2012年06月13日

歴史を見る眼 (世界的には商人が世界のル-ルを作った)


歴史を見る眼

(世界的には商人が世界のル-ルを作った)

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●多様な人間との出会い


歴史をみるときこれはいろいろな側面からみられる。歴史を見る眼は多様である。宗教からみ人もいるし経済貿易史としてみる人もいるし技術者だと科学技術史としてみるし医学になると医学史からみるとかその専門分野によって多様なのである。歴史が地理だというときやはりその根底に地理を知らねば歴史をしりえない、その地理をしるのが実感としてしるのがむずかしいのである。今は簡単に外国に行けるから外国に対する理解は庶民レベルで広まっている。外国は学問と関係なく一回でもその地を踏んだ人の方が実感としてしる。本やテレビを見てもヒマラヤの壮大さは一回だけでも見た人の方が実感としてしることになる。最近はパリに八回行ったとか若い人でもめずらしくない。ヒマラヤに十回登山している人がガイドなしでいた。日本人であんな人がいるとは思わなかった。それだけ外国は身近になったのが現代である。


中国から帰る船であったのはモンゴルに一年間羊の牧畜を勉強するために暮らした人だった。モンゴルは冬が厳しく首が縮まってしまうという。零下何十度になるから冬をテントで過ごすのは相当に体力を消耗する。その人は体力ありそうな青年だった。その人が北海道で羊の牧場を開くと言っていたがその人がテレビに出ていたのは驚いた。今はヨ-ロッパやアメリカが留学先ではない、モンゴルのような地域にも日本人が入り込んでいる。日本人は世界中にどこにでもいるから日本人のたまり場あるから世界を旅しても日本人に合わないことはない、そういう時代なのである。
大阪の商人は中国で一発あてれば人口が多いから大儲けできるとか接待するのも大変だと言っていた。必ず税関とかでワイロを払う必要があるという。中国は古代からワイロの国だったのである。
ワイロは一種の貿易のリベ-トだったのである。ワイロも関税の一種だったのである。
今庶民レベルでも外国人が入ってきている。中国人などどこにでもいる。相馬市の玉野で自殺した酪農家はフィリッピン人が妻であり子供いて放射能騒ぎで国に帰ったからそれが原因となもなり絶望して自殺した。東北では多様な人間とは出会いえないがただ底辺でも外国人を妻にしたらグロ-バル的なものとなってゆく、そういう時代なのである。


●日本は島国文明で商業に通じない国


日本人はそもそも島国であり鎖国のように閉鎖的民族である。島国的文明として作られた民族である。大陸のように激しく流動化する国とは違う。世界ではヨ-ロッパでもそうだけど激しく民族が移動して戦争ともなり混交して文化を作ってきている。ユ-ラシア大陸が遊牧民の世界であり遊牧民は羊を追って暮らしているのだから移動する民である。そのことは必然的にすでに遊牧民は商人ともなっていた。イスラムが商人の国だというときまさに遊牧民の国だったからである。砂漠は海と同じく交通路になっていた。草原でもそうである。この遊牧民が航海の民となったことはうなづける。同じ様に星を北極星などを方向を目印とするのが共通としているし国の旗も星となっている。相馬藩の妙見ももともと中国の遊牧民の文化が伝えられて北斗七星を祭る妙見神社となった。遊牧民はまた馬を使うから騎馬軍団でありそれは星と関係していたのである。世界的には遊牧民の影響受けない国はなかった。日本だけが魏志倭人伝に「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあるごとく牛も馬も羊もいない世界ではめずらしい極東の島国となっていた。漁労民族であり海彦山彦の世界だった。


日本には貿易を発達させる土台がそもそもなかった。交通路となるべき砂漠や草原もない、山にさえぎられているから国のなかでも孤立する度合いが強かったのである。海に囲まれていたから海岸線で交通が発達したかというと江戸時代は日本海は海が穏やかだから北前船などでそうなったが太平洋側はそれほど発達しなかった。波が荒いからそれほど海の交通路が発達しなかった。その点大陸は砂漠があり草原があり長大な川が交通路となって商業が発達して商人的気質が養われやすかった。
結果としてそうした世界的交流がしやすいから大きな文明が作られた。外国の貿易が盛んになればどうしても共通の公平な法律で商売できなければならない、だから異民族間でも公平な法が互いの国で作られた。商業は世界的法律を作る基なのである。聖書で契約が中心になっているのは商業がすでに発達していたからである。バビロン辺りではすでに商業都市だったのである。そこではいくらでもそうした考古学的発掘がある。楔形文字からもいくらでも発掘されている。


●信長の時代が商業の時代になった


日本人が商業的なものに目覚めたのは信長が出た戦国時代からである。その時堺が栄えたことでもわかる。信長は商人的な気質をもっていた。商業を盛んにすることが国を栄えさせることとして政策でも楽市楽座とか実行した。それは秀吉に受け継がれた。戦国時代は日本が極めてグロ-バル化した時代だった。一時的でもスペインとかポルトガルとかとキリスト教を通じて交わり世界的な視野をもつようになった。これまでは京都を中心とした寺社勢力、寺院勢力が既得権者として権力をもっていた。それが戦国時代に変化した。つまり京都が権力の中心地だったときその周辺から新勢力が信長を中心にして生まれたのである。ここで僧侶集団の既得権者と争いが起こる原因であった。それをつぶすにはあれだけの戦争にまでなったのである。やはり歴史は地理的なものからまずみる必要がある。

京都の周辺の近江がなぜ次なる日本の中心地となったかわかる。京都には既得権勢力の僧侶集団にしめられている。新しい勢力はその周辺から起きる。近江商人が全国的にあれだけ活躍したのも京都の周辺にあって規制の勢力の僧侶的集団の束縛がなかったからだろう。会津の喜多方が商人の町として栄えたのも会津の北ということで武家の縛りがないところで自由な活動ができたためである。
歴史にはそういう地理的影響が必ずある。伊達政宗があれだけ世界的視野をもてたのはなぜか?
伊達政宗はほとんど地元にいない、大阪の伏見城の秀吉に仕えていた。その愛姫もそこに住んでいて仙台に住んでいなかった。とすればそこで日本のみならず世界の情報にじかにふれていたのである。辺鄙なみちのく一城主ではなかった。常に全国的に活動して世界に眼を向けていたのである。

地理からみるとなぜオランダがあれほど貿易で栄えたのか?それも地理的要因が大きい。ドイツという大国とライン川を通じて結ばれていた。イギリスとも結ばれスエ-デンとかノルウエ-とも結ばれ材木が入りとかニシン漁が盛んで売るもの前の海からとれていたとか地理に恵まれていたのである。
これは酒田とにていた。さらに恵まれていたのはもっと大きなイギリスとかスエ-デンとかノルウエ-と結ばれていたことである。オランダには地理的に富が蓄積する条件がまず調っていたのである。
その商人的文化が育まれて写実的なオランダの絵画が生まれた。オランダには音楽は発展せず写実的な絵画が発達したのも商人国家だったからである。ドイツは広大なゲルマンの森の国だから瞑想的な音楽が生まれた。絵画はもともと写真のように写実性を追求することが根底にあった。だから絵画がオランダには向いていたのである。オランダが宗教にこだわらず貿易の利だけを目指したのも商人国家だったためである。それで鎖国の日本にも長崎の出島を通じて受け入れられたのである。


●日本は侍と農民の国


日本という国の特徴は全体的には農業国家であり侍と農民の国だった。江戸時代三百年で侍的気質と農民的気質の国として作られた。ここにもう一つもの作りとして職人的気質の国として作られた。
商人的な貿易国として作られた国ではない、たいがい中国でも商人国家と言われるように商人的気質、文化が作られてきたが日本は島国として作られなかった。だから商人的割り切りが合理思想がともしいのかもしれない、何か日本はドイツとにている。ドイツも農民的であり森林の民であり神秘思想をもつようになった。日本は農民的なものとしてはドイツとにている。日本の支配階級だった侍は最も商人的なものと反対の極にある。農民もそうである。日本は大阪や近江商人のように一部をのぞいて商人的なものをはぐくまない、それは江戸時代の鎖国の三百年の中で気質的に歴史的アイディンティとして作られた。

大阪的な近江商人的なまず「じぇにだよ」という感覚にならない、銭を本能的に毛嫌いするのはそういう気質が江戸時代三百年で作られていたからである。特に東北は全く商人的気質がない、商業で栄えた時代もない、鎖国時代の侍と農民の社会の継続なのである。東北はだから未だに人間も一般的に閉鎖的であり開かれていない、進取の気質にも欠けている。商人向きではない、農民的なのである。農民から職人には向いているからもしれないが商人には向いていない、それは日本人全体の傾向としてある。近江商人の末裔のうよな人に旅で出会った。外国で実にねぎるのがうまいのである。自分もまねしたけどできなかった。そういうことは簡単にまねできないのである。
だから近江商人とか大阪商人の気質は歴史的に作られた気質だったのである。長年歴史的にそういう商人の世界が作り上げられた場所で育つからそこではそういう気質が生得のものとして作られていたのである。


戦争にしても何かヨ-ロッパのような貿易で利を得ればいいとかいう商人的融通性がなく何か合理的なものもない、犠牲ばかりふやした戦争はやはり商人的気質の欠如なのだろうか?農民的一途さがそうなったのか、兵隊はほとんど農民だったことにもよる。東北人は兵隊としては優秀だったというのはそういう面もあった。東北人は律儀であり融通性がないのだ。それはいい点でもあり悪い点にもなるただ戦線を無闇に拡大してただ無益な犠牲ばかりふやしたのは商人的気質の欠如からきていたかもしれない、もっと冷静に合理的に得か損かを考えたらあそこまで犠牲をふやしたりしないだろう。アジアの大義のためとか戦争にそういうものをもちこんだとき融通性がなくなる。適当な所で不利とみたら交渉も商談も中断するとかの判断ができなくなった。日本は神国だから負けないというのもカルト的宗教戦争にもなっていた。一億総玉砕などというものやはりカルトかかったものとして合理性を失った結果だった。これはドイツのナチスとにたところがあったのだ。

戦争はいかに戦死者を弔うにしても無駄な犠牲が余りにも多すぎた。英霊だとしてなぐさめても何か虚しいのである。農民的気質と侍的気質が合体して悪い方向に向かった。それがいい方に向かいばまた別なものとなっていた。だから日本人は魏志倭人伝に「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」というようにここから日本人の気質が形成されていたのでありそれが戦争にも影響したし歴史的アイディンティとして日本人を作ってきたのである。ドイツ人が森をアイディンティとしているとにているともなる。


●土星と水星(マ-キャリ-)


サターン(土星)はローマ神話の農耕神サトゥルヌスに由来。太陽から遠く運行が遅いことから年老いた神の名が付けられた。                               

(高齢の慎重な賢者)・(小さな事を積み重ねて大をなす)という点に優れています

水星(マーキュリー)は 流動性を示し、通信・交通、商売、旅行、兄弟に当てはまる


土星は鈍重な農民でありマ-キュリ-は商人であり旅人なのである。旅人はやはり商人と共通していたところがあった。商人は絶えず移動しているからである。江戸時代はまさに土星の時代だった。
それが明治維新以降はめまぐるしく交通が発達してマ-キュリ-の時代になったのである。
グロ-バル化時代だと世界が兄弟だというのもそうである。通信、交通の発達は余りにもめまぐるしいのである。水星のように回っている。そういう時代だから一方で土星のような農民的重厚な落ち着きも求めている時代である。

「最上川と羽州浜街道」という本がアマゾンで今日ついた。
最上川に興味をもったから注文したらついたのである。古本だから千円だった。今は何か書いて調べるときインタ-ネットではたりなくても本で調べられる。それも古本だと半額くらいになるから即座に集められるのである。本というのは何かを調べたり書くときその関連したものが必要になるのだ。それがアマゾンだと一発で即座に注文できて次の日には配達されるのである。本はいくらあってもたりない、あることに詳しい情報が常に必要になっているからだ。だから情報的には格段の進歩が生まれた。本の買い方もこのように変わった。だからそれに応じて変わらねば商売にならない、インタ-ネットでも情報のやりとりが高速ですさまじい量のものが流通しているのだ。だからもはや本という媒体自体が限界にきている。本だと金がかかりすぎるのだ。教育も変わらざるをえないものがある。

「左沢」について書いたがこの本でさらに詳しくなった。つまり「左沢」という地点についてより詳しく知りたい人がいる、それをどこで知るのかとなる。インタ-ネットでもより詳しい情報はでていない、それは今までに蓄積したものの中にある。自分でも今やそういう情報の編集者だから出版社と同じことをしているのだ。現代は新たな情報の編集の時代なのである。