2012年05月09日

広い畑と塔がある仮設住宅 (新しい街作りが望まれている)


広い畑と塔がある仮設住宅

(新しい街作りが望まれている)

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グル-プホ-ム

鹿島の中学校のすぐ近くの仮設住宅の横の畑は広い、一面に花が咲いていたから気持ちいい。
野菜も栽培しているしハウスもある。あれだけの用地が確保できるところはそれほどないだろう。
あそこはもともと空き地のようになっていたから使いやすかったのである。
他では用地確保に困っている。三陸の方ではそもそも平地がないからこれだけの用地を確保することはむずかしい。農家の人だけでなく野菜作りとか楽しんでいる。小さい畑だとできる。
仮設は庭がないから癒しがない。ただあそこは脇に水無し川でも雨が降って流れているし
環境はいいところでてある。田舎はそれなりに環境はいい。


同じ地域の仮設住宅に塔を建てた。万葉の塔と名づけられた。これもアイディアだったのか、曲線にしたところが建築的に優れているのだろう。色もつけたところがいい。
南相馬市として合併したから小高-原町-鹿島の統一的シンボルにもなる。
鹿島区では万葉がシンボルになったけど南相馬市が合併して全体のシンボルになるようなものは作っていない。仮設がなくなっても南相馬市に合併のシンボルとしての塔を建てるのにいい。
それは建てるにしても中心地の原町区に建てることになる。

南相馬市といって合併して日が浅いからまだなじんでいないのだ。

ただ国見山から南相馬市がきっちり視界に入るからまさに南相馬市は地理的一体感があった。
国見山は原町市だけではない、南相馬市の国見山だったのである。
相馬市までは国見山か視界にはいりにくい、南相馬市はぴったり視界に入る。


新地はここも鹿狼山があり海が近く平地が少ない、地形的に相馬市とは違っているから地形的に別になっている。手長明神の伝説があり貝塚があり貝をとって暮らしていたと巨人伝説がある。
鹿狼山は海に近い、その山の麓から海が近くに見える。その海岸の釣師浜が津浪で壊滅した。
もともとあそこも海が深く入り込んでいた。貝塚のある所辺りまではいりこんでいた。その湾のようなところで貝をとって縄文人が暮らしていたのである。

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新緑や海の青さに新地かな


こういう俳句もできる。海の青さが山に映える。国見山は海の青さは見えないのである。
南相馬市でも相馬市でも新地でも飯館村でも地形の相違があり結果的に合併したのは南相馬市だった。地形は地理はあらゆる所に影響する。旅ばかりしていたからこの地形に地理に一番興味を持ったのである。近くでもこの地理がわからないと郷土のこともわかりにくいのである。


浜通りは海があるということが最大の魅力だった。中通りと会津には海がない、これが最大の相違だったのである。その海側が津浪で甚大な被害にあったのだ。海があるとないでは魚がとれるとれないというより精神的に影響が大きいのである。万葉集は奈良を中心としているから山によってたつ思想になる。これは会津などではそうなる。ただ阿武隈高原があるから山がここにもあるが高い山はない。万葉集は日本が海に囲まれていても山によってたつものが万葉集だった。山を神として祭ったことでもわかる。ただ天の香具山などは余りにも低い山だった。それが国見山になった。飛鳥にしてもあまりにも小さい国だったとなる。

ともかくこの辺の変わりようははげしい。この際外部の力を利用して新たな街作りを考えるのもいい。
相馬市では長屋風共同住宅をアメリカの会社の援助で建てた。
あれはいいものだと思った。
海岸地域はすでに人が住めないようになっているから何か新しいものが必要になったのである。
それが今の内なら援助があるからできる。
だんだん援助が途絶えるとできなくなる。
小高で帰れないとか言う人もでている。
高齢者でそう言う人がいる。
となると相馬市のような長屋風共同住宅を計画するのもいいかもしれない
除染するよりこういうほうに使った方がいい。
グル-プホ-ムも仮設住宅内に作っていた。
新しい街作りが強いられているし逆にそれができるチャンスでもある

 
 
posted by 老鶯 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

忘れな草(栄える家と栄えない家はなぜ?)


忘れな草(栄える家と栄えない家はなぜ?)


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春の陽光をあびて開いた花



虫一つささやき去りぬ二輪草


争いの我が家にやんで二輪草


とりどりの花を我が買いぬ春の日に

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春の日や忘れな草に霞草


沈丁花匂いの濃くも流れけり蜂数匹の庭にとどまる


忘れな草今年もここに忘れずに咲きしやそえて桜草の咲く


忘れな草忘れず咲きて苧環もここに咲きにつ静まりけるかも


七輪の牡丹や二輪増え咲きて我が家の栄受け継ぐべしかな

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虫一つが二輪草にささやくようして束の間飛んで去っていった。蜂が何匹かやってきた。沈丁花の匂いが流れていた。次に忘れな草が咲き桜草を植えた。赤い霞草をめずらしいから買った。その後牡丹が咲いた。今まで一番多くて五輪しか咲かなかった。七輪も咲いたということは今までにない、なんか縁起がいいのかとも思った。姉が死んで牡丹が一段と鮮やかに咲いている。次に忘れな草を笠のようにおおい苧環の花がひっそりと咲いた。スノ-フレイクもうなだれるように小さな袋を垂れて咲く。この庭は土が悪いからなかなか花を植えて枯れるのが多い。でも今年も忘れな草は咲き苧環の花は咲いた。忘れな草は名前がいいのだ。名前は意外と体は名を現すとか影響するのだ。名前からイメ-ジすることがある。地名はだから意外と影響する。百伝つ磐余の池・・・これは地名が荘厳なものをイメ-ジさせている。古殿の越代(こしだい)の桜今盛り・・・と自分が短歌にしたときこの地名は重厚であり荘重な歌になったと思った。地名が縁起悪いとして好字に変えたりしたのはそのためである。

家にはそれぞれ事情がある歴史がある。それが外から見てわかりにくい、自分の家のことを知る人はいない、あまりにも複雑だった。
姉が父親のような役割を果たして家を支えたから姉が主役の家だったともなる。だから死んだあとでも牡丹が姉のように咲いている。死んでもやはり人間はあとあとまで影響する。放蕩して家をつぶす人もいる。そうなるとその人のことは家族でも良く思わない、その人自体を偲ぶということもないかもしれない、いつまでも家で偲ばれる人はその家にとって大きな役割を果たした人だとなる。

これは郷土の歴史でも国の歴史でもそうである。あとあとまで偲ばれる人は大きな役割を果たし人だとなる。しかしその後家が栄えるかどうかは栄えた家でも跡継ぎ悪いと衰退してしまう。それで大阪辺りの大きな商家では跡継ぎを実の子ではなく養子にしていることがかなりある。それは家をつぶさないためなのである。これも家を栄えさせるための知恵だった。ただどうして栄える家と栄えない家があるのか、不運な家というのはある。その原因は一様ではない、なぜ障害児とかが生まれかかえる家は大変な不運を一生背負うから気の毒である。そうした不運な家ではカルト宗教団体に入りやすい。だからといって良くはならない。かえって悪くなる場合が多い、なぜか一票を得るためにその団体の勢力拡大のために利用されるだけだからだ。そもそもきそういう団体の目的全く同情なんかしていないのである。勢力拡大の道具にされるだけなのである。ただそういう人は何でも悪魔でもいいから相手にされるからいいとなる。その他ふしだらいいかげんで怠け者でもなんでもそういうカルト団体では受け入れる。その人自身の責任は問わないのである。団体でも一票になればいいのだから誰でもいいのである。だからたいがい入っても何ら改善しないのである。


いづれにしろ家には人には栄枯盛衰はつきものである。いつまでも栄える家や人もいないし国もないのである。その家が栄える国が栄えるというとき何か原因があることも確かである。ただ数学のように一般化はできない、でもある本では家系を数多くみていたら嫁がその家に嫁いできてその家に満足しないような家は衰退するというのは本当だろう。財産でも嫁がしっかりしないと残らないだろう。財産とかは離婚したような人は残りにくい、夫婦共同で協力して働いていれば財産も残りやすい。それだけではない、協力しない家は争いばかりある家はなかなか財産は残りにくいだろう。これはすべてにはあてはまらないけど一般的にはそうである。三人に一人が離婚している時代である。それが老後になるとき淋しい悲惨なものになる。離婚したあとのことをよくよく考えないからそうなる。人のことは言えないけど離婚した人はやはり何か問題があり金は残らない、淋しい老後になってしまう。つくづく嫁は女に家であり家と一体化するのが女性だった。男性は外で仕事と一体化するが女性はもともと家と一体化して存在したのである。


家の不思議ははんばボケて寝ているだけでも家にいると病院にいるのとは違っている。これは不思議である。病院ではただ一方的に世話される介護される人でありある意味でやっかいな人となる。
家にいると家にいるだけでその人は家と共に価値あるものとなる。家と一体化して存在意義をもつのである。だから家でしにたいというとき人間は病院ではただ個としてもう必要のないものとしてもう手をかけるものがやっかいなものとしてかたづけられる。死体でもすぐに邪魔だからかたづけてくださいとなる。次がひかえてますからとかなる。一つのモノのように扱われる。家にいると寝ているだけでも家と共に価値をもつ。すでに60年とかいるのだからその時間と共に家が価値をもっているのだ。農家だったりしたら土地と一体化しているからさらに別な価値をもっている。土地は深くかかわっていて家自体が土地と一体化しているのだ。だから家から離れてアパ=トとか仮設住宅に住んでるとそういう存在価値から切り離される。嫁はまさに女に家であり女性は特に家と一体化したものとなっているのだ。だから女性にとって家に存在意義を見いだしているから家から離れると存在価値を見いだせなくなる。とにかく何もせずはんばぼけていても家にいるだけで価値を帯びていることに気づいた。病院だったらただ世話されるだけのやっかいなものなのである。ただ世話するのも大変だから施設にあづける人がふえたのである。