2012年09月01日

無事手術終わりました


無事手術終わりました

自分の場合は前立腺肥大でも特別大きく普通は一時間半で終わるが二時間かかって出血も多く手術の後で輸血した。麻酔で頭が三日ほどくらくらした。
でも点滴も終わり尿も出るようになったのであとは楽である。
この病気は尿道を圧迫して尿がでなくなる病気である。
最悪は尿がでなくなり腎臓に影響して腎不全になり死ぬこともある。
南相馬市立病院に一カ月入院したのはそのためだった。

昔はじいちゃんが小便でなくなって死んだと言っていたらそれは前立腺肥大で死んだらしい。昔はこんな軽い病気でもかなりの人が死んでいた。
管入れて小便をとれないとするとそうなる。これは年取るとなる病気だからこういうことはありうる。


相馬総合病院は泌尿科で有名らしい。院長先生が泌尿科であり三人も専属の医者がいる。毎日手術している。南相馬市立病院
では若い医者が一人であり簡単な治療しかできない。病院によってこれほど違うのかと思った。
ただここは迷路のようになっていて見晴らしは良くないので快適とは言えないのが残念である。でも海が見える所が三階に一カ所あった。今日わかった。
それほどここはわかりにくい病院である。


一般的に泌尿科はみんな軽度で病気のように思えない、たいがい二週間で退院している。自分もうまくゆけばそうなるがわからない。同じ病室のものはみなそうなので毎日暇だから話しして暇つぶしして笑っている、病人には思えないのである。ただ場所が場所だけにいやなのである。


ここには津波で家を流された新地の人や浪江の請戸の人がいた。その人は深刻ではないのも不思議である。土地は買い上げて
もらえるとかこのさい職をやめてのんびりするとか、仕事しないから太ったとか請戸の人は特別室であり金持ちらしい、息子に家を建ててやるとかでも土地が高くなっているとかそういう人はやはり余裕がある。余裕があるのは家族が死んでいないからである。

ここの階には丸森、新地、相馬市、小高、浪江やいわきとかの人がいた
それらの人は元気だから話しできる。新地の古老のような人がいた。
実際に城跡の保存とかしている、なんか聞いたことがない話しを聞いた
話しがうまいから新地の生きた古老である。

なかなか通信できなかったが場所を変えてできた、
コメントは遅いのでできない

まあ、苦しい時はすでに過ぎたからパソコンもできる
暇だから文章書くのには向いている

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

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2012年09月02日

相馬総合病院に津浪の被害を聞く


 

相馬総合病院に津浪の被害を聞く

相馬総合病院が相馬市立病院になっていないのは新地町と共同だからそうなっていた。新地町が相馬市と合併しないのは新地町の独自性の維持が背後に常にある。新地町がもともと伊達市の城があったごとく一時は伊達氏に属していたのである。その子孫が合併に反対したというときそういう歴史があったのである。その子孫の侍の家も津波で流された。病院には津浪の被害にあった人が多い。同室にすでに二人いる。新地の釣師浜と相馬市の和田である。
和田の人は野馬追いの馬が津浪に襲われたが助かったという。津浪にも生き残り野馬追いにでた馬もいた。この辺では野馬追いにでるためだけに馬を飼っている。その費用が結構かかるし手間である。

今日は90歳の山元町の人がいた。新地の釣師浜の人に聞いていたが山元町の磯浜に津浪の避難館があった。その由来をその人は体験として知っていた。

小学三年のとき磯浜に津浪の被害があった。そのとき防波堤がなかったので磯浜が被害にあい避難館を作ったという。それは昭和8年頃だった。ところがその後その津浪館は下の方に移されたという。津浪は滅多に来ないから忘れるのである。他でも津浪を記念した古い碑が何なのかもわからなくなっている。
新地にツノガ神社があった。それは津神社のように津浪を記念したものかどうかわからないにしてもそういう神社の由来もわからなくなっている。津浪は滅多にこないから忘れてしまうのである。

それにしても津浪の被害にあった浪江の請戸の人もいた。病院にこれだけ集まっているということは思った以上に津浪の被害者は多い。ただここであった人は家族は死んでいない、だからそれほど悲壮感がない、毎日仮設住宅でパークゴルフをやっているとか暇をもてあましている人が多いのである。それなりに食うには困らないのでのんびりしている。でも実情は深刻である。新地町でも山元町でも仙台に勤めている人が多くその人たちが流失している。息子、娘を頼ってでて行く人も多い。山元町は仙台のベッ
トタウンだから余計にそうなっているのだ。働き手や若い人が流失していることが深刻なのである。

相馬市にいると丸森の人がいたり山元町の人がいたりとなる。つまり相馬市は伊達市との境界意識を強くもつところである。地理的にここに小高より城を移したことが実感としてわかる。

病院から原釜が見えた。そこには津浪の傷跡が遠いけど見える。それだけ津浪の被害は大きかった。津浪の傷はそれほど深いということである。
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2012年09月03日

天使にも悪魔にもなる看護婦(師)のことなど (人間は最後までプライドをもつ)




天使にも悪魔にもなる看護婦(師)のことなど
(人間は最後までプライドをもつ)


脈をとる看護婦の手の

あたたかき日あり
つめたく堅き日もあり。啄木


病院とか病気は非日常的なものを作り出す。特殊な感受性を作り出す。啄木は天才的な感受性をもっていたから病気になりあれだけの短歌を最後に残した。正岡子規の俳句も病気から生まれたのである。また死を常に意識していたから平凡なものでも違って見えた。今は看護師だけどこんなふうになかなかここまでは感じない。自分は病気が病気だけにオムツとか必要とした。そのとき看護婦にひどくしかられた。手術の後に汚してしまったからだ。頭がまだ朦朧としているときだった。そのときなぜそれほどそのことが気になったのか、頭に来たのか、それは相手が孫のような女性だからであった。プライドがひどく傷つけられたのである。そもそもオムツ自体がプライドを傷つけるものである。
一時的ならいいが長くなると悲惨なことになるのはそのためである。


つくづく人間はプライドに最後まで生きる。それは認知症でもそうだった。認知症の最大の特徴は最後までプライド失わない、馬鹿になってもプライドを失わないのである。馬鹿になっても馬鹿にされると怒りそれが暴力の原因にもなっているのだ。人間は馬鹿になってもプライドだけは失わない、プライドを傷つけられた時、命をかけて相手を殺すことも普通に起こる。韓国と中国があれほど日本を憎むのは民族のプライドが傷つけられたからである。それは消えることがないのである。犯罪も人間としてのプライドが傷つけられるから起こる。金がないということもあるがそれより人間としてのプライドが金がないということで傷つけられることが原因なのである。


今回もプライドを傷つけられたから看護婦に対して不快感をもった。看護師にはやさしさが必要というときこのやさしさもつことはいかにむずかしいものかわかっていない、看護師も最初は天使だけどあとで悪魔になるというのもそのためである。やさしくしようとしても現場で常時そうはいかなくなる。看護師でないにしても老人に嫌悪感をもっている若者も多数である。あとはただ機械的に仕事して月給もらえばいいとかなる人もいる。ただ看護師とか医者の問題は医療的技量もあるが人間的やさしさが必要だというとき今回のようにプライドを傷つけられるとコミニケーションができなくなることが深刻なのである。何か症状を訴えることもしにくくなる。その人が怖いとなるからだ。つまり病人は弱者である。その弱者をいたぶることはあまりにも容易なのである。認知症の看護とかそのほかこの五年間は弱者のみじめさを味わってきた。この世で弱者をいたわることはない。
弱肉強食の世界である。だから火事場泥棒なども経験した。


相手の弱みにつけこむことは日常的に起こっている。最近の日本でも経済が弱くなった日本は怖くないと回りから責められていることでもわかる。医者がなぜ一般的に傲慢になるのか、相手が弱者だからそうなる。病気になり弱ったときにしか接しないからそうなる。相手が弱者だから自分の命令に従わねばならないとなり上下関係ができてしまう、医者でも看護師でも不満があっても逆らえないとなる。そして病院は外にはでれない刑務所であり管理される。だから物体のように管理されて死ぬということがある。体はみるが人間のプライドは病院や看護師や医者は重んじないのである。だから重症になるとその人の意志すら伝えられなくなり尊厳死などは病院ではありえないのである。病院では体はみても人間の精神はみないのである。こういう問題は高齢化や死をどう迎えるかで起きている。家で死ぬというときそこが尊厳を与えられているからだろう。病院ではありえない、特に身寄りがない人などは病院では悲惨である。
誰もみてないからさらに弱者となりそのとき実験台にされたりと医者や看護師はそのとき悪魔に変身してしまうのである。

 
 


 

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2012年09月06日

相馬総合病院退院しました

 
相馬総合病院を退院しました
ただ退院後は自転車にのれないと言われてびっくりした。二か月以上はかかる。どうしても前立腺がふれると手術したところだからさわり悪い。あぐらをかくことも悪いというから困ったものである。幸いス-パ-は歩いて行ける距離だから助かった。

つくづくこの辺は津浪から原発事故と問題が山積みでありそれがどこでも話題となる。
この辺は極めて政治的、経済的、自然環境問題かち最先端の科学の問題からあらゆる現代の問題が噴出した場になってしまった。だから宗教もそれに関係してくる。文学も哲学もこういう所から想像でない、現実の場として実感として新しい学問すら起こりうる場になっているのだ。

自分はこれまでそういうことを追求して書いてきた。それは今までのように想像して他人事ではない、現実に生活する場で起きているから真剣にもなる。いろいろな問題が切実なのである。


今回の二週間の入院でもそうだった。津浪の被害にあった人に四人もあった。原発の避難者もそうだった。そこで生の声を聞いたからさらに実感したのである。だからまた結構書くことが増えたのである。

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看護師と患者の問題 (相馬総合病院は患者への気配りがある)


看護師と患者の問題

(相馬総合病院は患者への気配りがある)

●看護師も患者が嫌になる


看護師の言い分


私も、看護師としてではなく、一人の人間として心の底から嫌いになりました。
だいたいのことなら「まあ、患者だからしゃ〜ないか」と、腹を立てながらも、自分の給料の源である患者だからってことで気を落ち着かせています。

心底、死ねばいいのにと思ったときは、きっと他のスタッフならもっと大人な考えをするのかな、自分は看護師として失格だ、自分が精神的に未熟なんだ、と、思いました。仕事なんだし、こんな患者を相手して本気で腹を立ててる自分が幼稚だと。しかし、月日がたった今思い返してもむかっ腹が立ってきます。

本当は明日、目茶苦茶仕事行きたくないです。その嫌な患者と顔合わせたくないから。とりあえず避けることも可能なので明日は側に行かず、避けることを選択します。本当なら、患者様々だから私が「先日はすみませんでした」と謝罪したほうが丸くおさまるような気がするけど、なんかそうすることで相手は調子にのりそうだし。


患者に様なんて付けだしてから
勘違い患者が増えた気がする。
医療はサービス業じゃないと私は思う。


「採血が下手」「注射が痛い」などのクレームが寄せられるようになった。何度か注意して指導したが、当の看護師は頑固な性格で改善が見られないため、辞めてもらった方がいいだろうという結論になった。採用から2カ月後の話である。


佐用共立病院(兵庫県佐用町)で女性入院患者=当時(85)=が肋骨(ろっこつ)を折られた事件で、傷害容疑で逮捕された同病院の看護師羽室沙百理(はむろ さおり)容疑者(26)が、動機について「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」などという趣旨の供述をしていることが12日、捜査関係者への取材で分かった。看護師として自信がなかった、とも漏らしているといい、仕事への不満と不安の矛先が、一方的に寝たきり患者に向けられた可能性がある。

 


なぜ看護師と患者がトラブルになりやすいか?医者と患者も同じである。それは結局、人間と人間が直接向き合う現場だからである。物を売ればいいとかではない常に直接人間と向き合うから問題が起きないことなどありえない、人間と人間が向き合う場には必ずトラブルが起きる。だから看護師にも患者にも双方に自戒が必要なのである。患者側から見る看護師と看護師から見る患者の言い分がある。ここに引用したのは看護師の言い分だった。自分も今回の入院で看護師に嫌な思いをした。
泌尿器科だから下のことがあり汚すこともある。その時ひどくしかられたのである。でも患者の言い分としては手術後でありもうろうとしていたし実際に要領をえなかった。でも知っている人に聞いたら汚してもこういう科ですからしかたないですよと看護師が言ったという。その人は妻が見ていたから看護師もひどいことを言わなかったのである。自分の言い分としてもう少し配慮があってもいいと思った。どうしてしもその看護師を嫌になったし口も聞きたくなくなったのである。ただこの辺の病院の事情は違っている。看護師が原発事故などで流出している状態では看護師がいるだけでいいとかなってしまう。現実に南相馬市病院では看護師などの流出で二病棟しか使っていないからだ。そういう状態では患者は看護師や医者でもいるだけで恵まれているとかなる。そうなると文句を言えないということも頭にあった。それで黙っていたがなんかトラウマになったことは確かである。
自分は看護師に感謝しないなどない、掃除婦までに感謝して退院した。看護師に虐待されるような患者ではない、ただ事の成り行きでそうなったのである。


●相馬総合病院は患者への気配りに優れている


看護師長母をきづかい声かけぬうれしきことかな隣も知らじに

相馬総合病院は全体的には患者に気づかっている好感がもたれる病院である。回診が一日二回があるのも普通はないだろう。患者に対するサ-ビスは他よりいい、南相馬市病院は若い医者が一人だけでありその一人が「おい、どうだ、水を飲んでおけよ・・」とかで終わりである。看護師もついてこない簡単な挨拶程度の回診なのである。なぜそうなっているのか?そもそも若い医者一人しかいないし医者がいないからまかせてしまった。泌尿器の専門の看護師も少ないこともあるのだろう。それに比べたらここがいかに手厚いサ-ビスをしているかわかる。そして泌尿器科の専属がそもそも院長先生でありその他中堅と若い医師と三人もいる。南相馬市病院の泌尿器科の医師はここの中堅の医師のように弟子としてついて技量を磨く立場にあったけど誰もいないからまかされたのだろう。そもそも浜通りは特に相馬地方は医師不足の地帯だったのである。それが原発事故とかでさらに医者も看護師も減ってしまったのである。看護婦長も一人で必ず回って様子をうかがいにくるのも好感がもてる。
それで自分に対して「お母さんの介護大変ですね」とか気づかってくれた。こんなことはなかなかしない、患者の心のケアまでしいてる。ただ一人だけ悪い印象をもってしまった。その一人によって悪い印象をもつということはある。ただすべての評価は主観的なものである。誰にでも好き嫌いはあるからである。

結局看護師という職業は宗教的修行じゃないが忍耐心が特に必要な場所になる。自分のいいような患者などいないからだ。まだ看護師側からすればいつも聖人のように対応などできない、また望むのも無理である。患者側にも確実に問題がある。ただ患者は病人であり弱者だとういことで患者側につくことが多いのである。看護師と医者と患者は強者と弱者の関係になりやすいのである。ただ最近は患者様とかなりあまりにも患者側につきすぎる傾向がありその不満がかえって看護師側からでてきているのである。結局こういう問題が生じるのは病院とか医療とかが単なる体をみるだけではない、心にも深くかかわるからそうなるのだ。特に老人は人生の兵(つわもの)がいる。経験も豊かな人でありそううい人が若い看護師が対応するのにむずかしい面がある。相手の心にかかわるとなるとやはりそれなりの経験をつまないとできないからだ。看護師は総じて若いから年よりの心によりそうことはむずかしいのである。


いづれにしろ病院という場は看護師が多く看護師にとりかこまれる世界である。すると看護師の質も問題になる。医者の質もそうだが看護師の質もそうだしそれが全体の雰囲気を作っていく、そういう場にふさわしくない人はいるし注射でもうまくならない人もいる。そういうことでそういう人がやめさせられたりやめてゆくのはどこにでもある。ただこの辺では看護師がいるだけでもありがたいとかなっているから文句は言いにくいのである。相馬総合病院は全体の雰囲気は全体的にいい、上の指導でそうなっているという人もいる。南相馬市病院は建物は立派でもそうした指導がたりなかった。でも特別看護は劣っているということではない、それより医者がたりないとかで回診もできていなかったのである。病院は建物から医者から看護師から掃除婦までが全体の雰囲気を作っているのである。患者のためにつくすようになっているのだ。

posted by 老鶯 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

病院でさらに病気が悪化する (病院は刑務所とにている)


病院でさらに病気が悪化する

(病院は刑務所とにている)


実は病院に行けば行くほど病気になります。
これは間違いなく正しいことで真実です。
 
実際に病院に行けば行くほど病気になるんです。
それとは逆に病院に行かなくなれば病気にならなくなります。
なぜなら病院は治療院でなく病の院
つまり病の建物なのです。
 
弱った人を薬の毒性でさらに弱らせて
また来てもらうための処置をする所です。
なぜなら病院も金儲けのためにやっている所なので
健康な人は一切必要なく邪魔なだけなんです。
なので健康な人でも病気にする、それが病院なのです
http://blogs.yahoo.co.jp/willpow_thresh_trant/27338940.html



病院がどういう場所か二回経験している。南相馬市病院で一か月入院していた。本当は二週間で退院できた。ところが感染病になり三日間40度の熱がでた。隣の人も高熱をだしていた。バイ菌に感染していてそうなり自分もなった。ばい菌が移りやすいのも病院である。一面病院は危険な場所でもある。今回は二週間で退院できたからいい、それでも長びくことはありえた。病院は退院を遅らせて病気を悪くさせることもある。別に金のためではない、病院という場がそうさせるのである。病院は丁度刑務所ににている。南相馬市病院では点滴を一か月はずすことができなかった。その点滴がまるで手錠のように思えた。それは確かに必要だったにしても病院で病院を悪くすることもある。もちろん医者とか看護師は病院を直そうとして懸命に働いている。それでも病院は病気を悪化させる場ともなりうる。病院にいると何か健康でも苦しいものを感じないか?一時的に見舞いにきても何か苦しいものを感じるだろう。それが入院するものはさらに病院で何か苦しいものを感じるのだ。病院は何か死臭も感じる。現実に病院では死ぬ人が必ずいるのが普通だから不思議ではない、そこに健康的なものを感じることはタブ-とさえなる。お前は病気になって入院したのだから病人らしくしていろとなる。

今回救われたのは同室の人はほとんど病人ではなかった。病気を感じない人たちだった。みんな二週間で退院できる健康な人たちだったのである。ここが病室かと入って最初から思った。20代くらいの若い人もいた。つまり病気を感じさせない部屋だった。泌尿器科はそういう人たちが多い、たいがい治るのが多いのである。変なことだけで病室には笑いに満ちていたのである。こんな病室は普通はないだろう。だからもっと病人らしくしていろとなる。だからそこでは暇なし話ししていたのである。
女性の看護師をからかっていた人もいる。

これはおかしいなと思って病人らしい病人を探し廊下を歩いた。すると病人らしい人がいた。青ざめてやっと歩いている。三か月もいるけどまだ治らないんです、家は近くても家に帰れないんですという。それもそうだとその顔を見れば一目瞭然である。死相さえ顔に現れていた。そういう人がいるのが病院である。それは丁度朝方に残っている残月だったのである。病院から見える景色がまた違っている。閉ざされた空間から外の明るい自然の空間をながめているのだ。自分は絶えず病院を歩いて外の景色を見ていた。運動して尿を出せと言われていたからだ。相馬総合病院もいい景色をみる場があった。それをまた俳句とか短歌にした。ただ病院からみる景色と外でみる景色は違っている。病院には自然そのものの風は入りこまないのである。だから特殊な状態に置かれる。健康的に自然を歌うのとは違っている。そこには別な感受性がはぐくまれるのだ。それは健康な感受性ではない、でも文学的には啄木のように特殊なものとして作られるのである。

窓にとまっている枯れたカマキリ、俳句では枯蟷螂というがそれがふさわしいのが病院だった。
窓にはりついて死んでゆく蟷螂である。そこには蜘蛛もぶらさがりさらに不気味さをましていた。
何かそういう世界が病院にはふさわしいのである。ただ自分は直ぐに健康になったから健康的なものも作った。でも病院は独特の雰囲気があり空気が流れている。それは病人からでてくる空気でありまた死人からでてくる死臭かもしれない、何か陰気な空気が流れているのが普通である。するとたとえ回復していてもさらにそうした陰気な想念がたまっていて病気を悪化させるということもある。病院は病人によってさらに淀んだような空気を作り出す。特に重傷者が多いとそうなる。あんなに笑って話ししているのは病院ではない、もっと病人らしくしろとなる。病院ではどうしてもそうなりやすい、別に看護師とか医者のせいでもない、病院とはそういう場所なのである。


陰気なものが流れていてそれに影響されるのである。病院はだから長居するところではない、そうはいってもそうならざるをえない人がいるがまだよくならないという三か月いた人も近くの家に一旦帰ったりしたら帰って回復するかもしれないと思う。病院では外のように健康な気をもらえないからかえってまた病気になるというのは別に誇張ではない、そうなる人が多いことは確かなのだ。医者や看護師がまるで囚人を監視するように見えるのもそのためである。そしてどうしても医者や看護師が患者を一方的に縛りやすいのである。つまり罪人のようにされてしまうのである。病院はそういう場だから本当は病院で死ぬことはあまりいい場所ではない、何か必ず病院では死んだ夢を見る、それは自分だけではないだろう。なんだか極楽に向かって魂が飛んでゆく夢をみた。これなどもすでに病院にいると死がかえって近くなるということもある。病院は監獄であり死に向かう場所でもある。棺桶のようにさえ思うこともあるだろう。だから病院で死ぬことは人間にとって自然ではない、でも今はほとんど病院で死ぬ。それが問題なのである。


窓の外くもぶら下がり枯蟷螂

 
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2012年09月08日

原発事故がもたらした教訓(コメントに答える) (被害地域では具体的に生活の見直しが迫られている)


原発事故がもたらした教訓(コメントに答える)

(被害地域では具体的に生活の見直しが迫られている)


喩えが馬鹿すぎ
江戸時代の生活を引き比べる勇気が本当にあるなら
ネット切って山奥に篭れ
お前がこのくだらないブログを書いている瞬間にも、ゼロエネルギーではない電気を消耗しています

●ネットは山奥でも普及すべき


自分は2チャンネル的論争はしない、無責任な表面的議論にしかならない、でもこれは要点をついているのでとりあげた。正直自分自身も相当に現代の文明の恩恵にあづかったぜいたくな生活をしてきた。違っているといえば車を持たないことくらいだった。一万くらいの人口の田舎でも車なしで生活できる。もちろん仕事している人はまた違っている。田舎で車なしで生活できないということはない、ただ自分の場合、町内に住んでいるからそれができる。ス-パ-も近いからできる。鉄道の駅も近かった。だから仕事しないなら車なしで生活できる。その他はク-ラ-も使っていたし今の生活水準と同じである。

>ネット切って山奥に篭れ


こういうのは極論だから議論にはならない。ネットが通信がそんなに電気を使うかと言えばそうではないだろう。むしろ本当に電気をエネルギ-を使うものは何なのか議論しなければならない、車が石油エネルギ-をどれだけ使っているかエアコンがどれだけ電気を使っているかその比ではないだろう。むしろ自分はインタ-ネットはもっと山奥でも普及すべきである。その電気はそんなに消費しない。電子本などももっと普及すべきである。そしたら山奥でも都会と同じく情報的には差がなくなるだろう。アマゾンで買うにしても車を使うから相当なエネルギ-を運ぶのに消耗しているからだ。ネットではそういうことはない。すべての電気を否定して江戸時代に帰れというのは暴論なのである。そういうことは自分はこれまで書いてきた。

●原発事故被害者地域は具体的に生活の見直しが迫られている


自分自身の反省としても現代の電気文明の恩恵を相当に受けて生活してきた。そのことは否定できないし。でもこの辺では原発事故で多大の被害を受けた。家族はばらばらになり故郷は失うとかありえないようなことが現実化したのである。そこで原発に近い双葉辺りの人が家族一緒に暮らせるならロウソクでもいいと心から思ったのである。このことが大事なことだったのである。これはただ自分がそうだったように何か空想的に江戸時代に帰りたいとか江戸時代がいいというのではない、具体的に実践しようとすることが原発事故で強いられて生まれた言葉だった。原発は災難だったが原発被害地域はより具体的に今までの電気文明の恩恵を具体的に見直すことを強いられたのである。


これまでいろいろ津浪や原発事故で書いてきた。なぜこれほどまで書いたのか?それはただ今までのように空想的に江戸時代かいいとかではない。深刻な現実問題としてこの辺では強いられたからである。文明を否定することそれが具体的なも問題として自らの生活を見直すことが強いられたのである。だから原発事故は災難であってもこの地域は本当に豊かな電気文明をすべてではないにしろ否定する生活を実践する場となる。思想が現実生活から離れたものではなく具体的に現実の場で実践する場と変わりえる場になる。またそうすることが日本や世界の未来のモデルとなることまで提供する。
つまり原発がなくても生きていける、過剰にエネルギ-を消費しなくても生活できる場である。
こういうことは東京辺りで反原発のデモをしている人たちにも言える。デモに行ったけど暑くて暑くてどんどんク-ラ-て冷やしてくれとかなっていたらこの人の言うことがあてはまる。反原発でもそういう人たちが多いから批判されるのである。


●入院して学んだこと(粗食に帰れ、自然の恵みに感謝せよ)


病院の食事は粗末である。サシミとか肉料理などでない、本当に粗食である。普通アジフライなんか食べない、サシミとか食べていた。アジフライも食べて見ればうまいと思った。正直自分は料理はしていなかった。買ったものでまにあわせていた。ただ食事は用意するだけで相当なエネルギ-を使うものだと思った。食器を洗ったり配膳するだけで時間を使う、するとこうしたネットとか読書とか芸術の創造に時間をかけられないのだ。だから三食粗末でも与えられた食事がありがたいと思った。
料理には実は料理を作るだけではない手間がいろいろとかかっているのである。
人間は食べものでもあまりにも贅沢しすぎたのである。これほどのものを食べていいのか疑問だった。でもそういう生活を自分もしていた。しかしその反省を原発事故で嫌でも強いられたのである。弁当とか買ってご飯も一膳も食べていないのでやせたと思ったら太っていた。
間食して太っていたのである。人間は現代ではやせようとしてもやせられないのは食べ物があふれているからどうしてもそうなる。アメリカは肥満の国なように日本もそうなる。栄養をとらないようにしてもとってしまうのが現実だった。その反省を病院でした。

そして津浪、原発事故は天からの警告であり神の怒りでもあった。


佐用共立病院(兵庫県佐用町)で女性入院患者=当時(85)=が肋骨(ろっこつ)を折られた事件で、傷害容疑で逮捕された同病院の看護師羽室沙百理(はむろ さおり)容疑者(26)が、動機について患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」などという趣旨の供述をしていることが12日、捜査関係者への取材で分かった


このことは何か変な話しだけどこんなことがあるのかと思う事件だけどこれを今回の津浪にもあてはまる。原発事故にもあてはまる。「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」ええ、こんなこと思っていたのと一瞬いぶかったしそんな人がいるのかと思った。病院の悪いところは書いたがいい面は病院は感謝に満ちている場所である。看護師に何かしてもらうにもちょっとしたことでもいちいちありがとうといい感謝している。そんな職場はほかにない、それで掃除婦まで実は感謝されているのだ。これなど他ではありえないことである。掃除婦すら看護師と同じ様な働きをしているのだ。
その人は年をとり脚が普通ではない、歩き方だった。なぜこんなにしてまで働いているのだろうと思った。おそらく金のためではない、生きがいのためである。何故なら病院は感謝している人が多いから感謝されるからあんな脚でも仕事している。そういう人が他の病院でもいた。老後は何もしないでいるのも嫌だから生きがいのためにしている。安月給でもしいると言っていたからだ。ボランティアで働く人もいたことでもわかる。


人間よ、お前たち私はどれほどの恵みを与えているのか、それでもまだお前たちの欲望がきりがない、その欲はきりがない、恵みを与えても神に感謝もしない、だから神は怒り津浪を起こし罰してやったのだ、よくよく考えよ、感謝の心をもて、これは私の警告である。


「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」これは一見唐突に思ったがそうでもなかったのである。神は感謝しない人間に憤り津浪という罰を災害を与えたのである。確かに双葉地域はこの辺は過去は貧しい地域だった。でも江戸時代から人は暮らしていて米でも野菜でも水の恵みでも神に感謝して生活してきたのである。江戸時代がモラル的に現代より高かったということを再三言ってきたがそれは生活そのものが質素でありその質素でも神に自然に感謝する生活をしてきたからその心も素直な素朴な人が多かったのである。その生活そのものにモラルを形成するものがあったのだ。

食事が粗末でも感謝した生活があった。毎日米が食べれれば幸せだとかなっていた。それが現代はあらゆるものを貪り食べても満足しない、その欲望は限りなく原発でも何でも誘致して金になればいいとなった。そのことはこの辺でも被害者でも反省していない、でもロウソクでもいい一家がみんな一緒に生活できるならとなったのはそれは学者の理論ではない、心からそういう生活を実践しようとする思想が生まれた。地に足がついた思想が生まれたのである。逆にそういう実践的志向がうまれたことはこの辺の被害者地域の希望となるというのも逆説である。

 


 

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2012年09月09日

食べものが料理が人間にもたらすもの (神に自然に感謝しないものは呪われる)


食べものが料理が人間にもたらすもの

(神に自然に感謝しないものは呪われる)

料理一つとってもそこには複雑な要素があった。自分一人で料理してみてわかった。料理はまず素材として野菜であれ肉であれ用意する、それからそれを運び並べるのが結構手間なのである。それらを全部一人でやることが手間なのである。だから病院などで食堂でもそういう手間がないからその手間に感謝するということがある。しかしそんなことを注目している人はあまりいない、この料理がうまいかとうかで価値は決められる。料理人の腕が注目される。しかし料理の素材として提供されるものにもあまり注目されていない、なぜ米が野菜がとれるのか肉が食べれるのか注目されていないしその行程も見えないのが現代世界である。田舎では米がどうしてとれるか現実に見ているから農家でなくても実感として理解できる。東京辺りでは田んぼがないから米がもたらされてもそれがどうして作られるのか理解しにくい。ス-パ-に行けば米はあるよとなる。金さえあればいつも食料は買えるよとなり誰も食料を感謝してなど食べないだろう。金の悪弊として人は金の力が余りにも今は大きいから金が神のようになっているから食料となるものに感謝しない。金によってあらゆるものがもたらされると錯覚する。でも金は金属であり紙でしかないのだ。そこに現代の盲点がある。


病院で経験したことは全く受け身となり料理が毎日もたらされたことである。そこには運ぶ手間がありその手間にも感謝する。病院は運んできてくれた看護師にありがとうとみんな言って感謝している。そんなことレストランでは言わないし感謝もしない、当たり前である。常に「俺は金をはらっているんだ、もっと愛想よくしろ」となりもっとサ-ビスしろよとなる。でも不思議なのは病院では料理を運んできてくれた看護師にみんなありがとうと感謝しているのは不思議である。病院の悪い点を書いてきたがいい点もある。人と人が互いにあれほど気づかっているのも不思議だった。病気だから互いに気づかうということはある。病気が軽いからまだ相手を気づかう余裕があるといえばそうである。重度になれば相手を気づかうことなどできなくなる。病院ほど労働に感謝している場はない、掃除婦にもありがとうと言っている。みんな病人で世話になるからそうなっているのか?他では掃除している人などに感謝している人などいないだろう。


ただ人間は感謝するとき本当は肝心なものに感謝していない、料理の基となる米とか野菜でもどうして作られるのだろうか?そこまで考察する人はいないだろう。米でも根本的には土があり光があり水がなければ作れない、その恵みは誰が与えたものなのか?すると地球を作った神がいてすべての食物は与えられたから地球を作った神に感謝すべきだとなる。そこまで思いをはせる人は少ない、食物を作るにはどんなに人間の手を加えようが根本的に土や水や光がなければ作れないのである。食料を作ってくださる農家の人の手間には感謝する。だが農家の人だけ食料は作れない、それを一番知っているのは農家の人である。なぜなら自ら作付けして育てたものを収穫するとき、人は自然とまさに神がその実りを与えてくださったと理屈ではないものとして会得している。だから水をもたらす山に信仰が生まれたのだろう。米でも米の神様に祈り祭っていたこともわかる。


動物の肉を食べるにしても動物はなぜ育つのか?肉食動物があるにしろ動物は草食動物であり草を食べて肉を作っているのだ。その草は土と水と光がないと作れない、そこに感謝している人はいない、人間は文明が高度に発達すると自然から遊離してくるからますます食物がどうしてもたらされるのか実感できなくなる。東京のように一千万人の食卓に提供する食料があること自体不思議である。
回りには田んぼもなにもない、コンクリ-トジャングルであり土も水も見えない世界である。そういう世界に人は普通に今は住んでいる。田舎だったら農家の人は以前として食料を生産しているのだから自然からもたらされるものが何か理屈ではなく感じている。


人間の命の基は土であり水であり光である。そして魚でも動物でも食べるときはやはり食べられる方は犠牲になっている。特に動物は血を流して犠牲になっている。魚さえ血を流している。だから植物を食べるよりより感謝せねばならない、宗教的にはインドのように肉が食べない方が理想的である。人間はこうして当たり前だった世界から離れ自然がみえなくなったとき災いが自然から神からもたらされる。今ほどあらゆるものを食べている時代はない、それ自体が異常なことだと気づくべきである。そういうところから原発事故も生まれてきた。電気はそもそも自然の光とかとは違う。原発を神のように崇拝するという映画あったけどまさにそこに危険があったのだ。崇拝すべきものは原発を作り出すものであり科学者はそこで司祭となり権力となるから政治家も民衆もあらゆる人が仕えることになる。しかしそこに呪いが隠されていたのである。


原子力を崇めることを神が偶像のように拒否したのかもしれない、それで破壊したのかもしれない、感謝すべきものは原子力ではない、電気でもない、土であり光であり水なのである。人間の技ではない、直接神の業なるものから作られたものなのである。それに感謝しないものは呪われるのである。

2012年09月10日

秋鴎(人生は過酷だ-苦しみの五年間をふりかえる)


秋鴎(人生は過酷だ-苦しみの五年間をふりかえる)



川べりに釣り人二人鴨の二羽


津浪来し真野川にしも秋鴎


みちのくに夕陽の没るや秋燕


我がもとへ夕陽のさして秋の蝶

弱きものあわれや知れじ片隅に一人し耐えて虫の鳴くかな

今日は暑かったけど風が秋風であり涼しかった。もうそろそろ明かに秋の気配である。夕陽もあきめいていて陽差しが衰えている。つくづく人生は過酷だった。30年間はあまりに恵まれた境遇であった。しかし家族の認知症からすべてが狂った。そこから塗炭の苦しみがはじまった。家族がばらばらになり助けもなく奔走した。その間に病気になったことがいたかった。早めに行けばもっと軽いものとして治った。介護のために悪化させたのである。結局病気は人間を狂わせてしまう大きな要因である。若いとき病気の人をかかえた人はただ人生を呪詛するものとなった。人生をその人のために棒にふったということで恨みとなる。自分も例え苦しくても病気にならなければ災難からまねがれたことがあった。病院に緊急入院してその間に家のことでひどいめにあった。病気にならなかったらそうはならなかった。火事場泥棒だった。凶悪な犯罪に遭遇してしまった。一人は死んだがまた一人介護はつづいた。

その間に津浪や原発事故が起きた、幸い津浪の被害はなく原発も30キロ圏外で救われた。

それでもその間、医者にはいじめられ今度は自分が入院したら看護師にはいじめられ遠い親戚を頼るしかなくいじめられた。本当にここ五年間起きたことは何なのだろうと思った。それは自分だけではない津浪、原発事故で起きたことはさらに自分より悲惨だった。大船渡で家族五人とか死んで自殺した人がいた。あまりの衝撃が津波にあった。一人だけ家族が死んで残された人もそれなりにいる。
ただ悲嘆に暮れて泣いているほかなかった。本当に人生は過酷だなとつくづく思う。津浪の跡はそれを一番良く示している。その光景はまさに自分の苦しみの非情な索漠とした光景と重なる。
この世の人間の非情と自然の非情が重なった。だからまさに自分自身が経験したことは末世であり地獄だったのである。自分だけではないさらに津浪の被害者は地獄だったのである。
(地獄ぞ一定のすみかなり-親鸞)というときまさに地獄に生きた人が残した言葉でありそれとこの辺の状態は通じているのだ。


戦争はさらに過酷だった。300万人以上が死んだのだからその過酷さは想像を絶する。しかしそれほど感じないのは戦争というものを実感しえないからである。その渦中に巻き込まれたら生きるか死ぬかであり生きた心地もしなかっただろう。他にも北海道に開拓に入って病気になった詩人が人生を呪詛して若くして死んだ。そういう過酷な人生はいたるところにある。ただ自分にはなかっただけである。それを五年間は身をもって体験した。一身上でもそうだったが今や回りが過酷なものとなった。その先は見えない、過酷というとき相馬藩とかに起きた飢饉などよりはましなのだろう。仮設にいる人は食べものには窮することはない、補償金をかなりもらっているからだ。家族八人とかいる人が仮設にいた。その人はマグロのサシミを毎日のように食っているという、もともと漁師だからそういう生活をしていたからそれは変わらなかった。金があるから変わる必要がなかったのである。だからそうした飢えるとかの深刻さはないのである。


しかし人生とはみんなもともと過酷なものであった。金の卵とか集団就職した人もそうである。自分は大学に行ったのだからそういう過酷な人生を歩む必要もなかったのである。過酷な人生はみんな普通にあったのだろう。自分の父親も丁稚奉公であり一人は従軍看護婦であり母は戦前紡績工場で十年働いたとか過酷だった。人生は過酷であり犠牲にされる。猪狩満直なども才能があったが発揮せずに終わった。そんな人はいくらでもいるのだろう。才能を発揮し得る環境を与えられた人はまれだろう。

人生があまりにも過酷だと自分の人生を呪うようになるのも人間である。なぜ自分だけがこんな苦しまなければならないかとなる。楽な人生を歩んだ人を見ると余計にそう思うだろう。それもまた宿命なのだろうか?しかし楽の元は苦の元は楽になる。あまりにも楽していたら必ず苦になる。なぜなら人生が過酷だとするとき苦が必ず来るからだ。病気をまねがれることはできないことでもわかる。
ともかくこの五年間は苦しみの連続だったしその継続がまだつづいている。ただ苦しみもやがて喜びに楽に通じることもある。楽ばかりしたら必ず苦がくる。それが人生の掟であり逃れることはできないのである。



真野川に津浪がきても堤防は決壊しなかった。決壊したらさらに大きな被害になった。石巻の大川小学校は川を津浪がさかのぼってきたから大きな被害になった。多賀城でも川をさかのぼって被害があった。今日は秋の鴎が夕べ飛んで海の方に去って行った。ともかく震災から一年半被災地にはいろいろなことがあった。今回の手術入院に二週間でも大きな経験となった。だからそのつづきがかなりある。

2012年09月12日

一年半過ぎた津浪原発の被災地 (相馬市の病院に行く)

 

一年半過ぎた津浪原発の被災地

(相馬市の病院に行く)


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草ぼうぼうの鹿島駅

草むして駅の淋しき秋の蝶


日立木を越えて相馬市実りかな


ひまわりの車窓に一時走り去る

●駅員と話しする


この辺は原町-相馬市間は電車が一時間おきくらいに通っている。ただ鹿島駅が草茫々になっていた。この風景がこの辺を象徴的に示している光景だった。誰も草も刈らない、整備できない、電車は遠くこないから別にかまわないとかなり放置される。
「常磐線は仙台までいつ通りますか」
「三年でできますよ、用地買収さえできればね」
「そういうもんですか、三年でできますか」
「東日本鉄道は黒字経営ですから、でも全部負担させられるから大変でしょう」
「病院に行くんですよ、車がないので電車は便利です、病院は本当に大事ですよ
いい病院がなかったら治る病気も治りませんから」
そんな話しを誰いないから駅員とした。しかし駅のホ-ムが草茫々になっている心理的影響が大きいのである。心まで草茫々になってしまう。日立木を越えると稲の実りがあるがら普通の光景になる。帰りは車窓からひまわりが見えて一時の電車にのることは楽しめた。


●手術は何でもリスクがともなっている


相馬総合病院では近くの人が入院するところだった。同じ泌尿器だけど前立腺関係ではなかった。そういう話を聞いていたのでそうだと思った。その人は職人であり筋骨隆々としていたが急激に老いた。重篤な病人になっていた。顔色も悪い。車椅子を押されて入院であった。病気は胆嚢だとか言っていたが詳しくかはわからない。あの様子をみたけど自分が入院した人たちとはあまりにも違っていた。しゃべることもできないような状態に見えた。そして贅肉がついて太っていた。
ともかく人間の病気は本当に万病がある。泌尿器科でも種類が多いのである。自分は手術が他の人より倍かかり前立腺からの出血がひどかった。それで手術跡に輸血した。それなりに危険性もあったのだ。


前立腺肥大のための手術で、手術中に患者が大量出血する。病院は止血措置をとり、4時間で止血が完了する。この間、低血圧が20〜30分続く。その日の夜に手術が成功する。しかし自発呼吸なし。その後意識が戻らず、数日後に死亡。原因は脳浮腫。


400ccもの出血があった点について泌尿器科の医師に問い合わせると、血管を切ったのだろうと言われる。問題は、血管を切ったのがミスかどうか。手術なので血管を切るのは当たり前だが、その場合でも止血措置が適切だったのかは問題。
事前に400ccの自己血をとっていたが、これは出血を予想しているから。しかしその20倍の出血は予想されてないはず
www.law.osaka-u.ac.jp/clpp/achieve/lawyering/doc/071220.doc


自分も手術後400ccは輸血した。この人の出血は多すぎたから死んだ。前立腺肥大手術は事前には危険のない簡単なものだと思っていた。しかし手術は何でもリスクがある。医療ミスがありそれか怖いのである。自分の場合も2時間つづき出血が多かった。前立腺か大きかったからである。それでやはり出血が多かった。それで手術後も血尿がでるので病院に行った。血をとめる注射をしてもらったり薬ももらう。血が何か気味悪いのである。出血が多かったから長くかかると言われた。とにかく病気は何かと不安にさせられるのだ。


そしてつくづくこの辺ではもう医者や病院を選ぶことはできない、南相馬市立病院では二棟病棟しか屋ていない。医者は外部から来ているが子供をもった看護師が流出しているからできないという。
医療は医者だけではできない必ず看護師などが必要なのである。チ-ムワ-クなのが医療なのである。この辺ではもう病気になったら早めに死ぬほかないかもしれない、他だったら大都会だったら医者を選び直せる病気があってもできない、仙台の方にあればできるとしても通うのが大変になる。電車も通らないとか乗り物には長く乗るなとか手術後指示されたら通いようがないからだ。
この辺ではもう直せる病気も治せない、江戸時代のように薬師堂にでも祈るほかなくなる。


●原発事故は心理的ダメ-ジが大きかった


これは原発事故などで医療の過疎地帯がさらに悪い状態になった。津浪や原発事故から一年半すぎたけどなぜ復興できないのか?それは津浪や原発事故が心理的ダメ-ジが大きすぎたためである。原発事故でも小高など別にたいして放射線量は高くない、そもそも政府で立入禁止区域にしたことがわからなかった。人為的に国境線のようなものがひかれその中は荒廃した。その状態をみて小高の人は帰れるのに帰りたくないとかなった。実際は放射能はそれほどのものではないから帰ってもいいのだけど心理的にそういう帰りたいという気持ちを萎縮させたのである。つまり放射能被害は非情に心理的影響が風評被害が大きいのである。放射能の影響が実際のところはどれだけあるのかわからないにしても心理的にすでに放射能地域の食べものは食べたくないという風評被害であり科学的根拠からではないものにしても心理的影響が大きいのである。


例えば景気は気の持ちようで景気は良くなるというときそうである。現実に過酷な被害であってもそれが何倍もの風評被害、心理的ダメ-ジを与えているのである。自分にしても何か原発事故の中心地帯に近いといいイメ-ジをもてない、実際は放射能はたいしたことがなくても心理的にそう思わさせられたのが20キロ圏とか30キロ圏とかの設定だったのである。だから原町の方には住みたくないし相馬市の方に住みたいと心理的になってしまう、心理的にそうさせられたというのが放射能被害だったのである。

小高は別に国によって封鎖された結果、かえって荒廃した。別に実際は放射能はそれほどでないのにそう思わされてしまった。外部からもそう思われる。放射能は心理的影響が一番大きい災害であった。放射能はどれだけ被害をだすかわからないのにその何倍もの心配もして若い人が流出したのである。放射能はそうした実際の被害がわからないのにその何倍の影響があると思わせたのである。
この心理的ダメ-ジから脱するには開き直ることしかないかもしれない、老人だったらできるだろう。俺たちはもうここで死ぬんだ、放射能などどうでもいいとかなりうる。実際そう言っている80以上の人が多くいる。ただ高齢者は若い人の助けなくして生活できない、それがなければそういう人たちはもう残り少ない余命をしたいようにさせろとなる。
posted by 老鶯 at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連