2012年11月15日

田舎では落とし物は戻ってくる (家の中に入ってくる人は一番危険!)

 

田舎では落とし物は戻ってくる

(家の中に入ってくる人は一番危険!)


サイフとかカ-ド入れたのを自転車から落としていた。一瞬盗まれたかと思ったが今までにそういうことはなかった。ス-パ-に3,4回忘れてももどってきたし他でもわざわざ電話してきてくれて店もあった。それで5千円お礼したこともあった。今回は金は2,3千円しか入っていなかったがキャッシュカ-ドが一枚入っていたのですぐ連絡した。そのあと警察から連絡来て落とし物をとりにゆくことになった。仙台で落とし物したときも警察に届けられていた。案外落とし物は日本では届けられる。そもそももしかしたら落とし物はたいして金など入っていないからかもしれない、大金が入っていたらどうなるのか?その辺がわからないけど日本で落とし物が帰ってくる割合はかなた高いだろう。これが外国だったらほとんど帰ってこないかもしれない、そういう点、日本は安全である。狭い所だから落としていたらすぐもどれば落ちているものがそのつまにしていればわかる。そういうことも何回かあった。今回は人が通るところなのでそういうことがなかった。ともかく落とし物がかえらないことはなかった。ただ田舎が安全かというと家の中に入ってくるものはやはり金がからむことだと今は相当に危険である。あんな大胆な人が田舎にいるとは思わなかった。


今でその人ととは狭い田舎だから会っている。警察に届けても証拠がないということでとりあわない、警察は意外と犯罪では頼りにならない、なぜなら盗みでも何でも明確な証拠がない限り警察ではとりあげない、めんどうになるからだ。めんどうなことには警察はかかわりたくないのだ。なぜ尼崎の角田に警察がかかわらなかったのか不思議に思うだろう。それには何かかかわりたくないものがあったのだ。それは何かわからない、在日だカルト宗教団体だとかの巣窟でありそういう背景が何かあったので警察はかかわらなかった。あれだけの犯罪でもそうなのである。警察は証拠がはっきりしているものでないとかかわらない、それを決めるのは検察官であり警察官ではない、書類の手続きやら何やら今は人を犯罪者にすることは大変な労力がかかるのだ。だから今の時代は大きな犯罪でも見逃されているのが非常に多いのだ。
あれだけの犯罪でも見逃されていたということでもわかるのだ。殺人ですらかなりのものがつかまらないし見逃されているのだろう。もう一つは犯罪の範囲が広がりすぎたのである。世界まで広がったらなかなかつかまらない、そして人権に配慮するから犯罪者をつかまえにくいのである。


江戸時代がなぜ安全かといったら狭い範囲、村の中で生活しているから安全なのである。よそ者はめったに入ってこないしよそ者は必ず注意して見られているから犯罪できないのである。今は田舎ですら外国人が車で入ってきたりできる。関所があるわけでもない、誰だかわからない人が入ってくるのである。ただ実際問題として人間一番怖いのは内部の人間である。戦国時代でもそうだが内部に送られた密偵とか内部にまぎれこんで攪乱するとか内部でとりいって信頼されてあとで裏切られるのが一番怖いのである。だから角田の事件はわかりにくいけど家族の内部に入って内部を牛耳られたからあのような悲惨なことになった。そういうこと人類の歴史が始まって以来教訓として残されていた。
トロイの木馬である。木馬が贈り物として城の内部にもたらされた。それが何なのだろうといぶかっていたが城の中に入れてしまった。家の中に入れてしまったのである。城の中に家の中に敵を入れてしまったのである。これほど危険なことはなかったのである。角田の事件もやはりわからないあまりにも残酷なものにしてもやはり家に引き入れて起こったことなのだ。これは田舎でも今は関係ない、やはり金の力がものいう時代だから家の中にはよほど信頼する人でないとまかせてはいけない、家の事情もわかりそれが本当に危険なことなのである。老人などは特に危険である。


結局この安全管理は人間にとって盲点だった。会社経営している人などは借金している人は信頼してはならないとか言っている人がいる。金持ちは貧乏人とつきあうなとか世間に通じている人は言っている。人は簡単に信じることは命取りになる。ただではその信頼関係はどうして作れるかというと非常に今はむずかしい。村のような狭い範囲だったら互いに顔見知りであり江戸でも狭い範囲で生活しているから顔が金の代わりになる。あとで払うよと言っても顔で信用される。今は例えばコンビニなどでは外から人が入っているから監視カメラで見ている。店長は監視カメラを管理している人なのである。それだけ盗む人が多いのかもしれない、ただその金額は極めて少ない、家の中に入ってくる人はその家の財産がねらわれるから怖いのだ。貯金通帳もねらわられる。ボケ老人だとそうなる。
これは田舎でも今は金の世の中になっているから危険である。田舎も昔の田舎とは違っているのだ。やはり金がものいうことは田舎でも今は同じだから金にこだわる。人間関係も金を通じてしかありえない社会となっているからだ。


まあ、自分の場合はあまりにも世間にうとすぎたのである。坊ちゃんだといえばそうであった。そんな悪い人がいると思えなかったのである。もちろん悪の判定は簡単にできないにしろあまりにも人を信用しすぎたのである。それは田舎ではそんなことしないという先入観があったのだ。それが変わってしまったのである。ただ30年間くらい何も問題が起きなかったこと自体ふりかえるとあまりにも恵まれていたことだった。身内が認知症になってからすべてが狂ってしまった。そこからいろいろな問題ばかり生まれたのである。それで今はショ-ペンハウエルの本は一番読んでいたがまた読み返してなるほどなと思う。人間というのは災いがいかに多いかである。その災いこの五年間で嫌というほど経験した。だから今願っているのは災いのないことだけである。津波という自然災害もそうだけど

原発事故もありこれほどの災いはなかった。今はただ石のように何も災いの起きないことがどれだけ幸福なことか再認識した。便りがないのはいい便りだいうのは本当である。絶えず便りがきたとしても悪い知らせであり災いが人間を通じてもちこまれるのだ。いい便りなどほとんどないのである。
石のように何も起こらないことが幸福なことである。それを今回ほど願ったことはない、結局原発事故の災いはこれから放射能被害などどれだけ長い期間つづくかわからない、もううんざりしている人も多い。でもここに住んでいる限り逃れられない問題なのである。


アンケ-ト

百万サイフに入っていたら警察に届けますか?
一千万だったらどうですか?

金額によって人間の心理はかなり変わるだろう。
例えば百万であれ一千万であれ盗んだ人は返さない
もう十万くらいだったら返すが
額が大きくなると返さない
額によって犯罪の度合いが決められていたのだ


「死罪」では、強盗傷害や十両以上を盗んだ窃盗犯に科せられた


これは相当に厳しい、江戸時代は刑罰が厳しいことでもなかなか犯罪できない社会だったのである。今は十両など盗んでもわからない人が多いしつかまらないしそんなこと日常的に起こっているのだ。

posted by 老鶯 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記