2012年07月29日

復興の野馬追い(雲雀が原に結集)


復興の野馬追い(雲雀が原に結集)

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雲雀が原に結集

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神旗争奪戦
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山百合や出陣の郷士送りだす
雲雀が原旗のなびきて夏の蝶
若武者に金色の兜光るかな
夏菊やなお行列のつづくかな
法螺貝のひびくやまじか夏の山
本陣へ上るや馬のいななきぬ


小高郷標葉郷の名ひびきけり雲雀が原に復興願ふ

交じり合う旗のあまたや雲雀が原復興願い神旗をとりあふ

雲雀が原でしきりに小高郷と標葉郷(しねは)郷のことをスピ-カ-と何度も言っていたのは小高郷もまだ警戒区域から解除されたばかりで正常化していない、標葉郷(しねは)は浪江は警戒区域になり人が住んでいない、それでも小高郷でも神社が参加したり普通に行列を組んでいた。標葉郷も結構参加していたみたいだ。ただ神旗争奪戦では例年より少ないことが目立った。400騎くらいはでたからこんな状態では良く出た方だろう。普通は500騎はでている。奇妙なのはどうしても野馬追いに出ているのは郷士だった農家の人である。すると農家の人の生活の基盤は田畑なのである。その田畑が相馬市をのぞいては草ぼうぼうになっている。それがどうも違和感を覚えるのだ。郷士はもともと土着した農民であり田畑がないということは何か肝心なものが欠けているという感じになる。いつもなら田んぼの中を青田の中を旗をなびかせでてくる所がいかにも野馬追いらしい風景だったのである。それがないということがやはり異常なのである。盛んに郷大将と言っていたのは
郷大将は各郷の大将。各色の母衣を着用する。宇多郷、北郷、中の郷、小高郷、標葉郷がある。

21騎少ない37騎が標葉郷から参加した普通は50騎だとすると結構多い
副会長が64歳で死んだというのは何なのだろ。二本松で出陣式だった
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001207150004


今日は暑かった。見ているだけでも暑いし疲れる。炎天だった。でも結構見物客が多かった。復興の野馬追いということでかえって見る人が集ったのかもしれない、浪江の標葉郷や小高郷の人たちは仮設に住んでいる人が多い、そういう人も見に来たのかもしれない、復興を願う野馬追いになったのである。そもそも祭りは共同体の一体感を高めるものとしてあった。だから復興とかには向いていたのである。

野馬追いが外から見たとき誤解しているのは誰でも参加できる祭りだと思っている。旗も勝手に作っていいと思っているかもしれない、野馬追いは基本に文化財保護というのが基本にある。勝手に歴史を歪めるようなことは許されない、旗印を勝手には作れない、一つ二つくらいは作っているかもしれないが新しい旗を勝手には作れないのである。先祖代々伝えられた旗しか使えないのである。そこが他の祭りとは違っている。とにかく旗印は代々伝えられたもので勝手に新しく作った旗は許されないのである。


旗をつけて競争する競馬は迫力がある。テレビで競馬の中継を良くしているけと実物が走るのはテレビの画面で見るのとは全然違う。土煙をあげて走る姿は迫力がある。怖い感じすらする。あれだけの早い馬にのるとは相当訓練も必要である。競馬はテレビの中継で見ても迫力か伝わらないのである。こういうことはいくらでもある。実物とテレビの小さい画面で見るのとは違うのである。そういうところから世界を錯覚してみているのが現代である。例えば戦いの場面など現場で見たらものすごい迫力になる。そんな現場を再現しようがないのである。そこに戦争に対する錯覚が生まれる。実際に最近でも戦争を経験した人は生きている。その人達の経験したことはとても語りきれない、伝えられないのである。最近一遍のことを自分の今の状態にてらしあわせて興味をもった。一遍のことを理解するには本読んだくらいでは理解できない、あまりにも現代の感覚からは逸脱している。例えば死体が道端にごろごろしていてその死体を野に捨てる。そのときただ念仏を唱えて浄土にゆくことを祈るしかない、死ぬことが幸せなのである。生きていることが生き地獄だったのである。実際に自分で死体を運び野に捨てる、それがとても言葉だけからはイメ-ジできない世界なのである。そういうことが津浪で死んだ人に起こったことは確かであるが被害のない人は実感がいまいちもてないのである。

野馬追いにしてもなかなか馬がどういものか理解できない、馬が全速力で走ってきたら車のように怖いものだと思った。そういう感覚がテレビからでは体験できないである。


ともかく今年の野馬追いも特別なものだった。復興の野馬追いであった。つまり今回の野馬追いは別な意義が生まれたのである。
だからかえって別な価値が生まれた。新たな価値が付加されたのである。戦争でも弔い合戦などとなる指揮があがったと同じである。
戦争はただ勝つためにだけに戦いない、何か意義が必要になる。命がかかっているからそうなる。
三国志で劉備が絶えず義をかかげていたのはそのためである。日本の戦争だって未だに大義の戦争だったと言わざるをえないのはそのためである。人間は死ぬとなったら命をかけるとなると高いモラルが必要になってくるのだ。
人間は単に利益のために命をかけないのである。そこが仕事でも誤解しているのだ。人間は利益のためにだけでは仕事にならない、
高いモラルが必要なのである。武士にはそういうものがあったのだろう。ただ利益だけだったら武士道など価値がないからだ。

posted by 老鶯 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2012年07月30日

凶悪化する事件の背景-会津美里の強盗殺人事件 (田舎も都会と同じく危険に・・・・)


凶悪化する事件の背景-会津美里の強盗殺人事件

(田舎も都会と同じく危険に・・・・)


 会津美里町の病院職員、遠藤信広さん(55)方で、遠藤さんと看護師の妻幸代さん(56)が殺害された事件で、強盗殺人容疑で逮捕された住所不定、無職、横倉明彦容疑者(45)が「金に困ってやった」などと金目的だったことをほのめかす供述をしていることが28日、県警への取材で分かった。


この事件はショックである。ここまで金のためにするのかということである。単に金欲しいだけだったのかとも思う。もっと複雑な背景があるのではないか?金欲しいだけでこんな残虐なことができるのか?まるで田舎で起きた通り魔事件のように思う。あまりにも理不尽だということである。ただ凶悪事件は今や都会も田舎も同じである。田舎が都会と違うという時代はとっくに終わっている。田舎も実際は都会化している。昔の田舎とはとっくに違っている。そこが誤解されやすいのである。この事件は確かに特殊だけど田舎も都会も今は変わらない社会になっているから凶悪な犯罪が田舎には起こらないということはない、実際に親の首切り事件が会津で起こり震撼とさせた。それも辺鄙な金谷町だった。だから衝撃も大きかった。会津だと何かかえって山奥であり素朴な感じがするなどというのは今はどこにもないのだ。金が唯一の価値となっていることでは社会共通だしグロ-バルにもそうなっている。世界の果てまで一ドルくれとか貧しいアフリカの部落だろうが子供がせびる時代である。純朴な田舎など世界中でもまれになっているのだ。


この事件の特殊性は確かに外部から入ってきたものの犯行であった。これも現代を象徴している。外部から簡単に入り安くなっているのも現代である。空家に住み着いて回りと一時問題なく生活していた。一応回りの人が受け入れていたがではその人が生活する資金があったのがどうかなど詳しく知らなかったみたいだ。本当はどういう人間かわかっていなかったのだろう。江戸時代とか戦前ならよそ者は日本では入りにくいし余程のことがない限り入れなかった。だから田舎での犯罪は少ないし江戸時代だったらよそ者が入らないのだから本当に犯罪はまれである。つまり気心がしれてなじみの人といつも生活していたからこんな犯罪が起こり得ようがないのであ。現代は移動が車などで容易であり移住も容易な社会である。だからよそ者が絶えず住まなくても入り込んでいるのだ。特に家が出たあとは車で生活していたということでもわかる。車が家代わりになる。ホ-ムレスの半分が車で生活している。車で生活しているメリットは警察に怪しまれない、わからないのである。車で職務質問はなかなかされにくいのだ。自転車とか歩いていたら目立つから警察の目にとまる。車はわからないのである。車で絶えず外部から人が入ってくる社会である。それが犯罪もしやすい状況を作り出している。

しかしこの事件の背景があまりにも簡単に外部の人を受け入れたことにあったのかもしれない、家の中に見知らぬ人をその人のことを知らずに入れてしまったのである。家の中に働く人を素性も知らずいれたこととにている。家の中に知らない人を入れることがどれほど危険なことか身をもってしった。それは例え近くの人でも今は信用できない時代である。もう頭に金のことしかない人が多い。ここに金がありそうだ、殺してとってやろうとなることが恐怖である。もちろんその前に借金にきたとかあった。それにしても見知らぬ人がちょっと住み着いて借金に来るということも解せないのである。殺傷傷が深く何か恨みがあったのかともとれるという。なんらかでちょっと住み着いて部落の排他的な人間関係に恨みをもったのか?その辺の背景はわかりにくい、この事件は家の中に見知らぬ人を簡単に信用して犯罪にあったとにている。部落に簡単に見知らぬ人を入れたことなのである。そもそも会津の部落のような所にはそう簡単に人を入れない、空家が多くなったからとそんな所に勝手に住むわけがいかいなのが田舎である。それがこんな凶悪な犯罪になった。それは明かに家の中に相手のことを知らないで入れたから起こった犯罪とにているのだ。また現代は知らない人が平気で入ってくる時代だから起きた事件とも言える。田舎に住む人を審査して入れるのとは余りにも違っていたのである。


ともかくこれから都会であれ田舎であれ変わりなく凶悪な犯罪が起きるという。それは本当だ思う。そもそも金しか利益優先でしかない、モラルなき社会になっているからだ。こういう犯罪を犯しても反省もしないだろう。また金があるものと金がないものと格差が大きくなってくる時代である。そういう時代は凶悪な犯罪が起きてくる。そういう前兆が都会ではなく田舎に現れたのである。犯罪は明かに社会の前兆なのである。現実にアメリカや中国では金持ちはボディガ-ドを雇い塀を囲って暮らしている。日本でも金持ちはそうして住まないと安全を確保できなくなる。それが格差社会であり金に追い詰められる人がふえてくる社会なのである。田舎だとある程度資産がないと家や田畑を持っている人が多いから安定していた。でも外部から人が入りやすい社会だからその安定は外部からも内部からもおびやかされているのだ。いづれにしろこれからはこういう凶悪な犯罪か内部からも外部からの侵入者によっても起こる。そういう社会になっている自覚が必要なのだ。そもそも社会全体にモラルがない社会となっている。高度成長時代のように一応働けば物欲が満足された時代とも違う。
窮乏してくる人はさらに窮乏してくる。


そこに凶悪犯罪が起きる根がある。社会全体に道徳がモラルが喪失した社会はただ金が利益優先社会でありあとのことはすべて安全でも無視される。社会の指導層も東電の原発事故でわかったように利益優先主義であり金を追い求め金の亡者になっているのが現代である。だから上から下も金しか求めない社会である。格差社会になるとますますその差が目立ち犯罪が凶悪化するのである。そういう前兆が会津の山間の部落に起きたのである。だからこれから犯罪が凶悪してゆくことには注意が必要である。簡単に外部ものを受け入れることは過疎地でも危険だということである。どんな人が入ってくるか全くわからないからである。そもそも田舎でどうして暮らしていくのか退職者だったら年金があるけどそれがない人はどうして暮らすのか?その辺から回りの人は疑問をもつべきだった。だから金がないからとあんな凶悪な犯罪を起こしたのである。回りの人が注意を怠ったのである。そんな犯罪を犯す人とは思えなかったとしてもそもそもそこで暮らしようがない人が住み着いたということが危険をはらんでいたのである。いづれにしろ犯罪凶悪化の時代でありその前兆はすでに現れているから注意が必要である。

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2012年07月31日

末世であり終末の時代現象が顕著に現れてくる (中世の危機感が必要な時代へ)


末世であり終末の時代現象が顕著に現れてくる

(中世の危機感が必要な時代へ)


仏教の世界では「末法の世」とよく言いますよね?今は、本当にその事を実感しています。空海や法然、日蓮などの宗教家が現れた時代も、そのように言われていたと聞きます。そうやって世界中の歴史は繰り返してきたのかも知れません。不安な気持ちはここ最近募るばかりです。


時代をみるとは中世は末法の時代だった。名だたる宗教家がでたことでもわかる。中世は最も死を意識した意識させられた時代だった。そもそも一遍などの宗教が野道端に死んでいた無数の死体を葬ることが宗教になっていたことでもわかる。化念仏寺はそうした野垂れ死にしていった人たちを葬った寺なのである。人間はばたばた目の前で死んでゆく、それが日常的光景だったのである。そういう世界はまさに人々が何でもいいから救いを求める時代だから新しい宗教が勃興した。人々の頼るものはただ念仏を唱えてこの世の生き地獄を去ることだった。それが幸せなことであり当時の価値基準だった。それはそれなりにまた人間の価値観なのである。そういう時代背景がなければあれほどの念仏や題目だけを唱える宗教で救いを求めることはないだろう。またその当時は字を読める人も少ないから民衆にとっては題目を唱えることが救いになるというのはわかりやすくて良かったのである。それまでは仏教は貴族仏教だったからである。中世は仏教が一般化したのである。
中世の死生観は根本的に現代とは違う。念仏を唱えて死ぬことが幸せだったのである。その時代には医療など受けられないし病気になっても祈る意外な時代である。そして死体は野に捨てられていたのである。


野原におびただしい死骸が横たわっているのに出会った。その風景は日常茶飯事だった
死屍累々の風景は見慣れたものだった。この時あまりの酷さに歌を詠じている。

惜しめどもついに野原に捨ててけりはかなかりける人のはてかな
(一遍絵詞)


「およそ一念無上の名号にあひぬる上は明日まで生きて用事なし、とくに死なむことこそ本意なれ、仏法に価なし、身命を捨てるがあたひなり」


現代はこの時代と正反対である。どこまでも生に執着して生きることが是認される。長生きのためには延命治療をほどこし一日でも長生きしたらそれが良しとされる。欲望も限りなく追求されることが是認される。カルト宗教団体はこの世のあらゆる欲望が是認されむしろなぜ俺たちは他の人より欲望が満たされないのだ。もっと欲望を分け与えられるべきだとなり祈っている。宗教によって欲望は拍車をかけられる。もっと金をよこせ、もっと地位が欲しい、勲章が欲しい、権力が欲しい・・・それが宗教の名のもとで公然と要求されるしそれが権力側でも利用するために是認される。これこそ末法の世である。中世のような諦観を余儀なくされた時代とはあまりにも違っている。欲望はあきらめてはならない、どこまでも生きるのだ。一日でも長く生きることが価値観になっているのが現代なのである。万葉時代は長寿が願いだった。それは人間の自然な気持ちであり是認された。仏教などはそうした人間の自然な気持ちを歪めるものだとされた。でも現代の生に対する欲望のあくなき追求はまた違ったものである。科学ではもはや人間は死ななくなるということを追求しているし要求もされているのだ。科学が万能でありそういう日が実現するようなことを科学者も言い民衆もそれを信じようともしている。そういう人間の欲望がいつの日か満たされのだということが信仰にまでもなっている。

中世から江戸時代はどうかというとその間に戦国時代があり下克上があった。下克上とは今まであったモラルが崩壊して無政府状態のようになる時代だった。それが戦乱が収まり江戸時代の300年の平和な時代があった。その時代はモラルが最も高い時代だった。武士から農民から職人から商人から日本人的モラルが確立した時代だったのである。その時代の人に接してみたら驚くだろう。単純なことだが嘘をつく人は本当に少ない、正直に生きていた人が大多数なのである。つまり素朴な人がほとんどだったのである。犯罪は極端に低いことにもそれを示しているのだ。その当時の価値基準は道徳的なもので判断されていた。医は仁術というとき技術ではない、医者の人柄か一番問題だったのである。寺子屋の先生もあの人は人柄がいいからと選ばれていた。そういう風潮はどこでもそうだったのである。今はそうした人柄より技術がいいかどうか知識をもっているかどうかで判断される。人柄を見る人があっても人柄が悪くてもあの医者は技術があるからと技術優先主義なのである。江戸時代は貧乏なのだけど心の面では人々はみんな正直でありいい人が大多数であり犯罪も極端に少なかったのである。テレビで犯罪をテ-マにするのは平和ではドラマにならないからであり犯罪は極端に少なかった時代である。モラルの面で一番安定していた時代だから貧乏でも非常に過ごしやすい時代だった。現代のような犯罪にあう確立はほとんどなかったのである。


末法の世は明治維新からはじまった。ここから日本の混乱ははじまり江戸時代の平和は破壊されてもともとあった日本人のモラルさえ消失した、それがさらに拍車をかけて今はまさに末法の世、終末の世になってきた。その兆候が富に顕著に現れたのが最近である。


●自然による大災害が起きた
●巨大な人災が起きた
●凶悪な犯罪が起きた
●人心が荒廃している
●不可解な病気が起こる
●外国からの侵略の驚異


こういうことが今起きたし起きている。今回の津浪が何か大きな大災害の前兆である。東北だけではない、これから東京や西の方に巨大地震と津浪が起こる予兆なのである。その予兆は地震でも津浪でもあったのだけど人間は見過ごしやすいのである。あとであれが地震の予兆だったといつも言う。
そのように社会に起きることも一つの大きな予兆でありそれが見逃しやすいのである。自分は最近経験したことはそうだった。認知症という訳のわからない病気であり家庭の破壊であり自らの病気でありやはり凶悪な犯罪の餌食になったし津浪による未曾有の破壊であり原発事故の人災事故の犠牲者である。そういうことが自己の一身にも起こり全体にも起きてきたことがただの偶然ではなかったのである。人心の荒廃はすでにモラルなき社会となり限界まで進んでいた。だからこれから凶悪な犯罪が起きる。

その兆候として会津の夫婦殺害事件も起きた。殺人事件などいくらでもあるじゃないがというがやはりさらに悪化する人心の荒廃がそういう事件を起こさせる。恐怖はすでに人を人と見ないような事件が頻発する。弱肉強食が極端なものになってゆく、人間がモラルがなくなったら野獣化する、金のためには利益のためには人間の命など奪っていいとかなる。高齢者は税金泥棒だとか若者に責められて殺処分にされるかもしれない、ガス室送りになるかもしれない、そういう過激なことを平然と口にしている若者があふれているからだ。まさにこれが下克上のモラルが崩壊した末世なのである。人心の荒廃が極端化するのが末世である。その時大災害が起こり天からも人間界の関与がある。
自然と人間界は分離していない、人心が荒廃していると自然は耐えられなくなり大災害を起こすのである。だからこれから時代の総決算のようなことが起きてくる。最後の審判とまではいかなくてもそれに似たことが前兆として起きてくるのだ。ただその前兆が犯罪のような場合はわかりにくいのてある。なぜこんな凶悪な殺人事件が、どうなっているのだ・・おかしいぞ・・・それは何か時代の大きな変化の予兆なのである。人心がそこまで荒廃している。正に末法の世として末世として終末現象としてそういう事件も起きてくる。

 
 「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」 親鸞

この時代はあの世に地獄があるのではない。この世が現実が地獄だったからこの言葉がでてきたのである。これからこういう時代になっていくのだ。津波だけではない、さまざまな地獄を否が応でも見させられる時代なのである。そういう覚悟も要求される時代である。
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松島の円通寺の枯山水の庭(夏の俳句十句)


松島の円通寺の枯山水の庭
(夏の俳句十句)

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(円通寺)


石橋や夏の日さして枯山水
石橋に木蔭の深く枯山水

石一つ日陰の覆い枯山水
御仏や睡蓮菖蒲池の前
池写る菖蒲一本奥の庭
蕗の葉に孟宗竹や夏日射す
青色の涼しき花に岩屋かな

苔の道木蔭の深く待屋かな

影なして色合い深む種々の薔薇
御霊屋に薔薇の絵残り青葉かな


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円通寺の庭は枯山水である。松島を模したというが川が流れているように見える。海とは見えにくい。枯山水は自然をそのまま模したのとは違う、抽象画的側面がある。川にも見えるし海にも見えるとかなる。石橋がポイントとなっている。あの石橋をわたった向こう側が何か別な世界がある感じになる。そういう場面があった。奥深く川が流れ丸木橋を籠を背負い渡ってくる人がいた。それは隠されるようにあった。キクザキイチゲの花が咲き春だった。川せみが飛んできたりしていた。それは宮城県であり仙台の近くでもあった。石橋にはそうした日本的風景をイメ−ジする。日本の橋は短い、小さい橋が多いからだ。


この円通寺にはいろいろ見るものがある。


19歳で早世した伊達光宗の菩提寺であり、光宗の霊廟である三慧殿が「圓通院霊屋」の名で国の重要文化財に指定されている。光宗は仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の次男であり、仙台藩祖・伊達政宗からみると孫にあたる。
三慧殿の厨子には、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が西洋から持ち帰ったバラと、フィレンツェを象徴する水仙が描かれている。


それでバラ園が作られている。和風の庭にバラ園があるのはそのためである。ただ伊達政宗の霊廟であり政宗にお参りしているような気分になる。瑞巌寺もそうであり寺と僧は政宗に付属した存在だった。武家に付属したのが寺と僧になっていたのだ。結局歴史的には武士道が社会のモラルとなり寺や僧は武士の菩提寺となり脇役となったことは松島の瑞巌寺一帯は示している。戒名でも院とか名づけられたのは武士であり武士の墓は立派であり庶民は墓も建てられなかった。ただ豊になったとき俺も墓を作ってみようかと姓と名前の記した墓がわずかに残っている。それは個人墓なのである。次に夫婦墓となり家族墓となった。戒名もなかった庶民が戒名をつけるようになったのは武士に習ったのである。日本人のモラルは江戸時代は武士道であり寺や僧にはない、戸籍の管理の役所みたくなっていたのである。江戸時代はそういう時代であり中世とは違い宗教は武家に管理された役所化したのである。あそこに政宗が死んで七人の殉死の五輪塔が苔むしているのもやはり政宗が神格化していたのである。

岩屋に青い花が咲いていたけどなんという花なのか神秘的で見慣れぬ花だった。なんとも涼しげな花だった。

死者の名前が刻まれていない墓の怪 (墓より名前の方が大事だった)

 

死者の名前が刻まれていない墓の怪

(墓より名前の方が大事だった)

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お盆近くになったけど墓の意義とかお盆の意義とかで検索している人がいる。奇妙なのは近くで世話になった人の家の墓参りに行ったけどその墓には墓銘碑があるのだけどそこにお参りする人の名前がまだ刻まれていない、死んで二年になるけど名前が刻まれていない、息子がいるのだけどこの息子がもともと不肖の息子でありいろいろ失敗ばかりしていた人である。離婚してもいるしいろいろな不幸を作り出した人であった。今はひどい貧乏になっている。だから金がかかるから墓銘碑に母親の名前を刻んでいないのだ。名前を刻むだけで何万円とかかるその金がない貧乏なのである。しかし墓参りする方になると名前がないということは奇妙な感覚になる。この人には世話になった、いいい人だったと思って墓参りするのだけど名前がなかったらその人がいるのかどうかわからない、墓は確かにある、一家の墓としてある。

でも死んだ人の名前が刻まれていない!するとその人が墓にいるのと疑問になる。つまり墓には確かに骨が埋まっていても名前がなかったらその人がいるかもどうかもわからない、それで思ったのは人間最後に残るのは墓ではない、骨でも灰でもない、名前である。名前が残らなければその人が存在したかどうかわからない、しりえようがない、自分の墓にも祖父にあたる人の名前が刻まれている。これもあったこともないのだから名前しか知らないのである。でも一応存在した人として残っている。


墓の意義は何かなどと検索している人がいる。墓の意義は死んでもその人の代わりとなるものである。現実に自分の実家の墓は原町に残っていても実家はない、墓だけが残っているのだ。墓は家がなくなっても消えないのである。墓は家より寿命が長いとなる。その人の存在した証として残っている。でもその墓にしても名前が刻まれていなかったらその人の存在すら不明になる。戒名より実際は名前の方が大事である。戒名は誰なのか良くわからなくなる場合がある。名前は一番その人を記憶したものなのである。例え一行でも名前が刻まれていることはそこに確かにその人が生きていたという証なのである。ただその人がどういう人かわからない場合がある。

前に27歳で死んだ人は肺病で死んだと教えられた。その人のことはそれしかわからなくてもその当時、肺病で死んだ若者が多かったからさぞかし無念だったろうなとか思う。何も聞いていないと全くその人についてしりえようがないのだ。自分の祖父は名前だけしかわからない、人間は骨も灰も結局消えて残らないのだ。わずかに由緒ある武家の家系でも名前しかしりえない人がいる。何百年前になれば名前しか残らない、墓もわからない、すると名前だけが頼りになるのだ。古代の天皇でも墓がなく仰々しい名前だけが残っていてそこからその人を探ったりしている。名前しか探る手がかりがないのである。人間最後に残るのは骨でも灰でも墓でもない、名前である。名前が最も大事なのものである。近くに農民の墓が残っている。姓もあり名前もあるがその人のことについては何もわからない、ただ名前だけが残っている。その名前からしかその人を探る方法がないのだ。


「御名をあがめられますように・・・」というとき正に名前しか最後は残らないからそうなっていた。キリストであれシャカであれ骨も灰もどこにあるかわかりえようがないし残らない、ただ名前だけは残っているのだ。名を残せというときまさに名前が残ればその人が記憶されているからだ。一般的には名前すらほとんど残らないからその人が存在していたのかどうかもわからなくなる。名前の一字でも残っていればいい方であのが人間だった。それほどはかないのが人間だった。あなたの残すものはわずかに名前でありその名前すら残らないのが普通なのである。

人間のはかなさもこれからも知った。あなたがどこで記憶されるのか?名前だけである。その名前すら忘れられる存在が人間だったのである。名前が残るということは動物と違っている人間の証でもあった。名前でも残れば歴史が人間にあるということである。動物は名前も残らないから歴史に残らない、ペットブ-ムで名前つけた墓があっても一代で忘れられるだろう。動物には歴史がないのである。人間は名前が残り歴史が記されているのだ。


墓というときだから別に墓がなくてもいい、墓の代わりになるものを名前刻んで位牌のように家にでも飾っておけばいいのだ。そうすれば骨も灰もなくても名前だけは記憶されるし存在した証になる。そうした名前の方が大事だったのである。ここに意外と気づいていない人が多い。たまたま名前の刻まれていない墓にお参りしてこれは変だなと思ってわかったのである。

posted by 老鶯 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)