2012年07月12日

相馬市の病院へゆく (この辺の福祉の問題など-やがて施設も病院も入れなくなる)


相馬市の病院へゆく

(この辺の福祉の問題など-やがて施設も病院も入れなくなる)


老鶯や鯉ゆうたりと小泉川


今日は相馬市の病院に行った。手術の日が決まった。施設に家族もあづけられる。手術自体は2,3週間でありたいしたことないみたいだ。でも手術だからそれなりに大変だということがある。ともかく介護していて介護する人もいないのだから何でも大変なのである。介護して一人は死んだけどそのために病院にも行けずに悪化させたのである。幸い癌とかでないから助かった。体力的には落ちてない、普通の生活ができる。老人をみていると歩き方でわかる。歩き方をみていればこの人の体力がどれくらいかわかる。老人は見た感じでわかるがそれは歩き方と姿勢なのである。ぴんと背筋が張ってすいすいと歩いている人はまだ老人には見えない、例え白髪でもはげていてもである。ところが歩き方を見ているとやっと歩いているような感じの人は年だな、老人だなと見てしまう。自分は歩き方から老人には見えないだろう。すいすい歩けるし背筋も張っている。姿勢は悪くないからだ。それでも介護保険を納める年齢になっている。60代とか個人差が大きくなる。十歳くらいは違って見える。

60以後は年に関係なく歩き方を見てその人の体力の度合いを計るといいかもしれない、やっぱり人間は歩くことが基本なのだ。歩けなくなったら途端に老いてしまうだろう。

30年一人暮らしている相馬市の老女がアイネットのことを言っていた。緊急時の連絡のシステムである。その女性は福祉関係で無料で入っている。隣近所は全くあてにならない、都会と同じだと言っていたことは自分もつくづくそうだと思った。ちょっとしたことも頼めない、隣近所は無縁化している。頼りになるのは福祉サ-ビスでありここが機能しなかったら例え何なろうが隣近所は放置される。
死んでいてもわからないだろう。これは田舎でもそうであり社会自体がそうなってしまったのだ。

だから福祉サ-ビスが機能しないと悲惨なことになる。「おにぎり食いたいと・・・」と言って生活保護を受けられなかった人が都会で死んだ。昔だったら隣近所に言っておにぎりくらい食べさせてあげたろう。貧乏でも米をわけあったとかある。それが今の時代は全くなくなった。だからこそおにぎり食いたいと言って死んだのである。誰もおにぎり一つあげることもできなかったのである。そういう社会になっているということなのだ。隣近所は本当に無縁化してしまったのである。
ただ金があればアイネットとか隣近所の役割をするサ-ビスを受けられる。これもまたまさに隣近所が全く無縁化しているからこそ商売として成り立つ、そういうサ-ビスが仕事になるのもまさに現代を象徴しているのだ。何でも金を通じてサ-ビスを受ける社会なのである。だから一面金のない人はこういう社会ではさらに無縁孤立化してゆくだろう。ただ金だけでは何もできるわけではない、それは自分が痛感した、近くだと思って頼んだら犯罪にあった。もう金しかその人は求めていない、その現実に唖然としたしこれが現代社会なのだと痛感した。それは田舎でも都会と同じなのである。
農家辺りではまだ多少は隣近所は違っているかもしれないが街内どこも同じである。

不思議なのは隣近所でも何か困っても「福祉関係に頼んでください、民生委員に頼んでください」で終わりである。家族が認知症になったときも誰もかかわらなくなった。ただ病院に入ったとき看護師などがかかわってくれたのである。施設に入ればかかわってくれるのが現代であり隣近所は全くかかわらない時代である。それでもこの辺では福相とかの会社で募集しても人がこないとか働き手が流出していることが深刻な問題となっている。病院でも看護師、医者がたりないとか介護関係もたりないとかそういうことが深刻になってくる。

だからみんなが「福祉に頼んでください・・」というときその本人もそう言われる。重篤になったらやむをえないにしろちょっとしたことも頼めないのである。金がない人は特に苦しくなるはずである。金がないなら助けてやっても損なことはないのだ。打算的にしろ恩を与えることでもいい、人は助けて損になるはずがないのだ。何も得られないにしろ損にはならない、重篤になっている場合は別である。ついで買い物してやるとか留守だったら家をちょっとみてやるとかである。そういうことすら頼めないのが現実である。人によるにはしろそういうのが現代社会であることはまちがいない。

ともかくこの辺の状態といろいろと深刻である。自分は住むところがあるからまだよかった。他の人は飯館村でも住む所を奪われたし一体これからどうしていいのだろうと途方にくれているだろう。

津浪の被害にあった人もそうである。岩の子で津浪の被害にあった人がいた。塩害で田んぼがだめになったとか聞いた。様々な負担がのしかかっている。だから自分たちのことで精一杯だというのもわかる。そして若い人が流出することはこの辺ではいかに深刻なのことかまだ自覚していない、老人とか高齢者や病人ばかり残されことになる。その時「福祉の方に相談してください」だけでは解決しえなくなる。それだけの余裕がないし病院だって重症の人すら早めに出され自分で食事の用意すらできないような人が病院から出されていることが放送された。そううい時代になってくる。「福祉で頼んでください」で解決すらならいい、その福祉への期待が崩れることがあるのだ。だからなんだか三年も胃ろうで病院に入っている人などが増えてくるとそのあとに入れことができなくなる。そういうふうに病院でも施設でも手当てしているとあとにつかえるものが困ることにもなるのだ。いいところで死んでもらわないともうあとがもたないという事態になりつつあるのだ。とにかくこの辺ではこれから病院でも福祉関係でもまともなサ-ビスが受けられなくなる可能性が強いのである。そういう自覚にまだ欠けているからのんきなことを言っている、今度は自分の身にふりかかてっくる。


今やここに残り暮らすことは今までとは違っている。何らか互いにここに残るために協力するとかそういうことが必要になってくる、在宅介護だってもう施設に入りきれない病院ではめんどう見切れないからそうなっているのだ。だから隣近所の無縁化社会はこれに拍車をかけるから「おにぎりください・・」と言っても誰もくれない、餓死してゆく人が増えてくる。だから最低のセ-フティネットで現物を供給する場を作るのはいいかもしれない、アメリカではそうしている。生活保護だってふえる一方なのだからこんなことつづくはずがない、限界がきているからだ。ともかくこの辺ではまともな福祉サ-ビスも受けられなくなるかもしれないからそういう自覚をして残るほかないかもしれない、でなければ福祉サ-ビスのいいところに金ある人は移るほかない、都会の年金生活者は福祉サ-ビスのいい市に移住しているのだ。つまり現代は金があれば移住しやすい社会である。だからこそ若者もこんなふうな状態になるとこの市長村はもう未来がない、こんなところで暮らしていてもいいことはないと移住する人がふえてくるのだ。そして残されるのは老人とか病人とかばかりになる。でもそれを補佐する福祉が維持できるかと言ったら若い人がいなくなるのだからできないのである。


小泉川の所は情緒があり鯉が泳いでいるのがいい、相馬市は駅前から開発などしない元のままの街だった。そこが原町と違っていた。細い路次が多く城下町の名残がある。

posted by 老鶯 at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記