2012年08月03日

「水道水は不安」…客は宅配水経営者の親族 日テレ報道番組に「放送倫理違反」の意見書


権力は権力によって利用される

「水道水は不安」…客は宅配水経営者の親族 日テレ報道番組に「放送倫理違反」の意見書
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120731/ent12073115530012-n1.htm

この辺では宅配水の会社かみんな電話がかかってくる。放射能の水の不安が払拭できないのである。子供をもっている母親は特に敏感であり利用する人がいる。水は毎日飲むものだから不安になるのだ。そういう不安につけこみ商売がある。週刊誌でも常に過剰に不安をあおることで商売が成り立つ、円高のときつられて損した。30円くらいのはばで円安になるとか言っていたのである。この時以来週刊誌は過剰に不安をあおるあてにならないものだと思った。なぜそうなるのかというと売るために不安をあおっている。視聴率をとるために常に刺激的な映像を流すというのもそのためである。すべてが売るために視聴率をかせぐためにとかなると放送倫理などなくなる。現代社会の問題はすべて利益優先主義になっている。そこに倫理は消失してゆく、だからこそ政府では利益に関係せず公平にみるために税金を払い監視させる役目を官僚などに与えた。でも官僚もさらに利益を得たいとなり東電などの「安全監視」を怠った。この世の中すべて利益優先主義になったら社会自体がゆがみ維持できなくなる。何より利益が先だということに全員が走ったら社会はやがて崩壊する。それぞれに職業倫理がありそれがなければ社会自体成り立たなくなる。確かにこの世には不公平がある。でもその不公平ばかりに眼を向けていたら働くのが馬鹿らしいとなり誰も働かなくなり盗賊だけになってしまうだろう。。現代社会は常に利益だけを求めてモラルなき社会となっているのだ。

そもそも日本テレビは読売新聞でありその正力松太郎が原発を作るために新聞を利用して安全だとして野心のために利用されたのである。だから読売新聞は東電の広告を一番多く出していた。マスメデアは新聞でもテレビでも今回のように放送する権力をもっているから逆に宅配水の会社に利用されたのである。普通はメデアの方が利用している。メデアによってテレビ局によって操作されるのが普通である。何らか編集がなされてテレビ局のシナリオ通りになる。単に事実を報道するのではない、その事実に対していろいろ意見を言い・・であるべきだとかマスコミが主導して世論を作り出すのである。つまり事実を正直に報道すること自体が本当はマスコミの一番大きな使命である。

しかしそのことができない、福島の原発でも再三問題が起きていたがそうした事実がマスコミで報道されたかというと隠蔽されていた。マスコミの役目が権力の監視役であるより権力側にとりいれられ方になっていた。だからこそ東電に事故が起こったとき名だたるマスコミの幹部が接待されていたのである。そこに朝日新聞までそうだった。マスコミ全部が安全神話を作る方にあった。これは戦争のときと同じだったのである。負けている事実は報道されない、官憲によって報道管制がしかれていたからである。現代はマスコミはただ利益を得たいためにそうしている。広告をとりたいためにそうしている。広告が会社の経営を成り立たせているのだからそうならざるをえない、だからマスコミは巨大な権力に買収される。東電は余りにも巨大すぎた会社だったからテレビ局であり新聞社であれ出版社であれ簡単に買収できる。何兆円もの資産があったのがら驚く。国家並の権力をもっていたのである。


今回の事件は宅配水の会社が権力をもっていて日本テレビを利用したというのではない、うまく利用されたのである。権力は日本テレビがもっていてもその権力を宅配水会社が勝手に利用したのである。権力をもつことはこういう危険性もある。権力がある、金がある所はまたそれを目当てに利用されるのである。人間はともかく絶えず金を利益を求めている。親族でもすでに財産だけしか頭にないというのが現実である。だから他人になればますます利益と権力しか求めてこない、金があるところには人もよってくるが金のない所には人もよりつかないのが現実である。マスコミは社会にとって大きな権力である。それは本当は民主主義社会では不可欠であり公正であり放送倫理が求められている。でも実際はマスコミ側にとっては一営利会社であり生活が成り立たないならやっていけないとなるからただ様々な権力によって利用されるだけだとなる。宗教団体という巨大権力にも利用される。地方新聞が聖教新聞を刷って収入としている。その他新聞社の収入源が広告である。広告がなくて成り立たないということ自体すでに公平でありえないのだ。東電は莫大な金を広告に使い安全神話を作れたのはそのためである。マスコミも報道機関もそれだけの権力があるから利用価値があるからそれだけの金がつぎこまれたのである。そもそも権力から独立していない報道機関はすでに公平ではない、ただ大きな会社でも権力でも利用されるだけだとなる。


この世の中がすべて金で動くというとき権力で動くというときその時すでに社会がもはや正常に維持できなくなる。職業倫理でもそうである。人間社会には常にモラルが基礎にあって成り立っている。ただあらゆる所に金を利益を権力を求めてゆくとき社会自体成り立たなくなる。盗賊社会になり下克上になりアナ-キ-無政府社会になってしまうのだ。警察で法律で取り締まってもそれは外的な制約であり内的にモラルがない社会はもう正常に成り立たなくなる。そういう恐怖が現代社会にある。

宗教団体も巨大な権力化しているから権力で社会を支配しようとする反面、また権力によって利用されるということがある。政治家は票田としてその権力を利用するし宗教団体ではも政治的に利用する。だからあれだけの数がいるとよからぬ連中が金や利益や権力目当てに入ってくる。その権力を利用しようとする人たちが入ってくるのだ。宗教はもともとキリストでもシャカでも家すらない権力ゼロから出発した。その後巨大な権力化した。もともと宗教は権力がないとき純粋に宗教的になった。権力があればその権力を目当てに必ず野心家や自らの欲望を達成しようとする人たちが入ってくる。

キリスト教弾圧の不幸は背後に国家権力があり宗教を通じてスペインなどに国が奪われる支配されるという恐怖でそうなった。宗教でも権力をもてば必ずそれを利用しようとする人たちが入ってくるからそういう場所はすでに宗教の場ではない、権力争奪の場でありそこで語られるのは権力に関する利益に関することだけである。権力がより具体的だから人々は眼を奪われ権力の虜になる。いづれにしろ権力を利益を越えたモラルがない社会は滅亡する。そのモラルは時代によって違っていた。国によっても違っていた。社会の骨格は本当はモラルにあったのであり利益や権力のみを求めるものではなかったのである。武士道があり江戸時代のモラルがあり社会が成り立っていた。それは武士だけのモラルではない社会全体のモラルとなっていたから社会が安定していたのである。すべてが利益優先主義になり権力だけを求める社会が原発事故も生み出したのである。

posted by 老鶯 at 05:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連