2012年08月18日

萱浜ではない、泉の前向の赤い屋根の家は津浪で流された (小学生二人と高校生、おばあさんが流され死んだ)


萱浜ではない、泉の前向の赤い屋根の家は津浪で流された

(小学生二人と高校生、おばあさんが流され死んだ)


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この家が流されて死んだ人がいた
やはり下流であり海が近かったから逃げようがなかった。
近くに山もない、津浪は早く逃げるほか助かる方法がなかったのである。

>二枚目の写真の赤い家では小学生二人高校生一人
>とおばあさんが建物ごと亡くなったおうちです。


この立派な家が流されたのか?小学生二人と高校生とおばあさんが死んだ。
これはかなりいたましいことです。

萱浜ではなく泉でありでも海にやはり近かった。あんなに家があったとは思わなかった。
だからあそこがどこかわからなかった。たまたま鵜の写真をとろとしていただけであり
萱浜をとろとしていたのではなかった。偶然に残っていたのである。
記憶でもあそこにあんなに家があったとは思えなかった。
あそこは結構新しい家だから新しい住宅地だったのか、ただ海にかなり近かったことが災いした。
もっと上流の方かとも思った。あそこにあれだけの家があって流されたことは驚きである。
今になるとこういう写真が貴重になる。
ともかく平和な日が津浪で根こそぎ失われた。
ご冥福をお祈りします


新田川の河口には小さな漁港があったというのはやはり江戸時代からあったのかもしれない、海老浜からは帆掛け舟がでていたと90歳の老人から聞いた。烏崎の港はそれなりに大きかった。
右田浜の神社に三十人の船主の碑があった。ただ新田川に小さいながらでも漁港があったことはそれなりに海を通じて営みがあったということである。萱浜は田として開拓されて漁港はないと思っていたからである。


ともかく老人施設のヨッシランドは高台にありあそこまで津浪が来るとは誰も思わなかった。老人施設では36人死んでいる。萱浜一帯は思ったより被害が大きかった。ヨッシ-ランドであれだけの被害があるとしたら写真にとった泉の前向の家は完全に家ごと全部流されて家にいた人も死んだのである。逃げられずに死んだのである。八沢浦では海から近いのに津浪を見て裏山に逃げて助かった人がいた。あそこは山がないから見てからでは遅かったのである。ヨッシ-ランドは結構距離があるから異変を察して即座に逃げたら助かったかもしれないが老人であり反応するのが遅かったのかもしれない、その前に職員は逃げなければ助からない、説得したり老人を逃がそうとしたら自分が助からない、その時間の余裕がないのだ。現実に老人を助けに行って死んだ人が他であった。津浪は他者を助ける時間的余裕がないのだ。だから津浪でんでこでばらばらになってともかく逃げろということが伝わった。


原発事故の避難者も大勢だがやはり津浪の被害者は家族が死んでいるから一番被害が深刻だった。
ただ原発の避難者が多いので津浪の被害者にはあまりあわない、萱浜も津浪の跡を見たときは荒寥としていた。高台まで津浪が来ていたので驚いた。死んだ人の話しを聞けば津浪の恐ろしさをさらに実感する。思った以上にそういう人に会えないから今回の報告は驚きだった。

posted by 老鶯 at 03:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係