2012年08月07日

八沢浦が美しい自然にもどった・・この発言は不謹慎について

 

八沢浦が美しい自然にもどった・・この発言は不謹慎について


津浪は凄惨な光景ばかり放送されている。もしかしたら美しい自然にもどったなどと報道したのは自分くらいしかいないかもしれない、そんなこと不謹慎だ、被害にあった人のことを考えて見ろ、よくそんなこと言えるものだと批判されるのが普通かもしれない、どれくらいの人が死んだかわかっているのか?お前は死者を冒涜しているとなる。でも自分は正直に津浪の否定的な面ばかり伝えられるが
津浪がすべて悪とされるのだろうか?そういう疑問も正直にある。津浪もやはり自然の作用であり自然にとって別に人間に対する悪意はない、自然の作用だから自然は必ず美をもたらす。なぜならこれほど日本の海岸線が防潮堤でコンクリ-トの壁となり美観が損なわれたのか、それはもともと自然の状態のままにしないということだったのである。何も波に浸食されるならそのままにしてもいい、かえって防潮堤がなくなり原野になり北海道のような砂浜が生まれる。人間の方が自然に合わせてそういう場所には住まないようにするのが自然に従い生きることであり理にかなっている。
青松白砂の風景は人工的なものだったが人間が作り出したものでも自然に調和していた。しかしそれも人工的なものであり自然破壊だったことを津浪でわかったのである。

つまり今回の津浪の悲劇は日本の国土が狭すぎるために起きた。田んぼにするためにもともと米作りには適さない海岸沿いに田んぼを開拓して広げた。それは日本が土地が狭いから広げる地がないからそうなった。右田でも八沢浦でも烏崎の辺は低地であり海に近く稲作には適していなかったのである。そしてどうして磯部であれ烏崎であれ海岸に接して家が密集していたのだろう?それは磯部でもその前は広い田んぼになっていて開拓された地帯だった。右田でも烏崎でもそうである。その広く開拓された地域には人家がほとんど建っていない、海岸沿いに家が密集していた。三陸のように漁業するためではない、もともと田を作り稲作するために海岸沿いに家が集中するようになった。松川浦は塩田とか漁業があったにしろ他は田を作り米をとることが生活の基盤であった。磯部でももともと砂州の所に家が密集したのである。それは田んぼになるところに家が建てばそれだけ田んぼの土地が狭くなるということがあったのでは?家が海岸沿いに密集したのは田んぼにする土地を確保するためだったのかもしれない、漁業のためにではなかった。


日本は土地が狭いから山でも棚田など作り手間をかけて米を作り生活してきた。それは山だけではない、海岸沿いもそうだった。だから海岸沿いに田んぼを作り人が住むことは自然に反することであり危険なことでもあった。だからこそ自然に復讐されたともなる。日本が中国と戦争したのも満州という広大な地が必要だった、あそこはあれだけ寒いのに米作りをしようとしていた。その時まで日本人の発想は農業が基本であり農業でもって土地を拡大して生活するということしかなかった。戦前でもそうだし戦後10年くらいでも開拓していたのである。戦争の原因は明かに満州にあり土地にこだわったことにあったのだ。今になると減反政策になり工業化こそ国を豊にすることになったから時代の制約で農業しか豊にする発想ができなかったのが悲劇に通じていたのである。原発事故もロシアやアメリカのように広大な土地があれば移住できた。それができないから日本の国土には原発が向いていないということもあったのだ。日本は土地がないから土地が一番価値あるものとされてバブルが起きた。農業にはどうしても土地が基本になるから土地に執着する。それが戦争の原因だったのである。


津浪がすべて否定的になるが果たして人間側に問題がなかったのか?自然に適合しない人間側にも問題があった。自然に適合しないことは必ず自然と調和しないから美が損なわれるのである。日本の海岸線は防潮堤たげの白砂のない浜辺になった。そして防潮堤が一部破壊されてそこから波が押しよせて白砂の浜辺が生まれた。それは一部自然にもどったことなのである。防潮堤がなくなり波の浸食のままにまかせていたら原初の砂浜にもどる、北海道のようになる。それも美しい光景になる。現実に磯部の前の田んぼが広大な湖のようになったときも驚嘆した。それは美しい光景でありそこは雨がふったりして淡水湖のようになった。これが自然の作用なのかと驚嘆した。あの辺も田んぼの中にはほとんど家はなかったのである。家が密集している所は凄惨なものになった。そこには美はなかった。だから都会が災害にあうときものすごい凄惨なものになる。自然がそこにはないから救われない、
ただ人工化した廃墟だけが残る。一方でもともと自然があったところは津浪でも原初の自然が再現されて奇跡のように美しい光景か一時的にも現れたのである。それは救いだったのである。
現代は大都会でも美が喪失している。その光景自体が絶望的ではないか?そういう世界がもし消失しても惜しいと思うだろうか?もちろん人命は貴重であるがそれ以上にその環境に美がなかったら人間が住んでも価値が生まれない、自然に美があるから人間もまた美しく飾られているのである。

都会のような人工化した世界がとれだけ醜悪になっているのか?そういうところに住んでいる人間すら価値あるのかとなる。

ただ一般的にはあまりにも凄惨な津浪の被害しか放送されない、そういうものだけではなくわずかであっても津浪は原初の自然を再現して驚嘆すべき美を再現したと伝えるのもまた報道なのである。
だから八沢浦とか磯部の前の田んぼは一時的にも海になり美しかったと報告するのも一つの報道でありこれをとがめる人がいても自分は正直にそう報道する。もちろん磯部では多くの人が死んだからまたそのことを言われるが田んぼだった所には家は本当に少なかったし八沢浦でもそうだった。

実際に八沢浦でどれだけの死者がでたのか?磯部と違ってかなり少ないと思う。確かに被害者はいた。その人の冥福はお祈りする。しかし一時的に美しい自然がもどったということでこいつはなんという奴だ、非人間だとか批判するのはおかしいのである。津浪はやはり自然の作用でありその自然の作用に逆らう人間側にも問題があった。お前は被害にあった人間の悲しみを無視するのかとかなるのは納得がいかない、またこれは別問題なのである。

posted by 老鶯 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

新しく詩集の部作りました



新しく詩集の部を作りました

数が多くなったので分類してゆきます
最近大量の詩を書きました
詩も書けるようになるといくらでも書けるようです
ただ最近家事が忙しいので集中できない
ともかく分類すれば読みやすくなる
詩はあまり読まれないが一人でも読めばアクセス解析でわかる
新しいブログにすると一人でも読んだ人がわかるでしょう
それが励みにもなる
アクセス解析がないとインタ-ネットでは全く反応がないから
それがあるのかどうかすらわからないのです
そこが大きな問題なのです

雀の詩
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posted by 老鶯 at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般