2012年09月13日

露草(難民化した仮設も一年半過ぎた)


露草(難民化した仮設も一年半過ぎた)


目に入りぬ露草消えじどこまでも


争わず菊の二色や今日も暮る


朝顔の二色や静か朝歩む


さし昇る朝日に向かいひまわりの百輪ほどのそろい咲くかな



相馬市は自然は別に変わっていない、ただ今日ニュ-スで亘理で住宅地に鷺の大群が集まって困ったという。海の方の森を巣としていたのだが津浪で流されて移ってきたらしい。この辺でも田がないから鷺は夏に川でしかみかけなかった。鷺はあまり移動しないらしい、定着型の鳥だった。

人間もそうだけど津浪や原発被害でこの移動した鳥ではないけどやはり仮設住宅の多さで迷惑に感じる人もいるだろう。回りで必ずしも歓迎するというものでもない、何か原発難民にされた。難民というと自分の住む場所をもっていない、流浪する民となる。ベトナム難民とか戦争では難民がいろいろ生まれた。南相馬市の高校生だったかアフガニスタンの人と交流したというのもわかる。向こうは戦争だけどここもにているのだ。難民というと市民でもない村民でもない、なかなか回りで受け入れるということも抵抗がある。ただ今回は難民化した人たちには責任はない、別に補償金ももらっているから食うことに困ることはない、ただ難民になった人たちでも一年半も過ぎると最初はボランティアとかが入りかわいそうな人たちとして援助があったがだんだんそれもなくなってゆく、すると自分の土地も家も故郷ももたない難民意識が強くなってくる。現実に国自体を失った人たちはいる。ユダヤ人などがそうだがその人たちは2千年も難民だった。普通だったら民族自体同化されて消えるのだが二千年間民族は維持された。


今回の難民はそんなことにはならない、そんな結束もないから双葉町とか大熊町は消えるかもしれない浪江町とかも危ない。俺たちはどこまでも浪江町民として生きるのだという強い結束はもてないだろう。徐々に時間がたつにしてもう帰れないとなりあきらめて別な市町村民になる。別にそれでも日本人には変わりないからである。南相馬市などは小高の人など大量に移動して原町や鹿島では人口がふえた。鹿島などは人口が少ないから人口が多くなると活気がでてきた。医者だって歯医者をのぞいては二軒しかなく便利なものもない、たいがい原町に買い物に行っている。でも遠いと不便なものがある。医者などは近くにいると助かるのだ。もし人口が増えれば医者や便利なものが増える。するとかえって住みやすくなるのだ。ただ人口を増やすには仕事がないとだめである。その仕事がないと定着はできない、浪江の人が二本松に会社があって通っているというがとても通いつづけられないから二本松に移るようになるだろう。


コンパクトシティのことが言われたが期せずして原発難民が集まり人口が街の中心部に集まりそうなった。なぜコンパクトシティが望まれるのか?結局福祉にしても田舎だと訪問するのにも一軒一軒離れているから手間と時間がかかりすぎるのである。街の中心部にそうした高齢者でも集まっていれば街内で対応できるから便利なのである。仮設住宅のことで面白かったのは80歳の人だったか、仮設で死にたいと言っていた。その人は一人暮らしだから仮設の方がいいとなってしまった。何故なら仮設は長屋のようになっていて一人暮らしの人でも声かけるし気にかけてくれる。一人暮らしは普通だと声かける人もいない孤独死が問題になった。それで仮設で死にたいとなった。その気持ちが家族のない人でしかわからない、家族のない人は誰も声かけないし心配する人もいないのである。

一人暮らしの高齢者の長屋風住宅を相馬市で作ったのはそういうことがあるからだ。
ただ仮設はついの棲家ではない、一時的なものである。仮設自体非常事態のものだからそんなに長く住めない、それに代わるものも必要になってくる。でもそれだけの仕事が用意できるかとなるとむずかしい。そもそも老人とか病人ばかりふえてそれらを世話することばかりが仕事になるということは経済的に成り立たないだろう。ともかく仮設に住む人もそうだけど回りでもみんな違和感をもつから困ったものなのである。

自然が変わったというとき津浪の跡や草ぼうぼうの道端に延々と露草が咲いている。今は実りの季節だけどそれがない、でも花は咲いている。露草が絶えることなく咲いている。ひまわり畑も多く今頃から咲き始めている。稲穂の実りがない世界でも自然が全部消えたわけではない、稲雀というごとくそういうものはなくなっている。蛙の鳴き声も今年は聞こえなかった。そういう自然の変化や人の変化が今もつづいている。

compactcity.jpg

中心部に人が住んで耕作地帯は無人と化すけど会社のようなもので集団で管理して
車で出張して耕作する、その回りは自然環境地帯にする

ただこれだと村が消えるから各村から郷士として出陣する野馬追いには違和感を感じる

でも津浪や原発被害地域は新しい発想が必要になっている