2012年11月09日

柿の連句とエッセイ(2)


柿の連句とエッセイ(2)

柿なりて踏みしめ歩む大和の道
代々に田舎に住むや柿と石
我が母に魚と柿や介護かな
柿食えぬ放射能に人乱る
柿の実の夕日に赤く里暮れぬ
柿なりて村を培う歴史かな
渋柿の我が家にありぬ昔かな
トタン屋根雨うつ音や柿のなる
干し柿を好みし母を介護かな
父も死に姉も死ににきトタン屋根貧しき家もなつかしきかな


柿はやはり極めて日本的なものだった。柿は果物でもずいぶん違ったものである。ミカンとかバナナとかスイカとかメロンとか葡萄とかいいろあるけど南国的なものが多い。リンゴと柿は何か違っている。柿の原産地は良くわかっていない、揚子江だというがやはり南の果物なのか?
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」(正岡子規)
この俳句が有名なのはやはり奈良と柿があっている、柿が何か日本的なものだからかもしれない、柿本人麻呂などという人もいるのも何か日本らしい。


『桃栗三年柿八年』(ももくりさんねんかきはちねん)
このことわざの意味は、皆さんご存知の通り「桃と栗は芽生えてから三年、柿は八年で実を結ぶ」ということから転じて
何事も、成就(じょうじゅ)するまでに相応の年月が掛かること。 類:☆大器晩成
じっと待っていれば、やがて良い思いができることの喩え。
しかし実際は柿も3年で実がなる!
ことわざでは柿8年と言われていますが、実際は上手に育てると3年目ぐらいから実をつけ始めるそうですよ。


柿は何か渋い感じがする。大方の果物のように何か甘くないと感じるの実が堅いせいもある。リンゴもそうである。北国的なものを感じてしまう。柿は日本的景色と合っている。それが日本という風土で長い年月をかけて作られた景色だったのだ。それは海岸線に防潮林として作られた白砂青松の風景と同じである。人間によって長い年月をかけて作られたものである。それがまるで自然の景観のようになっていたのである。その景観が津波で根こそぎ破壊されたことには驚いた。柿は奈良の景観に実にあっている。薬師寺辺りでもあっている。柿が外国でもまるで日本原産のようにKAKIで通じているのもやはり日本的な景色を長い年月で作られてきたからである。縄文時代には栗があっても柿はなかったのである。みかんは意外と北国で食べられないものだったけど柿は干し柿などとして食べていたのだろう。


自分の前のトタン屋根の家には渋柿がなっていた。それを思い出すが一緒にいた父も姉も死んでしまった。思い出を話す人は今寝ていて全く耳が遠くて話できない、だから自分一人だけが思い出しているのだ。自分の家のことは何か自分しか知らないというふうになってしまった。今いる家だって新しく建てて40年もすぎたのである。人間は一番思い出のある場所がどうしても家になるのだ。家とともに家族の思い出があるからいつまでも思い出とともに家にいたいという気持ちがわかる。家がなくなるとそうした思い出も消えてしまうのである。家にはそうした思い出がしみついているのだ。

家族もいづれはなくなる、そういうことを家族がある内に現実のものとしてリアルに思っている人はいないかもしれない、家族すらただ仮のものであり家すら一夜の宿みたくなってしまう。これも人間の無常である。いつまでも家族はいないし家もない、近くの家も壊された。あそこの家も相当に古い家だった。二軒の家が壊された。家が壊されるとそれと同時にその家のあったこともその家の家族のことやいすいろ忘れられてしまう。最後に残るのは墓だけになってしまう。原町の実家の墓がそうである。この辺でも木下家の墓は材木屋として知られていたがいなくなってからずいぶん日にちがたっている。息子が二人も死んでいた。そんなことを覚えている人もいないだろう。近くで家を建てるのに請け負ってもらった人だから覚えていた。それにしてもそれもずいぶん昔になったのである。昔になるのも実に早いものである。今は昔というけど今はたちまち昔になってしまうのである。
津波の被害で村がなくなったことなども本当に無常であり今は昔ここに村があったとなってしまったのである。


人間は最後は何でもただなつかしくなる。貧しい生活だろうが家だろうが結局、ただ最後は思い出すだけになるのだ。家族も死んでゆきただ思い出だけになってしまう。そういうふうにふりかえったとき人生などつまらむことにこだわっていたなとかいろいろわかることがある。別に貧しくてもみんな仲良くしていたときが楽しかったなとかなる。豊になっても必ずしも幸福になるとは限らない、この辺は原発事故で家族がばらばらになったことでもわかる。原発は豊かさをもたらしても結果的には不幸をもたらした。家族はばらばらになり思い出の故郷も土地も家も奪われてしまったのである。
村でも長い年月で培われたものが一瞬にしてなくしたのである。柿は村には欠かせないものだったのである。夕日がさして赤く熟れている柿の実はまさに日本的風景だったのである。


柿の話
http://www.musubu.jp/hyoronkaki1.htm


このつづきでもあった。前に書いたもののつづきが必ずある。そういうものがインタ-ネットでは書きやすい、書き換えたりするきもやりやいのである。

冬日没る(仮設の盆栽)


冬日没る(仮設の盆栽)


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堰を越え勢いよく鮭上る

星影の川面に写り鮭上る
盆栽を仮設に並べ冬日没る


相当の数の鮭が毎日上っている。今日も百羽くらい鴎がいたかもしれない、あれだけのごちそうはそうはないだろう。熊は冬眠する前に鮭を食べる。それがエネルギ-となることがわかる。鮭を食べて脂肪をエネルギ-源とする。ともかく鮭の数は本当に多い。普通は河口でとっているからここまでは上らない、自然の状態だと産卵する数が限られるから多くは帰ってこないから人間の手で産卵させてやる。でも今年は浪江でも放射能汚染地域は産卵させないとすると上ってくる鮭はどうなるのだろう。そもそも魚に放射能がどう影響するかわからない、鮎なんか一年の寿命しかないのだからそんなに影響するものなのか?人間は長く生きるから放射能が蓄積されるから20年後にガンになるとかなる。
でも動物とかはどうなるのか、みんな20年なんか生きない、魚なんか寿命が4年でも長い方だろう。
放射能汚染は何か素人にはわかりにくいのだ。別に水はきれいだから意識されないのである。
夜も鮭は上っている。あの堰を越えたらさらに勢い良く上ってゆく・・・


仮設は一年半立ったらなんかなじんできた。人間の生活はどんなであれ長くなるとそれが普通になってくる場合がある。異常なことでも長くなるとそれが普通になる。仮設はやっぱり昔の長屋なのだろう。仮設で面白かったのは80才くらいの老人が仮設はいい、仮設で死にたいとまで言っていた。
なんでだろうと思ったら仮設だと昔の長屋みたくなるから一人暮らしでも声をかけてくれる、心配してくれるからである。長屋にはプライバシ-はないが家族みたくなってしまうようなところがあった。今はまず一人暮らしだと誰も相手にしない、だから家族のいない人は本当に孤独になって孤独死になってしまう。そもそも歩く時代は遠くに行くことがないから近くでまにあわせるほかない、近くの店で豆腐屋であれ魚屋であれ野菜であれ買ってまにあわせていたのである。隣近所であり歩くと近いように見えても遠くに行けなくなるからそうなる。だから日常の生活は近間でまにあわせていた。そういう生活は互いに気づかう生活になっていたのである。

今はみんな車だから近くは疎遠になるのだ。近くに頼る必要がないからである。通販だってアマゾンで500円でも送料無料だから変だなと思った。車がなければ通販の方がいいとなる。そんな生活は何か異常なのかもしれない、何かあったら配達されなくなり近くの店がなくなったらモノの買いなくなるような時がくるかもしれない、そういう不安があるのだ。TPPなんかもそんな延長上にあるのだ。自国で食料をまかなわないで外国に頼っていたら何か今回のような大事故とか災害があったらどうなるのだろうという不安である。そんなに遠くを頼っていて大丈夫なのと思ってしまう。これはやはり人間としてまともな感覚だろう。
仮設には盆栽があっているというとき日本人的なものが長屋から生まれたものが多いかもしれない、義理人情なんかも長屋から生まれたのかもしれないし、落語もそうだけどそういう社会は忘れられてしまった。義理、人情などといってもそれはやはり時代環境が作ったものだったのである。今のような社会はまず人情などはぐくめないのである。

なんか老後はやはりそうして遠くに行くの億劫になる。何か自分も自転車で行くのが疲れるのだ。どうしても家で過ごすことや近くで過ごすことが多くなる。だから近くが大事になる。医者だって近くだと助かるけどここではそうはいかない、二軒しかないので困る。高齢化社会はマイナス面ばかり指摘されるけどいい面も必ずあるのだ。それは今までのこうした遠くを頼る生活がいいのかということである。遠くばかりに眼を向けて近くがないがしろにされていいのかということである。なんかそういう生活など高度成長時代から延長の生活を見直す必要がある。高齢化社会は社会として今までとは違うモデルを立案する必要がある。ただ急激になるからそういう準備すらできていないというのが実情である。だから相馬市の長屋風の住宅がいいなとなる。それから室内で楽しむものも必要となる。やはり音楽にこるとかがいいのかもしれない、音響室を作るとか内面化してゆくのが向いている。

インタ-ネットの世界の音楽が無料で聞けるのはいい、毎日変わったものが無料で聞ける。音を良くすれば毎日楽しめるのである。

今日は冬の日だった。冬日没るである。秋は今年は短く冬になったのである。