2012年08月04日

CONFUSION(抽象画)


CONFUSION(抽象画)


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confusion

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energy of the earth


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one direction


この辺ほど混乱している異様な状態はない、津浪から原発から異常状態はつづいている。その方向も見えないのである。

抽象画は何かそうした心の状態の反映も現している。
ピカソの絵はまさに現代の混沌した状態を絵にしたのである。
抽象画はだからピカソとにてくるのだ。

南相馬市原町区萱浜(かいはま)の津浪前の写真の風景?


南相馬市原町区萱浜(かいはま)の津浪前の写真の風景?

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海側の橋の所の家は残ったのか
高いところは残っていた

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ここがどの辺かわからない、上流ではない
下流だけど家は津浪で流されたか
あんなに家が見えるのもわからない
ここはどこかわかりにくい。

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桜井古墳の方まで津浪が来たから
ここに写っている家も流されたのか?

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一葉松に行く所にあった農家の前の碑(文久とある)


南相馬市原町区も江戸時代に開拓した所であった。だからそれなりに古い。条件の悪い所だった。
あそこには港すらなかった。ただ田を作り米をとるために開拓したところである。

一葉松がある方へゆく道に甲子塔という碑があり文久とあるから江戸時代からあの農家はあった。
道というのではなく農家の前にあったからだ。一葉松まで津浪が来た。一葉松が塩分で腐れるのではないかと危惧されているのもそのためである。とすれば貴重なものが失われることになる。
あの松は長い間手入れしてやっとあの姿を復元して保つことができたから残念だとなる。


萱浜(かいはま)はあまり密集して家はなかったがぽつりぽつりと家があった。写真にとっていた所の風景の中の家は消えたのか?津浪にやられたのか?桜井古墳辺りまで津浪が来ていたから津浪をかぶったことは確かである。


ただ新田川沿いの家はどうなっているのか、どの辺なのか位置がわからなくなった。たまたま鵜が飛んでいる姿を撮ろうはしていたのであり風景をとろうとしたのではなかった。でも新田川の下流だからどうなったのかと思う。あんなに家が並んでいたのか後ろの方の家なのかもしれない、川沿いにあんなに家はなかった。


不思議なのはなぜ海岸に接して家が多かったかというと開拓した田の中に家を作れば田とする米のとれる土地が少なくなるからだったかもしれない、海に接して家を建てればそこはそもそも田にできない土地だから家として有効活用できたのである。それは磯部とか烏崎とかにも言えるかもしれない、砂州のような所に磯部では家が密集していたのである。

萱浜に実りのありしその時や津浪に流され今はなしかも

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萱浜や津浪のあとに庭の石残り離れじあわれなるかな

これは新田川の橋のたもとにあった家である。
あそこは何度か通ったけど跡形もなくただ庭の石が残っていた。
それが離れがたく残っていた。
庭の石は人間化した石だったのである。
どこでも庭の石とか樹が形見のように残っている
なんともこの辺は本当に不思議な光景であり
その状態は変わっていない、
こういう変化になじむには相当時間がかかる
あまりにも変わりすぎたからである

posted by 老鶯 at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係