2012年09月13日

露草(難民化した仮設も一年半過ぎた)


露草(難民化した仮設も一年半過ぎた)


目に入りぬ露草消えじどこまでも


争わず菊の二色や今日も暮る


朝顔の二色や静か朝歩む


さし昇る朝日に向かいひまわりの百輪ほどのそろい咲くかな



相馬市は自然は別に変わっていない、ただ今日ニュ-スで亘理で住宅地に鷺の大群が集まって困ったという。海の方の森を巣としていたのだが津浪で流されて移ってきたらしい。この辺でも田がないから鷺は夏に川でしかみかけなかった。鷺はあまり移動しないらしい、定着型の鳥だった。

人間もそうだけど津浪や原発被害でこの移動した鳥ではないけどやはり仮設住宅の多さで迷惑に感じる人もいるだろう。回りで必ずしも歓迎するというものでもない、何か原発難民にされた。難民というと自分の住む場所をもっていない、流浪する民となる。ベトナム難民とか戦争では難民がいろいろ生まれた。南相馬市の高校生だったかアフガニスタンの人と交流したというのもわかる。向こうは戦争だけどここもにているのだ。難民というと市民でもない村民でもない、なかなか回りで受け入れるということも抵抗がある。ただ今回は難民化した人たちには責任はない、別に補償金ももらっているから食うことに困ることはない、ただ難民になった人たちでも一年半も過ぎると最初はボランティアとかが入りかわいそうな人たちとして援助があったがだんだんそれもなくなってゆく、すると自分の土地も家も故郷ももたない難民意識が強くなってくる。現実に国自体を失った人たちはいる。ユダヤ人などがそうだがその人たちは2千年も難民だった。普通だったら民族自体同化されて消えるのだが二千年間民族は維持された。


今回の難民はそんなことにはならない、そんな結束もないから双葉町とか大熊町は消えるかもしれない浪江町とかも危ない。俺たちはどこまでも浪江町民として生きるのだという強い結束はもてないだろう。徐々に時間がたつにしてもう帰れないとなりあきらめて別な市町村民になる。別にそれでも日本人には変わりないからである。南相馬市などは小高の人など大量に移動して原町や鹿島では人口がふえた。鹿島などは人口が少ないから人口が多くなると活気がでてきた。医者だって歯医者をのぞいては二軒しかなく便利なものもない、たいがい原町に買い物に行っている。でも遠いと不便なものがある。医者などは近くにいると助かるのだ。もし人口が増えれば医者や便利なものが増える。するとかえって住みやすくなるのだ。ただ人口を増やすには仕事がないとだめである。その仕事がないと定着はできない、浪江の人が二本松に会社があって通っているというがとても通いつづけられないから二本松に移るようになるだろう。


コンパクトシティのことが言われたが期せずして原発難民が集まり人口が街の中心部に集まりそうなった。なぜコンパクトシティが望まれるのか?結局福祉にしても田舎だと訪問するのにも一軒一軒離れているから手間と時間がかかりすぎるのである。街の中心部にそうした高齢者でも集まっていれば街内で対応できるから便利なのである。仮設住宅のことで面白かったのは80歳の人だったか、仮設で死にたいと言っていた。その人は一人暮らしだから仮設の方がいいとなってしまった。何故なら仮設は長屋のようになっていて一人暮らしの人でも声かけるし気にかけてくれる。一人暮らしは普通だと声かける人もいない孤独死が問題になった。それで仮設で死にたいとなった。その気持ちが家族のない人でしかわからない、家族のない人は誰も声かけないし心配する人もいないのである。

一人暮らしの高齢者の長屋風住宅を相馬市で作ったのはそういうことがあるからだ。
ただ仮設はついの棲家ではない、一時的なものである。仮設自体非常事態のものだからそんなに長く住めない、それに代わるものも必要になってくる。でもそれだけの仕事が用意できるかとなるとむずかしい。そもそも老人とか病人ばかりふえてそれらを世話することばかりが仕事になるということは経済的に成り立たないだろう。ともかく仮設に住む人もそうだけど回りでもみんな違和感をもつから困ったものなのである。

自然が変わったというとき津浪の跡や草ぼうぼうの道端に延々と露草が咲いている。今は実りの季節だけどそれがない、でも花は咲いている。露草が絶えることなく咲いている。ひまわり畑も多く今頃から咲き始めている。稲穂の実りがない世界でも自然が全部消えたわけではない、稲雀というごとくそういうものはなくなっている。蛙の鳴き声も今年は聞こえなかった。そういう自然の変化や人の変化が今もつづいている。

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中心部に人が住んで耕作地帯は無人と化すけど会社のようなもので集団で管理して
車で出張して耕作する、その回りは自然環境地帯にする

ただこれだと村が消えるから各村から郷士として出陣する野馬追いには違和感を感じる

でも津浪や原発被害地域は新しい発想が必要になっている

2012年09月14日

夏尽きる(高齢化社会の一風景)


夏尽きる(高齢化社会の一風景)



木槿咲き隣の人と話すかな


草そよぎ夕風涼し津浪跡


草原に点々眠る夏の蝶


白髭のライダ-走る夏の暮


秋の灯や誰か住むなれ近きかな


ホ-ムにそ隣合い寝て秋となる


身の上を語るを聞きぬ夏尽きる


今年は暑い、こう暑いと何もする気がしない、夕方になり涼しくなった。秋は秋なのだけど昼間は真夏である。津浪の跡は見晴らしが良くなったから風が前より涼しく感じる。気持ちでそうなっている。家が見えず海に直結しているから景色的にも涼しい感じになる。ともかくこの辺の自然感覚は津浪と原発事故で変わってしまった。草原の景色には意外とあうものがあった。蝶でも鳥でも草原を飛んでいるのは気持ちいいのである。だからモンゴルの夏は本当に爽快なことはまちがいない、一回行ったがどこまでも草原になっている世界は全く違った自然なのである。ここは明かに北海道の景色である。


隣の人と話ししたがその人も四年間も病気で寝ていたのであるが直ったといっている。ただ顔が歪んでいて前とは違っている。病気すると本当に顔から体つきまで変わる。かなり重症のように見えていたが直ったと喜んでいた。入院したと知って家に来た人はこの人一人だった。とにかく高齢化社会は病気の社会なのである。もう一人隣の人は足を悪くして中通りの施設に入っているという。浜通りでは入る施設がないのである。他にも夫を介護している人もいる。最近病気で死んだ人もいる。

相馬総合病院では畳を作ってくれた人が重篤な病気になっていた。その介護となるとまた大変な苦労を強いられる。高齢化社会はとにかく実際は健康な社会ではない、大量の病人をかかえる社会なのである。なぜなら85くらいから何らかたいがい体が不調となり介護状態になる。それはすでに今はそうでなくても目に見えている。いつ倒れるのかわからない状態なのである。その時介護する人が家族が少ないからいない、介護するには少なくても二人いると楽なのである。その二人がいない、一人だとその一人にすべての負担がかかるのである。ホ-ムにあづけて何か楽である。


ホ-ムでは90歳の人が自分の身の上話を盛んにしていた。何か自分の境遇は反対だったので興味深く聞いた。こんな人生もあったのだとつくづく人生模様は本当に人様々である。若い人はなかなか経験がないから高齢者と語りにくいだろう。体の世話をしても高齢者の話し相手にはなりにくい。60代の人は話し相手になれる。子供の世代だからである。ただここにいると馬鹿になっちゃうよとか母が言っていたが何でも与えてもらい何もすることがないとそうなる。家ではまだちょっとでも洗い物していたからだ。隣の人は気丈夫な人で寝ていたが話すこともしっかりしているし元気だった。自分を叱咤したりししているから元気である。ところが中に椅子に座っている人たちは何かぼ-としていて死んだ目をしていた。隣の人は5月に入ったばかりだからそうではなかった。でもだんだん施設にいるとそうなってしまうかもしれない、人間は最後まで何か気を張るものが必要なのである。それがぼけない秘訣でもある。


ともかく秋なんだけど暑すぎた。街の外の一軒家に灯がともる、誰が住んでいるのだろう、近くでもどんな人が住んでいるかわかりにくいのが現代である。もちろん仮設に住んでいる人はほとんどわからない。仮設は一軒一軒と見ない、集団として見ている。一軒の家ではないからだ。ただ小高の人たちが住んでいるという集団として見ているのである。


白髭のライダ-は飛ばして走り去った。これも現代的風景だった。60代でもバイクに乗っていた人はバイクにのるし自転車に乗っていた人は自転車にのる。サドルにおしつけると手術した所が悪いと思いサドルに触らないように立って乗ってみる。するとこれはマウンテンバイクの悪路行く乗り方で面白かった。マウテンバイクも面白いものである。団塊の世代はいろいろと遊びを覚えた世代なのである。そこが戦前生まれと違っているのだ。

 

2012年09月15日

秋彼岸(実家の墓参り-墓の不思議)

 
秋彼岸(実家の墓参り-墓の不思議)



死者いかにまた巡りきて秋彼岸


点々とソバナの花のうなだれて秋の蝉なきあわれ深まる

墓も不思議なものである。親の名前が刻まれていない墓のことを書いたけどその人は相当な親不幸な人である。親子でも肉親でもすべてが情が通じるわけではない、もらった子の方に情が通じる場合もある。肉親でも子供が親をすべて思うこともないし全く他人と変わりないものも結構多いのである。結局人間は親も兄弟も他人だということがわかる。親も他人であり子も実際は他人であり他人になってさ祖本当の愛がありうる。宗教が肉親とか血縁の愛を否定することがわかる。親が肉親ではない、他人になったとき本当に愛することができるのだ。それは別に親だからというのではない、人間として愛することである。それが本当の愛だともなる。


また墓の不思議は墓掃除したり何回も行っているき変だけど墓に親しみを感じる。そして死んだ人の名前を呼んでみる、するとその人が確かにそこにいるような感じになるのだ。特にいつも思うのが25歳で肺病で死んだ25歳の母の兄である。その人とは一回もあっていないしどんな顔の人かもわからない、ただ肺病で死んだということだけを知っているのだ。でも不思議なのは何回も掃除や墓参りに行っていたらその人を身近に感じるというかその人がいるような感じになった。なぜなら墓は明かに死んだ人を意識させられる場所である。例え一行の名前でもその人が何で死んだとか何歳で死んだとかしかしらなくてもそこで死んだ人の名前を呼んでいると何か親しみを感じるのである。母の実家の人とはほとんどあったり親しい間柄ではない、でも死んでから母の代わりに墓を作ったり墓参りした結果親しく感じたのである。


秋彼岸というのも季節的にいい、爽やかになる頃だからだ。これは仏教とは関係ない日本の文化である。姉が死んだのは9月21日だったのである。この日は命日だったのである。菊だけではない竜胆の花などさすのもいい、ただ生花は枯れやすい、枯れたままにしていると何か汚いものとなる。枯れた花は取り除くべきだがどうしても墓にそんなに来れない,するとそのままに枯れた花になっている。墓もやはり時々きて掃除したりみてないとだめなのである。だから遠くて墓をみれない人の墓は荒れてしまうのである。すると墓を移すほかなくなる。そうしている人もいる。最後は墓参りが仕事になっている高齢者もいる。墓はそれだけよりどころだともなる。だから津浪で墓を流された人たちや原発で故郷を離れ墓を置き去りにした人たちは悩んでいるのである。

 

2012年09月17日

病院の恐怖(実験台にされる弱者)


病院の恐怖(実験台にされる弱者)


あたしは、身よりが無いから、もし、あたしが死んだら、どうなるか、根ほり葉ほり聞いてきましたまず、病院と葬儀屋が、供養してくれるらしい。
その後、どっかの大学病院に送られ、研修生たちの実験台になるらしい。

それで…
やっと、人の役に立てるかな…


大学病院ではないけれど大きな総合病院は研修生がいっぱいですね。
長男が怪我をしたとき近くの外科を知らなかったので大きな病院へ行きました。
診療時間外だったこともあり研修医の実験台に・・・
一針縫ったところで担当医師と交代して縫い直されました。
その病院に手術入院した近所の人の話では歩くとき医師の並ぶ順番が決まっていたそうです。
手術室へ向かう廊下で若い医師が部長先生を追い越して激怒されたとか・・・


「手術やらんと死ぬ」 奈良・山本病院理事長

奈良県大和郡山市の医療法人雄山会「山本病院」が生活保護受給者の診療報酬を不正に受給していたとされる事件で、
医師でもある病院理事長(51)が来院した生活保護受給者の症状を十分確認せず「これやらんと死ぬで」と
心臓カテーテル手術を熱心に勧めていたことが23日、病院関係者への取材で分かった。


架空の手術による診療報酬の詐取容疑のほか、不要な手術をして診療報酬を得ていた可能性もあり、県警捜査2課は経緯を詳しく調べる。

病院側は取材に「対応できる者がいないので分からない」としている。
むかしもてはやされた術式がどれだけあわれな後遺症を持つ患者を生み出してきたか。
手術が上手なだけの医者はいない。その影に泣かせたあまたの患者あり。


実際、私自身が市立病院に入院中に焼身自殺未遂で緊急入院したホームレスが治療途中で追い出されたパターンを直に見ていますよ。


 



病院には実際いろいろな恐怖がある。手術にしても不安がある。自分の場合、手術中に笑って手術していた。これはたいした手術ではないから笑う余裕があるのかと思っていた。でも何か不謹慎に思えた。結構出血が多くあとで輸血した。手術が長びいたのは前立腺肥大が大きくなっていたからである。手術はどんな手術でもリスクがともなう。前立腺肥大でも手術で死んだ人はいた。ともかく医療というのは医療ミスが交通事故と同じ様にある。親戚の人は一年くらいたってから手術で残したガ-ゼが膀胱からでてきた。これもありえないことだがこういうことは他でも普通に起こっている。何らか医療ミスにあわない人はいないのである。それほど医療ミスは日常的に起こっている。自分も幼児の時注射されたところが股の所に広く残って火傷したようになっている。これも注射の医療ミスだった。医療ミスの怖さはあとあとまで傷や後遺症を残してしまうことである。医療ミスがあったとしてもそれで責任を問われる医者は極わずかである。必ず隠蔽される仕組みになっている。そうでもしなければもはや医療はできないとまで医療ミスは日常的に起こっているのだ。手術ミスで病院の前で焼身自殺した人もいた。それほど医療ミスは深刻であるからそうなった。命さえ奪われるからそうなる。

医療は常に実験の上に成り立っている。花岡清州が麻酔の実験で親族が失明したりしたのもそのためである。麻酔は今でも危険だという。何らかの副作用かある。薬も人間でどう効くのか実際に飲んでもらわなければわからないからそれの副作用で苦しむ人もでてくる。研修生はまず手術するのは生きた人間であり誰かが実験台にならなければ一人前の医者とはなれない、その研修生の実験台にされるのは弱者である。これはアメリカのことなのか自己負担で払う人は研修医ではない、担当医にみてもらい手術もしてしもらえるが自己負担をしていないと研修医になるという。自己負担している人は70歳以下では三割負担の人である。そういう負担をしない人がいると研修医の実験台にされる。保険もちゃんと払っていないと怖いとなる。


 手術が上手なだけの医者はいない。その影に泣かせたあまたの患者あり。


手術は失敗が多いということである。研修医の実験台にされればよけいそうなる。自分も手術後二週間もたっても血がとまらないので不安になった。手術が失敗したのかと不安になった。血止めの注射と薬を飲んだらぴたりととまった。今のところはほぼ普通の状態に回復している。病院では医者には何かと聞きにくいのだが手術する人は誰なのかくらいは聞いてもいいだろう。ただ医者は忙しいから聞くことがしにくいのだ。何か聞くにも診察は二三分で終わりだからゆっくり聞くことができないのである。特に相馬総合病院の泌尿器科はこみすぎる。8時に外来に行ってもすでに30番以降である。5時ころすでに病院に診察券をだしているという。ゆっくり聞く余裕がないし答える余裕もないのである。


あたしは、身よりが無いから、もし、あたしが死んだら、どうなるか、根ほり葉ほり聞いてきましたまず、病院と葬儀屋が、供養してくれるらしい。
その後、どっかの大学病院に送られ、研修生たちの実験台になるらしい


身寄りない人は本当に悲惨である。特に病気になると実際にわかる。誰もみるものがないから病院でも医者でも看護師でもそんざいにあつかわれやすい。手術するにしても一応保証人が必要であり書類に記される。その保証人がいない場合もある。自分はやっと遠い親戚だけどなってもらった。ただ名前を借りただけであり何かあっても責任はとらない。身寄りのない人は病院ではさらに危険になる。病院や医者のいいようにされてしまう。重篤な病気になったら自分の意志を表明することはできなくなくなるのも恐怖である。自分は二回入院しても全く健常者と変わりないからのりきれた。それでも今回手術となると厳しいものがあった。身寄りがないということは本当にこの世の非情を一身に受けることになるのだ。自分もこういうことは予想していなかった。余りにもめぐままれた結果そうなっしまった。今若い人で結婚していな人がふえている。すると自分のような身寄りのない人が膨大にふえてくる。その人たち60代以降病気になりやすい、その時大量の研修医の実験台になる。それは笑い事ではない、そういう未来がリアルに見えないからのんきなのである。両親は必ず死ぬし身寄りがないということは誰も助けないということなのである。その将来を深刻に考えている人はない、せめて兄弟がいる人は助けてもらえるかもしれない、そうでないと悲惨なことになる。


自分の親戚で養老院、昔の老人ホ-ムで長い間暮らしていた人がいた。その人のわがままでもあったが最後眼が見えなくなり異常になったのかと思った。その人の遺言は「解剖を献体を志願していた」。
施設に世話になったから医学の用にたててもらいたいとそう遺言していた。そして解剖されて大学から遺骨が自分の家に来て墓に葬った。墓はあったからほうむることができた。その人は乱暴な人でもあったけど最後はあわれだった。その人の墓参りは今でもしている。その人は全然身寄りがないというのではなかった。ただその人自身のわがままもありそうなってしまった。血のつながらなくても子供がいたしその子供に愛情をそそいでいたりしていればそうはならなかった。ただこれも複雑だからいちがいには言えない、最後は本当にあわれであり悲惨だった。医学のために献体したのでありこの意志は医者も重んじなければならないだろう。医者はやはり尊い命を犠牲にして成り立つということがある。施設に世話になっていたから何かに役立ちたい、何もないけど自分の体を役立ててくださいとなったのである。もちろんすでに90近いし十分に生きたからもう自分の体などどうでもいいともなるがやはり献体するということは何かみんなできない面もあるだろう。病院とか医者とか看護師でもこうして人間の命と直接かかわるからそこは常に深刻な問題の場所となるのである。

いづれにしろこの辺では病院に行ける、医者がいるだけでいいとかなっている。だから放射能の実験台にされたり病院でも医者でも選ぶこともできない、医者でも看護師でもいなくなっているのだからどんな医者でも看護師でもいるだけでいいとなっているのだ。何か文句を言ったりすることはここではできなくなっているのも損である。それが嫌なら他に移るほかないのである。本当に他の病院で医者でみてもらったら直るかもしれないとなれば移住する人はいる。それだけ病気とは深刻だからそうなってしまうのである。

 

2012年09月18日

相馬市の事情(駅前の花屋で話して思う)


相馬市の事情(駅前の花屋で話して思う)

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相馬市や秋風そよぎプラタナス

相馬市の街中の畑オクラの花

● 病院にて

相馬総合病院の泌尿器科の医者は好感がもてる。若い先生でも低姿勢なのである。若い先生でも
何か高ぶっている人がいる。南相馬市立病院の先生は何かとっつきにくく高ぶっていた感じがする。相馬総合病院の院長自体何かそういうところがない砕けた人なのである。一般的に医者はとっつきにくい、一段上にあり平等には話せない、若い人だとかえって話しやすいということもあった。気軽に聞けるということもあった。それなりの地位になると聞きにくいことがあるからだ。

そもそも南相馬市立病院は人間的には何か人に対するサ-ビス精神に欠けていたのかもしれない、看護師長というのもいなかったようだ。ここの看護師長は性格が陽気なのかにこやかに笑って接している。一人の看護師には嫌な目にあったとしても全体的には雰囲気がいいのである。
病院の評価はいろいろある。そもそも自分は二つの病院しかしらないから評価しようがないしこの辺では評価自体できないし選ぶこともできない、ただ病院によって相当違ったものになるというのもあるのだと思っただけである。南相馬市立病院は建物は豪華だったが医者とかは何かおごっているというかそういうものを感じた。看護師自体はそんなに変わっていない、指導体制ができていなかったのかもしれない、これはあくまでも主観的なものである。

小便は血止めの薬を飲んでぴたりととまった。きれいな小便だったので普通にももどったと思ったがそうではなかった。目に見えてはきれいでもまだ濁っているから水を一杯飲んで小便をだしてくださいと言っていた。やはり目には見えないけど検査すれば見える、放射能も目には見えないけど検査すれば見える。血の小便のようなものが手術後にそれも二週間後にどろどろでてきたので手術が失敗したかと思った。放射能でも血の小便のように色が変わったりすれば危機感を感じる。それが全然ないから全く危機感を感じない、だからこそ怖いということがある。放射能の怖さは人間の五感では感じられないことにあったのである。


● 相馬市の人口は増えていない

タクシ-の運転手に聞いた。
「相馬市の人口は他から移っている人でふえているでしょう」
「いや、減っていますよ」
「仮設などに入り人口はふえていると思ったけど」
「あの人たちは住所は相馬市ではないから人口にはなっていないですよ」
「そうか、住所は移していないから実際にふえても市の人口はふえていないんだ」
「税金も払っていないからお荷物ということもあるだよな」
「相馬市長はやりてだと聞いていますが・・・」
「まあ、自分の利益には熱心なんだけど、みんなには回ってこないよ」
若い人が減っているから衰退しているよ」

今になると一年半たって仮設の人は回りで必ずしもいいとは見なくなっている。その原因が相馬市にとってはあまり金にならないしいいことがないということもあった。仮設の人は補償金をもらっているからということが強調された。人間はどうしても金にこだわる。

今日も診てもらうまで4時間かかった。それで外にでて住宅地の所を歩み近くのス-パ-で買い物した。あそこのス-パ-には他にない惣菜を売っているのを知っていたからである。
あとで聞いたがあそこの住宅は古く「姥捨山」と地元で呼ばれているそうだ。なぜなら子供に捨てられたような高齢者が多い、葬式も出さなかったとかしきりにあとで聞いた。家賃は3千円くらいで最低である。田舎にはそうした市営の住宅が結構ある。その脇には最新のソ-ラ-パネラの屋根の豪邸が建っていた。その相違はあまりにも歴然としていた。あそこで建物をうらやむ人がいたがあの建物と古い住宅はまさに月とすっぽんである。


●駅前の花屋にて

駅前近くの花屋によって花を買った。電車を待つ時間をもてあましてその花屋に寄ったのである。
相馬市の事情をいろいろ聞いたのはその花屋だった。その人はあまりいい暮らしをしていないみたいだ。それでス-パ-で高いものをどんどん仮設の人が買っているということをしきりに言っていた。
あの人たちは補償金もらっているからとかその金にこだわっている。相馬市は補償金をもらえないので相当に不満だということである。仮設の人達は働かないでパチンコとか遊んでいる。税金くらい払ってもらいたい、それはいわきでも他に避難した人でもそうした批判がでてきている。タクシ-の運転手もパチンコ屋が繁盛してもこっちには何の得もないとか言っていた。飯館村の人が野菜作りで働こうとしたら補償金をもらっているから津浪の被害者の人を雇ったということがテレビで写されていた。それは一見なんなのだと瞬間的に思う、相馬市の人はそんなに非情なのかと一瞬その映像をみればそう思ってしまう。ただその背景は地元にするとまた違っているのである。相馬市は原発の補償金をもらっていない、そのことにこだわっている人がかなりいるということである。人間は金にはうるさいということである。浪江の請戸の人は病院の特別室に入っていた、それなりに重度だから入ったにしてもやはり金あるなとみられてしまう。気仙沼とかでは夫の仕事がなくなり妻が働くようになったが収入はわずかであると放送されていた。経済的には相当に窮迫していた。でも原発事故の避難者は補償金がもらう人は相当にもらえるから食べものなどには贅沢なのである。

駅前の花屋は立地がいいにしてもなかなか売れないということがあるのかもしれない、花の種類も少ないし店が小さすぎるのである。でも立地がいいのだからうまくやれば客を集められるかもしれない、ただ花屋にしても意外と花のことを知らなかったりするし本屋などはほとんど売っている本の内容を知らない、商売にはそういうことが意外と多い、相馬市の通りにはプラタナスの並木がある。
その人はポプラだと言った、そのプラタナスの並木にほとんど関心を示していない、葉っぱが落ちて困るんだよとか言って関心を示していない、街の美観を作っているのに関心を示さない、家でも葉っぱばかり落ちて木なんかいらないと鬼のようになって責めた人が自分の家にいた。それとにているのた。少なくても花屋なら街の美観を作っているものが何なのかくらいわからないと商売にはならない、最近面白いプログを読んだ。そこに小さな会社の経営のノウハウを書いていた。小さな会社は大きな会社にないものを追求しなければ成功しないとしきりに言っていた。花屋にしてもここは場所がいいのだからもっときれいにして花の種類を増やし花を楽しめる金を持っている人を相手にすべきだろう。小さな会社は安さだけだったらス-パ-とか大手の会社に負けてしまうからだ。何か別な売りをもってこないと成功はしない、現実に小さな会社を起業して成功するのは一パ-セントしかないという。
これほど小さな会社の起業は厳しいのである。この辺は金持ちがあまりいないから富裕層を常客とすることはむずかしいかもしれない、つまりこの辺は富裕層がいないということは文化も育たない所だとなる。庭作りなんかも金持ちがいないと職人すら育てられないという。じっくり庭作りを職人ができないからである。結局腕も磨けないと言っていた。全国でシャッタ-通りになったのはやはり経営努力の不足も多少はあった。昔はみんな店は自営業だったから経営者だった。一つの店をもつことは経営者となるからただ時間給で雇われるのとは違っている。経営能力が必要になってくる。ただ時間給で売るだけの人ならその人は経営能力などいらないのである。小さな店でもそれは一つの会社でもあり経営能力が要求されているのである。花を知らなければ知識がなければ花屋がつとまるはずがない、しかし花屋はみんな花についての知識がなくてもやっている人がかなりいる。自分は花については詩でも書いてきたようにテ-マにしている。すると花屋の店員には愛想がないから向かないにしても花屋を経営するということは向いているかもしれない、何かその人にあった商売というものはある。その人の個性にあった商売がある。そういう職業に出会うことなく年取ってしまった。

ス-パ-にはない、街には街の魅力がありそれにあった店がありうる。相馬市とかの規模でもありうる。プラタナスの並木道を歩くことは気持ちがいいのである。その道を歩いて店にもよりたくなるだろう。それはス-パ-では作り得ない価値なのである。そういう街の価値を高めることがシャッタ-通りをなくすことにも通じている。ただプラタナスの並木道にそこに住んでいる人が魅力を見いださないとしたらその街が魅力ある街にはならないだろう。花屋などは実際は相当に芸術的センスが必要なものなのかもしれない、芸術的センスはどこでも本当は必要なのである。そういう価値がこれから物が豊富な時代には高くなってくるかもしれない、プラタナスの並木道をゆっくり歩み買い物して食事して休むとかなる。となるとあそこにあるセブンエレブンなどは街の通りに不似合いだともなる。
城下町のしっとりした情緒を作るのには向いていないとなる。便利だけを追求してそういう美観を破壊するものは作ることが情緒を失わせるのである。情緒などどうでもいい、コンビニのように簡便で安く売れるものがいいのだということが主流の価値観だったがこれも変わるということもありうる。安いものだけの追求の自体は終わりつつある。そこにだけあるものの価値が高いものとなってゆく。相馬市は城下町ということでそういう歴史的文化的価値を作り出せるからいいとなる。

経営者の金庫の扉
http://pub.ne.jp/yama4285/?daily_id=20110910

このプログは本当に参考になる。経営者でなくても参考になる。現代は経営者というのが人の上にたち指導する人となっている時代なのである。

2012年09月21日

秋雨 (ボケ(認知症)になるのはやはり役割喪失がある-老人ホ-ムでは役割がない)


秋雨

(ボケ(認知症)になるのはやはり役割喪失がある-老人ホ-ムでは役割がない)


雨しととたまゆら消えぬ秋の蝶

手水鉢しばし遊びぬ秋の蝶
塵たたず墓石を濡らす秋の雨


雨しととなお母生きて墓参り白木槿の花墓所に咲くかな

特養に一か月いた母が帰り墓参りした。施設はいいけど馬鹿になるなと盛んに言っていた。実際認知症にはなっている。耳はさらに遠くなり話しがほとんど通じない、それでも家に帰ったら洗い物とかするし動く、まだあんなに動くのかと驚く、施設では寝てばかりいて馬鹿になるとかしきりに言っていた。家で重度の認知症になった姉は役所をやめてから全く働かなくなった。働くのいやだと家事もなにもしなくなったのだ。おそらくそのことが認知症になった大きな要因になっていたかもしれない、家事もなにもしなければ頭も体も働かせないのだから頭も使わないのだから機能が低下してくるのだ。母は百歳まで生きるのかもしれない、人間は足腰が丈夫なことと頭さえボケなければ長生きして人にそれほど迷惑をかけない、女性なら家事をつづければ足腰を使うからそれでボケないということがある。足腰がだめになって動けなくなり寝たきりになるとボケやすいのだ。老人ホ-ムでは何もしなくてもいい、何でもやってくれることが一見いいように見える。でも施設では一日何もせずぼ-としている人が多く目は死んでいる。何か役割が全くない、ただぼ-としているだけなのである。
だから施設ではかえって認知症になりやすいということがあるかもしれない、そこでは自分の生きたアイデインティティとなるものがない、家だったら長い間そこで生きてきたのだからその生は家や土地と一体化してある。一生が一体化してそこにあったのである。老人ホ-ムにはそういうものがないからただぼ-としているだけになる。


ともかく体と脳は一体である。人間は脳で感じるかと思っているがそうではない、体の神経で感じているという、無数の神経が体にありそれで感じて脳に伝えているのである。風を感じるのは頭ではない、体の神経で感じているのだ。暑いとか寒いもそうである。肌の神経が感じているのである。ということは動かないとそうした神経も働かなくなるから感じなくなるから脳がボケ安くなるのである。だから運動することが大事なのである。ボケる原因としてやはり家の中で嫁がなんでもして「ばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビでもみていてください」これが一番ぼけやすいのである。人間の幸不幸はわからない、奴隷のように秦らかけられていた人がボケずに働かせていた人がボケたのである。ボケは笑っているがホケほど認知症ほど悲惨なものはない、やはりこれは祟れたような精神の病である。認知症になったら根こそぎ人間の尊厳がなくなる。もう人間でないという悲惨な状態になるからだ。どうしても85くらい以上になると認知症になる度合いが高くなってくる。これはもう避けられない、長生きの最大の恐怖はボケに認知症になることなのである。


今日は本当に秋雨であり秋らしくなった。今年は暑かった。何か体がかなり消耗した。涼しくなれば本を読んだり書き物するのには向いている。墓所には白木槿(しらむくげ)があっている。秋の蝶は病院の窓辺に消えたときあっていた。暑さ寒さも彼岸までというのはぴったりだった。今年は夏が終わり急速に冬になるような気がする。手術でバスにも乗れないので遠くに当分行けない、それでも自転車には乗っている。手術したところを押しつけないで立ったり脇に乗ったりしている。電動自転車だと力を入れなくて進めるから原に力が入らない、正直今の時代歩いては生活さえできない、買い物はいくら近くても歩いては本当に時間がかかる、手間がかかる。昔のように隣近所に店があればできた。隣近所に店があるときはまさに歩く時代だったのである。歩くということを基本に社会があった。駅前通りでも駅から歩いて買い物するということだった。それがなくなったときやはり歩くということもなくなった。もう歩いてだけでは生活すらできない時代である。なんとか電動自転車に乗れたから良かった。

一人暮らしは本当に健康でなかったら悲惨なことになる。誰も助けてくれない、本当にそういう非情をここ五年間痛切に強いられた。だから一人暮らしは特に身寄りのない人は相当な覚悟で生きる必要がある。この五年間でその忍耐力がついたことは確かである。誰も頼りになれない、助けられないということを厳しく自覚させられた。人に甘えることは全くできない、家族がいないのだから病気になったら最も悲惨である。介護するものなく慰めてくれるものもない、そこにあるのは今は人情もない社会だから冷酷そのものになる。現代で凶悪な犯罪を起こすのはこの冷酷な非情な社会にあることは確かである。もちろんいつの社会でもそうだったが現代はまた豊でも人情がない社会故に凶悪な犯罪が起こる。冷酷にされた人はまた冷酷になるのだ。自分の場合はならない、それだけ恵まれていたし今になると自業自得だと思っているしむしろだからこそ人間はつくづく愛が必要だと思った。助け合うことが必要だとは心から思った。

2012年09月26日

ひまわりの里と化した南相馬市


ひまわりの里と化した南相馬市

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クリック拡大!-これは圧巻だ


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乱れなく万のひまわり向かい咲く


我が庭に秋明菊の二輪かな


我が塀の格子模様に秋明菊


秋の蝶花に休むや手水鉢


雨ぬれてなお帰らじや秋燕


今日見たらひまわりが満開だった。その数が凄いから見物だった。これだけのひまわりが咲けば圧巻である。米はとれないにしてもひまわりを見にくる人がい)くかもしれない、これだけのひまわりを見れる所はそんなにない、津浪や原発事故はただマイナス面しかなかった。しかし津浪にも八沢浦が美しい入江に戻ったというのを写真でだして批判されたこともあった。あそこは水が浸水した所に家はほとんどなかった。回りにはあったし確かに被害があったが村が全滅するような悲惨な被害はなかった。だからあえて本当に美しい入江になったことが奇跡のように思えたのである。ただただ陰惨な津浪の被害しか写されなかった。だから津浪にも美しいものを一時もたらしたということはとにかく事実だったのである。ただ津浪が美しいなどと報道したのは自分くらいかもしれない、奇跡のような美しさが再現したのは事実だったから報告した。原発事故でもすべてがただただマイナス面だけでは気が滅入ってしまうだろう。これだけのひまわりを地元で見れることはやはりそれなりにプラスの効果があった。他の人もひまわりを見に来てくださいと宣伝できる。原発事故の放射能汚染地帯などに誰も来ないし行く人はいないというがこのひまわり畑はやはり圧巻である。これだけのひまわりがが咲いているのはなかなか見れない、とするとこんなひまわり見てみたいなと思う人もでてくる。

また田んぼだったところが草原化したとき一部湿地化したときそれも原初の自然の再現であり美しいとして写真などで報告した。美しいものは美しいしただただ陰惨なものだけが津浪がもたらしたものではなかった。それを事実として報告することも津浪の一面である。草原化してやたら蝶が増えたということも変わったことである。草原にはたいして花もないのに蝶が増えたことも不思議である。蝶は水田より草原にあっていたのである。蝶はもともと草原が繁殖するにはいい場所だった。そういうことも自然が変わってしまったことなのである。こんなに自然自体が変わることは想像もできなかったのである。
もちろん死んだ人はいるし陰惨なのがほとんどだがやはり津浪がもたらした美しさもほんの一部でもあったということを報告することは非難されるべきではない、南相馬市がひまわりの里として今他の人も見に来たらそれなりに活気がでるだろう。それはプラスの面である。他にも田んぼの跡にいろいろ花を植えて咲いたら花の里として売り出せる。花は放射能の影響を食べもののように受けないからいいのである。だから川内村では花の里として売り出そうとしていることでもわかる。そういうマイナスをプラスに変える発想が必要になっている。マイナス思考ばかりしていたら復興などありえないのである。


秋明菊というのは名前が良かった。秋に明かに咲くというのがいい、それが格子の塀にあっていた。これを作った大工さん美的センスに優れていた。あれだけいろいろいできる人はいない、一種の天才的な人なのかもしれない、職人でもそういう人はいる。ただなかなか仕事で発揮できないらしい、たまたま茶室のようなものを狭い庭で作ろうとしていたのでマッチしたのである。茶室とかはもうない、介護の部屋になったしゆっくり茶碗で抹茶を飲む余裕すらない、食事の用意に追われているからだ。茶などは本当に暇な人でないとできないことがこれでわかる。暇でないと余裕がないと芸術も生まれにくい。


ともかく退院してから何か疲れた、書くことはかなりあったが書けなかった。どうもこの五年間の苦労の疲れがでたみたいだ。まあ、なんとか手術で一応終わりのりきった感じがする。これが悪質な病気だったらまだ苦しみはつづいていた。それが救いだったのだ。重篤な病気になった人は悲惨である。どうも酒を飲みすぎる人は臓器を肝臓などをやられ他も悪くなる、自分は40代前頃から酒もタバコも一切やらない、それが臓器を悪くしなかったことかもしれない、それなりに自転車で運動していたこともよかった。デスクワ-クではなかったのである。農家の人で89歳と長生きしている人と語ったがその人は4時起きで早く寝るという、そういう生活はやはり長生きするのである。デスクワ-クは長生きしないだろう。どうしても血流などが悪くなる。夜更かしも寿命を縮めることは確かである。
だからどうも現代人は意外と今までのように長生きできないかもしれないのだ。病気になっている人もまた多いからである。


秋燕が二三羽まだ飛んでいたのはやはり今年はまだ陽差しが暑いからだろう。これからまだプログも書けると思う。やはり随分書いたし退院してから何か疲れが出たのである。書くことが多くあっても書けなかったのである。

 

2012年09月28日

秋の雨 (恩を受けた人の名を石に記し墓を作る)


秋の雨

(恩を受けた人の名を石に記し墓を作る)


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盆栽の松に菊映え仮設かな

こもりける仮設も長く秋の雨

離れてそ想う人かな秋の雨

我が作るよしこの墓やあわれかなその名のここに秋の雨ふる
人の世の患い多き休みたし墓に静かに秋の雨ふる

雨しとと白木槿に石の庭昼の静かに母と茶を飲む

自分の家のかたわらの石に名を刻み一つの墓を作った。名の記されていない墓とかプログに書いた、大正生まれの馬鹿正直の女性のことも書いた。この女性には姉の認知症の介護で世話になったので
恩があった。認知症になると誰も相手にしなくなる。この女性は情に厚いし馬鹿正直なのである。
10万借りても恩を感じて律儀に返す人だった。こういう人は今や馬鹿とつく。今は恩を感じなくなった。世話しても情をかけても恩感じないのである。


恩感じる人感じない人
http://takayasiro.naganoblog.jp/e767837.html


若い人はまるで恩を感じなくなった。ドライと言えばドライだか何か人間の根本的なモラルの喪失がある。犬も猫も恩を忘れないというとき人間は今や畜生以下になっている恐怖である。
ドライだというときすべてを金で割り切っているからだ。金ですべてを払い金だけを求めてくる。
極端になると金持ちでも情けや恩をかけるがそんなものを全く感じない、もらえるものはもらってそれでもたりないから奪いばいい、殺しても奪いばいいとなるからもはや今や人間は簡単に何かを頼むことすらできない時代になった。それほどモラルが低下している。


恩を感じない人
http://ameblo.jp/hyvs660219/entry-10626249477.html


この人も金持ちの家をただで借りていたのだがそれが自分の家のように思うようになっていた。
金持ちが無料で貸し与えても何の恩義も感じないのである。かえって自分の家だと主張するのだから怖い、そういう人に実際にあっているから現代ほど人間が恐ろしい時代はない。人間は畜生以下になっているのだ。中国は恩義の国であり盛んにそれを言うが日本側からすると中国には尽くしたのに何の恩義も感じないと失望している。今の中国人も恩を感じない人たちになっていたのである。もらえるものはもらう、恩などそこに感じないのである。


1度受けた「恩義」は、その後の関係がどうなろうとも、なくなるものではありません。恩は恩です。したがって、おっしゃるように「恩はありません」という言い方は成立しません。また前述の通り「なくなりました」ということもありません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1238845447


恩というのは金を払ってそれでなくなるわけでもないものである。現代人は金を払って終わりだとなるが物の売り買いでないから恩はいつまでも恩なのである。特に報酬を受けていなければ恩はかえっていつまでも恩として残る。金であれ物であれ恩を受けた人に返せば恩は残らない、まさに天で報いを受けるというときこの世では報酬を受け取っていないから天で受けるのである。

いづれにしろ現代では親子すら恩を感じない人が実に多い、親でもただ財産目当てだけになってしまうのだからましてや他人はただ金をとれるだけのものになってしまう。大金持ちでも子供が冷たいから犬猫に財産を残すとして問題が起きた。これは今や笑い事ではない、そういう人間にあふれているからなのだ。この世の事件は一つでも時代を反映しているのである。これほどペットブ-ムなのは子供も金しか求めてこないし恩も情もない社会になったからである。親はいくら金をもっていても体が弱り子供に世話になるようになるから子供に逆らえなくなる、そこに悲劇が待っている。墓に親の名前も刻まないというのはまさに親不孝の極みかもしれない、それで自分でその名前だけでも刻んで供養したのである。名前がないということはそこに骨が埋まっていても何もないと感じてしまうのである。名前はそれだけ大事なものだったのである。


仏教でも報恩のことを説いている。それがなくなるとき人間は大きな過酷な罰を受ける。モラルを無視するとき一見何も起こらないように見えるが大きな罰を受ける。津浪だって原発事故だって何か今の人間がモラルがなくなったことへの罰だったかもしれない、原発は人間の欲と深くからんでいたからである。恩も感じない人間はもはや人間ではない、畜生以下になり大きな罰を受けるのである。
恩を感じて恩を返す人はさらに何倍もの福を得る、別に損得勘定しても恩を受けたら恩を返すと何倍もの得がある。徳は得だったのであり別に無償の愛とかでもなくても恩を受けたら返すことはかなりの徳であり得することなのである。だからドライに割り切っても恩を感じて返すのがいいのだがそれを感じもしないし返しもしないから損になっているし罰を受ける。宗教的な高い徳を実践するのではない、恩は別に人間の基本的な徳としてあったのでありそれすらなくなったということは人間が畜生以下になった時代なのである。それはやはりグロ-バルに金の力が強くなりすぎたためでもあった。
中国だってあんなふうに恩を感じなくなったのは金の力が余りにも強くなったからである。もらうものはもらう返さなくてもいいというのが個々人でもそうだし国同士でもそうなってしまったのである。だから今や畜生以下の世界になっているのだ。


仮設住宅に盆栽を飾っている人がいる。何かそれが仮設にあっていた。まさに仮設は昔の長屋であり日本人的なものが盆栽だったのである。自然を縮小してしまうのは日本では家も狭いからそうなった。だから仮設住宅にあっていたのである。仮設の問題は狭いことであり狭いと窮屈であり安らかに眠るのもままならない、病院のベッドは寝返りができないことで眠りにくく窮屈なのとにている。安眠できないのである。仮設暮らしも一年半となるとそれなりに長くなった。だから仮設が秋の雨がふってなじんできたということもある。


ともかく何か疲れた。やっとゆっくり茶をわかして飲むことができた。そういう時間の余裕すらなかった。今日の恐怖はさくらのプログもホ-ムペ-ジも消されることだった。今日の六時まで支払いしないと消されるところだった。メ-ルを二か月ほど読んでいないためにそうなった。メ-ルは自分はスパムが嫌であまり読んでいなかった。メ-ルも定期的にチェックしないと大変なことになる。
インタ-ネットでは簡単に消されるということが大問題なのだ。本にだしていればそういうことはない、どこかに残るということがある。インタ-ネットでは全く全部消されて残らないことがありうる。せっかくの労作でもそうである。だから本を作り書店には置けなくても残しておけば記録として残る。そういう作業も必要である。いろいろととにかく問題が起きてくるのが自分である。今日は命拾いした感じだった。


大正生まれの馬鹿正直な女性
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1238845447


名前の記されていない墓の怪
http://musubu.sblo.jp/article/57357315.html

2012年09月29日

虫の音(今日は秋らしくなり満月がでる)


虫の音(今日は秋らしくなり満月がでる)


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ここは白い蝶だけど黄色蝶も一杯だった

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雨の後に田んぼが湿地化する

ひまわりの一輪一輪に雀かな
陽の没りて湿地に写る鱗雲
草原に蝶あまた眠る円し月
我が料理魚に柿添え出しにけり


森深く残る蝉の一つ鳴くその声ひびき夕暮れにけり

虫の音やなほ母生きて我が与ふ飯を食うかな生の幽けき
雲に映え月の静かに光るかな虫の音かそか石にひびきぬ

姉の亡きも姉は我待つ我が家に帰りけるかな円し月見ゆ

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この辺の景色が変わったことを何度も写真などで報告した。稲雀というのが季語としてあるが今や稲がないのだからこの辺にはない、変わってひまわり畑に雀が群がり飛んでいた。稲がなくても雀はそれなりに生きているのも不思議である。数は減ったかもしれない、その雀がひまわりに止まっているのも不思議である。やたら蝶が草原に増えた。そして今日は満月が津浪があった海の方から昇ってくる。雨がふるとた草原と化した田んぼに水がたりま湿地化する。そこに鱗雲が写っている。
こういう光景は今までとはまるで違った風景なのである。今頃一面の稲穂の実りの季節なのだがそれがないのだ。

料理も二年くらいしているが進歩していない、ただいろいろなものをとりあわせるのが料理だというのが少々わかった。買った魚にレモンがついていたがただ柿を切ったものでも魚臭さをがとれる。
柿は今の時期にあっている。この辺では柿も放射能で食べられないだろう。でも食べものはいくらでも外から入ってくるから金さえあれば別に困らないし仮設の人でも贅沢しているのである。


母の性格は実に大人しく耳が聞こえないので毎日何にもしゃべらないでじっとしていて食べものをもってゆくと黙ってもそもそ食べている。ほとんど話はしない、通じなくなった。でももともと母は騒がしくなくあんなふうに誰ともしゃべらないし友達もいない性格だった。それは異常的でもあった。何か人と接することをしない、ただ片隅にじっとしているのが性にあっている。その性格を自分に受け継がれた。自分も人と接するのが苦手でありじっとしているのが性にあっている。じっとして自然の声に耳を澄ます、自然と一体化するのにはこういう性格がいいのかもしれない、ただこういう性格は実際の生活ではいろいろ困る、誰も友達がいないというとき今回のように困ったときは助けられないからだ。それで本当に苦労した。社会生活に向いていないといってもやはりそれでは世の中渡っていけないのである。

ただ5年間翻弄されて手術が終わり一段落したかもしれない、本来の落ち着いた気分になれた。

ただかすかに鳴く虫の音を耳を澄まして聞いている。月も静かに光っている。今日は満月だった。
自分は静かでないと暮らしていけない性格であった。それは異常的でもあった。だから都会は全く向いていなかったのである。沈黙の世界を追求してきたのが自分だったのである。姉は死んだけど60年とか一緒にいたので不思議にまだ家にいるような感じがする。自分を待っているような感じがするのも不思議である。
そこに陽気な人だったから笑って待っている感じがする。人はあまりにも長くいるとその存在は死んでも簡単には消えるものではない、60年という歳月は本当に長かったのである。