2012年07月08日

南相馬市でも原発に働く人が多かった (また福島第一原発で働く人に出会った)

 

南相馬市でも原発に働く人が多かった

(また福島第一原発で働く人に出会った)


今日もたまたまあった人は原発に勤めていた。津浪のとき誘導されて免震棟に避難した。その後も誘導されて避難した。原発で働いていた人はかえっていち早く安全な場所に避難した。放射能の危険も知っていたからである。原発で働いている人が近辺に住んでいたがそこの住人には何も知らせずいち早く避難したことで非難された。なぜ知らせてくれなかったのか、放射能の危険を知らせて一緒に逃げるようにしてくれなかったのか非難している。浪江ではスビ-ディのことを知らず一番危険な山の中の津島に避難して被曝した。海沿いの方に避難していたらそんなに被曝しなかった。それもスピ-ディを公表していればわかったことであるが知らされなかった。それで浪江町で東電や政府の過失を訴えている。そもそも放射能がどういうものかさえわからない、その対処方法も教えてもらえなかたっのである。ただ安全だ安全だとしか強圧的にしか言われてなかった。それはも地元の人たちもまたそうした強圧的な言い方に同調して安全神話は作られたのである。そして思った以上原発で働くかかわっている人が南相馬市でも多かったのである。偶然にしては多すぎる。


浪江-原発の下請けで働いていた
小高-前に原発で働いていた
原町-事故の時原発で働いていた
原町-大熊のス-パ-で働いていた


自分のような交際範囲の極端に狭いものでも偶然にあった人に聞いてみてもこれだけかかわっている人にあっている。大熊で働いている人は原発の町は景気がいいから仕事もあったために一時間通勤にかかっても働いていた。原発までは通勤で一時間だから通っていたのである。原発で働く人は回りでもかなりの人がいるということである。なにしろ給料がいいから働きたいという人が多いのである。火力発電所でも千人働いていたことには驚く。それだけの雇用ができる場だった。だから浜通りは会津などと比べて景気が良かった。特に今住めなくなっている警戒区域はそうである。今は棄民にされたとなげていなるけど事故の前はそうではなかった。そもそも隣の町が原発で潤っているということでうらやましがって隣の町も原発を誘致に賛成して補助金をもらうようになったのである。

そして原発で働いている人は東電を批判しにくいということを言っている。恩恵を受けているからそうなる。他でも東電に盛んに無責任にテロしろとか言っているけどそれができないのはやはり恩恵を受けていたからである。

実際に東電に働く人がどれくらいいたのか統計をとってみればほかりやすいだろう。そういうことかできなくても偶然にあったにしては原発で働く人が意外と南相馬市でも多かったのである。原発によって経済が回っていたということがあった。だから一旦原発を導入したらそのうまみが大きいからやめることができなくなる。双葉町でも富岡町でも原発を稼働させろと今でも言っている。


浪江・小高原発(南相馬市、浪江町)の建設計画の白紙撤回や、
新設電源を、すべて自然エネルギーとする定款変更
などを求めた株主提案は、いずれも否決された。


地元で反対してもまた原発作られるのか?地元の力ではどうにもならないのか?それほど原発の要求の圧力が強いのか?何とも解せないことである。小高にできたら南相馬市も事故があったら住めなくなるぞ、今だって住めなくなって避難している人がいるのにこれはどういことなのか?東北電力も原発なくしては電力を供給できない、そういう体質になってしまっている。東北電力だって完全に安全とはならないだろう。こんなところに住むのが怖いとなるし子孫だってそんなものがあったら安心して住めないとういことがでてきてさびれてしまうのではないか?今回は30キロ離れていたけど今度は20キロ圏内だから恐怖である。相馬市も30キロ圏内になってしまう。


ス-パ-に黒い三組が買い物していた。アフリカ系らしい。言葉からするとそうみえる。島商会で中古車を買いに来たらしい。島商会では「お客さん」と読んでいると勤めていた人が言っていた。島商会はあんなに高い所にあったのに津浪があそこまできたけど助かった。だから早めに復旧した。相馬港も復旧したからロシア辺りに中古車を出している。相馬港から出せるようになって便利になった。
浜通りだからそういう便利はある。漁業よりそうした貿易港になれば金が入る時代である。

posted by 老鶯 at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連