2012年06月09日

前田、前畑が喪失して荒地化した南相馬市 (木蔭で安らげない)


前田、前畑が喪失して荒地化した南相馬市

(木蔭で安らげない)


maehatataat111.jpg

popiiii111.jpg
相馬市の農家

通りにはドイツアヤメや木蔭かな


大木の木蔭に休らふ前田かな


前畑に木蔭の道や農家かな


相馬市の路次に墓所や木蔭かな


カ-テン越しツツジの赤し喫茶店

tutuji2222222.jpg


昨日は天気が良かった。相馬市の方に行った。
ドイツアヤメが通りに咲いていたけどしゃれた店もない、木蔭に咲いていたのが気持ち良かった。
最近仮設の店ができてにぎわったけどやはり一軒一軒店があるのがいい、それは普通である。
そもそもこの辺は原町や相馬市はもともと市の雰囲気があったけど小高-鹿島はなかった。
店もたりないし家もたりない、最近鹿島区には家がふえた。壊された家も多いが津浪とか原発事故の関係で家が建てる人がふえた。十軒くらい新しい家が建った。家を建てる土地は企画化されて余っていた。今も余っている。やっぱりあと五千人ふえるくらいが町としては住みやすくなる。人口がふえないと便利なものができないのである。


農家の前は前田であり前畑になる。この苗字が多いのは当然である。前田、前畑が一番農家の生活に直結していたからだ。それが南相馬市ではなくなった、荒地化、草原化している。というとき実際は前田もない、前畑もない、としたら農家ではない、それはなんなんだとなる。農家に大きな木がありそこが木蔭となっている。それも前田とか前畑があってこそ安らぐものとなっている。ただ相馬市に入ると前と同じで普通なのである。前田、前畑がある。あそこは木蔭の道がつづき広い前畑があり
ポピ-が明るく咲いていて気持ちが良かった。相馬市は何ら変わらない、水田の景色となっているのた。

 

水田が消えた


とろとろと水は流れる
山から水は尽きず流れる
水は大地をうるおし
水は山に森に貯えられ
とろとろと流れる
山の神は春には
平地におりてくる
山から水が流れるように
農家は何代もつづき
前田があり木蔭が涼しい
そんな当たり前の風景が消えたとき
その流れる水がなつかしい
水は大地の血液だった
今大地に水が流れない
水は活きていない
それは山は森も生きない
みんな一つの命だから
水を通じて命がめぐっているから


やっぱり水がめぐっているとき日本の大地は生きていたのである。

イオンの喫茶店はいつも入っている。安く飲み物と食べ物がでる。喫茶店はやはり感じが大事である。椅子も大事なのだ。座り心地がよくないと気分が良くない、あそこは気分がいい場所である。
窓が広くカ-テン越しに赤いツツジが咲いていた。原町の六号線近辺に喫茶店がないので困る。
休む場所がないのである。


この辺は以前として異常な状態がつづいている。働かないということが人間の心に相当に影響するのではないか?補償はされているから食べるのに困るということはない、衣食住に困るということはない、でも働くことができないとなるとやはり人間的に荒廃してくるのではないか、毎日パチンコ通いで勤める場所パチンコ屋というのは異常である。金にならないから売れないから米を作らない、補償されているから仕事しなくてもいいとなったとき農民は農民でなくなる、ただの遊び人になってしまうのか?田畑を耕しているから農民でありそこに誇りも与えられていた。ただ補償されているから別に働くなくてもいいとなっても問題は解決していない、農家でなくてもこんなに田畑が草原化していること荒地化したのを見ていたら木蔭で休めない、安らぐ場と景色となっていないのだ。そんなこと当たり前だったけどその当たり前のことが喪失してしまっているのがこの辺なのである。



日々勤めあるこそよけれ


この家を残せしは姉なりき
その跡継ぎて勤めあるこそよけれ
先祖からの嗣業 ( しぎょう ) のあることこそよけれ
我が厨に立ちて五年
我は姉に尽くし母に尽くしぬ
人には何か尽くすべきものあれ
今日も終わり家にそ帰りぬ
何事のなけれど明日も勤めあり
健やかな体に勤めあるこそよけれ
その故郷をもちて我が田、我が畑、我が家や
力尽くして耕させし時よ
ああ 汝の才もて力尽くすべきかな
黄金の実りは秋にあるべし
その穂をとりて充たされし時よ
ときはぎの松は変わらず立ちて
秋の陽は雲を赤々と染めて沈みぬ
今勤めなき人の淋しも
食の与えられしも勤めなし
その用なき実りなき日の淋しも
人は日々勤めて力わくこそよけれ
今日も勤めて明日も勤めて大地と共にあらむ
その日々は充実して実りありにしを・・・


農業とは最も古い天職だった。天職とは天から与えられるものであるから尊い、職業は人間のみが作り出すものではない、また作り出せないのである。なぜなら天地を造ったのは神であり天地なくして農業も成り立たない、農民には何かそういう意識が欠けていた。農業では食べていけないとか農業は金にならないとかそういう不満ばかりが言われてきた。その結果として原発を安易に導入した。
漁民も同じである。金にならない、金にならない、すべてがそうなってしまった。ここで働いていくらになるんだ、これだけがやっていられないよ・・・遂に犯罪者に平気でなる。働かないで盗んだ方がいいんだよと実際にそうでなくても心の中ではそうなっている。それほど働くものの倫理が喪失してしまったのである。農民には天地の中で働く大きな意義があった。働くこと自体だけを考慮すれば大きな意義があった。だから今本当に働かないで生活できても働きたいなと純粋にただ働きたいと思っている人が仮設に入っているような人に多いかもしれない、昼間から酒飲んでパチンコ屋通いで心が充たされるのかとなる。


奇妙だけど今ほど自分ほど働いていることはない、結果的に茶の湯だと言っていたが抹茶を飲む余裕がなくなった。それほど忙しいのである。三食の用意から家事を全部一人でやっているから大変なのである。茶の湯の暇人しかできないことがわかった。ただ心を落ち着かせるために茶の湯は必要だった。でもそういう暇がないのである。つまり実際に食事のために茶を入れる方に時間がとられるからそうなる。それでもプログでもこれだけ書いて出している。だから毎日が仕事に追われているのである。ともかく田舎では親の仕事を受け継ぐ人が多かった。それが都会と違っていいことだったのである。受け継ぐ家があり田畑がありそれを耕す、そういうことをくりかえされてきたのが田舎だったのである。それが失われたとき生きがいも何もなくなり荒廃してしまう。農民でもやはり自分の仕事がどういうものか深く考えていなかった。ただ金にならない金にならないという不満しかなくそれが原発を導入する結果になった。これはここだけの問題ではない、現代の時代の問題だったのである。

抽象画の不思議 (この抽象画にどんな名前をつけますか?)


抽象画の不思議

(この抽象画にどんな名前をつけますか?)

sssfaia2222222222.jpg


abstractbotan.jpg

抽象画は何なのか?自分も抽象画をパソコンのソフトで描けたから考えるようになった。
自分にも絵が描けるのという不思議があった。

例えばこの二つの抽象画にタイトルをつけるとしたらどんな題をつけるのか?
これは他でも題がついているけどその題と関係がよくわからないんだよな
他人の抽象画ってわかりにくいんだよ

ということは自分の抽象画も他人からみればこれはなんだと思っているかもしれない
でも全然認められていないわけではない、芸術として認めている人もいた
抽象画って他人が認めること自体、あんまりないように思う
どこが優れているのかわかりにくいから

 


上のは題をつけるとしたらサファイアとエメラルドしかない
ちなみにこれは「抽象画ってどう」というの中の抽象画が原画になっている
でももう元がわからないからこれは著作権違反にならないよ
まるで違ってものになってしまっている

下はこれ何?となるけどどういうタイトルをつけるんだとなる
これは牡丹を万華鏡で加工したら偶然こうなったんだよ
必ず万華鏡にしている、それが抽象画を作る基礎である
でも最初からこれが牡丹を加工したものには見えない


抽象画ってどう
http://yamaguchimomori.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/index.html