2012年11月10日

山頭火の時雨の句の意味 (旅人になれない現代)


山頭火の時雨の句の意味

(旅人になれない現代)

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大樟も私も犬もしぐれつゝ 山頭火


老いて死す一年一年時雨かな

旅人も貧しや時雨石の屋根
旅人や小家をぬうて時雨かな
街道の細道あわれ時雨かな
山頭火時雨に気づき歩をとめる


これは大樟(おおくす)も大きいものもしぐれ犬もしぐれる。この犬は野良犬なのだろうか?その頃野良犬が多かったし野良犬をテ-マ二したものもあった。つまり山頭火は自分を野良犬のように見ていたところがあった。この犬もしぐれつつ・・というのはまず普通に暮らしている人には出てこない句である。そういうものが山頭火にはちりばめられているのだが駄句のうよなものが大量にあるからその見分け方がむずかしい。芭蕉とか蕪村はほとんど秀句になっているわかりやすいのだ。この犬という時何か山頭火を象徴していたのだ。昔の道はまず舗装されていないから埃りがたつ、子供のときも埃がたっていた。かなりの土埃に悩まされていたのである。だからそういう道を歩むと野良犬が歩むのとあっていた。今は道でもきれいすぎるのだ。土の道はほとんどなくなっているからだ。本当の旅は実際は一万とかするきれいな旅館に泊まってすることではない、山頭火のように木賃宿があっていたのであり場所でもばりするとか野趣があって良かったのである。旅は何か不如意なとき旅らしいはいうこともあった。「どしゃぶりの雨ぬれ泊まる中山道」夏だったけど中山道を自転車で旅したときどしゃぶりの雨にぬれた。
馬の尿する枕もと..こういうときすら旅には旅情が生まれる「このときまあに馬と共に暮らす農民の生活と一体化したのである。


そして宿にとまったりしたが実際は嫌われたことはまちがいない、泊めたくなかったのだろうけど金払うからしかたなく泊めたのである。これは昔だったら木賃宿であり汚れても安宿であり不自然でもなかったのである。現代は宿にすら気楽に泊まれるところがない、安宿の方が旅の情緒があった。豪華なホテルに泊まったらすでに旅ではない、自転車で旅したらそういう宿にとまりにくい。でも泊まる場所がない場合があるから野宿の用意が必要となりそうなるとゆっくり休めないということもあった。若い人ならいいが中年になると辛いということもあった。中年くらいになるとそんな旅している人は世間からはずれた人である。今はニ-トみたいなのが無職がいくらでもいるから不自然でないのかもしれない、外国に沈没している人などもいたからである。40、50でそんなことをしている人はまともでない。旅館に泊まるとき無職だというとそれは大地主とかで金持ちであり一番いい部屋に通されたという。旅館と木賃宿は違っていたのである。旅館は当時も贅沢なものであり温泉宿のように金がかかるところがあった。当時で無職とわざわざ言うとなると仕事しないでも暮らしていける人は特別の金持ちだったのである。だからずいぶん今の無職とは違っている。資産家がいてそういう人は別に仕事しなくても良かったのである。今は職業でその人を判断しているのだ。旅はそもそもそうして安宿を長く泊まり歩くことが旅なのである。江戸時代でもお伊勢参りなどでもそうである。そういう安宿がなければ一か月もの旅はつづかないのである。

自分はこの安宿を探すのに苦労していたのである。それが外国旅行までつづくとは思っていなかった。パリでも安宿を探したが断られた。外国では早く泊まらないと落ち着かないから日本のように探して歩いていられない、でも若い人はパリでも少しでも安い宿を探していたのである。50からの海外自由旅行は辛かったしうまくいかなかった。「パリに来て安宿探し落葉かな」「東駅安宿多し落葉かな」東駅は確かに安宿が多いところだったがうまく泊まれなかった。でもどこにも日本人がいたのには驚いたのである。今はどこにも日本人がいる。カンボジアではアンコ-ルワットで自転車旅行していた中高年の人がいたのには驚いた。カンボジアでは道は舗装されていない、土埃がたつし暑いからひどいのである。あんなところをあの年で良く自転車で走っていたこと自体驚きである。あそこに中高年の人はかなりたむろしていた。いかがわしい女が側にいたり嫌になった。


山頭火の旅はまさに犬もしぐれつつの旅だったのである。そういう旅ができたのは時代だったのである。今は遍路だってこぎれいだし楽な旅をしている。観光の一種にもなっている。山頭火のような野良犬のような旅はできないししている人はいないのである。戦前から戦後十年くらいまで非常に乞食が多かったからそういう人がいても特別変わったというものでもなかった。山頭火も乞食の一種であり見分けがつかなかったろう。今は乞食がいないからそういう旅もできない、もしかしたら警察に職務質問されて刑務所にさえ入れるからかもしれない、無職というだけ実際に捕まった人がいたからである。犬もしぐれつつというとき犬は野良犬であり野良犬も多い時代だったのである。乞食も野良犬とにていたのである。今は何かみんなこぎれいにして型にはまっていないといけない時代なのである。

ある一面今の時代は豊だけど窮屈だなとなる。自由もあるんだけど何か昔のような自由は失われている。車時代だから車に席巻される。車が相当贅沢なものであり動く家でもあるから土埃にまみれて乞食のように旅できた時代とは余りにも違っているのだ。歩いて旅する人がいても全部歩き通すことはない、途中で必ず電車なりバスなりを利用しているのである。ともかく人間が旅する風景はもうなくなった。ただ車だけが行き来する風景でありそこに歩く旅人などが入る余地はない、道は車が通るものであり人間が歩いて通る道ではない、辛うじて自転車が現代の旅らしい旅になるのかもしれない、バイクでも早すぎる。バイクの速さは車と変わりないのである。自転車で旅している人は若い人が多い、体力的にそうなる。


山頭火が時雨にこだわったとき時雨的日本的風景があったためである。それは石置き屋根とか貧しい家並みがありそういう風景に時雨があっていたのである。高層ビルとかそんなところに時雨も自然は合わない、高速道路とか国道とか車で埋めつくされた所にもあわない、辛うじて裏街道みたいなところだと時雨もあうのである。つまり今は相当に自ら旅を演出しないかぎり旅にならないのだ。ただ便利に移動するだけになるのだ。だから自分は自転車旅行した行程はある程度覚えている。坂が苦しかったとかあそこは遠かったなとか体に記憶が記されているのだ。これが便利な乗り物を利用したら残らない、ただ通りすぎて残らないのである。現代は旅人になることはできない、旅人を見ることもできない、団体などの観光客は旅人ではない、芭蕉の奥の細道のように旅人は本当に人生すら旅としている人なのだ。最も硬骨漢の旅人は西行だった。西行は武士の出であり相当に体力もあった。その点が芭蕉などと違っていた。芭蕉は自分のように体が弱かったし一般的に詩人などは体が弱い、西行は別だったのである。山頭火も体が強かったが無理をしたので60才くらいで死んだのである。やはり人間はどんなに丈夫でも無理をすれば早死になるし病気にもなるのである。

 


 

2012年11月12日

冬の雨(仮設は長屋?-長屋から日本の文化が生まれた)


冬の雨

(仮設は長屋?-長屋から日本の文化が生まれた)


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晩菊やしとしとしと雨にぬる

冬の雨身を寄せ合うや仮設かな
盆栽の冬の雨ぬれ仮設かな
仮設に木の葉の散るや雨のふる
浪江の人空家に住むや冬の雨


冬の雨しとしと庭の石濡らし岩桐草の二三輪咲く

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なんか仮設住宅というのもそこに住んでいる人がどういうふうに思っているのも不思議である。まさかこんなふうにして町からみんな離れて仮設に住むということが当人もそうだけどそれを見ている人も不思議になってしまう。津波から原発事故は未だにそうした異様なありえない世界を作り出したのである。ただ一年半以上過ぎて仮設は仮設なりになじんできたというか落ち着いてきたということはある。仮設は長屋ににていた。だから一人暮らしの人が仮設で死にたいとまで思ったのは昔の長屋に帰り共同性が自ずと生まれたからである。つまり一人暮らしの人にとって長屋のようなものがかえって気づかう人がいるからいいのである。それで相馬市に長屋風住宅ができた。一人暮らしにはいいものだった。今の時代は一人暮らしは本当に住みにくい、全く放置され孤独死になりやすいのである。
盆栽は長屋とかからも生まれたのかもしれない、狭い所だから置くに困る。でも盆栽だったら置けたとなる。つまり日本人の生活は広い空間を利用できない、だから茶室が作られたのである。狭いところで楽しむ文化が生まれたのである。田んぼだってどんな狭い所でも作っている。狭いところを利用するほか狭い国土では生きられなかったのである。


相馬市の看護学校に男子生徒が通っている。その人は浪江に住んでいたのである。浪江は5年帰れないとしたらさらにインフラを復旧するまでに二年とかかかると7年もかかったらもう若い人など帰られないかもしれない、浪江の人はかなり深刻である。7年ものブランクは大きすぎる。南相馬市と相馬市は維持できる。小高は人口がかなりへるかもしれない、そうなるとかえって集約して住んだ方がいいというのもわかる。川内村では郡山に住んだ老人も帰りたくないという、便利だから帰りたくないという、それもわかる。ス-パ-すらないとしたら今の時代不便である。病院も困る。老人が多いからどうしても病院は近くでないと困るのだ。そうなると郡山といったら福島県では一番便利な所だろう。東京にだって新幹線で一時間ちょっとだろう。通っていた人もいた。郡山に県庁を移した方がいいと運動するのもわかる。地の利がいいのである。会津にも近いから余計にそうなる。相馬は仙台に近いから仙台と結びつくのがいいとなるのと地の利でなってしまう。東京への道が分断されたから余計にそうなったのである。


晩菊というと老人をイメ-ジする、日本語で面白いのは擬態語なのだろう。


春の海ひねもすのたりのたりかな 蕪村


晩菊やしとしとしとと雨にぬる


こういう表現が何か面白い、時間的経過が擬態語にある。しとしとしとなどというのも極めて日本の雨の多い風土から生まれた言葉なのである。外国語では表現できないのである。そういう言葉が言葉には必ずある。南のどこの島かしらないけどやたら長い言葉があるというときこれとにているのかもしれない、そういう原住民の言葉が残らないと文化も消失するのである。一様に英語化したら文化そのものが消失する。日本語の場合、漢字があったから日本語も残ったのである。漢字の表現は実際かなり奥深く多様な表現ができた。欧米の文化が入ってきたとき漢字で日本は表現した。その言葉を今度は逆輸入して中国人が使っているのである。

中国の恩恵を日本は受けているが逆に欧米化では今度は日本の恩恵を受けているのだ。中国には日本でも技術的にかなり援助して中国が経済大国になったということもある。でも中国ではそういうふうにみない、日本は中国文明の亜流であり中華に属するものだという考えになるのが大国である。ともかくグロ-バル化の最大の問題は文化が破壊されることであった。小農になるのも日本が狭いからそうなった。大陸とは広さが違っている。日本は狭い空間で生きる知恵をだしてきた。「小さきものは、みなうつくし」これが日本人の文化だったのである。日本では大きな建物は国家創建の時の大仏とかくらいであとはない、大きなものを建てることが向いていない風土だったのである。だからやたら細部にこだわるのが日本の文化だったのである。


岩桐草は前にも桐の詩を書いたので興味をもった。これを庭に置いたら映えた。これは高山植物であり霧にぬれて山頂の石の上に咲くのがにあっていた。だから石が雨にぬれてにあように咲いたのである。

浪江町の赤字木(あこうぎ)の方からメ-ルがきました (一カ月読んでいませんでしたのでここでも返事します)


浪江町の赤字木(あこうぎ)の方からメ-ルがきました

(一カ月読んでいませんでしたのでここでも返事します)

浪江町の赤字木(あこうぎ)の方からメ-ルが来ました
その返事を一か月以上していませんでした
メ-ルを都合で読んでいませんでしたのでここでそのことを書かせてもらいました


ここのところ入院したりしてメ-ルを二か月くらい見ていませんでした
それでさくらのサ-バ-から重要な連絡が入っていたのもみていませんでした
あと一時間ですべて消されるところでした


メ-ルで困ったのは迷惑メ-ルが多すぎることです
そのためにメ-ルを見るのが嫌になって見ていなかった
メ-ルはやはり定期的にみている必要がある
プログでメ-ルだしましたとコメントで連絡すると必ずみます
プログでのコメントの方が毎日見ているのでわかるのです
メ-ルは毎日見ていなかった、一か月とかみないことが結構ありました


赤字木の人は避難して仮設に住んでいます 曽祖父が「相馬藩政史」にかかわったようです
「手書き原稿を始め参考資料等、数多の古文書も保管しておりました」とあるから由緒ある家の方だったようです

赤字木(あこうぎ)は山中郷だった、飯館、葛尾(かつろう)村の領域だった、山中郷は相馬藩ではあとから郷として組み入れられた。そして野馬追いにもでるようになった。馬を飼うのに餌とするものがあり野馬追いにでる馬も飼っていた。薪もとれたし塩の道でもあり相馬藩としては重要な山の村になっていた。


先祖代々の歴史と努力を一瞬にして葬り去ろうとしている国策には怒りを禁じ得ません。


やはりこれだけの歴史を山中郷の赤字木でももっていたのだからそこを放射能で追われたというのは怒りになる。一見外から見ると浪江とかは歴史がないように見える、特に双葉とか大熊はそうである。それでも江戸時代からの歴史がある。浪江は古代から標葉郷として四つの郷があったのだから古代からの歴史があった。ただ双葉、大熊は古代ではない、相馬藩になってから開墾されたのかもしれない、ただそれだけの積み重ねた歴史があるのだからその怒りは理解できる、ただ赤字木が山中郷になっていたのは知らなかった。浪江の標葉郷の方だと思っていた。


メ-ルはこれからなるべく読みますが毎日は読めないです、迷惑メ-ルで嫌になるのです
他にメ-ルアドレスを増やそうとしているのですがうまくいかなかった、その準備中でした
プログの方にメ-ル出したよと一言連絡してくれれば必ず読みますのでよろしくお願いします


注意

メ-ルを出して返事がないと思っている方、連絡してください

今回赤字木として出しましたが個人情報が出されるのが拒否する時は連絡してください

posted by 老鶯 at 20:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2012年11月13日

冬野(原野化した冬野)


冬野(原野化した冬野)


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晩菊の仮設にあわれ一年半

晩菊の隣も病気は高齢化
晩菊の色合い深く住みつきぬ
冬薔薇二両の電車待つあわれ
冬の野に薊の野菊とともに咲く

アキツ二羽かすかに消ゆる冬野かな

晩菊というのは冬の季語でもいいみたい、冬菊というとまた違った感じになる。あるところに長く住むとその場所の色に深くそまってくる。相馬でも海から山から住んでいる場所が多様だった。
飯館であれ浪江の赤字木(あこうぎ)などは山の中であり海側に住んでいる人とは環境が相当違っていた。明かに人間は住む場所によって住む場所を変えると心も変わるのである。

だからこの辺で仮設住宅というのはなんとも不思議なのである。住んでいる人もそうだが見ている人もそうである。ただ一年半以上すぎるとなじんでくる。仮設の不思議はまさに仮の宿である。旅の宿ではないがそれとにた仮の宿になっている。それで長く住める住宅を建ててもらいたいとはいうのもわかる。実際に建てた所もあるがなかなか土地とかの問題もあり建てられないのである。日本は土地が狭いから簡単に移住できないのである。チェルノブエリであれだけの人が移住できたのは土地が広いからである。


葛尾(かつろう)村でセイダカアワダチラソウは繁茂していた。これは繁殖力が強い、この辺でも草刈りしていないところは伸びている。ただ人が住んでいるし田畑でも掘り起こしているから全部があのようにはならない、人が住まないということはやはり自然も荒廃してくるのだ。もともと人間の手の入っていないところだったらそれはそれで自然の状態だったのかもしれない、一旦人間の手が入って放置されると荒廃してくる。アフリカのような自然のままの状態ならそれはそれで原生の野生の自然状態なのである。たいがい自然は人間の手が入っている、人間に自然も管理されているのだ。だから人間が管理しないと荒廃してくるのである。


アザミはすでに冬あざみである。野菊もともに咲いている、冬野というとき刈田の風景になるのだがそれがない、原野になっている。ただこの辺は人が住んでいるから全部がそうではない、一部だけそうなっている。ただ刈田の風景が普通だったからまさに野にふさわしい風景になっているというのは確かである。


アザミと野菊がともに咲く、田舎らしい風景だけどやはり人間は経済的にも平等でないとこうはならないだろう。田舎でも今は経済的格差がある。ただ普通は家をもっている人が多いから余り目立たないが家をもたない人は貧乏が目立つ、相馬市の病院の近くの住宅は何か事情がある老人が住んでいるというのもなるほどなと思った。子供に見捨てられるということはそれなりの理由があるのだろう。みんな親でもまともとは限らない、子供もそうである。親と子と血縁だからといっても年をとるとそういうことで判断しない、親でもひどい親がいたら子供もその親を親と思わないし憎むこともある。逆に親の方からみれば子供と思いたくない縁切りたいというのもある。だからこの世の中血縁だけですべてが決まるわけではない、そういう親子は逆縁となっている。親子として生まれるべきではなかったから来世は血縁でも別々になることは確かである。この世の中血縁がすべてではないのだ。


いづれにしろ荒野になっているから冬野らしいともなる。刈田の風景とはまた違っているのだ。


 

万葉集の枕詞などがなぜわからなくなったのか? (自然から遊離した文明は言葉の力を詩語を喪失した)


万葉集の枕詞などがなぜわからなくなったのか?

(自然から遊離した文明は言葉の力を詩語を喪失した)

空見津  倭國  青丹吉
そらみつ  やまとのくに  あをによし
常山越而  山代之  管木之原・・・
ならやまこえて  やましろの  つつきのはら


なぜ万葉集がなぞなのか?枕詞というのが未だに謎である。そらみつは空見津であり空からみた大和の国をほめたたえる言葉だというが空に満ちる-空満つ-とも解釈できる。空か関係していることはまちがいない、ではどうして空から見る感覚が生まれたのかというのも古代にすると不思議である。
地上から見上げる感覚はあるけど空から見下ろすという感覚はリアルにもちにくい、高い塔もない時代にどうして空から見えるのだろうかとなる。言葉の感覚としては空満つというのがなにか力強い。空(そら)はまさに空(くう)をあてた。これはからっぽのことである。だから空っぽな空間は何かで満たさねばならない、例えば大仏殿のような大きな建物は空に映えて満たす感覚になる。
なぜ万葉集が解読できないものがかなりあるのかというと人間は自然の生活からかけ離れてしまったからである。万葉集は日本の自然と結びついた原始的感情の発露でありそれは直観的にしかわからない世界である。理屈としては解読できない、そらみつ・・・はその言葉の直観的感覚としてそらに満ちるなのである。これも一つの日本の発祥地に生まれた詩語である。日本語でも最初は詩語として言葉は生まれた。ほとんどの言葉は詩語なのである。


日本人でも文明人は自然とかけ離れた生活になったというとき言葉も詩語だなどと意識しない、今や言葉は数字のようにこえなっている。深遠な言葉の意味の喪失の時代である。言葉が死んだというときまさにそうである。そもそも人間の言葉がどこから生まれたかというと自然から生まれたのである。自然なくしてこの神が創造された宇宙-自然-大地がなくして言葉もありえないのだ。その自然から遊離した文明生活になると言葉も形骸化する。リアルな存在感を失うのである。言葉は自然と結びついて言葉の力、言霊の力が発せられるのである。例えば「石」という言葉があるとする、その石をさすものは何なのか?石といっても無数の石の形があり色がありと違っている。石は言葉にするとき実は具体的に存在する石から石を認識しているのだ。自分が石を詩にするときは必ず故郷に存在する具体的な石から発想している。まさに現実にその石があるからこそその石から言葉が詩が生まれている。


ところが東京のような大都会になると仙台くらいでも石というときその具体的な石を思い浮かべない、抽象化した具体的な石ではない。具体的だというとき石のある場所が極めて大事なのだ。何か存在するとき場所と切り離せず存在する。万葉集では地名が大きな役割を果たしているのは場所がそれだけ大事だからである。場所から発想する、地名から発想することが多いからである。万葉集は奈良という日本の国が起こった大地と山と密接に結びついている。具体的に存在する自然と結びついている土着的なものだった。そこに言葉の力が呪術的なものとして言霊として働いているのだ。そこに今の言葉との詩との大きな相違がある。この辺で橲原にある立目石というのがある。この石は橲原村の入り口にある。場所が限定されてこの石がある。石の力はここから発せられる。抽象的な石ではない、その場所が限定された石なのである。石でも固有名詞化した石なのである。


橲原の立目石かな冬になり久しく行かじもそを思うかな


万葉人が歌ったものはたいがい抽象的なものではない、一般的なものではない、具体的にどこどこにある石を歌ったのである。そこに言葉の力が発せられた。そらみつ大和の国はというとき大和は実は一地域の名前だったことでもわかる。それが日本全体をさす国の名になったのである。具体的な一地域、村が大地の上にあってそうなったのである。ミクロコスモスがあってマクロコスモスに発展したのである。自分が相馬という一地域にアイディンティティを求めたのと同じである。


現代の人間がなぜ生に充実感がないのか?人間はただ常に経済化され政治化されるのか、経済の一単位であり政治の一票としてしか数えられるないのか?カルト宗教団体も全く現代文明の物質化した中にあり単に一票としての数としての価値しかない、もはや数としてしてしか人間は計られない、そこで人間は極端に矮小化される。蟻のようにされてしまうのである。人間の存在も自然の中で存在感をもつのであり自然から離れた存在感を失う。上野霄里氏の言う原生質や原生人間とはそういう自然と一体化した人間なのである。万葉人にはその自然と一体化した原始的心情としての歌が生まれた、詩が生まれたのである。恋愛でも今の恋愛とは違う、自然のなかでも鳥が歌で呼び合うような歌になっていたのである。現代のようなあらゆる技巧をこらすものとは違う。人間が同質化、一体化、アイディンティティを求めるのが自然から離れたらどうして偉大になれるのか、生の充実感が得られるのか?だから人間は巨大な都会では高層ビルに比べたら蟻のようなものになっている。ただ蟻のように徘徊して矮小化される。そこに万葉時代のような自然と密着した歌が生まれようがない、その言葉の元になる自然がないからだ。だから言葉が死んだというとき自然から離れて人間が存在感を失ったということである。万葉集時代の復活をしろといってもその自然が失われたところではありえようがないのである。奈良でも東京のようになったらもう万葉時代を偲ぶことすらできない、まだその自然が残っているから万葉集の歌と具体的に結びつく自然が残っているから生きているのである。大阪などにも結構万葉集の歌は残っている。


百済野の 萩の古枝に 春待つと 居りしうぐひす 鳴きにけむかも  巻8−1431


百済野といってもそこはもはや家やビルが密集したとき偲ぶことすらできない、でも百済野と地名化したときここに百済の人が住み着いてかなり年月がたっている。移住して落ち着いたからこんな歌が残された。萩の古枝に象徴されるように住んで古くなったからこの歌が生まれた。なんとものどかな雰囲気を伝えている。地名として定着するには百年くらいかかるかもしれない、でも野がなくなればイメ-ジもできなくなる。奈良にはまだ郊外に野が残っているから万葉集の歌も生きているのである。

みもろの厳白檮(いつかし)が本(もと)、白檮(かし)が本(もと)、ゆゆしきかも、白檮原童女(かしはらおとめ)-古事記


この歌もまさに厳白檮(いつかし)という具体的に存在する樹と童女が一体化して存在する。その童女は神に仕えるものとなる巫女になったのである。だからそれは処女であらねばならなかった。そういう何か自然への神聖な感覚、畏敬が喪失したのが現代なのである。それは津波でも原発事故でもそうである。江戸時代までは農耕も葉山信仰などで自然と密接に結びついていたものである。その生活そのものが自然から離れて存在し得ないものだった。山から水が供給されて田があり米作りがあった。そういう自然の循環の中で人の営みは営々とつづいてきたのである。そういう生活が急激な文明化でうしなわれたとき自然より電気の力が太陽の力に匹敵するのだとなる。それが原子力発電になると原子力が太陽であり原子力信仰にまでなっていたのだ。それが事故で一瞬にして破壊されてしまったのである。マヤ文明では太陽信仰でありその太陽が衰える、太陽の光が衰えることを一番畏れていて人間の命が犠牲にささげられた。

まさに現代は石油であれ原子力発電であれ石油がなくなることは文明の死を意味するから戦争さえする、命は石油のために犠牲にされる。原子力発電も人間の命より大事だと犠牲にされる。現実事故では一人も死なないというけど避難してすでにその過程で百人以上は死んでいる。人間は石油がなくなると車も動かなくなるから、石油のために戦争になり命が犠牲にされる。そういう大きな観点から見ている人は少ない、文明そのものを見直さなければ解決しえない問題である。そういうとお前は電気なしで生活しろとかなるが電気を何に使うかでありあらゆるものに使うということの制限になるのだろう。人間の生活は制限すること減らすことが苦手なのである。
スピ-ドもそうだし量的拡大もそうだし制限したり制約したりする思想がないのである。増大の思想があるだけなのである。だから江戸時代などは制限された極めて自然と調和した省エネ社会だったから世界的にも見習うものがある。人間は結局グロ-バル化のうよに無限の欲望の拡大は地球すら破壊してしまう。制限された制約された中で生きることが自然に適ったことなのである。そこに幸せを見いだすべきなのである。

 


 英語で石にaがつくのとtheがつくのでは違っている。aは抽象化した石であり実際に自分でみた石とは違う。theとなると自分で実際に見た知っている石のことなのである。その差は大きい。それを
「万葉集の枕詞などがなぜわからなくなったのか」などで書いた。万葉集は一般的な抽象化したものを歌ったのではなく実際に見ている、theの世界だった。だからaとtheの相違は意外と大きいのである。現代はthe の世界ではなくaの世界、抽象的な世界に生きている人が多いのである。だから血が通わないとういことがある。
 
posted by 老鶯 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集

2012年11月14日

晩菊-冬の星(50年もたちまち過ぎてしまった)


晩菊-冬の星(50年もたちまち過ぎてしまった)

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晩菊やにここに井戸ある昔かな

夕暮れに二両の電車時雨かな
玄関に一羽消えゆく冬の蝶
冬の蝶消えゆく余韻残るかな
冬の灯や津波の跡に残る家
石二つ黙しつ遠く冬の星


  the stone to stone
  a winter star
  in the distance


冬銀河一つ一つの明かに

近くの井戸は子供の頃、水をもらった井戸だった。バケツで水を運んで外の木の風呂に入れた。それも思いば50年前以上になっていた。半世紀も過ぎたのかと驚く。近くの旅館だった家も壊された。そこには伊勢湾台風の時、逃げたことを覚えている。それにしてもこいなに時間が過ぎてしまったことが信じられない、50年というと本当は相当な時間だけど実際はそんなふうには思わない、つい昨日のようにさえ思うこともある。人間はたちまち昔になってしまうものである。原発事故でももし50年過ぎたらどうなっているだろうか?元のように回復していのだろうか?50年という歳月は長いようでまた短いのである。ここに咲いていた晩菊は本当に晩菊らしいものだった。今は誰も住んでいない、人間はまた忘れ去られるのも早いのだ。木下材木店のことを覚えている人もまれだろう。墓だけが隠れたように残っていたのである。ただここには住んでいない、墓だけ残っているのだ。これまた無常なのである。


玄関に一羽飛んできて蝶が消えた。これも冬の蝶らしい、急に冬になった。季節的には秋が長びくということはなかった。冬は冬だった。秋が短かったのである。冬は普通に来ている。
夜外に出たら津波の跡に住んでいる家の灯がともっていた。あそこまで津波が来たがそこはまだ人が住める状態だったのである。だから修復して住んでいる。今日の夜は星がきれいだった。冬銀河であり一つ一つが冬らしく強い輝きを放っている。また冬が巡ってきたのだと思って空を見上げていた。

英語で石にaがつくのとtheがつくのでは違っている。aは抽象化した石であり実際に自分でみた石とは違う。theとなると自分で実際に見た知っている石のことなのである。その差は大きい。それを
「万葉集の枕詞などがなぜわからなくなったのか」などで書いた。万葉集は一般的な抽象化したものを歌ったのではなく実際に見ている、theの世界だった。だからaとtheの相違は意外と大きいのである。現代はthe の世界ではなくaの世界、抽象的な世界に生きている人が多いのである。だから血が通わないとういことがある。

 
 

2012年11月15日

田舎では落とし物は戻ってくる (家の中に入ってくる人は一番危険!)

 

田舎では落とし物は戻ってくる

(家の中に入ってくる人は一番危険!)


サイフとかカ-ド入れたのを自転車から落としていた。一瞬盗まれたかと思ったが今までにそういうことはなかった。ス-パ-に3,4回忘れてももどってきたし他でもわざわざ電話してきてくれて店もあった。それで5千円お礼したこともあった。今回は金は2,3千円しか入っていなかったがキャッシュカ-ドが一枚入っていたのですぐ連絡した。そのあと警察から連絡来て落とし物をとりにゆくことになった。仙台で落とし物したときも警察に届けられていた。案外落とし物は日本では届けられる。そもそももしかしたら落とし物はたいして金など入っていないからかもしれない、大金が入っていたらどうなるのか?その辺がわからないけど日本で落とし物が帰ってくる割合はかなた高いだろう。これが外国だったらほとんど帰ってこないかもしれない、そういう点、日本は安全である。狭い所だから落としていたらすぐもどれば落ちているものがそのつまにしていればわかる。そういうことも何回かあった。今回は人が通るところなのでそういうことがなかった。ともかく落とし物がかえらないことはなかった。ただ田舎が安全かというと家の中に入ってくるものはやはり金がからむことだと今は相当に危険である。あんな大胆な人が田舎にいるとは思わなかった。


今でその人ととは狭い田舎だから会っている。警察に届けても証拠がないということでとりあわない、警察は意外と犯罪では頼りにならない、なぜなら盗みでも何でも明確な証拠がない限り警察ではとりあげない、めんどうになるからだ。めんどうなことには警察はかかわりたくないのだ。なぜ尼崎の角田に警察がかかわらなかったのか不思議に思うだろう。それには何かかかわりたくないものがあったのだ。それは何かわからない、在日だカルト宗教団体だとかの巣窟でありそういう背景が何かあったので警察はかかわらなかった。あれだけの犯罪でもそうなのである。警察は証拠がはっきりしているものでないとかかわらない、それを決めるのは検察官であり警察官ではない、書類の手続きやら何やら今は人を犯罪者にすることは大変な労力がかかるのだ。だから今の時代は大きな犯罪でも見逃されているのが非常に多いのだ。
あれだけの犯罪でも見逃されていたということでもわかるのだ。殺人ですらかなりのものがつかまらないし見逃されているのだろう。もう一つは犯罪の範囲が広がりすぎたのである。世界まで広がったらなかなかつかまらない、そして人権に配慮するから犯罪者をつかまえにくいのである。


江戸時代がなぜ安全かといったら狭い範囲、村の中で生活しているから安全なのである。よそ者はめったに入ってこないしよそ者は必ず注意して見られているから犯罪できないのである。今は田舎ですら外国人が車で入ってきたりできる。関所があるわけでもない、誰だかわからない人が入ってくるのである。ただ実際問題として人間一番怖いのは内部の人間である。戦国時代でもそうだが内部に送られた密偵とか内部にまぎれこんで攪乱するとか内部でとりいって信頼されてあとで裏切られるのが一番怖いのである。だから角田の事件はわかりにくいけど家族の内部に入って内部を牛耳られたからあのような悲惨なことになった。そういうこと人類の歴史が始まって以来教訓として残されていた。
トロイの木馬である。木馬が贈り物として城の内部にもたらされた。それが何なのだろうといぶかっていたが城の中に入れてしまった。家の中に入れてしまったのである。城の中に家の中に敵を入れてしまったのである。これほど危険なことはなかったのである。角田の事件もやはりわからないあまりにも残酷なものにしてもやはり家に引き入れて起こったことなのだ。これは田舎でも今は関係ない、やはり金の力がものいう時代だから家の中にはよほど信頼する人でないとまかせてはいけない、家の事情もわかりそれが本当に危険なことなのである。老人などは特に危険である。


結局この安全管理は人間にとって盲点だった。会社経営している人などは借金している人は信頼してはならないとか言っている人がいる。金持ちは貧乏人とつきあうなとか世間に通じている人は言っている。人は簡単に信じることは命取りになる。ただではその信頼関係はどうして作れるかというと非常に今はむずかしい。村のような狭い範囲だったら互いに顔見知りであり江戸でも狭い範囲で生活しているから顔が金の代わりになる。あとで払うよと言っても顔で信用される。今は例えばコンビニなどでは外から人が入っているから監視カメラで見ている。店長は監視カメラを管理している人なのである。それだけ盗む人が多いのかもしれない、ただその金額は極めて少ない、家の中に入ってくる人はその家の財産がねらわれるから怖いのだ。貯金通帳もねらわられる。ボケ老人だとそうなる。
これは田舎でも今は金の世の中になっているから危険である。田舎も昔の田舎とは違っているのだ。やはり金がものいうことは田舎でも今は同じだから金にこだわる。人間関係も金を通じてしかありえない社会となっているからだ。


まあ、自分の場合はあまりにも世間にうとすぎたのである。坊ちゃんだといえばそうであった。そんな悪い人がいると思えなかったのである。もちろん悪の判定は簡単にできないにしろあまりにも人を信用しすぎたのである。それは田舎ではそんなことしないという先入観があったのだ。それが変わってしまったのである。ただ30年間くらい何も問題が起きなかったこと自体ふりかえるとあまりにも恵まれていたことだった。身内が認知症になってからすべてが狂ってしまった。そこからいろいろな問題ばかり生まれたのである。それで今はショ-ペンハウエルの本は一番読んでいたがまた読み返してなるほどなと思う。人間というのは災いがいかに多いかである。その災いこの五年間で嫌というほど経験した。だから今願っているのは災いのないことだけである。津波という自然災害もそうだけど

原発事故もありこれほどの災いはなかった。今はただ石のように何も災いの起きないことがどれだけ幸福なことか再認識した。便りがないのはいい便りだいうのは本当である。絶えず便りがきたとしても悪い知らせであり災いが人間を通じてもちこまれるのだ。いい便りなどほとんどないのである。
石のように何も起こらないことが幸福なことである。それを今回ほど願ったことはない、結局原発事故の災いはこれから放射能被害などどれだけ長い期間つづくかわからない、もううんざりしている人も多い。でもここに住んでいる限り逃れられない問題なのである。


アンケ-ト

百万サイフに入っていたら警察に届けますか?
一千万だったらどうですか?

金額によって人間の心理はかなり変わるだろう。
例えば百万であれ一千万であれ盗んだ人は返さない
もう十万くらいだったら返すが
額が大きくなると返さない
額によって犯罪の度合いが決められていたのだ


「死罪」では、強盗傷害や十両以上を盗んだ窃盗犯に科せられた


これは相当に厳しい、江戸時代は刑罰が厳しいことでもなかなか犯罪できない社会だったのである。今は十両など盗んでもわからない人が多いしつかまらないしそんなこと日常的に起こっているのだ。

posted by 老鶯 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年11月18日

木枯らし (一人暮らしでも家事は便利になり不自由がない時代)


木枯らし

(一人暮らしでも家事は便利になり不自由がない時代)


朝日さし山の襞見え冬薔薇

冬日さし隠れし所一家の墓
竹に風そよぎて朝の冬の菊

晩菊のここにしみいる三色ほど


北風のうなり舞い散る木の葉かな石静まりて三日月いてぬ


今日は朝早く原町に行き牛丼屋で朝食とった。やはり結構朝行っている。朝食が280円だと便利である。実際一人暮らしでもまた二人暮らしでも生活のコツがわかれば今は不便ではない、原町くらいの人口があれば食事は楽である。やはり食事が一番めんどうなのだ。自分の家は台所が離れていて運ぶこと自体めんどうなのである。別室の介護している部屋にお茶一杯運ぶの手間なのである。
一人暮らしでもそれなりに経験積まないとこれも意外なことがわからず効率化できないのだ。

今は炊飯器でも安いのができている。これを買ったのは最近だった。それまでインスタントの米をレンジでたいていた。これが失敗だった。これでは金がかかりすぎたのである。おかゆも時々作らねばならないのでおかゆをたく専用の電気の炊飯器を買った。これはうまくたけるし便利である。これも早く気付けば買っていた。一人用のものが今は売っていたのである。こうして買い物自体がわからないことがある。買い物で良くみていないとどこで売っているのか見つけられないのである。

やはり一人暮らししている人に聞いてみるとどうしているのかわかったかもしれない、人間はつくづく料理にしても誰も教えるものがいなかったら簡単なことすらわからない、そういう状態にあったから何でも一からはじめなければならないから家事も男にとっては大変なことだったのである。
介護は家事の延長のようなところがあるから女性には向いていたのである。

なぜ一人暮らしが増えたのか、若者が結婚しないのか?いろいろ理由がある。収入もないとかある。
一つの原因に家事が便利になり男でもできるということである。都会だったら外で何でもまかなうことすらできる。外食でも牛丼屋のように安い所があるからだ。家事は手間が大変なのである。

今は大幅に家事の手間が省かれるから男一人でも別に困らないのである。自分は慣れないから大変な所があった。慣れれば効率的にやれる。一人暮らしで身寄りがないなと困るのはこうした食事のことなどではない、緊急時の時頼る人がいないとかが一番の問題なのである。家事は一人でもほとんど困らない時代になっている。ということは家事をする女性の労働もいらなくなっているということなのだ。昔は家事労働に費やされる時間が大きかった。米たくこと自体大変な手間だった。そういうのが省かれたとき女性の仕事は喪失したのである。だから女性も家事は楽だからみんな外で働いているのだ。


そして男は別に家事は一人でもできるから女性の手を必要としない、それで結婚しなくてもいい、気楽な人陸らしいいとなり結婚しなくなった?自分もいつも食事が用意されていて恵まれていたから結婚したくなかった。女性とつきあいたくないというのではなく、会社に入って勤めるのもいやだったし自由でいたいとなり結婚もしなかった。する必要もなかったのである。
もし介護もしなければならないとか病気になり看護してくれる人もいないとかなっていればこれは一人は大変だとなり結婚などでも真剣に考えていた。今になると時すでに遅しであった。一人暮らしでこれから困ることは病気になったりしたら誰も助けない、置き去りにされ無常に捨てられるということである。誰も他人は同情などしない、金があっても金は奪われ捨てられるのである。そういう現実をみて覚悟している人は意外と一人暮らしの人に少ないだろう。これから地獄を見ることがわからないのである。


道の駅であった人はやはり原発で働いてた。40年も働いていた。何か技術をもっていてそうなった。火力発電所でも働いていた。相馬と原町にありここでは一カ所で千人も雇っている。原発はさらに雇っている。だから雇用の面で電力会社にかなり負っていたのである。11月から原町のかりょく運転はじめるとか言っていた。実際に選んであっているわけではない、偶然あっただけで四人も原発で働いていた。これは明かに原発で働いている人が多かったのであり今はそうなのだ。なにしろ金になるからそこで働きたいとなる。放射能は怖くないという、正式に長年働いている人だから厳重に管理されているためである。


今日は木枯らしだったのか、風が強く吹いた。今年もまもなく終わりだろう。何か毎日が追われるように過ぎてゆく、ここ五年間はそうである。追い立てられるようにすぎてゆく・・・
木の葉が風においたてられて散ってゆく、そうして人も死んでゆくのが無常である。人間がこんなに無常だとは思わなかった。たとえ60年も一緒にいても死別すればそれは一場の出会いにすらすぎなくなってしまう。これが人間の無常なのか?人間関係すら絶えず変わっているのではないか?今日あっている人は明日はあわないのではないか?いくら長く住んでいてもそういうことがある。津波で家族がなくした人はそう思っているだろう。人生の無常を痛切に感じさせられたのである。

原町の高平の六号線を越えるところにある墓地は隠れたようにある。あそこに越中からか移民してきた人の墓があった。その墓に冬の日がさして落ち着いてた感じがした。それは別に普通のことだが
今やこの辺は故郷を追われた人がいて津波で墓すら流されたりしているし墓参りすらできないという人が結構いたから余計に墓があって冬の日がさして落ち着いた気分になったのである。
墓は故郷には不可欠なものとして風景そのものとしてある。先祖代々の墓ということで都会とはまた違ってる。墓自体が何かその土地に根付いた証みたくなっているのだ。都会の場合は団地のような墓になるがあういうのは嫌である。まあ、田舎でも墓のあとづきがいなくて困って共同墓地で供養してもらいたいという人が多くなった。跡継ぎがいないということもまた大きな問題なのである。
少子高齢化はともかくいろいろな問題をもたらしたのである。

2012年11月19日

初霜 (人間は大地と自然と共に生きることに意義が生まれる)


初霜

(人間は大地と自然と共に生きることに意義が生まれる)

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初霜や大地踏みしめ老いてゆく

朝霜に野の道歩む残り菊
初霜や共に生きゆく大地かな
故郷に命いとしむ冬野かな


今日は初霜だったのだろう。夜から寒かった。残菊とか残り菊とかは秋の季語だけど実際は冬にふさわしい感じがする。なぜなら冬でも咲いていてまさに残り菊になっているからだ。今日は本当に霜であり野に残り咲く野菊の花がふさわしかった。何度も書いてきたけど人間が生きるということが何なのか深く考えて生きている人はいない、ただ老人になると生きる時間が限られて見えてくるのだ。
本当に今や先が見えてくる。死が日々迫ってきているのだ。そういう時生きるとは一体何だったのだろうとなる。この辺でも葛尾(かつろうむら)とか飯館村とか山の村がある。そういう不便な所で生きていた人もいるし街で生きていた人もいる。ただ田舎はやはり回りが田んぼであり大地というものを意識する。農業に従事していなくてもそうなのである。農業が実際は一割にも満たない生産高しかない、でも田舎に住んでいれば田んぼのしめる割合が多いから感覚的に農業が主体のうように見えてしまうのである。だから田んぼがない、原野化しても食料が得られているということが不思議なのである。相馬藩でも他でも飢饉があった。その時三分の一が餓死したとか伝えられている。米がとれなければ死ぬほかないという深刻さがあった。原発被害地域では食は十分に与えられている。働かなくてもいいからただパチンコで遊んでいると外から批判される。

思うに人間は確かに飢饉などがないからいいのだが生に対する真摯さのうよなものが豊になりすぎて失われたのではないか?

生きることの厳しさが失われた、ただ楽だけを追求して生への真摯さが失われた。生は気楽なものだと変わってしまったのかもしれない、現実に原発はまさにその象徴だったのである。この辺ではやはり原発があってこの豊さを享受していたのである。それが一転してともに真摯に生きるべき追求されるべき生が失われたのである。飯館村の作見の井戸は今年の豊作を祈り占うというときそれは実際は真剣だったのだ。他でも祭りは単なる遊びではない真剣な要素があったのである。米がとれなければ飢えるとしたら真剣にならざるを得ないのである。農業だけで生きるということはより自然と密着することになるのだ。頼るべきものが自然だけになるからだ。一方でこれだけ便利に物が豊になるとそうした昔の人たちが苦労して作り出していた食料でもないがしろにされる。そのことは捨てる食糧の量でもわかる。江戸時代は糞尿でも紙一枚でも捨てていない、利用していた。ロウソクも貴重なものであった。


蝋燭に火を灯して使うと下に蝋が溶けて流れるが、これを集めてまた蝋燭を作った。今風にいえば、使用済み燃料の再利用である。「蝋燭の流れ買い」という商売が成立し、町々を歩いて流れた蝋を量って買っていった。


その物を大切にすることは心にも影響していた。命を大切にするということに通じていたのだ。命をいとおしむということに通じていた。物がふんだんにあれば命もかえって粗末にするという皮肉があるのだ。現代とは命の価値が低くなっているのかもしれない、そもそも初めて霜がふる、寒くなるというとき昔の人はその寒さをひしひしと感じて生活していたのだ。今は暖房が電気があるからそう思わない、エアコンをかけるかとなり寒さもそれほど感じない生活なのである。それで老人でも病人でも長生きしているということはある。でも生活の厳しさが失われると命も重みを失うのかもしれない、ただ寿命だけが伸びてゆくことにもなる。そんなお前の生活はなんなんだとなるけどどっぷりと文明の恩恵を受けたのがお前じゃないかともなる。それは否定できない、山尾三省のような生活が昔の生活だった。それを実践している時、かえってこんな豊かな時代になぜそんな貧乏生活をあえてするのかという批判までになったことでもわかる。そんなことは誰も今は受け入れないものとなっていた。でも江戸時代あたりではそういう生活が当たり前だったのである。


つきつめていけば大地と共に生きるということは大地に死すということでもある。大地とは故郷でもある。人間は大地を失ったら生きる根も失う存在ではないか?アイディンティティは自然に大地にある。確かに電気なしで暮らせるのかとか批判はある。それでも原発事故を見ればわかるようにその大地を自然をそのものを失ったとき人間はどこで生きればいいのかとなる。そういうことを自分もそうだけど真剣に考えて生活していた人はいないのである。漁業関係者も農業でも山村でもみんなそうである。ただ豊になりたい、金がもっとほしいほしいしかなかったのである。それで原発事故でそれらを失ったときその生活を根本的に見直すことが迫られた。ただ豊になればいいということでは人間の生活は成り立たない、だから人間は薪を山からとり運び燃料としているとき、山のありがたみを感じて祈ってもいた。でも電気になったとき電気というのは金を払えばもたらされると錯覚する。電気を作り出すことは原発事故でわかったように非常に危険なものでありコストもかかっていたのである。それが具体的に意識されないからわからないだけだったのである。事故によって否が応でも意識させられたのである。

 

2012年11月21日

北風-冬紅葉 (今日も朝原町の牛丼屋へ行った)


北風-冬紅葉

(今日も朝原町の牛丼屋へ行った)

晩菊の日当たり静か墓所のあり
冬の日の今日も静かに墓所のあり
地元なる会社の一つ冬紅葉
北風や石相対し黙すかな


north winds blow
the stone to stone
in silence in sincerity


一本の松の変わらじ冬あざみ

夕暮れの波紋静かや鴨眠る


北風の鳴りて朝日の昇るかな桜井古墳ここに鎮まる

寥々と北風吹きて竹の鳴り朝鳥鳴きぬ鋭き声かな
沈黙に心通じぬ石と石北風鳴りてここに動かじ


今日も朝早く原町に行った。牛丼屋の納豆定食280円は安い、おろしがついているところがいいのである。卵もついている。あれは本当に得である。朝食はあそこですませば楽である。一人だと意外と今はかえって楽な生活ができる。でも一人でも介護とかになると結構手間なのである。


会社があり冬紅葉というとき津波原発事故で働くことが問われたことはない、地元に働くこと地元に定着することその意味が問われたのである。つまり地元から働き手が流出して働き手がいなくなる。するとここでは暮らしが成り立たないという窮地に追い込まれたのである。一方で仮設に暮らす人は毎日パチンコだとか働かないことも批判された。補償金もらいるから働かなくてもいいのだがそれでは地元に生きる意味がなくなる。一つの会社がありそれがともかく成り立っていることが貴重なものとなったのだ。だから当たり前のことが見直されたのである。墓でもこれも今までだったら墓がなくなったり倒れたりしない、でも墓は地震で倒れ津波で流され原発事故で避難して放置されてとか墓にも平和がなくなったのである。最近まで倒れた墓石があったがなくなった。墓も安住の場所でもなかった。


今日も北風が吹いて冬らしくなった。冬はやっぱり石のようにじっとしているのがいい、北風の音を聞きつつじっとしている。それがなんともいいのである。この五年間何かこうしてじっとしていることもできなかった。やっと何か落ち着いた感じはする。それでもまだ世話する人がいるからいろいろと追われる感じはする。でもここ五年間の間ではやっと落ち着いてきたのかなと思う。やはり二年間は病気であり手術して楽になった。なんとか健康でやれれば落ち着いてくる、つまり余裕がでてくるのだ。今までは何か余裕がもてなかったのである。人に世話にならねばならなかったしこれも辛かった。人の世話になるのがこれほど負担になるとは思わなかった。そういう負担があって何か落ち着かなかったのである。何かを他人に負うようになるといかに負担が大きくなるか?人間の一番の弱点がそこにあった。もし石のように誰にも負担を欠けなくて生きれるなら楽なのである。人はそうはいかない、必ず病気になるからそこて負担をかけることになるのである。どんな人でも最後は負担をかけることになるのだ。病院で老人がポ-タブルのトイレしていてそれをなげてもらうのにすまないすまないと何度も言っていた。その人も身寄りが甥子くらいしかなかった。身寄りのない人、家族に世話されない人は介護でも大変になるのだ。それは金だけでは解決しない、施設に入っても金だけで親切にしてくれるとは限らない、そこに介護の問題があった。


夕暮れに波紋も静かに鴨が群れ泳いでいる。鴨は争ったりしない、実に平和に睦みあっている。そういうことすらないのが人間社会である。絶えず争いその欲は尽きず田舎でも平和はない、津波や原発事故で絆のことが盛んに言われたけど実際は絆というのも第一その被害地域でもなかった。パチンコで遊んでいると批判されたように拍子抜けのところがあったのだ。でも今でも外部からボランティアがきていた。海岸の清掃しているという。袖ヶ浦のナンバ-だった。千葉県なのか、多分そうだろ。そんなに遠くからは今は来ないだろう。

石と石は語らなくても通じている。長い間暮らしている家族はそうなる。しゃべらなくても心は通じている。ところが他人はそうはいかない、本当に信用できないから結局めんどうな法律ができたのである。また監視もしなければならない心許せることがないのだ。特に家の中に他人が入ってきたらもう一時も心休まらない、だから金持ちでも実際は悲劇である。金で何でもできることはない、信頼や愛情は買うことはできないからだ。今は金しか求めてない人間がほとんどだからである。

ともかく鴨のようにゆっくりと安らかに眠りたい・・・・石のようにじっとしていたい・・・
それが幸福だったのである。