2012年10月01日

台風過ぎぬ (南相馬市鹿島区の夜から朝までの変化)


台風過ぎぬ

(南相馬市鹿島区の夜から朝までの変化)

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我が母の耳の聞こえず無月かな
秋の夜や二両の電車淋しかな
八畳の間に眠る秋の夜
台風の吹き荒れしも大き家
台風の仮設に吹き荒れ過ぎにけり
もの言わず朝の食事や虫の声
秋暑し日影の石に休むかな
石により味噌漬けの店秋あざみ
字を刻む石材店や秋あざみ


台風の過ぎにし朝や阿武隈の山脈静か雲に翳りぬ

台風の風に折れにし墓の花我が直して墓を守りぬ
我が隣倒れしままに放置さる一年半すぎ直さざるかな


台風が来て曇り空になり次に嵐がきて風が吹き荒れた。でもそれほどの台風ではなかった。被害もなく早々と通りすぎた。天気は無月であり原町-相馬間の二両の電車が通っているが淋しい。前はス-パ-ヒタチとか東京まで通っていたから大違いである。六号線も小高から南は通じていない、ただ車は同じ様に通っている。小高が行く車が増えた。小高は当分工事中になるから車が通る。

自分は今八畳の間に眠っているから眠れる。家はやはり広くないと眠るのも何か圧迫されるので眠りにくいのだ。家も大きいから台風がきても安心である。この家は大きいだけが取り柄の旧式の家だった。昔は今のようにな作りになっていない、ただ大きいだけなのである。座敷がありそこで冠婚葬祭までしていたから座敷は広く作っていたのである。今はもうそういことがないからこういう家の造りはない。

朝になったらすでに台風は過ぎていた。山の方を見ると芒がなびき雲が影を落として翳らせている。こういう風景は秋である。途中に家の墓があり花が風で飛ばされ折れていたので直した。墓は花を挿しても枯れるし汚れるから時々手入れが必要なのだ。隣の墓は倒れたままで直さない、おそらく地元に住んでいないので直せないのだ。そういう墓も結構ふえているだろう。どういう訳か土台だけ墓を作って肝心の墓石を建てない墓も隣にある。墓を作るのも金がかかるのからやめたのかもしれない、墓は跡継ぎ問題やらなにやらめんどうなのである。だから本当は共同墓がいいのかもしれない、家族も継続するのが少なくなっている。するとどうしても墓は誰もお参りするものがいなくなる。共同化した墓なら誰かがお参りするからいいのである。


味噌の蔵というのが南相馬市鹿島区の六号線にある。暇だから何も買うわけではないよってみた。今日は暑かった。29度あった。それで日影を探したらそこに石があり落ち着く、人を呼ぶにはまた地元を良くするには庭作りがいいと思う。身近に自然を鑑賞するとき日本では庭が癒しになるのである。京都は庭が文化なのである。ここの庭はプロ的には作られていない、ただ石と松を無造作に置いた置いただけである。もっとプロの職人が手をかける庭になるとその庭を見るだけで人が来るということもある。ただこの辺は交通が東京の方と通じないからこういう六号線の店は地元だけが客となるからお土産なども売れないとなる。それが最大の問題なのである。近くに石材点があり字を刻んでもらった。もう一つ庭に置く石に字を刻んでもらおう。石に刻んだ文字はやはり重みをもつのである。

今は秋あざみの季節だけど田んぼに実りはない、草原化している。味噌は昔の手作りの味噌がうまかったというのは本当なのだろうか?
味噌の味もそれぞれの家で違っていた、漬け物も違っていた。だから味合い深くお袋の味となっていた。今は大量生産でありそういう味が作れていないのかもしれない、ただ全国から味噌はいくらでも入ってくる。それらの味は違っているがなかなかわかりにくい。
味噌汁は作っているけど味は良くわからないのである。

ともかく手術して自転車に乗るなとか乗り物に乗るなと言われているから
ますます遠くに行けなくなった。だから近いところを見て回るだけなのである。それだってとても歩いては見れない、だから自転車に乗っている。手術したところを触らないようにして乗っている。今の時代自転車にも乗れなかったら生活できない、買い物すらできなくなる。なんとか自転車に乗っているから助かったのである。

2012年10月02日

秋雨(相馬原町間の淋しい二両の電車)

 
秋雨(相馬原町間の淋しい二両の電車)


雨しとと老人残り秋あざみ
雨しとと実りのなきに秋あざみ
秋雨や盆栽の松に仮設かな
雨しとと二両の電車秋の夜
虫の音や二両の電車淋しかな


原町-相馬間を行く電車が二輌でありずいぶん違ったものに感じるものである。前は八両であり仙台まで通じていた。急行のス-パ-ヒタチも走っていた。東京に通じていたし仙台にも通じていた。それがたたれたときなんともさみしいものとなった。常磐線は原町から仙台はそれほど廃線になるような路線ではなかった。仙台に通勤している人も結構あった。それが相馬から原町まで二輌しか走っていないことがなんとも淋しいのである。ただその淋しさが自然からするとまた違ったものになる。
秋の雨がしととふるときその二輌の電車にあっている。淋しいだけに自然とマッチしたものとなる。自然がより反映されるものとなる不思議である。これが都会のようにひっきりなしに十両もの電車が走っていたら雨しととという情緒もなくなる。前のように八両の電車だったら雨しとととかならなかったろう。二輌でありそれも原町-相馬間しか走らないということで余計にそう感じるようになったのである。もちろん電車の走らない所は日本では多い、そこはまた感覚的に違っている。


電車の旅が長かったから電車は好きである。電車には旅情とか哀愁とかなにかまだそうした人間的なものを感じるのである。新幹線となるとなかなかそういう旅情を情感さえ感じられなくなる。飛行機もそうである。つまり新幹線-特急-急行-普通・・・この順に旅情を感じるのである。江戸時代になると歩く旅情になるからこれは今では経験できない世界になっている。歩く旅は現代では経験できない、もちろん歩くことはできても何か本当に歩くのとは違っている。歩いても江戸時代の浮世絵のような風景にはならない、絶えず車が通りその中を歩くようになるから歩くというのは様にならないのである。だから歩く旅は山頭火で終わったことは確かである。


本当にこの辺の変化は大きかった。辺りは草茫々であり実りは稲穂はない、あざみというきこれは前にも書いたけどスコットランドの国の花だった。なぜこれがスコットランドの国の花になったのか?
それは寒い北方の辺境でありロ-マ人も侵入できなかった地域だった。スコットランドの平原とか草原とかに咲くにふさわしいものだったのである。あざみは花という感じもしない、ただ素朴でたくましさを感じる花である。


盆栽の松にも秋雨がしととふる、これもあっている。仮設も一年半過ぎて何かなじんできたのである。だから仮設がなくなったとき淋しいとかなるかもしれない、にぎやかになったことは確かだからである。自分にとっては車がないからやはり電車が足になるから電車はなくてならないものである。
車をもっていればそうはならない、車をもっている人ともっていない人の差が生活感覚でも相当大きいのである。

 
 

2012年10月04日

秋陽没る(個人の凶運はだいたい五年で終わる?)

秋陽没る(個人の凶運はだいたい五年で終わる?)


行き来する二輌の電車芒かな

苦しみの終わりにならむふるさとの山脈静か秋陽没るかも
草深く月見草咲き忍び足猫の歩みて我も歩みぬ


陰陽道(おんようどう)で、生年の干支(えと)による運勢の凶運を示す年まわり。この年まわりにあたると、凶事が5年続くという。→有卦(うけ)  


占いを信じるわけではないけどやはりどんな人でも凶運の時がさけられない、本当に自分の凶運は五年間だった。手術が終わりなんとか凶運を脱したみたいだ。なんか気が楽になった。たいした病気ではなかったが医者にもみてもらえず悪化させた。そして病気の不安が大きかった。病気になるとどうしても人の世話、介護などでも余裕をもってできない、その重圧感が大きすぎるのだ。病気ほど人間をうちのめすものはない、病気が重篤になれば死にもつながるし人は死をまねがれえないからだ。

そこで人は絶望的になる。この凶運は最初自分だけに起こったことである。もちろん他の人にも認知症とかなっている人は今は多いし介護で苦労している人は多い、それでも家族によって介護でも助けがある人もいるしない人もいる。自分には親戚も兄弟もいないのだから助けがなかった。ただ一人近所の人が認知症でも助けてくれたのである。その人には今でも感謝している。その人は別に見返りも要求しないしただかわいそうだなと本当に思って同情していたのである。そういう人は今ではほとんどいない、かえって弱者になると弱みにつけこまれのが現実である。団塊の世代は本当にモラル的にも人間的にも非情な人が多い、80代以降はなんとかまだ日本人的良さをもっていた人たちがいた。団塊の世代はドライと言えばドライでありただ利しか求めていない、民主主義とはただ個々人の欲望の無制限の拡大であり満たすことしかなかったのである。ええ、なぜこんな人が同世代にいたのだろうといぶかった。その人は例外的な人かと思った。でもやはり戦後に育った平均的な人でもありその例外的と思われる人もやはり世代の平均的な姿だったのである。


20代の人が親が認知症になり親戚が入り込んで頼ってひとぽめにあったことをインタ-ネットで書いていた。そういう混乱している弱者になったとき親戚でも助けるわけでもない、同情するわけでもない、そこがチャンスと弱みにつけこんでくるのが普通である。どうしても頼らざるをえないしどうしていいかわからないことがあるからだ。特に認知症は何なのか訳わからない病気だったからである。この病気になったら前にどんな親しい人でも離れる、よりつかなくなる。もう人として会話できないと思われるからである。でも家族は離れるわけにはいかない、介護させられるのである。その人は何か金がからんであとでその親戚を恨むようになった。親戚といってもいろいろであり自分には親戚すらなかった。認知症の身内が死んでもそれからやはりもう一人介護状態の身内がいて今度はまた介護で苦労した。病気にならなければ災いはそれほどのものではなかったかもしれない、でも突然病気になったことが災いを生んだ。医者にみてもらっていればそれほどのものではなかったのである。それができなかったのである。

その間に今度は回りで津浪だ、原発だと大災難が起きた。それにも翻弄されつづけたのである。幸い避難することはなかったので助かった。こうして手術が終わるまで五年間は凶運がつづいた。ここからどうしても脱することができなかったのである。結局凶運というのは誰にでも来る、ただ時期が違うだけである。自分から招く凶運も多いがどうにもならない凶運がある。この凶運で死ぬ人もいる。実際そういう人がカルト宗教団体にいた。病気になって若くして死んでしまった。なぜかわからない、そういう凶運から脱してようとしてカルト宗教団体に入る人はいても脱することができない人は相当数いる。カルト宗教団体ではそういう凶運の人はかえって一票として勢力拡大のために格好の餌食とされる。その人がどうなろうと別にかまわないのである。そうでなければなんなに数がふえるわけがない、ともかくどんな人でも一票として数として確保することでありあとのめんどうなどみないのである。


ともかく凶運は結局どうにもならない、凶運の過ぎ去るのをたたひたすら耐えているほかないのである。その時助けは本当にない、あったとしても本当にまれである。その時もし助ける人があったらその人はあとで相当な福運があることはまちがいないがそういうとき人はよりつかなくなる。だからただひたすら凶運の過ぎ去るのを待つ他ないのである。何か特別に脱する方法もない、ただひたすら凶運の過ぎ去るのを待つほかないのである。ただ五年間結構長いから苦しかったのである。五年間は凶運の平均的な期間であることはあたっているだろう。それくらいは耐えるほかないということである。大凶運もこの世にはある。戦争がそうであり今度の津浪、原発がそうであった。飢饉などもそうであった。こういうの大凶運でありやはり何百年に一回でも世の中には起きてくることがわかった。

この大凶運から脱するのはもう二三年ではどうにもならない、最低でも十年はかかる。神戸でも十年かかったというから本当である。この大凶運は10年でなんとか落ち着きさらに十年でなんとか元に近い状態になったとかなるかもしれない、それほどの大凶運だったのである。個人的には五年で凶運はだいたい終わるが大凶運は十年とか二十年は脱するのにかかる。そういう時間をみないとならないということである。先はかなり長くなるのである。


落ち着いて秋の陽が山脈に没(い)る。そうした落ち着いた日々がまたもどると幸いである。
猫は忍び足で歩む、油断なく歩む、猫は回りを警戒して注意して歩いているのだ。ただ漫然と歩いているわけでとない、耳を澄まし、辺りを良く見て歩いている。自分も俳句短歌を作るとしたら詩でも絵でも芸術にするならやはり自然を注意深くみている必要があるのだ。猫はそうして油断なく歩いているけどあるとき獲物には猛スピ-ドにとびかかる。そういう習性でありそれはやはり人も見習うべきだろう。自然に生きるものはやはり人間とは違っている。油断がない、人間は隙が多く油断が多すぎるのだ。その油断が災いに結びつくのである。猫は剣客のように寝ていても油断していない、とっさに危険から逃れる状態にあるし自然の生き物はそうである。そうでなければ生き残れないからである。人間はただ漫然として生きている。猫と犬がいるけど自分は猫の性なのだろう。犬の性の人もいる。性格はいろいろである。

2012年10月05日

秋暑し(津浪の跡に異常に増えた蝶の謎)

 
秋暑し(津浪の跡に異常に増えた蝶の謎)


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鮮明に画像を見るにはクリック

ここで増えた蝶の動画を見てくださいQuicktimeをインスト-ルしないとみれないです
http://musubu.jp/tunami.html


秋暑し日影に語る二人かな

二人してなお鳴くを聞く秋の蝉
秋暑し日本一周の若さかな
彼岸花どこまでつづく津浪跡
里山この道親し萩薄
今日もまた萩に眠れる蝶幾羽




今日も陽差しが暑かった。一か月くらい季節がずれた。夏が一か月伸びた感じた。秋暑しの季語は普通は9月だろう。10月でもあることはあった。でもこの頃の暑さは異常をもたらしている。蝉もニイニイ蝉が鳴いていたがこれも夏のものだろう。海水音度の上昇で熱帯の魚がふえてサンマがとれないとか鮭がとれないとかいろいろ影響してきている。日本列島が熱帯化しているのだ。台風が10月に何度も来るとか秋雨の時期は9月だったが暑い残暑がつづいた。一か月夏が伸びるとこれだけ暑くなるとやはり全般的にいろいろ影響するし変化する。

なぜあんなに津浪の跡の草原になぜあんなに蝶が増えたのか?あれも異常現象である。暑さのためだけではない、津浪の跡が草原化してそこに蝶が異常に増えたのである。
チョウは幼虫の頃に植物を食べて育つが、植物にはナトリウムが少なく、成虫になって筋肉を動かすのに必要なナトリウムの欠乏状態になっていることが・・・


蝶は小便などに集るが塩分をとるためである。とすると津浪の跡に塩分が多いから増えたのか?
草原であり蜜を吸う花はほとんどみかけないのに蝶が異常にふえているのだ。こんなに蝶が今頃飛んでいるのを見たことがない、これは秋の蝶ではない、秋の蝶はぱらぱらとしか飛ばない、暑さの原因もあるのか、なぜここにこんなに集まっているのか?明かに原発事故で放射能で草原化したところにはこんなに蝶は集まっていない、ここは津浪が来た所でありやはり塩分と関係しているのか?
いづれにしろ何かこの辺は異常事態がなおつづいているのだ。自然もそうだし人間もそうである。
あんなに彼岸花が咲いているのも不思議である。そこに蝶が異常にふえて舞っている。蝶は魂を象徴しているとか言うから死んだ人の霊でも集まっているのかとも思う。何か異様な光景なのである。


今日あったのはいつもあう体も汚い、髪ものびほうだいのニ-トだった。どういうわけか自転車だから自転車の人と良くあう、あの若者もいつも自転車にのてんるからあうのである。車の人とはあわないのである。89歳の老人とあったのも自転車にのっていたからである。自転車にのっている人は仲間になりやすいのだ。川子の坂はきついけど電動自転車だから上れる。あそこに森がありまだ蝉が鳴いていた。あそこは日影の道がつづき気持ちいいところである。萩も咲いて蝶がまつわりついて舞っていた。あのニ-トは本当に社会と没交渉である。身なりからして全く社会性がない、自分も無職だったが結構社会でアルバイトようなものでも働いたし創価に入った時もあそこは一つの社会であり人と接することが多かったから人と接する訓練はしていたのである。その後は社会と没交渉になった。

その期間は長かった。ニ-トは必ず今田舎でもいるからめずらしくない、ただ田舎だとそういう人は目立つのである。それでも今はふえているから時代が変わった。自分のときはそういう人はアウトサイダ-になったのである。それが百万単位とかでいるとなるともう日常の風景になってしまったのである。まずやはり社会的訓練をしていないとやはりいろいろあとで苦労する。親の介護で社会経験のないことで味わった。その若者はキノコを一杯とって帰ろうとしていた。キノコは放射能が多いから食べない方がいいと言われている。キノコでも老人ならいいのか?普通なら食べない、そのニ-トは社会と没交渉であり情報も入らない、社会と没交渉になるといろいろ身近なところでも情報が入らないことが致命的になる場合があるのだ。だからいろいろと人のコンタクトはとっている必要があるのだ。ただニ-トなどは全くそういうことをしないし拒絶しているからあとで困ることになるのだ。


次に原町の道の駅であったのがこれも日本一周している自転車の大学生だった。法政大学であり120日間回り最後の仕上げての段階に入っていた。その学生は体がいい、太ってもいないし均整とれたいい体していたのである。高校時代にラグビ-していたというからなにほどと思った。学生でも日本一周がみんなできるわけではない、若くても体力の差が大きいのである。自分は体力がないから若いとき無理して体がかなり衰弱してしまったことは確かである。体力がなくても長生きはできる。体力と長生きは関係ない、ただ体力がない人は無理なことができないから冒険などできないから損なのである。老人になると若い人がうらやましくなる。人間はやはり体つきからその人をみることがある。
若くても太っていて何か緩慢であり鈍く感じてしまう人もいる。一方で姿勢よくきびきびしている女性もいた。見た格好が気持ちいいのである。老人はやはり見た格好がすでに何か心だけではない、汚れてしまった心が体にまで反映しているのだ。ただ老化してそうなったともいえない、心が汚れて体までなにか汚れてしまったという感じがするのである。

老人は若い人と接するだけでエネルギ-をもらうということがある。その人は若い力がみなぎっていた。ちょうど夏の雲、入道雲のように体は溌剌としていた。野宿してもなんら体にひびかない体であり120日間もすでに回っても疲れていないのである。今回は津浪の被害地をかなり見て来たらしい。

原町から小高の方に行けばまだ津浪の跡が生々しく残っているといったら小高の方に行った。ここは六号線が遮断されて通りにくくなっているが結構自転車の旅行者をみかける。やはり津浪の跡とか原発事故で常に話題になっているから見に来る人がいるのだ。これだけテレビに写されるただ物見遊山でも見にくる人がいるのだ。こんなにテレビで報道されたことは今までなかったからである。自分のプログも外部から相当読んでいるのかもしれない、たださくらのプログはそこまでアクセス解析ができないからわからなくて困っている。ともかく自転車の人とは良く出会い話しするのである。


写真は撮り方なんだな、これも偶然に角度を変えたら良く撮れていたのである。いろいろな角度からとってみないとわからない、どういうふうに写っているかわからないのだ。デジカメだとそれができるから素人でもいい写真がとれるようになったのである。この写真をみて写真俳句を作る。写真によって新たな美を発見することがあったのがデシカメだったのである。

蝶の動画のアップができなかった

2012年10月06日

中国の反日運動の深層 (中国人の根底にあるもの-中国の過酷な歴史は継続されている)


中国の反日運動の深層

(中国人の根底にあるもの-中国の過酷な歴史は継続されている)



●避諱という他の国ではない道徳観


中国人は古くから儒教道徳のなかに??日本の儒学ですけど??忠とか義とか礼智信に加えて、避諱という都合の悪いことを隠す徳目があるわけです。自分の都合の悪いことを自分のために隠すのではなくて、国家社会の安定のために、偉い人のやった都合の悪いことを隠すのは善だという考えです。

 なぜ善になるか。君子は道徳性の高い人で、小人は物欲ばかりのダメな人です。中国は人治の社会ですから君子が上に立って政治を行うと社会は安定するが、小人がやると世は乱れる。乱世と治世ですね。君子もスーパーマンじゃありませんから、間違いは起こす。それをあげつらうと安定が崩れる、だから偉い人が何かやっても隠す、それはいいことなんだというわけです。

 やがてその支配者と国家が一体化しまして、国の不名誉なことは隠していいという考えになる。子供の時からそう教えられるのです。だから、本当のことは言わないし、味方に都合の悪いことは全部隠すわけです。
http://blogs.yahoo.co.jp/atcmdk/55022675.html

ある人が孔子に、「私の村にはとても正直な人物がいて、父親が他人の羊を盗んだ時にそれを告発しました」と言った。
孔子は、「その人物を正直とは思いません。父は子のために隠し、子は父のために隠す、これが本当の正直というものです」と答えた〔金谷注・『論語』「子路第十三」〕。
 現代語に訳すと、「偉大な人物についてはその人物の不面目な事柄は隠し、優れた人物についてはその人物の過失を隠し、自分の血の繋がった親族については欠点を隠す」である。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-449.html


中国人のことは良く理解できない、歴史的にも中国を理解することは容易ではない、三国志がその古典でありそこに中国人を理解する鍵がある。可愛くて頭がよく、

曹操のお気に入りの息子、曹冲くんが亡くなりました。
 時をほぼ同じくしてというか、曹冲の傷がネズミに噛まれたものではなく、毒蛇に噛まれたものであり、王宮の奥まで蛇がくるのはおかしい。誰かが連れてきたのではないか? その誰かというと、曹冲が亡くなれば、次の跡継ぎになるはずの嫡男曹丕という線が濃厚……



テレビで見た三国志は興味深いものがあった。曹丕が優秀な曹冲を恐れて暗殺した。それを父親の曹操に厳しく問われても自分が殺したと言わなかった。だから指導者にふさわしいと曹操も認めたという。これは嘘でも悪でも隠しつづけることが上に立つものにとっては守るべきものだとなる。
羊を盗んでも盗まないと言えとうい理屈もそうである。

●中国人は家族一族が国より大事


ここでは中国人は家族をまた家族の延長の一族を一番大事にする。だから中国でどういう姓に属するか大事になる。姓から一族であれば重んじる。同族であり協力しあうとなる。しきりに劉備玄徳でも劉という姓であれば重んじる協力しあうのである。日本では姓はほとんど関係ない、むしろ何々村の出身が大事であり姓もほとんどその土地の名から起こっているのが根本的に違っているのだ。日本と中国は漢字を使っていても相当に文化も歴史も違っているのだ。中国では姓を重んじ姓でつながり家族を一番大事にする。国は信用していない、国家の権力は常に変わり変わるたびに権力の座から追い落とされ辛酸をなめる、それは余りにも過酷なのである。権力闘争が熾烈であり敵に対しては容赦がない、恨みは骨髄に達して墓の骨まであばき罰せねばすまないのだ。それはいかにすさまじいかわかる。日本でも怨念とか怨霊があるが中国人のように凄まじいものではない、日本では敵味方塚とかあり敵でも手厚く葬ったりするが中国ではない、将棋では敵であったものが逆に駒として使えて勝つことになる。中国将棋は敵の駒はとったら使えない、大陸のゲ-ムではたいがいそうなる。それだけ生きること自体が中国では厳しかったのである。まさに食うか食われるかの世界である。


今は中国人の金持ちは財産をもちだし外国に逃げる算段をしているという、金持ちになり財産を貯えても中国では安全でないと歴史的にもDNA(遺伝子)にすりこまれているのだ。権力が一旦変われば金持ちでも財産没収になり殺されるかもしれないという恐怖がこびりついているのである。だから民衆の暴動を一番恐れているのは共産党の権力者と富裕層である。何ももたないものは恐れる必要がないのだ。これは中国だけではない、一旦財産をもつと人間は財産を失うという恐怖をもつようになるのだ。多額の金をもっている人はやはり金がなくなること金の価値がなくなることを常に心配していなければならない。そして奇妙なことは泥棒でも10万とかの金を盗んでもそれは返すことができる。ところがたまたま一千万とかを盗みで手に入るともともと欲深い人だと絶対返すことはない、そんな金を手にしたことがないからだ。不正で得た金でもその金が大きいともうその金を返さないし罪など悔いることもない、罪よりその金の大きさに魅了されてしまい返さなくなるのだ。結局人間はいくら悪であろうが不正でも財産をもつとそれを奪われたくないとなる。それだけ財産をもつことは人間を変えてしまうのである。津浪ですぐに逃げられなかった人もやはり財産にこだわっていたこともあるかもしれない、身一つでとっさに逃げることはむずかしい、ところが乞食のような家も何もない人だったら何も残すものもないのだから逃げられるのである。財産をもつことがそういう緊急のときは命取りになるのだ。


ともかく中国人ほど権謀術数を駆使する国はない、そこまでやるのか裏の裏をかき計略をめぐらしとにかく戦いに勝つことが先決になる。負けたらすべてを失うからである。日本人はいくら戦争でもそこまではしない、まだ淡白でありお人好しなところがある。中国人の戦いは容赦がないのだ。民衆もまきこまれて戦争では人口が激減しているのだ。それは現代にも文化大革命などで受け継がれている。一千万人なのかわからないけど殺されたというがその真相も闇の中である。だから権力者はそうした民衆の反乱を極度に恐れているのだ。今は安泰でもいつそうしてひっくりかえり糾弾されて吊るされて殺されるかもしれないという恐怖である。民衆を支配するのも恐怖だが権力者も民衆を恐れ恐怖状態にあるのだ。その点反日運動は共産党の幹部や富裕層にとっても民衆にとっても害がないから都合のいいものなのである。それが一旦共産党の幹部層に向けられたら恐怖になる。そういうことで不満が尖閣諸島をタ-ゲットにされるということがある。どちらにとっても恐怖がないからだ。遂には日本人を殲滅し日本を支配しろとかなる。民衆の不満と支配層の共産党幹部が共通した目的でそうなりやすい状況があるのだ。実際は中国の内部の矛盾や問題が根にあるのだがその解決のために日本が利用されるのである。


●アメリカ、中国、ロシアは三国志の再現か


ただ三国志的なものはグロ-バル化した世界でも適用される。アメリカ-中国-ロシアがそうである。この三国でやはり熾烈な権謀術数をめぐらしている。アメリカが尖閣問題では一番得したとかこの機に乗じてロシアは北方領土で優位に立つとか日本を食い物にする思惑しかないのである。これは三国志の世界である。日本はこの三国の間で食い物にされる立場にある。ともかく一国が巨大化すると帝国主義になり強権政治になるから恐怖である。どうしても巨大権力をそがないと世界が独占されてしまう。これは国内的にも常にそうである。東電なども国家並の権力をもって独占していたから誰も意見も言えなくなっていたのだ。カルト宗教団体でもどこが突出して巨大化して権力化したら恐怖である。創価はそういうことをねらって活動している。三国志を教科書としていることでもわかる。宗教はただ権力をとるための手段にすぎないのである。ただ宗教だからどうしても幹部も宗教に呪縛されるのである。罰を気にしている。病気になれば罰だし何か家に不幸があれば罰になる。うかうかと病気にもなれない、病気を隠しさえする。でもあれだけの数をみればわかる、不幸な人はあとをたたないし不幸な人が集るからますますどうしてそんなになったのだろうかという人が普通の社会より数が多いのである。病気は別に日蓮だって病気で死んだし聖人も病気になり早死にしたりしているしそれは罰とは関係ないのである。そんなふうにして判断すること政治権力をもつことはまた政教一致で危険なのである。中国の共産党支配もにているところがあるのだ。共産主義も一面カルト的なところがあるのだ。一種の宗教なのである。


支配者は神権政治ではだいたい狂信者である。狂信者だから厳格になる。厳格だから反対される。
反対されるからさらに一段と厳格になる。かれらの支配者の権力衝動は自分自身に向かってさえ宗教的熱中の衣をまとうものとなり従っていかなる従わぬものとなる。ここから拷問台や火あぶりの柱がもちだされる。ラッセル(権力-その歴史と心理)


これが今の中国の共産党一党独裁の心理である。一党独裁はファシズムでありカルト宗教団体が支配すれば必ずこうなる。その危険性は中国と同じなのである。いづれにしろ反日運動の深層には中国人の共通した心情が反映してあれだけ過激になったのである。ということは言われているように富裕層が中国から脱出する用意をしているとかやはり非常に不安定な危険な状態にあり一挙に共産党一党支配が瓦解することもありうる。そうなるとまた三国志の混乱になるのが中国なのである。



久しぶりでホ-ムペ-ジで書き続けた「時事問題の深層」のつづきを書いた。なかなか手術で入院して退院してから忙しいのだ。何でも家のことを一人でやらねばならないからそうなる。
posted by 老鶯 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2012年10月08日

寒露(仮設の花屋)


寒露(仮設の花屋)

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花買いて秋の夕べや二羽の鳩


I buy some flowers
on the evening of autumn
two flying pigeons
in peace


仮設にも一年巡り寒露かな


89の老とまた会う寒露かな


コスモスの風にゆれにつ芒かな田舎の道を今日も歩みぬ


水澄みぬ手水鉢や三色の菊の映えにき朝の我が庭


今日ありと明日はなき身や残りたる秋の蝉鳴きその声やみぬ


仮設の花屋には結構めずらしい花が置いてあった。四川岩桐というのはめずらしい。
岩桐草は日本でも高山に咲いていた。でも知らなかったし見たこともない、花の世界は高山植物とか世界の花を見ようとしたらそれだけで一生かかる。それだけ種類が多いのである。
花には相当興味をもって見てきた。多くの詩も作った。俳句でも何でもないようなものが秀句となる。ちょうど二羽の鳩が夕べの空に飛んでいて何か平和を感じた。このところ一身上でも本当に苦しかった。回りもまた大災難であり平和を感じられなかった。仮設もすでに一年半以上すぎたとき何かなじんできた。やはりなじむには一年以上かかる。小高の人の仮設は惣菜屋とかうまいラ-メンの店とかは利用していたがこの花屋ははじめて入ったが花の種類が多かった。仙台から仕入れているという、あとの花屋は相馬市の駅前の花屋のことを書いたがあそこも種類が少ない、ほとんど墓とか仏壇にさす花である。花自体を楽しむような花は置いていない、他にもホトトギスの木に咲いているのがあったのもめずらしかった。ホトトギスというと飯館村の山の陰の流れの岸の暗いところにひっそりと咲いていたのを記憶している。あの花は飯館村に咲くにふさわしい花だった。飯館村は山の村だから野の花が咲くのにふさわしい。


花はもともともどこに咲いていたかを知らないとその花のことはわからない、高山植物を買っても鑑賞できない、なぜなら高山に咲いているからだ。そこは岩場であり常に濃霧にぬれている場所である。地上とはあまりにも違った環境なのである。蘭にしてもその花のことが鑑賞できないのは原産地がどこであるかわからないからだ。ヒマラヤの高いところの苔むした老木に蘭が咲いていたのを見た。あんなところに蘭が咲くものかと不思議だった。そういうことを花屋で見てもイメ-ジすらできないから鑑賞できないのである。岩桐草と名づけたのは確かに桐の花を小さくしたような花だったからである。岩場に咲く桐の花だった。登山して高山の花を見たが忘れてしまうのが多い。登山しているとなかなか花をじっくり見れない、疲れていてゆっくりと鑑賞できないのである。花にしても例えば岩場に咲く花だったら岩のようにそこにじっとしていないとその花のこともわからないのだ。移動が早すぎて印象にも残らないし記憶にすら残らずじまいになる。
せっかく高い山を苦労して上ったのだから花を記憶に留めたいが時がたつと忘れてしまっているのである。


今日は寒露だという、確かに北風が吹いて芒がなびいていた。北風ということは冬が近いということである。89歳の老人はボロ自転車に乗っているのをいつもみかける。あの人は丈夫だなと思う。
コスモスに芒がなびいているのも田舎の風景である。今年は田んぼが草茫々になっているから芒が目立つのである。普通ならあそこは刈田になっている。そういう自然の変化がここではあるから何か今までとは違った風景を見ることになる。まず今まで見られない風景を写真で報告したが本当にこんな風景になること自体信じられないというのが未だにそうである。
これほどの無常を感じたことはない、身内の認知症で無常を感じ津浪原発でさらなる無常を感じた。津浪で家族を失った人はどれほどの悲しみと無常を感じているだろうか?家族を何人もなくした人もいる。そういう人も仮設にいて紹介されていた。だから自分の一身上もそうだが人生は過酷だと被害にあった人は感じている。


姉は外向的な人でいつもしゃべり認知症になってからも余計に千回も同じことをしゃべりつづけて閉口した。でも死んだときパタリとしゃべることもなくなった。無言になってしまった。それは夏の間盛んに鳴いた蝉も秋になりぱったりとなきやみ声が聞こえなくなったのとにていた。その時も人間ははかないなとつくづく思った。死んだらなくことも声をだすこともなくなるのだ。そしてこの世で鳴いている時間も短い、本当に今日があったとしても明日があるのだろうかと思ってしまう。それほどの無常感が今回の津浪や原発事故にはあったのだ。だから宗教的でない人も宗教的になる、信仰を求める人がでてくる、これだけの無常を感じたらやはり普通とは違う、親が一瞬にしてなくなったとか子供もなくなったとかその数が半端じゃない、そこには様々な物語が生まれてしまった。とても語りきれないものである。30年も合っていない父親が津浪に流されて死んだ、それを探した消防や警察の人の苦労も並大抵のものではなかった。そして30年間あわなかった父親の住んでいた津浪に流された場所に立って息子は涙を流していた。そんな人もいたのかと思う、野蒜の人だった。あそこも被害が大きかったのである。松島は島でさえぎられたがあそこは前にさえぎる島がなかったのである。
ただあれもただ無常としかいいようがない、あの人だけではないどれだけの人が死んだか、その無常は尽きることがない、戦争も300百万人以上死んだのだからやはり津浪以上に無常だった。ただ時間がたちすぎたので忘れるのである。津波の被害だって50年もたてばやはり忘れてしまうのである。
人間はともかく何でも忘れやすいのである。

2012年10月09日

蟻穴に入る(故郷を離れられない自分)


蟻穴に入る(故郷を離れられない自分)


蟻の穴五六つや寒露かな

蟻の穴遠くに行けじ寒露かな
我が町に働く人や芒かな


我が町の津波のあとに堤防を直す人や秋の夕暮

寒露という季語は使っていなかった。それだけ季語は多いから使いこなせないのである。日本人の美意識は季節感からきている。南国だったらいつも花が咲いているから季節感がないのである。
すると俳句もありえないとなる。蟻の穴がいくつかあった。なんか自分は介護になってから故郷から全く出れない、旅もできない、家が蟻の穴であり毎日家を出たり入ったりしているだけであった。
故郷からも出れなかった。それでも原町とか相馬市には行っていた。

そういう生活から今蟻の穴を見たときつくづく故郷を離れず働いたというのも変だが介護のために働いたなと思う。故郷のために働いたというのではないにしても何かそういう感じがしてつくづく蟻の穴を見たのである。その蟻も見えなくなり穴に入ってしまった。その穴がいくつかあるが蟻の姿は見えないのである。寒露というのが何か言葉的にもあっている。草原にそういう露が朝見えた。
今年は早く冬が来る。


堤防を直している人をつくづく見ていた。あの人たちは地元の人とは限らない、遠くから来ている人も多いからだ。その人たちもつくづく故郷で働いてくれているのだなと思った。普通は働く人を注目しないが何かじっくり見ていると働いていることも一つの詩的風景にもなっている。今年は草茫々になり芒がなびくのが目立つ、何かこれも季節感余計に感じるものとなった。原野のような昔に戻ると芒が一面になびいていることは確かである。それが真野の萱原なのかどうかはわからないし謎である。そういう萱原が一面になびいているところは全国にありふれた光景だったからである。


母が弱ったきたからもしかしたら今年中に死ぬかもしれない、限界がきていたのだ。そういうことでまた忙しくなる。ともかく最後を看取ることは大変なことであり一回経験したからわかる。人間は死ぬことが大変なのである。介護とか苦労しているのは今は自分だけではない、ただそういう立場にならないとわからないだけであり全国に何百万人といる。その人たちはそれぞれ苦労しているのである。身近でもそういう人はいる。自分より苦しい人もいる。ともかくまだ難儀なことははつづくのである。

 

2012年10月10日

菊の花(家事に追われる自分)


菊の花(家事に追われる自分)


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ここでは東風で芒がなびいていた


水澄みぬ手水鉢や掃除する

掃除して我が家に供ゆ菊の花
蟻のなお餌を運ぶや秋の風
穴に入る蟻や二輌の電車かな
人食わぬ柿食い荒らす野鳥かな

故郷の道また会う枯蟷螂

東風(こち)吹いて北風吹いてなびきたる芒やあわれ浜通りかな


掃除から食事の用意から家のこと全部やらせられるから疲れる。金のことも銀行やらのことでも頭を使う。母の判子をなくしたことが痛かった。判子をなくすと全部やりなおしになるから大変なことになった。頭がボケているから金の管理とか耳がほとんど聞こえないし話しが通じない。そういうことが全部自分にのしかかってきている。それから自分が病気になると今度は自分のことで大変になる。薬のむにも病院に行くにも大変である。意外と毎日薬飲むのがめんどうで飲まなくなったりする。

それが致命傷なったりもするから病気は怖い。ただ手術して楽になった。癌でもないしこの病気は別に体にそれほど影響しないのだろう。

家を掃除するにしても自分の家だったら掃除でも家事するにもモチベ-ションがある。ところが一旦外部から入ると手伝いさんでもヘルパ-でも家政婦でもその家について別に特別の思い入れもないしただ金だけだとなると掃除するだけでもなおざりになるしやる気がない、それでただ金だけが欲しいとなり物色して強盗まがいの人が来たことが不運だった。近くだからそんな人がいないと思っていた。本当に団塊の世代は自分もそうだがモラルがない教えられないで育ったのだ。ただ金をもうけるという功利的打算しかない、それでかえって失敗している人もいる。人を助けることは相当に得することなのだけど打算的にしてもそうなのだけどしないのである。人を助けて損することなどないのだけど金にならないと思って助けないのである。その人が商売に失敗したこともわかる。

一を与えて五を十をとろととしている。商売も経営もそれでは失敗する。自分もそれで失敗したから人には言えないにしてもそういう態度が商売でも経営でも失敗につながっている。まず三でもいいから与えて一をもらうくらいにしないと商売は成功しないし人間関係もうまくいかない、かえってそうしているとあとで十を得ることになるのが商売なのである。まず商売でも経営でも即座に成功するものはないのだ。だからTパ-セントしか起業して成功しないというのがわかる。

いづれにしろ団塊の世代は自分が悪いとか思い責任をとることがない、全部政府が悪いとか他が悪いとなるというのは本当だろう。ただ自分ではなく社会であり政府であれ他を責めるのである。自分に責任があっても責任はとらない、そういうのが平均的団塊の世代だから嫌われているのだろう。
八〇以上の人はまた違っている。正直で責任感の強い人がいる。あまり悪いことはしない人が多い。欲もおさえる、もったいないとしておさえる人が多かった。今はただ欲望の無制限の追求でありあとは金を要求するだけで仕事もそうである。何か仕事に対しても金意外の動機でしている人はまれなのではないか?それでは仕事自体も成り立たない、仕事も動機が意外と大事だからである。


春もそうだったが秋も海の方から東風(こち)が吹き北風が吹いて芒がなびいている。交互に吹くのは春と同じだった。今年は草茫々になり芒がなびくのが目立つ。良くみるとまだ蟻が何匹か餌を運んでいた。これもなかなか気づかない。その蟻と堤防を直している人が同じ様に見える。人間も蟻として働いている。結構大きな工事になっている。柿を食い荒らしているがこの辺では放射能で柿は食わない、野鳥に放射能が影響するのか?原町-相馬市間の二輌の電車が過ぎて行く、狭い範囲で働き蟻の穴に入る。それが江戸時代でありそんな時代に戻った感じにもなる。

自分の場合、手術後に自転車に乗るなとか乗り物に長く乗るなとか言われたときはショックだった。ますます動けなくなる。自転車に乗れないと買い物すらできなくなる。なんとか自転車には工夫して乗っている。故郷の道で出会うのは今は枯蟷螂である。




福島県の柿の放射線量
http://savechild.net/archives/9757.html

南相馬市からは0ベクレルになっている。これ本当なの?やはり福島市や伊達氏が高いのは放射線量は飯館から福島市とか
伊達市に拡散して高かったことを証明している。それでも福島市が高いのに南相馬市は何か放射線量が高いように
外部からも見られている。自主避難とかして避難地域に一時になったことでも影響している。
現実的に高いのは福島市の方なのである。このことは常に疑問に思ってきた。
避難すべきは福島市であり南相馬市の方ではなかった。福島市は実際に高いのだけど騒がれない
人数が多いから騒がないのだろう。放射線では南相馬市より福島市の方が放射線が高い
それなのになぜ南相馬市では作物を作るなとしているのかわからない
柿がゼロベクレロだとすると土にはそれほど放射能に汚染されていないのだ。
南相馬市がなぜこれほと放射線で騒がれているのかその科学的根拠がイマイチわからないのである。

2012年10月11日

津波の跡の不思議な現象 (異常に増えた蝶-残った石仏)


津波の跡の不思議な現象

(異常に増えた蝶-残った石仏)

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ここの御堂は荒れ放題であり石仏だけが残った。


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こちらせ前からあり残った方の御堂

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コンクリ-トの家は残りやすいのか

津波ほど信じられない世界を作り出したものはない、こんなことがありうるのだろうかということが未だにある。こんなに世界が変わってしまうことがありうるのだろうかということである。
本当に不思議な世界でありだからこうして毎日報告することがある。普通ならこの辺のことを報告しても外部では関心を示さないだろう。またそんなに報告することもないのである。
津波というとただただ陰惨なこと悲しいことばかりのように見える。
だから八沢浦が美しい入江にもどったということを写真で紹介して書いたときここでも子供も死んだしその死体を探していた。そのことを指摘して批判した人がいた。それもわかる。
あなたはそういう人に同情しないのかということも言われた。映像で見るのはほとんどそういう映像である。しかし津波の跡はやはり何か大きな自然の変化が生まれたのである。

こういう変化は4百年に一度という大変化であり簡単に生きている間には見れないものだったのである。それはあくまでも事実なのである。八沢浦は家が田んぼのなかには一二軒しかなかった。
それが奥まで水に満たされたことには一番驚いたのである。それは奇跡としか言いようがなかったのである。ただそれを率直に報告したにすぎない。そこで死んだ人はいたにしてもそうだったのである。無惨な瓦礫の山になっていなかったのである。

津波の跡が草原化したというのも湿地帯化したのも驚きだった。他でも水葵が咲いたことは報告されている。それも美しいとして報告した。そして今回なぜこれほどに蝶が異常に繁殖しているのだろうか?草原でも無数に蝶が舞っている。それは白い蝶なのである。こんなに蝶がこの辺にいるわけがない、ここにどこからか集まって来たのか?その理由がわからない、

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胡蝶蘭のようになっている不思議

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異常に増えた蝶-点々と白いのはすべて蝶である

吸水する蝶
http://www.pteron-world.com/topics/ecology/water.html


基本的に母蝶は自分たちの食草を探し当てて、その葉などに産卵します。


ここに幼虫が育つ食草があってふえたのか?蝶は花の蜜だけで吸っているのではない、基本的に塩分を補給するために湿地帯とか今回のような塩分化した津波の跡は栄養があるからこれだけ増えたのかもしれない、これもただ実際は自然の謎の現象なのである。津波には原初の自然の謎を解く鍵を与えたのである。こんな現象は400年に一回くらしか体験できないから貴重だとなる。ただそうなるとお前は津波を喜んでいるのかとか批判される。でもこれだけ不思議な現象は体験できないことも確かなのである。だから毎日これだけ報告することがあるのだ。


南相馬市鹿島区の北右田の所にあった御堂に石仏が流されず残っていた。それが今は草に埋もれている。ここの御堂は土地の人が放置して荒れ放題になっていたのである。誰もお参りもしていなかった。ところが津波が来てここにあった石仏がまるでその津波を見ていたかのように海の方を向いて残っているのだ。別に偶然にそうなったのだけどこれも不思議に思えた。この石仏が流されなかったのはコンクリ-トで固定していたからである。海岸に接していたらこれでも根こそぎ流された。ただこの石仏も本当に何か津波の来た海の方をじっとながめているから不思議になる。津波を記憶するようにここに残ったのである。残っている御堂は別な御堂でありこれは部落の人が守っていた。烏崎では大きな庭の石が津波に流されず残った。津波を記憶して記念の石のように残った。津波の残した記憶がいろいろある。それはここだけではない津波の被害にあった広い範囲に残ったのである。残り谷(残り家)という地名も津波に良く残ったということで地名化したけどこれも津波の体験がなければ理解できないものだった。津波を体験しなければ理解できないものが理解できたのである。ともかく津波がもたらしたものは人の悲しみが主なものだけど自然の大きな変化もそうだったのである。そこがテレビでもほとんど紹介されていないのである。


津波の跡の寒露


津波の跡は草茫々となり草原化した
残った石仏が草深く埋もれている
その仏はただ津波の来た海の方をながめている
ここの部落は壊滅して消失した
家のあった庭の樹に烏が二羽とまっている
もう一年半過ぎて今日は寒露である。
朝の草原に無数の蝶が舞っている
たしかにそこの草に寒露が光っている
ここに残された石仏は津波を記憶して
ここで死んだ人に祈りをささげているのかもしれない
奇せずしてそうなったのも不思議としか言いようがない
これは直視する他ない現実なのである。

posted by 老鶯 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2012年10月13日

秋薔薇(二両の電車の不思議)

 


秋薔薇(ニ両の電車の不思議)


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鴨の数数えにけるや新田川

萩散りて今日もこの道あざみかな
夕陽射し二輌の電車芒かな
一輪の秋薔薇散る田舎駅
二駅を過ぎて終点秋薔薇
秋薔薇二輌の電車人まばら
虫の音や二輌の電車今日も行く


夕暮れや東風になびきし芒かな川を下りて鴎帰りぬ

山からの北風受けて川上る鴎寒しや芒なびきぬ

二輌の電車にのるのも不思議である。今までは八両であり急行も通っていた。ただ別に東京のように満員電車にはならない、すいているのが田舎である。でも前とは何か違う、二駅一駅すぎて終点だから急ぐ必要もない、たいがい電車でも次はおりねばならぬと意識して心がはやる。急ぐようになる。でも常に終点になるから急ぐ必要もない、乗っている人もまばらである。すると奇妙だけど前よりはずっと落ち着いたものになる。だから回りの風景が余計に身近になり映えるようになる。電車はやはり早く過ぎてゆく意識がある。二輌だけで行き来しているのはかなり贅沢でもある。やむをえず運転しているのだろう。電車とバスとは乗った感じが同じ距離でもずいぶん違ったものになる。
電車はやはり何か乗り物としては感覚的にバスや車とは相当違ったものである。精神に及ぼす影響も相当違う。電車の旅が長いし電車が過ぎだからいろいろ興味をもつけどこういう経験も不思議である。

思うにいかに人間は乗り物や交通に精神が影響されるかをこの二輌の電車は語っているのかもしれない、車社会だけどもし車が走らない世界がどうになるのか?おそらく今回の二輌の電車以上に自然がより密着して映えることになるだろう。目の前をひっきりなしに車が行き来していることが風景を変えてしまっている。同じ風景でも違ったものとして見ている。本来は車も電車すらなかったら風景は人間にじかに反映するから違った見える。自然の風景すら電車や車で変えてしまったのである。

ともかく東京辺りだと都会になると秋薔薇に気づき映えることはない、あまりにもあわただしく自然は見過ごされる。そして満員電車とかなるとただただ物ののように運ばれるだけになる。だから都会には大学四年間で住みたくなくなった。何か極端になるけど自分の性分なのだが生きた心地すらしなくなる。そういう所につめこまれて未だにぎゅうぎゅうづめて住んでいることが不思議である。
日本の人口は八千万でも多いというのは本当だろう。余りにも余裕がなさすぎるのである。

これでは鬱病も増えるし人間関係すらうまくいかないのは当然である。その点田舎はこんな電車に乗っていること自体相当贅沢である。今は田舎の方がずっと住みやすいし贅沢である。買い物でも通販もなり前とは違う。本屋なんかなくても困らなくなった。インタ-ネットも便利である。今は都会に住むメリットが少ない,かえって混雑しているから特に老後は住みたくなくなるのがわかる。
自分は人から離れ石のように静かになるとき幸福感を覚える。自分の性格にしろそういう沈黙の世界がないことも心が乱れる原因なのである。


ただ田舎もやはり四、五万の人口がないと今は暮らしにくい、川内村で郡山に避難した人たちが便利なので川内村には帰りたくないと言っているのがわかる。川内村は一六〇〇人くらいだとするともう医者も何もない、そういうところには暮らしたくない、ここでもかえって小高と鹿島でも一緒になると便利なものができる。人口が分散すると福祉でも何でもサ-ビスするのに不便なのである。

鴎は真野川を必ず上って飛んでくる。今の時期海から東風(こち)が吹き山からは北風が吹いている。
その風を感じているだろう。今は季節の変わり目なのである。