2012年11月19日

初霜 (人間は大地と自然と共に生きることに意義が生まれる)


初霜

(人間は大地と自然と共に生きることに意義が生まれる)

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初霜や大地踏みしめ老いてゆく

朝霜に野の道歩む残り菊
初霜や共に生きゆく大地かな
故郷に命いとしむ冬野かな


今日は初霜だったのだろう。夜から寒かった。残菊とか残り菊とかは秋の季語だけど実際は冬にふさわしい感じがする。なぜなら冬でも咲いていてまさに残り菊になっているからだ。今日は本当に霜であり野に残り咲く野菊の花がふさわしかった。何度も書いてきたけど人間が生きるということが何なのか深く考えて生きている人はいない、ただ老人になると生きる時間が限られて見えてくるのだ。
本当に今や先が見えてくる。死が日々迫ってきているのだ。そういう時生きるとは一体何だったのだろうとなる。この辺でも葛尾(かつろうむら)とか飯館村とか山の村がある。そういう不便な所で生きていた人もいるし街で生きていた人もいる。ただ田舎はやはり回りが田んぼであり大地というものを意識する。農業に従事していなくてもそうなのである。農業が実際は一割にも満たない生産高しかない、でも田舎に住んでいれば田んぼのしめる割合が多いから感覚的に農業が主体のうように見えてしまうのである。だから田んぼがない、原野化しても食料が得られているということが不思議なのである。相馬藩でも他でも飢饉があった。その時三分の一が餓死したとか伝えられている。米がとれなければ死ぬほかないという深刻さがあった。原発被害地域では食は十分に与えられている。働かなくてもいいからただパチンコで遊んでいると外から批判される。

思うに人間は確かに飢饉などがないからいいのだが生に対する真摯さのうよなものが豊になりすぎて失われたのではないか?

生きることの厳しさが失われた、ただ楽だけを追求して生への真摯さが失われた。生は気楽なものだと変わってしまったのかもしれない、現実に原発はまさにその象徴だったのである。この辺ではやはり原発があってこの豊さを享受していたのである。それが一転してともに真摯に生きるべき追求されるべき生が失われたのである。飯館村の作見の井戸は今年の豊作を祈り占うというときそれは実際は真剣だったのだ。他でも祭りは単なる遊びではない真剣な要素があったのである。米がとれなければ飢えるとしたら真剣にならざるを得ないのである。農業だけで生きるということはより自然と密着することになるのだ。頼るべきものが自然だけになるからだ。一方でこれだけ便利に物が豊になるとそうした昔の人たちが苦労して作り出していた食料でもないがしろにされる。そのことは捨てる食糧の量でもわかる。江戸時代は糞尿でも紙一枚でも捨てていない、利用していた。ロウソクも貴重なものであった。


蝋燭に火を灯して使うと下に蝋が溶けて流れるが、これを集めてまた蝋燭を作った。今風にいえば、使用済み燃料の再利用である。「蝋燭の流れ買い」という商売が成立し、町々を歩いて流れた蝋を量って買っていった。


その物を大切にすることは心にも影響していた。命を大切にするということに通じていたのだ。命をいとおしむということに通じていた。物がふんだんにあれば命もかえって粗末にするという皮肉があるのだ。現代とは命の価値が低くなっているのかもしれない、そもそも初めて霜がふる、寒くなるというとき昔の人はその寒さをひしひしと感じて生活していたのだ。今は暖房が電気があるからそう思わない、エアコンをかけるかとなり寒さもそれほど感じない生活なのである。それで老人でも病人でも長生きしているということはある。でも生活の厳しさが失われると命も重みを失うのかもしれない、ただ寿命だけが伸びてゆくことにもなる。そんなお前の生活はなんなんだとなるけどどっぷりと文明の恩恵を受けたのがお前じゃないかともなる。それは否定できない、山尾三省のような生活が昔の生活だった。それを実践している時、かえってこんな豊かな時代になぜそんな貧乏生活をあえてするのかという批判までになったことでもわかる。そんなことは誰も今は受け入れないものとなっていた。でも江戸時代あたりではそういう生活が当たり前だったのである。


つきつめていけば大地と共に生きるということは大地に死すということでもある。大地とは故郷でもある。人間は大地を失ったら生きる根も失う存在ではないか?アイディンティティは自然に大地にある。確かに電気なしで暮らせるのかとか批判はある。それでも原発事故を見ればわかるようにその大地を自然をそのものを失ったとき人間はどこで生きればいいのかとなる。そういうことを自分もそうだけど真剣に考えて生活していた人はいないのである。漁業関係者も農業でも山村でもみんなそうである。ただ豊になりたい、金がもっとほしいほしいしかなかったのである。それで原発事故でそれらを失ったときその生活を根本的に見直すことが迫られた。ただ豊になればいいということでは人間の生活は成り立たない、だから人間は薪を山からとり運び燃料としているとき、山のありがたみを感じて祈ってもいた。でも電気になったとき電気というのは金を払えばもたらされると錯覚する。電気を作り出すことは原発事故でわかったように非常に危険なものでありコストもかかっていたのである。それが具体的に意識されないからわからないだけだったのである。事故によって否が応でも意識させられたのである。