2012年09月28日

秋の雨 (恩を受けた人の名を石に記し墓を作る)


秋の雨

(恩を受けた人の名を石に記し墓を作る)


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盆栽の松に菊映え仮設かな

こもりける仮設も長く秋の雨

離れてそ想う人かな秋の雨

我が作るよしこの墓やあわれかなその名のここに秋の雨ふる
人の世の患い多き休みたし墓に静かに秋の雨ふる

雨しとと白木槿に石の庭昼の静かに母と茶を飲む

自分の家のかたわらの石に名を刻み一つの墓を作った。名の記されていない墓とかプログに書いた、大正生まれの馬鹿正直の女性のことも書いた。この女性には姉の認知症の介護で世話になったので
恩があった。認知症になると誰も相手にしなくなる。この女性は情に厚いし馬鹿正直なのである。
10万借りても恩を感じて律儀に返す人だった。こういう人は今や馬鹿とつく。今は恩を感じなくなった。世話しても情をかけても恩感じないのである。


恩感じる人感じない人
http://takayasiro.naganoblog.jp/e767837.html


若い人はまるで恩を感じなくなった。ドライと言えばドライだか何か人間の根本的なモラルの喪失がある。犬も猫も恩を忘れないというとき人間は今や畜生以下になっている恐怖である。
ドライだというときすべてを金で割り切っているからだ。金ですべてを払い金だけを求めてくる。
極端になると金持ちでも情けや恩をかけるがそんなものを全く感じない、もらえるものはもらってそれでもたりないから奪いばいい、殺しても奪いばいいとなるからもはや今や人間は簡単に何かを頼むことすらできない時代になった。それほどモラルが低下している。


恩を感じない人
http://ameblo.jp/hyvs660219/entry-10626249477.html


この人も金持ちの家をただで借りていたのだがそれが自分の家のように思うようになっていた。
金持ちが無料で貸し与えても何の恩義も感じないのである。かえって自分の家だと主張するのだから怖い、そういう人に実際にあっているから現代ほど人間が恐ろしい時代はない。人間は畜生以下になっているのだ。中国は恩義の国であり盛んにそれを言うが日本側からすると中国には尽くしたのに何の恩義も感じないと失望している。今の中国人も恩を感じない人たちになっていたのである。もらえるものはもらう、恩などそこに感じないのである。


1度受けた「恩義」は、その後の関係がどうなろうとも、なくなるものではありません。恩は恩です。したがって、おっしゃるように「恩はありません」という言い方は成立しません。また前述の通り「なくなりました」ということもありません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1238845447


恩というのは金を払ってそれでなくなるわけでもないものである。現代人は金を払って終わりだとなるが物の売り買いでないから恩はいつまでも恩なのである。特に報酬を受けていなければ恩はかえっていつまでも恩として残る。金であれ物であれ恩を受けた人に返せば恩は残らない、まさに天で報いを受けるというときこの世では報酬を受け取っていないから天で受けるのである。

いづれにしろ現代では親子すら恩を感じない人が実に多い、親でもただ財産目当てだけになってしまうのだからましてや他人はただ金をとれるだけのものになってしまう。大金持ちでも子供が冷たいから犬猫に財産を残すとして問題が起きた。これは今や笑い事ではない、そういう人間にあふれているからなのだ。この世の事件は一つでも時代を反映しているのである。これほどペットブ-ムなのは子供も金しか求めてこないし恩も情もない社会になったからである。親はいくら金をもっていても体が弱り子供に世話になるようになるから子供に逆らえなくなる、そこに悲劇が待っている。墓に親の名前も刻まないというのはまさに親不孝の極みかもしれない、それで自分でその名前だけでも刻んで供養したのである。名前がないということはそこに骨が埋まっていても何もないと感じてしまうのである。名前はそれだけ大事なものだったのである。


仏教でも報恩のことを説いている。それがなくなるとき人間は大きな過酷な罰を受ける。モラルを無視するとき一見何も起こらないように見えるが大きな罰を受ける。津浪だって原発事故だって何か今の人間がモラルがなくなったことへの罰だったかもしれない、原発は人間の欲と深くからんでいたからである。恩も感じない人間はもはや人間ではない、畜生以下になり大きな罰を受けるのである。
恩を感じて恩を返す人はさらに何倍もの福を得る、別に損得勘定しても恩を受けたら恩を返すと何倍もの得がある。徳は得だったのであり別に無償の愛とかでもなくても恩を受けたら返すことはかなりの徳であり得することなのである。だからドライに割り切っても恩を感じて返すのがいいのだがそれを感じもしないし返しもしないから損になっているし罰を受ける。宗教的な高い徳を実践するのではない、恩は別に人間の基本的な徳としてあったのでありそれすらなくなったということは人間が畜生以下になった時代なのである。それはやはりグロ-バルに金の力が強くなりすぎたためでもあった。
中国だってあんなふうに恩を感じなくなったのは金の力が余りにも強くなったからである。もらうものはもらう返さなくてもいいというのが個々人でもそうだし国同士でもそうなってしまったのである。だから今や畜生以下の世界になっているのだ。


仮設住宅に盆栽を飾っている人がいる。何かそれが仮設にあっていた。まさに仮設は昔の長屋であり日本人的なものが盆栽だったのである。自然を縮小してしまうのは日本では家も狭いからそうなった。だから仮設住宅にあっていたのである。仮設の問題は狭いことであり狭いと窮屈であり安らかに眠るのもままならない、病院のベッドは寝返りができないことで眠りにくく窮屈なのとにている。安眠できないのである。仮設暮らしも一年半となるとそれなりに長くなった。だから仮設が秋の雨がふってなじんできたということもある。


ともかく何か疲れた。やっとゆっくり茶をわかして飲むことができた。そういう時間の余裕すらなかった。今日の恐怖はさくらのプログもホ-ムペ-ジも消されることだった。今日の六時まで支払いしないと消されるところだった。メ-ルを二か月ほど読んでいないためにそうなった。メ-ルは自分はスパムが嫌であまり読んでいなかった。メ-ルも定期的にチェックしないと大変なことになる。
インタ-ネットでは簡単に消されるということが大問題なのだ。本にだしていればそういうことはない、どこかに残るということがある。インタ-ネットでは全く全部消されて残らないことがありうる。せっかくの労作でもそうである。だから本を作り書店には置けなくても残しておけば記録として残る。そういう作業も必要である。いろいろととにかく問題が起きてくるのが自分である。今日は命拾いした感じだった。


大正生まれの馬鹿正直な女性
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1238845447


名前の記されていない墓の怪
http://musubu.sblo.jp/article/57357315.html