2012年11月25日

冬紅葉、黄葉、山の月 (橲原かち栃窪を回る)


冬紅葉、黄葉、山の月

(橲原かち栃窪を回る)


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誰が墓や挿しにし菊の枯れにけり

黄葉に橲原(じさばら)暮れて立目石
手を合わせしかと祈るや蔦紅葉
山の端に月や橲原冬の暮
人入らじ橲原渓谷冬紅葉
山の上に夕日のさして冬紅葉
水の音苔むす岩や冬紅葉
晩菊や洗い場残る山の家
黄葉や夕雲滲む山の月
山迫り際立ち赤し冬夕焼

赤々と冬夕焼けの鮮烈に

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今日は橲原から栃窪を回った。紅葉は終わり冬紅葉になっていた。黄葉というのは冬だと思ったが秋の季語だった。黄葉と冬紅葉になっていた。橲原村は鹿島区の奥座敷にふさわしい。あそこは茶室を作ると何かあっている。村では同じ様でもそれぞれ個性があるのだ。橲原と栃窪村は違っている。
橲原村は小さい。あんなところに九州から応援にきている人がいる。この辺は外部の人が相当に入ってきている。橲原村で目立つのは何もないが入り口にある立目石だけである。公会堂の脇に千手観音堂があり石碑があって祈る像があった。時代がわからないのが残念である。江戸時代のものと思うがわからない。江戸時代だと価値があるが明治以降だと石碑には価値がなくなる。橲原渓谷は落石などで交通止めでありまだ開通していない、あそこは別に車が通らなくても迂回する道ができたから車だったら不便はないだろう。かえって人の入らない道にしたらいいかもしれない、人の入らないサンクチャ-リ-というのも必要なのである。今日は山の端にまだ夕暮れでもないので大きな月がでていた。満月なのだろうか?やはり山の端に出る月は趣がある。この辺の自然は海と山が楽しめるからいいのである。海から昇る太陽や月が見られるし山の村もある。ただたりないのが会津などにある高い山がないことである。高い山がないと風景に締まりがでてこないのである。


橲原から栃窪に行った。山から流れる水で洗い物などする場が残っている。昔はこうして山からの水で洗いものをししていた。町内でもこの裏側に用水路があり水をひいていたのでそこで洗濯していたのである。自然に則した生活だったのである。洗濯というときパリのセ-ヌ川で大勢の女性が洗濯する絵があった。洗濯だけで一仕事だったのである。インドでは洗濯だけを職業とするカ-ストがあるのもわかる。栃窪にもいい月が出ていた。冬の月という感じがしなかった。それほど寒くないからだろう。栃窪で山の方の道がありそこを回った。ちょうど夕日が沈み山が迫り冬夕焼けの色が鮮烈だった。上を見ると紫かかった雲に月が光りにじんでいた。月が特別きれいだった。黄葉と月があっていた。ただ残念なのは放射能汚染で田畑が荒れていることである。やはり暮らしがなければ山村は山村ではない、本当の山村の美しさは国木田独歩の武蔵野で書かれたような所にあったのだ。ただあそこでは作家が客観的に鑑賞して書いたものでありそこで暮らした人の実感は書いていない、画家がただ外から見て描いたようなものである。そこで暮らしている農民はやはり苦しいものがあったのだ。
人間の生活は貧しくても自然は美しかったのである。人間の生活が都会のように豊になりすぎるとかえって自然は消失して汚いものになってしまったのである。

昔の村は自給自足だから今の村とは違っていた。車がないから村の内で自給自足するほかないのである。歩いたり荷馬車でも町までは相当に遠いから簡単に行き来できないからである。車がいかに社会を変えてしまったかを知るべしである。ともかく今日は月もきれいで気持ちいい日だった。

自分は一時旅行も何もできなくなるのかと真剣に思った。でも旅行も登山も海外旅行すらできるみたいだ。そういうことができなくなる病気ではなかった。重篤な病気ではなかった。
まだまだ肉体的にも行動できるのである。もう何もできなくなると思ったからこれはまた新しい未来が開けたと思った。65才で一万人いたら一五〇〇人は死んでいるのだ。一割五分は死んでいるのだ。何か数の魔術なのか多い感じがするのだ。新聞の死亡蘭でも必ず一割くらいは六〇代なのである。
五〇代で死んでいる人もいる。だから何か死が身近かなのである。まず六〇代以降はいくら金があっても病気になったら終わりだと思った。いかに健康が大事になってくるかである。この健康も日頃の生活習慣が影響してくる。もちろんそれがすべてでないにしろ酒の飲み過ぎなどは明かに肝臓とか腎臓とかに負担になり弱らせるのである。多臓器が悪くなり七〇代前で死んでいる人などがそうかもしれない、いづれにしろ自分は病気になってもまだかなり健康な部類に入る。なぜなら旅行でも登山でもできる。ただ介護のためにできないだけなのである。