対抗できないから滅びていた。道具を発明することによって人間は人間になったということは納得がいく、自分で毎日家事していると例えばリンゴをすって汁にするとか大根オロシを手ですって作るのが手間になり嫌になるのだ。だから家事でも機械化したいのである。だから家事も電化製品で機械化された。昔は家事の仕事の割合が多いから大家族でないと暮らしていけなかった。農家だったら田植えでも稲刈りでも人手に頼っていた。村の総出で協力してしていた。それが機械化すると人を頼らず機械に頼ることになる。その機械はコンバインでも一千万とか高いのである。それでもともと農地が少ない日本の農業では割にあわないと機械貧乏で農業をやめた人がかなりいる。現代は何でも機械のしめる割合が大きいのである。何か事業をするにも機械を設備として買わねばならない、その投資額が大きいからそれが失敗の要因になる。

機械を買うということはそれだけ金がかかるから金が第一の社会に農家もなる。機械に頼ることは金のかかることであり機械に人間が使われることにさえなる。ただ機械の力は余りにも巨大化したのである。中国で麦刈りにコンパインを使うがこれと昔ながらの鎌で麦刈りにくる出稼ぎ者がいるがその差は千倍とかになるかもしれない、あまりにもその力の差が大きいからその影響をもろに受けるから機械は社会を根底から変えてしまうのである。このように農業も機械に左右されるというときそれは今にはじまったことではない、すでに農業がはじまったときからそういうことはあった。鎌であれ鍬であれ鉄器の使用が農業を飛躍的に発展させたことは知られている。鉄器の使用は石器時代から鉄器時代と時代まで変えてしまった。そして鉄を作るものが社会を支配する時代となった。戦争でも刀は鉄で作られているから鉄器の時代は鉄を生産できるものが支配者となれたのである。天皇が鉄の王だったというときまさに鉄こそが社会を支配するものだったのである。


●道具を作る、機械を作るものが文明の支配者だった


このことが不思議に原子力発電と関係ないと思っているが深い関係がある。原子力とか電気のエネルギ-はまさに電気が国を社会を支配するとまでなっていたのである。電気なくしてもはや社会は成り立たない、電気を否定してはもはや文明も成り立たない、確かに山尾三省のような人は例外的存在でありそんなこと現代にまねることはできない、社会自体のシステムが電気化しているときそういうことを全部の人に要求することはできない、そうすれば文明は崩壊するからだ。そして電気の元は実は原子力もあったが石油でもあった。石油なくして電気もありえなかった。だから石油文明ともなっていた。人間は石器時代があり道具を作ることによって動物より優位になり文明を作ったのである。その頂点に原子力発電もあった。だから現代の社会を支配していた支配者は誰だったのかというと電気を作っていた人たちだったのである。天皇が鉄の王であり電気を作っていた人が実際は王だったのである。原発事故でわかったように原発から金は生み出されその巨額の金が政治家に官僚にマスメデアに地元へあらゆる所へ流れていた。検察官僚の天下り先としても金は流れていたから検察で東電を裁けるのかとなる。政治家や官僚が力をもっているように見えているけど実質の支配者は電気会社だったのである。

電気文明なのだから当然そうなっていたのだ。第一電気会社が社会を支配できたのは電気は誰にとってもいいものであり悪いものでないからだ。電気の恩恵にどれだけ欲していたか、それを誰も否定できない、電気をいらないという人はいないのである。しかし電気はボタン一つ押して簡単に使えるものではなかった。石油にしても中東から運ばねばならないしそこは危険な地帯だった。石油に頼らずもっと安価にしようとしたら原発は危険すぎるものだった。でも社会は電気を要求したから原発が生まれたと言える。原発は現代文明そのものの問題だったのである。文明を維持するのには電気が不可欠である。石油に限界があるとしたらどうするのか、原発は不可欠であり危険でも必要だとなっていた。原発否定するということは機械文明を見直す否定することに通じているのだ。


●人間の幸不幸と文明の発展は関係ない


考えねばならないのは機械に頼ることが人間を幸福にもしたが不幸にもしたが能率的でないこともあった。農家で機械貧乏になってやめる人が多かったのもそうである。機械に頼ることは機械を作るものに農業も支配されることでありそれは鉄を作る鉄の道具を作るものに農業が支配されたと同じである。農業は実際は鉄の道具にたより大規模な灌漑事業とか開拓とかするには技術が必要であり文明そのものであったのだ。だからこそ鉄を作るものに道具を機械を使うものに支配されたのである。
結局今では家事でも電気を使う機械の操作に追われているのだ。確かに電化製品で家事の労働から解放された。ではそれで幸福になったかというとそれは別なのである。幸不幸と文明の発展は別物である。その時代時代に幸不幸かありそれは計り得ようがないのだ。原発事故でこの辺は最大の不幸に直面したことでもわかる。電気は幸福をもたらしても最大の不幸をもたらした。しかしすでにそういうことは人間が機械を使いはじめたときから予見されていたのだ。だから老子は鍬すち使うなと警告していた。鍬を使うことは原子力を使うことに発展したともいえる。

機械にたよることは逆に機械に支配されることになる。道具の道具になることに通じていた。人間はこれほど便利になっても豊になっても幸福かどうかは判定できない、機械が能率的かというとそうでもない、農家で田植機やコンバインをやらを使って効率化したようでも機械にかかる費用が莫大だから採算があわなくなったと同じである。そこでどうしても金がかかる農業となっていった。もし村の人たちで協力して人手でやっていたらそうはならなかっただろう。だから機械がすべて効率的に働くとは限らないのである。
人間は人手に頼らなくなるとき介護でも介護ロボットに頼るとかなるとき一見楽なようでもそのロボットを作るのに金がかかりかえって人を使うより金がかかるとかなる。何かそういう矛盾が常に人間にはあるのだ。

山尾三省がぜあのような極端な貧乏の生活をしてそれを味わいある意味でそこに意義と幸福を見いだしたかというのは文明への逆説だった。なぜ原発事故が起きる前に原子力発電を批判して原発のない世界を目指したということも不思議である。原発をなくせというとき今ならみんな言っているけど原発事故が起きる前は異端者だったのである。それは現代の文明を否定することに通じていたからである。誰もパン食えないとか、車もないとかエアコンもないとかそんな生活を望んでいない、農家でもそういう生活から脱するために働いてきたのだからそんな人を容認するはずがないのだ。
結局原発を見直すということは機械そのものに頼る生活とか文明そのものを見直すことに通じている。しかし電気でシステム化した社会を変えることは不可能になっている。では最後に人類の未来はどうなるのか?マヤ文明が滅びたように太陽がなくなる、光がなくなり滅びると生きた人間を生贄にささげたように人間も電気と共に原発と共に滅びるほかないということにもなる。それも怖いことだけどそれか人類の運命だともなる。


お前は電気なしで山の中で暮らせと言われたけどそういうことをできない、すると人間はマヤ文明のように原発はどうしても必要だとなりそういう人も結構いる、そして人間が生贄に献げられ原子力文明とともに滅びてゆくのである。それが核戦争の猿の惑星だった。それがこの辺で現実化していたことに驚く。イノシシをとる檻に自分たちが入るようだと言っていたのがそのことだった。街がゴ-ストタウンになり繁殖力の強いイノシシが増えた、猿も増えたから猿が支配者になっても不思議ではないとなる。この辺はそんな映画のうよな異様な世界になったのである。交通事故がいくらあってもそれもしかたのない車社会の人見御供のように原子力文明にも人身御供となり文明を維持するほかないとなっているのだ。この辺は放射能の実験台となりモルモットになっているのもそのためである。放射能の影響はどうでるかわからない、そして放射能はたいしたことがないとされ原発は安全だとされるかもしれない、電気は否定できないし原発は不可欠だとなり最後に文明の崩壊がやってくるのかもしれない、そういう大きな文明の問題として原発事故が必然的に起きたのである。

 
 
 
 
 
 
posted by 老鶯 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年12月13日

冬の日の相馬市の通り (老人の欲しいもの-シャッタ-通りも老人向きにすればにぎわうかも)


冬の日の相馬市の通り

(老人の欲しいもの-シャッタ-通りも老人向きにすればにぎわうかも)

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風かそか日のさし静か冬芒
枯草や猫一匹歩むホ-ムかな
線路見え二両の電車や木の葉散る
庭広く石組み確か北風(きた)唸る
洋風に煉瓦や枯木映える家
駅前の通りの花屋冬薔薇
日の没りし動かぬ雲や冬菜かな

相馬なる駅前の花屋冬日さしシクラメンの花赤く映えにき

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今日は相馬の病院に二カ月ぶりで行った。手術してほぼ正常に生活できるが多少血圧が高いから穏やかな暮らしをしろと言われた。血圧が高いのは不安である。塩分はひかえめにしている。毎日病院でそなえつけの機械で血圧を計っている老人がいた。あの機械があれば計りやすい。ともかく還暦すぎたらいかに病気にならないようにするのかが最大の関心事になる。病気になったらどんなに金があろうが地位があろうがなんであっても最悪になってしまうのである。還暦すぎたら病気にならないことだけで恵まれているともなるのだ。


枯芒から冬芒となってゆく、90過ぎの人は結構今は近くに生きている。それはもはや80代だと枯芒などと言われるが90過ぎると冬芒である。冬芒になってそこに静かに日がさしている。それがぴったりだとなる。人もまた生物の一種だから植物でも同化してゆくのである。今日はまた二両の電車にのった。二両だから一番前にのりやすい、すると前の景色を見ながらのる。そして線路に木の葉が散るのが何回か見た。八両の電車だったら木の葉を散るのを見ないし感じないのだ。ホ-ムが枯草になり猫に日がさしてゆっくりと歩いている風景ものんびりしているし寂れたともなる。こんな光景は都会ではありえない、この辺だって八両で東京や仙台に通じていたときはなかったし感じなかった。
二両で二つの駅にとまるだけだから電車もスロ-になり老人の感覚になったのである。自然ととけこむようになったのである。


相馬市の通りは壊された家が増えた、ここの駅前の花屋だってやっていけるのかどうか?
でも場所がいい、午後の日がさしてなんともなくなごむ、街路樹の下に冬薔薇が咲いていた。
そこでシクラメンとか買った。ここで何か買いたくなる不思議がある。そこの年配の女性も応対はいい、陶器店は怖いくらいの応対だった。あれでは買い物もしたくなくなるだろう。東北の人はそうした愛想に欠けているから農業には向いているけどこうしたサ-ビス業に向いていない、自分も全く商売には向いていなかった。だから自分は学問の方で身をたてたいと思ったができなかった。
ただ今は別に東北でもみんながそうではない、普通の応対はしている。

駅前通りはシャッタ-通りになりさびれたがこれからどうかというとそうでもないかもしれない、
高齢社会はまた社会が違ってくる。老人が欲しいものはとキ-ワ-ドで自分のプログに来る人が必ずいる。老人が求めているのは必ずしもモノではないのだ。モノを売る場所や環境や人が大事になってくる。

花が欲しいというのもあるがその場所が大事になるのだ。あそこの駅前は日がさしてシクラメンが通りに映えてなごみを感じた。高齢化社会はそうした街全体の雰囲気とかなごみとか応対する人の良さとかが影響してくる。モノ時代よりそうしたものを求めるのが老人なのである。だからモノだけを安く買うス-パ-は便利にしてもものたりないということが生じているのだ。若い人にとっては良くても老人にとってはいいとは限らないのである。確かに便利なのだが場所とか環境とか人とかになるとそういうものはない、店員と話すこともないから何か人間的なものを感じないとかなる。


ヤクルトが成功したのはモノを売るより人が直接売り渡すということで成功しているのだ。モノより人を売りにしたのである。人のサ-ビスを売りにした。だから孤独な老人の見回りもしているというのもそのためである。
これからは若い人には良くても老人にはモノ+ソフト的なものが必要になってくる。
だからこれから高齢化では必ずしも安いだけで便利なだけでは成り立たなくなるかもしれない、
中高年向きのサ-ビスをして商店街も生き残る策をたてている街もでてきている。
時代が変わるとその要求は老人だけではない、時代の要求が変わるからまた商店街が別なものとしてニニュ-アルされて繁盛するかもしれないのだ。高齢者は比較的金をもっている人が多いからまた安いだけではない商売も成り立つかもしれない、都会ではそうなっているだろう。

いづれにしろあそこの駅前からあの花屋が消えるとまた淋しいとなるのだ。

暇だから一旦病院を出て相馬市を歩いた。駅前のパスタの店で三重からきた学生とあった。津浪の被害地を見て歩いているという。そういう人がまだ結構いる。いろいろ教えてやった。自分もプログでそういうことを書いてきたがインタ-ネットは何か反応の手応えが感じられないのである。

ただ今回は報道として地元の人は外部からも助けられているしまた地元がどうなっているから事実を問題を知らせるのも義務となっているのだ。報道も実際は義務でありミッションまで高めねばならないものである。報道はあまりにも視聴率を重視しすぎた。企業や団体の宣伝部隊になりすぎたのである。そこから原発事故も起きてきた。それぞれがその仕事の義務とミッションの自覚をもって勤めればこういうことにはならなかったろう。


写真に撮った家は個性がある。庭には個性がある。石組みがしっかりして広い庭に重厚感を与えている。もう一軒はいかにも洋風でレンガもあり冬の家にふさわしく感じた。枯木が映えて中に暖炉もある感じなのだ。あれは飾りなのだろう。なんかこの二つの庭と家は冬らしく落ち着く家である。
洋風の家は外観がいいのだ。まるで絵画になるような家である。

2012年12月14日

寒夜 (マイアミから来た英語教師と駅であい話す)


寒夜

(マイアミから来た英語教師と駅であい話す)

二両の電車の行くや寒夜かな


今日は寒夜というほどではなかった。昨日は寒夜だった。普通だったら冬の夜になるだろう。
夜に駅に行ってみたら前にみかけた外人がいた。気になっていたが英語の先生だった。
今はボランティアでも来ているかとも思った。真野小学校とか小高の福浦小学校と言っていたから
鹿島区に移った生徒に英語を教えていたのである。必ずアメリカから派遣される英語の先生はいたからめずらしくはない。ただ田舎だとまだ外人はめずらしい。でも中国人も必ずいる。
アメリカ人は大学生である。その学生はマイアミの出身だった。マイアミはメキシコに国境を接するところだから暑い所だった。メキシコまでドライブするというからメキシコが身近な所だった。
何を専攻しているかと聞いたら心理学と哲学だという、アメリカンスピリットは何かと聞いたら
ペイドリッド・・とか何かわからなかった。ここで言葉の障害があった。これも字を書いてもらって調べればわかるだろう。日本はサワムラスピリットだと言ったからペイドリットと言った。
ホイットマンがアメリカンスピリットだと自分は言った。


そもそも英語で学問的になると説明すること自体相当にむずかしくなる。あの青年はマイアミの都会から来たとするとずいぶん田舎に来たので驚いているのかもしれない、近くに住んでいるとするとまた会う機会がある。田舎だから良くみかけるのだ。暇だからあちらこちら歩いている。
英語も最近使っていないのでなかなか言葉がでてこない、言葉は何でも使っていないと忘れるのである。マイアミは沖縄のような熱帯地域でもあるのだからここは寒く感じたろう。マイアミはメキシコと接しているとなるとヒスパニック系が多い、アメリカでスペイン語を話す人が実に多いのだ。
そして英語を話せないのでてある。だからヒスパニックとコミニケ-ションを計るにはスペイン語を覚えねばならない、ヒスパニック系は英語をしゃべれないし教育されていない、日本人は英語を高校まで6年間習ってもコミニケ-ションできる英語力がついていない、でも観光くらいだと中学英語で十分なのである。中学英語を馬鹿にしていたけど中学英語だけでも相当な英語の基礎力があった。


ここの土地のことを教えるにしても言葉の障害が大きいし基礎知識がないとなかなか相手も理解できないのである。ただアメリカは歴史がないから歴史的建造物がほとんどないから千年前の古墳ともなればそれだけでもめずらしいというのは確かである。確かに外国に通じるには生きた人間とコミニケ-ションするのがいい、田舎ではまれだから話すのもいい、英語でなんとか多少はできる。
英語がどうしても国際語になっている。中国人でも英語で話すほかなかったのである。

ニ-トの一人がガソリンスタンドで働くというのには驚いた。その人は身なりが普通ではなかったし
普通に働けると思えなかった。まず社会的に人とうまくやってけけいるのか疑問だった。ニ-トは田舎でも普通にいる。なぜ雇われたのか不思議に思ったがこの辺はどこも人手不足だから人を選べなくなっているのだ。あらゆるところが人手不足になっている。あるところは時給1000円にしたのもわかる。そこはすさまじい忙しさだった。この辺は待遇を良くしないと働く人がいなくなる。


まあ、若い人と接して思うのは女性もそうだったが何かやはり若い生気が体から放出している。
だから若い人からは老人はエネルギ-をもらうことができる。若返るというのがあると思った。
若い人と接している人は年取らない、若くなるというのも本当なのだろう。若い人はまだこの世の汚れにどっぷりとひたっていない、年取るとほとんどの人が体だけではない、心が世間の垢にまみれてしまってまともな人がいなくなっているのだ。自分が接した人は本当にあまりにも異常な狂気的な人だった。ただ一般的に老人はまともなのがいない、知恵ある老人などまれである。
若い人は世間の汚れにまだそまっていないからそこに見込みがあるとなる。
でも若い人でもいろいろだろう。ただ若い人と老人の根本的相違は若い人はこれから生きようとしているのだからいろいろなものに対する態度が違ってくる。だから放射能汚染で若い人が流出したことでもわかるように未来がない場所には生きたくない、子育てでもしたくないとなる。未来のある場所で子育てしてゆきたい、老人は別にそうした未来を望むこともない、要するに前にも書いたけどすでに死に場所として終の棲家する場所を求めているのだ。その差はだから相当に大きいのである。


ともかく若い人はまだ純粋な人が多い、老人はまず様々な問題をかかえた人が多く嫌になる。
老人が枯れたなどということは全くない、欲望はますます先鋭化して最後の生を欲望を貪(むさ)ぼろうとしているのだ。老人はすでに深い罪を身に負っているしそれはもはや払拭できないくらいである。若い人はいろいろあるにしてもまだそういう罪を負っていない人が多いだろう。
だから老人に接するよりは気持ちいいともなる。何かさわやかになり生気が伝播して若返るということがある。それが悪くなると回春だとか性の露骨な欲がまたむきだしになる。それで東南アジアに
中高年や老人でも回春にゆく、それが世界中から集まり若い女性を安く漁るおぞましいものとなっている。それも年老いることは本当に経験しないとわからないが衝撃的なことであり性を欲をあきらめきれないのである。


とにかく老人から発してくるのは何かそれは老いた体臭だけではない、心が影響しているのだと思う。心が体と同じく歪んでしまっているのだ。それですでに見ただけでも接することに嫌悪感を覚えるのである。でも結局はその若いときもほんの一時で消失してしまう、一時のあまりにもまばゆい輝きなのである。女性の輝くのは本当に短い、結婚して子供産むと女性の本来の輝きは消えてしまう。
25才くらいで女性の盛りが終わってしまうよな感じさえする。女性は本能的に生きる面が強いから余計にそうなる。男性は年取っても仕事に精進すればそれに誇れるが女性の場合はその見た目がすべてだとなりやすいのである。

2012年12月15日

政治には期待できない (新しい国造りは日本国土全体の栄が何か知るべきである)


政治には期待できない

(新しい国造りは日本国土全体の栄が何か知るべきである)

●政治は誰がやっても同じで変わらない

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政治はいわば大小の砂利のいっぱいつまった、社会の砂袋のようなものである。政党は対立する砂袋の半分である。時には四つにも分離することがありたがいにこすりあうのである。
ソロ- 「市民としての反抗」


今の状態はまさにこれだった。砂袋が8っつにもなっている。でもその政党が別にどの政党とくっついても変わりないように見える。共産党は別としてどの政党と砂袋と一緒になっても変わりない。
分離してこすりあっているだけだとなる。原発にしても今やみんな反対しているから選びにくいのだ。自民党は一番原発にたいしては推進派である。民主党の失敗は自民党の路線を否定したのだが結局、自民党の路線を引き継いだことが多かったのだ。また官僚に対しても対抗できなかった。そもそも政治が何によって動かされているのか?例えば電事連という団体や連合でも民主を支持した団体は原発推進である。原水協も電事連の人が入っているから原発推進だった。それで失敗したというがやはりそういうふうにどこにでもそうした組合に所属している人がいるのだからそういう団体によって政治も動かされているのだ。連合でも電事連でも原発推進だったら自民党も最初から原発推進だったからそれが日本国全体で強力な戦時中の大政翼賛会になっていた。大本営発表になっていたのである。もし民主党がこうした団体とかかわらず自主的に政策を決めていたら原発を見直したかもしれないのである。そういうことができない圧力が内部からあるのだからそんなことできなかったのである。

福島県のドンの民主党の渡部恒三が強力な原発推進者だった。そのGEの社員だったことでもわかった。
民主党は自民党の原発推進を積極的に受け継いで失敗したのである。その背景はその支持する団体が原発推進だから当然そうなったというにすぎない、マスコミでも東電から莫大な宣伝費が流れ電事連からも流れるとか何かの団体の支持によってマスコミは運営されているのだ。聖教新聞を福島民報では刷っているからその意向にはさかえらないのと同じである。それは創価だけではない、背後の団体によって政治は動かされるのだし政治が数によって決まるというときどうにもならない、権力の主体は政治家にはない、それを支持するものにあるのだ。政治が変えられないというとき政治家の問題でもない、そうした支持するものが変わらないのである。何にも団体などの支持がなくしがらみもない人は当選できないのだから当然である。たいがい団体は利害心は自己愛もっていても愛国心などはない、東電でわかったようにメルトダウンして死ぬか生きるかのときも海水を使うと原子炉が使えなくなり大損だと幹部が騒いでいたのである。人間の命より原子炉が大事だったのである。それか会社なのである。何であれ会社の利益が優先されるのか現代の社会なのである。


●インドのような価値観も現代では必要

人間は本来が自然なしには死滅するほかないものである。われわれが馬鈴薯よりも教養を砂糖菓子より啓蒙を欲するとき世界の大資源ははじめて強要される。(ソロ-市民としての反抗)


結局この辺の原発事故もこういう所から起こったのかもしれない、教養などより何がなんでも腹のたしになる馬鈴薯であり砂糖菓子を求める。山尾三省のような極貧の生活に意味と意義を求めるものは農民でもいなかった。パンを食べたい菓子を食べたい車が欲しい、電気製品が欲しい、・・・・その欲望はとまることがなかった。そのためには原発を積極的に誘致した。隣の町で財政がうるおっているからこっちも欲しいと競争だったのである。それが原発事故でどうなってしまったのか?
自然が死滅したら人間も生きることはできない、土も水も汚染されたら生きることすらできない、原発がもっと日本全土に大規模に起こればそうなった。第一ソロ-のような生活をめざせば奇人であり何だあいつは馬鹿なことをしている酔狂なやつだとしかならない、山尾三省も奇異な眼で見られるだけである。しかし原発事故が起きてそういう普通の一般の人も反省を強いられたのである。


思うに都会と田舎は本当は別な価値観をもって生活すべきだった。ソロ-のような極端な崇高な生活ではなくても山尾三省の極貧な生活までしなくても第一次産業を基盤とした都会とは同じではない、別なもともとあった山河、大地と共に生活してきた価値観を大事にするべきだった。それは国全体がそうでありグロ-バル化で世界全体が同じ価値観になってしまったのである。誰も車をもちたいというのは世界中で同じになったからだ。だから今や世界中でどこもたいして変わらない生活をしているのである。インドのような所は変わっていた。牛糞を干して燃料にしていると思えばまだ炭を使っているし街路を牛が歩いている、そんなところでも家で子供がゲ-ムを白黒の画面でしてしいたのである。インドすらそうしてグロ-バル化の価値観の中にくみこまれてゆく。ただ牛を聖なるものとして
街路を歩いていることは違っていたのである。まだそういう古来の価値観を壊さないのである。でも牛がのろのろ街路を歩いたら車も通れなくなるから文明化すれば牛もそんなふうにして放置されないだろう。でもインドではまだそうした古い価値観が生きていることが他とは違っていたのである。


●万葉集など日本古来の価値観の見直すべき

今や田舎に住んでも田舎の人も都会と同じである。むしろ都会の人より贅沢をしている。何でも金があれば手に入る時代なのである。食うもの着るものも住んでいる家もむしろ都会より広い庭でいい家に住んでいる。しかしそういう都会と同じ文明的生活に落とし穴があり原発事故になった。もし古来の価値観を継続して山尾三省のうよな思想で意味と意義を求めて生きていたらこんなふうに自然すら死滅して町すら消滅するなどということはなかったかもしれないのである。本当に人間の栄は東京の大都会になるのか?高層ビルがスカイツリ-がその栄の徴しなのか?そんなものに美があり意義があるのか?都会には数が多いから結局その数で都会人によって政治も決まる。限界集落には政治家の宣伝車も来なかったという。票にならないからそうなる。では限界集落はすべて能率的でないから消滅させるべきなのかということになる。そしたら国土が維持できるのかという問題もある。最近森林の木材が50年過ぎて使えるようになった。それで森林が再生して山村も雇用が増えて活気がでてくるという。つまり50年後でも自然のリズムが長いから栄えることがある。都会はそんなに長いリズムをもち得ないだろう。自然と離れているから自然によって豊になるのではないからその栄も短いともなる。

題詞]六年甲戌海犬養宿祢岡麻呂應詔歌一首

御民吾  生有驗在  天地之  榮時尓  相樂念者


御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば 


みたみわれ いけるしるしあり あめつちの さかゆるときに あへらくおもへば


天地と共に自然と共に生きている時そこに真の栄があり生きた験(しるし)がある。
その験(しるし)とは何か?スカイツリ-でも高層ビルでもない、まさに自然の中にあるものが験(しるし)として残る。千歳の岩であり石であり樹であれ山であれ海であれそういう栄こそが真の栄だったのである。原発事故周辺ではそういう自然の栄が奪われたのである。そしたら生きる験(しるし)もなくなってしまうことになる。自然の寿命は千年とか長い、都会の人工物の寿命は短い、その栄は一時期で消滅する。だからこれからは都会だけではない、国土全体から国が栄えるように田舎も見直すべきだしまた田舎に住んでいる人も今までの日本が有した万葉集などの価値観を再考して国造りせねばならないのである。

posted by 老鶯 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年12月17日

冬紅葉(津浪の跡の不思議はまだつづいている)

 

冬紅葉

(津浪の跡の不思議はまだつづいている)

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社消え残り守りぬ冬木立

津浪跡ここに二軒や冬の暮
冬紅葉玄関に散り誰が訪ぬ
冬紅葉色合い見つつ暮れにけり

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津浪の傷痕というかこれはなかなか消えるものではない、写真の木立には社があった。その社が流されて回りの木立だけが残っている。本尊が消えてそれを守っていた木立が残った。これも不思議である。それから川を渡ったところに家二軒があった。一軒は牛を飼っていた。ここは通ったのは数限りない、散歩道でもあったからだ。別にこの家の人と話ししたわけでもない、でもここに確かに家があった。それがないということが不思議なのである。ここだけではない、津浪ではいたるところ家が消失したからめずらしいものではない、でも身近で感じるのとテレビで見て遠くで感じるのとは違う。ここに家二軒があったことはそれなりにもの言わずも存在感があったのだろう。街中と田舎での家の存在感は違っている。街中でも取り壊された家が多いが町から離れたザイで感じるのとはまた違う。

二谷(ふたつや-二つ屋)とか四谷(よつや)とかいう地名でもわかるように二軒がありそれが地名化していることはその二軒がそこの土地の最初に住んだ家かもしれない、いづれにしろ田舎でも特に町から離れたところでは山村でもそうだがここに家があったということが存在感をもつのである。都会だったら余りにも家が多すぎてそうした存在感がない、その家はやはり大地と結びついているから存在感をもつ、特に代々の専業農家だったらそうである。だから津浪の跡でもなかなかそこに家があったという記憶は残ってゆくのかもしれない、ただ街から離れていても家が密集しているとそんなに感じないのも不思議である。ここの家は回りに家がなく二軒しかないから感じたともなる。飯館村辺りは一軒一軒が離れて森につつまれるようにあった。ここも一軒一軒の家の重みがあった。ただここは津浪で家が消えたわけではない、家は同じ様に残っている。だからその家を見れば持ち主が帰ってまたここに暮らすという感じになるのである。


これは紅葉にならず冬紅葉になった。近くで見ると色合いが違っている。いかにも冬紅葉らしい。
女性もとしとれはこんな色合いになってくる。ただ女性は若い女性と老人の相違があまりにも違いすぎるのだ。若い女性から話ししなくても近づくだけでも発散されるのが違ってくる。男性はそんなに感じなくても女性の場合、若いということがどれだけ価値あるか、年取ってみればわかる。見る方もそうだし見られる方もそうである。女性は内面というよりほとんど見た眼と内部が一致しやすいのである。男性は年取っても内面的に豊になりうる。女性は外面によって判断される、だから若者は老人を嫌うのである。男性は年取ってもその仕事で評価される。だからかえって年とると何でも熟練してくるから技が上達してくるから人間国宝とか芸も究めることができるのだ。そこに男性の価値がある。だから男性はその仕事で評価されない人は年とったらやはりみじめである。


自分は自分でも不思議なのだが60過ぎてからいろいろな今まで買っていた本を深く理解できる。
本はただ積んどくになっていたけど深く理解できる。それから詩なども短歌でも俳句でも才能がなかったのだろう。40代でもいいものができていない、だから自分がこんなに書いていること自体不思議になる。誰も若い時、自分が俳句とか短歌を作れる人とは指導する人さえ見ていない、啄木のような人ならこれはと指導者がわかる。自分にはそういうものがなかった。だから人間は生まれつきの才能で何かのものになるとは限らない、ただ天才を見本とすることは間違っている。天才は本当に生まれつき優れているからである。努力しなくても優れているのである。でも凡才でもそれなりに一芸でも追求するとそれなりのものになってゆく不思議がある。詩でも自分で本当に不思議なのである。
これはいい詩だな、こんな詩を作れたのが不思議にも思う。今まで作れなかったからである。もちろん詩はむずかしいけど理解できるようになった。だからすでに百篇くらいつづけざまに作った。
ただそれは発表していない、今年は手術などあり忙しくて「詩集の部」をプログに加えたが手術のあとは発表していない、徐々に発表するか、本にして一度発表するか考えている。本は別にインタ-ネット上で簡単に作れるみたいなのである。


今年もそろそろ終わりになる。まだ津浪の後に整理がついていない、家事全般を一人でやると本当に大変になる。ふりかえるとすでに姉が認知症になったのが2006年でありそれから2012年でありその6年の間は毎日追われていた。自らも病気になり一回は一か月入院して今年は手術もした。これが自分にとってどれだけ大変だったか、一人しかいないから全部一人にかかってきた。母も病気になり遂に動けなくなった。その前からすでに弱っていたのである。家族がもう一人いたらはこうはならなかった。そしていかにこの世が冷酷なものか知った。家族意外になると情をもつ人はまれである。ただ今は金しか目当てがない、だから実際に大犯罪にあった。これも一人だったからである。
その間に津浪や原発事故があった。つくづくこれほど悪いことがつづくことは大凶運だった。

でも手術を終えて何か一段落して楽になった。人に頼ることが自分にとってどれだけ大変なことだったか?もう人には頼れないと思った。親戚も実際はないと同じだからそうなった。

ともかく今は楽になったから来年はいい年になってもらいたい、病人をかかえているからまたわからないけど自分の病気が一段落したことが相当に楽な気分にしたことは確かである。

2012年12月18日

年の暮(もう一人の英語教師はフィラデルフィアから来ていた)


年の暮

(もう一人の英語教師はフィラデルフィアから来ていた)


我が町にフィラデルフィアとマイアミの青年来たりて年の暮かな


もう一人の英語教師はPhiladelphia(フィラデルフィア)から来ていた。

1682年、クエーカー教徒のウィリアム・ペンが同志とアメリカに渡来、この地に居住区を建設したのが市の起源。ペンはこの地を古代ギリシア語で「兄弟愛の市」を意味する(Φιλαδ?λφεια、フィロス=愛、アデルフォス=兄弟、ア=都市名につく語尾形)「フィラデルフィア」と命名したhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%
A9%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2


philosophy-Philadelphiaは関係していた。フィロス=愛、知の愛が哲学のはじめである。ここはニュヨ-クに近く寒い、ニュ-ヨ-クより古く開けた都市だった。大学や学生の街でもあった。
マイアミは平均気温が20度くらいだから沖縄のような気候である。キュ-バが近いから南国である。
アメリカは広いから気候の変化も大きいのである。中国もそうだけど大きい国の感覚は日本にいるとわかりにくいのである。

小学校から英語を教えている。近くの小学四年生もクリスマスをその英語教師としたとか言っていた。確かに英語の単語を覚えている。
思うに言葉も文化もそうだが本質的にその国に行きいきた言葉を聞かないと実感として理解できない、言葉は母国語というようにネティブから伝えられないと本当はわからないのだろう。日本はそういう機会が少なかった。確かに英語など巷にあふれているしアメリカ人など今やめずらしくもない、しかし英語となると日本人はしゃべれない、英語を大学まで勉強してもものにしている人は少ない、今は前よりは多くなったとしてもそうである。

その一番の原因がネティブから言葉を学ばないことなのである。だから留学というのはネティブから言葉を学ぶしその土地の人と一時的にでもなるから文化を肌でしるからいいのである。今は留学している人も多くなった。田舎ですらもうすでに一クラスで何人かは留学している時代である。ただ最近はまた減っているらしい。自分は海外旅行したのも50過ぎだからすでに遅かった。自分は何でも遅かった。学生時代はほとんど勉強していない、勉強に興味がもてなかったのだ。学校出てからの方が興味をもって勉強した。ただそれも何か深く理解できていなかった。語学でもやはり明かにドイツ語でもドイツで学べばその国の文化を肌で知る。言葉も密接にその国の風土や歴史と一体化してあるのだ。日本語だって俳句にしても少なくとも一年間めまぐるしく変わる日本の気候を体験しないかぎりわからないのだ。そこにその国の文化を知るむずかしさがある。


哲学専攻のマイアミの青年が哲学は何かとかちょっと聞いたらstrict-ストリクトだという。
その言葉の感覚がネティブが発音して言うときとそうでないものが言うときは違ってくる。
ストリクトでもいろんな場面で使う、そこでその言葉の感覚を知ることになる。これはなかなかむずかしい。日本は中国でも外国語は翻訳文化であり直接ネティブの言葉と接している人が少ないのである。翻訳で言葉をしるのは概念的なものは知りやすいが言葉のもっている独特の感覚はわかりにくい。それは母国語として身につけるものであり外国人は身につけられない。だから日本語にしても俳句でも短歌でも理解するのはとてつもなくむずかしいとなる。日本語の言葉の感覚が英語の言葉一つにしても理解できないのと同じなのである。いづれにしろ詩は一番むずかしいし母国語をみにつけた人でないと詩は書けない、詩は翻訳すると別なものにすらなってしまう。日本語に訳すと本来の詩とは別なものになっている。詩は翻訳不可能なのである。


だから外国語の感覚を身につけるには若い内にネティブの人とと友達になったり直接その地を踏んで言葉の感覚を身につけることである。ただそれが一般的にはなかなかできないから日本人は特に英語がいくら教育しても身につかないのである。それでアメリカからネティブの発音を聞かせるまたは外国人になれる教育をとり入れたのである。ただ今は外国人がめずらしくないから拒絶反応はあまりないかもしれない、ただ言葉は依然として日本人は身についていない。やはり今回のように一つの単語でもネティブの人と話し合うと何か言葉も生きてくるのである。言葉は本や活字やテレビでもメデアだけでは生きてこないのである。会話してこそ言葉も生きてくる。ただ観光だけでは言葉は身につかない、何かより深い詳しいことは旅ではしりえない、通りすぎてゆくことが多すぎるからだ。

観光英語は中学英語で十分でありほんとんど今回のような短い会話すらできない、哲学がどうだこうだなどと観光で話すことはないから言葉はほとんど身につかない。

だから言葉の感覚をみにつけるにはある土地に一年とか住んでいれば身につくだろう。英語にしてもアメリカ英語は違っているという、それはアメリカ人を友達にして深く通じた人が言っている。
イギリス英語とアメリカ英語とオ-スハラリア英語も違ったものなのである。その区別はよほどアメリカ人に通暁していないとそんなことわかりえようがないのだ。

まあ、アメリカで驚いたのはグランドキャニオンだった。あそこは別な惑星にでも来たのかと思った。それはもはやとても言葉では現せない風景だったのである。言葉を絶した風景である。そういう風景が現実にあったということである。ホイットマンはアメリカを詩にしたけどホイットマンにしてもアメリカノ広大な国土を知らずして理解できないのである。本当は桁外れに雄大な詩であっても日本人にはアメリカの国土の大きさが一回くらいの旅行では理解できないからまた理解できない、これは中国でも同じである。国土の大きさが実感として理解できないのである。日本だったら九州まで同じ気候である。でもフィラデルフィアは寒冷地帯になってもマイアミは沖縄のような熱帯地帯なのである。アメリカにはテキサスのように広大な砂漠もありその広大さから生まれアメリカ人気質も理解できないのである。日本のような狭い国土のせせこましい発想は起こらない、人間が知らず大きくなるということはある。


自分は海外旅行でも遅すぎたのである。英語でも早く学んでいないから身につかなかった。ただ不思議なのは別に今でも手術したので海外旅行はできる。海外旅行は別に電車とかで旅するならそんなに辛くはないのだ。精神的にはかなり疲れるにしても自分は身体障害者でもないから海外旅行できると思った。一時自分は身体障害者になり何もできなくなったと本当に思ったからある。しかし体力の負担のない旅行はできる。だから行く気だったらアメリカにも行けるのである。ただアメリカはあまり旅行しても面白くないということはある。ただ広いというだけで歴史がないからである。
あんな広い荒野のような所に住んでいる人の気持ちはどんなものだろうかとも思う。
日本人の感覚は前田の五反田とか前畑の狭い畑が自分の土地である。アメリカは米作りにしても種も飛行機でまくとか桁外れなのである。その感覚が余りにも違いすぎるのである。