2012年07月26日

津浪の跡の海岸が湿地帯化した夜明け(右田浜-写真) (でんでん虫が草むらに眠っていた)

 

津浪の跡の海岸が湿地帯化した夜明け(右田浜-写真)

(でんでん虫が草むらに眠っていた)

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津浪に残った一本の松

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●人間は自然に逆らうべきではなかった


波ひびき夜明けの原に夏雲雀


痛々し一本残る松による夏の日まぶしく朝日昇りぬ

荒々し波打ちひびき陽の昇り海鳥騒ぐ夏の朝かな
海よりし飛び来る鳥の鳴き騒ぐ開けし原や夏の夜明けに
津浪跡沼地に飛び交うトンボかな朝焼けの映え波紋広がる


津浪の跡が湿地化した。そこにトンボが飛び交っていた。トンボは水辺が繁殖に適しているらしい。水辺に集るのである。津浪の跡が原初の自然状態にもどる。それはまだ信じられない光景なのである。一本だけ残った松は本当に痛々しい、でもこの松は良く残った、この松は強い松だったことが証明された。だからつくづくながめてみる。確かにそういう強さをもった松だったのだろう。特別な松だったのだろう。この湿地化したところに海の鳥が飛んできて鳴きさわぐ、この辺は北海道のような原初の状態にもどったのである。ただ今年は田んぼだったところは赤
茶けで青々とした草原になっていないのはなぜなのだろう?海岸の近くは湿地帯化していた。


思うに海岸線に日本では防潮堤を作ったけどそれが自然破壊だったのである。別に防潮堤を作らなければ津浪の跡のように原初の自然状態にもどった。それはまた美しい光景なのである。結局自然は自然にまかせた方がいいのかもしれない、松原を作ったのは実際は自然ではない、無理して海の方を開拓して防潮林として松原をつくりあとは波の浸食で防潮堤を作り砂浜もなくなった。津浪によって元の自然にもどした方がいいともなる。波に浸食されたら人はそんな海岸にすまないで別な方に住むほかなかったのかもしれない、波の浸食で自然であり自然の作用なのだからいくら防潮堤でもとめることができないのである。つまり津浪も自然の作用でありそれに逆らうことはできない、そのために防潮堤を作って破壊されたのである。防潮堤を作ると美観が破壊されるのである。右田浜はもともと家が少ないから三陸の街のような凄惨な感じがしないのである。


●でんでん虫が草むらに眠っていた


ゆ-らりゆ-らりゆらりゆらゆらゆ-らり
合歓の花夕べ風にそよぎぬ
でで虫一つ日影の草むらに眠りぬ
そは隠れてひそか知られざるかな
木蔭静かに休むことこそよけれ
尾長はその尾の長く伸びやかに飛びにけるかも


でんでん虫が這っているのは見かけるけどこうしてひっそりと隠れるように休んでいるのはなかなかみかけない、草むらに隠れているからわからないのだ。葉の裏などにも隠れて休んでいるからだ。
このでんでん虫のように眠っていたい、暑い所ではハンモックとかに揺られて昼間は仕事しない、できないのである。日本も蒸し暑くなったから休んでいたい、このでんでん虫の眠っている姿はなんとも言えずいやされる。飯館村など原発事故の前は知られていない、でんでん虫のように眠っていたのである。どこの村でも普通はあまり知られないのである。そういう時がつくづく幸せだったのである。原発事故で知られてもそこに平和はもうない。尾長が飛んでいる姿がいい,長い尾を伸ばして伸びやかに見えるのだ。自然はそれぞれに個性があり癒しがある。


眠るでんでん虫


でんでん虫一つ
草むら深く
日影に夕べ眠りぬ
誰かしる
そは隠されて
安らかに声もたてずに
眠りてあらむ
人の世のことも知らずに
赤子のごとくに・・・

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フェ-ルメ-ルの小窓(オランダも地理が作った)


フェ-ルメ-ルの小窓

(オランダも地理が作った)

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●地理的制約から海洋国へ


フェ-ルメ-ルの小窓


その小窓より海の風はそよぎ入る
船は入り船はい出ゆく
はるかなる航海の日は語られぬ
小窓より光はさしいり
貴婦人にあらじ平民の婦人
その家を知り尽くして家事を行う
そのつつましき姿に美を見いだす
少女のラグズベリ-色のタ-バンの異国趣味
異国の話は尽きざるかな
その小窓より世界の風の吹き入る
オランダの栄し日よ、日本も語られぬ
オランダに広き大地、森、山なくして
果敢にも冒険的な船は海にい出ゆく
その富のここに豊にあふれて
栄えし日の夢を見るかな

・・・・・・・・・・


彼の握る帝国の章標
彼の王権を示す宝珠と笏
望遠鏡 るつぼ はた地図なり
彼道なき海を越えて船を導くを得
それに関するあらゆる技術を心得あり
彼地球の内部を解し星辰の運行を判ず
外つ国々の政策を知り
全世界の地方の 都会 町などの名を
かげろう糸の露の玉のごとく固くつなぎ合わす力あり
・・・・・・・・・(ワ-ズワ-ス 序曲)


オランダという小国が世界をまたにかけて貿易で栄えたのはなぜか?それも基は地理だった。もともとニシンをとるだけの漁村だった。横浜のような所だった。それが外国から織物などの技術をとり入れて技術先進国となった。外国の技術者を入れて発展した。一つのコスモポリタン的都市となっていったところに栄えた原因があった。風車にしても船の技術に応用されて世界の海に乗り出すことで栄えた。国は小国であり土地もないから海に土地を作ったような所である。ここで栄えるのは貿易で栄えるほかなく商人となるほかなかった。その地理的位置が恵まれていた。ライン河の河口にありイギリスともスエ-デンやノルウェ-とも近く木材の資源とか入り物資の集散地になった。貿易で栄えた国は自然条件が悪い外洋に出るほかない地理的条件があった。ギリシャもそうだったのだ。平坦な地域が少なく今でも山の高い所に羊飼いが羊を追っていた。険しい山と海と島の国だった。だから植民都市を外部に作った。そしてドルフィがギリシャ世界の中心地というときあの山の中がどうしてかとなるがやはりゼウスの住むオリンポス山が見える地であり山が多いからそうなったのである。点々と島が多いことも航海するには適していたのである。日本でも島が多いけど対馬などでも耕地にする所が極めて少ない、すると海に出るほかない、海に出ることが強いられるのである。貿易で栄えるほかないのである。そういう地理的制約があるのが島なのである。沖縄もそうである。

ギリシャ本土は山が多くてその広大な面積は不毛の土地である。しかし肥沃な谷がたくさんあって、それらは海へ容易に出ることができるが相互の陸上交通は妨げられていた。


ヨ-ロッパ中部はライン河がその貿易の幹線だった。したがってライン河の河口に位置してバルティック海、大西洋に面しているネ-デルランドが地理的に最も適していて、トルコの進出による地中海貿易の衰退と共にヨ-ロッパの中継貿易の中心地となった。
(繁栄と衰退-オランダ史に日本が見える-岡崎久彦)

オランダは地理的条件に恵まれていたのである。ケルンの塔の上からオランダやイギリスの方が見えた。意外とオランダが近いと思った。

ヨ-ロッパはもともと氷河地帯であり湖が多いのはその氷河が後退してできた。つまりそもそもヨ-ロッパ自体が特に北は寒い地域であり住むには適していない地だった。だからこそ暑いインドのような豊かな国を求めて航海に出たのである。モンゴルは大陸から拡大化したがヨ-ロッパは海から拡大化してアメリカを作ったのである。その相違もグロ-バルな視野から見えるのである。
ドイツは広大なゲルマンの森を有しているからその成り立ちはまるで違う。フランスもそうである。そういう国は一つの民族として形成される。ナショナリズム的拡大がありナポレオンとかナチスとか領土拡大を目指し帝国主義になる。陸の大国はたいがいそうなる。その文化もそうであるからオランダは土地がないから異質だったのである。


●割り勘-Dutch treatの国


割り勘-Dutch treatというのもオランダ特有の合理主義だった。これは日本語にもあるのだから日本にもあったから日本も商人的合理主義が江戸時代からあった。


レンブラントの「夜警」だとされる。
この絵の正式な題名は
フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊

であるが、その市民隊がレンブラントに絵画作成を依頼する時に、
市民隊のメンバー達は1人100ギルダーずつを供出して、
レンブラントに支払ったそうだ。

ところが、出来上がった絵を見ると
みんな平等の配置で描かれるものと思っていたところ、
中央の隊長と副隊長にばかりが目立つ配置だったので、
不満を抱いたともされる。

オランダでは、
レンブラントの「夜警」のように
無名人の集団肖像画がオランダで多くあったという。


オランダは平民的であり合理的であり貴族の階層社会と違っていた。宗教と政治を分離したから徳川幕府にも受け入れられた。姓にこだわらないことは出自にこだわらないことである。中国の三国志では姓が一族結束の象徴であり何の姓に属するかでその人がわかる。日本でも姓より地名が姓になっているというときどこの村に住んでいたかがアイディンティティになるのだ。


●地理が歴史を作る(日本の古代は大阪がオランダだった)


日本にしても最初に大阪とかに韓国から技術者がおしよせてきて大阪に百済国があるまでになった。それは大阪などが外国文化の取り入れる入り口となったからである。飛鳥、奈良にしても難波の港があって成り立っていたのである。分離した世界ではなかった。川でも結ばれていた。国が栄える、世界的になるにはどこでも最初は外国の技術をとり入れて国が大きくされてゆく、中国や韓国から技術が入り古代に日本の国造りが行われた。みちのくの蝦夷まで鉄や黄金を求めてきて遠征した。百済王敬福まさにそうである。仏教も外国の技術と文化だったのである。多賀城が海から遠いように見えたが津浪で海に近かったことがわかった。近くまで海が迫っていた。それで波こさじの末の松山の伝説が生まれ京の都に伝えられたし貞観地震の津浪の被害と祇園祭りは関係しているとかなる。天変地異を鎮めるための祭りだったと言われるのもそのためである。それだけ古い祭りだということにも驚く。みちのくの真野の草原(かやはら)も奈良に平城宮に知られた時代でもあった。だから草原(かやはら)が伽耶の国に由来するというのもそういう大きな歴史的背景があってのことであり突飛なことではないのである。


百済野の萩の古枝に春待つと居りし鴬鳴きにけむかも

地名のイメ-ジ力-万葉集の衣摺
 http://musubu2.sblo.jp/category/1485470-1.html


こういう地名が残るのもいかにも大阪が外国文化をとり入れる入り口になっていたかわかる。
大阪ではピラミッドより大きい仁徳天皇陵があるからやはり早やくから外国と関係してそれだけのものを作る勢力を形成していたのである。

現代の情報文化は一地域が有利になることはない、インタ-ネットはどこでも情報が入手できる時代である。これが本の世界だったらなかなかできない、地方では発信することもできない、本だとまず流通させることが地方からむずかしい、でもインタ-ネットだったら日本だけではない世界へ簡単に発信する能力は備わっている。ただまだ本格的なプロフェショナルな発信が行われるシステムがないのである。

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17世紀オランダの風景画より


晩秋や風車の古りぬ二つかな

この風車の絵の発見は感動した。オランダで風車を見たけど電車の窓から通りすぎた一瞬だった。このような風車は見ていないから残念である。その風車は一見見て古いとわかった。だから風車の実物は古いのである。それが歴史的なものであることがわかった。実物を一回だけでも見ることは相当に価値がある。いくらテレビでも写真で見ても実感しないのである。


それにしても自分は本を読むというより本の蒐集家だった。これはめずらしいなとか買っていた本があった。引用したワ-ズワ-スの本にしても厚いしラッセルの本にしても持っているだけで重い、そんな本を良くだしていたし買っていたなと思う。知的仕事にはまず自分の部屋が小さくても図書館になっていないとできない、だから作家は書庫をもっていたし学者も持っていないと仕事にならないのである。インタ-ネットはそういう点で知識の世界的解放の時代なのかもしれない、まだまだそうなっていないにしろそういうものを目指している。アレキサンドリアの図書館のようなものを目指している。引用した割り勘のことでもあれはどこかに書いてあったから著作権はないだろう。何か創造されたものではないのだた。インタ-ネットには素人のそうした発言が膨大にある。本はプロフェショナル的なのである。ともかく本でもインタ-ネットでもやはり編集作業が新たな知識の見方を提示するのである。 この風車の絵の発見は感動した。オランダで風車を見たけど電車の窓から通りすぎた一瞬だった。このような風車は見ていないから残念である。その風車は一見見て古いとわかった。だから風車の実物は古いのである。それが歴史的なものであることがわかった。実物を一回だけでも見ることは相当に価値がある。いくらテレビでも写真で見ても実感しないのである。