2012年08月12日

見て面白くないスポ-ツ、オリンピック (ギリシャではすべてが神話なったのはなぜ?)


見て面白くないスポ-ツ、オリンピック

(ギリシャではすべてが神話なったのはなぜ?)

olinpiaaaaa111.jpg
オリンピアの競技場

本当に小さい競技場なんだよ


kyogijyouuu111.jpg


ロンドンオリンピックも終わりになった。オリンピックを見てつくづく面白くないと思った。スポ-ツは明かに自分でするのとただ見ているだけのスポ-ツはまるで違ったものになる。オリンピック競技は見て面白くないのが多い。ギリシャの時代では円盤投げでもハンマ-投げでも槍投げでも面白かった。興味深々で見ていた。なぜならオリンピックの起源はもともと軍事訓練になったからだ。実際の戦争が競技になった。槍もハンマ-も円盤も武器だったのである。だから日頃からその武器に使いこなせねばならないから軍事訓練として真剣に見ていた。一方でオリンピック期間中は戦争を中止したというのも戦争の模擬競技のようなものが一つの遊び化したためだろう。戦争でもゲ-ム化したり今でもしているから人間はゲ-ムを楽しむものなのである。そこに積極的平和思想があって戦闘を中止したということではなかったろう。オリンピックはあくまでも軍事訓練から発している。武道が戦争のために生まれたようにスポ-ツもそうである。現実にマラトンの戦いで勝利を告げるために走ったのである。戦争からマラソンも発していることがわかる。戦争は生きるか死ぬのかの戦いである。それが人間の場合はゲ-ム化するのである。ただギリシャで違っていたのはそうした戦争に由来するものでもすべてが自然の中で営まれていて神話化したことである。ギリシャの神殿は巨大なものはない、自然と調和して作られている。これは技術がないために巨大なものが作られなかったのではなく自然との調和を計るために巨大なものを作らなかった。そういう思想があった。

ロ-マのコロッセウムの競技場とは違うそこはどこでも美しい自然と調和して競技場も作られていた。またロ-マも剣闘士を戦わせたがそれは見せ物とされた悪しき人間の遺産として残された。「バンとサ-カス」として歴史の汚点として残された。ただその心理的なものは今の時代とも共通している。格闘技を見ていると柔道でもレスリングでもボクシングでも競技する時間が短いし常にものたりないものとして終わる。本人はぎりぎりで全力を尽くして戦っていても見ている方にはそう見えないのである。もっと激しくやれどっちか倒れるまでやれとか心理的になる。これはコロッセウムで剣闘士の戦いを見ていた人たちと同じ人間の心理である。だからこそロ-マでは猛獣と人間を戦わせるまでエスカレ-トしたのである。見て面白くさせるためにそうなった。それはオリンピックでも言える。ほとんどの競技が見ていてつまらないのである。だからもっととことん戦い、倒れまで戦いとか心理的にはなる。見る側からするとそうなる。スボ-ツは見るスポ-ツと自らするスポ-ツは全然違うのである。サッカ-など自分は見方がわからないにしても全く見ていてつまらないのである。90分という長い時間に一回くらいゴ-ルに入って勝負が決まる、その間だらだら選手は走っているようにしか見えない、緊張感がまるでないしドラマもないのである。あれがどこが見ていて面白いのかわからない。熱狂するものが何一つない、十点くらいの勝負にあれば面白いのかもしれない、だから例え日本が決勝で勝手も興奮しないのである。その点野球は見るスポ-ツとして洗練されてきた。必ず長くてもその間にドラマがあるのだ。見ているだけでも面白い競技なのである。

いづれにしろオリンピックがなぜ興味がもてなくなったのか?それは発祥地のギリシャから考えないとわからない、ギリシャの魅力は常に自然と調和して人間の営みが行われていたからすべてが神話となった。オリンピックもその一つであり全体と関連してあった。一つの文明の一環としてオリンピックもあった。それは文化でありスポ-ツも切り離されて存在し得ないものであった。オリンピックが世界の祭典になったときそういうものにはならなかった。何か筋肉を競うだけの野獣的なものにも見える。筋肉だけを誇る競技でありロ-マのコロッセウムに近いのである。そもそもギリシャのオリンピアの競技場は遊園地のように狭い所だった。こんな狭い所が競技場だったのかと思うだろう。こんな狭い所で大の男が競技したのかとも思う。小人国の競技場のようにさえ思うだろう。それほど狭く小さいのである。それに反して体育館や神殿の跡の方が大きく目立つ、こんなに太い柱が礎石が残っている。建物の跡の方が立派なことが今でもわかる。それに反して競技場は狭く小さいのである。
そして競技場の回りは田舎であり家もまばらであり田園地帯であり春の日がさして花々が咲いていた。ギリシャは乾燥地帯だから雑草が少ないから花々は原色に映える。競技場はこのような自然に囲まれて調和して小さいものだったのである。だから神話が生まれた,商社にもオリ-ブの月桂冠が贈られた。ギリシャの魅力はすべてが自然と調和して営まれていたことなのである。




ヒュアキントスの神話


アポロンが円盤投げをして楽しんでいた時、ボレアスは意地悪く吹きまくって、円盤をとんでもない方向へと導いてしまいます。
運悪くその円盤は、アポロンの周りを駆け回っていたヒュアキントスの頭に当たり、彼は一瞬のうちに死んでしまいました。。。
(別説では、円盤投げの競技会での出来事とも言われています。)

アポロンは嘆き悲しみ、慈しみ愛したヒュアキントスを【ハデス】(黄泉の国・冥界の王)の国へ引き渡すことを許さず、彼を早春に咲く紫の美しい花『ヒアシンス』に変えたのです。
(その花は、現在のヒアシンスではなくアイリスの一種であったという説もあります。)



こういうこと小さな競技場で起こって当然である。回りは花々が咲いている田園だったからだ。大都会で行われるのとは違っていたのである。人間の営みは自然と調和するとき何でも美しいものとなるが調和しないとただ醜いだけになる。現代の文明はなぜこれほどまでに醜いのか、それは自然と調和しないからである。ロンドンオリンピックでも実際はもっとイギリスを知る、イギリスの自然と調和したようなものとなれば興味をもつ。イギリスの発祥のゴルフはイギリスの自然が丘がまさにゴルフを生んだことでもわかる。自然がゴルフ場になっていたのである。だからゴルフは自然と調和したものとしてあった。。スポ-ツも武道そうだし一つのその国土と調和した文化であり世界的オリンピックになるとただ筋肉だけを争う野獣的なものになる。それはロ-マのコロッセウムの再現なのである

オリンピア
http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotos-g189487-w14-Olympia_Elis_Region_West_Greece.html#22873964

posted by 老鶯 at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層