2012年07月20日

組織人間として権力に操作されることが原発事故の原因 (会社も組織も利益優先で権力に従う)


組織人間として権力に操作されることが原発事故の原因

(会社も組織も利益優先で権力に従う)


「強制的に下げられた放射線量の数値が全国に公表されている」――。20日の会見で、長谷川氏は、仰天の「放射線量改ざん」疑惑を暴露した。
「昨年11月末ごろ、国の除染モデル事業を請け負った大成建設の作業員とみられる10人ほどが、村のモニタリングポストを高圧洗浄機で洗い、土台の土をソックリ入れ替える作業を行っていた。その様子を複数の村民が目撃していたのです」

村の仕事を請け負った大成建設によるモニタリングポストを高圧洗浄と周辺土壌の入れ替えによる意図的に放射線量を低く見せる「改ざん」です。
 
放射線量は下がった、除染に効果はあるなどと宣伝し、飯舘村民を村に帰還させることが目的にあるのでしょう。
 

http://blogs.yahoo.co.jp/neverland20050918/28611235.html
 


このことは一見小さいことのように見える。でもこういう小さいことが原発の事故の原因となっていいった。会社にはそんなことできないよとかならないしその従業員もさらにこんなことしていいのとかもならない。上の命令なんだから俺たちはただ従うだけだよ、逆らうことはできないよ、何かあっても上司の命令でやったことであり俺たちには責任ないことだよ、会社は会社で国や官僚の命令でやったことであり俺たち民間の一企業にすぎない、その責任は命令した国や官僚にある。俺たちはただ従っただけだよ、お国の命令に逆らうことはできない、これも例えば戦争の場合でも同じ様になる。会社に戦争のために協力してくれとなれば従業員を戦争に派遣する、それが敵を殺すことに通じても国の命令だから従ったとなる。そこで戦争に協力していいのかとかの疑問をもつこともないし会社にそうしたモラルがない、会社にはそもそも責任はない、命令した方に責任がある。


この場合も小さいことのようでも会社には責任がないし従業員も上司の命令に従っただけであり責任がない、こういうことが組織に従順な人間は戦争になり人を殺しても責任がないとか罪悪感すら感じないかもしれない、戦争犯罪も組織的な様々な現代の大きな犯罪はそうして起こってきた。ナチスでもそうだしオウムでもそうだし東電という大会社の犯罪もそうだった。政府より専門知識があり技術があるのだから
保安院でも簡単にとりこめた。そして東電では利益優先で一時は土盛りして高くした所にわざわざ低くして原発を作った。低い方がコストがかからなかったからである。それで社長はコストカッタ-として社内では評価を得ていたのである。会社が利益優先になるのはやむをえない、でも安全を計るとかモラルは国が正してゆく、しかしその国がモラルをなくすときすべてが間違った方向に向かうことになる。


現代の特徴は組織人間であり組織に属していない人はほとんどいない、何らかの組織に属している。会社という組織に属していないくても宗教団体には属している。だから自主的に何かを判断して行動することができない、常に上の命令に従っているものは習性となりそれが悪いとしっても上の命令には従うのである。そういう実験をした人がいた。それは電流を流しつづけたのだが危険な状態になっても電流を流す命令に従っていた。その命令する人が先生役になっていたからである。先生の命令には従わねばならない、人はそういう習性をもっている。


組織や集団に入ると人は個人としての良識は意識してもそれが行動基準とはなりにくいのです。上からの命令に対して自分の身体から自分の心をぬき、いわば上司の代理人として自分の身体を使い行動するようになる。


組織上、上位の人は下位の人に命令を出す立場にあり、実際に指示や命令を出していますから支配的行動が日常化しているといえます。しかも、部下からの反対や反発はまず表立って起きません、
このために、人間として社会的に抑えられるはずの、あるいは抑えなければならないはずの「支配欲望」が知らず知らずのうちにスム-ズに日常化してしまうのです
(組織のためという大義名分は人間を残酷にさせる-斎藤勇)


現代人は上野霄里氏が言っているように組織集団人間である。個人であるだけですでに犯罪者だと言っているし本当にそう扱われるのが現代なのである。組織に属しているとき会社の一員であれ何であれ組織に属していれば社会人として認められる。それ意外は認められないアウトサイダ-になってしまうのである。最近ふえたニ-トとかフリ-タ-とかはそういう範疇にないから社会側でも困惑するのである。組織人間として統制できない新しい分類の人間群になるからである。権力側にとっては統制できないものとして危険視される。


組織人間の怖さは戦争になっても百万人殺してもその責任はとらないし犯罪者にもならないということである。それはどこの国でも同じである。ナチスのユダヤ人殺戮の真意は今は不明になっているにしろ上司の命令に従っただけだと言っている人が多い。殺人でも上司の命令だからしたとなる。そこに個人のモラルも責任もないのである。ガス室送りに上司の命令でサインしただけだとなる。そういうふうに人間がロボット化しているのが現代なのである。親鸞が千人人を殺して見よ・・というときそれは個人がそうしろと言ったのである。それならいくら善人でも悪人として意識するだろうということである。でも組織的に千人殺しても誰も悪人とは意識しない、自分が悪いことをした罪人だなどと意識しない、組織的に人間はこのように宗教団体だろうが何だろうが悪も何も意識しないし責任もとらない。

オウムが従わない他者はポア(殺人)してもいいとしてあの犯罪があった。それはオウムだけなのか?組織人間全体に通じていることである。組織に従わないものは善悪は問わない、殺してもいい、排除してもいい、それが善なのだとなる。そういう社会が現代の社会なのである。そういう社会から必然的に原発事故も起きてきたのである。戦争のときもそうだけど誰も上の命令に従っただけだというだけである。そうなると上とは誰なのかとなる。それも明確ではない、戦争では一番上は天皇だから天皇に責任があるとなすりつける。でも結局命令した上司は誰なのか?不明となり責任は誰もとらないのである。戦争する空気がありその空気が原因だったとなって終わっているのである。でもそういう空気が作られるのはやはり具体的にそれぞれの権力の干渉があった。原子力村の権力が作られたものもマスメデアには巨額の金が流れていたし政府でも積極的に安全神話の推進者だった。教科書まで安全神話を作り出していた。これは戦争のときと同じだったのである。


組織に属していると会社でも個々人でも納得いかない、こんなことしていいのかとか何か疑問になる。でもそれを言えば会社をやめねばならないから従うだけになる。だから個々人が現代はモラルが形成しにくいのである。かえって個々人が職人だった時代は職人気質としてごまかさないでただ一筋いいものを作ることをこころがける。でも会社人間になるといろいろとごまかすことに手をかすことになってもそこに何か人間として悪いとかモラルのないことを感じない、会社の上の人にモラルがないから下もまたモラルがない人間になる。それは社会全体でもそうでとはないか?なぜ今になり武士道がこれほど推奨れるのか?武士とは武力だけではない、人間としてのモラルを実践する人、体現する人として社会に範を示す人だった。だから庶民もその武士に習ってモラルがあった。その武士はヨ-ロッパの貴族のように財産家ではない、庶民より農民より貧乏な侍でもあった。ただモラルが徳が高いものとして社会の上層部にあった。そこが根本的に明治時代以後の社会と違っていたのである。
明治以降はすべて利益優先主義でありもうければいい、それがすべてだとなった。そこには江戸時代のようなモラルは喪失した。庶民が見習うものも誰が一番もうけているのか,どうしてもうけられるのか、金持ちになれるのか、その価値しかない、だから金を持っている人が一番偉いのである。
金意外の価値というものが考えられなくなったのである。そういうモラルのなさが原発事故にも結びついていたのである。

 


 

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2012年07月21日

美のない都会の荒野 (原発は東京に作りともに滅びるべきだった)


美のない都会の荒野

(原発は東京に作りともに滅びるべきだった)




枯れみだれた葦の中で
はるかに重工業原をわたる風をきく
おそらく何かがまちがっているのだろう
すでにそれは想像を絶する
眼に映るはいたるところ風景のものすごく荒廃したさまだ。
光なく 音響なく
地平をかざる
強烈な陰影。
鉄やニッケル。
ゴム・硫酸・窒素・マグネシウム
それらだ。
(詩集「大阪」より)



小野十三郎の詩のような世界になっている。そこにもはや人間はいない、鉄やニッケル。ゴム・硫酸・窒素・マグネシウム・・・人間は化学物質になっている。そこが一体人間の生きるところなのか?そういう疑問が常にあった。そこにロゴスも言葉も死んでいる。いかに高層ビルやスカイツリ-に美を見いだそうとしてもありえない、人は美のない世界に生きていることが絶望的なのである。小野十三郎は詩で絶望しているし一般的現代詩はほとんどそういう類のものが多い。環境がそうなのだから当然だといえば当然になる。ただそういう世界に人が密集して現実に生きている。そこが首都であり中心なのである。そこはあまりにも「シオンは美しき極み」から遠すぎる。汚濁の極みになっている。神が人間の営みを隠したというときまさに自然の中に隠されたから美を維持できたのである。人間の作ったものがおおいつくしたときそこからは美は何もない、太陽も月も星も映えない世界になった。それでも人は田舎を嫌い都会へ密集する。

風の中に
煙がみだれる。
おれが草だって。
むしろ鉱物だよ。


草はむしろ生き物である。人間は生き物だから草ともなる。しかし鉱物は非人間的なものである。それも石ではない、人工的鉱物化する。

詩篇に「シオンは美しき極み」とある。シオンは公正も行われるところの神の理想郷になる。そこは美しき極みが実現している。そういう全く美のない世界に人間は生きている。美のない世界にまた希望もない、だからさらに文明の闇は混濁して深くなっている。そもそも一千万の東京に電気を供給するために福島に原発が作られた。そしてかえって田舎の美のある自然が破壊されたのである。もちろん豊になりたいということで地元にも責任があった。しかし原発が必要としたのは一千万の東京に電気を供給するためだった。その首都なる東京に美があればいい、それか全くない、東京は巨大な化け物の都市となり胃袋ともなっている。極めて物質化した精神性のない世界である。


放射能の被害を一番受けたのは村が自然のなかに隠されるようにしてあった飯館村であったことも何を示唆しているのか?ある意味で化け物都市の犠牲になったとも言える。現代文明が東京でもそんなに人が密集していなければそんなに電気はいらない、夏でも江戸時代のように涼しい世界を作れるかもしれない、ヒ-トアイランドとか暑くなるからク-ラ-が必要になりさらに電気が必要となる。確かに田舎でも電気は使っているし必要である。でもやはり一千万人の電気を供給するのとは違う。小規模でも電気は田舎くらいならまかなえるかもしれない、とても一千万人となるともうまかなえないとなり原発ができた。つまり文明が巨大化すればどこでももはや電気がまかなえない、そうなればどうしても原発でまかなうほかないとなり危険でもそうする。


だから原発は東京に作れば良かった。そう言っていた人がいた。それが理にかなっていたのである。田舎に作るべきではなかった。田舎は多少貧乏でも自然エネルギ-で電気を作るべきだった。小規模発電で自給するのが向いていたという指摘がある。水車のような自然エネルギ-が向いていた。都会は原発にふさわしかったし原発と滅びる場所だった。なぜ田舎の美しい自然が放射能に汚染されたのか?そのことが納得いかないのである。その田舎の生活の基となる水や土が汚されたことが納得いかないのである。経済的にはすでに比較できないくらい都会が価値がある。でも美的にみたら田舎の方がはるかに価値がある。価値の尺度が経済だけだったら田舎は都会に従属するほかない、でも美的見地からしたら田舎に価値があり東京のような都会は価値はゼロになってしまうのである。


そして神が愛するのは東京のような魔都ではないだろう。飯館村のような自然に隠された村だった。それが現実はその田舎が放射能で汚染され東京はそれほど害がなかった。東京が滅んでも神は惜しまないが自然につつまれた村が滅びる時惜しむ、カムイコタンとか神の村とかアイヌで言っていたのはまさに村は神の所有する村だったからである。東京はソドムゴモラでありそこが真っ先に神によって滅ぼされる場だった。これはただ前兆として田舎に罰が下り次に都会にその罰の矛先は向けられる、その時文明は壊滅的打撃を受けて滅びるのかもしれない、辛うじて生きるのは田舎で自給自足的はじめられる世界かもしれない、現実に津浪の被害でも水を裏山から汲み薪を切って燃料にして生き延びた村があった。都会ではそういうことができないから被害も甚大になる。

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2012年07月22日

女神山の伝説 (人間の一生は夢-みな伝説化する)


女神山の伝説

(人間の一生は夢-みな伝説化する)

女神山


穏やかなる春の日
気ままにゆく山間の道
その道の分かれぬ
いづこに行かむ
春の日さして
誘われるままに
我は行きにしを
その知らざる道
知らざる僻村
女神山とあり
我かしこに春の日
苦もなくに眠りてあらむ
我に添うものありて
我が生を長らく楽しむ
しかしそも夢なれ
その長き日もまこと
槿花一朝の夢
たちまち散りし花
ただ夢の日にあれ
そは幻なれや
浦島の伝説や
はかなき煙と消えぬ
まことしやかに
浦島の釣り竿はこれと
山中に残るもいぶかし
すでにはるかなる昔なりしを
ああ されどふくよかに
女神山微笑みて
我をつつみぬ
我に苦を強いざるもの
そは常に微笑みて
我のそばに長くもありしも
ここに春の雲は流れきて
春日さす石や
鄙人の翁の座りぬ
時に共に昔を語り笑いぬ
この地の良しと神も笑わむ

今になると人間の一生は誰しも夢である。どんな一生も夢である。そういうことは老人になると本当に実感としてわかるし現実なのである。夫婦であれ家族であれそれがなくなったときそれは夢の世界だったとしる。人間の一生は夢であり謎であり最後はみな伝説化して終わる。別に特別な人でなくても普通の人でもその人生は夢であり伝説である。夫婦のともにする歳月は長いとしてもいつかはどちらかが死ぬとそれが夢のように思えるだろう。しかし人間の夢は本当に深い、いくら夢だと言ってもその夢は余りにも深いのである。旅したところも今思い出せば夢を見ていたようだとなる。その夢は時々よみがえり詩にしている。しかし旅だけではない、それぞれの人生そのものがみな夢なのである。どんなに豊かな恵まれた人生でも終われば夢であり貧乏でも同じである。人生はどっちにしろ夢だったとなる。みんな最後は浦島太郎になっている。ただその夢にしても一生のことだから長いからその夢はさめきれないほど深いのである。だからその夢は容易に生きている限り消え去らない、老人になると本当に夢の中に生きることになる。終わってしまった人生が夢でもその記憶を夢を生きるのである。これも不思議なことである。


この辺はまさに個々の人生ではない、町や村が津浪や原発事故で消失して夢のようになってしまったことである。津浪の跡でもこれが一体現実なのかと未だに夢うつつになっている。おそらく津浪の被害で家族を失った人たちはそれ以上にそう思っている。これが現実なのか夢なのか、今まであった長く暮らした家もなくなり家族もいなくなりとか一瞬にして夢のようになってしまった。普通だったら人生の最後にそうなるのだがこの場合は突然にそうなってしまったのである。だからこの辺の状態はまさに個々人ではない全体が夢のようになっているのだ。全体が夢うつつになっている不思議である。魔法に操られたような奇妙な感覚になる。怪しく紫の烟をくゆらせてその中に人は夢を見させられている。それも実に深い夢なのである。だからとてもそれが夢とは思えない、でも現実も遂には夢と化してしまう。快楽にふけるのも一時の深い夢である。それもたちまち消え去る。そしてただ最後は夢を綴(つづ)っているだけになる。あんなことしたこんなことしたとか思い出すだけが人生となる。でも自分のしたことが簡単に消え去るのかと言えば消え去らない、ちょっとしたことでも思い出すことがある。青春時代の浅はかなこと罪なことはあとで必ず思い出して苦しむことになる。過ちや罪の行為は消えないのである。その時はなんのことなく軽い気持ちでしていたことでもそうなのである。そういうことがあとで苦しめるものとなる。


青春時代であれ若いときであれいくらこの世ははかないとか夢だとか言ってもそれを実感しえない、目の前の華やかな生に心は奪われる。人はそこで深い夢を見せられる。そして最後に人は夢からさめる。しかしその深い夢は簡単には消えないのである。いづれにしろ人間は老人になれば誰でも哲学者になる傾向がある。人生とはこんなものかと否応なく悟らせられるからである。若いときは生きることに正に夢中でありそれが夢であることを覚らないのである。だからさも重大なことにのようにその夢に真剣に没頭する。この世で成功するも失敗するも夢となる。成功した人も結局夢の人生だったとなる。しかし人生は余りにも長すぎた夢だったからその夢からさめられないである。人生を本当にこれは夢なのだと若いときから覚ればそれほど苦しいものとは思えないだろう。人間は何者かによって操られ深い夢を見せられているのである。それは何なのかわからない、たぶらかされているのである。サタンといえばそうなのかもしれない、そして社会自体もこの世自体もそうした夢にたぶらかされている。ありもしない夢を現実化すると思っている。カルト宗教団体などがそうである。オウム王国だとか創価王国だとか幸福実現王国だとか夢をみて夢にかられている。


歴史をふりかえればソロモンの栄華の夢がありすべては夢としてあったのが歴史ではないか?歴史は現実だったにしろ終わって見れば夢となる。そんなこと本当にあったのか?そんな人本当に生きていたのかとなる。だからこそ伝説化している。一人一人の人生も伝説化する。人生は不可解であり謎だとなってしまう。ただ津浪や原発で町や村自体が消失して伝説化することは想像すらできなかった。しかし今やそれが現実なのである。


阿武隈高原に女神山がある、阿武隈は比較的道が平坦だから自転車では行きやすい、そして道が分かれている。その道をどこへ行くともなく行っていたのが自分だった。その日はあまりにも長かったのである。それでとがめられることもなかった。そういうふうに恵まれた生活が長くつづいた。でもそれも遂に夢となった。家族の一人も死んだ。そして回りも家も苦しみの場となった。でもその夢はあまりにも長いが故に簡単には消えない深い夢として語られるのである。ただ労苦の人生もあった。今の80代はそういう人が多い。ただ働くこと苦しむことが人生だった。そういう人生も何か哀しい。

花一つも愛でない人生は荒寥としていた。自分は春爛漫として花々の中を逍遥した人生だった。その思い出は限りなく我が心にありそれを今詩にしたりしている。労苦だけが人生だったというのもやはり悲惨である。ただ語られるのは労苦だけなのである。幸せな日がなかったというのはやはりその人生に接したとき息苦しくなってしまうだろう。ただ今そのつけを支払わせられているのかもしれない、あまりにも楽な人生のつけを支払わせられているのかもしれない、実際人間の境遇は不可解なのである。境遇は選びようがない、宿命でありそれを生きざるをえないのである。


魔法使いがその手を使い自在に人間を操る
今だ、もっと楽しめ、楽しめ
ハッハッハッ、楽しめ、楽しめ


魔法使いに操られ狐にだまされていたのが人間である。一見自分が生きているようでも実際は人間には欲があればその欲望の故にだまされ操られることになる。欲があるからだまされるのである。
人間は欲によって操られるものである。カルト宗教団体もその欲でもって人間を操る、社会そのものがそうではないか?原発事故だってそもそもみんな欲の故に危険を無視して操られたのである。そこに人間の深い欲がからんでいたから操られることになる。人間の欲は限りないものである。その欲を人間は絶つことはできないから様々にだまされ操られるのである。

輪廻の欲

まだ色濃くにおう紫の香の烟
醒めやらぬ夢の名残り
その深き夢の微睡み
人は欲に操られ正体を失う
醒めてみればただみな白髪の老人
死神は汝の齢を数えて
黄泉に送りその生は幻
ただ後悔と罪の汝を責めぬ
人の欲を断つことの硬し
故に人はその欲故に輪廻する

阿武隈の魅力は道にある
http://www.musubu.jp/abukumichimiryoku.htm

2012年07月23日

俳句はやっぱり写生なのか? (写真が欠かせなくなった俳句-夏燕)


俳句はやっぱり写生なのか?

(写真が欠かせなくなった俳句-夏燕)
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二十羽ほど夕べ集る夏燕

クリック拡大!-燕がはばたいている

朝早み二階に飛び交う夏燕
二十羽ほど夕べ集る夏燕
激流の磐に轟く夏の夕
陽の没りて雲に余光や夏雲雀


合歓の花さわに風そよぎ夏菊も映えて尾長に山鳩の飛ぶ

草深く鶯鳴きぬ月見草ここに咲きにつ雨しととふる

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老鶯里


合歓花微風
草叢深老鶯
赤心藪甘草
長年住地通

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前に「三十ほど睡蓮紅し松一本」という俳句を作った。これも写生だった。「二十羽ほど夕べ集る夏燕」これも写生である。写生が果たして俳句になるのか?それをおりおり書いてきた。俳句は余りに短いから写生になった。感情的な言葉を入れればそれだけで表現できなくなる。だから子規の「鶏頭の十四五本のありぬぶべし」が問題になった。自分の俳句もその継承として作った。ただ現代の大きな相違は写生俳句がデジタル写真俳句になったことである。写生と写真はまさに同じものを目指している。そしてインタ-ネットではいくらでも写真を出せることなのである。本になるとカラ-の写真は出せないから写俳というのが成り立たないのである。つまり映像的なものとマッチして写俳という分野が生まれたのである。写真で拡大でみたら燕が動かないのではない、羽をばたつかせていていかにも活きた写真だった。肉眼では見えなかったものが写真で見えたのである。これは前にもそういうことが何度かあった。そこに写真の効用がある。夏になり燕はこの辺でふえてきた。原発事故で田畑は原野化しているけど餌になるものはあるらしい。同じ様に燕は飛んでいる。

そして二階から燕が飛ぶのが見える。街は前が家でさえぎられているが半分がさえぎられていないので見える。家というのは視界がよくないと閉塞感があっていやになる。中も広々として外も広々として視界に入るのがいい。そういうところでは頭もよく働くことがわかった。脳には外界の刺激が入る必要があるのだ。自然をとり入れることが必要なのだ。車の騒音とかばかり入ってきたら嫌になるだろう。なかなか騒音だけはどこでも車で遮ることができないのが難である。

今日は夏らしく暑かった。今また外は雨がふっている。合歓の花が盛りに咲いて風にそよいでいるのが気持ちがいい、尾長一匹飛んだ行ったのもなんとも気持ちがいい、尾長はなかなかみかけない、
山鳩も飛び川には青鷺もいた。田畑は草ぼうぼうになったが自然がないということではない、それでも車のナンバ-みると岡山とか福井とか全国からまだきている。こんなに遠くから来るものだと思った。六号線が東京まで通じなくても地元だけでも車は通るものだと思った。長距離のトラックは通っていない、六号線はいつ開通するのかわからない、これは長くなる。何か閉塞的な状態は長くこの辺はつづく。でも自然そのものがないということではない、花は変わりなく咲いているのである。

 「赤心藪甘草」というのが良かったかもしれない、日本では神道では赤き心という、天皇の赤子という言葉も良く使われた。それはそれとして赤き心とはそういう真の心のことでありそういう心が自然に花として現れたのである。それは正直だと嘘をつかないとうにも通じる道徳的なものにもなる。その赤心なる心がないからこの社会は混濁している。原発事故もそういう道徳的な問題が大きな原因でもあった。経営者は技術者とは違って何かモラルをもって指導しないといけない存在だった。
二宮尊徳もモラルを指導して立ち直らせた。意外はそういうものを必要なしとして利益だけをあげればいい、そういう人が上にたつのだということが事故につながった。


老鶯とは長く鳴いている。それで俳号としてみた。自分は60以後に何かいろいろ理解できるしいいものができるようになった。何か遅かったけれどそうである。芸術でも理解していなかった。もちろん思想的なことも理解していなかった。でも今は深く理解できる。書くものにも深みがでてくる。人間やはり長年追求していれば何者かになるのだ。それはあまり才能と関係ないところがある。
本当に住んでいる土地のことだって長年住んでいてもわからないことがあるのだ。故郷にしてもそうである。漢詩ではないにしろ韻を踏めないにしろその意味はわかってもらえるだろう。

ともかく写真を出して俳句を作っている人が多い、そういう分野はインタ-ネットでしかできない、ただインタ-ネットは評価がないことが問題なのである。ただ自分で評価している他ないのである。

2012年07月24日

江戸時代にもどったような原発事故周辺の不思議 (南相馬市などは特区化して文明とは別な世界を志向するのか?)


江戸時代にもどったような原発事故周辺の不思議

(南相馬市などは特区化して文明とは別な世界を志向するのか?)

●放射能実験室になった福島


ガンマ線を放出する「放射性銀」は肝臓に、化学毒性が強い「放射性テルル」は腎臓に、それぞれたまっていた。牛の胎児の各臓器に蓄積した放射性セシウムの濃度が、親牛より1.3倍ほど高いことも分かった。
 こうした臓器などを多くの研究者に活用してもらおうと、加齢医学研究所内に組織バンクが新設される。12の臓器などを冷凍保管する。精子と卵子も凍結保存し、人工授精して生まれた子牛の遺伝子に影響があるかどうかも検証することにしている。

http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/244.html

人にも健康調査しているけど動物はもっとしやすい、警戒区域で野生化した牛は汚染された草など食べているから相当に汚染されているし蓄積されている。そこからどれくらい放射能が影響するのか具体的なデ-タ-がとれる。人間とにかよっているから牛に影響することは人間にも影響する。

野生化した牛が家に進入して家が荒されたと20キロ圏内の人が新聞に書いていた。警戒区域で立入禁止にされたことが何か理不尽なのである。一年間も小高区では放置されて荒れてしまった。そして帰りたくないという人もでてきている。やはり一年間くらい放置していると荒れてしまう。犬も一部は野生化しているだろう。飯館村で異様に吠える犬がいた。野生化した犬なのだろう。アフリカでテレビでやっていたが野生化した犬が狩りをして生き延びていたとか写していた。チェルノブエリでも野生の狼やヘラジカが立入禁止区域に入ってきた。奇妙だけど佐須の山津見神社には日本狼が祀られている。日本でも狼が住んで神として祀られていた。犬も野生化すると狼になる。異様に吠えていたから不気味だった。飯館はまだ立入禁止区域ではないからそんなに荒れてはいない、でも野生化した犬などが住んでいるみたいだ。そのうちイノシシなどが頻繁にでてくるかもしれない、平常のときでもイノシシは原町区の大原まででてきていた。あそこは結構車が通るのにでてきていた。そのために家が荒されるとういことがある。


村でも町でも人が住まないとどうなってゆくのか?警戒区域の荒れ方はひどいものになってゆく。一瞬草原を幻のように駆けさってゆくものがあった。あれは野生の犬だったのか、狐だったのかなんだのか、警戒区域からでも柵もないのだから出てくるのだ。この辺はまるで映画のようなありえないことが現実化しているのだ。こんなに多くの人が仮設住宅暮らしているのも異様である。でも立入禁止区域になっている所が一番理不尽な仕打ちをされている。
いづれにしろ警戒区域では田畑に葦がしげりそこがヨシキリの巣になりすみつく、おそらく鳥などには放射能の影響は少ないだろう。でもチェルノブエリでは燕に影響した。二年も放置すると相当に荒れてしまう。津浪の跡には塩分があり草はあまりまだしげっていない、枯れている。葦は塩分に強いから繁る。


●江戸時代の感覚にもどる不思議


なんだかこの辺は警戒区域になったとき道路も車も通らず静かになった。それが江戸時代に帰ったように思えた。今は原町区-相馬市は鉄道が通っているし高速道路も通っている。でも東京と六号線が通じていない、だから原町区から川俣を通って中通りにでる道が混雑して事故が起きた。この辺の住んでいる感覚は何かやはり江戸時代に多少もどってしまったような感覚になる。それはなぜか?
六号線が東京と通じないためである。現代が交通で広域社会化しているとき交通網たたれると陸の孤島のような感覚になるのだ。そして不思議なのはもともと双葉地域は相馬藩と磐城藩の境の地域であり明治になってから開拓されてきた地域である。大野とか広野とかの地名はあの辺は人も住まない野であゃ森林地帯だったのである。浪江は古代から標葉郷とあるから古くから住んでいた。双葉も江戸時代から住んでいた人はいたし武家もいた。その先はやはり野であり森林地帯だったのである。


そして今感じることは相馬藩は磐城方面とはあまり交流がなかった。なぜなら江戸時代の碑を見ると伊達藩との交流しているのが多いのである。山神の碑が多いがこれも小牛田であり館腰という駅があるが館腰神というのも相馬藩内にある。黄金山神社とかもある。東光院とかいうのも岩切に中世の寺がありこちらに伝播された。その伝説も残っている。伊達藩由来のものが相馬藩内には多いのである。その元が伊達藩内にありお参りしていたのである。仙台辺りまではそれなりに歩いても馬でも行っていたということである。それがどういうことなのか、今の状態がまさにそうなのである。磐城方面から江戸への道は遮断されて遠くなった。しかし例えば参勤交代でも実は栃窪を通って飯館村に通じる塩の道があり飯館村では塩を管理する奉行があり60人もその境界の飯樋に住んでいた。そこから山木屋を通り二本松に通じていたのである。塩の道でも磐城とは交流があまりないのである。磐城や江戸への道が浜通りとしてたたれたということはまさに江戸時代にもどった感覚になるのだ。


昔は磐城とか江戸と関係しなくても自給自足経済だから成り立っていたのである。これだけ物流かはげしくなると成り立たない、その物流が断たれた時、江戸時代にもどった感じになる。江戸時代はまさにこうして閉鎖された世界で自給自足で生活していた。だからこそ別に外部との交流がそれほどなくても生活できていたのである。もちろん貧しいことは貧しいが生活はできていた。そういう生活に甘んじていれば原発など必要ないとなっていた。江戸百万都市があっても別にそれは経済的には関係なかった。伊達藩では米を江戸で商品として売っていたから江戸は消費地として必要であった。でも自給自足経済のときは江戸は関係なかったのである。相馬藩内でまかなう経済だったのである。つまりそういう生活は今できないにしろそれににた生活していれば原発は必要ないとなっていたのである。その時この辺は一段と静かであり江戸時代の闇がもどってくる。文明生活してきたからそれに耐えられないということも確かである。そういう世界はまた自然の回復があり江戸時代の感覚がもどることにもなる。ただ文明生活からより離れて何か原始的感覚をとりもどすということもある。現実に津浪の跡に原発事故で人がいなくなった所が葦が繁っておおってしまったところはまさに江戸時代にも原始時代にもどったとなる。


●中世化する世界(物欲から知価へ)


詩人、陶淵明の嘆いたのは農村の経済的貧困化ではなく強欲な人間によって耕されすぎることだった。決して故郷へ帰って一村一品運動をしたわけではない、だから故郷が草ぼうぼうで木々が伸び放題だったことを喜び長い長い余暇時間を得た生活を是としたのである。(堺屋太一-知価社会)


中世は人は働いていない、物財に固執しない、働かず物欲がなく、ひたすら思弁にふけり抽象化した世界になっていたという。つまりプロテスタンシズムというのが資本主義のエ-トスとなって勤勉の思想が宗教が初期の資本主義だった。そののち世界中が物欲のとりこになった。物欲を満たすことだけが生きることだった。日本ではすでにそうした傾向は低下して物欲への追求は減退している。
それも一面そうなのかもしれない、高度成長時代はかえって物欲増進の異常な世界だった。この時企業戦士とか言われた人たちがいて物欲の追求がありそれがかなえられていった。しかし今や経済が衰退するというとき実は衰退ではなく社会が物欲追求の社会から中世的成果にもどっているからかもしれない、何か自分の状態はパソコンでたまたま抽象画に凝ったり思弁的になっているきはそのためである。こうして延々と文章や詩を書き続けているのもまさに思弁的であり物欲追求とは違う。


この辺が本当に草ぼうぼうになっても誰も飢えたりしない、何か食料に困窮している人はいない、ただ仮設の食堂に集まり昼間から酒飲んだりしているのである。避難した人は働いていない、この辺では回りが草ぼうぼうになって田畑は荒れて誰も働いていない、こんな世界があるのかと思ってしまう。だからといって江戸時代のような飢饉になるわけではない、いづれ補償金がたたれたら苦しくなるだろうけど今のところはそういうことはない、自分も日本を世界を旅行したが今やあまり動きたくない、内面的になり思弁的になっている。だから何か家にこもって抽象画で遊んだり思弁的になり延々と文をつづり詩を書いたりしている。それは中世的世界なのである。思索すること思弁を楽しんでいるのだ。思索するということはこれも一つの訓練である。思索はきりがなく深くなってゆくのだ。
それはあらゆる対象にそうなってゆく、絵画を見てもいろいろ思索してそれが文明論になってみたりとする。思索は思弁はきりなくある。そこ
で時間は延々と費やされるのである。


物の生産ではなく知価の生産だということは言える。そういう時代に変わりつつある。高度成長時代に働かない人は本当にまれだった。みんな馬車馬のように働いたのである。働かない人は本当に変人の変人だった。ほんのわずかのアウトサイダ-になっていたのだ。今やニ-ト、フリ-タ-とか何か働かないことが一般化しているのである。それも中世的現象として時代の変化になっているのかもしれない、物に対する欲望が減退しているのである。物を得たということもあるかもしれない、だから次に何を得るかとなると心を働かせるものであり物を無限に生産して売るということではない、具体的なものではなく知価だとなる。知価というとき茶の世界でも茶碗に価値がでたのは知価であり物がいいとかではない、それにまつわるもの、誰かが使っていたから価値があるとかその物について加えられた無形の価値だったのである。もの自体ではなくその物に付け加えられた物語的価値だったりしていたのである。


●ア-ミッシュのような特区化する?


いづれにしろ一千万の東京はここからは遠い感覚になるが実際は経済的には相当に影響している。
原発がここに建てられたことでも東京とは切り離されずこの辺の田舎もあった。日本全体が東京の影響を受けざるをえない、地理的には離れていても現代のような交通網が発達した文明ではそうなのである。でも感覚的には離れているからそれを感じないのである。ただこの辺が一つの文明から離れた特区として自然エネルギ-で自給したり田畑がだめになったら花を栽培して花園にしようとか言うアイディアは面白いと思う。川内村では実際に試そうとしている。花は放射能とはあまり関係ない、ひまわりが今も一面に咲いているのは気持ちがいいのである。ただそもそも自給自足するとしたら現在のような米も自給できないようでは何もできない、外から米まで買っていたらとてもそうした特区の自給自足にはならない、ただここが特区としてア-ミッシュのような生活空間を形成したらそれまた外部からも注目される。ア-ミッシュの人は文明的生活を拒否して生活している。人々は実際は文明的生活に疲れている。それで癒しを求めているのである。するとこうした特区は江戸時代に還り一段と闇も深く静かな世界となる。もし電気もわずかしか使わないようにしたら闇も深くなる。


それはまさに江戸時代の再現なのである。もちろんこんな世界に住みたくないという人はいるし若者はでてゆくかもしれない、今でも流出しているからいろいろ問題がでてくる。姥捨山になってしまうかもしれない、しかし一方で文明をあえて否定して生きたいという人も若者にもいる、現実にそういう人たちは前からいたのである。そういう志向の人は江戸時代のような所に住みたいと志願する人もいるかもしれない、限界集落はそういうところである。そんな所には誰もすまない、墓場になでしまう。それも一つの特区として文明のない世界として全体からみたら意味あるものとなるかもしれない、今人は文明生活にするのに疲れているから何か癒される場所が必要なのである。何か無のような空間を必要としているのである。馬鹿を言え、無の空間にするとはどういうことか無人の市町村にするのか・・姥捨山にするのか・・・そういうことはあるにしても何か文明とは違う別な空間を生み出すことは価値あることかもしれない、そこが癒しの場になるということもありうる。

ただそこに江戸時代になると医療のサ-ビスなどが受けられないとかなりこんな不便な所にいられないと脱出する人があとをたたないということにもなり遂には誰もすまなくなって文字通り元の野原や森にもどってしまうということにもなりかねない、死に場所としてはそれもいいと老人では住む人がいるかもしれない、それも一つの死に方だという人もいるかもしれない、ともかくこの辺はこうした思考が働くように何か異様なのである。では一体この先どうして生活するんだというときなかなか先が見えてこないからこんな思考をしてみたりしているのだ。松川浦では魚をとって外部の市場で売れたから元にもどってゆくのか?他はだめだろう。小高区は何年かしたら帰るだろう、飯館の人はどうなるのか?


●一年半過ぎた避難者の心境は?


京都の伏見区に若い夫婦が移住した。


露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢


秀吉の辞世の句だったけどここで作られた。


露と落ち 露と消えにし わが身かな 飯館のことも 夢のまた夢


飯館のことも双葉のことも浪江のことも夢のまた夢となってしまったらどうするのかとか想像する。何か落武者のようになっている。新しい村に集団で住むというのもまたなかなかむずかしいだろう。

涙もて帰る日を今日も待つ仮設暮らしも長くなりにき


牛の名を今日もよみあげ帰れざる飯館村の人の哀しき


いづれにしろこんな事態は本当に不思議になってしまう。津浪の被害者もまだどこに住んでいいのか算段がつかない、元の場所に住むのか高台に住むのかこれから仕事はどうするのかとか何も解決していない、これからどうなるんだうというときこれからどうすればいいのか、どう対処していいのかとか住んでいる人は否応なく決断が迫られる。それは世代間でもかなり違ったものとなる。若い人が流出すると生活ができなくなるだろう。そういう不安定な状態がつづくのがこの辺なのである。


アーミッシュが多く居住するランカスターはスリーマイル島から南東に40kmほどに位置しており、スリーマイル島原子力発電所事故(結果的には健康被害はなかったとされる事故)のような技術災害が、技術自体を好む好まずに関係なく社会全体に影響することの代表例として知られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%
83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5


どんなことしたってやはり文明の影響を受ける。40キロだったら自分の住んでいる場所とだいたい同じだった。いくら特区にしても文明の影響はまねがれないのである。

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2012年07月25日

南相馬市の特別養護老人ホ-ムの待機者は300人 (深刻化する医療、介護・・・死生観を変える必要がある-中世に学ぶ)


南相馬市の特別養護老人ホ-ムの待機者は300人

(深刻化する医療、介護・・・死生観を変える必要がある-中世に学ぶ)


●深刻化する介護問題

東京都足立区の自営業、伊藤和子さん(56)は昨年暮れ、弟の急死に伴い母親(81)を自宅に引き取った。全盲で認知症もある母親はトイレ、食事とも介助が必要で、最も重い「要介護5」。伊藤さんはすぐに、区内の特別養護老人ホームに入所を申し込んだが、待機者が約800人いると聞かされた。
 訪問介護サービスなどを利用し、何とか介護しているが、伊藤さん自身も腎臓が悪く、来月からは透析のため入院しなければならない。当面1カ月間は、老人保健施設に預けられることになったが、費用は特養の2倍近くかかる。
http://ombudsman.blog61.fc2.com/blog-entry-677.html


特養の入所待機者は田舎でも100〜200人くらいです。地域によりますが・・・


施設の空き待ちですが、特養は多いところで、数百人〜千人単位と聞いたことがあります。私の、親族は300人待ちで、少なくとも5年待ちといわれたことがあります

介護保険利用の特別養護老人ホームのことだと思います。
通常100人〜300人の方が登録入居待ち、多いところだと
600人待ちと言う所もあります。

有料老人ホームならせいぜい10名以内でしょう。


都市部では20万円程度では介護付有料老人ホームへの入居は厳しいですね

 


一か月家族を介護施設にあづかってもらうことになった。ケアマネの話では南相馬市では特別養護老人ホ-ムの待機者は300人だそうである。これが多いかの少ないのかまた平均的なのか?その辺はわかりにくいがこの数がさらにふえてくる。特にこの辺は小高区などにあった施設が閉鎖されたことや避難者が多く人手不足であり条件が悪くなっている。医療サ-ビスもまともに受けられない時が一時あった。救急が利用できないときがあった。その混乱時期は過ぎたにしろやはり医療や介護など福祉サ-ビスは他より悪くなる。自分の状態は伊藤さんににている。こういう人も多くなる。自分よりもっと条件の悪い人もいる。二人一人は障害者でもう一人は90以上の高齢者であり福祉でオムツとりかえにとているという。そこでは一生障害者の世話をしていた。そういう人もいる。夫が若くて重度の病気になりその世話を死ぬまでしつつけた人がその苦労を延々と語っていた。そして死んだが今では恨んでいる。

その事情もわかる。医療とか介護の問題は他の問題と比べて命にかかわるしいくら死んだ方がいいとか言っても現実問題では個々の事情も様々でありそうはならない。放っておくわけにもいかないのである。 だからこの問題は深刻であり自分も経験して大変な苦労した。今は隣近所などあてにならないし家族数が少ないとか負担がある一人の人にかかる割合が多くなる。一方が病気になったりすると共倒れになる。特養は最初は身寄りのない人とか優先的に入れていた。今は介護度と年金額で決まってしまう。介護度4-5だと優先的になる。身寄りのない人は行き場がなくなる。病院すら重症者でも病院から出される、テレビに出た人は一人暮らしてあり食事の用意すらできない人だったのでありあれを見て残酷だと思った。またそうした人もふえてくる。つまりそうした高齢者がどんどんふえてくることに問題がある。その受け入れる先もない、東京辺りから福祉サ-ビスのいい市町村に移住しようとする人がふえているという。それも高齢化の現代である。退職者が田舎に移り住むというのもブ-ムになったのもわかる。高齢化の問題が現代を象徴している。でも疑問なのは今日いろいろその人の生い立ちまで詳しく聞かれた。そこまで聞くのかとためらった。それで個人情報をもらさないという契約書をもってきていたのである。


●福祉の介護問題などは金ですべてが解決しない


ただ感心したのはその人の食べものの好みなど詳しく聞いた。病院ではそういうことをしない、個別的に食事は対応していないからだ。だから個人的な事情やその人の性格があり聞いたのだと納得した。こういう時東京に住んでいて地方の市町村の介護サ-ビスなどを受ける時、地元出身者でないと問題がでるかもしれない、地元に住んで地元で暮らした人は地元に貢献した人は地元の福祉サ-ビスも受けられる、それは金銭問題ではなく相互扶助があった田舎の暮らしの延長としてそういうふうになるのが人間生活では自然である。全然その土地と縁もゆかりもない人に地元の人が金だけで奉仕するのは違和感でてくるかもしれない、福祉になると何か金だけでは解決しにくい問題がでてくる。もともと家族だから大家族のときは誰かが介護していたのが自然だった。ただその時は60くらいでみんな死んでいたのである。だから介護問題は深刻にはならなかったのである。今は90まで生きる人が本当にふえてきている。だから昔は参考にならないのである。

介護福祉問題は金だけ解決するとは限らない、金持ち用の施設でも金持ちに奉仕するのは嫌になったとか勤めている人が言っているからだ。

若い人もそういうところで金持ちに顎で使われたら嫌気がさすだろう。だから介護問題は金だけでは解決しない複雑なものがある。人と人が密接にかかわるからそうなる。物を一時的に買ったりするのとは違う。今や物は地球の裏側からでも簡単に入ってくる、でもその物を提供する人たちは誰に提供しているかわからない、みな不特定多数のものにモノを提供している。ところが介護となると全然違う、相手は現実目の前にいる血の通った人間でありそこでモノを売るのとは違っている。だからこそ介護などは家族がしているのが自然だったのである。身寄りのない人は別である。


君がため 手力疲れ 織りたる衣ぞ 春さらば いかなる色に 摺りてば良けむ  


君がため、浮沼(うきぬ)の池の、菱(ひし)むと、我が染めし袖濡れにけるかも


君がために努力して織った衣だよ、でも疲れてしまった、今度はどいういう色にすれば気にいってくれのだ・・・これはやはり君がためでも過労があったことは確かである。こういうことは介護にもある。君がための介護に疲れる、どうしたら満足してくれるのだろうかとなる
http://musubu.sblo.jp/article/13446113.html


君がための労働が介護なのである。そこが他の労働と根本的に違っている。だから実際に今や家族より実は施設に働いている人が最後をみとり親切にしてくれた人が他に移るとき涙を流していたとか
家族以上に思っている人もででくる。その人は認知症だったのである。現代は家族のつながりさえ希薄になり金持ちは施設にあづけて自ら介護はしない、それだけ苦労はしないし薄情化している。

●高齢化には死生観を変える必要がある(中世に学ぶ)


野原におびただしい死骸が横たわっているのに出会った。その風景は日常茶飯事だった
死屍累々の風景は見慣れたものだった。この時あまりの酷さに歌を詠じている。
惜しめどもついに野原に捨ててけりはかなかりける人のはてかな
(一遍絵詞)


「およそ一念無上の名号にあひぬる上は明日まで生きて用事なし、とくに死なむことこそ本意なれ、仏法に価なし、身命を捨てるがあたひなり」



中世はわかりにくい、ただあれほど宗教熱になった背景は死があまりにも日常的だった。道にごろごろ常に死体が無惨に転がっていたのである。野垂れ死にが日常の風景だったのである。死体がつながり橋のようになっていたとかそれを埋めたのが化野の念仏寺であった。無常きわまりない世の中だった。だからこそ本当の宗教者が続出した。今のカルト宗教団体とかとはまるで違っている。今の現世に欲でどこまでも執着する宗教であるから現代を繁栄している。中世は全く違っていた。松島にも一遍がきていてあそこには三千人の修行僧がいたとかあそこ浄土の島でありあそこて死に場所として遠くから僧が集った。檀家宗教のようにのんびり戒名でもさづけてぜいたくな暮らしするのとは違う。環境がそういうふうに追い詰められていたからこそそういう真剣さが生まれた。武士道でも葉隠が死ぬことと見つけたりというのも武士もいつ死ぬかわからないからそうした死生観が生まれた。

現代はそうした感覚は消失した。どこまでも生きる、胃ろうですでに三年生きている人もいるし人間は死なないんだということを科学で医療で求められているのだ。 だから中世をふりかえる意義は人間の死生観を変えることなのである。人間は死ぬものだし死ぬことは悪いことではない、浄土に行けることでありむしろ死を望むという思想が必要なのである。中世では環境がそうさせたが今はそうでなくてもそういう死生観に学ぶべきなのである。人間の生の欲望はきりがないものである。どこかで断つしかない、それには中世的宗教や死生観が必要になってくるのだ。現代の問題は高齢者が死なないことから発していることが多い。財産問題でも親の遺産を受け継ぐのは親が90まで生きるとしたら60代なのである。そうすると親の財産を受け継いで自由にできるのは遅すぎるのである。自分でも自由に金を使ったのは遺産を受け継いだのは60以後である。それまでは旅行しても貧乏旅行である。だからその金で300万くらいで庭作りした。それまでは自分で百万の金を自由に使ったことはないのである。すると何か自分でやれることができないである。そしてそうした高齢者がいつまでも財や金や地位をもっていることは社会にとってマイナスなのである。つまりトップが死んだりすると自然と解決する問題がある。ある人が家族でも社会でも死ぬと問題が死によって解決するのである。それまではその人が生きている限りは問題が解決しないのである。自分の家族ではそうだった。暴君がいたとしてそれはその人が死なない限り現実は解決しないのである。


そして三国志のバラマをBSで見ているが非常に若い人が指導者になっている。あんなに若くてやれるのかと思う。戦争だから経験がないとやれないと素人は思ってしまう。ところがやらせてみるとやれるということがわかる。やらせてみないかぎり人間にはわからないことが多くある。責任を持たせない限りやれるかどうかはわからないのだ。だからな陸遜も全く無名であり戦いの経験なくても劉備軍に勝てたのである。人間の能力はやらせてみないかぎりわからないものが多々あるのだ。ある人を抜擢してめきめきと効果を出すひともいる。また失敗する人もいる。それはやらせてみない限りわからないのである。それが現代では高齢化でできないというが社会全体で衰退する原因にもなっている。明治維新でもあれだけ若い人が良くあれだけのことをやれたと感心する、それはやはり時代がそうさせたのである。そういう時代が変わる時は若い人が能力を発する。今はそういう機会が与えられないのである。


これを言うとあんたも早く死んでいいですとか喜んで若い人が書いてくる。老人は早く死ねと毎日叫んでいる若者もいる。それだけ若者の鬱憤がたまりにたまっているのである。だから60以後は死生観を変えねばならない、ただ長生きをすべて悪いものとして否定はできない、長生きして一芸に達する人も多いからである。そのへんの兼ね合いがむずかしいがやはり死生観を変えることが迫られていることは確かではないか?人間は今やあまりにも生に執着している。60になっても女性は若くありたいと飾り性の欲望がむきだしになったり物欲もはげしくなったりと昔の老人とは違う。昔より体が若いということもある。だから生の執念はさらに激しくなっているのだ。どこまでも自分の業を欲を生きるんだ、それが人生だとなり中世のようにはならない、醜かろうが何でも生き延びることに価値を見いだしているのである。

posted by 老鶯 at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2012年07月26日

フェ-ルメ-ルの小窓(オランダも地理が作った)


フェ-ルメ-ルの小窓

(オランダも地理が作った)

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●地理的制約から海洋国へ


フェ-ルメ-ルの小窓


その小窓より海の風はそよぎ入る
船は入り船はい出ゆく
はるかなる航海の日は語られぬ
小窓より光はさしいり
貴婦人にあらじ平民の婦人
その家を知り尽くして家事を行う
そのつつましき姿に美を見いだす
少女のラグズベリ-色のタ-バンの異国趣味
異国の話は尽きざるかな
その小窓より世界の風の吹き入る
オランダの栄し日よ、日本も語られぬ
オランダに広き大地、森、山なくして
果敢にも冒険的な船は海にい出ゆく
その富のここに豊にあふれて
栄えし日の夢を見るかな

・・・・・・・・・・


彼の握る帝国の章標
彼の王権を示す宝珠と笏
望遠鏡 るつぼ はた地図なり
彼道なき海を越えて船を導くを得
それに関するあらゆる技術を心得あり
彼地球の内部を解し星辰の運行を判ず
外つ国々の政策を知り
全世界の地方の 都会 町などの名を
かげろう糸の露の玉のごとく固くつなぎ合わす力あり
・・・・・・・・・(ワ-ズワ-ス 序曲)


オランダという小国が世界をまたにかけて貿易で栄えたのはなぜか?それも基は地理だった。もともとニシンをとるだけの漁村だった。横浜のような所だった。それが外国から織物などの技術をとり入れて技術先進国となった。外国の技術者を入れて発展した。一つのコスモポリタン的都市となっていったところに栄えた原因があった。風車にしても船の技術に応用されて世界の海に乗り出すことで栄えた。国は小国であり土地もないから海に土地を作ったような所である。ここで栄えるのは貿易で栄えるほかなく商人となるほかなかった。その地理的位置が恵まれていた。ライン河の河口にありイギリスともスエ-デンやノルウェ-とも近く木材の資源とか入り物資の集散地になった。貿易で栄えた国は自然条件が悪い外洋に出るほかない地理的条件があった。ギリシャもそうだったのだ。平坦な地域が少なく今でも山の高い所に羊飼いが羊を追っていた。険しい山と海と島の国だった。だから植民都市を外部に作った。そしてドルフィがギリシャ世界の中心地というときあの山の中がどうしてかとなるがやはりゼウスの住むオリンポス山が見える地であり山が多いからそうなったのである。点々と島が多いことも航海するには適していたのである。日本でも島が多いけど対馬などでも耕地にする所が極めて少ない、すると海に出るほかない、海に出ることが強いられるのである。貿易で栄えるほかないのである。そういう地理的制約があるのが島なのである。沖縄もそうである。

ギリシャ本土は山が多くてその広大な面積は不毛の土地である。しかし肥沃な谷がたくさんあって、それらは海へ容易に出ることができるが相互の陸上交通は妨げられていた。


ヨ-ロッパ中部はライン河がその貿易の幹線だった。したがってライン河の河口に位置してバルティック海、大西洋に面しているネ-デルランドが地理的に最も適していて、トルコの進出による地中海貿易の衰退と共にヨ-ロッパの中継貿易の中心地となった。
(繁栄と衰退-オランダ史に日本が見える-岡崎久彦)

オランダは地理的条件に恵まれていたのである。ケルンの塔の上からオランダやイギリスの方が見えた。意外とオランダが近いと思った。

ヨ-ロッパはもともと氷河地帯であり湖が多いのはその氷河が後退してできた。つまりそもそもヨ-ロッパ自体が特に北は寒い地域であり住むには適していない地だった。だからこそ暑いインドのような豊かな国を求めて航海に出たのである。モンゴルは大陸から拡大化したがヨ-ロッパは海から拡大化してアメリカを作ったのである。その相違もグロ-バルな視野から見えるのである。
ドイツは広大なゲルマンの森を有しているからその成り立ちはまるで違う。フランスもそうである。そういう国は一つの民族として形成される。ナショナリズム的拡大がありナポレオンとかナチスとか領土拡大を目指し帝国主義になる。陸の大国はたいがいそうなる。その文化もそうであるからオランダは土地がないから異質だったのである。


●割り勘-Dutch treatの国


割り勘-Dutch treatというのもオランダ特有の合理主義だった。これは日本語にもあるのだから日本にもあったから日本も商人的合理主義が江戸時代からあった。


レンブラントの「夜警」だとされる。
この絵の正式な題名は
フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊

であるが、その市民隊がレンブラントに絵画作成を依頼する時に、
市民隊のメンバー達は1人100ギルダーずつを供出して、
レンブラントに支払ったそうだ。

ところが、出来上がった絵を見ると
みんな平等の配置で描かれるものと思っていたところ、
中央の隊長と副隊長にばかりが目立つ配置だったので、
不満を抱いたともされる。

オランダでは、
レンブラントの「夜警」のように
無名人の集団肖像画がオランダで多くあったという。


オランダは平民的であり合理的であり貴族の階層社会と違っていた。宗教と政治を分離したから徳川幕府にも受け入れられた。姓にこだわらないことは出自にこだわらないことである。中国の三国志では姓が一族結束の象徴であり何の姓に属するかでその人がわかる。日本でも姓より地名が姓になっているというときどこの村に住んでいたかがアイディンティティになるのだ。


●地理が歴史を作る(日本の古代は大阪がオランダだった)


日本にしても最初に大阪とかに韓国から技術者がおしよせてきて大阪に百済国があるまでになった。それは大阪などが外国文化の取り入れる入り口となったからである。飛鳥、奈良にしても難波の港があって成り立っていたのである。分離した世界ではなかった。川でも結ばれていた。国が栄える、世界的になるにはどこでも最初は外国の技術をとり入れて国が大きくされてゆく、中国や韓国から技術が入り古代に日本の国造りが行われた。みちのくの蝦夷まで鉄や黄金を求めてきて遠征した。百済王敬福まさにそうである。仏教も外国の技術と文化だったのである。多賀城が海から遠いように見えたが津浪で海に近かったことがわかった。近くまで海が迫っていた。それで波こさじの末の松山の伝説が生まれ京の都に伝えられたし貞観地震の津浪の被害と祇園祭りは関係しているとかなる。天変地異を鎮めるための祭りだったと言われるのもそのためである。それだけ古い祭りだということにも驚く。みちのくの真野の草原(かやはら)も奈良に平城宮に知られた時代でもあった。だから草原(かやはら)が伽耶の国に由来するというのもそういう大きな歴史的背景があってのことであり突飛なことではないのである。


百済野の萩の古枝に春待つと居りし鴬鳴きにけむかも

地名のイメ-ジ力-万葉集の衣摺
 http://musubu2.sblo.jp/category/1485470-1.html


こういう地名が残るのもいかにも大阪が外国文化をとり入れる入り口になっていたかわかる。
大阪ではピラミッドより大きい仁徳天皇陵があるからやはり早やくから外国と関係してそれだけのものを作る勢力を形成していたのである。

現代の情報文化は一地域が有利になることはない、インタ-ネットはどこでも情報が入手できる時代である。これが本の世界だったらなかなかできない、地方では発信することもできない、本だとまず流通させることが地方からむずかしい、でもインタ-ネットだったら日本だけではない世界へ簡単に発信する能力は備わっている。ただまだ本格的なプロフェショナルな発信が行われるシステムがないのである。

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17世紀オランダの風景画より


晩秋や風車の古りぬ二つかな

この風車の絵の発見は感動した。オランダで風車を見たけど電車の窓から通りすぎた一瞬だった。このような風車は見ていないから残念である。その風車は一見見て古いとわかった。だから風車の実物は古いのである。それが歴史的なものであることがわかった。実物を一回だけでも見ることは相当に価値がある。いくらテレビでも写真で見ても実感しないのである。


それにしても自分は本を読むというより本の蒐集家だった。これはめずらしいなとか買っていた本があった。引用したワ-ズワ-スの本にしても厚いしラッセルの本にしても持っているだけで重い、そんな本を良くだしていたし買っていたなと思う。知的仕事にはまず自分の部屋が小さくても図書館になっていないとできない、だから作家は書庫をもっていたし学者も持っていないと仕事にならないのである。インタ-ネットはそういう点で知識の世界的解放の時代なのかもしれない、まだまだそうなっていないにしろそういうものを目指している。アレキサンドリアの図書館のようなものを目指している。引用した割り勘のことでもあれはどこかに書いてあったから著作権はないだろう。何か創造されたものではないのだた。インタ-ネットには素人のそうした発言が膨大にある。本はプロフェショナル的なのである。ともかく本でもインタ-ネットでもやはり編集作業が新たな知識の見方を提示するのである。 この風車の絵の発見は感動した。オランダで風車を見たけど電車の窓から通りすぎた一瞬だった。このような風車は見ていないから残念である。その風車は一見見て古いとわかった。だから風車の実物は古いのである。それが歴史的なものであることがわかった。実物を一回だけでも見ることは相当に価値がある。いくらテレビでも写真で見ても実感しないのである。

津浪の跡の海岸が湿地帯化した夜明け(右田浜-写真) (でんでん虫が草むらに眠っていた)

 

津浪の跡の海岸が湿地帯化した夜明け(右田浜-写真)

(でんでん虫が草むらに眠っていた)

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津浪に残った一本の松

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●人間は自然に逆らうべきではなかった


波ひびき夜明けの原に夏雲雀


痛々し一本残る松による夏の日まぶしく朝日昇りぬ

荒々し波打ちひびき陽の昇り海鳥騒ぐ夏の朝かな
海よりし飛び来る鳥の鳴き騒ぐ開けし原や夏の夜明けに
津浪跡沼地に飛び交うトンボかな朝焼けの映え波紋広がる


津浪の跡が湿地化した。そこにトンボが飛び交っていた。トンボは水辺が繁殖に適しているらしい。水辺に集るのである。津浪の跡が原初の自然状態にもどる。それはまだ信じられない光景なのである。一本だけ残った松は本当に痛々しい、でもこの松は良く残った、この松は強い松だったことが証明された。だからつくづくながめてみる。確かにそういう強さをもった松だったのだろう。特別な松だったのだろう。この湿地化したところに海の鳥が飛んできて鳴きさわぐ、この辺は北海道のような原初の状態にもどったのである。ただ今年は田んぼだったところは赤
茶けで青々とした草原になっていないのはなぜなのだろう?海岸の近くは湿地帯化していた。


思うに海岸線に日本では防潮堤を作ったけどそれが自然破壊だったのである。別に防潮堤を作らなければ津浪の跡のように原初の自然状態にもどった。それはまた美しい光景なのである。結局自然は自然にまかせた方がいいのかもしれない、松原を作ったのは実際は自然ではない、無理して海の方を開拓して防潮林として松原をつくりあとは波の浸食で防潮堤を作り砂浜もなくなった。津浪によって元の自然にもどした方がいいともなる。波に浸食されたら人はそんな海岸にすまないで別な方に住むほかなかったのかもしれない、波の浸食で自然であり自然の作用なのだからいくら防潮堤でもとめることができないのである。つまり津浪も自然の作用でありそれに逆らうことはできない、そのために防潮堤を作って破壊されたのである。防潮堤を作ると美観が破壊されるのである。右田浜はもともと家が少ないから三陸の街のような凄惨な感じがしないのである。


●でんでん虫が草むらに眠っていた


ゆ-らりゆ-らりゆらりゆらゆらゆ-らり
合歓の花夕べ風にそよぎぬ
でで虫一つ日影の草むらに眠りぬ
そは隠れてひそか知られざるかな
木蔭静かに休むことこそよけれ
尾長はその尾の長く伸びやかに飛びにけるかも


でんでん虫が這っているのは見かけるけどこうしてひっそりと隠れるように休んでいるのはなかなかみかけない、草むらに隠れているからわからないのだ。葉の裏などにも隠れて休んでいるからだ。
このでんでん虫のように眠っていたい、暑い所ではハンモックとかに揺られて昼間は仕事しない、できないのである。日本も蒸し暑くなったから休んでいたい、このでんでん虫の眠っている姿はなんとも言えずいやされる。飯館村など原発事故の前は知られていない、でんでん虫のように眠っていたのである。どこの村でも普通はあまり知られないのである。そういう時がつくづく幸せだったのである。原発事故で知られてもそこに平和はもうない。尾長が飛んでいる姿がいい,長い尾を伸ばして伸びやかに見えるのだ。自然はそれぞれに個性があり癒しがある。


眠るでんでん虫


でんでん虫一つ
草むら深く
日影に夕べ眠りぬ
誰かしる
そは隠されて
安らかに声もたてずに
眠りてあらむ
人の世のことも知らずに
赤子のごとくに・・・

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2012年07月27日

鬼百合(真夏に働く人を見て・・)

 


鬼百合(真夏に働く人を見て・・)


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草深く老鶯鳴くや日影蝶

鬼百合や復興に働く人の群れ
夏菊の今日も百輪働く人
鬼ヤンマ坂を上りぬ自転車に
森深く日影の道の長しかな

汗流し真夏に働き家一軒ここに建ちにし尊きものかな

今、ここせ31・5度である。平年並なのか、蒸し暑い、この辺で結構新しい家が建っている。古い家は壊された。原発避難者とか津浪で家を失った人が家を建てている。この暑いとき外で働くのは大変である。だから近くでそういう人を見ると労働は尊いなとしるしそうして苦労して建てた家は価値があるとなる。人間の家の価値は大きい。家あるとなしではその差は大きい。家は本当は広いことがいいと思った。最近身内が一人死んで八畳間に寝ているから悠々として気持ちいいのである。6畳に寝ていたときは狭い窮屈だった。家は相当に精神にも影響する。それを考えると田舎では農家などは理想的な住まいだろう。飯館村などは隣と離れていてさらに森につつまれているから住まいとしては理想的だった。そういう人が都会のマンションでもアパ-トでも仮設住宅など狭く感じて嫌になるだろう。だから都会ではあういう狭苦しい所に良く住んでいると思う。貧乏でも田舎に住んでいた方が精神的に楽に思える。まあ、自分は全く大学のとき東京に行ったが都会向きではなかった。


労働のことをいろいろ考えてきたが現代の労働は見えないのである。江戸時代あたりだと労働は個々に明確に見えていた。何をしているか明確に見えていたのである。社会自体も手にとるように見えていた。今は人々が何をしているか見えない社会である。例えば原発で働いている人もいるがその人たちを外部から見ることはできない、そこで苦労している人も見えないのである。高層ビルを建てる人がいるとしてもそれは人間が建てたように見えないのである。一軒の家だったら人間が建てるように見えるから苦労して建てているから尊いものだと価値あるものだとなる。現代ではニ-トとか働かない人がふえたのは労働自体が見えないということもある。江戸時代ならたいがい親の背中を見て育つというときまさに労働は見えていたからそうなったのである。そして親の跡を継ぐ人が多かったから世代間のつながりも自然とできていたのである。


現代の労働で見えるのは医者とか看護師とか福祉関係の人たちである。それは直接人に働きかけるその労働が見える。その労働も人のしたくない、オムツとりかえなどしているから大変だなとその労働が貴重に見える価値あるもの見える。だから生きがいを求めて福祉関係に入る人もいる。それは老人など無駄だというのもあるが感謝される労働なのである。いづれにしろこの辺ではそもそも労働がない、昼間から酒飲んでいたりパチンコ通いとかパランコ屋が繁盛しているのは異常である。人間はやっぱり仕事してないと存在価値すら認められないから肩身が狭いとなる。農民など金にならないといっても俺は農業していると言えばそれはそれなりに価値が認められていたのである。もちろん大工で土木関係でもそうである。だからこの辺では大量に仕事しない人であふれている。その人たちが仕事をしたいとなる。それは金のためではない、生きがいのためなのである。補償金もらっているから食べるのには困っていないのである。むしろ余裕ある人さえいる。自分はベ-シックインカムはいいと思う。なぜか,豊になった時代は仕事は仕事したい人が選びすべきだである。そうしたら誰も仕事しないではないか?そういうことにはならない、仕事しなければ何の価値も認められないからである。
その時かえって人に役立ちたい本当に生きがいある仕事をしたいという人がでてくるし仕事を誰もしないなどありえないのである。それは理想にしてもただ金のためにだけ働く人が多くそういう人はそもそも仕事をしたくない人であるから仕事をしなくてもいいような制度になるのがいいのである。


日影蝶は黒い斑点がある。黒い蝶ではないが黒い蝶をイメ-ジしていた。そんな黒みがかった蝶が飛んでいる。人間は名前に影響されるのだ。名前は詩的イメ-ジも喚起するのである。そのものより名前から喚起されるものが結構あるのだ。都路(みやこじ)は都など関係なくても都があるのかと錯覚するし現実だとさえ思う不思議があるのだ。老鶯-日影蝶はあっていたのである。

2012年07月28日

復興の野馬追い (野馬追いの見方-旗を良くみること)


復興の野馬追い

(野馬追いの見方-旗を良くみること)


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御家という旗は新しく作った旗か?
見かけない旗である。
ただ藩ではなく御家中と言っていた。

一の旗は先導役である。

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なぜハサミなのか?


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大将の母衣

炎天下大将導く一の旗
母衣赤し大将進む後ろかな
復興や旗なびきつつ打ち進む


野馬追いの見方は他の人はわかりにくいし地元の人でもわかりくかった。これだけ見ていても実は見ていない、見方がわからないのである。最近わかったことは野馬追いは一年に一回しか見れないから何度みても貴重なのである。そして意外と早く通りすぎるからゆっくり見れないのである。この旗なんなのだろうなというとき通りすぎてしまう。何度見てもその旗は一回しか見れないし一年に一回だから良く見れない、旗の種類が多いからだ。この旗なんだろうなと思っていると通りすぎてあとは来年まで見れないのである。そこに意外と野馬追いが毎年見ていても何かいつもものたりないものとして終わる原因があった。つまり良くゆっくり旗でもみていられないことなのだ。だから写真に旗を記録することが大事である。とにかく写真をとって記録させてあとでふえかかるほかない。


野馬追いは一回見て終わりだとよく言われる。ところが実際はそうではない,野馬追いは何回も見ないとわからない祭りだった。地元毎年見ていてもこの旗なんなのだろうと必ず毎年違った旗を見ているのである。それだけ旗の種類が多いのである。旗のことを前にも書いてがいろいろあってあとは書いていない、野馬追いはやはり旗祭りだから旗のことをわからないとつまらない、どうしてもこの旗なにを意味しているんだろうとかとんな謂われあるんだろうかと見るがすぐ通りすぎてしまうから記憶から消えやすいのである。そしてあと実物を見れるのは一年後になって結局何年たってもよく見れないというのが野馬追いだったのである。いろいろな旗があってもいちいち詳しくゆっくり見ていられないのである。今回は樹の燃えるような旗印があった。あの旗は面白いと思った。もう一つなんでハサミの旗印なのだろうと思う。そういう疑問が常にあるのが野馬追いなのである。


ともかく今日は34度もあった。暑くて出るのも見るのも暑いから大変である。家の前通りすぎたのちょっと見ただけだった。下にク-ラあるからそこで涼んでいた。明日は雲雀が原に行ってみるか、暑いし12時前まで行かないと見れない、復興の野馬追いだから見る価値がある。数が多ければ迫力あるのが野馬追いである。野馬追い見たら必ず旗に興味もつことは確かである。

 

ゲ-テ ファ-ストより

アイアスはその楯に絡まりあった蛇の模様をつけていたし
テ-パイを攻めた七人の勇士も、それぞれの楯に
意味深い複雑な紋所をつけていましたね
夜空にかかる月や星もあれば
女神だの、英雄だの、梯子だの、剣だの、松明だの
平和な町を恐ろしく脅かすような図案もあり
わたくしたちがお話している英雄たちも、先祖代々伝わった
きらびやかな紋章をつけていますね
獅子もある、鷲もある、爪、嘴
水牛の角もあれば、鳥の翼、薔薇の花や孔雀の羽根
それから金、黒、銀、青、赤の縞模様
そういうものが世界ほど広いからと思われる
無数の広間ににずらりと懸かっているのです
それに踊りもやれるのだから
ファ-スト二部(ゲ-テ)


月や星の旗印は妙見が祭っているから主要なものとしてある。獅子とか虎はない、中国でも獅子とか虎が良く出るけど日本では旗印にしていない、なじみなかったのかもしれない、鷲もでていない、
水牛の角の兜をした人は見たから共通している。縞模様が同じである。花はカタバミの花がある。梯子の旗印もある。ヨ-ロッパでは必ず城壁を上るから梯子は必要だった。日本ではどうだったのか?梯子は城攻めに必要だっかのか?そういうシ-ンはドラマであまりみないようだ。
そこでなぜハサミなのかというのが今回は気になった。ただ今そうして調べる余裕がない、野馬追いが旗祭りだというときその説明した専門的な本もでていないのも不思議なのである。誰かが研究したものがあってもいいはずだからである。ただ旗の由来はわかりにくくなっている。ただ何らかの研究があってもいいのである。旗は本当にヨ-ロッパが騎士の時代とにている。とにかくヨ-ロッパは城が多いからだ。それが日本と共通しているのだ。中国とはこの点では共通していないのである。

posted by 老鶯 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)