2012年08月11日

お盆(入院などで忙しくなった自分)


お盆(入院などで忙しくなった自分)


bpnnnnn1111.jpg


鮎はねて買い物忙し夕べかな

ひぐらしや過ぎゆく時や墓参り

お盆きて実家の墓掃除勤めかな

母を一か月施設にあずけて自分は相馬市立病院に入院である。書類も十枚くらい書いたり判子も十回くらい押したりと大変だった。家族がいない、身寄りがないということは大変なことである。こんなことになると想像もしなかった。つまり身寄りがないことがどういうことが具体的にイメ-ジされていなかったのである。ここ5年間そのためにどれほどひどいめにあったか?それは認知症の看護記録などとして書いてきた。その後も介護であり自分の病気であり混乱はつづいているし今度は自分の手術であり誰もめんどうみるものがいないから施設にあづける。施設はすでにこの辺ではどこも300人待ちで入れない、隣の人は中通りの方の施設に一か月18万払って入っている。施設はどこでも満員であり入れなくなっている。それで政府では在宅介護に政策を変えたのだが在宅で介護する状態にはない、隣近所は全くあてにならないし家族も少ないのが多い。老々介護や病人が病人を介護するような悲惨な状態にもなっている。これは自分だけではない、そういう事例はもうすでに社会に顕著であるが対策もない、病院にすらもう収容できないとかそういうふうに介護難民とかあぶれた人が大量に出てきているしこれから団塊の世代でも老人が増大するのだからますますもう施設などに入れるのは一部の人だけになってしまう。それは本当に深刻なものとなる。特にこの辺では若い人が流出している。セブンエレブンでは他県から人員を補充しているとか介護士が福岡県から来ているとかその宿泊所まで仮設住宅のように用意した。こんな遠くから働き手を補充しないとやっていけない。


介護など素人でも別にできる、隣近所でもできる、そういう労働力はあまっていても資格がないとできないとかなっている。そんなこと言っているうちもう誰も助けてくれないと中世のような野垂れ死にになってゆくかもしれない、施設にも病院にも入れず隣近所も親戚の助けも得られず野垂れ死になってゆく、そうやって老人は淘汰される過酷な時代になってゆくのかもしれない、若者が老人が負担だというとき別に老人は淘汰され切り捨てられつつあるのだ。だから中世のような宗教や思想が必要になってくる。長生きするというより題目を唱えて早く来世にゆくことが人間にとって幸福なのだという信仰である。それが実際にこれから現実化している、のんびり余生を送れるなどなくなっている。特にこの辺は金があっても年金を公務員など高額にもらっているとしてもサ-ビスを受けられない、なぜなら若い人が働き手が流出しているからだ。これは実際は相当な深刻な問題である。老人だけが取り残される姥捨山になる恐怖がある。放射能は老人には関係ないから老人は住めばいいというけど誰も世話する人もいない所は姥捨山になるのだ。高齢化社会の問題が顕著に原発事故避難地区とか津浪の被害地域に現れているのだ。農業なども跡継ぎがいないから田畑を守ることより補償金をもらった方がいいという人もかなりいるだろう。国民保険ではたりないから一人十万の補償金で暮らせたらいいなどと思っている人もかなりいる。それだけ老人が多いからそうなる。


お盆になり二つの墓を掃除する。一つは原町の橋本町にある実家の墓である。ここは墓しか残っていない、そこでは25歳で肺病で死んだ人が埋まっているからいつもそのことを思い出す、肺病は三国志でもみんなかかってそれで死んでいるから昔からあった病気である。実家の墓に埋まっている人は四人は実際にあって知っている。ただ親戚がいたけどその人とは絶縁した。でも墓だけお参りしている。墓というのもまた誰かが守らないと荒廃してゆく、最後は無縁仏になる。墓はお盆はやはり一年に一度でも死者と会うというより死者を思い出す日、儀式である。この風習は別に悪くないと思う。風習にはそれなりの意味があり文化としてある。死者がお盆に来るというのは極めて日本人的感覚文化なのだろう。故郷を追われ避難した人はこの墓の問題でも困っているのだ。そんな簡単に長年住んだ故郷を捨てることはできないだろう。故郷というとき実際は江戸時代でもその前までもさかのぼる時間があり歴史としてある。そううい長い時間で培われてきたものを簡単に捨てることができるのか?

この辺はそうした様々な問題がふきだしている。異常な混乱はつづいている。自分もしばらくは混乱でありなかなかプログも書けなくなる。ただ今回は事前に準備できたから良かった。前は準備もできず急に入院させられ一か月も病院から出られず家が空になりそれが大変な目にあうことになった。誰いなくなり頼ったのが強盗と同じ様な人しかない悲劇だったのである。身寄りがないということはそうなるから悲劇である。これから身寄りのない人は中世の宗教観をもつべきかもしれない、本当に誰も頼りにならない、ただ念仏などを唱えて早めに死ぬことが救いだったのである。


いづれにしろ時はたちまちすぎてゆく,もう死んだ人とは会えなくなった。そういう日は自分にも近づいている。死ねば二度とこの世では会えなくなる。ひぐらしが鳴いて何かあわただしく時が過ぎてゆく、無常迅速である。ともかくここ一か月以上は自分は入院でありいろいろ追われてプログには書けなくなる。

ただ病院は暇だから通信できればいいがパソコンはもってゆくが古いものなので通信速度が遅くてだめだった。何回かは報告できるかもしれない、あと一週間ほどで入院である。手術そのものはさほどのものではないが病気は病気である。

さくらのプログに宣伝が入り「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウン


さくらのプログに宣伝が入り「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウン

さくらのプログに今度はアップロ-ドするとき、そこまで下に一行宣伝が入る
そのために不具合が起きた。「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウンする。
何度もやり直さないとコピ-できない、「HTML」をコピ-して二つのプログを作っていたので困った。こんなところまで宣伝を入れるのはせこいなと思った。
インタ-レスマッチの宣伝もしないのに消えないのである。
インタ-ネットの世界は安いから何らかこうした宣伝でもうけないかぎりもうけられない,
だからここまでせこく宣伝しているのだ。
いちいちアップロ-ドするとき宣伝でてくるので目障りなのだ
それで何もないならいいが不具合になっているから困るのだ。

プログは毎日書いているからスム-ズに書けないと困るのである。

今のところ、入院とかで他に移れない、退院したら移らざるを得なくなる。
今は本当に宣伝から逃れられないのだ。宣伝が収入源になっているのはさくらのプログでも
安すぎるからそうなるのである。レンタルサ-バ-でも管理するのが結構人件費など金がかかる。
だからどうしてもどこでも宣伝を収入源としようとする。
ただ利用する方にとっては困るのだ。


利用者がなんといってもプログはサ-ビスでしているのだからどうにもならんだろう
他に移ってやってくれとなる。もっと金払っているならこうはならないのである。

posted by 老鶯 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年08月12日

見て面白くないスポ-ツ、オリンピック (ギリシャではすべてが神話なったのはなぜ?)


見て面白くないスポ-ツ、オリンピック

(ギリシャではすべてが神話なったのはなぜ?)

olinpiaaaaa111.jpg
オリンピアの競技場

本当に小さい競技場なんだよ


kyogijyouuu111.jpg


ロンドンオリンピックも終わりになった。オリンピックを見てつくづく面白くないと思った。スポ-ツは明かに自分でするのとただ見ているだけのスポ-ツはまるで違ったものになる。オリンピック競技は見て面白くないのが多い。ギリシャの時代では円盤投げでもハンマ-投げでも槍投げでも面白かった。興味深々で見ていた。なぜならオリンピックの起源はもともと軍事訓練になったからだ。実際の戦争が競技になった。槍もハンマ-も円盤も武器だったのである。だから日頃からその武器に使いこなせねばならないから軍事訓練として真剣に見ていた。一方でオリンピック期間中は戦争を中止したというのも戦争の模擬競技のようなものが一つの遊び化したためだろう。戦争でもゲ-ム化したり今でもしているから人間はゲ-ムを楽しむものなのである。そこに積極的平和思想があって戦闘を中止したということではなかったろう。オリンピックはあくまでも軍事訓練から発している。武道が戦争のために生まれたようにスポ-ツもそうである。現実にマラトンの戦いで勝利を告げるために走ったのである。戦争からマラソンも発していることがわかる。戦争は生きるか死ぬのかの戦いである。それが人間の場合はゲ-ム化するのである。ただギリシャで違っていたのはそうした戦争に由来するものでもすべてが自然の中で営まれていて神話化したことである。ギリシャの神殿は巨大なものはない、自然と調和して作られている。これは技術がないために巨大なものが作られなかったのではなく自然との調和を計るために巨大なものを作らなかった。そういう思想があった。

ロ-マのコロッセウムの競技場とは違うそこはどこでも美しい自然と調和して競技場も作られていた。またロ-マも剣闘士を戦わせたがそれは見せ物とされた悪しき人間の遺産として残された。「バンとサ-カス」として歴史の汚点として残された。ただその心理的なものは今の時代とも共通している。格闘技を見ていると柔道でもレスリングでもボクシングでも競技する時間が短いし常にものたりないものとして終わる。本人はぎりぎりで全力を尽くして戦っていても見ている方にはそう見えないのである。もっと激しくやれどっちか倒れるまでやれとか心理的になる。これはコロッセウムで剣闘士の戦いを見ていた人たちと同じ人間の心理である。だからこそロ-マでは猛獣と人間を戦わせるまでエスカレ-トしたのである。見て面白くさせるためにそうなった。それはオリンピックでも言える。ほとんどの競技が見ていてつまらないのである。だからもっととことん戦い、倒れまで戦いとか心理的にはなる。見る側からするとそうなる。スボ-ツは見るスポ-ツと自らするスポ-ツは全然違うのである。サッカ-など自分は見方がわからないにしても全く見ていてつまらないのである。90分という長い時間に一回くらいゴ-ルに入って勝負が決まる、その間だらだら選手は走っているようにしか見えない、緊張感がまるでないしドラマもないのである。あれがどこが見ていて面白いのかわからない。熱狂するものが何一つない、十点くらいの勝負にあれば面白いのかもしれない、だから例え日本が決勝で勝手も興奮しないのである。その点野球は見るスポ-ツとして洗練されてきた。必ず長くてもその間にドラマがあるのだ。見ているだけでも面白い競技なのである。

いづれにしろオリンピックがなぜ興味がもてなくなったのか?それは発祥地のギリシャから考えないとわからない、ギリシャの魅力は常に自然と調和して人間の営みが行われていたからすべてが神話となった。オリンピックもその一つであり全体と関連してあった。一つの文明の一環としてオリンピックもあった。それは文化でありスポ-ツも切り離されて存在し得ないものであった。オリンピックが世界の祭典になったときそういうものにはならなかった。何か筋肉を競うだけの野獣的なものにも見える。筋肉だけを誇る競技でありロ-マのコロッセウムに近いのである。そもそもギリシャのオリンピアの競技場は遊園地のように狭い所だった。こんな狭い所が競技場だったのかと思うだろう。こんな狭い所で大の男が競技したのかとも思う。小人国の競技場のようにさえ思うだろう。それほど狭く小さいのである。それに反して体育館や神殿の跡の方が大きく目立つ、こんなに太い柱が礎石が残っている。建物の跡の方が立派なことが今でもわかる。それに反して競技場は狭く小さいのである。
そして競技場の回りは田舎であり家もまばらであり田園地帯であり春の日がさして花々が咲いていた。ギリシャは乾燥地帯だから雑草が少ないから花々は原色に映える。競技場はこのような自然に囲まれて調和して小さいものだったのである。だから神話が生まれた,商社にもオリ-ブの月桂冠が贈られた。ギリシャの魅力はすべてが自然と調和して営まれていたことなのである。




ヒュアキントスの神話


アポロンが円盤投げをして楽しんでいた時、ボレアスは意地悪く吹きまくって、円盤をとんでもない方向へと導いてしまいます。
運悪くその円盤は、アポロンの周りを駆け回っていたヒュアキントスの頭に当たり、彼は一瞬のうちに死んでしまいました。。。
(別説では、円盤投げの競技会での出来事とも言われています。)

アポロンは嘆き悲しみ、慈しみ愛したヒュアキントスを【ハデス】(黄泉の国・冥界の王)の国へ引き渡すことを許さず、彼を早春に咲く紫の美しい花『ヒアシンス』に変えたのです。
(その花は、現在のヒアシンスではなくアイリスの一種であったという説もあります。)



こういうこと小さな競技場で起こって当然である。回りは花々が咲いている田園だったからだ。大都会で行われるのとは違っていたのである。人間の営みは自然と調和するとき何でも美しいものとなるが調和しないとただ醜いだけになる。現代の文明はなぜこれほどまでに醜いのか、それは自然と調和しないからである。ロンドンオリンピックでも実際はもっとイギリスを知る、イギリスの自然と調和したようなものとなれば興味をもつ。イギリスの発祥のゴルフはイギリスの自然が丘がまさにゴルフを生んだことでもわかる。自然がゴルフ場になっていたのである。だからゴルフは自然と調和したものとしてあった。。スポ-ツも武道そうだし一つのその国土と調和した文化であり世界的オリンピックになるとただ筋肉だけを争う野獣的なものになる。それはロ-マのコロッセウムの再現なのである

オリンピア
http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotos-g189487-w14-Olympia_Elis_Region_West_Greece.html#22873964

posted by 老鶯 at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2012年08月13日

飛鳥の国見の歌になぜ鴎が (海を難波の海を意識していた人が作った)


飛鳥の国見の歌になぜ鴎がなぜ飛ぶ鳥なのか?

(海を難波の海を意識していた人が作った)



夏の日や大坂城に鴎飛ぶ


大阪城に関するテレビ番組を見ていたら鴎が飛んでいた。鴎が飛ぶのか、飛んで当たり前だとも思った。ただ大阪は大都会だから街の中まで飛ばないと思った。一瞬鴎が飛んでいることが新鮮だった。テレビではなかなかその自然背景までわからない、大坂城は海に近いから鴎が飛んでいても不思議ではない、こういうことは住んでいればわかることだが住まない人にはわかりにくい、旅をしても鴎を見ることはないだろう。ただ鴎は琵琶湖ではいつも群れている。鴎は川をさかのぼり飛んでくる。
鵜も川をさかのぼり飛んでくる。だから鴎でも川の奥まで飛んでくることがありうる。琵琶湖の鴎は淀川などをさかのぼってきたものかもしれぬ、琵琶湖は広いから海のように感じて鴎が群れなしていつもいる。浮御堂のところにはいつも鴎が群れている。


秋鴎群れつつ暮れぬ浮御堂


こんな句も作ったことがあった。鴎はとにかく川があれば海からかなりさかのぼって飛んでくる。その川が大きければ川をかなりさかのぼって飛んでくる。海から近い川にしろそういう光景はいつも見ている。飛鳥に歌われた万葉集の国見の歌に鴎がでてくるのはやはり難波の海から川をさかのぼってとんできたものなのか?ただ海原とあるから海が望見できた地帯だということで奈良の古代地形でそのことを書いた。

 



天皇の、香具山に登りて望国(くにみ)したまひし時の御製歌


大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鴎(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は


海原は見えないにしても古代は海でありさらに難波の海を意識してこの歌が作られた。難波の海と飛鳥と奈良は川で荷物を運んでいたり古代から結ばれていた。だから海原は難波とつながりを意識した国見の歌ともとれるのである。 


津浪が明かにした日本列島の地形のダイナミズム
(奈良盆地は海湾→海水湖→淡水湖→盆地に変化した)
http://musubu2.sblo.jp/article/45685693.html


飛鳥に最初に都が築かれたのは大和盆地が湖であり湿地帯だったから山際の飛鳥が選ばれた。山際にそっこ山辺の道が日本の最も古い道となったのもそのためである。地形的要因でそうなった。難波は広大な湿地帯であり海湾だからそこが便利でも都にすることはできなかったのである。


飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ 元明天皇 巻1・78


飛鳥は飛ぶ鳥という枕詞からも由来していた。なぜ明日香が飛ぶ鳥が枕詞になるのか?その鳥とはいかなる鳥なのか?もしかしたら飛ぶ鳥とは国見の歌の鴎のことなのか?鴎のように私は明日香を去って難波の方へ去ってゆく、川を下って海へとでてゆく、これは鴎を意識しているのかもしれない、なぜなら山の奥の明日香が飛ぶ鳥とんう枕詞がつくはずがないからだ。飛鳥(明日香)は難波の海と結ばれていたのである


明日香皇女のきのへの殯宮の時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首并に短歌


飛ぶ鳥の 明日香の河の 上つ瀬に 石橋渡し 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひをれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる 

 御食向ふ きのえの宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも あやにかなしみ ぬえ鳥の 片恋嬬 朝鳥の 往来はす君が 夏草の 念ひ萎えて 夕星の か往きかく去き 大船の たゆたふ見れば なぐさむる 情もあらず そこゆゑに せむすべ知れや 音のみも  [巻2-196]。


ぬえ鳥とは夜に鳴くとりである。朝鳥とは何なのか?鴎なのだろうか?目覚めてみれば鴎が飛んでいて海へと通じている。大船の たゆたふ見れば・・ここになぜ船がでてくるのか?それも大船である。これは海を意識している。難波の海を意識している。鴎は夏にふさわしい鳥でもある。いづれにしろここになぜ大船が突然でてくるのか解せないのである。そもそも明日香が飛ぶ鳥が枕詞になっていること自体不思議である。飛ぶ鳥といったとき山の中や近間を飛んでいる鳥なのか?それとも海まで通じて飛んでいる鳥、鴎のようなものをさしているのか?国見の歌に鴎がでてくることは鴎だということもありうる。ともかく明日香(飛鳥)は難波の海と結びつくものがあった。大坂城に鴎が飛んでいることは大坂城が海と結びつき堀も海へと通じていた。飛鳥や奈良が海とは遠く通じていないと思っても川とかで通じていたのである。


吉野から入った神武天皇の久米歌にも


我が待つや鴫は障らず いすくはし障る


神風の伊勢の海の大石にやい這ひ廻る細螺(しただみ)の細螺の吾子よ吾子よ細螺のい這ひ廻り撃ちてし止まむ撃ちてし止まむ


鯨とか細螺(しただみ)巻き貝とかでてくる。海人族が山に侵攻してきたからこの歌ができた。だから海が見えないにしろ国見の歌は海を意識するからこそ作られたのである。海を生活の根拠としている人たちが入ってきたから山でも海のことが意識されてこの歌ができたのである。

posted by 老鶯 at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集

2012年08月14日

芙蓉(原町の福寿園に入る)



芙蓉(原町の福寿園に入る)

himawarinakaniwa.jpg


静けさや遠くにひびく秋の蝉

淋しさや津浪の跡に秋の蝉
朝の蝉原町までや走りゆく
朝の雨庭に休みぬ揚羽かな


中庭にひまわり咲きて朝顔やホ-ムの老人朝椅子に座る

朝静か芙蓉の花に優雅にも揚羽舞いつつ去りにけるかな

原町の福寿園は大きい、外から見ると大きく見えないが奥深い、長い廊下をわたって一番奥がショ-トスティの部屋だった。ただここは窓際でないから居心地が悪い、そこにも中庭があるのだが小さく花が咲いていない、老人ホ-ムなどはやはり中庭など自然環境をとりいれたものが過ごしやすい、病院でも窓際でないと外が見えないのでいやされないのである。南相馬市立病院には一か月いてそのことをプログで書いてきた。この福寿園も建物が立派だから気持ちいい、それでもこれだけ大きいのに広いのに定員百人くらいだとするとぜいたくだと思った。4人部屋だったが個室もある。百人くらいの収容者に対して40人くらい働いているかもしれない、それだけの人がいるからどこでも老人ホ-ムは300人待ちとか入れないのである。この辺ではどこもさらに条件が悪い、津浪やら原発事故で老人をあづかってもらいたいという人がふえたのである。だから隣の人は中通りの老人ホ-ムで18万で入っているという、他でも老人ホ-ムはなかなか入れなくなっている。


全国的に40万人くらい待っているとか入れないのである。その一つが100人の収容者に対して40人くらい働く人が必要なことなのだ。そうならないと国の認可がおりないとか介護保険の適用を受けられないとかなる。そうしてあとの大多数は老人ホ-ムにはますます入れない、そして自宅で介護してください、看取ってくださいとなっているのだ。もう少し金のかからないそれほど手厚いものにしないならもっと多く収容できる。そういう施設がもはや緊急的にも必要なのである。何らか介護に困った人が集まり作らねばならなくるような状態である。建物もあんなに立派ではとても作れない、また必要ないだろう。あれもこの辺では原発マネ-が多少入っているのかとも思う。相馬市の長屋風の老人用住宅は一人が二部屋あることがいい、一部屋だと荷物を置くのにも困る。あういうふうなものが高齢化では必要なのだがあれでも建物がアメリカの会社から寄付されたからできたのである。建物だけで金がかかりすぎるのである。イギリスのシェルタ-ドハウスなとは理想的に見える。それぞれに庭をもてるからだ。


ただ理想の老人ホ-ムなどないし老後もありえない、のんびり椅子に座り中庭の花など見ているのは幸せのうよでもそうでもないだろう。家で死にたいというときつくづく女性にとって家がアイディンティティを長年かけて作ってきたところだからそうなる。嫁はまさに女と家なのである。家にあってこそ存在感があった。今は家が大家族でなくて老人夫婦は若い人とと別に暮らすことが多くなった。そのときも女性の存在感はアイデインティティは断たれる。寝ていても少しでも食器などを洗い役に立つ、何もしなくても家にいるだけでなお存在感がある。そこが施設とは違っている。施設では何でもしてくれるがただそうして世話されるだけのものとなる。その施設ではアイデインティティをもつことはむずかしい。なぜなら家は長く暮らしたところであり家と人が一体化しているからだ。


中庭にひまわりが咲き朝顔を咲いているのは老人ホ-ムらしい、朝顔は老人ホ-ムらしい、でもただ座っているだけなのが老人ホ-ムなのである。自分としてはこういうところでは本読んだり書き物したりしにくいから仕事の場としては家が必要である。ただ病気になったりしたら世話する人がいないから困るのである。

原町までは電動自転車で通える距離にある。朝260円の定食があるからあそこの牛丼屋は便利である。鹿島にはない、あういう場所があれば食事は一人暮らしでも困らない、食事を用意するのがめんどうである。老人ホ-ムでは一人一人にあった食事すら出すから食事はいいのである。自分は食事の用意ができない、朝の納豆定食でもオロシに小魚をまじえたものを出しているのがいい、料理を多少してみてそうした脇に添えるものが大事だったのである。それがなかなか用意できないのである。


原町は暮らしやすいことは確かである。ただ新田川より真野川の方がいい、草深くて川らしい川である。町の中を流れているのも違っている。何でもないようだが真野川はいい川である。相馬市の宇多川も小さい川で川らしくない、真野川は上流まで長くいい川である。ただ宇多川も上流は副霊山まであったことは発見だった。草深く老鶯がなく・・・それで老鶯を俳号としたのが自分だった。小さな街でもそれぞれ何かしかの自然でも文化でも歴史でも特徴があるのだ。この辺では真野川はいい川である。街の中心を流れているのがいいのである。ただ便利なものがないので暮らしにくいことはいえる。


芙蓉の花は大きい、その花に朝に優雅に揚羽待っている。朝は雨がふったので庭にしばし止まっていた。黄色の揚羽でもナミアゲハはキアゲハがあった。キアゲハはひれに紅い色がついている。ナミアゲハはついていない、雨で庭に休んでいたのはナミアゲハだった。蝶は見ているだけでも何とも優雅で気持ちがいい、とまっても飛んでいてもその舞いは優雅であり魅了される。それは女性よりも美しく感じる。どうしても人間の場合はすべてがいいとはならない、悪しきものがそこには交じっている。薔薇には刺がある。蝶には自然にはそういうことがないからいいのである。


秋の蝉というときすでに津浪の被害から二年目の盆である。その跡は今もなんとも淋しい、特に磯部とか海老とか烏崎とかほぼ全滅したところは淋しい、荒寥としている。八沢浦とか右田浜は家が少なかったからそういうふうに感じないのである。だから八沢浦が美しい入江にもどったというとき本当に家が確かにあったにしろ田になっているところには何軒かしかなかった。津浪では家が密集しているところばかりみているから凄惨なものとしてばかりみていたのである。家が密集していたところは今でも何ら変わっていない、荒寥としてその状態は変わらないのである。


プログは日記である。記録することに意味がある。あとでその日記読み返すと忘れたことを思い出す、俳句や短歌でも自分の作ったものさえ忘れているものが多いのである。文章でもそうである。人間は忘れやすいから記録することに意味がある。プログは他人にとって意味があるがまず自分にとって記録することに意味がある。

芙蓉と揚羽蝶
http://musubu3.sblo.jp/

詩はこちらにまとめています、ごらんください

2012年08月15日

プルサ-マルに反対した佐藤栄佐久知事の失脚の背景 (戦後はアメリカが実質の支配者)


プルサ-マルに反対した佐藤栄佐久知事の失脚の背景

(戦後はアメリカが実質の支配者)

shihaisnokozouauu111.jpg


この核爆弾製造の企みから、菅政権は蚊帳の外に置かれているらしい。旧自民党政権、東電、原子炉の設計者であるGE、経済産業省、そしてアメリカがグルになっているというのだ。だから菅君がいくら怒鳴り散らそうと言うことを聞かないというわけである。
http://blogs.yahoo.co.jp/mos_ic_make/44822521.html


工程が複雑になり、事故の危険性が増す(JCOの様な事故が起こる)


.ひとたび事故が起これば、大事故の危険性


検察はなぜこのように強大な権力を持っているかと考えると、それを作ったアメリカCIAの存在が浮かんでくる。
福島県に原子力発電所を作ることを反対し続けた佐藤栄佐久氏はアメリカCIAにとっては邪魔だった。
だから東京地検のエース級に捏造事件のシナリオを書かせ潰したのだ。
読売(ゴミウリ)=CIAは検察とグルである。
朝日毎日日経産経もすべてアメリカの支配下にある。
この大手五紙の下部組織がテレビ局。
日本は完全にアメリカの植民地なのである。

http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/936.html


更にプルサーマル計画が福島県でおこなう計画が浮上して来た中で、佐藤知事は県民の原発事故の危険を守るためしっかりした対策の報告を出すために原発の運転許可を出さなかった。

原発と国を相手に県民の危険の為に戦った知事であります。
プルサーマル計画も危険の面で消極的姿勢であったので狙われたのであろう。


■渡辺恒三がCIA関係者であることがあぶり出された!


従来より、渡辺恒三がなにかとテレビで取り上げられ「小沢追放」を吹聴してきたことに不信の念を持っていた。

また、7奉行とかいって従米ネオコン連中(前原、枝野など)を支援・指導するのも違和感のあることだった。
しかし、これで明らかになった。
渡辺恒三はCIA、ネオコンの黒幕そのものだったということだ。


■渡辺恒三の甥っ子佐藤雄平の県知事大出世の陰にCIAあり。


他の方もコメントしているように、佐藤栄井作知事の後任の佐藤雄平は渡辺恒三の姉の息子だ。

−−−wikipediaより一部引用−−−

息子の渡辺恒雄は読売論壇賞を受賞するなどゴミウリとも因縁浅からぬ人物で、竹中平蔵支援の発言はつとに目立っていました。これも売国小泉・竹中と一体行動していたエージェントなりの仕事だったのです。
(ゴミウリの渡邊恒雄と同姓同名なのはなんの因果かわかりませんが・・・)

国のレベルでも地方のレベルでも渡辺恒三一族は従米ネオコンエージェント活動を主導している。

 「特捜に罪人に仕立てられた福島県佐藤栄佐久元知事は唯一イラク戦争に反対した県議会の知事」
  http://wajuntei.dtiblog.com/blog-entry-949.html
  
  福島原発の3号機はプルサーマル(再処理核燃料−プルトニュウム)だ。
放射能の危険度は普通の原発(ウラン)と比べものにならない。
これに反対した前佐藤知事を失脚させるため東電・政治家・検察・新聞が動いたと思われる。



本当の権力の主体は表に現れない、闇の中にある。事故が起きて東電が権力の主体であり政治家もマスコミも地元も東電に操られていたことが判明した。そして実は東電ではない、日本国でもない、最も大きな影の権力は戦後はアメリカになっていたのである。アメリカは表立っては現れない、でも実質的にはアメリカの戦後はアメリカの植民地になっていたことは確かである。そのとき検察も必ずアメリカ側につくようになっていた。だからマスコミでも影であやつる最大の権力者を批判はしないのである。ただ今回はあまりにも露骨に否応なく原発事故で露にされてしまったのである。


アメリカのエ-ジェントが代理人が原発を誘導した正力松太郎だったようにこの人はCIAの番号をもっていたスパイそのものだった。アメリカに日本を売り渡した人だったのである。その後も政治家はアメリカのエ-ジェントであった。渡辺恒三がまさしく正力松太郎だった。その息子がGEの社員であるからわかりやすい。渡辺恒三の甥が今の知事になっているのもわかりやすい、前の佐藤栄佐久知事はアメリカ側のエ-ジェントによって失脚させられた。それには検察も一枚加わっていたのである。もちろん福島県でも全国のマスコミでもアメリカの支配下にある。今でこそ原発反対を叫んでいるがそれまでは東電から多額の宣伝費をもらっていたのである。これは戦争の時と同じだったのである。違っていたのはアメリカが背後にあって日本の権力を操作していることだった。それは表立っては見えないのである。現実にスピ-ディを最初に連絡したのは日本政府でもない、アメリカ政府だった。これをみてもアメリカが日本の原発をとりしきっていて何かあったら日本よりアメリカに連絡しろとなっていたのだ。


この核爆弾製造の企みから、菅政権は蚊帳の外に置かれているらしい。旧自民党政権、東電、原子炉の設計者であるGE、経済産業省、そしてアメリカがグルになっているというのだ。だから菅君がいくら怒鳴り散らそうと言うことを聞かないというわけである。


アメリカで日本をプルトニウムの核弾頭を作るために原発を作らせた。その証がプルサ-マル計画であり第4の原発がその核弾頭のプルトニウムを作るものだった。そこは何なのか良く解明されていない、秘密のベ-ルに隠されているからである。
日本はアメリカに原爆を落とされたのは明かに人種差別があった。アジア人への人種差別があった。だから核の実験場にされた。そして今度も核弾頭を作るフルトニウム-フルサ-マル計画の場として福島が利用されたのである。アメリカにとって自国ではないのだから犠牲になるのは日本だからかまわない、事故が起きても広島の原爆でも実験だから放射能がどう影響するか研究材料としていたし今度も福島は研究材料にされたのである。


結局今回の事故では政府であれアメリカであれ東電であれマスコミであれ政治家であれあらゆるものが信じられなくなったことである。マスコミは一営利会社であり損なことはしない、やはり利益第一主義であり損になることはしない、ぎりぎりになればそうである。会社とかはみなそうである。そこに人格というものがないのだ。個人的なら使命のために死ぬということもある。でも会社はマスコミでもあくまで営利追求なのだからそんなことしないのである。今回の事故でそうした権力をもつものが信じられなくなった。もちろん自分は創価の経験で権力というものに疑問をもつようになっていた。そこでもいかに権力だけを操作して社会を支配するかしか念頭にない、そのことを経験しているから権力をもつもの自体に疑問をもっていたのである。この世とは巨大権力に操作される。でもアメリカがこれほど日本の権力を操作されているようには表立っては見えないだけなのである。戦後はアメリカに逆らうものは抹殺されるようになっているのだ。小沢であれ管首相でも一時アメリカに逆らうようなことがあったから失脚させられる。前の佐藤栄佐久知事もそうだったのである。アメリカが働きそのエ-ジェントが代理人がそれを実行したのである。アメリカは影でも大きな権力の主体だったのである。


政府は信じられない
官僚は信じられない
検察も信じられない
政治家も信じられない
会社は信じられない
マスコミも信じられない

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,


ともかく権力をもつものはただ利益を求め権力を求めるだけである。そこにモラルが欠如してくる。権力を操作して自らの団体の利益だけを権力だけを追求する。だから一番大きな権力のアメリカに操作されることになる。アメリカは日本のことなど駒のように思っていて原発でも事故が起きてもいい実験材料になったくらいにしか思わないのである。結局権力に操作されるとき日本自体が滅亡してゆくことになるのだ。現実に福島県はその犠牲になったことでもわかる。住む故郷さえ奪われたのである。やがで日本は日本に住む場さえ原発事故で失うかもしれない、そういうことを暗示していたのが今回の事故だったのである。

posted by 老鶯 at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

NHK特集-終戦はなぜ早く決められなかったのかを見て(原発事故とにていた敗戦)

 

NHK特集-終戦はなぜ早く決められなかったのかを見て

(原発事故とにていた敗戦)

●指揮系統の乱れ


NHKのなぜ終戦が遅れて死ななくてもいい人が60万人死んだ。早い時期で戦争をやめねばならなぬことを指導者は暗黙に了解していたができなかった。外務省や陸軍や海軍とかのセクショナリズムがあり派閥がありソ連が参戦することもわかっていてその前に戦争をやめることができなかった。
そしてずるずると戦争は最悪の状態で終わった。戦争は撤退したりやめることがむずかしい。

撤退することも相当な覚悟が必要である。戦国時代はそういうことができた。指揮官が一人であり藩主にゆだねられていた。戦時体制として藩もあったからそれができた。太平洋戦争では会議ばかりを開いていたとか六人くらい最高指導者が集まっても決定もできなかった。そのうちずるずると決定ができず最悪の状態で終わらされたのである。その様子を書き残していた人は指導者が余りにも無策であり愚かだったと書き残していた。結局そのために60万人が死んだのである。
結局平時と緊急事態は対処が違ってくる。緊急事態になると会議している時間などないのである。どんどん状勢は変わりますます戦死者もふえてくる。そういうとき何らか決断する人が必要になる。
しかし会議するばかりで誰も決断する人もいなかった。信長の桶狭間のように決断しなかったら致命傷になる。その決断が失敗するかもしれないが臣下は従うほかない、それは一つの賭けであった。

太平洋戦争ではずるずると戦況が悪化するだけでありソ連の参戦などもわかっていてもずるずると最悪の状態になり終わった。

これは何か原発事故ともにていた。日本の敗戦と原発事故はにていた。最初に安全神話が官民一体で作られて大本営発表になり天皇による神国化されて敗れるということを認めないカルト宗教的体質になっていた。日本が負けるとというとそれは反国家として憲兵にとらえられる。それは原発の安全神話と酷似していたのである。安全神話に逆らうものは国家に逆らうものとなっていて取り締まられていたのである。安全神話であり事故がないということから出発しているから安全対策もする必要がないのだ。戦争でも負けることがあるということを前提にしていないからずるずると徹底抗戦になり最悪の状態で終戦になったのである。指導者は敗戦になることを知っていたが敗戦の決断ができなかったのである。また決断する人がいなかった。ただずるずると事態が悪化するのに何もできなかったのである。これは原発事故でもそうだった。


●事故の認識の甘さ


危機的状況にあった福島第一原発2号機に海水を注入しようと準備していた発電所の現場に対して、東電本店が、もったいないからなるべく粘って真水を待つという選択肢はないのかと言っていたことが、明らかに、なりました


あとで原発が使いなくなり損するからだと言っていたことでもわかる。清水社長がコストカッタ-として社長になったと同じく緊急事態でもコストカット的利益優先になっていたのだから驚く。事故に関してもその程度の認識しかなかったのである。深刻に感じていなかった。これは戦争ともにている。どれだけ人間が死ぬ深刻な状態だったかそれを考えればどうにかしてやめねばならないと思考になった。原発事故でも本当に深刻になったら多数の人が被曝して大変なことになるということが認識されていない、原発が損傷して会社の損になるという思考しかなかった。政府でもどう対処していいかわからなかった。なぜならそもそも安全神話で作ってきた原発であり事故のことなど想定していないからである。だからスピ-ディを最初に知らせたのはアメリカだった。アメリカの指示を受けようとしていたのだから日本政府は何も対処できない、ただ右往左往するだけである。最後は消防隊で決死で水をまくとか特攻隊と同じだった。これも戦争のときとにていたのである。指導者の愚かさ無策から最後は特攻隊として命が犠牲にされたのである。


●平時と緊急時の対応は全く違う


戦国時代のようであったら緊急時の体制なのだからそういう体制や思想が生まれる。しかし平和になり平時が長くつづくと緊急時に対する対処ができない、その時情報が混乱して知っていても決断ができずただずるずると事態が悪化するのをみているだけになる。これは日本だけではない、人間の弱点なのだ。いつも緊急時に備えることはできない、津浪でもそうである。家でも古くなって地震に危ないと言っても簡単に建て替えるわけにいかない、ずるずると古い家に住んでいてそして地震で神戸のように古い家が軒並み倒れた。原発でもそうである。すでに古い型のマ-ク1は40年過ぎて老朽化していた。他も老朽化しているがコストカットしか頭にない経営陣はそれをやめるわけにはいかない、事故になるまでも使いつづける。そういう利益優先が会社である。これが別に原発のような危険なものでないならそれほど問題にならないだろう。原発の事故は致命的になるから他の対処方法でやっていけない代物だったのである。

しかし会社はあくまでも利益優先主義になる。政府も東電に指導される方だったのである。日本の敗戦を見てきた人がまた日本では同じことが起こると予言していたがその通りになった。日本自体が戦争のときと体質的に機能的にも変わっていない、緊急時の体制が備わっていない、緊急時の時、会議して議論しているより早く決断することが望まれる。しかしそれができないようになっている。特に民主主義の体制では特に緊急時には効果を発揮しない体制にある。
民主主義は話し合いだと平等だとか誰か指揮官がいて命令するような体制を作りにくいのである。

だからまたこれからも日本では同じことが起きる。何ら日本自体緊急時に備えるものがないからである。そういう体制も思想もないのである。そのことは津浪でもそうだった。400年に一度は起きていたのだからそれなりの備えがあっても良かった。しかし400年前はもう遠い過去でありまるっきり忘れていたのである。津浪も長い目で見れば定期的に起こるものであり突発的に起こる、予想し得ないものではなかった。日本ではそれがわかっていたはずなのに備えがなかったのである。

posted by 老鶯 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年08月16日

蝉しぐれ(残り谷(家)-津浪の跡)


蝉しぐれ(残り谷(家)-津浪の跡)


草原のそちこち眠る夏の蝶

津浪にも残れる杜に蝉しぐれ

ひぐらしや屋敷林の残る家

残り谷(家)という地名が津浪に由来していたというのが実感としてわかった。つまり津浪で残った家はこれは津浪で残った家だなと意識する。この辺では右田浜の方に良く行くからこの辺まで津浪が来てこの家は津浪で残っている。この社の杜は残っている。そして残った家の屋敷林とか林に囲まれた農家に蝉が鳴いている。蝉がそこに集まって鳴いている。林が残っているから集まり鳴いているのだ。そういうことも津浪の結果として自然が変わり蝉もまた違ったように鳴いている。

今年は全国的に蝉が鳴かない、最近ようやく多少ふえてひぐらしなどが鳴いている。これは別に放射能の影響ではない。ただ津浪で自然が変わり蝉の鳴き方も変わって感じたということである。

お盆で子供連れの若い人をス-パ-で多くみかけた。仮設住宅にもやはり孫など連れて若い人が来ているのだろう。また遠くに行った若い人でも地元に戻って仮設に入っているという。それで小高の人などがまたふえたのかもしれない、今日はお盆のせいで若い人を多くみかけたのだろう。


やはりお盆に死んだ人と会うというより死んだ人を思い出す、死んだ人を語るにふさわしいのである。一年に一度死んだ人を思い出すのである。人間はつくづく死んだら忘れられてゆくだけである。
忘れられるのが本当に早い。どんなに長く一緒にいても死んだ人は忘れてゆくものである。
何十年も死んだ人を思いつづけている人はまれだろう。テレビの映画で戦死した人を待っている人がいた話しをしたがもうそういう話しは実際にはないだろう。現実味がない、それほど遠くなってしまったのである。ただ戦争は異常なことだからなかなか忘れられないのだ。姉も従軍看護婦で4年間シンガポ-ルにいたからそのことを語りつづけ死ぬ前までそのことを語っていたのである。
認知症になってから何回も千回も同じことを語る。それだけ戦争の記憶は消えなかった。特に戦争が青春だったから戦争の是非はともかく忘れられないのである。

津浪のこともこの被害にあい家族をなくした人も忘れられないだろう。二年たったとしても何ら変わりない、結局元のようにもどらないから余計に荒寥としている。突然これだけの人が死んだことは経験していない、戦争中はこれ以上に人が死んでいた。300万人死んだと言っても実感がない、その一人一人が記憶に残されるのである。


人間生まれた所も重要なのかもしれないが死ぬ所も重要ではないか。人間は最後記憶に残されるのはどこで生まれて何で死んで何歳で死んでどこで死んだくらいしか記録されない、墓見たって名前しかわからない、名前からは何もその人を思い出すものはないのである。実家の墓は何度も言うけど25歳で肺病で死んだということを聞いているからそんなに若くして死んだのだなと必ず思うのである。この人はもっと生きたかったろうなと墓参りしたときだけ思うのである。
「俺はもっと生きたかった、生きたかった・・・」そういう叫び声がその一行の文字から聞こえてくるのである。戦争を経験している人は今生きていることがありがたいというか価値になっている。

多くの仲間が死んでもうわけないということが常に頭にあったからである。そういうことは病気をした人などもそうなる。今生きていられる、そのことだけで生きることが価値あるものとなっている。生きる時間を与えられていることがそれだけ貴重なものとなっている。だんだん死が近づくと金より時間が最も価値あるものとなる。この世に生きる時間がなくなってしまうからである。

人間は旅で死すというのもあるが普通はやはり死ぬ場所が大事ではないか?それは故郷とは限らない、長く住んだところが愛着あり死ぬ場所となる。そしてそこに一緒に死ぬ人も大事ではないか?

死ぬ仲間というのも変だが、俺たちはここで一緒に死ぬんだということが一つの人間同士のつながりを作るものとなる。江戸時代辺りはたいがい生まれたところでずっと生きて共に生活した人と一緒に死んだから今とは違う強い仲間意識があったのだろう。「俺たちここで生活してここで死ぬんだ・・」そういう意識はやはり一つの連帯を生むものとなる。都会は今は土地にこだわらないからそんなこと古いとなるけど死んだ人は山の霊となるとかいう信仰は自然信仰とも言えるのだろう。その土地の精霊のようになってしまう。それは人間が生活しはじめたときどこにでもあった信仰だから自然信仰ともいえる。都会だとそういう場がない、意識もない、だから墓がない人は団地のように小さな一角に骨が納められ墓になっている。それも何か味気ない、自然とのつながりがもともとないからそうなってしまった。


ともかくこの辺では原発事故で故郷から離れて暮らす人が7万人もいるとか異常事態なのである。60過ぎたら俺たちはここで死ぬんだということが決まる、心情的にそうなってゆくのが普通である。自分はそうでないにしても他の人はそういう意識が強い。それが突然切り離されたからアイデインティティが断ち切られたから困惑するのである。だから若い人と中年と老年世代の意識はかなた違う。若い人は故郷を離れても自分たちのアイデインティティを作れる場を得るかもしれない、しかし60以上になると無理だろう。とにかく自分はここで死んでゆくんだというときやはり人間はそこが最後の場所になるから特別なものになるだろう。

啄木は自分の死ぬ場所は都会ではなく故郷だと死ぬ時思ったから悲痛なものとなったのである。自分も病院に入ったときここで死ぬことを意識した。実際は病気でもそれほどではなかったがそれなりに危険な面もあった。今度も手術だからそういう軽いものでも死を意識させられるのが病院なのである。相馬市立病院は環境的には良くないから死ぬ場所としては良くない、美しい外の景色を見て死ねるということがない、自分の場合は花を詩にしたから最後に花を見て死ぬのがふさわしいことは確かである。

2012年08月17日

雲の峰(遊びも人間には不可欠)


雲の峰(遊びも人間には不可欠)



盛んにも燕飛びかい雲の峰


ライダ-に燕とびかい雲の峰


旅人に道のり遠し木蔭かな


自転車や木蔭にそいて走るかな

まだ夏である。今年はあまりまだ雲の峰を見ていない、夏も同じ夏ではない、雲の峰に燕が盛んに飛んでいる。この辺は草原に変わってしまった。ただ今年は草原が青い草ではなく枯れている所が多い。でも草原の景色は燕とか蝶とかにかえってあっている不思議があった。モンゴルのような草原の夏はどれだけ気持ちがいいだろうか?一回だけであり十分経験したとはいえない、日本では北海道の夏が一番爽快なのはそのためである。草原があるのは北海道だけなのである。
昨日は墓参りして新聞紙を燃やして捨てる所がないので一部、籠に入れたら激しく燃えあがってびっくりした。石油でできているから凄い勢いで燃えたのである。今石油製品のものが多いから火事になったら手がつけられなくなる。石油なのだから当然燃え方が違うのである。それで普通の自転車にのったが電動自転車と普通の自転車は違っていた。電動自転車だと坂が上りやすいから軽い気持ちで遠くに行ける。しかし普通の自転車だと歩きに近くなる。なるべく木蔭にそってとかまた木蔭で休むとか歩きに近くなるのだ。それで思ったことは昔の道は木蔭の道が多かった。街道は木蔭の道が多かった。鹿島の一石坂から原町に出るところは木蔭が多い道である。旧街道は木蔭が多い道である。歩くとなるとやはり木蔭でないと歩くのも大変だからだ。そしてどうしても歩くとなると途中に茶屋が必要になる。歩くことは車のように途中を飛ばすわけにはいかないからである。歩くことはより自然と一体化することなのである。ただ今は歩く旅はできない、車の通る道は歩く道でなくなっているからだ。それでも鹿児島から青森まで歩いて旅していた人がいたのには驚いた。その人は退職したからそういう旅をした。自由になったという喜びをその旅で表現したのである。会社勤めならそういう時間がもていなからそうなる。


自分の場合は十分旅したからそういうことをする必要はない、やはり人生でもそうした自由な時間をもてたものともてないものはあとで影響する。人間働くことが基本でも働きづめの人生はあとで実りをもたらさない、人間の特徴は働くこともあるが遊ぶということも必要なのである。遊びのない人生は無味乾燥なものとなってしまう。仕事と遊びが両立すれば理想だとなる。ただそういう人はこの世ではまれである。ただ仕事だけが人間を充実させることではない、遊びは明かに人間を充実させる。この点では自分は充実していた。ただ仕事とか他の面で自分は人格形成で劣っていた。人間は仕事なの中で徳もつちかわれる。仕事が今嫌われるのはやはり仕事そのものの価値の追求より金に追われる仕事になっているためである。金に追われるために自分の仕事の意味など考えるのは暇人だけだとなる。仕事しているのではない、金に追われ仕事に追われているだけだとなる。

 

「親切心」の養成 (家族にすら親切心がない現実)


「親切心」の養成


(家族にすら親切心がない現実)

例えば福祉関係の仕事、看護師とか介護士とか他者に直接働きかける仕事は「親切心」が自ずと養われる。仕事なの中で「親切心」意外と大事である。嫁に来た人はその家の墓に入りたくないという人が30パ-セントくらいいる。夫婦の墓がいいとかが多い。それは何なのか?それは姑と嫁の対立にあるのではないか?姑はどうしても嫁に親切心をもてない、そのことが恨みともなっているからそうなる。たいがいは赤の他人でも親切心でもって接すればこころよく勤めるということがある。それができないのは家族のなかでも親切心をもって接し得ないからである。


そういうことは家族の中で社会の中で働いていないと実感しえないのである。現代は一番この「親切心」が欠けた時代なのだろう。人を思いやる心が一番欠けている。ただ金だけを求めている。親切心も金をくれからやっているのだとなり愛想笑いとなって心から親切にするわけではない、ただ相手に親切にすることは自分も親切にされるというのが基本にある。姑が嫁に親切にできないから一緒の墓に入りたくないとなるのだ。ただだからといって姑がすべて悪いとはならない、嫁が悪いかもしれないし家族のことはあまりにも複雑なのである。今は姑より嫁の方が強く親切心が欠けていることがありうる。家族には外から見てわからないことが必ずある。それほど家族関係は複雑なのである。

だから家族の中に立ち入れることはよほどのことでないとできない、理解しがたいものがかなりあるからだ。自分の家族など自分すら理解できないほど複雑だった。一人が死んでやっと何なのか理解した。60年一緒にいてもそうだったのである。それほど人間は複雑なのである。

親切心はまた感じる人と感じない人がいるのだ。例えば身寄りがないとか家族がないとかひどいことばかりされてきたとかそういう人は親切にすると人一倍親切をありがたいと思う、感じるのだ。いつも家族の中で親切にされていると感じないのである。それが自分にもあった。親切にされるのが当たり前になっているときそのとき人は親切にされても感じないのである。ホ-ムレスの人か病院で実験台にされても看護師などに親切にされるからいいというとき、まさにそうなのである。路上で寝て全くもののようにしか扱われない、病院では看護師が名前を呼んでくれて人間扱いしてくれるからだ。家族のないものにとって病院すら家庭的に感じていいものになってしまうのである。

それだけこの世が非情になってしまったからともいえる。そして病院とかでは家族がいて有力者だと看護師も親切にするが身寄りのないものを親切にしないということもある。家族の監視があると見かけ上親切にせざるをえないということもある。本当は身寄りのない人は親切にされるべきなのである。

また不思議なのは親切に自らしないものは親切が何か実感しにくい、親切にしてみて親切が何かわかるのである。親切にされているばかりだとそれが当たり前になり親切にされても感じないのである。人間は仕事の中でただ金を求めて金さえ得ればいいと思っている。しかし人間社会で「親切心」は欠かせない潤滑油である。

働く場でも親切にされれば働く意欲も普通はでてくる。私に親切にしてくれた、だからここでは尽くそうという気持ちになる。姑と嫁には敵対関係がありそうした親切が通じ合わないから同じ墓に入りたくないとまでなっているのだ。親切心というのはいろいろな事件があるけどちょっとした親切心があれば事件にならないということがあるかもしれない、冷たくされて事件になるということがある。金のことで事件が起きるがこれも余りにも金に非情だとそうなるのかもしれない、相手がもう明日食べるものがないというとき、誰も助けてくれないとなれば殺人にもなる。でももしそのことを知り食べさせたりしていればそうならないかもしれない、現代は昔のようにそうした情がない社会になっている。自分の場合、家族でさえ情が通じ合わない所だったのだからさらに社会になるとそうなりやすい。


ただこの世が非情だというときこの親切心が全く通ぜず踏みにじられることがある。そういうことを自ら経験した。親切にしても全然感じない、むしろ親切をいいことに恩を仇で返すのも人間である。中国人の留学生に事情あって親切にしていた人が金のために殺された。金が欲しいとなったとき小さな親切は無視される。逆に見かけを親切にして老人から金を奪うとういう事件が実際はひんぱんに現代では起きている。親切というものが全く通じない非情化している人間もふえているのだ。確かに冷たくされたとかが原因にある、そして非情な人間化した。そして親切にする人があってもその親切は通じなくなった。そういう人もいる。それでも家族が複雑なように人間が起こす事件は本当は複雑である。報道だけをみればなんという人だとなるがやはり人間である限り何か犯罪を起こす原因があり残酷な事件であればあるほどそういうふうに考えいたいの人間なのである。人間なのだからそんなことまでしない、何かそれだけのことを起こす事情があったのだろうとかになる。人間だからということがやはり前提にある。良心をもっている人間なのだからそこまでやるのはそれだけの事情があるだろうと犯罪者を思うのである。会津の事件などでもなぜそこまでしなければならなかったのか?
その背景を考えその人がどうしてそれほどの犯罪を起こしたのか?この犯罪者は絶対に許せないというそれでもそこまでやる背景とか事情とかを考える、考えたいのが人間なのである。


いづれにしろ今の世の中、そんな親切心など説くお前は甘いとなる。世の中は食うか食われるかの修羅場だ。そんな甘いことでは生きていけない、お前は恵まれたから世の中の厳しさを知らないのだとなる。これは事実である。だからお前みたいなやつは格好な犯罪の餌食になったのだとなる。それは言えるし本当だった。この世はそんな親切心などを言ったら生きていけない、そんなものを殺してこそ成功するんだとなる。いちいち相手のことを考え同情していたら商売にならないよともなる、それが現実だともなる。だからこそちょっとした親切さえこの世では実行できない、善行というと大きなことをするものばかりと思っているが実際は小さな善行がその前にできないのである。

小さなことができないから大きなこともできないのである。人間は家族であれどんな場であれ親切にされると気持ちいいからその場で勤め尽くし働こうとなる。田舎でもそういう親切な人がいるところだったから自分も一緒に生活したいとなる。しかし田舎でも人間に関して都会とさほど変わりがない、いい人はまれである。むしろ田舎の人は排他的で他者に冷たいというのが一般的にあり会津の凶悪事件も背景にそういうことがあったかもしれない、最初の入った家ではいい人だとされていた。ただこの事件はあまりに残酷なので想像の範囲を越えているから簡単には言えない、それでも人間なのだから人間的に考えるからそう思うことになる。殺された人に何の非もないのだということが一般的であり死罪になるだろう。ただ田舎で起こった犯罪なので興味をもったのである。


親切心の養成


あなたに向かって花は咲いている
誰でもない、あなたに向かって花は咲いている
あなたに向かって花は喜び咲いている
あなたは他者に向かって親切にしてみよう
あなたも親切にされるだろう
親切は誰にでもできること
あなたはその人の名を呼んであげよう
忘れられた人の名を呼んであげよう
それだけで人は喜ぶだろう
大勢ではない、親切は一人一人になされもの
集団を相手にするとき人は人として扱われない
そこで「親切」の徳は忘れ去られる
親切はちょうどスミレのようなもの
目立たない花であるが喜びがある
親切は社会の潤滑油
親切はただ一言の言葉かもしれぬ
しかし感じるものには感じる
私は親切にされた
だからあなたのためにみんなのために働こう
そういう気持ちにさせるのが親切の徳
小さい目立たぬ徳なれどその力は大きい
大きなものだけが社会を支えるのか
小さなものに愛そそごう
神はそを見ているだろう
目立たぬ「親切」も社会を支える
ああ しかしその親切も無惨に裏切られ無視される
それもまた人間社会の真実
それでも親切に励まねばならぬ
自らの徳の養成のためにである


親切は集団的ではない、個々にある。だからカルト宗教団体にはその親切心すらない、集団として権力拡大維持を第一にするから親切心は無視される。助け合うとしても権力維持が前提にある。
「親切心」は本当は無償的なものかもしれない、確かに親切にすれば親切にされる、でもそうされない場合も多いとすると虚しいともなるからだ。親切心は見返りを期待しない愛なのかもしれない、そんなもの普通は実行できないとなる。たいがいこうしたものは否定される。社会はともかく家族の中で親切心がなかったので書いたまでである。