2012年07月29日

復興の野馬追い(雲雀が原に結集)


復興の野馬追い(雲雀が原に結集)

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雲雀が原に結集

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神旗争奪戦
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山百合や出陣の郷士送りだす
雲雀が原旗のなびきて夏の蝶
若武者に金色の兜光るかな
夏菊やなお行列のつづくかな
法螺貝のひびくやまじか夏の山
本陣へ上るや馬のいななきぬ


小高郷標葉郷の名ひびきけり雲雀が原に復興願ふ

交じり合う旗のあまたや雲雀が原復興願い神旗をとりあふ

雲雀が原でしきりに小高郷と標葉郷(しねは)郷のことをスピ-カ-と何度も言っていたのは小高郷もまだ警戒区域から解除されたばかりで正常化していない、標葉郷(しねは)は浪江は警戒区域になり人が住んでいない、それでも小高郷でも神社が参加したり普通に行列を組んでいた。標葉郷も結構参加していたみたいだ。ただ神旗争奪戦では例年より少ないことが目立った。400騎くらいはでたからこんな状態では良く出た方だろう。普通は500騎はでている。奇妙なのはどうしても野馬追いに出ているのは郷士だった農家の人である。すると農家の人の生活の基盤は田畑なのである。その田畑が相馬市をのぞいては草ぼうぼうになっている。それがどうも違和感を覚えるのだ。郷士はもともと土着した農民であり田畑がないということは何か肝心なものが欠けているという感じになる。いつもなら田んぼの中を青田の中を旗をなびかせでてくる所がいかにも野馬追いらしい風景だったのである。それがないということがやはり異常なのである。盛んに郷大将と言っていたのは
郷大将は各郷の大将。各色の母衣を着用する。宇多郷、北郷、中の郷、小高郷、標葉郷がある。

21騎少ない37騎が標葉郷から参加した普通は50騎だとすると結構多い
副会長が64歳で死んだというのは何なのだろ。二本松で出陣式だった
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001207150004


今日は暑かった。見ているだけでも暑いし疲れる。炎天だった。でも結構見物客が多かった。復興の野馬追いということでかえって見る人が集ったのかもしれない、浪江の標葉郷や小高郷の人たちは仮設に住んでいる人が多い、そういう人も見に来たのかもしれない、復興を願う野馬追いになったのである。そもそも祭りは共同体の一体感を高めるものとしてあった。だから復興とかには向いていたのである。

野馬追いが外から見たとき誤解しているのは誰でも参加できる祭りだと思っている。旗も勝手に作っていいと思っているかもしれない、野馬追いは基本に文化財保護というのが基本にある。勝手に歴史を歪めるようなことは許されない、旗印を勝手には作れない、一つ二つくらいは作っているかもしれないが新しい旗を勝手には作れないのである。先祖代々伝えられた旗しか使えないのである。そこが他の祭りとは違っている。とにかく旗印は代々伝えられたもので勝手に新しく作った旗は許されないのである。


旗をつけて競争する競馬は迫力がある。テレビで競馬の中継を良くしているけと実物が走るのはテレビの画面で見るのとは全然違う。土煙をあげて走る姿は迫力がある。怖い感じすらする。あれだけの早い馬にのるとは相当訓練も必要である。競馬はテレビの中継で見ても迫力か伝わらないのである。こういうことはいくらでもある。実物とテレビの小さい画面で見るのとは違うのである。そういうところから世界を錯覚してみているのが現代である。例えば戦いの場面など現場で見たらものすごい迫力になる。そんな現場を再現しようがないのである。そこに戦争に対する錯覚が生まれる。実際に最近でも戦争を経験した人は生きている。その人達の経験したことはとても語りきれない、伝えられないのである。最近一遍のことを自分の今の状態にてらしあわせて興味をもった。一遍のことを理解するには本読んだくらいでは理解できない、あまりにも現代の感覚からは逸脱している。例えば死体が道端にごろごろしていてその死体を野に捨てる。そのときただ念仏を唱えて浄土にゆくことを祈るしかない、死ぬことが幸せなのである。生きていることが生き地獄だったのである。実際に自分で死体を運び野に捨てる、それがとても言葉だけからはイメ-ジできない世界なのである。そういうことが津浪で死んだ人に起こったことは確かであるが被害のない人は実感がいまいちもてないのである。

野馬追いにしてもなかなか馬がどういものか理解できない、馬が全速力で走ってきたら車のように怖いものだと思った。そういう感覚がテレビからでは体験できないである。


ともかく今年の野馬追いも特別なものだった。復興の野馬追いであった。つまり今回の野馬追いは別な意義が生まれたのである。
だからかえって別な価値が生まれた。新たな価値が付加されたのである。戦争でも弔い合戦などとなる指揮があがったと同じである。
戦争はただ勝つためにだけに戦いない、何か意義が必要になる。命がかかっているからそうなる。
三国志で劉備が絶えず義をかかげていたのはそのためである。日本の戦争だって未だに大義の戦争だったと言わざるをえないのはそのためである。人間は死ぬとなったら命をかけるとなると高いモラルが必要になってくるのだ。
人間は単に利益のために命をかけないのである。そこが仕事でも誤解しているのだ。人間は利益のためにだけでは仕事にならない、
高いモラルが必要なのである。武士にはそういうものがあったのだろう。ただ利益だけだったら武士道など価値がないからだ。

posted by 老鶯 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)