2012年06月21日

岩井の水を飲めどあかぬかも (便利な文明の生活は災害に弱かった)


岩井の水を飲めどあかぬかも

(便利な文明の生活は災害に弱かった)


馬酔木なす栄えし君が穿《ほ》りし井の岩井の水を飲めどあかぬかも 巻七


山の井の清水を飲みて今になお暮らせる人やここにいつきぬ



馬がこれを食べると苦しむので馬酔木という名前がついたということですが、本当に馬が食べる訳ではありません。


馬酔木(あせび、あしび)の花が注目されていたのはなぜか?この花は花とは思えない、何かのいわれがあって注目されたのか、実用のためのなのか、そうでもない、馬の餌にもならなかった、害になるものであった。ただこの花に注目していたというのはやはり万葉人だからこそである。素朴なものとして見ていたのかもしれない、馬酔木は歌にする気にもなれないしこれが美しいと思ったことはないからだ。桜が咲いて栄えるなら梅が咲いてでも特に牡丹ならわかるけど馬酔木ではなぜこれが栄えたものの花になるのかわからないのだ。ただ万葉人にとっては馬酔木は栄の象徴ともなっていた。その辺が現代感覚とは違っている。
今でもこの辺では山の方では山の清水を井戸を掘って飲んでいる人がかなりいた。山の水は飲めたのである。牡鹿半島でもあんなに低い山でも裏山から清水が流れて尽きることがないという。震災と津浪で電気がこなくなり水道もとぎれたとき裏山の清水を運んで飲んでいた。なぜ牡鹿半島のような所に住めたのかというとあのように水があったからなのだ。ほとんど田畑も作られなくても水はあったから人はすみつくようになった。日本は水に恵まれていたのだ。だからこそ稲作りが広がった。山の中でも水が豊だから米を作ることができた。


現代の便利な生活は災害に弱い、牡鹿半島とか三陸の僻地でも水道の水がなくても電気がなくても一か月くらい過ごすことができた。井戸の水を清水を運んでいたのである。この辺では水道の水が飲めなくなった所がある。でも電気は通っていたしガスもプロパンガスだから火が使えたから米があったので米をたいてしのいでいた。ノリくらいオカズで二週間くらい過ごせた。あとで米もなくなり地元で配給になり助かった。米があり水があり火があれば二週間くらいは生き延びられる。都会では清水を使うわけにはいかない、いくら水をたくわえていてもどうなるかわからないから都会は災害に弱い。水すら自給できなくなる。皮肉なことだが文明は昔の自給自足生活からすると余りにも文明的な便利なものに頼る生活である。だから一旦災害になりそうした便利なものが途絶えるとパニックになる。車がその象徴だった。車が車だけで何のようにもならなかった。ガソリンが入ってこないから使い物にならなくなったのだ。ガソリンスタンドに長蛇の列となった。この辺はあとあとまで放射能が怖いとか外部から物資が入らなかったのである。その時車は何の用にならなかったのである。
車が今回の津浪でもかえって被害を大きくした邪魔なものに何ていたのである。

人間は車でも石油と不可分にあったから石油なしでは成り立たない文明である。だから一旦石油がきれたらパニックになる。戦争にもなる。それが便利な文明の危険なのである。原子力に一旦頼れば原子力なしでは暮らせなくちなる。それが双葉町の現実である。原発をまだ増発しろとかプルサ-マルを要求したのも双葉町とかでありそれに今の県知事も従ったというからそこるで原発の依存になっていたのである。だから一旦事故や自然災害になると文明は弱いものだった。自給自足的生活をしていれば水があり米があり薪も裏の林にあるから燃料にもなる。電気がなくても一か月くらいならやっていけるという見通しがたつ。都会ではさらなるパニックになる。外から援助が来るまでは相当に時間がかかるからだ。よってたつものがすべて外部頼りであり中にないからそうなる。

そうはいってもここでは相馬市の方は早く回復して電動自転車で買い物に行った。電気があってできたことであるがなんとか自転車でも買い物に行けただろう。来るまでは行けなかったのである。
電気が途絶えることが災害ではある。その用意ができていない、この辺だって燃やすものがないから困ったろう。山の方だと薪があったから放射能に関係なく裏山の木を切って燃料にしたろう。

文明的便利な生活になれていてそれが当たり前となっているときそこに危険がひそんでいたのである。そういう便利な生活がもろくも崩壊するということがある。放射能汚染は水や土を汚染するから田舎では致命的なものとなる。三陸のように山の清水も山の木を燃料として利用できなかったら万事窮すになった。自給できないということはそういうことである。だから東京辺りは地震災害でも想像もつかない空恐ろしいものとなる。便利であるだけにその便利さ故に災害には弱いのである。


馬酔木なす栄えし君が穿《ほ》りし井の岩井の水を飲めどあかぬかも


馬酔木が咲き山の清水があってこそそこは栄えている、その水は飲んで飽きることがない、枯渇することもない、いろいろなものを食べ飲んでいるけどそういうものは金がかかるし一旦災害になったら入ってこない、水だけでもあればそれを基に生き延びられる。
この辺では放射能汚染で水さえ危険になっているから宅配水の商売が生まれた。富士山の水を定期的に買うのである。機械は借りて電気で湯にも冷水にもできる。でも一か月いくらと金がかかる。
それでも水に不安があるから水道の水に加えてそうした心配もしなければならないし金がかかってしまう。水すら水道でも自給できなくなっている。
万葉集時代の方が生活の充実感、豊かさを感じていたともなる。それは自然に根付いて生活していたからである。ただ井戸を掘るにしてもその当時は大変だから栄えているというのはそういう資力があってできた。「岩井の水を飲めどあかぬかも」というとき三陸の方ではその山の清水に助かったと感謝しているかもしれない、今になると田んぼは荒廃して荒地となり水が流れない、その時かつての豊かな水が流れる風景がなつかしく、水ってありがたいなとしみじみ思っているのと同じである。


山のべに桜は咲けり日もすがら代田(しろた)に余る水あふれつつ 東長二


これは歌会始めの当選の短歌だった。生活感覚があふれている秀句である。農民でないと作れない短歌であった。桜が咲き代田が作られ水が張られ田植えがはじまる。そういう光景は別に農民でなくてもあきるほど見てきて当たり前だったのである。でもそれがなくなったときいかに水が貴重であり水なしの世界が荒れ果てたものになるか知ったのである。水あふれつつ・・というのはまさに水の豊さのなかで稲作りが日本では二千年とか行われてきたのである。水に感謝するなどはあまりに水に恵まれているから日本ではない、砂漠のような世界だったら水の一滴は血の一滴だとか現実になっていた。日本では余っているからありすぎるからそんな感覚もないし感謝もしなかったのである。水に恵まれすぎて感謝するなどありえなかったのである。水がありがたいものだということにはなりえなかったのである。

posted by 老鶯 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集