2012年07月10日

原発事故の原因は技術的な問題の前に単純なモラルの欠如 (自国の防衛は自国しかできない)


原発事故の原因は技術的な問題の前に単純なモラルの欠如

(自国の防衛は自国しかできない)

原発事故の原因をいろいろ考察してきたけど人災とされたけど本当にそうだと思った。その原因は人災だったのである。ということは天災ではないから原発事故でも人間的対処で防ぐことができたということである。ヒュ-マンエラ-だとすれば防ぐ手段があったのだからそれを怠ったことによるのだからその非は津浪にあるのではなく地震にあるのではなく人間側にあった。


アメリカ側がマ-ク1という古い型の原子炉を日本に輸出した


アメリカ側のGEの落度をほとんどとりざたされないのは戦後日本はアメリカに負けたのだからアメリカの政府の支配下として出発したのだから日本はそういうアメリカの命令には従うという習性になっていたし強制されていたからアメリカ様の言うことには逆らえない、それは官僚でもアメリカの支配下から出発したのだから検察でもアメリカ側についているのだ。そこに原発事故が起きた一つの大きな要因があった。アメリカ側ではどうせ日本だし遠いから危険な欠陥商品の原子炉を売りつけてもかまわないという判断があった。結局他国になればどうしてもそうした考えになる。だからこそ自国の安全は軍事防衛だけではない、原子力のような技術的な問題でも自国を守るのは自国しかない、他国は責任をもたないということから出発しなければならない、食糧問題でもいざとなれば他国は日本を助けないという前提ではじめねばならない、現実にアメリカでは西海岸には地震があるからと原発を作っていないかった。地震がこれほど多い日本を考慮すればアメリカ側で危険だから輸出できないとなっている。マ-ク1は特に欠陥があるから危ないとなり輸出できないと良心的にはなる。でもその良心が麻痺するのはやはり利益優先になり金になるということであった。そして外国だから遠いし自分たちには安全は関係ないと判断して危険なものが売られたのである。

それを輸入した側の日本にも問題があった。自分たちの特に読売新聞社の正力松太郎が自分の野望のために原発を利用したのである。日本が地震国だということを無視して安全を宣伝したのである。
中曽根首相もそれに加わった。そこから原発が輸入されるようになった。最初に常に利益ありきということが問題を起こす、安全を言えば利益にならない、それで東電の清水社長はコストカッタ-としてのしあがりこれも安全よりコストカットとなり高台に決められていた地盤を削り取り低くして金をかからないようにしたことが命取りになった。企業が利益追求するのは悪いことではない、そうでなければ成り立たない、ただその前に必ず利益だけではない公共の利益追求問題になる。利益追求だけが先んじるとかえって失敗する。会社経営でも基本的な所でモラルに欠けると致命的になる。モラルなどめんどうだから必要ない、技術さえ優秀であればいい、ところが経営と技術はまた別なものである。経営とは何か人間的なものがあり単に技術の優秀さだけでは通用しないものがある。


経営者には何か良心的なモラルが要求される。東電にはそうしたモラルがトップにはなかった。モラルというときむずかしいものではなく正直さとか誠実さとかがなかった。再三危険を指摘されても応じずに事故は隠蔽されつづけてきたのである。権力をもっているからそれもできた。その権力が奢りにつながり大事故につながった。こういうこと歴史上いくらでもあった。権力をもつと必ず奢り独断的になり他者の言い分はきかなくなる。原発事故は原子力というむずかしいものだからその原因は素人には専門家でない人にはわからないと自分も思っていた。原子力が何かとなったら皆目わからないからである。でも事故の原因は極めて人間的なものだったのである。それも単純なもの正直でないとかそういうモラルにあったのである。アメリカ側も原発の危険性を隠しもうければいいということでモラルに欠けていたし日本側も一個人の野望から原発が導入計画されたことでもわかる。それは技術の問題ではない単純な人間的問題、モラルの欠如だったのである。


明治維新後に人間がモラルを喪失してただ金を追求する利益人間になった。それは職人気質というとき個々人が技術に励み人格が形成されていた時代とは余りにも違う。また狭い村の中でモラルが維持されていた時代とも違う。大会社とかで組織的に人間が生きるようになったとき人間の個々のモラルは喪失した。単純な正直であれよなどということは誰も教えられないまでも常識だった。でも今はともかく金になることがいいことだ金を追求することが第一となりそれがすべていいことだとなった。学問も技術もそのために利益追求のためにある。それで個々人のモラルも喪失しているから結果的に上にたつ人もモラルより利益優先になりそれで失敗したのである。経営で失敗するとき何か技術的なものだと思い込んでいるけどモラルの面で失敗している。


その人は技術的に優秀でも経営で失敗したのは人間的なものだったかもしれない、人間的にモラルや情とかそういうものの欠如から経営者になったとき事業に失敗した。基本的な常識的モラルさえない、借りたものは返さねばならないとか恩を受けたら返さねばならないとか今の人にはない、恩さえ感じない人間がふえたのである。金を借りれば返さなくてもいい、恩を受けても返さなくてもいい、もらえるものはもらえるだけもらえばいいとなっている。自分のあった人はみなそういう人たちだった。一人は大犯罪者だった。もらえばいいだけではすまないみんな盗ってやれとまでなっていた。それほどのモラルの荒廃が今は庶民の間で広まっているからすでに人間の社会はいくら技術がこれほど発達して原子力まで利用するようになっても単純なモラルが喪失しているからもう滅んでゆくほかないのかもしれない、たとえこれほどの高い技術をもっても人間自体はモラルもない野獣と化している。

だからこそ利益だけを追求するから欲望だけを追求するから事故になったのである。地元の人でも利益優先主義だからともかく安全より利益だとなっていたこともある。東電は技術集団でも権力をもっているから野獣化して横暴化する。謙虚さを失い他者の意見もきかない、何でも自分たちでできるんだという奢りだけになる。政府もそれに加担して歯止めがなされなかった。それは技術的な問題ではなく単純なモラルの問題だった。天下り先を東電が提供してくれるとか選挙では応援してくれるとか政治家も利益優先主義で監視できなくなっていたのである。これが社会全体が利益優先主義でありモラルの欠如からそうなってしまっていたのである。モラルがなくなるとき人間社会は破滅する。いくら高度な技術をもっていても破滅することを今回の原発事故は示していたのである。ロ-マ帝国の衰退もモラル的な問題、享楽主義とか何か誠実さとか正直さとかのモラルの喪失から滅びた。。


武士道がこれほど言われるのはやはりそこに武だけではない日本人のモラルの模範のようなものがあったからこれほど武士道を再興しろと言われる。日本人にモラルがない、仏教にも神道にもモラルは喪失した。かといってキリスト教のモラルももっていない、とういうことは日本人には宗教のモラルもないとしたらどうなるのか?日本は技術をもっていても野獣化社会になるしなっている。そのことを明治維新のとき武士道を基にキリスト教信者になった内村鑑三が言っていた。西欧化すること技術を導入してキリスト教を導入しないことは危険である。文明とは技術だけを分離して導入することはできない、西欧文明とはキリスト教文明だからと言っていた。日本は技術だけを便利だからと導入した。そこに落とし穴があり今日のモラルなき野獣社会が庶民まで普及して腐食させた。アメリカ文明でも民主主義でも自己の欲望の追求が民主主義とされたのである。仏教を導入したときは技術だけではない、仏教文明そのものを導入した。それが明治維新との大きな相違だった。いづれにしろ原発事故は技術的問題だけから起きたものではない、その原因には広範囲なモラルの欠如から社会の欠陥から起きたのである。

posted by 老鶯 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連