2012年12月01日

山茶花に初雪 (電気は本当は貴重で高価でもその自覚がなかった-それが原発事故に・・)


山茶花に初雪

(電気は本当は貴重で高価でもその自覚がなかった-それが原発事故に・・)


sazannkayuki1111.jpg


山茶花の赤に雪ふる目覚めけり
冬の菊りんと咲きける朝の雪
我が作る蕪の味噌汁介護かな


今日は目覚めたら雪だった。今年は早いのか?初雪だった。裏庭に咲いていた赤い山茶花にふった。
日本はやはり気候的に季節の変わり目がはっきりしているから身がひきしまる。これが熱帯辺りだとそういう旬や季節の変わり目がないからたるんでしまうだろう。日本の気候は変化が激しく刻々さえ変わっているうよな感じがする。料理するということもやはり日本では食べものにも季節感がある。大根とか葱とか蕪とかは冬の季語だった。ただ与えられているとこういうことすらわからなかった。さらに農家で実際に畑でも耕していればより自然と密着することになる。ただ風流で季語ができたのとも違う。現実生活から季語が生まれていた。生活なくして芸術もありえないのである。


だから変なのは多賀城跡を訪ねて「古き碑のここに並びて刈田かな」この句を作った時、これは当たり前のことでる。ところがこの辺では放射能に汚染されて田んぼが荒地化した。刈田がないのである。そうするとこの辺にも古い碑があってもそれが生きてこない、古い碑でもそれは長い間の生活の中でそういうものが風景にあうようになっていた。江戸時代の古い碑は北海道にはないから牧場にはあわないのと同じである。刈田とは荒地とか草原とかではない、それは春を待ってまた田植えをして米作りするものとしてある。それがこの辺ではなくなったのである。前にも書いたけど水が流れめぐらない田のない世界に違和感を覚えた。田は山の水を血液のようにして大地をうるおし実りを与えていたのである。


農業に意義を見いだすというときそれが生活そのものが自然と密着するから自然を風流ではないじかに肌で感じるから自然と一体化するのである。上野霄里氏が芸術は生活だというのは本当である。
だから山尾三省はまさにその自らの体を酷使して極貧の農業に意義を見いだした。その意義に死んだのである。でも一方で農家の人は逆にそうした極貧の農業からなんとか逃れることが願望であった。パンも食べられない生活など誰もしたくない。その対比があまりにも極端化していたのである。
正直自分には農業も力仕事も勤まらない、体力がない、自転車の旅だってやっとだった。最近筋肉が弱り運動するとひどく疲れる。老化すると筋肉が弱る。ただ本当に詩を書こうとしたら体力がないと書けない、山を詩にしようとしたら相当に健康手体力がないと書けない、山の厳しさを詩にはできない、ひよわで山の厳しさを詩にできない、絵にもできないだろう。その矛盾が芸術家にはある。


だからこそ山尾三省は62才で死んだ。妻も犠牲になり60前で死んだのである。パンも食べられないとなればそうなる。農業は江戸時代でも相当な重労働である。だから元旦にゆっくり休むことが本当に楽しみだったのである。休むことなく働いているほかなかったのである。結局現代の労働は機械に負うことが多い。ご飯炊くにしてもおかゆもオカユメ-カ-を使ったり暖房も電気である。つくづく電気に頼る生活なのである。一日中介護だからエアコンをしている。自分は今は炬燵であるが石油スト-ブは火事になるので使えないので電気ヒ-タ-を使う。これまた現代の生活は電気、電気なのである。こうして機械に頼り電気に頼っているから介護してでも一人でも家事ができる。これが戦前とか江戸時代になるともう家事だけで一人がかかりきりで洗濯から料理からするとなると必要である。家事自体が大変な労働となっていたのだ。

これだけ電気を使う生活はやはり贅沢でありそれが原発事故に結びついていた。でもそれだからこそ老人は暖房でも長生きしているしなかなか死なないとなる。手厚い介護をすればさらに長生きするのである。戦前とか江戸時代は手厚い介護はできない、戦前でもオムツはないとか藁で始末していたとか信じられないような悪条件の介護である。だからとても長生きはできない、つまり過酷な労働が死期を早くして病気になったら介護もおそまつだから早く死んでいたのである。

ただ今になるとそうした贅沢が限界にきている。もうなんらかで淘汰されて老人は生きられなくなる。長生きできなくなる。そうでもしなければ
年金なども支給できないし財政も破綻するのである。

人間の欲望はともかくきりがないのだ。そのきりのない欲望が原発事故を起こしたのである。
いかにこの辺でも欲が深い人がどれだけいたか、金になると言えばもう原発大歓迎だったのである。それは全国的にも言えた。電気というのは本当は相当な贅沢なものだったがそれがわかっていなかった。電気はボタン一つ押せば作れるものだという錯覚に陥っていたのである。
ロウソクが江戸時代に貴重品で高価で和ろうそくを作るためのロウの取り出しにはかなり手間がかかったため、ろうそくの滴は貴重であり、買い集めることで一つの職業として成り立っていた。
買い占められたロウは再びろうそくを精製するための材料として、再び溶かして型に流して利用されていた。

電気にはこういう感覚がない、電気は何か無駄使いしやすいのである。本当は電気はこのロウソクのように高価であり貴重なものだったのである。貧乏な家では電気を夜8時頃に消しているとかかなり節約している人が和すかだがいる。しかしほとんどの人は自分も含めて電気の無駄使いが多い、電気の貴重さがわかっていなかったのである。

でもやはり電気があればどうしても使ってしまうし無駄使いが多いのである。電気には例えは薪を買って集めてそれを燃料にするという一連の手間もないしそこで燃料を集める苦労も実感できないのである。それが電気を無駄使いすることに通じていたのである。人間は何か労働でもそれを苦労して得るものがあれば大事に思うがそれを経験しないものは大事に思わないのだ。食糧でもこの辺でも米を作っていないのに金さえあればいくらでもあるではないかと以前として食糧の大事さを実感していない、自ら苦労して作り料理してまた人に運び与えるという労働していれば貴重なものとなる。でもただ金さえあれば食糧などいくらでもあるではないかとなればその貴重さがわからない、これは電気についても同じだったのである。あまりに容易に簡単に手に入るものは人は感謝しない、空気に感謝しないとは同じである。日本では水が豊富だから水にも感謝しない、砂漠だったら水は宝石のように貴重になっている。ともかく電気は相当に貴重な得難いものだとして使わないといけない時代が来たことは自覚すべきだろう。

 

2012年12月02日

冬樹 (離れがたい二本の樹-ついの棲家で死ねない悲劇)

 

冬樹

(離れがたい二本の樹-ついの棲家で死ねない悲劇)


nihonnnkiiii1111.jpg
クリック拡大!


川烏冬の清流渡り飛ぶ

風うなり墓所の脇なる冬の菊
朝日さし冬紅葉映ゆ唸る風
冬日さし二本の樹や農家かな
二本(ふたもと)の樹やここに明日もまた
この道や古碑の並びて枯芒
前畑は冬菜に暮れぬ婦(おんな)あり


北風の唸り木の葉の吹き散りぬ時の過ぎるは早かりしかな


I go on the last destined way・・・・この道や・・・というとき最後の運命づけられた道となる。軽い意味でこの道はいつか来た道とかいろいろ使われるがその道は最後の道になる。
人は最後にそれぞれ運命づけられた宿命の道を行く。それはもう変えられないし避けられない、
もう他の道を選ぶことはできない、若いときは選ぶことができる、拒否もできる、しかし最後は自分の選んだ道を行く他ない、もはや道は変えられないのだ。でもその道は若いときに決められたということもある。若いとき選んだことがずっと後年まで影響する。

栃窪は古碑の村だというときいろいろな碑が並んでいる道がある。あれで古碑の村となる。それぞれ違った碑でありあたかもそれぞれ生きてきた老人にも見える。だから枯芒がにあっている。
類似俳句として

この道や古碑の並びて枯芒
この道や古碑の並びて刈田かな
街道に並びし古碑や冬柳

tochikubokohiii1111.jpg


文政一二年(1815)とあり17人と書いてある。金比羅講がありこの代表で行ったものが寄進したのだろうか
江戸時代後期、金毘羅信仰の広まりとともに、いわゆる金毘羅五街道のひとつ金毘羅参詣道阿波道の西ルート(箸蔵越え)として、多くの参拝者が利用した。
萬延元年(1860)、奥州栃窪村(現 福島県鹿島町)の住人によって寄進された「箸蔵寺百丁」の道標。ここから険しい箸蔵越えの道のりが始まる

17人も行ったのだから金比羅参りは盛んだった。だからこれは真実なのだろう。

ともかく年になるとこの道や・・・というときいつも行く道でありそれが変わってほしくなくなる。認知症になると自分がどこにいるのかもわからなくなる。見慣れた人や風景や道でないと迷ってしまうのである。おそらくそこがどこかわからなくなってしまう。認知症でないにしろ何かそういう気分は必ず80才くらいになったら誰でも感じるものだろう。見慣れた所は認識できる、町並みでも変わってしまうと認識しにくくなる。だから江戸時代辺りは認知症になっても意外と辺りの景色も変わらないからそんなに症状が進まなかったかもしれない、現代はあらゆる面で変わりすぎるのである。


農家に立っている二本の樹はいつも見ている。冬の日がさしていかにも落ち着いて定着している。
それはちょうど人に見えるのだ。老夫婦のようにも見える。それで不思議だったのは津波で家が流されて庭に立っていた樹が残った。それが二本残っているのが結構ある。それはまるで離れがたい夫婦のようにも見えたのである。庭の樹は人間化した樹だったのである。そしてその樹は明日も同じ場所にあってほしいとなる。津波で原発事故でこの辺は家族もばらばらになり引き裂かれたのである。
特に辛かったのは老人だったことはまちがいない、すでに老人は故郷でも長く住んだところが「ついの棲家」になっていた。それが急に離されてそれも故郷すらなくなるということが信じられないだろう。「ついの棲家」が奪われたのである。これは結構辛いものだった。これが原発事故の悲劇だったのである。浪江でも5年間も帰れないとしたら厳しいと思う。5年間は帰るまでさらにインフラ整備で二年間とかかかれば七年とかになるのだ。へたすると10年になってしまうかもしれない、そのうち80以上の老人は死ぬ人もかなりでてくるということは故郷に帰れずに死ぬとういことは悲劇である。


前畑に婦人がいる、端仕事して夕暮れる。放射能で農作物を作るなといっても作っている人はいる。別に老人は食べてそれほど影響がないだろう。でも気持ち悪かったのは放射能の汚染がひどいところで昆虫の足がなかったのが写されたことである。あれが放射能の影響だとすると何か見た人は気持ち悪いしこれから子供産む女性は不安になる。ただ昆虫類と人間は相当違っている。昆虫は構造が単純だから影響しやすいのか複雑な人間はどうなるのか?ただ一年くらいで昆虫に放射能が影響したのだろうか?なんか放射能はわからないから不安が増大するのである。ともかく刈田もない、前畑でやはり冬菜があり暮らしがあって正常なのである。その正常な感覚がこの辺では奪われたのである。

2012年12月03日

牡蠣鍋 (家事も機械化、買い物はアマゾンで、変わる回りの様子)


牡蠣鍋

(家事も機械化、買い物はアマゾンで、変わる回りの様子)

冬日さす庭の大石隣かな
椋鳥の騒ぎ飛びたち仮設かな
雨にぬれ烏群れるやいつくかな
日のさして田んぼに生えぬ冬の草
牡蠣鍋を我が手に作り味わいぬ


人間の不思議は年とともに心境がかなり変わることである。特に老いるということがどれだけ心境を変えるかわからない、これも個人差があるにしろ老いることは精神的には成熟することである。
肉体的には衰えても精神的には成熟する。見えないものが見えてくるし今まで感じないものが感じる。隣の庭は手入れもしていない、そこに大きな石がある。その石を隣だから毎日見ている。するとその石に今日は朝の内は冬の日がさしていた。それがなんとも落ち着くのである。自分にとって石が性にあっていたのかテ-マとなっていた。すでに百篇くらいの発表しない詩を書いている。石からだけこれだけ書けるのも不思議である。何にしろ見方が深くなってくるのだ。ただ老いればどうしても
狭く深くなる。いろいろなことに関心がもてない、だから何でものせる網羅的な新聞は向いていない、あることについて今まで興味をもったことを深く知りたいのである。それは地元の歴史でもそうなる。どうしても専門化しやすいのである。若いときは広く浅くだったが老年になればあることについての識見が専門化してくる。ニュ-スにしても何でも関心をもていない、自分の関心、興味あることについて深く知りたいのである。だから自分の住んでいるところを深く知りたいともなる。

意外と自分の住んでいるところで今何が起こっているとかでもわからないのである。
だから福島県だけでもすべてニュ-スにすることはあまりにも広いとなる。新聞的報道は何でものせる、多くの人を大衆を相手だからそうなる。そうした報道や情報の出し方は今の時代にあわなくなっている。だからBSの団塊世代をタ-ゲットにした7時からの放送は面白いのである。
昔のテレビのように子供から老人までみんな茶の間でテレビをニュ-スを見る時代は終わったのである。情報のとり方もインタ-ネットなどでも変わってきたのである。


だからアマゾンの通販が繁盛しているのは「検索」という個々人のニ-ズに答えているからだ。
何か欲しい、何か知りたいとかいうので個々人のニ-ズに答える。それが一日で配達されるのである。自分は自転車だから大きいものは買えないから大きいものを買うのには便利である。
電気毛布を一万くらいのを買った。足が冷えると母が言うので電気アンカを買った。寒いから早く送ってもらえるから助かる。時間差はないし配達料は無料だから便利である。ただ失敗もかなりあった。パッグが見た目は良かったのだが重かったのである。重さとか大きさがわからなくて使えないものがそれなりにあったのだ。現物をみないということはそういう失敗がある。でも比較的無駄は少なかった。あまり高いものは買っていない、ただすべて通販でできるはずがない。人間的サ-ビスまで通販ではできない、でも今日は牡蠣が好きなので簡単な牡蠣鍋を作った。これも誰も教えるものがないからインタ-ネットで調べて作った。それなりにできた。ただ料理は誰かに教えてもらわないとうまくいかない、一から家事をやっているから大変なのである。


津波以後、原発事故以後この辺は変わった。椋鳥が騒ぎ飛ぶというとき仮設の人があふれているこの辺の落ち着かない状態を現している。なぜだろう、烏が朝に空一面に飛んでいた。二両の電車が通る線路の上の電線にもとまっていた。烏が増えたような気がする。雀は減ったかもしれない、原発事故の近くで昆虫に奇形が生まれたというのは解説では放射能と関係あるとは言えないらしい、そういう科学的根拠が正確ではないとあった。テレビの報道だけだとええ、足がないなと不安にさはられるがインタ-ネットでは必ず今もそのニュ-スを掘り下げて詳しく情報がどこかに提供されているのだ。

テレビは瞬間的な影響が大きいのである。瞬間的に大勢の人に注目させる。だからテレビに出るだけでその人の内容がなくても注目をあびる。政治家でも出るだけで名前が知られるからテレビに出たいとなる。最近テレビが原発批判しているのは広告費が電力会社から入らなくなったからだという。
何に注目させるかは広告費を出すものによって決められるということがある。そういう裏を絶えずインタ-ネットで報道したりフォロ-するようになった。だから今や新聞を読んでいる暇がない、いろんなことに目を通すことができないのである。いろんなことに目を通すということは気が散ることにもなり集中できないのである。


ともかく今日も一日家事に追われ一日だった。掃除から料理からまだ震災以後、家のかたづけができていない、病気の方は一応かたづいたので楽である。家事は実際は全部一人でやるといろいろある。金のこともありそうした管理でも大変でありそれに追われているのである。一人世話する介護するだけでも時間がとられる。介護も余裕がないとできない、医者でも看護師でも教育でも余裕がないと、いくらそれが仕事として大事なものであり尊敬されものであれまともにやれない、やる方も嫌になるのである。だからキ-ワ-ドで看護師が仕事に行きたくないというのがでてくる。看護師の仕事はハ-ドであり余裕がもていなからそうなるのだ。よゆうがないとあらゆる面でいい仕事はできない。
でもそういう余裕がもたせられないのが現実なのである。忙しい人はやたら忙しいのでしである。
暇な人はやたら暇なのである。

この辺でも仮設の人はいちらでも暇な人がいる。でもパチンコとかで遊んで暇をもてあましているのだ。若い人は仕事で募集しても来ないとか人手不足で時給が千円になっていたところもあった。今や老人は金をもっていたら若い人を待遇を良くしないとこの辺ではもう働き手がなくなり福祉でもサ-ビスが受けられなくなる。小子高齢化社会は全国的に人手不足になってくるのだ。だから余計に人を使うことはむずかしいから機械に頼ることになる。介護でも福祉ロボットが必要だとかなり開発されている。労働も機械的なものが多い。毎日大根おろしでも手でやると結構な労働なのである。それは機械にししてもらうのがいいとなる。だから現代は機械がいかに労働になっているかわかる。もし機械がなければ膨大な人手が必要でありとても家事など一人でやっていられない、それでも人手がたりない、機械だけでも補うことができないのである。

 


 

2012年12月04日

冬の雨(石の時間感覚は文明の時間感覚では計れない)


冬の雨

(石の時間感覚は文明の時間感覚では計れない)


fushiishi11111.jpg


hiroha111.jpg
クリック拡大!


冬の雨濡れて大石隣かな

冬薔薇隠れて石の雨にぬる
雨にぬれ枯木に烏日も暮れぬ
枯芒雨ぬれあわれいつくかな
この道や落葉のぬれて仮設かな
我が庭に広葉一枚いづこより吹かれ散りにき雨にぬるるも


この石もよくみると平らであり平らであることが安定感をもたらしていた。名前をつければ伏石とかなる。昨日は冬日がさしていた。今日は雨にぬれていた。この家に庭はほとんど手入れしていない、確かに人は住んでいるけどすでに貸家だったけど20年も住んでいるけど存在感がない、隣同士でも何か今は交流がない、他ではあるのだろう。この庭は広いからもったない、でも庭を造るとなると一大事業になってしまう。だから放置されて荒れている。ただこの石を俳句にしたのはずっと見ていても今になってからだった。そこに石があるということをいつも見ていたがそれが確かにここに大きな石がありその石を身近に感じて俳句にしたのは今日が初めてたったのである。
つまり人間は近くのものを良く見ていないしその意味も知らないのである。


石は定着する存在感を示していたから絶えず移動して暮らしている現代の生活にはそぐわないところがあった。ところが誰でも年になれば定着志向になる。どこかで落ち着きたい、あまり動きたくないとなってしまう。特に病気になったりしたら動くにも動けないのである。すると近くがより大事になり近くのものに目をそそぐことになるのだ。隣近所は今は疎遠になっている。そういうのはやはり自然ではなかったのである。隣の庭に大きな動かない石があるというときそれは人間でもありそういう長く住んでいる人があれば落ち着くとなる。ただ隣近所の問題は嫌な人もいて離れがたいということがある。


石にはこの石だけではない、相馬藩内でも写真で紹介したがいろいろな石があるのだ。その石にはそれぞれの性質がある。ただ石というのはそれだけそこにあることが長い、千歳の石、岩となるから石を見ることは長い歳月をかけないとその存在感がわからないのだ。自然のものは長い時間で見ないとその存在感に気づきにくいのである。だから騒々しい都会で石のことを知ることはなかなかできない、石や岩は何か都会とそぐわない、現代文明ともそぐわない、その時間感覚でも動かないという存在感でもそうである。石の時間と文明の時間感覚はあまりにも違いすぎるのである。自然の時間感覚でもそうである。機械化された人間の時間は疎外された本来の原生の時間を奪われた時間感覚なのである。上野霄里氏が言う原生感覚の時間の復帰が望まれるのだが現代の文明生活の歯車になっていたらそれはできない、文明を離脱しないかぎり原生の自然に感動することもありえなくなったのが現代なのである。


ともかく枯芒でも雨にぬれているというとき何か心にしみるのも年である。雨にぬれつついつくということがある。いつくほかないということもある。仮設でも二年近くになると一つの定着した風景になる。落葉が雨にぬれて仮設の人が歩いている。ああ、選挙戦がはじまってうるさくなった。政治はどっちにしろ期待できない、結局より悪くない所を選ぶほかないのが選挙なのかもしれない、民主党のような甘言にのって大失敗をした。よりよい、もっとよい、最高のものを選んだ結果だったのである。悪いことをしない、実行できないことは言わないというのも誠実でいいとなった。政治だけではどうにもならないのである。政治で今の経済を良くしたりできないからである。

「エホバの証人輸血拒否事件」 (他人の血でも命が助かることは感謝すべきだ)


「エホバの証人輸血拒否事件」

(他人の血でも命が助かることは感謝すべきだ)

人の血を我が血に入れぬ人はみな血族のみにて生きることなし


 日本でインフォームド・コンセントが注目されるきっかけになった事件に「エホバの証人輸血拒否事件」があります。1992年に東大付属病院で起きた事件で、患者の了解を得ないまま、担当医が手術の際に一方的に輸血をおこなった行為をめぐって、民事訴訟で最高裁まで争われました。今回はこの「エホバの証人輸血拒否事件」を考えたいと思います。
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/yhwh.htm

宗教というのは霊的なもので、「人の魂に与える影響」を語るものです。
体内に摂取するものの是非を問うたり賛否を唱えたりすることは、医者や栄養士の仕事であって、本来、宗教が携わる仕事ではないものと考えます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1547428.html


エホバとかもカルトなのである。アメリカに本部があったり韓国に本部があったりするは独自性がそがれる。内村鑑三とか手島郁郎はアメリカを拝金主義だとかいろいろ嫌っていた純粋国産で培養するキリスト教を教えた。韓国とかアメリカが本部があり団体だということは政治的に影響されるのである。たいがい政治化した経済化した宗教はカルトになる。愛国心をあまりに鼓舞するのもカルトになりやすい。政治とか経済は一番わかりやすい,腹のたしになること欲望を限りなく満たすことをでありそれはすべて容認されるし奨励さえされている。創価などはその典型である。だからこそあれだけの数が集り権力団体、圧力団体と化して世の中を権力を我が物にしようとしているのだ。そして仏の神の権威を楯にして罰あたるとかなんとか脅してくる。もし権力がないのならかまわない、一人が言うならそれもいい、しかし実際に一千万人の人間が集団化して罰あたると叫んで権力をもったら、警察でも動かせたら恐怖である。実際にそうなっているから未だに恐怖なのである。


やはりこの世では常識をもっていればカルト団体にはひっかからない、なぜ常識が逸脱してくるのか?信仰のためには集団を組織を守るためには他者を殺してもいいということが正当化される。でも宗教で他者を殺すことを容認する教義はないだろう。どうして人を殺していいのか?そう疑問に思ったら考え込んだら簡単に人は殺せないけど集団催眠にかかっているとそういうことが見えなくなる。
そこに集団の恐ろしさがある。エホバにしてもそうした集団でありそういう教義が常識的におかしいと思っても集団の力でそうではないとされるときそれを実行するから怖いのである。宗教は常識を逸脱する。内村鑑三なとが説いた信仰は実に理性的であり常識的であることがわかる。その上に信仰を説いているのだ。集団的になるとき常識を逸脱してもそれが正しいとなるし他者の意見を聞かなくなるのだ。


自分は手術中ではなくても手術の後に輸血した。輸血したのははじめてでありなんとなく嫌な面はあった。でも自分の常識的な考えでは他人の血で助けられたという意識をもった。他人の血が入って良くなったと常識的にそう思ったのである。自分の血液型は変わっていてそんなに同じ血液型がないと言われた。だから血液が貴重だったのである。自分は自ら輸血したことはない、体が弱いこともあり親戚の人が手術するとき輸血してほしいといってもしなかった。若いときでも何か自分が体一時かなり無理して衰弱していたのである。その後今まで生きられたのは無理をしなかった一語につきる。楽な生活がつづいたからである。無理して栄養不足になったりした人はみな早く死んでいる。戦前までは長生きしていないのはそのためである。栄養をとり無理しなければ病気にならなければ長生きするのである。


自分は輸血されて単純に思ったことは他人の血で元気になり生きられるということであった。だからその血を提供した人に感謝せねばならぬと思った。病気ではだから他人の臓器でもそれでその人が生きられるとしたら他人に感謝する。自分は他人のおかげでいきられるとなる。そもそも人間は様々なことで他人の犠牲やら奉仕やら何やらでじかに感じなくても生かされているのだ。そして人間だけではない、様々なもの肉食をしているから動物の犠牲の上に命がある。だから本当はニワトリでも自らしめて殺して食べればこれは動物の犠牲の上に生きているのだと実感する。そういう過程が文明では省かれたから命の尊さのようなものがわからなくなった。人間は他者であれ動物であれ犠牲があって生かされているのだ。だから他人の血でもそれで生き延びたとなれば感謝することが当然でありそれを医者に訴えるのはカルトだからである。

カルト宗教団体は常識が通じないのである。輸血されるのが嫌ならば医者にかからなければいいのである。医者側にとってただやっかいなお荷物になるだけなのである。人間は血族とか一族とか血筋とかにこだわるけどそういうものがすべてではないし宗教は逆に血縁と肉なるものから生まれたことを否定している。つまり結婚も否定しているのは肉からではなく霊から生まれることが肉より大事とするからである。兄弟となるのは肉とは血縁とは関係ない、愛し合うものが兄弟なのである。だから誰彼の血だとか他人の血だとかこだわるのはまさにそうした血にこだわっている。別に助けてくれるならどんな人の血でもいいのである。その血にこだわるこことは肉にこだわっている証拠である。いづれにしろカルトには何を言っても通じない、盲目の国である。集団で鎧のように身を固めていて異物を入るのを拒むのである。客観的な評価を拒みすぐに宗教の批判は許されないとかなり一千万人が同調して罰当たるの大合掌になり排除されるのでてある。


カルト宗教団体でも宗教を信じる人は信じられない非常識な人もいるし冷酷な人も普通にいるのだ。だからどの宗教を信じていようとその人間をみなければならない、宗教ではわからない、どんな宗教を信じようが悪人はどこにでもいる。悪人が宗教を利用することも普通なのである。それがたいがいのカルトなのである。あの人は宗教信じているからいい人だなどと思わないし信じることもできないのである。むしろ常識を逸脱する人が多いからつきあうこともむずかしいとなるのだ。自分のいたらなさ愚かさから災いをもたらしてもそれが神仏のせいだとか信仰がたりないとかなったり変なのが多いのである。普通に嘘つきも性格の悪い人もいろんな人がいる。おとなしい人もいるからみんなが悪い人とはかぎらないがカルト宗教団体に入ったらすでにその人はその色にそまり常識を逸脱するのである。教祖様に従うというのも異常であり常識を逸脱する。その教祖様自体が欲の塊りのような俗悪なのが多すぎるのだ。だからこそ多くの人が集められるということである。精錬潔白な人はこの世では一番煙たがられ嫌がられるのが普通である。だから団体化した組織化した宗教はすでにこの世の汚れどっぷりとつかったものなのである。

posted by 老鶯 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2012年12月05日

忘れられた川や海への視覚 (津浪で海が意識された-相馬藩の中村へ城の移転の謎-多賀城の近くにも津浪)


忘れられた川や海への視覚

(津浪で海が意識された-相馬藩の中村へ城の移転の謎-多賀城の近くに津浪)


●多賀城跡に吹いた海の風


陸奥のおくゆかしくぞおもほゆる壷の碑外の浜風 西行


多賀城の壺のいしぶみに立って外の浜風を感じることは普通はない、そこが海への視覚が失われたためだった。岩切のことで書いたけど鴎が七北田川にそい飛んできてそのことを俳句にした。そしてそこで冬だったけど海から吹いてくる風を感じたのだ。川をさかのぼって吹いてくる風である。鴎も意外と川をさかのぼって川を道として上流に飛んでくる。多賀城駅の側を流れる砂押川がありそこにも鴎が飛んできたのである。多賀城のあったところの近くにも砂押川が流れていた。これは小さく感じるが古代ならそれなりに広いものだったかもしれない、堤防もないから古代の川は広く流れていたのである。多賀城辺りで今は市街地化してほとんど海を感じられない、完全に都市の景観の中に海は遮られて見えない、まず海を感じることがないのだ。だから多賀城で感じたのはむしろ遠くに見えた蔵王とか泉が岳とか連なるみちのくの冬の山だった。そこにすでに雪の冠雪がありここから大和を奈良を望んだら古代ではどれだけ遠いかと感じた。


冬の山さえぎ遠くは大和かな


こんなふうになる。そこに海の視覚は全く欠落しているのだ。そこでどうして西行が外の浜風を感じたのかと今なら思うだろう。ところが今回の津波でわかったことは海が実際は近く古代は海は近くに望まれていたのだ。多賀城でも海は近い感覚の場所だった。市街地化した建物などがなければ海の風を吹くのを感じられる場所だった。海は江戸時代までは北前船などや塩田を作ったりと生産交通の場であり漁業も盛んだから海は生活と密着していた。縄文時代から海は豊かな漁場であり松島辺りだと貝が大量にとれる住みやすい場所だったのである。東北博物館でもいかに多くの種類の魚をとって暮らしていたかわかる。縄文人が食にまずしいということは一概に言えない。新鮮な魚や貝には恵まれていたのだ。日本自体が縄文時代は海の幸に恵まれていた。今回津波に襲われた所は実際は海の幸が豊富な所であり縄文人がその幸に恵まれて暮らしていたのである。


tunamitaga222.jpg

●忘れられた海や川の交通


江戸時代までは海や川の交通が大きなものとなっていた。明治になると鉄道になり交通としても忘れられてしまった。陸の交通はいろいろ山などが障害となりむずかしかったから川や海の交通が欠かせなかった。飛鳥でも奈良でも大和川とか大阪の難波の海と通じて交通があった。それは万葉集にも歌として残されている。

泊瀬川 夕渡り来て 我妹子が 家の金門に 近づきにけり


万葉集巻九・1775

と、万葉集にも詠まれている初瀬川だ。
古くは泊瀬川と書くことが多かったが、これは大和川を溯ってきた舟がここで停泊する瀬であったことに由来するのであろう。事実、仏教伝来の地とも言われているこの場所は、大和川を通じ瀬戸内海、ひいては大陸ともつながる交易の地であったと推定されている

後に「つばいち」と呼ばれるようになったこの場所ではあるが、万葉集の時代以前は「つばきいち・つばきち」と呼ばれていたであろうと考えられている。「山辺の道」「上つ道」「泊瀬道」「山田道」「横大道」といった古の主要道が交わる立地に恵まれたこの地は水上交通の要衝であっただけではなく陸上交通の要でもあった。
http://soramitu.net/zakki/?p=543


川の交通は大和川となると難波の海まで通じていたから長距離であった。でも川の交通は短い距離でもあった。むしろ短い距離が多く水駅がもうけられた。水駅は川の駅だった。南相馬市の泉官衙跡、廃跡も新田川と結ぶ運河があったことが発掘でわかった。新田川を利用するとしてもその距離は短い、さらに運河まで作ったというから荷物を運ぶのには川は古代ではどうしても必要だったのだ。泉官衙跡には米などが結構大量に運ばれていたのである。それで神火騒ぎがあったことでもわかる。米などを貯える倉もかなりあったのである。水駅というとき中世にもそれが継がれていた。

岩切で考察したように河原市場があったということでもわかる。舟が湊浜を通じて昔の冠川(かむり)から荷が運ばれていた。海を結ぶのが中世までは川だったのである。交通における海と川の役割は現代になり全く見えなくなっていた。交通が変わり時代が変わるのである。江戸時代は鉄道ができて交通が変わり栄えた港は過去のものとなり歴史を偲ぶだけになってしまったのである。鉄道から車になったらよけいにそうである。川でも海でも交通として死んでしまった。ただ自分は旅をしたとき船旅を相当した。北海道に行くとき必ず太平洋フェリ-で苫小牧に行き北海道を回ったのである。
一日泊まっても北海道に行くには便利だった。船の交通は陸よりずっと便利なのである。もちろん昔の船は今の船とは大違いにしろ危険にしろ船だとかえって便利だから北前船で栄えたのである。


●相馬藩の成立にも船の交通が関係していた


小高から中村へ(戦国武将相馬義胤の転換点) 岡田清一
http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2011/pdf/bk2011no09_01.pdf

をインタ-ネットで読んで面白かった。中村に相馬義胤が城を移動した理由を考察している。小高を根拠としていたが海岸の村上に城を移動して
原町の牛越城に移動したりとしたのはなぜか?それは一つは在地に根を張る一族の権力を弱めるためだったという。その一つの証拠として泉官衙跡があった泉田氏を改易したことにあった。ということはここでは何か湊が古代から中世とかまであり海との交通があった。何らか海との関係が継続していた。桜井古墳も海に近く新田川の川岸にあった。川と海が交わる要所にあったのが桜井古墳だったのである。津波は桜井古墳のすぐ近くまできていた。何か津波を想定していたような場所にあったのである。そもそもなぜ泉官衙跡があんなに海に近い場所にあるのか?それが疑問なのだがやはり何らか海との交通があったのかもしれないととるのが自然になる。そこで古代から開け泉長者とかその継続として泉田氏が勢力をもっていたのである。それでそれをそぐために牛越城を相馬氏が構えた。相馬氏はまだ在地の勢力をまとめるまでにはなっていなかったのである。

それから小高でも塚原とかに湊があり交通があった。

murakami111.JPG

クリック拡大! 

村上に城を作ろうとしたのは湊があったからともとれる。海への視点があった。海は塩田であり漁業であれ交通であれ古代から重要なものであった。松川浦の宇多の湊は知られていたらしい。磯部も重要な湊の役割があった。南相馬市の鹿島区の海老も今生きている90才の人が言っていた。海老から帆掛船が出ていたとか湊があった。確かにそれは江戸時代である。江戸時代になると新田開発が盛んになるから海側へ干拓して住む土地が広がっていった。だから中世からの湊がありそこに交通があり物資や人が往来するということが想像しにくい、むしろ村が拡大したのは新しい村ができたのは米を作る開拓ができるようになったからである。それで青松白砂の風景ができた。田んぼを塩害から防ぐために防潮林の松林が海岸線に延々と作られたのである。それが今回の津波でほとんどなぎ倒されたことは衝撃だった。400年前にも今回と同じ慶長の大津波があった。その時の被害も大きかったが相馬藩から宮城県の六郷に移住している武士がいた。そこは津波の被害が大きい所だった。相馬の和田で津波の被害にあった農家の人が言っていたが塩害でも米は育っているという、意外と津波でもそれなりに回復して米は作れたから伊達藩ではどうしても江戸に米を売る必要があり津波の後も米作りをしたから相馬藩の人もそこで必要とされたのである。
いづれにしろ海の交通とかは忘れられ安いのである。古代になると特にそうである。みちのくの真野の草原(かやはら)は湊だった、地名だったと自分が解釈したが塩崎の船着とか市庭とかの地名が将にそれを示していたのだ。多賀城でも市街地化しているけど船塚とかあり海が奥まで入りこんでいたし沼も多かった。多賀城下まで砂押川をさかのほって津波がおしよせたのである。歌枕の末の松山が当時の津波と関係していたことがその時有名になったのは今回の津波でも証明された。


相馬藩では中村に城を築いたのは伊達に対抗するためだという説が大方をしめていた。それだけではない内部の時代の変化に適応するためでもあった。もし海の視点があり船の交通のために中村に城を築いたことが一つの要因とするとこれも意外だなと思う。
それは義胤が


najima1111.JPG

この見聞が影響したというのも面白い。でも宇多の湊は中村城下からは遠い、それでも当時はもっと内陸に海が入っていたのでそうでもなかったかもしれない、ただ海の視覚から中村城を築いたとは地理的には地元の人でも思えない、むしろ背後の山を防御として意識したとか思う。松川浦でも中村城だと遠く感じる。小高はむしろ海が近いし津波が小高駅まできて小高城まても近い距離にあった。不思議なのは慶長の津波の一か月後に中村城が築かれているのだからなんらか津波の影響があり中村城を作った。内部的事情があり津浪があったのだから小高では危険だとなり中村に移動した。

posted by 老鶯 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2012年12月06日

寒烏(カラスには仲間意識がある)


寒烏(カラスには仲間意識がある)


びゅうびゅうと北風唸る仮設にも

寒烏一かたまりや風唸る

十羽ほど枯木に烏黒々と群れて動かじ北風唸る
我が庭の小松をゆらし北風のうなり吹くかな耐えてあれこそ

石の陰なお一輪の岩桐草咲きひそまりて北風唸る

今日の風は木枯らしというものでもなかったのか?嵐の風だったのか?すさましく一日吹いた。
烏が枯木に黒々として十羽くらいとまっている。それがなんとも身にしみるというか何かみんなで黙々と北風に耐えている姿がある。烏には他の鳥とは違って仲間意識がある、仲間意識が感じられる。鴨も仲間といつもいるから仲間意識が感じられる。俳句だと寒烏である。

鷺とか椋鳥とか雀でもそんなに仲間意識は感じられない、群れているのだけど数が多いからかもしれない、烏は数としては十羽くらいがいつも群れているから仲間として適当な数になる。鴨も百羽くらい群れているときあるから多すぎるとなる。烏が一番数として適量だからよけい
仲間として群れる鳥として意識するのである。

仮設もこのくらいの風だとどうなっているのか、風が隙間から吹き込んでくるかもしれないしかなりゆれるかもしれない、仮設もそろそろ二年になる。仮設で暮らした経験も不思議だろう。特に会津とか遠くで暮らした人はどう思っているのか?毎日故郷に家に帰りたくて泣いている年配の女性がいたからそういう人も結構いるきかもしれない、仮設に暮らした人でないとこれまたその気持ちはわかりにくい。

結局原発事故でも骨身にしみたのは住めなくなった警戒区域の人たちである。その人たちは原発の恩恵も一番受けていたのである。共産党で一部反対していたがほとんどの人は反対していない、原発で働いている人が多かった。原発はどこでも金のなる木だったのである。山尾三省はロウソクを使っていたのか、電気がなくてもロウソクでも家族一緒に暮らしたいという人が警戒区域に大熊辺りにいたことでもわかる。そういう人たちは原発事故の被害を骨身にしみて感じた人たちである。自分はそれほど感じないにしても警戒区域に入れないとか風光明媚が自然を鑑賞できないのがもったいないのである。特に浪江は高瀬川などがあったから余計に感じる。5年間も警戒区域で入れないというのが惜しいし理不尽なのである。飯館は別に自由に村の人でなくても出入りできるからいいのである。

小高の人でも帰りたくないというとき隣の浪江が警戒区域で荒れているからその影響を受けるから嫌だという。浪江は街が放棄され自然状態にもどっている。荒れ放題になっているのだ。その影響を隣であれはうける。すぐ隣がそんな状態では嫌だというのわかる。東京のような都会だったら美しい自然を失うということはない、でも田舎だったら美しい国土が汚染され失うのである。その罪は重いのだ。東京のような都会が大事にされるのは美しい自然があるからではない、自然は消失しているのだから自然がなくなるということもないのだ。だから本当は原発は東京に作るべきだったのだ。
今回の津浪でも東京だったら事故にもならなっかたかもしれない、津浪の被害はなかったろう。

原発を東京に作れと主張して本を出していた人がいた。でもそれは冗談かSFの世界の小説のようにされてしまって注目されなかった。それは注目されないように東電や政府で情報を操作していたのだ。書店も出版社も実際は巨大な権力に操作されている場所なのである。確かにそういう本が出版されても誰もそんなもの注目しない、戯れ言のようにみられていたのである。それはそのように操作されていたのである。戦争でも日本軍が勝った勝ったとばかり報道していれば勝っていると思っていると同じである。情報は必ず権力によって操作されてしむけられているものなのである。


今日も家事に追われて一日が終わる。湯豆腐は簡単である。豆ご飯も簡単に作れた。少しでもこうして料理ができるようになると楽である。料理は手間がかかりすぎるのだ。だから簡単なものしか作れないのである。

 

美の結晶 (パソコンの抽象画は化学実験ににている?)


美の結晶

(パソコンの抽象画は化学実験ににている?)

cristarized11111.jpg

美の結晶

akaihamonnn111.jpg

女性の接近

womannn23232.jpg

脳の内部(女性的なもの男性的なもの)




パソコンのソフトの抽象画作りは化学実験とにている。つまりどういうものを描こうとしているのではない、偶然の作用でなったものに意味を与えているのだ。具象画だったらこんなことはない、描く対象がありどういうものを描くかを事前に見ていて描いている。
抽象画はただ化学実験のようにパソコンのソフトで加工しているだけである。機械的にしているのであり何か創造的なものをしている感じがしない、ただ偶然に変化したものがこれは何かににているとなって題をつける。


美の結晶というときまさに火山の中でダイヤモンドが生成して結晶する感じになる。
人間は必ず芸術を追求していれば晩年にはその追求したものが何でも結晶してくる。
若くても死ぬとなると芸術はやはり結晶した表現になる。啄木などがそうである。
一般的には晩年まで待つほかない、そこで今まで貯えていたものがダイヤモンドのように結晶してくる。


つまりダイヤモンドのように結晶するにはいろいろな経験をししていろいろな要素が混成して化学実験のように新しい物質が生み出されるのとにている。ただそこに不純なものが交じると結晶するのはむずかしい。やはり芸術として結晶しないのは何か追求する過程で不純なものが交じったためである。それは商業主義と名利とか何か芸術そのものより別なものを求めたためだろう。
そういう人が多いのである。


ともかく晩年になるとつまらない知識すら活かされてゆく、無駄なものが何一つなくなる。それが文章で絵でも何でも結晶してくる。旅でも経験したものが全部ダイヤモンドなどになる結晶作用してくる。脳というもの明かに生まれつきものではない、体さえ習慣として作られてゆくように脳も作られてゆくのだ。能力は開発しない限り発揮できない、天才は別にして能力も脳も一生の間に作られてゆくのだ。だから不純物が入ると脳は乱れ結晶できなくなるのだ。それは能力あるなしにそうなのである。人間は確かに素質はあっても習慣によって作られてゆくものなのである。

若いときからの積み重ねで晩年の脳も作られてゆくのだ。学者だってそうした知識の積み重ねの結果として論文も書ける。それはあらゆる分野でそうである。どんな人間でも一分野を追求していれば詳しくなれるということである。


 

2012年12月07日

津浪の後の冬景色(原町まで自転車で行く)


津浪の後の冬景色(原町まで自転車で行く)


tunamimigita1111.jpg

tunamimigita2222222.jpg

津浪でこのようになった
この景色がどれだけ美しいものだったのか
八沢浦も一時海になった
古代の風景がこうだったら
やはり真野の草原は面影にして見えるほど美しいともなる
朝日が上り陽の光がさしてきらいらかがやいたらどれだけ美しいか?
死んだ人がいるんだからそんなこと言うなと言われるが
やはり美しいものは美しいのであり感嘆するのである


kazejitennsha111.jpg

kangarasuu19.jpg
すべてクリック拡大!


寒烏十羽一団風唸る

風受けて自転車に行く冬の草
六号線の途切れ道の駅時雨かな
みちのくの枯野の果てや沖に船
凍雲の動かず介護つづくかな
鍋こがし師走の地震また騒ぐ


津浪跡冬の夕日に残る松あわれなるかな沖に船見ゆ

塩崎津浪来たりぬ船着の名のある古代冬の陽没りぬ
静かなる冬の林にかすかにも小鳥の鳴きつ飛びわたるかも

静かなる枯木林に凍雲のたなびき動かず日の暮れにけり

烏は川にあんなにいるのは鮭が上っているせいである。鮭の死骸も食べている。なんか雀は減っている感じがする。冬もあまりみかけない、問題は動物は何を餌にしているかである。

雀の餌
よくスズメの成鳥は、お米や野菜なんかを食べに来ますが、本には、「野生のスズメのヒナは、親スズメからクモや幼虫など、動物質のエサをもらっているので、家庭で育てるときも最初は動物質のエサを与える」と書いてあります。クモや幼虫やハエや蚊、等だそうです。少しならしたら、すりエサ(水に浸したムキアワ、ボレー粉、水、水菜をドロドロにさせた物)をあげるそうです


烏の餌


・肉類と脂類が好物で、時には生きている獲物を襲うこともある。
・天敵がいないために産んだ卵が全て孵りますます増える結果となっています。
・小動物 植物 果実や農作物 樹木などの種など、農耕地に多く生息する。
・ハシボソカラスが農作物を比較的多く食べ、
ハシブトガラスが本来であれば樹木の種や森の小動物 昆虫を多く食べます。




この辺の植物とか動物の生態は変わってしまった。田んぼがないことが生態を変えたのである。田んぼには水生昆虫とか蛙とかがいたから鷺がそれらを餌にしていた。ところが夏にそれらがいなくなったから鷺がいなくなった。でも川に餌があるから鷺がいた。最近になって鷺が増えたのは鮭が多く上ってきてそこに集まっていた。今日は小さな川なのだけど鷺が集まっていた。ただあんな小さな川に鮭が上ってきているのか不思議であるが原町でも上ってきていたからなんか小さな川からも鮭が上ってきている。雀がへったのは米や野菜がないからかもしれない、でも昆虫類も食べるとすればまだ昆虫は森とかにいる。冬の森であかげらが盛んに木をたたく音がひびいていた。アカゲラは大量の虫を木をつついてほりだして食べていたのである。森閑とした森でもアカゲラにとっては忙しかったのである。そこは岩手県の小岩井牧場であり一面の雪におおわれていた。この辺ではアカゲラが一回くらいみてもなかなか見れない、


近くに森がありそこを原町まで自転車で行く、電動自転車だから坂をのぼりやすい、自転車にのっているとやはり自然を感じるからいいのだ。今日はそれほど寒くないみたいだった。風もそれほどでなかった。この辺は北風がこれから吹く、相馬の空っ風とかなる。冬の草というとき刈田になっていないから草が生えているのだ。刈田だったら草が生えないのである。
電動自転車は風にも強いから頼みになる。結局風流を感じるにはまさに風の流れを感じるのだから車ではもう風流もない、今日は時雨もあった。時雨は太陽が出ているとき日がさしているときぱらぱらとふるのが時雨である。一面に曇った時の雨は時雨ではない、それから森には凍雲が動かずたなびいていた。この凍雲はほとんど寝たきりの母とにている。介護も今は実際は相当長くつづくのだ。

人間は今は簡単に死なない、なぜならエアコンをしたり栄養あるものをそれなりに食べさせたり介護が手厚ければ簡単に死なないのだ。それで介護が長くなり余計に金もかかる。電気代もかかる。

これが病院に入院した人もそうである。南相馬市立病院は事務で金の請求があって払いにいったら半分に縮小していた。なんか病院でも淋しいとなる。自分がかかった医者はやめたのかもしれない、名前がなく福島医大の先生となっていたからだ。医者はどこでもひっぱりだこでありこうなると楽じゃないから勤めたくないということがある。勤務医は移動しやすい、両親などいなければ移動しやすいのである。開業医はその土地で暮らすから土着的になると書いた。看護師でも土着的でないと一時的に来ても仕事とならないから困る。ただその土地に何か特別愛着がないと定着しないだろう。

70才くらいの産婦人科の開業医が最後のミッションだとこの土地でがんばっていたのはそれだけ長く医者をしていたからである。つまり仕事でもその土地に長くいることで土着的になったときその土地に愛着をもつのである。一般的にその土地に長くいると愛着を覚えてくる。長くいると人間はやはり生物なのだから石や樹のようになると何度も書いてきたけどそれが自然なのである。別に特別愛着がないにしろ自然とそうなってしまうのである。だから老人が長年親しんだ土地を離れるのは一番辛いことだったかもしれないのだ。


今日は大きな地震で怖かった。1メ-トルだというとき何だとみんな思っただろう。1メ-トルでは避難する気にもなれないだろう。いくら津浪を経験してもそうである。あの時は最初、6メ-トルというときやはり驚いた。1メ-トルでも実際は3メ-トルにもなるかもしれないと警告していた。6メ-トルでも10メ-トルくらいを予想しなければならなかった。10メ-トルとなったらこれは瞬間的にも驚く、6メ-トルと10メ-トルの差が大きかったのである。これで味噌汁を作るために火をかけていたのが忘れて鍋を焦がしてしまい使えなくなった。台所が食事するところと離れているから困るのである。

食事の用意をするとなると台所が近くないとやりずらいのだ。それで運んだり手間がかかっている。料理は結構手間なのである。勤めている独身の男性でも帰って料理するのがめんどうだというのがわかる。疲れているのにまた帰って料理するのでは休めないのである。ともかくここ五年間は何か自分は何かに絶えず追われているのだ。介護であり最悪の自然災害であり原発事故とかおさまらないのである。ただ病気のことが一応手術で一段落したので余裕ができたのである。自分が病気だったらこんな状態だったら火の車になってしまう。現実そういう日々がつづいていたのである。

 


 

津浪の高さ1メ-トルか、それにしては大騒ぎ? (人間は何を信用すればいいのか?)

 

津浪の高さ1メ-トルか、それにしては大騒ぎ?

(人間は何を信用すればいいのか?)


●1メ-トルという数字にこだわる人間の心理


今日の地震は怖かった。揺れが長いし何か不安になった。すぐに津波警報がでた。南相馬市でも津浪注意報で高台に逃げてくださいと家のそなえつけのスピ-カ-から何度もアナウンスされた。その場所まで指定された。注意報でそれほどまでするのかと思った。海岸とか川には近づかないのがいいがそこまで避難せねばならないのかとなるとやりすぎではとも思った。やりすぎでもやはり地震が大きいからしかたないという意見も多かった。北海道から関東まで広範囲の地震だった。師走に日本列島が震えた。やはり自分の場合ガスに火をつけて味噌汁を作っていたがテレビで盛んに警告していたので火をつけていたのを忘れ鍋をこがし使いなくした。台所が離れているから別に地震でなくても忘れることがある。火はこうして地震のとき消せないことが多いのだ。特にガスは危ないとなる。


1メ-トルの津浪とNHKで盛んに言ったし現実に鮎川に一メ-トルの津浪が来たというしそれ以上のものが来るとも言った。でも一メ-トルだと恐怖感がまるでないのだ。3・11の津浪は6メ-トルだった。こんな数字を見たことがない、たいがい一メ-トルくらいで一メ-トル以下のが何十センチが多かった。6メ-トルは瞬間的に高いと思ったがそれでも反応しない人が多かったのである。6メ-トルは10メ-トルでもあったし実際は20メ-トルだったのである。なぜ反応できなかったのか?一メ-トルだったらわかる、6メ-トルは瞬間的にしても恐ろしく高い数字だったのである。なぜかわからないが津浪の数字など出さない方がいい、早く逃げろと言った方がいいとかいう人がいた。人間はなぜこういうとき数字にこだわるのだろう。文明とは基本的に数字から成り立っている。何でも数字で判断するのが習慣となっている。統計的にも常に数字が文明の言葉にすらなっているのだ。これが江戸時代やまして縄文時代とかなれば数字では判断しない、数字の魔術がありそれで見えるものも見えなくなっているのかもしれないのだ。


●数字の魔術に注意


例えば病気になってから新聞の死亡蘭を毎日見るようになった。そこで必ず50才でも60代でも死んでいる。一割は死んでいる。高齢化なのにこんなに死ぬのかと不安になるのだ。統計を見ると例えは65まで生きる人はすでに15パ-セントは死んでいるのだ。65までいきられなかったのである。
これが百人の15パ-セントは15人死んでいるのことなのだ。同級生で50人クラスだと6人くらい死んでいる。それだとたいした数ではない、でも百人になると15人でありこれが千人になると150人であり
百万人になると15万人死んでいるのだ。ええ、15万人も65になるまで生きられず死んだのかと驚くのだ。ここに数字の魔術がある。数字だけで判断すると何か具体的なものとかけ離れる場合があるのだ。現代文明は数字だけを追っている傾向がある。遂に人間は数にすぎないと文明批判した人もいる。個性はなく名前もなく数にすぎないとなる。現実的に文明はそうなって人間存在が希薄している。
名前すらなく数にすぎないとされる。選挙などもそうである。一票もしょせん数であり数で決まるとなり人間は一票の数にすぎない、それだけの価値しかないとなる。だから創価などでは選挙の一票としてしか人間を見ていない、どうしたら数を集めるしか頭にない、一票に結びつけばそれだけ権力をもつことができるからだ。それはどこの団体でもそうである。数を集めたものが民主主義では権力をもつことになるからだ。政治は金と数だと田中首相が言ったがそれが現実なのだ。


ただこの数字で何でも判断すると津浪さえ何かその魔術にひっかかり誤ることがあるのだ。1メ-トルというとき人間は不思議に1メ-トルにこだわる。やけに数字にこだわる。数字で判断するのだ。もし数字が出なければまた判断は違ってくるのだ。だからかえって数字を出すなという意見もあった。
6メ-トルでなくて最初に10メ-トルだとかなりのインパクトがあった。6メ-トルと出したことでそれでも避難しない人が多く死につながったのである。数字が生死を分けたことに驚いたのである。
津浪とか地震とかは数字で計れないものかもしれない、体感が大事だということもある。
機械に頼り機械の数字で地震の強度を判定して放送して失敗したという報告もあった。
体感的には3・11の地震は数字で計れずあとでマグニチャ-ド9にしたのである。
つまり体感ではなく機械を頼り数字を頼ることは一面危機に対して判断を誤ることがある。
かえって直観的な感にたよることが助かる場合があるのだ。その感が今や機械化で衰退した。
だから機械に頼り数字に頼り放送に頼りとそういうものに頼り自分の感に頼ることをしないことが危険になる。海外旅行では若者は有利である。言葉を知らなくても平気でどこでも行けるのは若者は環境にすぐに同化して外国人でも友達になりやすいとか一番有利なのはその場その場で感が働くのである。自分は50才で海外旅行だから全く感が働かないからひどいめにあった。だからもう海外旅行には行きたくないとなる。


いづれにしろ今回の地震は体感的には大きく感じたから怖かったのだ。実際に広範囲でありだからこそあれだけ警戒したのもNHKを責めることはできないとなった。揺れが震度5でもマグニチュ-ドや体感からすると大きな怖いものを感じたのである。だからこのくらいだと津浪が襲ってくると普通に判断できるし逃げるのが無難だともなったのである。ただ一メ-トルにこだわるのは危険だともなる。
今回はそうでも次はそうでもないからだ。ただ震源地が遠いから津浪もたいしたことがなかった。
3・11は近くて大きかったのである。


●高さ一メ-トルで百パ-セント死ぬの疑問


理論上では、高さ1メートルの津波にのまれると死亡率は100%。台風や大雨と違い、横から押し寄せるエネルギーで身動きが取れなくなるためだ。

中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/earthquake/sonae/20120917/CK2012091702000033.html


これって本当なの?波の圧力が一方向じゃないのが津浪なのか?一メ-トルでも圧力が違っているのか?津浪はわかりにくい、引き波で一メ-トルでもひきずりこまれるということも怖いのだ。
でも1メ-トルでそんなに怖いの?これも疑問なんだよな、1メ-トルでは逃げないだろう。
でも一メ-トルの意味は体一メ-トルにひたることだと思う。身長が1メ-トル70センチでも一メ-トルだったら半分以上水にひたるから怖い、でも体に一メ-トル水がひたるとは書いていないのだ。
つまり津浪の高さが1メ-トルとはどこから一メ-トルなのか書かれていないのだ。
体が一メ-トルひたれば怖いが普通はそうならない、どこの水面から1メ-トルなのかが問題である。
だからこういう記事も良く自分で想像してみないと誤り安いのだ。


テレビでもそうだが新聞の記事でも瞬間的に見出しからすべてを判断してしまうのである。
だからテレビの報道は常に瞬間的に判断を強いられるから危険である。
犯罪でも一旦報道されただけでその報道されたことですでに犯罪人扱いされるし悪い印象をもち消せなくなるのだ。人間はやはり想像力が大事なんだけどテレビとか個々人の想像力が入る隙間がないのである。一方的に瞬間的に決められてしまうから判断を誤るのである。テレビ局によって判断されるのであり個々の人間の判断力は全く無視されるのである。

中日新聞でも津浪の高さが1メ-トルで百パ-セント死ぬというとき一瞬驚くけど中日新聞社だから一応新聞社だから信用することがある。それは科学的に確かでもその意味は違っているのだ。でもこれも瞬間的にすりこまれて恐怖になるのだ。そういうことが報道には非常に多いのである。

今や人間の信用するのがマスメデアとかにあった。NHKは一番信用されているからその影響が大きくなりすぎたのである。そこに落とし穴もあった。原発事故などでも全くみんなマスコミを信用していたからそうなった。誰も原発が危険だなどと放送しない、東電やら電事連やら多額の宣伝費が入っていたからである。それでも今はマスメデアをみんな信じているから影響が大きいのである。
批判した本がでていてもそれはSF的な冗談のような扱いにされていたしそういうふうにしむけられていたのである。

何を信用するかとなると誰も個人的なプログとか2ちゃんねるとか信じる度合いは極端に低いのである。プログなどは別に宣伝費などもらっていないのだからかえって信用すべきものがあるかもしれないが信用されない、匿名だということも信用されない、とすると信用されるのにはどうするのかということも大事になる。インタ-ネットが信用できないのはやはり匿名だということがあるのだ。例え信用したくてもそれで信用できないということがある。名なしの人や誰かわからなん人は信用されなくても当然だからである。そこにインタ-ネットの問題があったのである。


そんな中、「地震で家が崩れ外に出られない、救助を呼んでくれ」という 
「デマツイート」が急激に拡散され、朝日新聞社会部のアカウントも釣られる事態となった。 

このユーザーあてに「大丈夫?」「寒いですし、大変ですが耐えてください いつか救助が必ずきます」など 心配のコメントが寄せられた。また、朝日新聞社会部のアカウントからも「朝日新聞社会部です。
場所はどちらですか?DMなどでもいいのでお知らせいただけますか?」との返信があった。

http://www.j-cast.com/2012/12/07157349.html

これも匿名だし身元が特定できないからこういう問題が起きる。
こうした緊急の場合とかはインタ-ネットは役に立たない、信用できない面がある。
ただ速報性に優れているから緊急の場合役立つのだ。
テレビ以上に速報性はあるのだ。
今何が起きているから知らせることができるのだ。
問題は信用できないことなのである。
緊急の場合は疑っていて遅れたら死んでしまうから困るのだ。
この場合もそう思った人がいたのである。

朝日新聞もだまされたんだな、今やそれだけインタ-ネットは広がっている
社会化しているんだから責任もでてきているんだよ
便利なもんだから庶民にも役に立つけど信用できないんだよな
マスメデアも無視できなくなっているんだよ

posted by 老鶯 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係