2012年10月02日

秋雨(相馬原町間の淋しい二両の電車)

 
秋雨(相馬原町間の淋しい二両の電車)


雨しとと老人残り秋あざみ
雨しとと実りのなきに秋あざみ
秋雨や盆栽の松に仮設かな
雨しとと二両の電車秋の夜
虫の音や二両の電車淋しかな


原町-相馬間を行く電車が二輌でありずいぶん違ったものに感じるものである。前は八両であり仙台まで通じていた。急行のス-パ-ヒタチも走っていた。東京に通じていたし仙台にも通じていた。それがたたれたときなんともさみしいものとなった。常磐線は原町から仙台はそれほど廃線になるような路線ではなかった。仙台に通勤している人も結構あった。それが相馬から原町まで二輌しか走っていないことがなんとも淋しいのである。ただその淋しさが自然からするとまた違ったものになる。
秋の雨がしととふるときその二輌の電車にあっている。淋しいだけに自然とマッチしたものとなる。自然がより反映されるものとなる不思議である。これが都会のようにひっきりなしに十両もの電車が走っていたら雨しととという情緒もなくなる。前のように八両の電車だったら雨しとととかならなかったろう。二輌でありそれも原町-相馬間しか走らないということで余計にそう感じるようになったのである。もちろん電車の走らない所は日本では多い、そこはまた感覚的に違っている。


電車の旅が長かったから電車は好きである。電車には旅情とか哀愁とかなにかまだそうした人間的なものを感じるのである。新幹線となるとなかなかそういう旅情を情感さえ感じられなくなる。飛行機もそうである。つまり新幹線-特急-急行-普通・・・この順に旅情を感じるのである。江戸時代になると歩く旅情になるからこれは今では経験できない世界になっている。歩く旅は現代では経験できない、もちろん歩くことはできても何か本当に歩くのとは違っている。歩いても江戸時代の浮世絵のような風景にはならない、絶えず車が通りその中を歩くようになるから歩くというのは様にならないのである。だから歩く旅は山頭火で終わったことは確かである。


本当にこの辺の変化は大きかった。辺りは草茫々であり実りは稲穂はない、あざみというきこれは前にも書いたけどスコットランドの国の花だった。なぜこれがスコットランドの国の花になったのか?
それは寒い北方の辺境でありロ-マ人も侵入できなかった地域だった。スコットランドの平原とか草原とかに咲くにふさわしいものだったのである。あざみは花という感じもしない、ただ素朴でたくましさを感じる花である。


盆栽の松にも秋雨がしととふる、これもあっている。仮設も一年半過ぎて何かなじんできたのである。だから仮設がなくなったとき淋しいとかなるかもしれない、にぎやかになったことは確かだからである。自分にとっては車がないからやはり電車が足になるから電車はなくてならないものである。
車をもっていればそうはならない、車をもっている人ともっていない人の差が生活感覚でも相当大きいのである。