2012年05月31日

夢みたものは……立原道造の詩より (飯館村を想いて・・)

 

夢みたものは……立原道造の詩より

(飯館村を想いて・・)
 


夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
立原道造


幸福は失われ 愛も失われ 散り散りに
村はもうなく 村人は帰ってこない
いつしか森におおわれるのか 鳥は住んでいる
石は残っている、村人の帰るのを待って


しかしいつの日になるのだろう 村人が帰るのは
森におおわれ 村人の記憶もうすれるや
村で暮らしていた日々が 脳裏に鮮やかに蘇る
牛と暮らしていた日々が なつかしく蘇る


森はさらに鬱蒼として 風にさやぎ鎮まる
人の住まない村で 森は生きつづける
森はここに棲んだ 村人のことを忘れる
森は太古の 静寂の日にもどる


されど村に暮らした日 それは長い
人の思いは たやすくは消えないだろう
森の中の石に わたしは座っていた
いつまでも村の人も その石に座りたかった


忘れな草や 忘れずの石やそこにあれ
先祖代々の村人よ またここに暮らさむ
汝らの土地こそ その森と地なれ
汝らの眠る場所 汝らの奥津城


深々と呼吸せし 踏みしめし土地
森に風はそよぎ鳴り 鳥も鳴きぬ
一本の道の辺の樹 夕日さし暮る
村人を待ちてそ 淋しく立ちぬれ


夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある


わたしは山なみのこちらに 久しく住むもの
そして山なみのあちらの 村を思いしもの
山の隔たつも かしこに深き思いあるもの
一つの幸福 一つの愛 村にもどるべしかな


飯館村は相馬藩の山中郷だから相馬藩であり江戸時代は野馬追いにもでていた。浜通りの方から郷士が移り住んだ。境目付が多いから伊達藩の境として防御のために移り住んだ経緯がある。葛尾(かつろう)村も相馬藩内であった。馬の飼料の草など供給していたし炭も作っていた。葛尾(かつろう)村で草鞋を作り野馬追いのためにも作った。草鞋は現金収入にもなった。ともかく草鞋は靴と同じであったから貴重だった。草鞋はいたみやすいからいくつもの草鞋をもって旅をした。草鞋の需要が大きかった。


飯館村の状況として今でも寒い所であり最近でも米がとれないときがあった。高原の寒冷地帯だから飢饉の時があった。だから飢饉の碑が今でも残っている。そういう農業には悪条件でも人は住んだ。山林とかの資源があり炭焼きをしていたときは豊かなにる人もでてきた。江戸時代は塩の道の中継地点として相馬藩の役所があり六十人くらい勤めていた。それだけ塩の道の中継点として重要な地域だった。そこから山木屋を通り二本松まで運んだ歴史の道があった。

最近では牛の村となっていた。でも牛は一頭百万とかで東電が買い上げとかもう飯館村で牛を飼ったり農業をつづけることはむずかしいのかもしれない、もともと条件が悪いし高齢化の問題もある。

ただ最近外部から農業をしたいという人が移り住んでいた。環境がいいのでそこで暮らしたいという若い人があり若い人が環境のいいところで子育てしたいということかあった。若い人が愛着をもっていたという。「飯館村は負けない-岩波新書」を読んで知った。時代的には必ずしもすべて都会志向というのではない、若い人でも田舎志向になっている時代でもあった。時代の要望は変わる。
老人だけの限界集落は金がかかるだけだら効率悪いから廃棄すべきだという都会の人の一方的な意見はどうかなとも思う。時代が変わり見直されるときが来るとそういう村がなくなることは大損失だったともなる。

六千人も住んでいた村がなくなるということは今まであったのか?それがどういうことなのかイメ-ジしにくいしそこに住んでいる人たちも未だにどうしていいのかとまどっている。飯館村だけではない、避難区域になった市町村がそうである。将来を描けないから浪江町でも六十二歳のス-パ-経営の人が一時帰宅で絶望して自殺した。田舎と都会の違いは、土地への家への愛着があることなのだ。

代々住んだ人もいるし例え二代住んでいても人はその家とか土地に愛着をもつ、特に農家の人は代々土地を受け継いできた。その土地を開墾したり苦労して育ててきた。それが失われることが辛いのである。人間はやはり何であれそこに長く住むと愛着が生まれてくる。家でも女性が嫁いだ家に長くなると愛着がでてくる。だから女に家が嫁だということをつくづく感じる。病気で寝ていてもちょっとだけまだ台所で食器を洗ったりしている。そのまな板も古くなっている。すでに嫁いだ家に六十年とかたっているのだ。そして未だに嫁いだ家で勤めている。家でも一代だってそうだし村が作られた時間は長いし長い時間中でしか信頼と共同は作られない。そこが都会と田舎の根本的な違いなのだ。

村がなくなるということは住んでいた人だけではなくよそに嫁いだ人も帰る実家がないとか田舎がなくなったということでなげているのもわかる。ただ自然は以前と同じ様に変わらず美しいといっていた人がいた。山菜取りなどはできないにしろ自然は前と変わりない美しさを保っているのである。

木が枯れたり花が咲かなくなったりはしていないのである。だから一見見たとき何も変わらないじゃないかと見てしまうのである。

たまたま読んだ立原道造の詩が何か今の状況とびったりしていた。山脈の向こう側に飯館村がある。まさにこの詩とひったりなのである。何か現実的に商売とかでかかわらないにしろ飯館村にはしょっちゅう行っていた。精神的には深い結びつきを感じる村だったのである。前は栃窪から大倉村の坂を越えた所にあの広い道はなかった。あそこに小川が流れ道もなく森になっていたのである。だから余計原始的な状態だった。あそこに道を作ったことでその原始の自然は失われた。そしてまた今や人が住まないとなると原初の状態にもどるのか?しかしそうはならない、人間が一旦住んだ所は人間化した自然なのである。石も樹も人間化する。あそこにあった石に座ったことがあった。その石はないにしろそれは一度人間が自然にかかわったら人間化したものとなる。人間化したものとして語られつづけるのだ。だから百年後であれいつか人はもどってくる。一旦人が住んだらそこが原野になったり元の自然には還られない、そう見えてもやはり人間的なものがつきまとってゆく、人間化したものとして語られつづけるのである。


夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある


今村民が思っているのはこのことではないか?村が一つにもどる幸福、一つの愛で結ばれる村、それは今や夢みているもとなっている不思議である。人間は何か必ず喪失する、愛する人との死別もあり喪失する、でも村自体がなくなるということはイメ-ジすらできなかった。今ねがっているものはまさに今まであった村がもどることなのである。

posted by 老鶯 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村