2012年10月25日

秋薔薇(二両の電車は落ち着くな・・・)


秋薔薇(二両の電車は落ち着くな・・・)


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秋薔薇二両の電車今日も行く
秋薔薇二両の電車待ちにけり
和が知りぬここに咲きにし秋薔薇
我が知りて我また見に来ぬ秋薔薇
秋薔薇一輪散りてまた咲きぬ
いつくしみ心を寄せる秋薔薇
寂けさや月の照らしぬ秋薔薇
動かざる石の静けさ秋薔薇
秋薔薇ここに今年も咲きて散る


相馬-原町間の二両の電車は前とはずいぶん違ったものと感じる。常磐線は単線でも東京とつながっていたし仙台までの通勤電車となっていたから原町から仙台までは八両の電車だったし東京までス-パ-ヒタチの特急も走っていた。八両と二両の電車は相当に違っている。それもたった二つの駅しかとまらないからなんとも不思議なのである。これだけ短い路線は全国でもないだろう。
関西とか富山辺りでも私鉄がありこれと多少にているがたった二つの駅しかとまらない私鉄はないだろう。こんな電車だとおもちゃのようにも感じるしまず急ぐことはない、八両の電車は東京と仙台に通じていたから結構追われるという感じがあった。ロ-カル線でもやはり電車でも追われる気持ちがあったのだ。東京辺りだと常に心は追われて落ち着かないのである。車は別に同じ様に走っている。六号線見ていると長距離のトラックは走らないから違っているけどそれほど量は減っていないし前とさほど変わりないのである。


つまりここで感じたことはいかに人間が交通に心が影響されているかであった。二両の電車になったからたいして変わりないと思うが心の面では随分違ったものとなっていたのだ。それも二つの駅しかとまらないのだから全く急ぐ必要もない、なぜなら次は終点になっているらだ。途中で急いでおりるということはないのである。そうすると落ち着いて乗っていられる。これだけでもずいぶん落ち着いたものとなると思った。だから芒がなびき秋の陽が山に落ちてゆく自然に溶け込むのである。
駅前の庭に秋薔薇が咲いているけどそういうのにもあうのである。これも不思議な経験である。

この辺で起きたことは本当に不思議なことばかりだった。こんな経験をすることは本当にないと思う。まあ、家族が津波で死んでいないからまだのんびりしているのかもしれない、家族を亡くした人の傷痕は深くまだつづいている。原発でもここは避難することもなかったからそんなに被害者意識がないのかもしれない、かえって補償金もらって喜んでいる人もいるくらいからだ。


ただ聞いた話では五年は米を作れないとなるとこれは長いと思った。なかなか復興というのも原発被害地域は長いのである。常磐線も仙台まで通じるのは三年後なのか五年後なのかわからない、常磐高速道路は二年後である。高速道路は景色として見ていないから何か車のないものにとってはあまり関係ない、具体的に何か変わったことを感じられないのである。車をもっている人と持っていない人の生活感覚は大きいのである。車をもっている人は電車も余り利用しないからこんな感想をもたないだろう。この辺は冬でも雪がふらないしあたたかいから自転車で買い物に行ける。でも会津辺りだと中通りでも寒いし自転車で買い物に行くこすらできなくなる。だから気候的にこの辺は恵まれている。車がなくてもなんとか生活できるのである。


ともかく老後はせわしいのは嫌になる。自分の性格は全く都会向きではなかった。人づきあいも悪いし石のように黙ってじっとしているのがいい性分だったのである。この性格は母とにていた。母も耳が遠くなって何もしゃべることも聞くこともない、話すこともない、耳が聞こえなくなったからというよりそういう人ともつきあわない性分だったのである。つくづく母親の性格とにているなと思っている。ただ東京でよく人が暮らせるなと思う。ゆったりした気持ちになれない、電車に乗って座ることもできない、いつも何かに人に物に機械に追われている、そんな生活は本当に地獄でありそんなところに幸福などありえないと思う。若いときならいいが年取ったらいくら性格があるとしてもみんなそう思うだろ。老後は落ち着いてゆっくりと田舎で過ごすのがいいとなるのが普通である。


電車の旅が長かったから電車には興味がある。電車にも実際はいろいろあったのである。こういうロ-カル線は一両の電車は北の果て稚内とかで通っていた。あそこも本当に乗る人は普通でも極端に少なかったのである。そういう電車にのったことは記憶にありそのことを書いたりしたのである。

秋薔薇はやはり何か落ち着く晩年にふさわしい花である。晩年は庭作りとか花の鑑賞とかに向いているのだ。
放射能でも花は咲いているから鑑賞できるのである。