2012年05月28日

藤の花に今日は雷雨(継母のこと)


藤の花に今日は雷雨(継母のこと)




藤咲きて今日は轟く雷の音仮設に一年暮らす人かな

白藤の咲きにし下に静かなる白きあやめや雨しととふる


今にして情あればよかりしに継母眠る悲しかりけり


継母とて優しくあれば母なりき亡きにし人は何もなしえじ



昨日はいい天気だったけど今日はまた雷雨だった。仮設暮らしももう一年になっている。
藤の花というとき何か穏やかなかんじするけどその藤の花にも雷が鳴る。
仮設暮らしは落ち着かないだろう。やはり大きな家に住んでいた人がいるから大きな家がいい、自分の家は昔風で八畳間があり広い廊下がありゆったりしている。姉が死んで二階は一人だから悠々している。家はやはり大事なんだよ、家にはいろいろな思い出がつまっているんだよ、姉が死んでも何が残したかというとこの家なんだよ、この家も実際は自分は十分に住んでいなかった。一番広い八畳間がこの家の中心だったのだ。人間の思い出は家と共にあることが多い、その家から離されることは特に老人には辛いものとなるんだよ、警戒区域の浪江の人が自殺した。ス-パ-を経営していた六十二歳の人だった、この年齢がかなり影響している。若い人はまだ自殺していない、老人はその土地と一体化してくるから故郷であれ家から離れることが辛いんだよ・・・・



最近になって継母が食料品を送ってきたり、妙に親切にしてくる。
私はもう恨んではいないけど、やっぱり差別や意地悪をされた事は忘れる事ができない


許せる日がくれば、どんなに楽かとも思いますが、

ふとした瞬間に、つい先日のように思い出してしまい心が痛む事がまだあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411608014


継母のことだけどその話を聞かされているからずいぶんひどいことしたのだなと思ってその話しが忘れられない、聞いただけでも忘れられないのだ。なぜもっとやさしくしなかったのだろうと墓参りするとき間接的関係でしかないのに思う。「本当の母親だったらそんなことをしないのにな・・・」
子供のときひどくいじめられたのである。その女性は性格がきつい人だったのである。今だからそのことを語れる。その人はあとで老人ホ-ムに入り目が見えなくなった。それでいじめた母を呼んで母が世話しにいった。そして最期に死ぬとき(すまないな・・」と言って死んだのである。
やはりいじめたことが心に残っていたんだろうな・・・・やっぱり優しくしない人は死ぬとき反省するんだよ・・・でも死んでしまいばもうやさしくできないんだよ・・・なぜもっとやさしくできなかったのかと思う・・・人間はつくづく愛がない、愛されない人が多い、それは肉親でも同じである。その愛されないということが人間を歪めることになる。人間の問題はもうすでに子供の頃からはじまっている。愛されない人は犯罪者になりやすいしまともに育ちにくいということがある。

継母というのは昔から一つの人間のテ-マだから話しが伝説も残っている。普遍的人間のテ-マである。人間はいじめられたことは簡単には忘れられないよ、特に子供のときだったらそうだよな・・・

でもそういうことは他でも結構今でもある、継母ということで劣等感もっている人もいる。でもやさしくすれば別に関係ないんだよ、何かそのことが悲しい、死んだらもうやさしくできないしいじめられたことも心に傷として残る。だから心から手をあわせるということもしにくい、なぜやさしくしてあげられなかったのか・・・死んだ人に対して思う、死んだからといって人間はすべて終わるわけじゃない、こうしてその人のしたことが他者に影響して残ってゆくんだよ、だから女性でも何か子供でも愛さない人はのちのち犯罪者を作ってゆくということがある、愛されないということが恨みとなり心がゆがんでいる人たちが多いのである。犯罪者はいろいろあっても愛されるということがない人が多いだろう。ということはその親や回りの人の責任があるとなる。人間はいくら豊になってもそういうことが変わらない、貧乏でも愛情をそそげるしそういうふうに育っている人をみている。
今にして思うとその人は一応ばあちゃんになる人だった。自分はその人のことをほとんど思ったことがなかった。ただそういう話を聞いているからその女性のことをこんなふうに思い墓参りしているのである。


人間は死んで終わりではない、墓参りすれば必ずそこに眠っている人を思う、その人のしたことを思う、その人がどういう人だったか思う、でも死んだ人はもう何もできないんだよ、だから死んだ時点から人生を考えるというのもいいことなんだよ、死んだらもう何もできなくなる、愛することも優しくすることもできくなるんだよ、後悔してももうどうにもならない、何もできなくなるんだよ・・

私はもう恨んではいないけど、やっぱり差別や意地悪をされた事は忘れる事ができない


許せる日がくれば、どんなに楽かとも思いますが、

ふとした瞬間に、つい先日のように思い出してしまい心が痛む事がまだあります。


こうしてここでは生きているひとだけどいづれ死んでもその傷は残る、心痛むことはつづくのだからそういうふうに人間はつくづく罪深いものだと思うのである。罪はその人一人で終わるわけではない、そうしたことは他者に影響しつづけるんだよ・・・・