2012年08月11日

さくらのプログに宣伝が入り「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウン


さくらのプログに宣伝が入り「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウン

さくらのプログに今度はアップロ-ドするとき、そこまで下に一行宣伝が入る
そのために不具合が起きた。「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウンする。
何度もやり直さないとコピ-できない、「HTML」をコピ-して二つのプログを作っていたので困った。こんなところまで宣伝を入れるのはせこいなと思った。
インタ-レスマッチの宣伝もしないのに消えないのである。
インタ-ネットの世界は安いから何らかこうした宣伝でもうけないかぎりもうけられない,
だからここまでせこく宣伝しているのだ。
いちいちアップロ-ドするとき宣伝でてくるので目障りなのだ
それで何もないならいいが不具合になっているから困るのだ。

プログは毎日書いているからスム-ズに書けないと困るのである。

今のところ、入院とかで他に移れない、退院したら移らざるを得なくなる。
今は本当に宣伝から逃れられないのだ。宣伝が収入源になっているのはさくらのプログでも
安すぎるからそうなるのである。レンタルサ-バ-でも管理するのが結構人件費など金がかかる。
だからどうしてもどこでも宣伝を収入源としようとする。
ただ利用する方にとっては困るのだ。


利用者がなんといってもプログはサ-ビスでしているのだからどうにもならんだろう
他に移ってやってくれとなる。もっと金払っているならこうはならないのである。

posted by 老鶯 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

お盆(入院などで忙しくなった自分)


お盆(入院などで忙しくなった自分)


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鮎はねて買い物忙し夕べかな

ひぐらしや過ぎゆく時や墓参り

お盆きて実家の墓掃除勤めかな

母を一か月施設にあずけて自分は相馬市立病院に入院である。書類も十枚くらい書いたり判子も十回くらい押したりと大変だった。家族がいない、身寄りがないということは大変なことである。こんなことになると想像もしなかった。つまり身寄りがないことがどういうことが具体的にイメ-ジされていなかったのである。ここ5年間そのためにどれほどひどいめにあったか?それは認知症の看護記録などとして書いてきた。その後も介護であり自分の病気であり混乱はつづいているし今度は自分の手術であり誰もめんどうみるものがいないから施設にあづける。施設はすでにこの辺ではどこも300人待ちで入れない、隣の人は中通りの方の施設に一か月18万払って入っている。施設はどこでも満員であり入れなくなっている。それで政府では在宅介護に政策を変えたのだが在宅で介護する状態にはない、隣近所は全くあてにならないし家族も少ないのが多い。老々介護や病人が病人を介護するような悲惨な状態にもなっている。これは自分だけではない、そういう事例はもうすでに社会に顕著であるが対策もない、病院にすらもう収容できないとかそういうふうに介護難民とかあぶれた人が大量に出てきているしこれから団塊の世代でも老人が増大するのだからますますもう施設などに入れるのは一部の人だけになってしまう。それは本当に深刻なものとなる。特にこの辺では若い人が流出している。セブンエレブンでは他県から人員を補充しているとか介護士が福岡県から来ているとかその宿泊所まで仮設住宅のように用意した。こんな遠くから働き手を補充しないとやっていけない。


介護など素人でも別にできる、隣近所でもできる、そういう労働力はあまっていても資格がないとできないとかなっている。そんなこと言っているうちもう誰も助けてくれないと中世のような野垂れ死にになってゆくかもしれない、施設にも病院にも入れず隣近所も親戚の助けも得られず野垂れ死になってゆく、そうやって老人は淘汰される過酷な時代になってゆくのかもしれない、若者が老人が負担だというとき別に老人は淘汰され切り捨てられつつあるのだ。だから中世のような宗教や思想が必要になってくる。長生きするというより題目を唱えて早く来世にゆくことが人間にとって幸福なのだという信仰である。それが実際にこれから現実化している、のんびり余生を送れるなどなくなっている。特にこの辺は金があっても年金を公務員など高額にもらっているとしてもサ-ビスを受けられない、なぜなら若い人が働き手が流出しているからだ。これは実際は相当な深刻な問題である。老人だけが取り残される姥捨山になる恐怖がある。放射能は老人には関係ないから老人は住めばいいというけど誰も世話する人もいない所は姥捨山になるのだ。高齢化社会の問題が顕著に原発事故避難地区とか津浪の被害地域に現れているのだ。農業なども跡継ぎがいないから田畑を守ることより補償金をもらった方がいいという人もかなりいるだろう。国民保険ではたりないから一人十万の補償金で暮らせたらいいなどと思っている人もかなりいる。それだけ老人が多いからそうなる。


お盆になり二つの墓を掃除する。一つは原町の橋本町にある実家の墓である。ここは墓しか残っていない、そこでは25歳で肺病で死んだ人が埋まっているからいつもそのことを思い出す、肺病は三国志でもみんなかかってそれで死んでいるから昔からあった病気である。実家の墓に埋まっている人は四人は実際にあって知っている。ただ親戚がいたけどその人とは絶縁した。でも墓だけお参りしている。墓というのもまた誰かが守らないと荒廃してゆく、最後は無縁仏になる。墓はお盆はやはり一年に一度でも死者と会うというより死者を思い出す日、儀式である。この風習は別に悪くないと思う。風習にはそれなりの意味があり文化としてある。死者がお盆に来るというのは極めて日本人的感覚文化なのだろう。故郷を追われ避難した人はこの墓の問題でも困っているのだ。そんな簡単に長年住んだ故郷を捨てることはできないだろう。故郷というとき実際は江戸時代でもその前までもさかのぼる時間があり歴史としてある。そううい長い時間で培われてきたものを簡単に捨てることができるのか?

この辺はそうした様々な問題がふきだしている。異常な混乱はつづいている。自分もしばらくは混乱でありなかなかプログも書けなくなる。ただ今回は事前に準備できたから良かった。前は準備もできず急に入院させられ一か月も病院から出られず家が空になりそれが大変な目にあうことになった。誰いなくなり頼ったのが強盗と同じ様な人しかない悲劇だったのである。身寄りがないということはそうなるから悲劇である。これから身寄りのない人は中世の宗教観をもつべきかもしれない、本当に誰も頼りにならない、ただ念仏などを唱えて早めに死ぬことが救いだったのである。


いづれにしろ時はたちまちすぎてゆく,もう死んだ人とは会えなくなった。そういう日は自分にも近づいている。死ねば二度とこの世では会えなくなる。ひぐらしが鳴いて何かあわただしく時が過ぎてゆく、無常迅速である。ともかくここ一か月以上は自分は入院でありいろいろ追われてプログには書けなくなる。

ただ病院は暇だから通信できればいいがパソコンはもってゆくが古いものなので通信速度が遅くてだめだった。何回かは報告できるかもしれない、あと一週間ほどで入院である。手術そのものはさほどのものではないが病気は病気である。