2012年11月02日

相馬総合病院から見えた看護専門学校への道


相馬総合病院から見えた看護専門学校への道

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病院に看護学校へ行く道の今日も見えつつ蝉の鳴くかな
ひまわりに夏菊映えて相馬市の看護学校の道を知りにき
今日も見ゆ看護学校へ行く道にカボチャの花と露草の咲く
病院に看護学校の生徒かなその瞳にそ励まさるるなれ
我が姉の看護婦なりき病院に面影偲び看護師を見ゆ
病院に看護学校への道見えて実習に励む生徒すがしも
我が姉の従軍看護婦忘れじも死の間際まで戦争語りぬ

 

相馬看護専門学校(そうまかんごせんもんがっこう)

  校長 金田寛之(公立相馬総合病院 副院長)


相馬市・南相馬市・新地町・飯舘村の2市1町1村で構成される相馬地方広域市町村圏組合が21世紀における医療技術の高度化・高齢化社会の到来を踏まえ、地域保健医療の担い手となる看護師の養成機関として開設し、住民の保健・医療・福祉の充実を図るとともに、相馬地方の振興発展に寄与していくことを目指して平成13年4月に開校いたしました。





相馬の看護学校は病院から見えた。相馬総合病院は迷路だった。方角がわからなくなる。相馬は山の方に近い所だった。海も見えるから山が遠いと思っていたが山が近いのである。新地も山が近い、人間は意外と住んでいても近くのことが地理でもわかりにくい、相馬総合病院でも入院したりしないとどういうところなのかわかりにくい、海の方が近いように見えたがかなり遠くでもある。ただ火力発電所が見えるからさぼど遠いとも見えないが原釜が見えても遠かった。看護師学校は山際にありこんなところにあったのかと不思議だった。隠されるような場所にあった。老人養護施設もあった。相馬市というとわかったようでもまたわかりにくいのである。ここの看護学校は地元で看護師を養成して地元で役立ってもらいたいと設立して養成する。だから地元の人は授業料も安い、外からくる人は高くなる。ただその差はそんなに大きくはない、入院したとき実習中であり何回もそこの学生がきた。その中に男の看護師がいた。その人は浪江から鹿島区に空家を借りて避難している人だった。今は必ず男の看護師がいる。珍しいからいろいろ同室の人が聞いていた。もともと男の看護師から看護がはじまっているから看護が女性ばかりやるものとは限らない、男性でももともとできるし必要なものだったのである。女性は看護士のような慰めの役にはいいが男性は向いていないとしても男性には男性の仕事が看護師でもある。それなりの役割が与えられている。今や病院内仕事も多様になっているのだ。


理学療法士:リハビリの指導を行う技士さんです。歩行訓練など身体を動かす訓練をして社会復帰をたすけます。[理学療法士免許]
作業療法士:理学療法士とよく似た仕事をしているようにみえますが、日常の作業をとおして社会復帰の訓練を指導する技士さんです。[作業療法士免許]
視能訓練士:視力を回復するための訓練をする技士さんです。よほど大きな病院か眼科の専門病院でないと勤務していないと思います。[視能訓練士免許]
言語聴覚士:脳卒中の後遺症などの言語障害の機能訓練、嚥下障害のリハビリテーション、人工内耳手術を受けた患者さんなど聴覚障害者のリハビリテーション、各種の聴覚および音声検査などを助ける技士さんです。[言語聴覚士免許]


こういう人と南相馬市立総合病院に一か月入院していたときあった。脳出血でしゃべれなくなった人が訓練してしゃべれるようになってゆくのも見た。看護師の仕事も分化して専門化しているのである。これらはもともと看護師がやっていたのである。


今回のように相馬総合病院に入院して地元の看護学校の生徒の実習などを見ていると地元に密着している、土着性があるから仕事が見えてくるということがある。そういう人たちを指導するにもこの人たちは地元の病院で働き将来年取ったら助けてくれるとか具体的に見える仕事なのだ。すべての仕事が土着的であるべきだと書いたときまさにこれは明かにそういうふうに見える仕事なのである。地元に貢献するということが目に見えてわかるのである。昔は狭い範囲で生きていたから仕事が何を意味しているかわかっていた。理屈で言わなくても肌で感じていたのである。大地があり農民が収穫して食料が地元に供給されていた。そういう仕事が自分を支えているのだと見えていたのだ。実習している生徒を見ると何か頼もしいと感じた。ただ全部が地元で看護師になるわけではない、原発事故で現役の看護師も流出している現状では余計にそうなる。でも本来は地元のために貢献する看護師を養成する場所なのである。現代はグロ-バル化社会であり仕事が世界的に拡大化して仕事のかかわりがどうなっているのか見えにくいのである。中古車の島商会などはロシアと関係して原釜の港から輸出している。それだけでなくグロ-バル化は田舎でもどこでも同じである。前にも書いてきたけど人間というのはいろいろな仕事の関連が見えると一つの世界として自己を把握しやすいのである。そこに一つのアイデインティティを見いだして連帯を感じるのである。それは理屈の世界ではない、みんなで平和を追求しようとか連帯しようとかデモしたりしても現実は理屈であり格好だけでありむしろ平和がない、連帯がないから声高に集まり騒ぐ、平和や連帯は生活の中で自ずと騒ぐなくてもあった。


看護学校の道には森がありあそこには蝉がかなり鳴いていた。夏菊が映えカボチャの花が咲き露草も咲いていていかにも田舎らしいのである。ただあそこが山の方に近いとはわからなかった。近くでもわからない場所はまだまだある。死角のような場所がある。日本の地形はそれだけ複雑なのである。看護学校というとき自分の姉は看護婦であった。日赤の看護婦でありその頃かなり優秀でないとなれなかったし看護学校もこの辺になかったので東京の方で視覚をとったのである。その後、日赤で優秀だから従軍看護婦になりシンガポ-ルに4年間いて辛酸をなめた。戦争に負けてジャングルに逃げた時が一番苦しかった。あとは船で命からがら逃げてきたのである。地元でも二十代の看護婦が死んでいる。そういうこともなかなか忘れられてゆく。ただその四年間は忘れられないので死ぬ直前まで語りつづけていた。戦争のことは強烈な体験だから忘れられないのである。ちょうど青春の真っ盛りだから余計にそうなったのである。姉は特別優秀だったから相馬の女学校に行きたかったと何度も行っていた。優秀だから金さえあれば入れたからである。大倉から親戚を頼り住み込み通った人の話しも書いた。看護師でも地元であれそういう歴史も学ぶべきだろう。そういう歴史も郷土史として記録されるべきなのである。相馬市はやはり城あるところで原町より学校でも歴史が古く城下町として学ぶにふさわしい場所ともいえる。女高生でも行き交うとそれなりに情緒が生まれるのである。原町はまた雰囲気が違っていたのである。


ともかく旅ばかりしていた自分が土着的なものを志向するのも変だがやはり現代はアイデインティティを見いだすのが容易ではない、それでカルト宗教団体とか様々な団体組織にアイデインティティを見いだそうとしている時代でもある。それはそもそも根源となるアイデインティティを喪失しているから誤った異常なものでもそこに何かに所属したいという願望がそういう異常なものを作り上げているのだ。本来のアイデインティティはそこになく土着的なものに人間の本来のアイデインティティがある。それを郷土に求めることがあった。万葉集などはまさに日本人の土着的アイデインティティの根源の集成であった。人間は今はそうした存在の根を求めているのだ。これだけ巨大な文明のなかで自分を見失うなかで狭い郷土の中で価値や意味づけする。やはり人間は東京のようなものになるともはや巨大な迷路に入り込んで自分が誰かも何が価値があるのか何がどう連関しあっているのかもわからないのである。だからこの辺では原発事故で故郷を喪失することは深刻なのである。アイディンティティの根が失われるからである。

南相馬市総合病院ではながめが抜群だったが相馬総合病院は迷路であり眺めは良くなく何か牢獄に閉ざされたような感覚になっていた。でも二週間の入院はやはり大きな体験となった。病院は何か地元の連帯の要のうよになっていた。今は田舎でも何かそうして連帯を感じる所が少ない、祭りとか参加していないと連帯を感じないのである。それだけ仕事がグロ-バル化で分化しているからである。
病院は人と人が直接接するところだから人間が見える場所だったし話し安い場所だからそうなっていたのである。


土着なくして職業も学問も芸術も報道もない
(故郷とは有機的に結合されたミクロコスモス)

http://musubu2.sblo.jp/article/55759722.html