2012年08月16日

蝉しぐれ(残り谷(家)-津浪の跡)


蝉しぐれ(残り谷(家)-津浪の跡)


草原のそちこち眠る夏の蝶

津浪にも残れる杜に蝉しぐれ

ひぐらしや屋敷林の残る家

残り谷(家)という地名が津浪に由来していたというのが実感としてわかった。つまり津浪で残った家はこれは津浪で残った家だなと意識する。この辺では右田浜の方に良く行くからこの辺まで津浪が来てこの家は津浪で残っている。この社の杜は残っている。そして残った家の屋敷林とか林に囲まれた農家に蝉が鳴いている。蝉がそこに集まって鳴いている。林が残っているから集まり鳴いているのだ。そういうことも津浪の結果として自然が変わり蝉もまた違ったように鳴いている。

今年は全国的に蝉が鳴かない、最近ようやく多少ふえてひぐらしなどが鳴いている。これは別に放射能の影響ではない。ただ津浪で自然が変わり蝉の鳴き方も変わって感じたということである。

お盆で子供連れの若い人をス-パ-で多くみかけた。仮設住宅にもやはり孫など連れて若い人が来ているのだろう。また遠くに行った若い人でも地元に戻って仮設に入っているという。それで小高の人などがまたふえたのかもしれない、今日はお盆のせいで若い人を多くみかけたのだろう。


やはりお盆に死んだ人と会うというより死んだ人を思い出す、死んだ人を語るにふさわしいのである。一年に一度死んだ人を思い出すのである。人間はつくづく死んだら忘れられてゆくだけである。
忘れられるのが本当に早い。どんなに長く一緒にいても死んだ人は忘れてゆくものである。
何十年も死んだ人を思いつづけている人はまれだろう。テレビの映画で戦死した人を待っている人がいた話しをしたがもうそういう話しは実際にはないだろう。現実味がない、それほど遠くなってしまったのである。ただ戦争は異常なことだからなかなか忘れられないのだ。姉も従軍看護婦で4年間シンガポ-ルにいたからそのことを語りつづけ死ぬ前までそのことを語っていたのである。
認知症になってから何回も千回も同じことを語る。それだけ戦争の記憶は消えなかった。特に戦争が青春だったから戦争の是非はともかく忘れられないのである。

津浪のこともこの被害にあい家族をなくした人も忘れられないだろう。二年たったとしても何ら変わりない、結局元のようにもどらないから余計に荒寥としている。突然これだけの人が死んだことは経験していない、戦争中はこれ以上に人が死んでいた。300万人死んだと言っても実感がない、その一人一人が記憶に残されるのである。


人間生まれた所も重要なのかもしれないが死ぬ所も重要ではないか。人間は最後記憶に残されるのはどこで生まれて何で死んで何歳で死んでどこで死んだくらいしか記録されない、墓見たって名前しかわからない、名前からは何もその人を思い出すものはないのである。実家の墓は何度も言うけど25歳で肺病で死んだということを聞いているからそんなに若くして死んだのだなと必ず思うのである。この人はもっと生きたかったろうなと墓参りしたときだけ思うのである。
「俺はもっと生きたかった、生きたかった・・・」そういう叫び声がその一行の文字から聞こえてくるのである。戦争を経験している人は今生きていることがありがたいというか価値になっている。

多くの仲間が死んでもうわけないということが常に頭にあったからである。そういうことは病気をした人などもそうなる。今生きていられる、そのことだけで生きることが価値あるものとなっている。生きる時間を与えられていることがそれだけ貴重なものとなっている。だんだん死が近づくと金より時間が最も価値あるものとなる。この世に生きる時間がなくなってしまうからである。

人間は旅で死すというのもあるが普通はやはり死ぬ場所が大事ではないか?それは故郷とは限らない、長く住んだところが愛着あり死ぬ場所となる。そしてそこに一緒に死ぬ人も大事ではないか?

死ぬ仲間というのも変だが、俺たちはここで一緒に死ぬんだということが一つの人間同士のつながりを作るものとなる。江戸時代辺りはたいがい生まれたところでずっと生きて共に生活した人と一緒に死んだから今とは違う強い仲間意識があったのだろう。「俺たちここで生活してここで死ぬんだ・・」そういう意識はやはり一つの連帯を生むものとなる。都会は今は土地にこだわらないからそんなこと古いとなるけど死んだ人は山の霊となるとかいう信仰は自然信仰とも言えるのだろう。その土地の精霊のようになってしまう。それは人間が生活しはじめたときどこにでもあった信仰だから自然信仰ともいえる。都会だとそういう場がない、意識もない、だから墓がない人は団地のように小さな一角に骨が納められ墓になっている。それも何か味気ない、自然とのつながりがもともとないからそうなってしまった。


ともかくこの辺では原発事故で故郷から離れて暮らす人が7万人もいるとか異常事態なのである。60過ぎたら俺たちはここで死ぬんだということが決まる、心情的にそうなってゆくのが普通である。自分はそうでないにしても他の人はそういう意識が強い。それが突然切り離されたからアイデインティティが断ち切られたから困惑するのである。だから若い人と中年と老年世代の意識はかなた違う。若い人は故郷を離れても自分たちのアイデインティティを作れる場を得るかもしれない、しかし60以上になると無理だろう。とにかく自分はここで死んでゆくんだというときやはり人間はそこが最後の場所になるから特別なものになるだろう。

啄木は自分の死ぬ場所は都会ではなく故郷だと死ぬ時思ったから悲痛なものとなったのである。自分も病院に入ったときここで死ぬことを意識した。実際は病気でもそれほどではなかったがそれなりに危険な面もあった。今度も手術だからそういう軽いものでも死を意識させられるのが病院なのである。相馬市立病院は環境的には良くないから死ぬ場所としては良くない、美しい外の景色を見て死ねるということがない、自分の場合は花を詩にしたから最後に花を見て死ぬのがふさわしいことは確かである。