2012年07月28日

復興の野馬追い (野馬追いの見方-旗を良くみること)


復興の野馬追い

(野馬追いの見方-旗を良くみること)


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御家という旗は新しく作った旗か?
見かけない旗である。
ただ藩ではなく御家中と言っていた。

一の旗は先導役である。

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なぜハサミなのか?


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大将の母衣

炎天下大将導く一の旗
母衣赤し大将進む後ろかな
復興や旗なびきつつ打ち進む


野馬追いの見方は他の人はわかりにくいし地元の人でもわかりくかった。これだけ見ていても実は見ていない、見方がわからないのである。最近わかったことは野馬追いは一年に一回しか見れないから何度みても貴重なのである。そして意外と早く通りすぎるからゆっくり見れないのである。この旗なんなのだろうなというとき通りすぎてしまう。何度見てもその旗は一回しか見れないし一年に一回だから良く見れない、旗の種類が多いからだ。この旗なんだろうなと思っていると通りすぎてあとは来年まで見れないのである。そこに意外と野馬追いが毎年見ていても何かいつもものたりないものとして終わる原因があった。つまり良くゆっくり旗でもみていられないことなのだ。だから写真に旗を記録することが大事である。とにかく写真をとって記録させてあとでふえかかるほかない。


野馬追いは一回見て終わりだとよく言われる。ところが実際はそうではない,野馬追いは何回も見ないとわからない祭りだった。地元毎年見ていてもこの旗なんなのだろうと必ず毎年違った旗を見ているのである。それだけ旗の種類が多いのである。旗のことを前にも書いてがいろいろあってあとは書いていない、野馬追いはやはり旗祭りだから旗のことをわからないとつまらない、どうしてもこの旗なにを意味しているんだろうとかとんな謂われあるんだろうかと見るがすぐ通りすぎてしまうから記憶から消えやすいのである。そしてあと実物を見れるのは一年後になって結局何年たってもよく見れないというのが野馬追いだったのである。いろいろな旗があってもいちいち詳しくゆっくり見ていられないのである。今回は樹の燃えるような旗印があった。あの旗は面白いと思った。もう一つなんでハサミの旗印なのだろうと思う。そういう疑問が常にあるのが野馬追いなのである。


ともかく今日は34度もあった。暑くて出るのも見るのも暑いから大変である。家の前通りすぎたのちょっと見ただけだった。下にク-ラあるからそこで涼んでいた。明日は雲雀が原に行ってみるか、暑いし12時前まで行かないと見れない、復興の野馬追いだから見る価値がある。数が多ければ迫力あるのが野馬追いである。野馬追い見たら必ず旗に興味もつことは確かである。

 

ゲ-テ ファ-ストより

アイアスはその楯に絡まりあった蛇の模様をつけていたし
テ-パイを攻めた七人の勇士も、それぞれの楯に
意味深い複雑な紋所をつけていましたね
夜空にかかる月や星もあれば
女神だの、英雄だの、梯子だの、剣だの、松明だの
平和な町を恐ろしく脅かすような図案もあり
わたくしたちがお話している英雄たちも、先祖代々伝わった
きらびやかな紋章をつけていますね
獅子もある、鷲もある、爪、嘴
水牛の角もあれば、鳥の翼、薔薇の花や孔雀の羽根
それから金、黒、銀、青、赤の縞模様
そういうものが世界ほど広いからと思われる
無数の広間ににずらりと懸かっているのです
それに踊りもやれるのだから
ファ-スト二部(ゲ-テ)


月や星の旗印は妙見が祭っているから主要なものとしてある。獅子とか虎はない、中国でも獅子とか虎が良く出るけど日本では旗印にしていない、なじみなかったのかもしれない、鷲もでていない、
水牛の角の兜をした人は見たから共通している。縞模様が同じである。花はカタバミの花がある。梯子の旗印もある。ヨ-ロッパでは必ず城壁を上るから梯子は必要だった。日本ではどうだったのか?梯子は城攻めに必要だっかのか?そういうシ-ンはドラマであまりみないようだ。
そこでなぜハサミなのかというのが今回は気になった。ただ今そうして調べる余裕がない、野馬追いが旗祭りだというときその説明した専門的な本もでていないのも不思議なのである。誰かが研究したものがあってもいいはずだからである。ただ旗の由来はわかりにくくなっている。ただ何らかの研究があってもいいのである。旗は本当にヨ-ロッパが騎士の時代とにている。とにかくヨ-ロッパは城が多いからだ。それが日本と共通しているのだ。中国とはこの点では共通していないのである。

posted by 老鶯 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)