2012年08月13日

飛鳥の国見の歌になぜ鴎が (海を難波の海を意識していた人が作った)


飛鳥の国見の歌になぜ鴎がなぜ飛ぶ鳥なのか?

(海を難波の海を意識していた人が作った)



夏の日や大坂城に鴎飛ぶ


大阪城に関するテレビ番組を見ていたら鴎が飛んでいた。鴎が飛ぶのか、飛んで当たり前だとも思った。ただ大阪は大都会だから街の中まで飛ばないと思った。一瞬鴎が飛んでいることが新鮮だった。テレビではなかなかその自然背景までわからない、大坂城は海に近いから鴎が飛んでいても不思議ではない、こういうことは住んでいればわかることだが住まない人にはわかりにくい、旅をしても鴎を見ることはないだろう。ただ鴎は琵琶湖ではいつも群れている。鴎は川をさかのぼり飛んでくる。
鵜も川をさかのぼり飛んでくる。だから鴎でも川の奥まで飛んでくることがありうる。琵琶湖の鴎は淀川などをさかのぼってきたものかもしれぬ、琵琶湖は広いから海のように感じて鴎が群れなしていつもいる。浮御堂のところにはいつも鴎が群れている。


秋鴎群れつつ暮れぬ浮御堂


こんな句も作ったことがあった。鴎はとにかく川があれば海からかなりさかのぼって飛んでくる。その川が大きければ川をかなりさかのぼって飛んでくる。海から近い川にしろそういう光景はいつも見ている。飛鳥に歌われた万葉集の国見の歌に鴎がでてくるのはやはり難波の海から川をさかのぼってとんできたものなのか?ただ海原とあるから海が望見できた地帯だということで奈良の古代地形でそのことを書いた。

 



天皇の、香具山に登りて望国(くにみ)したまひし時の御製歌


大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鴎(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は


海原は見えないにしても古代は海でありさらに難波の海を意識してこの歌が作られた。難波の海と飛鳥と奈良は川で荷物を運んでいたり古代から結ばれていた。だから海原は難波とつながりを意識した国見の歌ともとれるのである。 


津浪が明かにした日本列島の地形のダイナミズム
(奈良盆地は海湾→海水湖→淡水湖→盆地に変化した)
http://musubu2.sblo.jp/article/45685693.html


飛鳥に最初に都が築かれたのは大和盆地が湖であり湿地帯だったから山際の飛鳥が選ばれた。山際にそっこ山辺の道が日本の最も古い道となったのもそのためである。地形的要因でそうなった。難波は広大な湿地帯であり海湾だからそこが便利でも都にすることはできなかったのである。


飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ 元明天皇 巻1・78


飛鳥は飛ぶ鳥という枕詞からも由来していた。なぜ明日香が飛ぶ鳥が枕詞になるのか?その鳥とはいかなる鳥なのか?もしかしたら飛ぶ鳥とは国見の歌の鴎のことなのか?鴎のように私は明日香を去って難波の方へ去ってゆく、川を下って海へとでてゆく、これは鴎を意識しているのかもしれない、なぜなら山の奥の明日香が飛ぶ鳥とんう枕詞がつくはずがないからだ。飛鳥(明日香)は難波の海と結ばれていたのである


明日香皇女のきのへの殯宮の時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首并に短歌


飛ぶ鳥の 明日香の河の 上つ瀬に 石橋渡し 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひをれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる 

 御食向ふ きのえの宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも あやにかなしみ ぬえ鳥の 片恋嬬 朝鳥の 往来はす君が 夏草の 念ひ萎えて 夕星の か往きかく去き 大船の たゆたふ見れば なぐさむる 情もあらず そこゆゑに せむすべ知れや 音のみも  [巻2-196]。


ぬえ鳥とは夜に鳴くとりである。朝鳥とは何なのか?鴎なのだろうか?目覚めてみれば鴎が飛んでいて海へと通じている。大船の たゆたふ見れば・・ここになぜ船がでてくるのか?それも大船である。これは海を意識している。難波の海を意識している。鴎は夏にふさわしい鳥でもある。いづれにしろここになぜ大船が突然でてくるのか解せないのである。そもそも明日香が飛ぶ鳥が枕詞になっていること自体不思議である。飛ぶ鳥といったとき山の中や近間を飛んでいる鳥なのか?それとも海まで通じて飛んでいる鳥、鴎のようなものをさしているのか?国見の歌に鴎がでてくることは鴎だということもありうる。ともかく明日香(飛鳥)は難波の海と結びつくものがあった。大坂城に鴎が飛んでいることは大坂城が海と結びつき堀も海へと通じていた。飛鳥や奈良が海とは遠く通じていないと思っても川とかで通じていたのである。


吉野から入った神武天皇の久米歌にも


我が待つや鴫は障らず いすくはし障る


神風の伊勢の海の大石にやい這ひ廻る細螺(しただみ)の細螺の吾子よ吾子よ細螺のい這ひ廻り撃ちてし止まむ撃ちてし止まむ


鯨とか細螺(しただみ)巻き貝とかでてくる。海人族が山に侵攻してきたからこの歌ができた。だから海が見えないにしろ国見の歌は海を意識するからこそ作られたのである。海を生活の根拠としている人たちが入ってきたから山でも海のことが意識されてこの歌ができたのである。

posted by 老鶯 at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集