2012年09月01日

無事手術終わりました


無事手術終わりました

自分の場合は前立腺肥大でも特別大きく普通は一時間半で終わるが二時間かかって出血も多く手術の後で輸血した。麻酔で頭が三日ほどくらくらした。
でも点滴も終わり尿も出るようになったのであとは楽である。
この病気は尿道を圧迫して尿がでなくなる病気である。
最悪は尿がでなくなり腎臓に影響して腎不全になり死ぬこともある。
南相馬市立病院に一カ月入院したのはそのためだった。

昔はじいちゃんが小便でなくなって死んだと言っていたらそれは前立腺肥大で死んだらしい。昔はこんな軽い病気でもかなりの人が死んでいた。
管入れて小便をとれないとするとそうなる。これは年取るとなる病気だからこういうことはありうる。


相馬総合病院は泌尿科で有名らしい。院長先生が泌尿科であり三人も専属の医者がいる。毎日手術している。南相馬市立病院
では若い医者が一人であり簡単な治療しかできない。病院によってこれほど違うのかと思った。
ただここは迷路のようになっていて見晴らしは良くないので快適とは言えないのが残念である。でも海が見える所が三階に一カ所あった。今日わかった。
それほどここはわかりにくい病院である。


一般的に泌尿科はみんな軽度で病気のように思えない、たいがい二週間で退院している。自分もうまくゆけばそうなるがわからない。同じ病室のものはみなそうなので毎日暇だから話しして暇つぶしして笑っている、病人には思えないのである。ただ場所が場所だけにいやなのである。


ここには津波で家を流された新地の人や浪江の請戸の人がいた。その人は深刻ではないのも不思議である。土地は買い上げて
もらえるとかこのさい職をやめてのんびりするとか、仕事しないから太ったとか請戸の人は特別室であり金持ちらしい、息子に家を建ててやるとかでも土地が高くなっているとかそういう人はやはり余裕がある。余裕があるのは家族が死んでいないからである。

ここの階には丸森、新地、相馬市、小高、浪江やいわきとかの人がいた
それらの人は元気だから話しできる。新地の古老のような人がいた。
実際に城跡の保存とかしている、なんか聞いたことがない話しを聞いた
話しがうまいから新地の生きた古老である。

なかなか通信できなかったが場所を変えてできた、
コメントは遅いのでできない

まあ、苦しい時はすでに過ぎたからパソコンもできる
暇だから文章書くのには向いている

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

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2012年09月02日

相馬総合病院に津浪の被害を聞く


 

相馬総合病院に津浪の被害を聞く

相馬総合病院が相馬市立病院になっていないのは新地町と共同だからそうなっていた。新地町が相馬市と合併しないのは新地町の独自性の維持が背後に常にある。新地町がもともと伊達市の城があったごとく一時は伊達氏に属していたのである。その子孫が合併に反対したというときそういう歴史があったのである。その子孫の侍の家も津波で流された。病院には津浪の被害にあった人が多い。同室にすでに二人いる。新地の釣師浜と相馬市の和田である。
和田の人は野馬追いの馬が津浪に襲われたが助かったという。津浪にも生き残り野馬追いにでた馬もいた。この辺では野馬追いにでるためだけに馬を飼っている。その費用が結構かかるし手間である。

今日は90歳の山元町の人がいた。新地の釣師浜の人に聞いていたが山元町の磯浜に津浪の避難館があった。その由来をその人は体験として知っていた。

小学三年のとき磯浜に津浪の被害があった。そのとき防波堤がなかったので磯浜が被害にあい避難館を作ったという。それは昭和8年頃だった。ところがその後その津浪館は下の方に移されたという。津浪は滅多に来ないから忘れるのである。他でも津浪を記念した古い碑が何なのかもわからなくなっている。
新地にツノガ神社があった。それは津神社のように津浪を記念したものかどうかわからないにしてもそういう神社の由来もわからなくなっている。津浪は滅多にこないから忘れてしまうのである。

それにしても津浪の被害にあった浪江の請戸の人もいた。病院にこれだけ集まっているということは思った以上に津浪の被害者は多い。ただここであった人は家族は死んでいない、だからそれほど悲壮感がない、毎日仮設住宅でパークゴルフをやっているとか暇をもてあましている人が多いのである。それなりに食うには困らないのでのんびりしている。でも実情は深刻である。新地町でも山元町でも仙台に勤めている人が多くその人たちが流失している。息子、娘を頼ってでて行く人も多い。山元町は仙台のベッ
トタウンだから余計にそうなっているのだ。働き手や若い人が流失していることが深刻なのである。

相馬市にいると丸森の人がいたり山元町の人がいたりとなる。つまり相馬市は伊達市との境界意識を強くもつところである。地理的にここに小高より城を移したことが実感としてわかる。

病院から原釜が見えた。そこには津浪の傷跡が遠いけど見える。それだけ津浪の被害は大きかった。津浪の傷はそれほど深いということである。
posted by 老鶯 at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2012年09月03日

天使にも悪魔にもなる看護婦(師)のことなど (人間は最後までプライドをもつ)




天使にも悪魔にもなる看護婦(師)のことなど
(人間は最後までプライドをもつ)


脈をとる看護婦の手の

あたたかき日あり
つめたく堅き日もあり。啄木


病院とか病気は非日常的なものを作り出す。特殊な感受性を作り出す。啄木は天才的な感受性をもっていたから病気になりあれだけの短歌を最後に残した。正岡子規の俳句も病気から生まれたのである。また死を常に意識していたから平凡なものでも違って見えた。今は看護師だけどこんなふうになかなかここまでは感じない。自分は病気が病気だけにオムツとか必要とした。そのとき看護婦にひどくしかられた。手術の後に汚してしまったからだ。頭がまだ朦朧としているときだった。そのときなぜそれほどそのことが気になったのか、頭に来たのか、それは相手が孫のような女性だからであった。プライドがひどく傷つけられたのである。そもそもオムツ自体がプライドを傷つけるものである。
一時的ならいいが長くなると悲惨なことになるのはそのためである。


つくづく人間はプライドに最後まで生きる。それは認知症でもそうだった。認知症の最大の特徴は最後までプライド失わない、馬鹿になってもプライドを失わないのである。馬鹿になっても馬鹿にされると怒りそれが暴力の原因にもなっているのだ。人間は馬鹿になってもプライドだけは失わない、プライドを傷つけられた時、命をかけて相手を殺すことも普通に起こる。韓国と中国があれほど日本を憎むのは民族のプライドが傷つけられたからである。それは消えることがないのである。犯罪も人間としてのプライドが傷つけられるから起こる。金がないということもあるがそれより人間としてのプライドが金がないということで傷つけられることが原因なのである。


今回もプライドを傷つけられたから看護婦に対して不快感をもった。看護師にはやさしさが必要というときこのやさしさもつことはいかにむずかしいものかわかっていない、看護師も最初は天使だけどあとで悪魔になるというのもそのためである。やさしくしようとしても現場で常時そうはいかなくなる。看護師でないにしても老人に嫌悪感をもっている若者も多数である。あとはただ機械的に仕事して月給もらえばいいとかなる人もいる。ただ看護師とか医者の問題は医療的技量もあるが人間的やさしさが必要だというとき今回のようにプライドを傷つけられるとコミニケーションができなくなることが深刻なのである。何か症状を訴えることもしにくくなる。その人が怖いとなるからだ。つまり病人は弱者である。その弱者をいたぶることはあまりにも容易なのである。認知症の看護とかそのほかこの五年間は弱者のみじめさを味わってきた。この世で弱者をいたわることはない。
弱肉強食の世界である。だから火事場泥棒なども経験した。


相手の弱みにつけこむことは日常的に起こっている。最近の日本でも経済が弱くなった日本は怖くないと回りから責められていることでもわかる。医者がなぜ一般的に傲慢になるのか、相手が弱者だからそうなる。病気になり弱ったときにしか接しないからそうなる。相手が弱者だから自分の命令に従わねばならないとなり上下関係ができてしまう、医者でも看護師でも不満があっても逆らえないとなる。そして病院は外にはでれない刑務所であり管理される。だから物体のように管理されて死ぬということがある。体はみるが人間のプライドは病院や看護師や医者は重んじないのである。だから重症になるとその人の意志すら伝えられなくなり尊厳死などは病院ではありえないのである。病院では体はみても人間の精神はみないのである。こういう問題は高齢化や死をどう迎えるかで起きている。家で死ぬというときそこが尊厳を与えられているからだろう。病院ではありえない、特に身寄りがない人などは病院では悲惨である。
誰もみてないからさらに弱者となりそのとき実験台にされたりと医者や看護師はそのとき悪魔に変身してしまうのである。

 
 


 

2012年09月06日

相馬総合病院退院しました

 
相馬総合病院を退院しました
ただ退院後は自転車にのれないと言われてびっくりした。二か月以上はかかる。どうしても前立腺がふれると手術したところだからさわり悪い。あぐらをかくことも悪いというから困ったものである。幸いス-パ-は歩いて行ける距離だから助かった。

つくづくこの辺は津浪から原発事故と問題が山積みでありそれがどこでも話題となる。
この辺は極めて政治的、経済的、自然環境問題かち最先端の科学の問題からあらゆる現代の問題が噴出した場になってしまった。だから宗教もそれに関係してくる。文学も哲学もこういう所から想像でない、現実の場として実感として新しい学問すら起こりうる場になっているのだ。

自分はこれまでそういうことを追求して書いてきた。それは今までのように想像して他人事ではない、現実に生活する場で起きているから真剣にもなる。いろいろな問題が切実なのである。


今回の二週間の入院でもそうだった。津浪の被害にあった人に四人もあった。原発の避難者もそうだった。そこで生の声を聞いたからさらに実感したのである。だからまた結構書くことが増えたのである。

看護師と患者の問題 (相馬総合病院は患者への気配りがある)


看護師と患者の問題

(相馬総合病院は患者への気配りがある)

●看護師も患者が嫌になる


看護師の言い分


私も、看護師としてではなく、一人の人間として心の底から嫌いになりました。
だいたいのことなら「まあ、患者だからしゃ〜ないか」と、腹を立てながらも、自分の給料の源である患者だからってことで気を落ち着かせています。

心底、死ねばいいのにと思ったときは、きっと他のスタッフならもっと大人な考えをするのかな、自分は看護師として失格だ、自分が精神的に未熟なんだ、と、思いました。仕事なんだし、こんな患者を相手して本気で腹を立ててる自分が幼稚だと。しかし、月日がたった今思い返してもむかっ腹が立ってきます。

本当は明日、目茶苦茶仕事行きたくないです。その嫌な患者と顔合わせたくないから。とりあえず避けることも可能なので明日は側に行かず、避けることを選択します。本当なら、患者様々だから私が「先日はすみませんでした」と謝罪したほうが丸くおさまるような気がするけど、なんかそうすることで相手は調子にのりそうだし。


患者に様なんて付けだしてから
勘違い患者が増えた気がする。
医療はサービス業じゃないと私は思う。


「採血が下手」「注射が痛い」などのクレームが寄せられるようになった。何度か注意して指導したが、当の看護師は頑固な性格で改善が見られないため、辞めてもらった方がいいだろうという結論になった。採用から2カ月後の話である。


佐用共立病院(兵庫県佐用町)で女性入院患者=当時(85)=が肋骨(ろっこつ)を折られた事件で、傷害容疑で逮捕された同病院の看護師羽室沙百理(はむろ さおり)容疑者(26)が、動機について「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」などという趣旨の供述をしていることが12日、捜査関係者への取材で分かった。看護師として自信がなかった、とも漏らしているといい、仕事への不満と不安の矛先が、一方的に寝たきり患者に向けられた可能性がある。

 


なぜ看護師と患者がトラブルになりやすいか?医者と患者も同じである。それは結局、人間と人間が直接向き合う現場だからである。物を売ればいいとかではない常に直接人間と向き合うから問題が起きないことなどありえない、人間と人間が向き合う場には必ずトラブルが起きる。だから看護師にも患者にも双方に自戒が必要なのである。患者側から見る看護師と看護師から見る患者の言い分がある。ここに引用したのは看護師の言い分だった。自分も今回の入院で看護師に嫌な思いをした。
泌尿器科だから下のことがあり汚すこともある。その時ひどくしかられたのである。でも患者の言い分としては手術後でありもうろうとしていたし実際に要領をえなかった。でも知っている人に聞いたら汚してもこういう科ですからしかたないですよと看護師が言ったという。その人は妻が見ていたから看護師もひどいことを言わなかったのである。自分の言い分としてもう少し配慮があってもいいと思った。どうしてしもその看護師を嫌になったし口も聞きたくなくなったのである。ただこの辺の病院の事情は違っている。看護師が原発事故などで流出している状態では看護師がいるだけでいいとかなってしまう。現実に南相馬市病院では看護師などの流出で二病棟しか使っていないからだ。そういう状態では患者は看護師や医者でもいるだけで恵まれているとかなる。そうなると文句を言えないということも頭にあった。それで黙っていたがなんかトラウマになったことは確かである。
自分は看護師に感謝しないなどない、掃除婦までに感謝して退院した。看護師に虐待されるような患者ではない、ただ事の成り行きでそうなったのである。


●相馬総合病院は患者への気配りに優れている


看護師長母をきづかい声かけぬうれしきことかな隣も知らじに

相馬総合病院は全体的には患者に気づかっている好感がもたれる病院である。回診が一日二回があるのも普通はないだろう。患者に対するサ-ビスは他よりいい、南相馬市病院は若い医者が一人だけでありその一人が「おい、どうだ、水を飲んでおけよ・・」とかで終わりである。看護師もついてこない簡単な挨拶程度の回診なのである。なぜそうなっているのか?そもそも若い医者一人しかいないし医者がいないからまかせてしまった。泌尿器の専門の看護師も少ないこともあるのだろう。それに比べたらここがいかに手厚いサ-ビスをしているかわかる。そして泌尿器科の専属がそもそも院長先生でありその他中堅と若い医師と三人もいる。南相馬市病院の泌尿器科の医師はここの中堅の医師のように弟子としてついて技量を磨く立場にあったけど誰もいないからまかされたのだろう。そもそも浜通りは特に相馬地方は医師不足の地帯だったのである。それが原発事故とかでさらに医者も看護師も減ってしまったのである。看護婦長も一人で必ず回って様子をうかがいにくるのも好感がもてる。
それで自分に対して「お母さんの介護大変ですね」とか気づかってくれた。こんなことはなかなかしない、患者の心のケアまでしいてる。ただ一人だけ悪い印象をもってしまった。その一人によって悪い印象をもつということはある。ただすべての評価は主観的なものである。誰にでも好き嫌いはあるからである。

結局看護師という職業は宗教的修行じゃないが忍耐心が特に必要な場所になる。自分のいいような患者などいないからだ。まだ看護師側からすればいつも聖人のように対応などできない、また望むのも無理である。患者側にも確実に問題がある。ただ患者は病人であり弱者だとういことで患者側につくことが多いのである。看護師と医者と患者は強者と弱者の関係になりやすいのである。ただ最近は患者様とかなりあまりにも患者側につきすぎる傾向がありその不満がかえって看護師側からでてきているのである。結局こういう問題が生じるのは病院とか医療とかが単なる体をみるだけではない、心にも深くかかわるからそうなるのだ。特に老人は人生の兵(つわもの)がいる。経験も豊かな人でありそううい人が若い看護師が対応するのにむずかしい面がある。相手の心にかかわるとなるとやはりそれなりの経験をつまないとできないからだ。看護師は総じて若いから年よりの心によりそうことはむずかしいのである。


いづれにしろ病院という場は看護師が多く看護師にとりかこまれる世界である。すると看護師の質も問題になる。医者の質もそうだが看護師の質もそうだしそれが全体の雰囲気を作っていく、そういう場にふさわしくない人はいるし注射でもうまくならない人もいる。そういうことでそういう人がやめさせられたりやめてゆくのはどこにでもある。ただこの辺では看護師がいるだけでもありがたいとかなっているから文句は言いにくいのである。相馬総合病院は全体の雰囲気は全体的にいい、上の指導でそうなっているという人もいる。南相馬市病院は建物は立派でもそうした指導がたりなかった。でも特別看護は劣っているということではない、それより医者がたりないとかで回診もできていなかったのである。病院は建物から医者から看護師から掃除婦までが全体の雰囲気を作っているのである。患者のためにつくすようになっているのだ。

病院でさらに病気が悪化する (病院は刑務所とにている)


病院でさらに病気が悪化する

(病院は刑務所とにている)


実は病院に行けば行くほど病気になります。
これは間違いなく正しいことで真実です。
 
実際に病院に行けば行くほど病気になるんです。
それとは逆に病院に行かなくなれば病気にならなくなります。
なぜなら病院は治療院でなく病の院
つまり病の建物なのです。
 
弱った人を薬の毒性でさらに弱らせて
また来てもらうための処置をする所です。
なぜなら病院も金儲けのためにやっている所なので
健康な人は一切必要なく邪魔なだけなんです。
なので健康な人でも病気にする、それが病院なのです
http://blogs.yahoo.co.jp/willpow_thresh_trant/27338940.html



病院がどういう場所か二回経験している。南相馬市病院で一か月入院していた。本当は二週間で退院できた。ところが感染病になり三日間40度の熱がでた。隣の人も高熱をだしていた。バイ菌に感染していてそうなり自分もなった。ばい菌が移りやすいのも病院である。一面病院は危険な場所でもある。今回は二週間で退院できたからいい、それでも長びくことはありえた。病院は退院を遅らせて病気を悪くさせることもある。別に金のためではない、病院という場がそうさせるのである。病院は丁度刑務所ににている。南相馬市病院では点滴を一か月はずすことができなかった。その点滴がまるで手錠のように思えた。それは確かに必要だったにしても病院で病院を悪くすることもある。もちろん医者とか看護師は病院を直そうとして懸命に働いている。それでも病院は病気を悪化させる場ともなりうる。病院にいると何か健康でも苦しいものを感じないか?一時的に見舞いにきても何か苦しいものを感じるだろう。それが入院するものはさらに病院で何か苦しいものを感じるのだ。病院は何か死臭も感じる。現実に病院では死ぬ人が必ずいるのが普通だから不思議ではない、そこに健康的なものを感じることはタブ-とさえなる。お前は病気になって入院したのだから病人らしくしていろとなる。

今回救われたのは同室の人はほとんど病人ではなかった。病気を感じない人たちだった。みんな二週間で退院できる健康な人たちだったのである。ここが病室かと入って最初から思った。20代くらいの若い人もいた。つまり病気を感じさせない部屋だった。泌尿器科はそういう人たちが多い、たいがい治るのが多いのである。変なことだけで病室には笑いに満ちていたのである。こんな病室は普通はないだろう。だからもっと病人らしくしていろとなる。だからそこでは暇なし話ししていたのである。
女性の看護師をからかっていた人もいる。

これはおかしいなと思って病人らしい病人を探し廊下を歩いた。すると病人らしい人がいた。青ざめてやっと歩いている。三か月もいるけどまだ治らないんです、家は近くても家に帰れないんですという。それもそうだとその顔を見れば一目瞭然である。死相さえ顔に現れていた。そういう人がいるのが病院である。それは丁度朝方に残っている残月だったのである。病院から見える景色がまた違っている。閉ざされた空間から外の明るい自然の空間をながめているのだ。自分は絶えず病院を歩いて外の景色を見ていた。運動して尿を出せと言われていたからだ。相馬総合病院もいい景色をみる場があった。それをまた俳句とか短歌にした。ただ病院からみる景色と外でみる景色は違っている。病院には自然そのものの風は入りこまないのである。だから特殊な状態に置かれる。健康的に自然を歌うのとは違っている。そこには別な感受性がはぐくまれるのだ。それは健康な感受性ではない、でも文学的には啄木のように特殊なものとして作られるのである。

窓にとまっている枯れたカマキリ、俳句では枯蟷螂というがそれがふさわしいのが病院だった。
窓にはりついて死んでゆく蟷螂である。そこには蜘蛛もぶらさがりさらに不気味さをましていた。
何かそういう世界が病院にはふさわしいのである。ただ自分は直ぐに健康になったから健康的なものも作った。でも病院は独特の雰囲気があり空気が流れている。それは病人からでてくる空気でありまた死人からでてくる死臭かもしれない、何か陰気な空気が流れているのが普通である。するとたとえ回復していてもさらにそうした陰気な想念がたまっていて病気を悪化させるということもある。病院は病人によってさらに淀んだような空気を作り出す。特に重傷者が多いとそうなる。あんなに笑って話ししているのは病院ではない、もっと病人らしくしろとなる。病院ではどうしてもそうなりやすい、別に看護師とか医者のせいでもない、病院とはそういう場所なのである。


陰気なものが流れていてそれに影響されるのである。病院はだから長居するところではない、そうはいってもそうならざるをえない人がいるがまだよくならないという三か月いた人も近くの家に一旦帰ったりしたら帰って回復するかもしれないと思う。病院では外のように健康な気をもらえないからかえってまた病気になるというのは別に誇張ではない、そうなる人が多いことは確かなのだ。医者や看護師がまるで囚人を監視するように見えるのもそのためである。そしてどうしても医者や看護師が患者を一方的に縛りやすいのである。つまり罪人のようにされてしまうのである。病院はそういう場だから本当は病院で死ぬことはあまりいい場所ではない、何か必ず病院では死んだ夢を見る、それは自分だけではないだろう。なんだか極楽に向かって魂が飛んでゆく夢をみた。これなどもすでに病院にいると死がかえって近くなるということもある。病院は監獄であり死に向かう場所でもある。棺桶のようにさえ思うこともあるだろう。だから病院で死ぬことは人間にとって自然ではない、でも今はほとんど病院で死ぬ。それが問題なのである。


窓の外くもぶら下がり枯蟷螂

 

2012年09月08日

原発事故がもたらした教訓(コメントに答える) (被害地域では具体的に生活の見直しが迫られている)


原発事故がもたらした教訓(コメントに答える)

(被害地域では具体的に生活の見直しが迫られている)


喩えが馬鹿すぎ
江戸時代の生活を引き比べる勇気が本当にあるなら
ネット切って山奥に篭れ
お前がこのくだらないブログを書いている瞬間にも、ゼロエネルギーではない電気を消耗しています

●ネットは山奥でも普及すべき


自分は2チャンネル的論争はしない、無責任な表面的議論にしかならない、でもこれは要点をついているのでとりあげた。正直自分自身も相当に現代の文明の恩恵にあづかったぜいたくな生活をしてきた。違っているといえば車を持たないことくらいだった。一万くらいの人口の田舎でも車なしで生活できる。もちろん仕事している人はまた違っている。田舎で車なしで生活できないということはない、ただ自分の場合、町内に住んでいるからそれができる。ス-パ-も近いからできる。鉄道の駅も近かった。だから仕事しないなら車なしで生活できる。その他はク-ラ-も使っていたし今の生活水準と同じである。

>ネット切って山奥に篭れ


こういうのは極論だから議論にはならない。ネットが通信がそんなに電気を使うかと言えばそうではないだろう。むしろ本当に電気をエネルギ-を使うものは何なのか議論しなければならない、車が石油エネルギ-をどれだけ使っているかエアコンがどれだけ電気を使っているかその比ではないだろう。むしろ自分はインタ-ネットはもっと山奥でも普及すべきである。その電気はそんなに消費しない。電子本などももっと普及すべきである。そしたら山奥でも都会と同じく情報的には差がなくなるだろう。アマゾンで買うにしても車を使うから相当なエネルギ-を運ぶのに消耗しているからだ。ネットではそういうことはない。すべての電気を否定して江戸時代に帰れというのは暴論なのである。そういうことは自分はこれまで書いてきた。

●原発事故被害者地域は具体的に生活の見直しが迫られている


自分自身の反省としても現代の電気文明の恩恵を相当に受けて生活してきた。そのことは否定できないし。でもこの辺では原発事故で多大の被害を受けた。家族はばらばらになり故郷は失うとかありえないようなことが現実化したのである。そこで原発に近い双葉辺りの人が家族一緒に暮らせるならロウソクでもいいと心から思ったのである。このことが大事なことだったのである。これはただ自分がそうだったように何か空想的に江戸時代に帰りたいとか江戸時代がいいというのではない、具体的に実践しようとすることが原発事故で強いられて生まれた言葉だった。原発は災難だったが原発被害地域はより具体的に今までの電気文明の恩恵を具体的に見直すことを強いられたのである。


これまでいろいろ津浪や原発事故で書いてきた。なぜこれほどまで書いたのか?それはただ今までのように空想的に江戸時代かいいとかではない。深刻な現実問題としてこの辺では強いられたからである。文明を否定することそれが具体的なも問題として自らの生活を見直すことが強いられたのである。だから原発事故は災難であってもこの地域は本当に豊かな電気文明をすべてではないにしろ否定する生活を実践する場となる。思想が現実生活から離れたものではなく具体的に現実の場で実践する場と変わりえる場になる。またそうすることが日本や世界の未来のモデルとなることまで提供する。
つまり原発がなくても生きていける、過剰にエネルギ-を消費しなくても生活できる場である。
こういうことは東京辺りで反原発のデモをしている人たちにも言える。デモに行ったけど暑くて暑くてどんどんク-ラ-て冷やしてくれとかなっていたらこの人の言うことがあてはまる。反原発でもそういう人たちが多いから批判されるのである。


●入院して学んだこと(粗食に帰れ、自然の恵みに感謝せよ)


病院の食事は粗末である。サシミとか肉料理などでない、本当に粗食である。普通アジフライなんか食べない、サシミとか食べていた。アジフライも食べて見ればうまいと思った。正直自分は料理はしていなかった。買ったものでまにあわせていた。ただ食事は用意するだけで相当なエネルギ-を使うものだと思った。食器を洗ったり配膳するだけで時間を使う、するとこうしたネットとか読書とか芸術の創造に時間をかけられないのだ。だから三食粗末でも与えられた食事がありがたいと思った。
料理には実は料理を作るだけではない手間がいろいろとかかっているのである。
人間は食べものでもあまりにも贅沢しすぎたのである。これほどのものを食べていいのか疑問だった。でもそういう生活を自分もしていた。しかしその反省を原発事故で嫌でも強いられたのである。弁当とか買ってご飯も一膳も食べていないのでやせたと思ったら太っていた。
間食して太っていたのである。人間は現代ではやせようとしてもやせられないのは食べ物があふれているからどうしてもそうなる。アメリカは肥満の国なように日本もそうなる。栄養をとらないようにしてもとってしまうのが現実だった。その反省を病院でした。

そして津浪、原発事故は天からの警告であり神の怒りでもあった。


佐用共立病院(兵庫県佐用町)で女性入院患者=当時(85)=が肋骨(ろっこつ)を折られた事件で、傷害容疑で逮捕された同病院の看護師羽室沙百理(はむろ さおり)容疑者(26)が、動機について患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」などという趣旨の供述をしていることが12日、捜査関係者への取材で分かった


このことは何か変な話しだけどこんなことがあるのかと思う事件だけどこれを今回の津浪にもあてはまる。原発事故にもあてはまる。「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」ええ、こんなこと思っていたのと一瞬いぶかったしそんな人がいるのかと思った。病院の悪いところは書いたがいい面は病院は感謝に満ちている場所である。看護師に何かしてもらうにもちょっとしたことでもいちいちありがとうといい感謝している。そんな職場はほかにない、それで掃除婦まで実は感謝されているのだ。これなど他ではありえないことである。掃除婦すら看護師と同じ様な働きをしているのだ。
その人は年をとり脚が普通ではない、歩き方だった。なぜこんなにしてまで働いているのだろうと思った。おそらく金のためではない、生きがいのためである。何故なら病院は感謝している人が多いから感謝されるからあんな脚でも仕事している。そういう人が他の病院でもいた。老後は何もしないでいるのも嫌だから生きがいのためにしている。安月給でもしいると言っていたからだ。ボランティアで働く人もいたことでもわかる。


人間よ、お前たち私はどれほどの恵みを与えているのか、それでもまだお前たちの欲望がきりがない、その欲はきりがない、恵みを与えても神に感謝もしない、だから神は怒り津浪を起こし罰してやったのだ、よくよく考えよ、感謝の心をもて、これは私の警告である。


「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」これは一見唐突に思ったがそうでもなかったのである。神は感謝しない人間に憤り津浪という罰を災害を与えたのである。確かに双葉地域はこの辺は過去は貧しい地域だった。でも江戸時代から人は暮らしていて米でも野菜でも水の恵みでも神に感謝して生活してきたのである。江戸時代がモラル的に現代より高かったということを再三言ってきたがそれは生活そのものが質素でありその質素でも神に自然に感謝する生活をしてきたからその心も素直な素朴な人が多かったのである。その生活そのものにモラルを形成するものがあったのだ。

食事が粗末でも感謝した生活があった。毎日米が食べれれば幸せだとかなっていた。それが現代はあらゆるものを貪り食べても満足しない、その欲望は限りなく原発でも何でも誘致して金になればいいとなった。そのことはこの辺でも被害者でも反省していない、でもロウソクでもいい一家がみんな一緒に生活できるならとなったのはそれは学者の理論ではない、心からそういう生活を実践しようとする思想が生まれた。地に足がついた思想が生まれたのである。逆にそういう実践的志向がうまれたことはこの辺の被害者地域の希望となるというのも逆説である。

 


 

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2012年09月09日

食べものが料理が人間にもたらすもの (神に自然に感謝しないものは呪われる)


食べものが料理が人間にもたらすもの

(神に自然に感謝しないものは呪われる)

料理一つとってもそこには複雑な要素があった。自分一人で料理してみてわかった。料理はまず素材として野菜であれ肉であれ用意する、それからそれを運び並べるのが結構手間なのである。それらを全部一人でやることが手間なのである。だから病院などで食堂でもそういう手間がないからその手間に感謝するということがある。しかしそんなことを注目している人はあまりいない、この料理がうまいかとうかで価値は決められる。料理人の腕が注目される。しかし料理の素材として提供されるものにもあまり注目されていない、なぜ米が野菜がとれるのか肉が食べれるのか注目されていないしその行程も見えないのが現代世界である。田舎では米がどうしてとれるか現実に見ているから農家でなくても実感として理解できる。東京辺りでは田んぼがないから米がもたらされてもそれがどうして作られるのか理解しにくい。ス-パ-に行けば米はあるよとなる。金さえあればいつも食料は買えるよとなり誰も食料を感謝してなど食べないだろう。金の悪弊として人は金の力が余りにも今は大きいから金が神のようになっているから食料となるものに感謝しない。金によってあらゆるものがもたらされると錯覚する。でも金は金属であり紙でしかないのだ。そこに現代の盲点がある。


病院で経験したことは全く受け身となり料理が毎日もたらされたことである。そこには運ぶ手間がありその手間にも感謝する。病院は運んできてくれた看護師にありがとうとみんな言って感謝している。そんなことレストランでは言わないし感謝もしない、当たり前である。常に「俺は金をはらっているんだ、もっと愛想よくしろ」となりもっとサ-ビスしろよとなる。でも不思議なのは病院では料理を運んできてくれた看護師にみんなありがとうと感謝しているのは不思議である。病院の悪い点を書いてきたがいい点もある。人と人が互いにあれほど気づかっているのも不思議だった。病気だから互いに気づかうということはある。病気が軽いからまだ相手を気づかう余裕があるといえばそうである。重度になれば相手を気づかうことなどできなくなる。病院ほど労働に感謝している場はない、掃除婦にもありがとうと言っている。みんな病人で世話になるからそうなっているのか?他では掃除している人などに感謝している人などいないだろう。


ただ人間は感謝するとき本当は肝心なものに感謝していない、料理の基となる米とか野菜でもどうして作られるのだろうか?そこまで考察する人はいないだろう。米でも根本的には土があり光があり水がなければ作れない、その恵みは誰が与えたものなのか?すると地球を作った神がいてすべての食物は与えられたから地球を作った神に感謝すべきだとなる。そこまで思いをはせる人は少ない、食物を作るにはどんなに人間の手を加えようが根本的に土や水や光がなければ作れないのである。食料を作ってくださる農家の人の手間には感謝する。だが農家の人だけ食料は作れない、それを一番知っているのは農家の人である。なぜなら自ら作付けして育てたものを収穫するとき、人は自然とまさに神がその実りを与えてくださったと理屈ではないものとして会得している。だから水をもたらす山に信仰が生まれたのだろう。米でも米の神様に祈り祭っていたこともわかる。


動物の肉を食べるにしても動物はなぜ育つのか?肉食動物があるにしろ動物は草食動物であり草を食べて肉を作っているのだ。その草は土と水と光がないと作れない、そこに感謝している人はいない、人間は文明が高度に発達すると自然から遊離してくるからますます食物がどうしてもたらされるのか実感できなくなる。東京のように一千万人の食卓に提供する食料があること自体不思議である。
回りには田んぼもなにもない、コンクリ-トジャングルであり土も水も見えない世界である。そういう世界に人は普通に今は住んでいる。田舎だったら農家の人は以前として食料を生産しているのだから自然からもたらされるものが何か理屈ではなく感じている。


人間の命の基は土であり水であり光である。そして魚でも動物でも食べるときはやはり食べられる方は犠牲になっている。特に動物は血を流して犠牲になっている。魚さえ血を流している。だから植物を食べるよりより感謝せねばならない、宗教的にはインドのように肉が食べない方が理想的である。人間はこうして当たり前だった世界から離れ自然がみえなくなったとき災いが自然から神からもたらされる。今ほどあらゆるものを食べている時代はない、それ自体が異常なことだと気づくべきである。そういうところから原発事故も生まれてきた。電気はそもそも自然の光とかとは違う。原発を神のように崇拝するという映画あったけどまさにそこに危険があったのだ。崇拝すべきものは原発を作り出すものであり科学者はそこで司祭となり権力となるから政治家も民衆もあらゆる人が仕えることになる。しかしそこに呪いが隠されていたのである。


原子力を崇めることを神が偶像のように拒否したのかもしれない、それで破壊したのかもしれない、感謝すべきものは原子力ではない、電気でもない、土であり光であり水なのである。人間の技ではない、直接神の業なるものから作られたものなのである。それに感謝しないものは呪われるのである。

2012年09月10日

秋鴎(人生は過酷だ-苦しみの五年間をふりかえる)


秋鴎(人生は過酷だ-苦しみの五年間をふりかえる)



川べりに釣り人二人鴨の二羽


津浪来し真野川にしも秋鴎


みちのくに夕陽の没るや秋燕


我がもとへ夕陽のさして秋の蝶

弱きものあわれや知れじ片隅に一人し耐えて虫の鳴くかな

今日は暑かったけど風が秋風であり涼しかった。もうそろそろ明かに秋の気配である。夕陽もあきめいていて陽差しが衰えている。つくづく人生は過酷だった。30年間はあまりに恵まれた境遇であった。しかし家族の認知症からすべてが狂った。そこから塗炭の苦しみがはじまった。家族がばらばらになり助けもなく奔走した。その間に病気になったことがいたかった。早めに行けばもっと軽いものとして治った。介護のために悪化させたのである。結局病気は人間を狂わせてしまう大きな要因である。若いとき病気の人をかかえた人はただ人生を呪詛するものとなった。人生をその人のために棒にふったということで恨みとなる。自分も例え苦しくても病気にならなければ災難からまねがれたことがあった。病院に緊急入院してその間に家のことでひどいめにあった。病気にならなかったらそうはならなかった。火事場泥棒だった。凶悪な犯罪に遭遇してしまった。一人は死んだがまた一人介護はつづいた。

その間に津浪や原発事故が起きた、幸い津浪の被害はなく原発も30キロ圏外で救われた。

それでもその間、医者にはいじめられ今度は自分が入院したら看護師にはいじめられ遠い親戚を頼るしかなくいじめられた。本当にここ五年間起きたことは何なのだろうと思った。それは自分だけではない津浪、原発事故で起きたことはさらに自分より悲惨だった。大船渡で家族五人とか死んで自殺した人がいた。あまりの衝撃が津波にあった。一人だけ家族が死んで残された人もそれなりにいる。
ただ悲嘆に暮れて泣いているほかなかった。本当に人生は過酷だなとつくづく思う。津浪の跡はそれを一番良く示している。その光景はまさに自分の苦しみの非情な索漠とした光景と重なる。
この世の人間の非情と自然の非情が重なった。だからまさに自分自身が経験したことは末世であり地獄だったのである。自分だけではないさらに津浪の被害者は地獄だったのである。
(地獄ぞ一定のすみかなり-親鸞)というときまさに地獄に生きた人が残した言葉でありそれとこの辺の状態は通じているのだ。


戦争はさらに過酷だった。300万人以上が死んだのだからその過酷さは想像を絶する。しかしそれほど感じないのは戦争というものを実感しえないからである。その渦中に巻き込まれたら生きるか死ぬかであり生きた心地もしなかっただろう。他にも北海道に開拓に入って病気になった詩人が人生を呪詛して若くして死んだ。そういう過酷な人生はいたるところにある。ただ自分にはなかっただけである。それを五年間は身をもって体験した。一身上でもそうだったが今や回りが過酷なものとなった。その先は見えない、過酷というとき相馬藩とかに起きた飢饉などよりはましなのだろう。仮設にいる人は食べものには窮することはない、補償金をかなりもらっているからだ。家族八人とかいる人が仮設にいた。その人はマグロのサシミを毎日のように食っているという、もともと漁師だからそういう生活をしていたからそれは変わらなかった。金があるから変わる必要がなかったのである。だからそうした飢えるとかの深刻さはないのである。


しかし人生とはみんなもともと過酷なものであった。金の卵とか集団就職した人もそうである。自分は大学に行ったのだからそういう過酷な人生を歩む必要もなかったのである。過酷な人生はみんな普通にあったのだろう。自分の父親も丁稚奉公であり一人は従軍看護婦であり母は戦前紡績工場で十年働いたとか過酷だった。人生は過酷であり犠牲にされる。猪狩満直なども才能があったが発揮せずに終わった。そんな人はいくらでもいるのだろう。才能を発揮し得る環境を与えられた人はまれだろう。

人生があまりにも過酷だと自分の人生を呪うようになるのも人間である。なぜ自分だけがこんな苦しまなければならないかとなる。楽な人生を歩んだ人を見ると余計にそう思うだろう。それもまた宿命なのだろうか?しかし楽の元は苦の元は楽になる。あまりにも楽していたら必ず苦になる。なぜなら人生が過酷だとするとき苦が必ず来るからだ。病気をまねがれることはできないことでもわかる。
ともかくこの五年間は苦しみの連続だったしその継続がまだつづいている。ただ苦しみもやがて喜びに楽に通じることもある。楽ばかりしたら必ず苦がくる。それが人生の掟であり逃れることはできないのである。



真野川に津浪がきても堤防は決壊しなかった。決壊したらさらに大きな被害になった。石巻の大川小学校は川を津浪がさかのぼってきたから大きな被害になった。多賀城でも川をさかのぼって被害があった。今日は秋の鴎が夕べ飛んで海の方に去って行った。ともかく震災から一年半被災地にはいろいろなことがあった。今回の手術入院に二週間でも大きな経験となった。だからそのつづきがかなりある。

2012年09月12日

一年半過ぎた津浪原発の被災地 (相馬市の病院に行く)

 

一年半過ぎた津浪原発の被災地

(相馬市の病院に行く)


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草ぼうぼうの鹿島駅

草むして駅の淋しき秋の蝶


日立木を越えて相馬市実りかな


ひまわりの車窓に一時走り去る

●駅員と話しする


この辺は原町-相馬市間は電車が一時間おきくらいに通っている。ただ鹿島駅が草茫々になっていた。この風景がこの辺を象徴的に示している光景だった。誰も草も刈らない、整備できない、電車は遠くこないから別にかまわないとかなり放置される。
「常磐線は仙台までいつ通りますか」
「三年でできますよ、用地買収さえできればね」
「そういうもんですか、三年でできますか」
「東日本鉄道は黒字経営ですから、でも全部負担させられるから大変でしょう」
「病院に行くんですよ、車がないので電車は便利です、病院は本当に大事ですよ
いい病院がなかったら治る病気も治りませんから」
そんな話しを誰いないから駅員とした。しかし駅のホ-ムが草茫々になっている心理的影響が大きいのである。心まで草茫々になってしまう。日立木を越えると稲の実りがあるがら普通の光景になる。帰りは車窓からひまわりが見えて一時の電車にのることは楽しめた。


●手術は何でもリスクがともなっている


相馬総合病院では近くの人が入院するところだった。同じ泌尿器だけど前立腺関係ではなかった。そういう話を聞いていたのでそうだと思った。その人は職人であり筋骨隆々としていたが急激に老いた。重篤な病人になっていた。顔色も悪い。車椅子を押されて入院であった。病気は胆嚢だとか言っていたが詳しくかはわからない。あの様子をみたけど自分が入院した人たちとはあまりにも違っていた。しゃべることもできないような状態に見えた。そして贅肉がついて太っていた。
ともかく人間の病気は本当に万病がある。泌尿器科でも種類が多いのである。自分は手術が他の人より倍かかり前立腺からの出血がひどかった。それで手術跡に輸血した。それなりに危険性もあったのだ。


前立腺肥大のための手術で、手術中に患者が大量出血する。病院は止血措置をとり、4時間で止血が完了する。この間、低血圧が20〜30分続く。その日の夜に手術が成功する。しかし自発呼吸なし。その後意識が戻らず、数日後に死亡。原因は脳浮腫。


400ccもの出血があった点について泌尿器科の医師に問い合わせると、血管を切ったのだろうと言われる。問題は、血管を切ったのがミスかどうか。手術なので血管を切るのは当たり前だが、その場合でも止血措置が適切だったのかは問題。
事前に400ccの自己血をとっていたが、これは出血を予想しているから。しかしその20倍の出血は予想されてないはず
www.law.osaka-u.ac.jp/clpp/achieve/lawyering/doc/071220.doc


自分も手術後400ccは輸血した。この人の出血は多すぎたから死んだ。前立腺肥大手術は事前には危険のない簡単なものだと思っていた。しかし手術は何でもリスクがある。医療ミスがありそれか怖いのである。自分の場合も2時間つづき出血が多かった。前立腺か大きかったからである。それでやはり出血が多かった。それで手術後も血尿がでるので病院に行った。血をとめる注射をしてもらったり薬ももらう。血が何か気味悪いのである。出血が多かったから長くかかると言われた。とにかく病気は何かと不安にさせられるのだ。


そしてつくづくこの辺ではもう医者や病院を選ぶことはできない、南相馬市立病院では二棟病棟しか屋ていない。医者は外部から来ているが子供をもった看護師が流出しているからできないという。
医療は医者だけではできない必ず看護師などが必要なのである。チ-ムワ-クなのが医療なのである。この辺ではもう病気になったら早めに死ぬほかないかもしれない、他だったら大都会だったら医者を選び直せる病気があってもできない、仙台の方にあればできるとしても通うのが大変になる。電車も通らないとか乗り物には長く乗るなとか手術後指示されたら通いようがないからだ。
この辺ではもう直せる病気も治せない、江戸時代のように薬師堂にでも祈るほかなくなる。


●原発事故は心理的ダメ-ジが大きかった


これは原発事故などで医療の過疎地帯がさらに悪い状態になった。津浪や原発事故から一年半すぎたけどなぜ復興できないのか?それは津浪や原発事故が心理的ダメ-ジが大きすぎたためである。原発事故でも小高など別にたいして放射線量は高くない、そもそも政府で立入禁止区域にしたことがわからなかった。人為的に国境線のようなものがひかれその中は荒廃した。その状態をみて小高の人は帰れるのに帰りたくないとかなった。実際は放射能はそれほどのものではないから帰ってもいいのだけど心理的にそういう帰りたいという気持ちを萎縮させたのである。つまり放射能被害は非情に心理的影響が風評被害が大きいのである。放射能の影響が実際のところはどれだけあるのかわからないにしても心理的にすでに放射能地域の食べものは食べたくないという風評被害であり科学的根拠からではないものにしても心理的影響が大きいのである。


例えば景気は気の持ちようで景気は良くなるというときそうである。現実に過酷な被害であってもそれが何倍もの風評被害、心理的ダメ-ジを与えているのである。自分にしても何か原発事故の中心地帯に近いといいイメ-ジをもてない、実際は放射能はたいしたことがなくても心理的にそう思わさせられたのが20キロ圏とか30キロ圏とかの設定だったのである。だから原町の方には住みたくないし相馬市の方に住みたいと心理的になってしまう、心理的にそうさせられたというのが放射能被害だったのである。

小高は別に国によって封鎖された結果、かえって荒廃した。別に実際は放射能はそれほどでないのにそう思わされてしまった。外部からもそう思われる。放射能は心理的影響が一番大きい災害であった。放射能はどれだけ被害をだすかわからないのにその何倍もの心配もして若い人が流出したのである。放射能はそうした実際の被害がわからないのにその何倍の影響があると思わせたのである。
この心理的ダメ-ジから脱するには開き直ることしかないかもしれない、老人だったらできるだろう。俺たちはもうここで死ぬんだ、放射能などどうでもいいとかなりうる。実際そう言っている80以上の人が多くいる。ただ高齢者は若い人の助けなくして生活できない、それがなければそういう人たちはもう残り少ない余命をしたいようにさせろとなる。
posted by 老鶯 at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年09月13日

露草(難民化した仮設も一年半過ぎた)


露草(難民化した仮設も一年半過ぎた)


目に入りぬ露草消えじどこまでも


争わず菊の二色や今日も暮る


朝顔の二色や静か朝歩む


さし昇る朝日に向かいひまわりの百輪ほどのそろい咲くかな



相馬市は自然は別に変わっていない、ただ今日ニュ-スで亘理で住宅地に鷺の大群が集まって困ったという。海の方の森を巣としていたのだが津浪で流されて移ってきたらしい。この辺でも田がないから鷺は夏に川でしかみかけなかった。鷺はあまり移動しないらしい、定着型の鳥だった。

人間もそうだけど津浪や原発被害でこの移動した鳥ではないけどやはり仮設住宅の多さで迷惑に感じる人もいるだろう。回りで必ずしも歓迎するというものでもない、何か原発難民にされた。難民というと自分の住む場所をもっていない、流浪する民となる。ベトナム難民とか戦争では難民がいろいろ生まれた。南相馬市の高校生だったかアフガニスタンの人と交流したというのもわかる。向こうは戦争だけどここもにているのだ。難民というと市民でもない村民でもない、なかなか回りで受け入れるということも抵抗がある。ただ今回は難民化した人たちには責任はない、別に補償金ももらっているから食うことに困ることはない、ただ難民になった人たちでも一年半も過ぎると最初はボランティアとかが入りかわいそうな人たちとして援助があったがだんだんそれもなくなってゆく、すると自分の土地も家も故郷ももたない難民意識が強くなってくる。現実に国自体を失った人たちはいる。ユダヤ人などがそうだがその人たちは2千年も難民だった。普通だったら民族自体同化されて消えるのだが二千年間民族は維持された。


今回の難民はそんなことにはならない、そんな結束もないから双葉町とか大熊町は消えるかもしれない浪江町とかも危ない。俺たちはどこまでも浪江町民として生きるのだという強い結束はもてないだろう。徐々に時間がたつにしてもう帰れないとなりあきらめて別な市町村民になる。別にそれでも日本人には変わりないからである。南相馬市などは小高の人など大量に移動して原町や鹿島では人口がふえた。鹿島などは人口が少ないから人口が多くなると活気がでてきた。医者だって歯医者をのぞいては二軒しかなく便利なものもない、たいがい原町に買い物に行っている。でも遠いと不便なものがある。医者などは近くにいると助かるのだ。もし人口が増えれば医者や便利なものが増える。するとかえって住みやすくなるのだ。ただ人口を増やすには仕事がないとだめである。その仕事がないと定着はできない、浪江の人が二本松に会社があって通っているというがとても通いつづけられないから二本松に移るようになるだろう。


コンパクトシティのことが言われたが期せずして原発難民が集まり人口が街の中心部に集まりそうなった。なぜコンパクトシティが望まれるのか?結局福祉にしても田舎だと訪問するのにも一軒一軒離れているから手間と時間がかかりすぎるのである。街の中心部にそうした高齢者でも集まっていれば街内で対応できるから便利なのである。仮設住宅のことで面白かったのは80歳の人だったか、仮設で死にたいと言っていた。その人は一人暮らしだから仮設の方がいいとなってしまった。何故なら仮設は長屋のようになっていて一人暮らしの人でも声かけるし気にかけてくれる。一人暮らしは普通だと声かける人もいない孤独死が問題になった。それで仮設で死にたいとなった。その気持ちが家族のない人でしかわからない、家族のない人は誰も声かけないし心配する人もいないのである。

一人暮らしの高齢者の長屋風住宅を相馬市で作ったのはそういうことがあるからだ。
ただ仮設はついの棲家ではない、一時的なものである。仮設自体非常事態のものだからそんなに長く住めない、それに代わるものも必要になってくる。でもそれだけの仕事が用意できるかとなるとむずかしい。そもそも老人とか病人ばかりふえてそれらを世話することばかりが仕事になるということは経済的に成り立たないだろう。ともかく仮設に住む人もそうだけど回りでもみんな違和感をもつから困ったものなのである。

自然が変わったというとき津浪の跡や草ぼうぼうの道端に延々と露草が咲いている。今は実りの季節だけどそれがない、でも花は咲いている。露草が絶えることなく咲いている。ひまわり畑も多く今頃から咲き始めている。稲穂の実りがない世界でも自然が全部消えたわけではない、稲雀というごとくそういうものはなくなっている。蛙の鳴き声も今年は聞こえなかった。そういう自然の変化や人の変化が今もつづいている。

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中心部に人が住んで耕作地帯は無人と化すけど会社のようなもので集団で管理して
車で出張して耕作する、その回りは自然環境地帯にする

ただこれだと村が消えるから各村から郷士として出陣する野馬追いには違和感を感じる

でも津浪や原発被害地域は新しい発想が必要になっている

2012年09月14日

夏尽きる(高齢化社会の一風景)


夏尽きる(高齢化社会の一風景)



木槿咲き隣の人と話すかな


草そよぎ夕風涼し津浪跡


草原に点々眠る夏の蝶


白髭のライダ-走る夏の暮


秋の灯や誰か住むなれ近きかな


ホ-ムにそ隣合い寝て秋となる


身の上を語るを聞きぬ夏尽きる


今年は暑い、こう暑いと何もする気がしない、夕方になり涼しくなった。秋は秋なのだけど昼間は真夏である。津浪の跡は見晴らしが良くなったから風が前より涼しく感じる。気持ちでそうなっている。家が見えず海に直結しているから景色的にも涼しい感じになる。ともかくこの辺の自然感覚は津浪と原発事故で変わってしまった。草原の景色には意外とあうものがあった。蝶でも鳥でも草原を飛んでいるのは気持ちいいのである。だからモンゴルの夏は本当に爽快なことはまちがいない、一回行ったがどこまでも草原になっている世界は全く違った自然なのである。ここは明かに北海道の景色である。


隣の人と話ししたがその人も四年間も病気で寝ていたのであるが直ったといっている。ただ顔が歪んでいて前とは違っている。病気すると本当に顔から体つきまで変わる。かなり重症のように見えていたが直ったと喜んでいた。入院したと知って家に来た人はこの人一人だった。とにかく高齢化社会は病気の社会なのである。もう一人隣の人は足を悪くして中通りの施設に入っているという。浜通りでは入る施設がないのである。他にも夫を介護している人もいる。最近病気で死んだ人もいる。

相馬総合病院では畳を作ってくれた人が重篤な病気になっていた。その介護となるとまた大変な苦労を強いられる。高齢化社会はとにかく実際は健康な社会ではない、大量の病人をかかえる社会なのである。なぜなら85くらいから何らかたいがい体が不調となり介護状態になる。それはすでに今はそうでなくても目に見えている。いつ倒れるのかわからない状態なのである。その時介護する人が家族が少ないからいない、介護するには少なくても二人いると楽なのである。その二人がいない、一人だとその一人にすべての負担がかかるのである。ホ-ムにあづけて何か楽である。


ホ-ムでは90歳の人が自分の身の上話を盛んにしていた。何か自分の境遇は反対だったので興味深く聞いた。こんな人生もあったのだとつくづく人生模様は本当に人様々である。若い人はなかなか経験がないから高齢者と語りにくいだろう。体の世話をしても高齢者の話し相手にはなりにくい。60代の人は話し相手になれる。子供の世代だからである。ただここにいると馬鹿になっちゃうよとか母が言っていたが何でも与えてもらい何もすることがないとそうなる。家ではまだちょっとでも洗い物していたからだ。隣の人は気丈夫な人で寝ていたが話すこともしっかりしているし元気だった。自分を叱咤したりししているから元気である。ところが中に椅子に座っている人たちは何かぼ-としていて死んだ目をしていた。隣の人は5月に入ったばかりだからそうではなかった。でもだんだん施設にいるとそうなってしまうかもしれない、人間は最後まで何か気を張るものが必要なのである。それがぼけない秘訣でもある。


ともかく秋なんだけど暑すぎた。街の外の一軒家に灯がともる、誰が住んでいるのだろう、近くでもどんな人が住んでいるかわかりにくいのが現代である。もちろん仮設に住んでいる人はほとんどわからない。仮設は一軒一軒と見ない、集団として見ている。一軒の家ではないからだ。ただ小高の人たちが住んでいるという集団として見ているのである。


白髭のライダ-は飛ばして走り去った。これも現代的風景だった。60代でもバイクに乗っていた人はバイクにのるし自転車に乗っていた人は自転車にのる。サドルにおしつけると手術した所が悪いと思いサドルに触らないように立って乗ってみる。するとこれはマウンテンバイクの悪路行く乗り方で面白かった。マウテンバイクも面白いものである。団塊の世代はいろいろと遊びを覚えた世代なのである。そこが戦前生まれと違っているのだ。

 

2012年09月15日

秋彼岸(実家の墓参り-墓の不思議)

 
秋彼岸(実家の墓参り-墓の不思議)



死者いかにまた巡りきて秋彼岸


点々とソバナの花のうなだれて秋の蝉なきあわれ深まる

墓も不思議なものである。親の名前が刻まれていない墓のことを書いたけどその人は相当な親不幸な人である。親子でも肉親でもすべてが情が通じるわけではない、もらった子の方に情が通じる場合もある。肉親でも子供が親をすべて思うこともないし全く他人と変わりないものも結構多いのである。結局人間は親も兄弟も他人だということがわかる。親も他人であり子も実際は他人であり他人になってさ祖本当の愛がありうる。宗教が肉親とか血縁の愛を否定することがわかる。親が肉親ではない、他人になったとき本当に愛することができるのだ。それは別に親だからというのではない、人間として愛することである。それが本当の愛だともなる。


また墓の不思議は墓掃除したり何回も行っているき変だけど墓に親しみを感じる。そして死んだ人の名前を呼んでみる、するとその人が確かにそこにいるような感じになるのだ。特にいつも思うのが25歳で肺病で死んだ25歳の母の兄である。その人とは一回もあっていないしどんな顔の人かもわからない、ただ肺病で死んだということだけを知っているのだ。でも不思議なのは何回も掃除や墓参りに行っていたらその人を身近に感じるというかその人がいるような感じになった。なぜなら墓は明かに死んだ人を意識させられる場所である。例え一行の名前でもその人が何で死んだとか何歳で死んだとかしかしらなくてもそこで死んだ人の名前を呼んでいると何か親しみを感じるのである。母の実家の人とはほとんどあったり親しい間柄ではない、でも死んでから母の代わりに墓を作ったり墓参りした結果親しく感じたのである。


秋彼岸というのも季節的にいい、爽やかになる頃だからだ。これは仏教とは関係ない日本の文化である。姉が死んだのは9月21日だったのである。この日は命日だったのである。菊だけではない竜胆の花などさすのもいい、ただ生花は枯れやすい、枯れたままにしていると何か汚いものとなる。枯れた花は取り除くべきだがどうしても墓にそんなに来れない,するとそのままに枯れた花になっている。墓もやはり時々きて掃除したりみてないとだめなのである。だから遠くて墓をみれない人の墓は荒れてしまうのである。すると墓を移すほかなくなる。そうしている人もいる。最後は墓参りが仕事になっている高齢者もいる。墓はそれだけよりどころだともなる。だから津浪で墓を流された人たちや原発で故郷を離れ墓を置き去りにした人たちは悩んでいるのである。

 

2012年09月17日

病院の恐怖(実験台にされる弱者)


病院の恐怖(実験台にされる弱者)


あたしは、身よりが無いから、もし、あたしが死んだら、どうなるか、根ほり葉ほり聞いてきましたまず、病院と葬儀屋が、供養してくれるらしい。
その後、どっかの大学病院に送られ、研修生たちの実験台になるらしい。

それで…
やっと、人の役に立てるかな…


大学病院ではないけれど大きな総合病院は研修生がいっぱいですね。
長男が怪我をしたとき近くの外科を知らなかったので大きな病院へ行きました。
診療時間外だったこともあり研修医の実験台に・・・
一針縫ったところで担当医師と交代して縫い直されました。
その病院に手術入院した近所の人の話では歩くとき医師の並ぶ順番が決まっていたそうです。
手術室へ向かう廊下で若い医師が部長先生を追い越して激怒されたとか・・・


「手術やらんと死ぬ」 奈良・山本病院理事長

奈良県大和郡山市の医療法人雄山会「山本病院」が生活保護受給者の診療報酬を不正に受給していたとされる事件で、
医師でもある病院理事長(51)が来院した生活保護受給者の症状を十分確認せず「これやらんと死ぬで」と
心臓カテーテル手術を熱心に勧めていたことが23日、病院関係者への取材で分かった。


架空の手術による診療報酬の詐取容疑のほか、不要な手術をして診療報酬を得ていた可能性もあり、県警捜査2課は経緯を詳しく調べる。

病院側は取材に「対応できる者がいないので分からない」としている。
むかしもてはやされた術式がどれだけあわれな後遺症を持つ患者を生み出してきたか。
手術が上手なだけの医者はいない。その影に泣かせたあまたの患者あり。


実際、私自身が市立病院に入院中に焼身自殺未遂で緊急入院したホームレスが治療途中で追い出されたパターンを直に見ていますよ。


 



病院には実際いろいろな恐怖がある。手術にしても不安がある。自分の場合、手術中に笑って手術していた。これはたいした手術ではないから笑う余裕があるのかと思っていた。でも何か不謹慎に思えた。結構出血が多くあとで輸血した。手術が長びいたのは前立腺肥大が大きくなっていたからである。手術はどんな手術でもリスクがともなう。前立腺肥大でも手術で死んだ人はいた。ともかく医療というのは医療ミスが交通事故と同じ様にある。親戚の人は一年くらいたってから手術で残したガ-ゼが膀胱からでてきた。これもありえないことだがこういうことは他でも普通に起こっている。何らか医療ミスにあわない人はいないのである。それほど医療ミスは日常的に起こっている。自分も幼児の時注射されたところが股の所に広く残って火傷したようになっている。これも注射の医療ミスだった。医療ミスの怖さはあとあとまで傷や後遺症を残してしまうことである。医療ミスがあったとしてもそれで責任を問われる医者は極わずかである。必ず隠蔽される仕組みになっている。そうでもしなければもはや医療はできないとまで医療ミスは日常的に起こっているのだ。手術ミスで病院の前で焼身自殺した人もいた。それほど医療ミスは深刻であるからそうなった。命さえ奪われるからそうなる。

医療は常に実験の上に成り立っている。花岡清州が麻酔の実験で親族が失明したりしたのもそのためである。麻酔は今でも危険だという。何らかの副作用かある。薬も人間でどう効くのか実際に飲んでもらわなければわからないからそれの副作用で苦しむ人もでてくる。研修生はまず手術するのは生きた人間であり誰かが実験台にならなければ一人前の医者とはなれない、その研修生の実験台にされるのは弱者である。これはアメリカのことなのか自己負担で払う人は研修医ではない、担当医にみてもらい手術もしてしもらえるが自己負担をしていないと研修医になるという。自己負担している人は70歳以下では三割負担の人である。そういう負担をしない人がいると研修医の実験台にされる。保険もちゃんと払っていないと怖いとなる。


 手術が上手なだけの医者はいない。その影に泣かせたあまたの患者あり。


手術は失敗が多いということである。研修医の実験台にされればよけいそうなる。自分も手術後二週間もたっても血がとまらないので不安になった。手術が失敗したのかと不安になった。血止めの注射と薬を飲んだらぴたりととまった。今のところはほぼ普通の状態に回復している。病院では医者には何かと聞きにくいのだが手術する人は誰なのかくらいは聞いてもいいだろう。ただ医者は忙しいから聞くことがしにくいのだ。何か聞くにも診察は二三分で終わりだからゆっくり聞くことができないのである。特に相馬総合病院の泌尿器科はこみすぎる。8時に外来に行ってもすでに30番以降である。5時ころすでに病院に診察券をだしているという。ゆっくり聞く余裕がないし答える余裕もないのである。


あたしは、身よりが無いから、もし、あたしが死んだら、どうなるか、根ほり葉ほり聞いてきましたまず、病院と葬儀屋が、供養してくれるらしい。
その後、どっかの大学病院に送られ、研修生たちの実験台になるらしい


身寄りない人は本当に悲惨である。特に病気になると実際にわかる。誰もみるものがないから病院でも医者でも看護師でもそんざいにあつかわれやすい。手術するにしても一応保証人が必要であり書類に記される。その保証人がいない場合もある。自分はやっと遠い親戚だけどなってもらった。ただ名前を借りただけであり何かあっても責任はとらない。身寄りのない人は病院ではさらに危険になる。病院や医者のいいようにされてしまう。重篤な病気になったら自分の意志を表明することはできなくなくなるのも恐怖である。自分は二回入院しても全く健常者と変わりないからのりきれた。それでも今回手術となると厳しいものがあった。身寄りがないということは本当にこの世の非情を一身に受けることになるのだ。自分もこういうことは予想していなかった。余りにもめぐままれた結果そうなっしまった。今若い人で結婚していな人がふえている。すると自分のような身寄りのない人が膨大にふえてくる。その人たち60代以降病気になりやすい、その時大量の研修医の実験台になる。それは笑い事ではない、そういう未来がリアルに見えないからのんきなのである。両親は必ず死ぬし身寄りがないということは誰も助けないということなのである。その将来を深刻に考えている人はない、せめて兄弟がいる人は助けてもらえるかもしれない、そうでないと悲惨なことになる。


自分の親戚で養老院、昔の老人ホ-ムで長い間暮らしていた人がいた。その人のわがままでもあったが最後眼が見えなくなり異常になったのかと思った。その人の遺言は「解剖を献体を志願していた」。
施設に世話になったから医学の用にたててもらいたいとそう遺言していた。そして解剖されて大学から遺骨が自分の家に来て墓に葬った。墓はあったからほうむることができた。その人は乱暴な人でもあったけど最後はあわれだった。その人の墓参りは今でもしている。その人は全然身寄りがないというのではなかった。ただその人自身のわがままもありそうなってしまった。血のつながらなくても子供がいたしその子供に愛情をそそいでいたりしていればそうはならなかった。ただこれも複雑だからいちがいには言えない、最後は本当にあわれであり悲惨だった。医学のために献体したのでありこの意志は医者も重んじなければならないだろう。医者はやはり尊い命を犠牲にして成り立つということがある。施設に世話になっていたから何かに役立ちたい、何もないけど自分の体を役立ててくださいとなったのである。もちろんすでに90近いし十分に生きたからもう自分の体などどうでもいいともなるがやはり献体するということは何かみんなできない面もあるだろう。病院とか医者とか看護師でもこうして人間の命と直接かかわるからそこは常に深刻な問題の場所となるのである。

いづれにしろこの辺では病院に行ける、医者がいるだけでいいとかなっている。だから放射能の実験台にされたり病院でも医者でも選ぶこともできない、医者でも看護師でもいなくなっているのだからどんな医者でも看護師でもいるだけでいいとなっているのだ。何か文句を言ったりすることはここではできなくなっているのも損である。それが嫌なら他に移るほかないのである。本当に他の病院で医者でみてもらったら直るかもしれないとなれば移住する人はいる。それだけ病気とは深刻だからそうなってしまうのである。

 

2012年09月18日

相馬市の事情(駅前の花屋で話して思う)


相馬市の事情(駅前の花屋で話して思う)

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相馬市や秋風そよぎプラタナス

相馬市の街中の畑オクラの花

● 病院にて

相馬総合病院の泌尿器科の医者は好感がもてる。若い先生でも低姿勢なのである。若い先生でも
何か高ぶっている人がいる。南相馬市立病院の先生は何かとっつきにくく高ぶっていた感じがする。相馬総合病院の院長自体何かそういうところがない砕けた人なのである。一般的に医者はとっつきにくい、一段上にあり平等には話せない、若い人だとかえって話しやすいということもあった。気軽に聞けるということもあった。それなりの地位になると聞きにくいことがあるからだ。

そもそも南相馬市立病院は人間的には何か人に対するサ-ビス精神に欠けていたのかもしれない、看護師長というのもいなかったようだ。ここの看護師長は性格が陽気なのかにこやかに笑って接している。一人の看護師には嫌な目にあったとしても全体的には雰囲気がいいのである。
病院の評価はいろいろある。そもそも自分は二つの病院しかしらないから評価しようがないしこの辺では評価自体できないし選ぶこともできない、ただ病院によって相当違ったものになるというのもあるのだと思っただけである。南相馬市立病院は建物は豪華だったが医者とかは何かおごっているというかそういうものを感じた。看護師自体はそんなに変わっていない、指導体制ができていなかったのかもしれない、これはあくまでも主観的なものである。

小便は血止めの薬を飲んでぴたりととまった。きれいな小便だったので普通にももどったと思ったがそうではなかった。目に見えてはきれいでもまだ濁っているから水を一杯飲んで小便をだしてくださいと言っていた。やはり目には見えないけど検査すれば見える、放射能も目には見えないけど検査すれば見える。血の小便のようなものが手術後にそれも二週間後にどろどろでてきたので手術が失敗したかと思った。放射能でも血の小便のように色が変わったりすれば危機感を感じる。それが全然ないから全く危機感を感じない、だからこそ怖いということがある。放射能の怖さは人間の五感では感じられないことにあったのである。


● 相馬市の人口は増えていない

タクシ-の運転手に聞いた。
「相馬市の人口は他から移っている人でふえているでしょう」
「いや、減っていますよ」
「仮設などに入り人口はふえていると思ったけど」
「あの人たちは住所は相馬市ではないから人口にはなっていないですよ」
「そうか、住所は移していないから実際にふえても市の人口はふえていないんだ」
「税金も払っていないからお荷物ということもあるだよな」
「相馬市長はやりてだと聞いていますが・・・」
「まあ、自分の利益には熱心なんだけど、みんなには回ってこないよ」
若い人が減っているから衰退しているよ」

今になると一年半たって仮設の人は回りで必ずしもいいとは見なくなっている。その原因が相馬市にとってはあまり金にならないしいいことがないということもあった。仮設の人は補償金をもらっているからということが強調された。人間はどうしても金にこだわる。

今日も診てもらうまで4時間かかった。それで外にでて住宅地の所を歩み近くのス-パ-で買い物した。あそこのス-パ-には他にない惣菜を売っているのを知っていたからである。
あとで聞いたがあそこの住宅は古く「姥捨山」と地元で呼ばれているそうだ。なぜなら子供に捨てられたような高齢者が多い、葬式も出さなかったとかしきりにあとで聞いた。家賃は3千円くらいで最低である。田舎にはそうした市営の住宅が結構ある。その脇には最新のソ-ラ-パネラの屋根の豪邸が建っていた。その相違はあまりにも歴然としていた。あそこで建物をうらやむ人がいたがあの建物と古い住宅はまさに月とすっぽんである。


●駅前の花屋にて

駅前近くの花屋によって花を買った。電車を待つ時間をもてあましてその花屋に寄ったのである。
相馬市の事情をいろいろ聞いたのはその花屋だった。その人はあまりいい暮らしをしていないみたいだ。それでス-パ-で高いものをどんどん仮設の人が買っているということをしきりに言っていた。
あの人たちは補償金もらっているからとかその金にこだわっている。相馬市は補償金をもらえないので相当に不満だということである。仮設の人達は働かないでパチンコとか遊んでいる。税金くらい払ってもらいたい、それはいわきでも他に避難した人でもそうした批判がでてきている。タクシ-の運転手もパチンコ屋が繁盛してもこっちには何の得もないとか言っていた。飯館村の人が野菜作りで働こうとしたら補償金をもらっているから津浪の被害者の人を雇ったということがテレビで写されていた。それは一見なんなのだと瞬間的に思う、相馬市の人はそんなに非情なのかと一瞬その映像をみればそう思ってしまう。ただその背景は地元にするとまた違っているのである。相馬市は原発の補償金をもらっていない、そのことにこだわっている人がかなりいるということである。人間は金にはうるさいということである。浪江の請戸の人は病院の特別室に入っていた、それなりに重度だから入ったにしてもやはり金あるなとみられてしまう。気仙沼とかでは夫の仕事がなくなり妻が働くようになったが収入はわずかであると放送されていた。経済的には相当に窮迫していた。でも原発事故の避難者は補償金がもらう人は相当にもらえるから食べものなどには贅沢なのである。

駅前の花屋は立地がいいにしてもなかなか売れないということがあるのかもしれない、花の種類も少ないし店が小さすぎるのである。でも立地がいいのだからうまくやれば客を集められるかもしれない、ただ花屋にしても意外と花のことを知らなかったりするし本屋などはほとんど売っている本の内容を知らない、商売にはそういうことが意外と多い、相馬市の通りにはプラタナスの並木がある。
その人はポプラだと言った、そのプラタナスの並木にほとんど関心を示していない、葉っぱが落ちて困るんだよとか言って関心を示していない、街の美観を作っているのに関心を示さない、家でも葉っぱばかり落ちて木なんかいらないと鬼のようになって責めた人が自分の家にいた。それとにているのた。少なくても花屋なら街の美観を作っているものが何なのかくらいわからないと商売にはならない、最近面白いプログを読んだ。そこに小さな会社の経営のノウハウを書いていた。小さな会社は大きな会社にないものを追求しなければ成功しないとしきりに言っていた。花屋にしてもここは場所がいいのだからもっときれいにして花の種類を増やし花を楽しめる金を持っている人を相手にすべきだろう。小さな会社は安さだけだったらス-パ-とか大手の会社に負けてしまうからだ。何か別な売りをもってこないと成功はしない、現実に小さな会社を起業して成功するのは一パ-セントしかないという。
これほど小さな会社の起業は厳しいのである。この辺は金持ちがあまりいないから富裕層を常客とすることはむずかしいかもしれない、つまりこの辺は富裕層がいないということは文化も育たない所だとなる。庭作りなんかも金持ちがいないと職人すら育てられないという。じっくり庭作りを職人ができないからである。結局腕も磨けないと言っていた。全国でシャッタ-通りになったのはやはり経営努力の不足も多少はあった。昔はみんな店は自営業だったから経営者だった。一つの店をもつことは経営者となるからただ時間給で雇われるのとは違っている。経営能力が必要になってくる。ただ時間給で売るだけの人ならその人は経営能力などいらないのである。小さな店でもそれは一つの会社でもあり経営能力が要求されているのである。花を知らなければ知識がなければ花屋がつとまるはずがない、しかし花屋はみんな花についての知識がなくてもやっている人がかなりいる。自分は花については詩でも書いてきたようにテ-マにしている。すると花屋の店員には愛想がないから向かないにしても花屋を経営するということは向いているかもしれない、何かその人にあった商売というものはある。その人の個性にあった商売がある。そういう職業に出会うことなく年取ってしまった。

ス-パ-にはない、街には街の魅力がありそれにあった店がありうる。相馬市とかの規模でもありうる。プラタナスの並木道を歩くことは気持ちがいいのである。その道を歩いて店にもよりたくなるだろう。それはス-パ-では作り得ない価値なのである。そういう街の価値を高めることがシャッタ-通りをなくすことにも通じている。ただプラタナスの並木道にそこに住んでいる人が魅力を見いださないとしたらその街が魅力ある街にはならないだろう。花屋などは実際は相当に芸術的センスが必要なものなのかもしれない、芸術的センスはどこでも本当は必要なのである。そういう価値がこれから物が豊富な時代には高くなってくるかもしれない、プラタナスの並木道をゆっくり歩み買い物して食事して休むとかなる。となるとあそこにあるセブンエレブンなどは街の通りに不似合いだともなる。
城下町のしっとりした情緒を作るのには向いていないとなる。便利だけを追求してそういう美観を破壊するものは作ることが情緒を失わせるのである。情緒などどうでもいい、コンビニのように簡便で安く売れるものがいいのだということが主流の価値観だったがこれも変わるということもありうる。安いものだけの追求の自体は終わりつつある。そこにだけあるものの価値が高いものとなってゆく。相馬市は城下町ということでそういう歴史的文化的価値を作り出せるからいいとなる。

経営者の金庫の扉
http://pub.ne.jp/yama4285/?daily_id=20110910

このプログは本当に参考になる。経営者でなくても参考になる。現代は経営者というのが人の上にたち指導する人となっている時代なのである。

2012年09月21日

秋雨 (ボケ(認知症)になるのはやはり役割喪失がある-老人ホ-ムでは役割がない)


秋雨

(ボケ(認知症)になるのはやはり役割喪失がある-老人ホ-ムでは役割がない)


雨しととたまゆら消えぬ秋の蝶

手水鉢しばし遊びぬ秋の蝶
塵たたず墓石を濡らす秋の雨


雨しととなお母生きて墓参り白木槿の花墓所に咲くかな

特養に一か月いた母が帰り墓参りした。施設はいいけど馬鹿になるなと盛んに言っていた。実際認知症にはなっている。耳はさらに遠くなり話しがほとんど通じない、それでも家に帰ったら洗い物とかするし動く、まだあんなに動くのかと驚く、施設では寝てばかりいて馬鹿になるとかしきりに言っていた。家で重度の認知症になった姉は役所をやめてから全く働かなくなった。働くのいやだと家事もなにもしなくなったのだ。おそらくそのことが認知症になった大きな要因になっていたかもしれない、家事もなにもしなければ頭も体も働かせないのだから頭も使わないのだから機能が低下してくるのだ。母は百歳まで生きるのかもしれない、人間は足腰が丈夫なことと頭さえボケなければ長生きして人にそれほど迷惑をかけない、女性なら家事をつづければ足腰を使うからそれでボケないということがある。足腰がだめになって動けなくなり寝たきりになるとボケやすいのだ。老人ホ-ムでは何もしなくてもいい、何でもやってくれることが一見いいように見える。でも施設では一日何もせずぼ-としている人が多く目は死んでいる。何か役割が全くない、ただぼ-としているだけなのである。
だから施設ではかえって認知症になりやすいということがあるかもしれない、そこでは自分の生きたアイデインティティとなるものがない、家だったら長い間そこで生きてきたのだからその生は家や土地と一体化してある。一生が一体化してそこにあったのである。老人ホ-ムにはそういうものがないからただぼ-としているだけになる。


ともかく体と脳は一体である。人間は脳で感じるかと思っているがそうではない、体の神経で感じているという、無数の神経が体にありそれで感じて脳に伝えているのである。風を感じるのは頭ではない、体の神経で感じているのだ。暑いとか寒いもそうである。肌の神経が感じているのである。ということは動かないとそうした神経も働かなくなるから感じなくなるから脳がボケ安くなるのである。だから運動することが大事なのである。ボケる原因としてやはり家の中で嫁がなんでもして「ばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビでもみていてください」これが一番ぼけやすいのである。人間の幸不幸はわからない、奴隷のように秦らかけられていた人がボケずに働かせていた人がボケたのである。ボケは笑っているがホケほど認知症ほど悲惨なものはない、やはりこれは祟れたような精神の病である。認知症になったら根こそぎ人間の尊厳がなくなる。もう人間でないという悲惨な状態になるからだ。どうしても85くらい以上になると認知症になる度合いが高くなってくる。これはもう避けられない、長生きの最大の恐怖はボケに認知症になることなのである。


今日は本当に秋雨であり秋らしくなった。今年は暑かった。何か体がかなり消耗した。涼しくなれば本を読んだり書き物するのには向いている。墓所には白木槿(しらむくげ)があっている。秋の蝶は病院の窓辺に消えたときあっていた。暑さ寒さも彼岸までというのはぴったりだった。今年は夏が終わり急速に冬になるような気がする。手術でバスにも乗れないので遠くに当分行けない、それでも自転車には乗っている。手術したところを押しつけないで立ったり脇に乗ったりしている。電動自転車だと力を入れなくて進めるから原に力が入らない、正直今の時代歩いては生活さえできない、買い物はいくら近くても歩いては本当に時間がかかる、手間がかかる。昔のように隣近所に店があればできた。隣近所に店があるときはまさに歩く時代だったのである。歩くということを基本に社会があった。駅前通りでも駅から歩いて買い物するということだった。それがなくなったときやはり歩くということもなくなった。もう歩いてだけでは生活すらできない時代である。なんとか電動自転車に乗れたから良かった。

一人暮らしは本当に健康でなかったら悲惨なことになる。誰も助けてくれない、本当にそういう非情をここ五年間痛切に強いられた。だから一人暮らしは特に身寄りのない人は相当な覚悟で生きる必要がある。この五年間でその忍耐力がついたことは確かである。誰も頼りになれない、助けられないということを厳しく自覚させられた。人に甘えることは全くできない、家族がいないのだから病気になったら最も悲惨である。介護するものなく慰めてくれるものもない、そこにあるのは今は人情もない社会だから冷酷そのものになる。現代で凶悪な犯罪を起こすのはこの冷酷な非情な社会にあることは確かである。もちろんいつの社会でもそうだったが現代はまた豊でも人情がない社会故に凶悪な犯罪が起こる。冷酷にされた人はまた冷酷になるのだ。自分の場合はならない、それだけ恵まれていたし今になると自業自得だと思っているしむしろだからこそ人間はつくづく愛が必要だと思った。助け合うことが必要だとは心から思った。

2012年09月26日

ひまわりの里と化した南相馬市


ひまわりの里と化した南相馬市

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乱れなく万のひまわり向かい咲く


我が庭に秋明菊の二輪かな


我が塀の格子模様に秋明菊


秋の蝶花に休むや手水鉢


雨ぬれてなお帰らじや秋燕


今日見たらひまわりが満開だった。その数が凄いから見物だった。これだけのひまわりが咲けば圧巻である。米はとれないにしてもひまわりを見にくる人がい)くかもしれない、これだけのひまわりを見れる所はそんなにない、津浪や原発事故はただマイナス面しかなかった。しかし津浪にも八沢浦が美しい入江に戻ったというのを写真でだして批判されたこともあった。あそこは水が浸水した所に家はほとんどなかった。回りにはあったし確かに被害があったが村が全滅するような悲惨な被害はなかった。だからあえて本当に美しい入江になったことが奇跡のように思えたのである。ただただ陰惨な津浪の被害しか写されなかった。だから津浪にも美しいものを一時もたらしたということはとにかく事実だったのである。ただ津浪が美しいなどと報道したのは自分くらいかもしれない、奇跡のような美しさが再現したのは事実だったから報告した。原発事故でもすべてがただただマイナス面だけでは気が滅入ってしまうだろう。これだけのひまわりを地元で見れることはやはりそれなりにプラスの効果があった。他の人もひまわりを見に来てくださいと宣伝できる。原発事故の放射能汚染地帯などに誰も来ないし行く人はいないというがこのひまわり畑はやはり圧巻である。これだけのひまわりがが咲いているのはなかなか見れない、とするとこんなひまわり見てみたいなと思う人もでてくる。

また田んぼだったところが草原化したとき一部湿地化したときそれも原初の自然の再現であり美しいとして写真などで報告した。美しいものは美しいしただただ陰惨なものだけが津浪がもたらしたものではなかった。それを事実として報告することも津浪の一面である。草原化してやたら蝶が増えたということも変わったことである。草原にはたいして花もないのに蝶が増えたことも不思議である。蝶は水田より草原にあっていたのである。蝶はもともと草原が繁殖するにはいい場所だった。そういうことも自然が変わってしまったことなのである。こんなに自然自体が変わることは想像もできなかったのである。
もちろん死んだ人はいるし陰惨なのがほとんどだがやはり津浪がもたらした美しさもほんの一部でもあったということを報告することは非難されるべきではない、南相馬市がひまわりの里として今他の人も見に来たらそれなりに活気がでるだろう。それはプラスの面である。他にも田んぼの跡にいろいろ花を植えて咲いたら花の里として売り出せる。花は放射能の影響を食べもののように受けないからいいのである。だから川内村では花の里として売り出そうとしていることでもわかる。そういうマイナスをプラスに変える発想が必要になっている。マイナス思考ばかりしていたら復興などありえないのである。


秋明菊というのは名前が良かった。秋に明かに咲くというのがいい、それが格子の塀にあっていた。これを作った大工さん美的センスに優れていた。あれだけいろいろいできる人はいない、一種の天才的な人なのかもしれない、職人でもそういう人はいる。ただなかなか仕事で発揮できないらしい、たまたま茶室のようなものを狭い庭で作ろうとしていたのでマッチしたのである。茶室とかはもうない、介護の部屋になったしゆっくり茶碗で抹茶を飲む余裕すらない、食事の用意に追われているからだ。茶などは本当に暇な人でないとできないことがこれでわかる。暇でないと余裕がないと芸術も生まれにくい。


ともかく退院してから何か疲れた、書くことはかなりあったが書けなかった。どうもこの五年間の苦労の疲れがでたみたいだ。まあ、なんとか手術で一応終わりのりきった感じがする。これが悪質な病気だったらまだ苦しみはつづいていた。それが救いだったのだ。重篤な病気になった人は悲惨である。どうも酒を飲みすぎる人は臓器を肝臓などをやられ他も悪くなる、自分は40代前頃から酒もタバコも一切やらない、それが臓器を悪くしなかったことかもしれない、それなりに自転車で運動していたこともよかった。デスクワ-クではなかったのである。農家の人で89歳と長生きしている人と語ったがその人は4時起きで早く寝るという、そういう生活はやはり長生きするのである。デスクワ-クは長生きしないだろう。どうしても血流などが悪くなる。夜更かしも寿命を縮めることは確かである。
だからどうも現代人は意外と今までのように長生きできないかもしれないのだ。病気になっている人もまた多いからである。


秋燕が二三羽まだ飛んでいたのはやはり今年はまだ陽差しが暑いからだろう。これからまだプログも書けると思う。やはり随分書いたし退院してから何か疲れが出たのである。書くことが多くあっても書けなかったのである。

 

2012年09月28日

秋の雨 (恩を受けた人の名を石に記し墓を作る)


秋の雨

(恩を受けた人の名を石に記し墓を作る)


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盆栽の松に菊映え仮設かな

こもりける仮設も長く秋の雨

離れてそ想う人かな秋の雨

我が作るよしこの墓やあわれかなその名のここに秋の雨ふる
人の世の患い多き休みたし墓に静かに秋の雨ふる

雨しとと白木槿に石の庭昼の静かに母と茶を飲む

自分の家のかたわらの石に名を刻み一つの墓を作った。名の記されていない墓とかプログに書いた、大正生まれの馬鹿正直の女性のことも書いた。この女性には姉の認知症の介護で世話になったので
恩があった。認知症になると誰も相手にしなくなる。この女性は情に厚いし馬鹿正直なのである。
10万借りても恩を感じて律儀に返す人だった。こういう人は今や馬鹿とつく。今は恩を感じなくなった。世話しても情をかけても恩感じないのである。


恩感じる人感じない人
http://takayasiro.naganoblog.jp/e767837.html


若い人はまるで恩を感じなくなった。ドライと言えばドライだか何か人間の根本的なモラルの喪失がある。犬も猫も恩を忘れないというとき人間は今や畜生以下になっている恐怖である。
ドライだというときすべてを金で割り切っているからだ。金ですべてを払い金だけを求めてくる。
極端になると金持ちでも情けや恩をかけるがそんなものを全く感じない、もらえるものはもらってそれでもたりないから奪いばいい、殺しても奪いばいいとなるからもはや今や人間は簡単に何かを頼むことすらできない時代になった。それほどモラルが低下している。


恩を感じない人
http://ameblo.jp/hyvs660219/entry-10626249477.html


この人も金持ちの家をただで借りていたのだがそれが自分の家のように思うようになっていた。
金持ちが無料で貸し与えても何の恩義も感じないのである。かえって自分の家だと主張するのだから怖い、そういう人に実際にあっているから現代ほど人間が恐ろしい時代はない。人間は畜生以下になっているのだ。中国は恩義の国であり盛んにそれを言うが日本側からすると中国には尽くしたのに何の恩義も感じないと失望している。今の中国人も恩を感じない人たちになっていたのである。もらえるものはもらう、恩などそこに感じないのである。


1度受けた「恩義」は、その後の関係がどうなろうとも、なくなるものではありません。恩は恩です。したがって、おっしゃるように「恩はありません」という言い方は成立しません。また前述の通り「なくなりました」ということもありません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1238845447


恩というのは金を払ってそれでなくなるわけでもないものである。現代人は金を払って終わりだとなるが物の売り買いでないから恩はいつまでも恩なのである。特に報酬を受けていなければ恩はかえっていつまでも恩として残る。金であれ物であれ恩を受けた人に返せば恩は残らない、まさに天で報いを受けるというときこの世では報酬を受け取っていないから天で受けるのである。

いづれにしろ現代では親子すら恩を感じない人が実に多い、親でもただ財産目当てだけになってしまうのだからましてや他人はただ金をとれるだけのものになってしまう。大金持ちでも子供が冷たいから犬猫に財産を残すとして問題が起きた。これは今や笑い事ではない、そういう人間にあふれているからなのだ。この世の事件は一つでも時代を反映しているのである。これほどペットブ-ムなのは子供も金しか求めてこないし恩も情もない社会になったからである。親はいくら金をもっていても体が弱り子供に世話になるようになるから子供に逆らえなくなる、そこに悲劇が待っている。墓に親の名前も刻まないというのはまさに親不孝の極みかもしれない、それで自分でその名前だけでも刻んで供養したのである。名前がないということはそこに骨が埋まっていても何もないと感じてしまうのである。名前はそれだけ大事なものだったのである。


仏教でも報恩のことを説いている。それがなくなるとき人間は大きな過酷な罰を受ける。モラルを無視するとき一見何も起こらないように見えるが大きな罰を受ける。津浪だって原発事故だって何か今の人間がモラルがなくなったことへの罰だったかもしれない、原発は人間の欲と深くからんでいたからである。恩も感じない人間はもはや人間ではない、畜生以下になり大きな罰を受けるのである。
恩を感じて恩を返す人はさらに何倍もの福を得る、別に損得勘定しても恩を受けたら恩を返すと何倍もの得がある。徳は得だったのであり別に無償の愛とかでもなくても恩を受けたら返すことはかなりの徳であり得することなのである。だからドライに割り切っても恩を感じて返すのがいいのだがそれを感じもしないし返しもしないから損になっているし罰を受ける。宗教的な高い徳を実践するのではない、恩は別に人間の基本的な徳としてあったのでありそれすらなくなったということは人間が畜生以下になった時代なのである。それはやはりグロ-バルに金の力が強くなりすぎたためでもあった。
中国だってあんなふうに恩を感じなくなったのは金の力が余りにも強くなったからである。もらうものはもらう返さなくてもいいというのが個々人でもそうだし国同士でもそうなってしまったのである。だから今や畜生以下の世界になっているのだ。


仮設住宅に盆栽を飾っている人がいる。何かそれが仮設にあっていた。まさに仮設は昔の長屋であり日本人的なものが盆栽だったのである。自然を縮小してしまうのは日本では家も狭いからそうなった。だから仮設住宅にあっていたのである。仮設の問題は狭いことであり狭いと窮屈であり安らかに眠るのもままならない、病院のベッドは寝返りができないことで眠りにくく窮屈なのとにている。安眠できないのである。仮設暮らしも一年半となるとそれなりに長くなった。だから仮設が秋の雨がふってなじんできたということもある。


ともかく何か疲れた。やっとゆっくり茶をわかして飲むことができた。そういう時間の余裕すらなかった。今日の恐怖はさくらのプログもホ-ムペ-ジも消されることだった。今日の六時まで支払いしないと消されるところだった。メ-ルを二か月ほど読んでいないためにそうなった。メ-ルは自分はスパムが嫌であまり読んでいなかった。メ-ルも定期的にチェックしないと大変なことになる。
インタ-ネットでは簡単に消されるということが大問題なのだ。本にだしていればそういうことはない、どこかに残るということがある。インタ-ネットでは全く全部消されて残らないことがありうる。せっかくの労作でもそうである。だから本を作り書店には置けなくても残しておけば記録として残る。そういう作業も必要である。いろいろととにかく問題が起きてくるのが自分である。今日は命拾いした感じだった。


大正生まれの馬鹿正直な女性
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1238845447


名前の記されていない墓の怪
http://musubu.sblo.jp/article/57357315.html

2012年09月29日

虫の音(今日は秋らしくなり満月がでる)


虫の音(今日は秋らしくなり満月がでる)


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ここは白い蝶だけど黄色蝶も一杯だった

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雨の後に田んぼが湿地化する

ひまわりの一輪一輪に雀かな
陽の没りて湿地に写る鱗雲
草原に蝶あまた眠る円し月
我が料理魚に柿添え出しにけり


森深く残る蝉の一つ鳴くその声ひびき夕暮れにけり

虫の音やなほ母生きて我が与ふ飯を食うかな生の幽けき
雲に映え月の静かに光るかな虫の音かそか石にひびきぬ

姉の亡きも姉は我待つ我が家に帰りけるかな円し月見ゆ

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この辺の景色が変わったことを何度も写真などで報告した。稲雀というのが季語としてあるが今や稲がないのだからこの辺にはない、変わってひまわり畑に雀が群がり飛んでいた。稲がなくても雀はそれなりに生きているのも不思議である。数は減ったかもしれない、その雀がひまわりに止まっているのも不思議である。やたら蝶が草原に増えた。そして今日は満月が津浪があった海の方から昇ってくる。雨がふるとた草原と化した田んぼに水がたりま湿地化する。そこに鱗雲が写っている。
こういう光景は今までとはまるで違った風景なのである。今頃一面の稲穂の実りの季節なのだがそれがないのだ。

料理も二年くらいしているが進歩していない、ただいろいろなものをとりあわせるのが料理だというのが少々わかった。買った魚にレモンがついていたがただ柿を切ったものでも魚臭さをがとれる。
柿は今の時期にあっている。この辺では柿も放射能で食べられないだろう。でも食べものはいくらでも外から入ってくるから金さえあれば別に困らないし仮設の人でも贅沢しているのである。


母の性格は実に大人しく耳が聞こえないので毎日何にもしゃべらないでじっとしていて食べものをもってゆくと黙ってもそもそ食べている。ほとんど話はしない、通じなくなった。でももともと母は騒がしくなくあんなふうに誰ともしゃべらないし友達もいない性格だった。それは異常的でもあった。何か人と接することをしない、ただ片隅にじっとしているのが性にあっている。その性格を自分に受け継がれた。自分も人と接するのが苦手でありじっとしているのが性にあっている。じっとして自然の声に耳を澄ます、自然と一体化するのにはこういう性格がいいのかもしれない、ただこういう性格は実際の生活ではいろいろ困る、誰も友達がいないというとき今回のように困ったときは助けられないからだ。それで本当に苦労した。社会生活に向いていないといってもやはりそれでは世の中渡っていけないのである。

ただ5年間翻弄されて手術が終わり一段落したかもしれない、本来の落ち着いた気分になれた。

ただかすかに鳴く虫の音を耳を澄まして聞いている。月も静かに光っている。今日は満月だった。
自分は静かでないと暮らしていけない性格であった。それは異常的でもあった。だから都会は全く向いていなかったのである。沈黙の世界を追求してきたのが自分だったのである。姉は死んだけど60年とか一緒にいたので不思議にまだ家にいるような感じがする。自分を待っているような感じがするのも不思議である。
そこに陽気な人だったから笑って待っている感じがする。人はあまりにも長くいるとその存在は死んでも簡単には消えるものではない、60年という歳月は本当に長かったのである。