2012年08月01日

原発被害地域で病院福祉などの労働力不足 (他者にばかり頼っていいのだろうか?)


原発被害地域で病院福祉などの労働力不足

(他者にばかり頼っていいのだろうか?)

 県内では震災と原発事故で介護職員の退職が相次ぎ、71施設で226人が不足し、うち約4割を沿岸部が占める。厚生労働省は全国の自治体に派遣支援を要請している。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20120605_03.htm


医者とか看護師は資格がないとやれないからとやかく言われない、でも介護士の人が福岡から来て施設で働くようになった。仮設住宅を3千万で作り住居も用意した。ある人は福岡県から来ていた。そんな遠くから来ているのと驚く、もちろんこの辺は土木関係を中心に仕事がふえたから全国から来ているからめずらしくはない、でも疑問なのは一方で仕事をしていない人が膨大な数にのぼっている。その人たちは昼間から酒飲んだりパチンコ屋に行ったりと遊んでいるという批判がある。パチンコ屋が繁盛してパチンコ屋で勤めている人もいる。こういう状態は異常である。そもそも異常事態なのだから異常であってもしかたがないとなる。けれども何か矛盾している。そもそも別に原発事故があり避難者になったからではない、その前から労働には問題があった。介護などは大家族の時は家族でしていた。死ぬのも家でほとんど死んでいた。ところがそういう家族労働の分野も社会化して専門家がやるようになり素人はできなくなった。介護などはちょっと習えばできそうなものだけどできない、例えば事故が起きたらどうするんだとかなる。専門家される問題は前にも指摘した。そして今やとても福祉でも金もないしこの辺では特に労働力が不足するのだからサ-ビスは限られるようになる。

だから特別養護老人ホ-ムでは300人待ちなど当たり前であり入れなくなっている。民間だと金持ちしか入れない。だから本当は何でも国任せで福祉でもサ-ビスなど受けられない時代になる。病院だって身寄りのない重症者も出されている。医療や福祉にはもう金がかけられないと国では在宅でやれとなっている。その時家族も少ない、夫婦とか二人くらいしかいない家族でやれというのも困る人が多数出てくる。一方が病気の人も多いのである。在宅介護する環境に恵まれた人はまれである。それでももう国では何でもできるわけではない、限界であり受け入れられないのである。それは自分だけの問題ではなくみんなの問題なのである。


原発事故や津浪の被災地は他とはまた違った特殊なものとなった。普通だったらそれほど今は労働のことを言わない、でも被災地などでは復旧の労働が不可欠であり労働が今までより貴重になっている。特にこんな暑いとき下水道の工事などしていると大変だとなる。上水道と下水道の工事があり下水道の工事は未だにいたるところでしている。それだけ時間がかり大変な作業になっている。だから小高などではそうした下水道などの整備に時間がかかるからなかなか帰れないのである。でも一方で労働力がないということはない、現実に昼間から酒飲んでいたりパチンコ屋通いをしている。それは磐城などでは批判されている。補償金で金があっても避難者のために働いている人は磐城の人たちだからである。病院でも福祉の介護関係でも仕事がふえているし避難者がその仕事をわけではない、また専門家して資格がないからやれないとかある。

異常事態だから異常なのはしかたないといつまで言えるのだろうか?そして福岡とかそんな遠くから労働者を呼び住宅を用意して金をかけている、では一体その金はどこからでているのだろうか?地域性がないからそういう時代だといえばそれまでなのか?でも復興とか盛んに言っても昼間から酒飲んでパチンコ屋通いが復興なのだろうかという素朴な疑問がある。実はこんな状態になり何か前より一人一人問われているのかもしれない、あなたはこの土地で必要な人なのか問われているのかもしれない、余裕ある時は良かったがそんな余裕がない、ボランティアにしても地元の人ができるのに遠くの人に頼っているのも変なのである。原発事故は政府が責任があり全国民にも責任があったとして援助してくれる。しかしそういうふうにいつまでも他者まかせにできるものだろうか?地元の人がやれることもやれないで他からとんでもない遠くから来た人に頼っているというのがおかしいと思わないか?


復興だ、復興だと言っても何か地元の人がかえって国任せ、他者まかせになる。補償金をふんだくるだけだと他から非難され福島県は外から国民に寄生する人たちだと印象が悪くなった。一時的にはしょうがないにしてもいつまでもそういうふうに補償金とか他者任せでいいのかとなる。それが復興になるのか。仕事が専門化して誰にできないとかはある。でもそもそも一人一人が何か前向きになり努力しないこともある。何かやれることがあってもしないのである。墓に自分の親の名を刻まない人もそうだった。何も金がないなら前も借りにきていたのだしその金を自分はくれてやった。だから世話になった人なのだから金はくれてやる。

しかし頼みにもこないのは結局そもそもその人は親に対してそうした気持ちすちないのである。何か有用なことに金を出してくれとなれば出す人はいる。ただそういう気持ちがないのである。そしてただ無駄なことに費やして努力もしないのである。だからこの辺は復興と言っても自らが何かをしようとしないのだから復興にならない、ただ国任せ他者まかせである。でもその金がいつまでも国から援助され他から援助されるのだろうか?補償金をふんだくり生活保護者のようにされてしまうのだろうか?それをいいとしたとき被災地は精神的に荒廃してゆく。
したくても何もできないとういのもわかる。でも一人一人が何かできることをしないとこの辺は荒廃してゆく。普通だったらこんなことを考えない、こういう事態だから一人一人が問われている。
復興とは何なのか?もちろんそこには放射能などどうにもならない問題がある。でも何かこの辺は変なのである。

こうなるとこういうところにいたくないと未来がないと若者がでていくのも仕方がないともなる。

復興といってもその道筋が見えないしただ国任せ他者まかせ補償金をもらうことだけになる地域というのも嫌だとなるかもしれない、いつまでも補償金を頼りにはできない、その補償金や国の援助は復興のためなのである。その復興が何なのか?未来が見えないからここから出てゆく若者がふえるかもしれないし現実ふえている。ともかく一人一人が役割をもって何かを地域のためにするということが問われている。それをしないとこの辺は補償金をふんだくるだけの生活保護者特区のように見られかもしれない、大阪ではそういう地域がある。そういう所からは若者はでてゆくし何か活気のない、精神的にも荒廃した地域になってしまうのではないか?どんなときでもやはり一人一人の気持ちが作用してゆく。気持ちがなければ人は動かない、ただ国任せとか他者に頼るだけという気持ちでは復興はありえない、復興だというとき一人一人の復興なのである。そういう気持ちがなければ復興はありえないのだ。

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2012年08月03日

「水道水は不安」…客は宅配水経営者の親族 日テレ報道番組に「放送倫理違反」の意見書


権力は権力によって利用される

「水道水は不安」…客は宅配水経営者の親族 日テレ報道番組に「放送倫理違反」の意見書
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120731/ent12073115530012-n1.htm

この辺では宅配水の会社かみんな電話がかかってくる。放射能の水の不安が払拭できないのである。子供をもっている母親は特に敏感であり利用する人がいる。水は毎日飲むものだから不安になるのだ。そういう不安につけこみ商売がある。週刊誌でも常に過剰に不安をあおることで商売が成り立つ、円高のときつられて損した。30円くらいのはばで円安になるとか言っていたのである。この時以来週刊誌は過剰に不安をあおるあてにならないものだと思った。なぜそうなるのかというと売るために不安をあおっている。視聴率をとるために常に刺激的な映像を流すというのもそのためである。すべてが売るために視聴率をかせぐためにとかなると放送倫理などなくなる。現代社会の問題はすべて利益優先主義になっている。そこに倫理は消失してゆく、だからこそ政府では利益に関係せず公平にみるために税金を払い監視させる役目を官僚などに与えた。でも官僚もさらに利益を得たいとなり東電などの「安全監視」を怠った。この世の中すべて利益優先主義になったら社会自体がゆがみ維持できなくなる。何より利益が先だということに全員が走ったら社会はやがて崩壊する。それぞれに職業倫理がありそれがなければ社会自体成り立たなくなる。確かにこの世には不公平がある。でもその不公平ばかりに眼を向けていたら働くのが馬鹿らしいとなり誰も働かなくなり盗賊だけになってしまうだろう。。現代社会は常に利益だけを求めてモラルなき社会となっているのだ。

そもそも日本テレビは読売新聞でありその正力松太郎が原発を作るために新聞を利用して安全だとして野心のために利用されたのである。だから読売新聞は東電の広告を一番多く出していた。マスメデアは新聞でもテレビでも今回のように放送する権力をもっているから逆に宅配水の会社に利用されたのである。普通はメデアの方が利用している。メデアによってテレビ局によって操作されるのが普通である。何らか編集がなされてテレビ局のシナリオ通りになる。単に事実を報道するのではない、その事実に対していろいろ意見を言い・・であるべきだとかマスコミが主導して世論を作り出すのである。つまり事実を正直に報道すること自体が本当はマスコミの一番大きな使命である。

しかしそのことができない、福島の原発でも再三問題が起きていたがそうした事実がマスコミで報道されたかというと隠蔽されていた。マスコミの役目が権力の監視役であるより権力側にとりいれられ方になっていた。だからこそ東電に事故が起こったとき名だたるマスコミの幹部が接待されていたのである。そこに朝日新聞までそうだった。マスコミ全部が安全神話を作る方にあった。これは戦争のときと同じだったのである。負けている事実は報道されない、官憲によって報道管制がしかれていたからである。現代はマスコミはただ利益を得たいためにそうしている。広告をとりたいためにそうしている。広告が会社の経営を成り立たせているのだからそうならざるをえない、だからマスコミは巨大な権力に買収される。東電は余りにも巨大すぎた会社だったからテレビ局であり新聞社であれ出版社であれ簡単に買収できる。何兆円もの資産があったのがら驚く。国家並の権力をもっていたのである。


今回の事件は宅配水の会社が権力をもっていて日本テレビを利用したというのではない、うまく利用されたのである。権力は日本テレビがもっていてもその権力を宅配水会社が勝手に利用したのである。権力をもつことはこういう危険性もある。権力がある、金がある所はまたそれを目当てに利用されるのである。人間はともかく絶えず金を利益を求めている。親族でもすでに財産だけしか頭にないというのが現実である。だから他人になればますます利益と権力しか求めてこない、金があるところには人もよってくるが金のない所には人もよりつかないのが現実である。マスコミは社会にとって大きな権力である。それは本当は民主主義社会では不可欠であり公正であり放送倫理が求められている。でも実際はマスコミ側にとっては一営利会社であり生活が成り立たないならやっていけないとなるからただ様々な権力によって利用されるだけだとなる。宗教団体という巨大権力にも利用される。地方新聞が聖教新聞を刷って収入としている。その他新聞社の収入源が広告である。広告がなくて成り立たないということ自体すでに公平でありえないのだ。東電は莫大な金を広告に使い安全神話を作れたのはそのためである。マスコミも報道機関もそれだけの権力があるから利用価値があるからそれだけの金がつぎこまれたのである。そもそも権力から独立していない報道機関はすでに公平ではない、ただ大きな会社でも権力でも利用されるだけだとなる。


この世の中がすべて金で動くというとき権力で動くというときその時すでに社会がもはや正常に維持できなくなる。職業倫理でもそうである。人間社会には常にモラルが基礎にあって成り立っている。ただあらゆる所に金を利益を権力を求めてゆくとき社会自体成り立たなくなる。盗賊社会になり下克上になりアナ-キ-無政府社会になってしまうのだ。警察で法律で取り締まってもそれは外的な制約であり内的にモラルがない社会はもう正常に成り立たなくなる。そういう恐怖が現代社会にある。

宗教団体も巨大な権力化しているから権力で社会を支配しようとする反面、また権力によって利用されるということがある。政治家は票田としてその権力を利用するし宗教団体ではも政治的に利用する。だからあれだけの数がいるとよからぬ連中が金や利益や権力目当てに入ってくる。その権力を利用しようとする人たちが入ってくるのだ。宗教はもともとキリストでもシャカでも家すらない権力ゼロから出発した。その後巨大な権力化した。もともと宗教は権力がないとき純粋に宗教的になった。権力があればその権力を目当てに必ず野心家や自らの欲望を達成しようとする人たちが入ってくる。

キリスト教弾圧の不幸は背後に国家権力があり宗教を通じてスペインなどに国が奪われる支配されるという恐怖でそうなった。宗教でも権力をもてば必ずそれを利用しようとする人たちが入ってくるからそういう場所はすでに宗教の場ではない、権力争奪の場でありそこで語られるのは権力に関する利益に関することだけである。権力がより具体的だから人々は眼を奪われ権力の虜になる。いづれにしろ権力を利益を越えたモラルがない社会は滅亡する。そのモラルは時代によって違っていた。国によっても違っていた。社会の骨格は本当はモラルにあったのであり利益や権力のみを求めるものではなかったのである。武士道があり江戸時代のモラルがあり社会が成り立っていた。それは武士だけのモラルではない社会全体のモラルとなっていたから社会が安定していたのである。すべてが利益優先主義になり権力だけを求める社会が原発事故も生み出したのである。

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2012年08月04日

南相馬市原町区萱浜(かいはま)の津浪前の写真の風景?


南相馬市原町区萱浜(かいはま)の津浪前の写真の風景?

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海側の橋の所の家は残ったのか
高いところは残っていた

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ここがどの辺かわからない、上流ではない
下流だけど家は津浪で流されたか
あんなに家が見えるのもわからない
ここはどこかわかりにくい。

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桜井古墳の方まで津浪が来たから
ここに写っている家も流されたのか?

ここまでクリック拡大!

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一葉松に行く所にあった農家の前の碑(文久とある)


南相馬市原町区も江戸時代に開拓した所であった。だからそれなりに古い。条件の悪い所だった。
あそこには港すらなかった。ただ田を作り米をとるために開拓したところである。

一葉松がある方へゆく道に甲子塔という碑があり文久とあるから江戸時代からあの農家はあった。
道というのではなく農家の前にあったからだ。一葉松まで津浪が来た。一葉松が塩分で腐れるのではないかと危惧されているのもそのためである。とすれば貴重なものが失われることになる。
あの松は長い間手入れしてやっとあの姿を復元して保つことができたから残念だとなる。


萱浜(かいはま)はあまり密集して家はなかったがぽつりぽつりと家があった。写真にとっていた所の風景の中の家は消えたのか?津浪にやられたのか?桜井古墳辺りまで津浪が来ていたから津浪をかぶったことは確かである。


ただ新田川沿いの家はどうなっているのか、どの辺なのか位置がわからなくなった。たまたま鵜が飛んでいる姿を撮ろうはしていたのであり風景をとろうとしたのではなかった。でも新田川の下流だからどうなったのかと思う。あんなに家が並んでいたのか後ろの方の家なのかもしれない、川沿いにあんなに家はなかった。


不思議なのはなぜ海岸に接して家が多かったかというと開拓した田の中に家を作れば田とする米のとれる土地が少なくなるからだったかもしれない、海に接して家を建てればそこはそもそも田にできない土地だから家として有効活用できたのである。それは磯部とか烏崎とかにも言えるかもしれない、砂州のような所に磯部では家が密集していたのである。

萱浜に実りのありしその時や津浪に流され今はなしかも

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萱浜や津浪のあとに庭の石残り離れじあわれなるかな

これは新田川の橋のたもとにあった家である。
あそこは何度か通ったけど跡形もなくただ庭の石が残っていた。
それが離れがたく残っていた。
庭の石は人間化した石だったのである。
どこでも庭の石とか樹が形見のように残っている
なんともこの辺は本当に不思議な光景であり
その状態は変わっていない、
こういう変化になじむには相当時間がかかる
あまりにも変わりすぎたからである

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CONFUSION(抽象画)


CONFUSION(抽象画)


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confusion

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energy of the earth


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one direction


この辺ほど混乱している異様な状態はない、津浪から原発から異常状態はつづいている。その方向も見えないのである。

抽象画は何かそうした心の状態の反映も現している。
ピカソの絵はまさに現代の混沌した状態を絵にしたのである。
抽象画はだからピカソとにてくるのだ。

2012年08月06日

ひぐらし、山帽子の花など


ひぐらし、山帽子の花など

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ひぐらしや遠き昔の市庭(いちば)かな

この道や夕風そよぎ合歓の花


海よりの風のそよぎて月涼し


山帽子日毎に見ゆるその脇にカサブランカの開きけるかな


葉隠に雀の四五羽枝とまり夏の夕ぐれ心なごむも

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山帽子の花は本当に夏にふさわしい花だった。風にいつもそよいで涼しげに咲いているからだ。
花というのは自然の中で見るのと庭で咲いているのを見るのとは違っている。庭で咲いている花は一日中、朝から晩まで見ている。すると人間と花が一体化するのである。花の性質を深く知るようになる。山帽子の花は最近植えたものだから新鮮である。これは風にそよぎやすい花であった。ひらひらいつも風にそよいでいたのである。こういう花もそんなにないだろう。その花を毎日見ていた。
その脇に今度はカサブランカの花が咲いた。夏は次々と花が咲く、この庭は狭くて花でもそんなに鑑賞はできない、だから広い庭に花をもっと植えて鑑賞することが夢だった。ただ庭の手入れとなるとこれはかなりめんどうである。金もかかる。実際金持ちになったら何をしたいかとなると自分は庭作りだった。庭師まで雇うのが理想だろう。となりに広い庭があり木立もあるから庭作りができるがしていない、借りていることもあるがもったいない、庭作りはそれだけ手間と金もかかるからしていないのだ。その庭に雀がきて葉隠れに止まっている。それがなんともあどけないのである。


今年は全国的に蝉が鳴かない、ここは放射能のせいなのかと思ったら全国的にそうなのである。わずかにひぐらしがなきはじめた。塩崎に船着とか市庭とかの地名が化石のように残っている。平安時代のものとかそこで何か取引されたからそんな地名が残っている。それはあまりにも遠すぎる。でも驚いたのは塩崎近くまで津浪が来たことである。船も流されてきた。塩崎だからあの辺まで万葉集時代は海だった。それでみちのくの真野の草原遠ければ面影にして見ゆというものを・・笠女郎の歌が生まれた。草原(かやはら)は地名だとしたがここに草原という地名は残っていない、石巻に真野と萱原という地名が残っている。もともと石巻がこの歌の地だとしていた。それは萱原という地名が残っていたからである。ただこの萱が草だったらそこになった。萱となっていることがそこが草原なのか断定できないものとした。萱となると地名には多いからである。ただ萱原という地名は少ない、萱野とは多く一般的だからそこにこの地名が残っていることが謎なのである。塩崎まで船が来たというとき大内に船がさかのぼって来るから曽賀船(そがふね)という地名が残っているのも不思議である。やはり船が行き来していたからそんな地名が残った。大内村も半分津浪で低いところは流された。あそこまで津浪が来たことにも驚いた。だからあそこも海だったことがわかったのである。


今年は昨日あたりは涼しくなったと思ったがまた今日は暑くなった。下にク-ラ-がありそこで冷やしていないといられない、二階のは旧式だし6畳でも広いと冷えにくい下は4畳だから冷えやすいのである。二つもク-ラ-するのももったいないとも思う。ただ暑いと何もする気なくなる。やっと夜になって涼しくなってやる気になる。暑いところでは昼間は何もできない、半分寝ている。だからシエスタといって4時間くらい働かず寝ている。店も閉まっている。ギリシアとかイタリアとかスペインとかにこの習慣がある。その働かないところが経済危機になっているのは当然なのかもしれない、寝ていては稼ぐことはできないだろう。暑い所と寒いところはこのうよそもそも文化まで違っているのである。

山帽子の花(詩)


 山帽子の花



山帽子一木にさわに咲きにける
その一輪一輪の清らかに
日のさして風にそよぎゆれ
燕飛び交い軽快に
時に雨降り雷轟きぬ
自然の躍動のなかに花も咲き
花は造花にあらじ自然の中に
その命は自然の中に全うされぬ

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2012年08月07日

新しく詩集の部作りました



新しく詩集の部を作りました

数が多くなったので分類してゆきます
最近大量の詩を書きました
詩も書けるようになるといくらでも書けるようです
ただ最近家事が忙しいので集中できない
ともかく分類すれば読みやすくなる
詩はあまり読まれないが一人でも読めばアクセス解析でわかる
新しいブログにすると一人でも読んだ人がわかるでしょう
それが励みにもなる
アクセス解析がないとインタ-ネットでは全く反応がないから
それがあるのかどうかすらわからないのです
そこが大きな問題なのです

雀の詩
http://musubu3.sblo.jp/article/57473180.html

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八沢浦が美しい自然にもどった・・この発言は不謹慎について

 

八沢浦が美しい自然にもどった・・この発言は不謹慎について


津浪は凄惨な光景ばかり放送されている。もしかしたら美しい自然にもどったなどと報道したのは自分くらいしかいないかもしれない、そんなこと不謹慎だ、被害にあった人のことを考えて見ろ、よくそんなこと言えるものだと批判されるのが普通かもしれない、どれくらいの人が死んだかわかっているのか?お前は死者を冒涜しているとなる。でも自分は正直に津浪の否定的な面ばかり伝えられるが
津浪がすべて悪とされるのだろうか?そういう疑問も正直にある。津浪もやはり自然の作用であり自然にとって別に人間に対する悪意はない、自然の作用だから自然は必ず美をもたらす。なぜならこれほど日本の海岸線が防潮堤でコンクリ-トの壁となり美観が損なわれたのか、それはもともと自然の状態のままにしないということだったのである。何も波に浸食されるならそのままにしてもいい、かえって防潮堤がなくなり原野になり北海道のような砂浜が生まれる。人間の方が自然に合わせてそういう場所には住まないようにするのが自然に従い生きることであり理にかなっている。
青松白砂の風景は人工的なものだったが人間が作り出したものでも自然に調和していた。しかしそれも人工的なものであり自然破壊だったことを津浪でわかったのである。

つまり今回の津浪の悲劇は日本の国土が狭すぎるために起きた。田んぼにするためにもともと米作りには適さない海岸沿いに田んぼを開拓して広げた。それは日本が土地が狭いから広げる地がないからそうなった。右田でも八沢浦でも烏崎の辺は低地であり海に近く稲作には適していなかったのである。そしてどうして磯部であれ烏崎であれ海岸に接して家が密集していたのだろう?それは磯部でもその前は広い田んぼになっていて開拓された地帯だった。右田でも烏崎でもそうである。その広く開拓された地域には人家がほとんど建っていない、海岸沿いに家が密集していた。三陸のように漁業するためではない、もともと田を作り稲作するために海岸沿いに家が集中するようになった。松川浦は塩田とか漁業があったにしろ他は田を作り米をとることが生活の基盤であった。磯部でももともと砂州の所に家が密集したのである。それは田んぼになるところに家が建てばそれだけ田んぼの土地が狭くなるということがあったのでは?家が海岸沿いに密集したのは田んぼにする土地を確保するためだったのかもしれない、漁業のためにではなかった。


日本は土地が狭いから山でも棚田など作り手間をかけて米を作り生活してきた。それは山だけではない、海岸沿いもそうだった。だから海岸沿いに田んぼを作り人が住むことは自然に反することであり危険なことでもあった。だからこそ自然に復讐されたともなる。日本が中国と戦争したのも満州という広大な地が必要だった、あそこはあれだけ寒いのに米作りをしようとしていた。その時まで日本人の発想は農業が基本であり農業でもって土地を拡大して生活するということしかなかった。戦前でもそうだし戦後10年くらいでも開拓していたのである。戦争の原因は明かに満州にあり土地にこだわったことにあったのだ。今になると減反政策になり工業化こそ国を豊にすることになったから時代の制約で農業しか豊にする発想ができなかったのが悲劇に通じていたのである。原発事故もロシアやアメリカのように広大な土地があれば移住できた。それができないから日本の国土には原発が向いていないということもあったのだ。日本は土地がないから土地が一番価値あるものとされてバブルが起きた。農業にはどうしても土地が基本になるから土地に執着する。それが戦争の原因だったのである。


津浪がすべて否定的になるが果たして人間側に問題がなかったのか?自然に適合しない人間側にも問題があった。自然に適合しないことは必ず自然と調和しないから美が損なわれるのである。日本の海岸線は防潮堤たげの白砂のない浜辺になった。そして防潮堤が一部破壊されてそこから波が押しよせて白砂の浜辺が生まれた。それは一部自然にもどったことなのである。防潮堤がなくなり波の浸食のままにまかせていたら原初の砂浜にもどる、北海道のようになる。それも美しい光景になる。現実に磯部の前の田んぼが広大な湖のようになったときも驚嘆した。それは美しい光景でありそこは雨がふったりして淡水湖のようになった。これが自然の作用なのかと驚嘆した。あの辺も田んぼの中にはほとんど家はなかったのである。家が密集している所は凄惨なものになった。そこには美はなかった。だから都会が災害にあうときものすごい凄惨なものになる。自然がそこにはないから救われない、
ただ人工化した廃墟だけが残る。一方でもともと自然があったところは津浪でも原初の自然が再現されて奇跡のように美しい光景か一時的にも現れたのである。それは救いだったのである。
現代は大都会でも美が喪失している。その光景自体が絶望的ではないか?そういう世界がもし消失しても惜しいと思うだろうか?もちろん人命は貴重であるがそれ以上にその環境に美がなかったら人間が住んでも価値が生まれない、自然に美があるから人間もまた美しく飾られているのである。

都会のような人工化した世界がとれだけ醜悪になっているのか?そういうところに住んでいる人間すら価値あるのかとなる。

ただ一般的にはあまりにも凄惨な津浪の被害しか放送されない、そういうものだけではなくわずかであっても津浪は原初の自然を再現して驚嘆すべき美を再現したと伝えるのもまた報道なのである。
だから八沢浦とか磯部の前の田んぼは一時的にも海になり美しかったと報告するのも一つの報道でありこれをとがめる人がいても自分は正直にそう報道する。もちろん磯部では多くの人が死んだからまたそのことを言われるが田んぼだった所には家は本当に少なかったし八沢浦でもそうだった。

実際に八沢浦でどれだけの死者がでたのか?磯部と違ってかなり少ないと思う。確かに被害者はいた。その人の冥福はお祈りする。しかし一時的に美しい自然がもどったということでこいつはなんという奴だ、非人間だとか批判するのはおかしいのである。津浪はやはり自然の作用でありその自然の作用に逆らう人間側にも問題があった。お前は被害にあった人間の悲しみを無視するのかとかなるのは納得がいかない、またこれは別問題なのである。

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2012年08月09日

夏の川(人は美なしでは生きられない-美は救いである)


夏の川

(人は美なしでは生きられない-美は救いである)



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夏の花並び影なくつづきけり

夏の川鴎飛びきて海へ去る
川岸に夏菊眩し鴎飛ぶ

ひぐらしやこぞりて鳴きぬ近き山

このくらいの暑さだったら外にでて光をあびても気持ちがいい、夏の日が明るく輝いている。
川に鴎が飛んできてもすぐに海へ去ってゆくのが海岸沿いである。津浪は確かに家を破壊して田んぼもだめにしたが自然そのものが破壊されたわけではない、放射能も自然の美を破壊したわけではない、だから別に不自由をいとわないなら住む人は住んだらいいとも思う。また住みたいという人はいる。ただ姥捨山のようになり誰もめんどうみてくれないようになる。それでも長年親しんだ故郷に住みたいという人はいるだろう。人間は食料がなくても住めないが美がない処にも普通は住めない、花より団子だという人は多い、美など関係ないという人も多いからあれだけ東京に住んでいるのだろう。そういう処に住める人はすでに自然への感覚が喪失していて醜悪の中になれてそれが普通の状態だと思っているのかもしれない、本当に人間が人間らしく美への感覚をもっていたら住めないと思う。

これは悪人にとって地獄の方が住みやすいと同じである。たいがいの人間は心も汚れている。だから美も見えないし汚れている自分もわからないのだ。汚れた人にとっては汚れた処がかえって住みやすいのである。田舎に住んでいる人も同じである。そんなに美にこだわる人はいない、美にこだわって生きている人はいない、だから八沢浦が一時、津浪で元の入江にもどったことが美しいと言った時、何が美しいのだとそこで死んだ人やらあとの処理をどれだけ大変だったとか言う人もいた。


それはわかるにしても本当に八沢浦が一時入江になったときそこには汚いものがなかった。入江になったから浦になり波が春の光にまぶゆく光り静かによせていた。それは奇跡的に美しかった。この辺では荒い波しか見れなかったからだ。だから八沢浦は元の入江だったらどれだけ美しかったろうと想像していた。それがその想像通りになったから驚いたのである。そして八沢浦で歌われた古歌のことを具体的に理解した。磯桜というのがわからなかったが入江であり浦になったときその入江に波のよせる浦に磯桜が咲いていたのである。そういうことを津浪で理解できたのである。


ただ残念なのは一回したその風景を見ていない、水はひいてあとは汚い光景に変わってしまった。
一回でも現実にその光景を見たということは忘れられない。それはどんなことしても想像しても知り得ようがないものだったからだ。津浪には凄惨な風景だけではなかった。原初の美しい風景がよみがえられた処があったのだ。その辺はあまり紹介されていないのである。右田浜でも湿地帯になったりと北海道のようになった処がある。それを写真で報告した。醜悪な陰惨な場面ばかりが津浪ではなかった。それはそれで報道しても死者を冒涜しているなどとならない。かえってそういう美しい風景になったとき死者も救われる。ほとんど津浪の跡はあまりにも陰惨であり眼をそむけたくなる映像ばかりだからである。もし大都会でも津浪で流されてもそのあとが北海道の原野のようにな一面の花におおわれたらそれはそれで救いになる。まず都会が災害にあうとそうした自然がない所だから余計に人工的な廃墟となり美もなく救いがないのである。


自分にふさわしい夢を見た。高い山に登りまだ見ていない知らない花を見たのである。案内人がその花の名前を教えていた。つくづくそれが自分の一生を暗示した夢だった。自分は花を求めて旅をしてきたし花を詩にすることが多かった。だからその夢が自分にふさわしかった。自分はそのとき、その山頂で死んでその知られざる花になっていた。人間は夢の中でむずかしい難問を解いたりする。その一生の求めたものが夢になって現れたのである。だからこの夢はいい夢だった。自分はそうなって死ぬのが理想である。花を求めて花になって一生も終わったということである。


今年は蝉がなかない、これもなぜだろうと思う。理由がわからないからなんとなく不安になる。自然の異変なのかとか思う。何かの前兆なのかと思う。津浪以後そういう不安がつきまとっている。
自然の異変は実際は怖いということを知った。やはり何かの前兆であり地震でもその前兆はあったが見逃していたからだ。ひぐらしが近くの山で鳴いている。そこだけは集まって鳴いていた。すぐ近くの山だった。人間はやはり最後は身近なものに心をよせる。遠い山ばかり望んできたが最後は近くの山に心をよせる、それが人情なのだろう。だから老人になると故郷でなくても長年住んだところから離れにくいのである。

 

2012年08月10日

詩二題(夏の盛りの花々 ひまわりと芙蓉)



詩二題

夏の盛りの花々
ひまわりと芙蓉


詩集の部(花の詩)
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自分のテ-マは花だった。最近膨大な詩を書いた。人間は芸術でも絵でも詩でも描けるときは描けるし詩でもこんこんと清水が湧きでるように書くことができる。理解もできる。その人生の最後で追求したものが実ってくる。それは才能と関係ないみたいだ。早く死んだ人がなぜあれだけのものを残したのか?絶えず死期が迫り死を意識していたからあれだけのものが書けた。まだまだ先があるとか思っているときは書けない、もうあとがない先がないというとき人は最後に何かを次代のものに残すために作れるようになる。それは仏に芸術家でなくても最後になり死ぬときになり人は何をか悟るのである。自分は才能はなかった。やっと俳句とか短歌とか書き続けてきたけど稚拙なものだった。
でも真善美を追求してきたことは確かである。特に花を生涯見てきたのである。だから今になって花の詩を作ることができた。


実際はひまわりと芙蓉は挽歌になるかころ見ていた。でもその花がどういうものなのか、人間的内面的に見ていない、人間的にいみづけるように見ていないのである。また見れないのである。ひまわりと芙蓉はおおらかな花でありその花をなんともいえず向き合っておおらかに咲いている。そこに争うことなどありえないのである。それぞれの個性を活かすならば人は争わない、それぞれの個性を際立たせて咲くだけであるからだ。むしろ個性を出さないことには花は映えないのである。個性なきものは自然に映えることはないのだ。夏の花は多様であり個性を出して大調和している。それがなんとも心を豊にしてくれるのである。


 

posted by 老鶯 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般