2012年05月21日

放射能汚染(ホットスポットの恐怖)


放射能汚染(ホットスポットの恐怖)

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佐須の峠
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27・8は高い



放射線量はおおよそは距離に比例していた。相馬市は40キロ離れているからやはり南相馬市よりは放射線量が低かった。街中はほぼ同じで0・5くらいだった。かえって南相馬市の海側よりは高い。
でも南相馬市と相馬市の相違は山上から玉野へ上った所、落合などは道側で1とか草むら1・5くらいだった。丸森に入っても思った以上低かった。1から2だった。山の中でこんなに低いのかと思った。ただ玉野はやはり高い。道側で1・5であり草むらで4・6とかであった。霊山の方、伊達市に入ってもこのくらいだろう。伊達市で霊山付近でも子供をもっている人は避難しているという。


霊山から行合道の峠道では道で3・1で草むらで5・7だった。側溝で6・8だった。木が切り出されていて計ったら2・4だった。驚いたのは佐須の店のあるところから少し離れた草むらで27マイクロシ-ベルあったことである。これは二回計ったから計器のせいではない、まちがいなく27が出たことに驚いた。そこは側溝でもない、普通の道の草むらだったのである。前は田んぼになっていたところである。どうしてそこがそれだけ高くなったのかわからない、少し舗装の道から下り坂にはなっていた。

水が流れ泥となって放射性物質がそこにたまったのだろうか?そういうホットスポットが放射性物質にはある。八木沢の麓の地蔵木とか大芦は意外と高いので危険視された。側溝で20マイクロシ-ベルトあったから驚いた。放射性物質にはたまりやすいところがありホットスポットができる。
そこは除染しないとまずいと思った。放射線量は一様ではない、ホットスポットができる。街中でも樋の下はこの辺でも10マイクロシ-ベルトあった。泥とともにセシウムが流れてたまった。

27マイクロシ-ベルトになると怖いと感じる。飯館村にはそういうホットスポットが探せばあるのだろう。

相馬市では普通に田植えしているのは上流の宇多川の源などがそれほど汚染されていない、真野川は飯館村から泥となってセシウムが真野ダムにたまっている。そこから攪乱してセシウムが流れてくる。水も汚染されないとも限らない、だから田畑を耕作禁止にしたことがうなづける。東京でも利根川の水源が汚染されている警告されている。利根川の水源の山に放射性物質がふった。水の汚染は毎日飲むものだから怖いとなる。

山形県の方は水が汚染されていないから外国でも輸入してはならない県に入っていないのだ。山形県の山は汚染されていないから水が安全なのである。かえって栃木県などは外国でも輸入を禁止していた。水道の水をとる山が放射性物質に汚染されることが深刻なのである。毎日飲んでいれば微量でも知らず知らずのうちに体内被曝する。それで東京に警告がだした本をでたのである。


除染するにも山全体とか森全体は除染できない、するとそこから流れてくる泥まじりの水はセシウムの汚染をとりのぞくことができない、水が
汚染されることが一番怖いとなる。水の汚染が解消しない限り耕作もできないとなる。
土壌も南相馬市はやはりかなり汚染されている。すると土を除染したりするのは完全にはできない、そしたらいつ耕作できるのかとなる。

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2012年05月22日

緑の領域(抽象画)-green abstract

 

緑の領域(抽象画)-green abstract

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原画

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緑の波紋


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三重の葉に包まれて咲く花


パソコンの抽象画は最初に一枚の原画を作る。それを加工してゆくのが順序である。
それがどういうふうになるのか作者にもわからないというのがこの世界である。
こんな変化したのかとか作者自体が驚いている世界なのである。
ア-ト(技術)が先にありそれについで創作の世界があるのだ。
芸術はそもそもそうした絵の具とかが発明されなかったら生まれなかった。
絵の具をいじっているとき芸術が生まれたのである。
絵の具をこねまわしていてもそれで芸術が発見されたのであり
まずア-トとなる技術がなければ生まれなかったのである。
だからパソコンの抽象画そうした加工によって無限の変化を与えるものである。
ただどうしても第二芸術第三芸術であることは確かである。
これは能力がなくともできる、これは何となくいいんじゃないかとその人の感性で判断するからだ

緑の領域というと飯館村などがそうだった。あそこは本当に緑が美しい、緑に囲まれた世界だった
それが放射能の森になったことが考えられない、別に森が枯れたわけではないから
緑の森であることはあるが前のようにはいかないのが残念である。

2012年05月23日

北九州市民が全部が石巻市の瓦礫受け入れに反対ではない (マスコミ報道により扇動される錯覚に注意)


北九州市民が全部が石巻市の瓦礫受け入れに反対ではない

(マスコミ報道により扇動される錯覚に注意)

 東日本大震災で発生したがれきの受け入れ問題で、北九州市は22日午前、試験焼却する宮城県石巻市のがれき約80トンを北九州市小倉北区の市の倉庫に搬入しようとした。しかし、反対派の人々がトラックの前に立ちはだかり、搬入を阻止する状況が続いている。

この報道でも何か北九州市全体が瓦礫の受け入れに反対しているように見える。すると東北の人は何でそんなにみんな反対するのと反感をもつ、狭い了見の人が多いなとか思ってしまう。でも実際は反対しているのはほんの一部であり全体で賛成したから議会で議決した。つまりほとんどの北九州市民は反対していない、ところがこうした過激な行動をすると北九州市民の全体が反対していると思ってしまう。ここに常に報道の錯覚がある。報道はマスコミは何か過激なことをねらって報道する、平穏無事なことは報道しても関心をもたないからだ。だから犯罪は毎日のように報道する、それ自体がさほど重要でなくてもみんなが関心をもつから報道する。でも重大な事件でもない、かえって重大なことは見逃されやすい、イスラムのテロでもイスラム教の大半はテロとは関係ないと何度も言っていたけどそのテロにひきずられてアメリカはイラクを攻撃した。別に危険な武器をもっていたわけではなかった。アメリカ市民が今になるとなぜそうなったかわからないという。


つまり一部の過激な行動をしたものが目立ってそれがイスラム教の人が全員がテロをするのだと錯覚するようになる。となるとテロする方もそういうことを目論んでいる。テロをしてアメリカを激怒させ戦争にもちこむことがテロリストの狙いだったとなる。それが成功したとなる。
陰謀史論になると9・11のビルのテロはアメリカのロスチャイルドとかユダヤ人によって仕組まれて起こされたとしきりに言う。その目的がイラクなどを叩き石油利権を手に入れるためだとかなるからだ。確かに得した人はそういう人たちだったかもしれない、結果から見ればそうなるからそうした
陰謀史論から解析されるの一理あることになる。あのテロには何か謎が多すぎることもあったのだ。ビンラデンはアメリカの手先であったとかいうのもそのためだろう。それも今になれば不可解な闇の中になったのである。

このことと同じことが北九州の瓦礫問題で起きている。ええ、なぜ北九州市民がこんなに反対するんだ、石巻でありたいして放射能などないんじゃないか、なのに-なぜなんだとなる。自分も怒りを覚えた。その怒りは実はその一部の過激的な行動する人々の扇動のためだったのである。報道にはそういうことがある。マスコミで報道されただけでそれがクロ-ズアップされさも重大でありすべての人が反対していると錯覚させるのである。それは中核派とかがまぎりいれ扇動しているんだという人もいる。それはイスラムのテロとにているのだ。ほんの一部の人でも行動が過激だからそれに引きつられてしまうのである。報道はテレビではそうした過激なセンセ-ショナルなものを報道の第一にしやすい、すると瞬間的にそのセンセ-ショナルな映像がすりこまれて感情的になってしまうのである。何だ北九州のやつら、そんなやつらばかりだったのかとか、、、でも実際は大部分の人は反対している人を知らないという。


一方で原発反対のデモのときテレビで報道されないこともあった。これまで原発反対デモなどなかった。あったとしても報道すらされなかったろう。そうなるとかえってよほど過激な行動をしないととりあげられない、抹殺されてしまう。そういう重大なことであってもまた抹殺される報道されないことが多々ある。何か重要なのか優先順位はマスコミで決める、テレビ局が決める、新聞社が決めるとなるからだ。スカイツリ-など地方では関心がない、そんなこと逐一報道しているのはおかしいとなる。でも東京中心の報道ではそうなる。東京中心に報道も政治も経済も組み立てられているとき地方のことはなおざりにされる。だから原発を東京に作っていたら事故など起きなかったかもしれない、逐一報道せざるを得ないし結局、反対が激しくなるからとても作れないというこたとはあった。
フクシマに作った結果、東京の人は無関心になったともいえる。報道力はやはりどれだけの人がみているかということで決まる場合がある。何か報道するのにもその数が少なければ影響力がないのである。プログなどもそうである。読む人の数で影響力が決まる。自分のプログは原発事故以後増えたのでそれなりに読まれているという実感はある。ただ大衆向きでないからあまり読まれない。
読まれるためには大衆向きにする必要がある・・・となるとこれはマスコミの報道と同じになる。


結局人間は民主主義などと言っても民衆が賢くならない限り機能しない、情報にしても結果的には原発事故でわかったように権力によって操作されていたのである。その権力が見えなかった、隠されていた。今でも情報は操作されている。マスコミだとテレビ局とか新聞社と大手の出版社をおさえれば情報を操作できた。創価なんかは今もしているしカルト教団は資金力で悪い情報を流さないようにできる。それが検察とか官僚とかも一体となっているのだ。それが原発事故を起こした原因でもあった。原発事故の前はマスコミはすべて何の疑問もさしはさまなかった。報道すらされないのが現実だった。東電の会長がマスコミの有力者を中国に招待しているとき事故が起きたのである。
朝日新聞社すら原発推進だったのである。それは戦争のときと同じだった。情報は巨大な権力によって操作されている。現代は露骨にこいつが悪者だなどとわからない、ただ権力に執着して権力を得たいために運動しているから結局ロシアでも中国でも革命は特権階級を生み出して終わったという皮肉がある。そもそも権力を得たいために起こした革命だから権力をとったら今度は逆に中国でも巨万の富を手中にして

貧民のことなどかまわないとなってしまう。明治維新にしても何の目的だったのか?
誰が得したのかとなれば権力をもった人が得した。それは薩摩長州閥であり奇兵隊からのしあがった人たちが権力を手中にして悪政になったという。それから寄生地主が得したから明治維新を推進人たちはそういう権力を得た人たちだったという新説もでてきている。下級武士でも武士階級がなくなったら損したのである。革命という名のもとに権力闘争であり権力をもちたいという欲望の方が強いから結果的にそういう人たちが権力をもったらまた同じ結果になったのである。


日本国民の分裂を策動する環境テロリストに鉄槌を!


                    http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2012/05/post-45f0.html

市役所に勤めていた人だから説得力ある


東日本大震災のがれき搬入をめぐり、警戒に当たっていた警察官に暴行を加えたなどとして、福岡県警小倉北署は22日、公務執行妨害容疑で、自称熊本県荒尾市の飲食店従業員の男(25)ら2人を現行犯逮捕した


イスラムのテロリストも外部の外国人だった

感情的なメデアのテレビの危険

テレビは人間を感情的にする
イスラム教はテロリストだ
この際、イラクは目の上のたんこぶだったから
ぶっつぶせ

日本人(小日本)には戦争で同胞が大量に殺された
日本人を憎め、巨利を得る共産党幹部より日本人を憎め


テレビの映像は何か瞬間的に感情的にする
憎悪の感情をかきたてるメデアである


冷静を失うので注意が必要

posted by 老鶯 at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年05月24日

読めない読まれない詩の問題 (生きている樹の詩-自作から)


読めない読まれない詩の問題

(生きている樹の詩-自作から)


生きている樹の詩



樹のように偽りなき真を生きる
その芯は固く梢は鋭く天をさす
枝々はしなやかに伸びて鳥がとまる
新緑の若葉が風にそよぎ鳴り
かなたに残雪の嶺が高々と光る
誇らしく堂々と迫ってくる
峠を越え木蔭の道に休む
この荒木の幹の太さ、枝振りの良さ
真実に生きよ、自然は汝に呼応する
信頼の熱い血が脈々と樹に流れている
樹はものではない、生きている命
樹は根から幹から枝と血が通っている
鳥は甲高く鳴き樹々を喜々と移り飛ぶ
樹には初夏の眩しい光がさす
赤々とツツジはそちこちに燃え咲き
黒々とした岩に清水が轟き落ちる
樹は大地に深く根を張り生きている
樹は信頼と真に生きる
その樹に触れよ、その樹と握手せよ
その樹と触れて大きな力が湧いてくる
この世の人はみな偽りに生きる
それ故にその目は濁り体まで歪んでいる
汝は樹を友として天地に通ぜよ
樹は自然の中の一つの弦なり
天来の楽が汝にひびきわたるだろう
今風はそうそうと吹きわたりなお樹は伸びている
子供のように若人のように希望に燃えて伸びている
樹は若々しく四方に枝をのばす
ぴんと張りしなやかに枝を伸ばす
そこに鳥はとまりゆれ飛びうつる
樹は鳥とともに生きている
若葉は風にそよぎ初夏の光がふりそそぐ
かなたに残雪の嶺が光り迫る
汝は樹とともに生きよ
樹の力を五体に感じよ
汝もまた樹とならむ

 


仁徳天皇の時代に、大きな木がありました。その木がどこにあったか、正確な位置はわかっていませんが、朝日があたれば淡路島に影をおとし、夕日があたれば大阪に影を落とすほど大きな木だったということです。

 この木を切りたおして船をつくることになりました。その船は枯野という名前で、帝がお飲みになる水を淡路島の泉から運ぶのにつかわれていました。


 その船が古くなりつかえなくなると、浜辺で焼いて塩をとることにしました。船に火をかけると、炎が天たかく立ちのぼり、ごうごうと音をたてて船は塩をふくんだ灰になっていきました。


 ところが、どうしても焼けずにのこってしまった部分がありました。その部分をよくみがいてみると、小さな舟のかたちをしていました。そこで、その舟に弦をはって琴にしてみたところ、七つの里をこえて音がひびく、すばらしい楽器になったということです。

 


大阪辺りでももともとこうした鬱蒼とした森があった。仁徳天皇陵などもあんなに街の中にない、広々とした野か森の中にあったのだろう。レバノン杉の森がなくなったと同じである。今や文明は滅亡して新たな自然が復活する必要がある。そのために今回のように巨大な災害が来て文明を一掃してしまう。かもしれない、そして新たな自然が回復するのである。人間はあまりにも天地からかけ離れてしまったのである。それが原発事故を生んだ原因でもあった。森とか山の影ではない、巨大な文明という人工物におおわれている。そこでは自然を感じるということがなくなっている。自然に感応する心がなくなるとき人間は未来を見失う。原子力を神と崇め原子力とともに滅んでゆく、それがこの辺では現実となっているのだ。ただ放射能でも美は失われていない不思議がある。緑も花々も同じ様にきれいである。ただ樹で家をたてると放射能汚染される。樹そのものは森にあっても枯れたりしないしそのままなのである。ただそこに住む生物がこれからどうなってゆくのかはわからない、鳥が住めなくなったりしたらやはり絶望的である。人が住まなくなったらそこが自然の原初の状態に帰ってしまう。それも不思議な光景である。この神話の樹は屋久島の縄文杉を見ればイメ-ジできるかもしれない、千年二千年も樹は生きるから驚異である。


詩を書くものにとって詩が読めないということがつくづくある。詩集など書店にも置いていない、だから他の詩を参考にして書くことがむずかしいのだ。過去の詩も読めない、詩は実際は数が多いしその中にはいいのがある。無名の人にもいいのがあったりする。詩は読む人は少ないからいい詩でも読めない、この前、アマゾンで3000円で詩集を買った。その一篇の詩だけが良かった。木蓮の詩である。木蓮は漢詩にもでていた。高原にあっているというのは本当である。高原からふきわたってくる風にそよぐときあっているのだ。それもたまたまインタ-ネットで読んだ漢詩でわかった。


詩は読めないというときインタ-ネットにもほとんど出ていない、書店でも買えない、古本屋で買えるが馬鹿高かったりするからなかなか買えない、井上康文という人のこの詩集は名古屋辺りで旅でよった古書店で何十年も前に買った。そんなふうにしてしかこの本には接することができない、そういう詩集が日本でも外国でも多い、アマゾンでも古本の詩集となると高い、だから読めない詩というのが実に多い、例えいい詩があっても読めないのである。書店は売れる本を置かないと商売にならない、しょせん書店は今や文化をになうにはあまりにも弱小になってしまった。書店はもはやほとんど知的なものとしての役割から遠くなった。仙台辺りの大書店ならまだ違っているけど小さな書店はもはや役に立たない、そもそも知的なものは本は情報は多様であり詩となると読む人も本当に少ない、でも明かにそれは文化であり一般大衆が読む本は文化を作っていない、文化とコマ-シャリズムとかはまるであわないのである。だから売れるとか売れないを基準にしている文化事業そのものが文化を育むことはない、書店は誰でもできる、何の努力も才もいらない、職人などよりも苦労もいらないのである。ただ本を置くというだけの倉庫にすぎないしその番をしているのが書店主だとなる。

出版している人は編集者はそれなりにその本を読むから違っている。というのは作家の書いたものを理解しなければ編集はできない、するとかなりの努力が必要になってくるのだ。書店で置いてある本を理解している人はまれである。それは物を売っている人より劣っている。商品に通じていないなら売ることもできないことがあるからだ。だからいづれ書店は消失する。本という媒体はなくならない。どうしても本の方が読みやすいということがあるからだ。


自分が必要としているのは例えば樹ということで詩を書いたら他の人の樹について書いたものを知りたいとなる。そこから知の探索がはじまっている。それを小さな書店で探しようがない、インタ-ネットで探してもめったにない、ただ漢詩でいいものを紹介していた。それははじめて接する漢詩だった。こんな漢詩もあったのかときうものが紹介されている。その他は見つけられなかった。
知の探索はなにも詩だけではない、科学的なことでも他の学問でも個々にさえ違っている。
そういう知の探索に答えられるものがないのだ。インタ-ネットでほんのわずかそれに答えるものが出るようになった。ただ膨大な詩は見つけられない、雑誌に出ていたものや無名の詩はいくらでもありそのなかにいいのがあった。しかしそれらを見いだすことはむずかしい。

井上康文とういとあまり知られていない、でもその詩集をたまたま買っていたから読んだら自分と同じ様な発想の詩を書いていた。樹について書いていたのである。


樫の樹


樫の木は燃える炎天に葉を光らせ

ぐっと太い根を張って黙っていた

新しい力を烈しく枝々に波うたせながら

大きく高く生きてゆくことを考えていた

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ここのところが自分の「生きている樹」と連関して読める所だったのである。そういう連関したものを探そうとしているのがインタ-ネットなのである。ただ詩については過去の詩でもいい詩がないから連関して探せない利用できないのである。だから詩のデ-タ-ベ-スをインタ-ネット上に作れば役に立つ、著作権の問題があるにしろ著作権が切れたのでも膨大にあるからそこから選んだものを評価してゆく、ただそのためにはまず埋もれたものを集めねばならない、その詩集は今も高い、探しきれないこともある。それでも最近結構そうした日本でも外国のでも集めている。アマゾンで意外なものが買えるから多少読めるようになったのである。
 

初夏の若い女性の姿


胸を張り颯爽として歩む
大きな胸に初夏の風を受けて
前を向いて颯爽と歩む
悪びれるところは何もない
未来に向かって若い女性は歩いている
背はぴんと張り水々しくにこやかにほほえむ
まだ人生の悪に染まっていない
もう年取ると体が歪んでいるだけではない
心も歪んでいて体まで曲がっている
体だけではない心も曲がっている
笑いはシニカルになりうちひしがれている
話すことにいちいち毒があり
人生に対するマイナスの言葉しかでてこない
悪にそまり悪をいとわず汚れきっている
見えない悪臭を放っている
その人が通るだけでしゅべるだけで
辺りの空気も汚れてしまう
あまりにもその違いに唖然とする
若い女性は希望に燃えて歩いている
そこから発せられる気は清々しい
溌剌としてすらりとして胸を張って歩いている
やがて健やかな赤子を産むのだろう
腰も大きくその体は若さがあふれている
何か媚びるものもない
爽やかな初夏の風を全身に受けて歩いている
若葉が風にそよぎ夏の青空のように
若い女性は希望に燃えて歩いている

つくづく老人と若い人とはこれほど違うものかと思った。何も語らなくてもその姿はすべてを表現していた。そこにはエロッチックというのではない、健康的な一人の若い女性の姿に感嘆したのである。女性そのものが体が芸術品だった。それが健康的なすがすがしい姿だったのである。彫刻にしたいような体つきだった。何かのスポ-ツでもしていたのか均整のとれた体である。それがエロチックというのではなく、健康的なのである。自然な姿の美がそこにあった。あまりにも老人はすべてではないにしろゆがんでいる。体がゆがむだけならいいが心がゆがみすぎている。犯罪者でもあったからそうなのだがその違いは天と地とも違っている。この肉体の若さはとりもどせない、でも老人でも心は若く
清らかにありえるのだ。だから樹とも感応できるのである。

柳宗元詩―その永州の花木詩について―
http://chinese.art.coocan.jp/liuhuamu.html


漢詩についてはかなり豊富にインタ-ネットにでている。これは明かに茶の世界だった。茶道にしても元は中国にあったともなる。木を植えたり竹を植えたりと明かに日本の庭作りににている。
より深山幽谷の世界になっているのが中国だった。中国の自然は広すぎてわからなかった。あまりにも人口が多くなり自然が見えなくなっているからだろう。中国は本当はアメリカよりわからない世界である。江戸時代は文献で接していただけであり最近直接知るようになったからである。広すぎるからわかりにくいのである。

2012年05月25日

過酷な貧乏時代と原発事故 (変人であった山尾三省と猪狩満直の対比)

過酷な貧乏時代と原発事故

(変人であった山尾三省と猪狩満直の対比)

●食パンが贅沢だって・・・・


食パンの歌


たまに食パンを食べるのは 病人がでたときとか
思いもかけぬ金が入ってきたときとかである
家の中に食パン一本あると それだけでたいした幸福を感じる

日本中世界中どこへ行っても 人々は朝から晩までお金のことを考え
カライモより麦の飯、麦の飯より真っ白な食パン
けれどもそれは間違っている
僕たちはただ命の原郷を求めている
その原郷とは屋久島の樹齢七千年の縄文杉と呼び、
ある時はヤマト呼び 海と呼ぶ・・・・・


山尾三省が求めたものはそういうものである。都会生まれであったからこそ余計にそういう田舎を求めたのである。田舎に住んでいるものはそういうものは意識しない、求めもしない、当たり前だからである。田舎が求めたものはその逆である。カライモより麦の飯、麦の飯より真っ白な食パン・・・都会風な暮らしでありそれは現実化した。田舎の方が都会より贅沢している。家や広い庭があり車も一人一台とかもっている。だからええ、食パンがぜいたくだって・・・馬鹿な・・・食パンなんか田舎でも贅沢でもなんでもないよ、米を作っていても毎日食パンを食べているよ、食パンなんか安いもんだよ、この人は何を言っているんだ、今は江戸時代でも戦前でもないんだよ、戦前なら病人になってはじめて卵が食べられたとかある、今の時代食パンをぜいたくなどと言っているのは異常だよ、よほどの変人だ、むしろ変人として批判される。何でそんな生活をわざわざするんだよ、何か魂胆があるのか、そういう変わった生活を見せびらかして本を書いてもうけているんだろうとかさえなる。
それほど豊かな時代でそんな生活するのは異常であり変人であり何か魂胆があってのことだろうかとなる。実際に何でそこまでしなければならないのかという疑問もわく、別に何か現金収入になるもので働いて食パンくらい食べさせてもいいだろうとなる。どこの田舎でも今はそうしている。


ただ求めたものは原郷だということは共感する。その原郷が原発事故で失われたから余計にそう思う。贅沢を求めて原郷を失ったからこそそう思う人も多いだろう。ただでは食パンも食べられないような生活にもどるのかとなったら誰もそうはしない。それは現代では極端すぎるからだ。つまりそれほど現代の生活は贅沢になれた贅沢が当たり前となってしまった。だからわざわざそんな生活するのは変人でありなんでそんな貧乏生活見せつけるんだ、なんか魂胆があるのか、貧乏生活をドラマにしてテレビ局から金をもらっているのかともなる。そういうふうに見られてしまうのが現代なのである。誰もが日本でも貧乏時代が長かった。その貧乏から脱出するために延々と苦闘してきたからである。

●猪狩満直や三野混沌のどん底の貧乏


一方猪狩満直などは


貧乏は病気のおらを雪の中にひきずりだした
堅いい木
重いい鋸
鎌をふりあぐるたんび
おらは胸が痛いいい

かでをもってくるための
かでのために生を奪われるおらでないか
強制労働
おらは反抗する
あくまでも敵対する


貧乏でも病気でも働かねばならない切実さがここにはあった。都会からわざわざ北海道のような所にその当時は行かない、貧乏が働く場所がないために強いられたのである。その切実さの度合いが違っていた。戦前の農民の貧乏はどん底だった。地主階級をのぞいて農民の多くがどん底だったのである。そのどん底から脱出しようとあえいでいた。農民の生活は明治維新でも何ら変わらなかった。かえって地主階級に搾取されるようになったと言われる。明治維新で得したのは地主と一部の会社工場経営者、商業にたずさわった人たちだったとなる。ほとんどの農民は何ら改善されなかったのである。大正生まれの母の話でもその当時女中は金もらえるから良かったとか、製糸工場も金もらえるから良かったと言っている。現金収入になったから良かったのである。女工哀史というのも当時からすると見方が分かれる。現金収入になったのだから良かった、街に出てうまいものが食べられたから良かったという人もいる。一方で肺病をうつされて若くして死んだ人がいて悲惨だったという人もいる。

でも肺病は工場に働いている人だけではない、若い人がなりやすかったのである。これは外国でもそうである。その時代には時代のいい点と悪い点があった。それが今の時代からみて肺病になったから不幸だったとなる。今は肺病になる人がいないからそうみるのである。減反政策というのも当時の農民からすればそんなことありうるのかと想像すらできないことである。減反して国から補償金をもらった方がいいとなるのも考えられないことなのだ。農業に対する補助ができるのも国が豊になったからなのだ。

猪狩満直のような北海道に入った開拓者はその時特別なものではなかった。貧乏のどん底はみんな経験している。


一日を死んで
一日生きればいい
おれたちが
おれたちの体
おれたちの体ではない


こういうふうに極限の貧乏を生きていた。それは山尾三省のとは違った、そういう貧乏のどん底時代の切実なのものである。今のような時代
だったら猪狩満直でもそんな無理はしないし働く場所があるからわざわざ病気持ちなのにそんな過酷な場所で働かない。ただ山尾三省の妻も早死にしているし自分も六十二才で死んだのはそういう生活がたたったからかもしれない、でも別な道も選ばれていたのが現代でありそれはあえてそういう生活を選んだ。でもそこまでする必要があるのかという見方もある。猪狩満直の時代はみんながそういう貧乏を強いられていた。だからこそその生活は呪詛的なものとまでなった。もうどうにもならない怒りとなっていった。それは三野混沌でもそうである。農民の大半がそうだったのである。

辛苦をともにした妻も無理に無理をかさねたあげく病気で死んだ。入植して一年あまりだった。二人の幼い子供をおいて死んだ。これほど過酷だったのである。だから呪いともなっいった。


俺たちには火のような呪いがある
俺たちには石コロのような決意がある


まさにこれほど凄まじい怨念とも化していたのである。

上野霄里氏なども賢治よりそうした生活をした詩人に共感している。
だから猪狩満直などを知ったら涙を流して書いているだろう。そういう貧乏の時代に生まれたからである。だから貧乏の哲学をもっていたのである。自分の父親も病気になり死ぬ間際になり言い残した言葉がやっと刺身を食えるようなったが食いたくないということだった。病気で食欲がなく食えなかったのである。そういう貧乏の中に生きたのが大半だったのである。だから極端な貧乏の時代を今の時代に適応させることは何か変なものになる。なぜそんなことする必要があるのか、何か魂胆があるのか、貧乏を見せ物にして本を出して売るためとかまで思う人はいる。ちょっとアルバイトでもして食パンくらい食べたらいいだろうとなる。猪狩満直や三野混沌は厳しい現実そのものだった。山尾三省はあえて厳しい現実を作り出して生きた。だから作為的なものとして感じるから変人に見えるのである。江戸時代から戦前までそういう貧乏が当たり前でありそれが現代になるとめずらしいから話題にされるだけなのである。今どき貧乏暮らしするとそれは変人になる。着るものでも米くらいくれる人はいる。だからあえて余ったものすらいらないという生活は変人になる。でも人間は逆説的である。あまりに物がありすぎるということは心が貧しくなることにも通じていたのだ。


●豊かな時代は何にも感謝しない


受け取るものがない、両手で受ける   尾崎放哉


何もないからこそ受けられる。ありすぎるともらってもありがたいとも思わないのである。もっとくれもっとくれとなって何も感謝しなかった。そして金持ちだったらだましてでも金を得ようとする。今の人は物でも金でも例え与えても感謝する人はいない、ただ盗んでもだましてもともかく金を得ることでありそれしかないのである。何か与えられて感謝する人などいない、一般的に豊かな時代とはそういう時代なのである。それは神とか自然に感謝することもない、あって当たり前だ、神様よ、自然よ、たりないんだ、たりないんだ、何を感謝するというんだ、いろいろ今は金かかるんだよ、金なしではどうにもならんのだ、農業だけではどうにもならちん、家も車も教育費もかかるものがいくらでもある。とても農業だけではやっていけない、何に感謝するんだよ、・・・・延々とたりない、たりない、欲しい欲しいしかない、それは食糧かない時の猪狩満直や三野混沌の時代とは余りにも違う。食うのやっとの時代とはあまりにも違う。そこでの不満は理解できる。しかし今の時代の不満を神が許すか?何でそんなにたりないのか、いいかげんにしろよ、それが津浪になり原発事故になったのかもしれない、欲望はきりがないのだ。

当時はみんな厳しい貧乏生活を強いられた。だからなぜ今そんな貧乏生活をあえてするのかとなる。

彼は語る
地震で逃げてきた人たちに
何もできない高原をあてがった者があるんですな
草を刈るとあとが生えないというふ
薪にする木の一本もない土地で
幾家族も凍え死んだそうですな
(高村光太郎)


こんなことが北海道であった。関東大地震なのか、北海道は開拓する場所として土地があったからそうなった。十津川部落で災害で村ごと移住した。北海道はそういう入植者を受け入れる場所だった。ただそこで挫折した人も多い。過酷な場所でもあったのだ。外部の人も原発の避難車は補償されているから恵まれている。なぜあんなに金、金と金を要求するのだろうと批判している。当事者からすれば言い分はあるし自分にもある。でも外部から見ると津浪の避難者には賠償金は出ないからそう見えるのである。人間は誰でも金のことになれば貪欲になる。ただ外部から見ると原発避難者は恵まれていると見えるのである。そもそも中国辺りでは日本はあんな立派な仮設に入れとうらやましがっていた。中国での地震で死んだときそんな仮設住宅に入れないからである。日本はやはり豊なんだなとうらやましがっていた。原発避難者はそういうことが外部からみるとある。ただ内部からまた別な見方もある。そういうことは当事者でしかわからないからなかなか言えないのである。失ったものが実は金以上に大きいものがあったというのもある。それは金で計れないものでもあった。それは賠償すらできない、金をいくらもらっても故郷でつちかわれた思い出とか歴史を失ったら何もないと老人は思う。そこに内部のものと外部のものの見方の相違がある。それでも北海道に支援もなく凍死した人たちよりはいいとはなる。そういう事実をふりかえってみるのも歴史である。


●避難した人はただ生きがいとしての仕事を喪失したことが問題


一方この辺で起きている原発事故も深刻なのだけど実際はそうでもない、なぜなら補償金で働かないでバチンコしているとか批判があるからだ。現実にパチンコ屋が満員でそこが働き口になっているというのも異常である。猪狩満直のうよな切実なものはなにもない、かえって遊び暮らしているとなる。問題なのは金がないことでも明日食うものがないことでもない、働けないから生きがいがない、それで昼間から酒飲んでいるとかその方が問題になっている。だから「万葉集の歌と心境が一致する避難者」このペ-ジが読まれている不思議がある。


ひさかたの 天路は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに 山上億良


これまでのように当たり前にしていた生活ができないことが問題になっている。別に食べることや寝ることには困っていないのである。賠償金も二十キロ圏内だと相当にもらえる。そんな金に代えられるかということはある。でも猪狩満直のような人と比べるとのんびりしたものなのである。もちろん賠償金ももらえず北海道に追いやられて凍死したという人も悲惨である。災害があっても貧乏な時代は国でも支援しないのである。そういう過酷な時代だったのである。

いづれにしろ猪狩満直のような三野混沌のうよな生活を考えたら双葉地域でも原発など誘致することもなかった。それなりに工場だって誘致できたし食パンくらいは食べられる。車だってもてただろう。出稼ぎしなければならないというがそれも現金収入になったのだからいいとも見れた。原発は安易なものとして誘致されたのである。そんな切実な貧乏ではない、高度成長時代は食パンくらい食べられるし車だってもてる、そういう時代だったのである。


日本中世界中どこへ行っても 人々は朝から晩までお金のことを考え
カライモより麦の飯、麦の飯より真っ白な食パン・・・


そういう限りない欲望を追求して原発を誘致した。原発事故で何兆円も補償するとかいかに事故後でも金になるかわかる。北海道の不毛の地にほうりだされるようなことはない。こうした時代の相違が普通だったら当たり前のことでも変人にしてしまう。ニ-トなどがいるのも高度成長時代にはかえっていない、働かない人はめずらしいし姿も見えない、話題にもならない、今の時代ほど働かない人がいる時代はない、退職した人をふくめて働かない人が若い人でも全体でも三分の一はいる。そういう豊かな時代である。一般的には田舎暮らしを志向しているのは退職金で趣味として農業をする人たちである。山尾三省のような人たちは変人である。ただそこに現代人が見失われたものを志向していた。それは見習うべきである。放射能の灰の中で生活するというのはやはり予見していたのである。
核戦争には反対でも原発の危険性は見逃されていた。でも具体的にそう思って生活していたというのは原発に危機感をもっていたからである。


未開の荒野に荒々しく挑んだ人たちがいる
それは実りならず挫折した
その才能も打ち砕かれ埋もれた
過酷な労働で妻は死に本人も若くして死んだ
そういう犠牲が歴史には多い
その人たちをふりかえる今もみる
いかに幸せなことか、何か不満があるのか
なんという贅沢、恵まれすぎている
一日生きればすべてのエネルギ-使い果たす
明日は考えられず寝込んでしまう
あんたたちのような生活を俺たちは夢見ていたんだよ
それ以上何を望むというんだ
原発も建ててもっと欲しい欲しいと・・・
その果てしない欲望にはあきれてしまう
だからお前たちは呪われたんだよ
俺たちの切実な呪いとは違う
俺たちの苦闘の生活は天も神も同情していたんだよ
お前の原発の贅沢な生活は同情しない
だから天罰があたったんだとも言われるのさ


原発は金のなる木であり政治家から官僚から科学者からマスコミから地元の人からあらゆる人がむらがった。だから危険をかえりみることもなくなっていた。金のなる木だったからである。
人間の限りない欲望の結果として原発ができた。その危険性は目をつぶり欲望を追求したのである。

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2012年05月27日

カルトととは何か-カルト宗教団体には共通性がある (オ-ムは極端化しただけであり過去のナチスも天皇もカルトじゃないか)

 

カルトととは何か-カルト宗教団体には共通性がある

(オ-ムは極端化しただけであり過去のナチスも天皇もカルトじゃないか)

●麻原も池田大作も劣等感の塊(かたまり)りだった


NHKで放送していた、どうしてオ-ムがあれだけ危険な団体になったのか?それは麻原が弟子をコントロ-ルして洗脳して殺人を正当化したと解析した。そういうテ-プもでてきたのである。麻原がなぜそういう思想をもつようになったのか?そういうことも解説していた。目が悪いというときかなりの劣等感があったのだと思う。劣等感というのは人間に相当に影響する。これは女性でも美人でないとかいろいろ劣等感をもっている。するとそこから悪い思想をもつようになる。そして犯罪にもなる。もちろん貧乏だとかいうのも深い劣等感を植えつける。金さえあればこんなみじめではなかったと恨みとなる。
劣等感は人にマイナス志向をもたせる。この世の中は何かしら劣等感をもっていない人はいない、人間的にそんな恵まれた人はいないのである。頭が良くても体はだめだとか何かしら劣等感をもっている。人間は何かしら不足している、たりないのである。天才は頭も良くて体力もある人がいるがまれである。麻原はおそらく劣等感の塊だった。ところがそこに集った人は一流大学を出た優秀な人たちだったのである。その人たちにも劣等感をもっていた。盲学校しかでていないからだ。絶えずどこの大学を出たとかを問題にする。実際最終の学校名は大学名は社会では結構重要であり最期までつきまとっている。学歴はそんなに大事なものなのかとあとでわかる。三流大学だったらこの人はそんな人なのかと思う。それは医者などでもそうである。どこの大学を出たかでこの人は優秀なのじゃないかと思ってしまう。実際は違っていても判断材料にされる。だから一流大学を出た人は出た人でそれを自慢している。三流大学の人はまた終生劣等感をもつのである。こういう劣等感のことを語ったらきりがないのだ。天皇ですら劣等感もっている。なぜなら天皇だってみんな優秀ではない、ただ生まれつきでそうなっているだけで何か優秀なわけじゃない、だから劣等感をもつのである。


つまりこうした劣等感とかが怖いのはそういうものもカルト宗教に結びつくからである。ヒットラ-は画家になりたかった、芸術家になりたかったとか言われる。それがなれなかったから政治家になった。それが過ちの基だった。麻原の歪んだ劣等感も宗教を利用して一流大学の若者を支配しようとした。一流大学といっても経験もないし理系的な人はマニア的になったり総合的人間として成熟していない、だからカルトにはまりやすいのである。若者は未熟だからカルトにはまりやすいのである。自分もそうだった。創価はまぎれもなくカルトそのものである。社会に公認された権力をもっているカルトである。池田大作も麻原とにているのだ。もの凄い劣等感をもっている。特に学問に関係してものすごい劣等感の塊(かたまり)なのである。富士短期大学とか出ているにしても余りにも知られていない、でも会長になったとき東大出の人ととかと幹部と接しねばならない、するとそこで劣等感をもつ、だから科学的なことを書いた「宗教と科学」などがあるがあれも仏法と科学をむりやりこじつけたものである。ただ自分は科学にも通じているとか何かそういうことを示したかったのだろう。


学問に対して劣等感はすさまじい、だから世界中から大学に金を払って学位をもらっている。勲章ももらっている。それも劣等感の裏返しなのであり権力をもっているから学位などくれる大学は世界でいくらでもある。そういう虚飾の人間を崇めている会員の気持ちが未だにわからない、そんな会長をみていてなんなのだと疑問にもつのが普通である。別に学問は関係ない、人間常識あればこの人は何なのだとなる。例えば池田大作は若者など全然愛していないし何か高い教えを授けるなどできようがない、自分が劣等感の塊であり若者は権力をとるための道具にすぎない、だからぞんざいに扱われる。学生部のものを集めてタバコをほいとなげてやったりとかそもそも何も教えることはない、自分の食ったメロンを食わせたりとそういう下劣な人である。なぜそういう人についてゆくのか?それは麻原と同じだった。違っているのは創価の学生部はもともと幹部の子弟が多く権力の中枢に組み込むために入ってきているから学生部自体がすでに宗教的求道心などゼロである。権力の中枢に入り権力をもちたいということをすでに親から強いられていたのである。親と深く関係して池田大作に近づき権力中枢に近づくという権力志向しかない団体なのである。
だから三国志などを読ませている。BSで三国志の中国人の俳優がやっているけどいかに権謀術数の国なのかいやになってしまうだろ。どこまでもだましあいでありそのために平気で人を殺める。中国人はいかに権謀術数にたけているからわかる。それだけ生きることが厳しい社会だったのである。


●革命で理想社会を目指すものはカルトである


ではなぜ創価であれカルト宗教団体がこれほど社会を席巻しているのか?それはやはり様々な時代の要因もあるからいちがいには語れない、人間は誰でも劣等感、不満をもっている。そういう人たちあ集めると一大勢力をもてる。それをテコにして革命もできる。そういう不満分子がいて社会革命が起こる。南北朝でも後醍醐天皇をたてた楠木正成なども当時の不満分子を集めて天皇にとりたてられて喜び天皇のために戦った。明治維新も天皇を批判している「心に青雲」のプログに書いている人が言っている。吉田松陰は万歳師の出であったとかこれは笑ってしまった。高杉晋作が集めた奇兵隊はそうだった。権力を得て成り上がろうとした人たちだった。革命には日本のためにとかいう人はまれである。本心は権力を得たい、下賤のものから成り上がりたいということが根底にある。それは劣等感であり現実的生活の貧しさからもきている。そういうものが革命のエネルギ-となるのだ。そして革命に成功したとき権力得る。今度はその権力を放したくない執着する、巨利を得て民衆のことなどかまわないというのが社会主義革命でも何でも人間の欲望の革命だからそうなる。中国でも共産党幹部だけが巨利を得ていると今では批判されている。それで薄煕来が経済発展の利益にあづからない貧乏の人たちの不満分子を集めて権力を得ようとしていると失脚させられた。人間のやることは歴史でくりかえされている。それは人間の根底の問題に深い欲望がありまた劣等感が消えることなくありそうしたものが解決しないからいつまでたっても同じことをくりかえしているのだ。創価に集った人も最初は戦争が終わり方向を見失い不満分子を集めた。不満というとき人間は経済的な問題だけではない、いろいろな問題をかかえている。そういうものただ何でもいいから集めて会員にして一票として権力を拡大させるのである。


ではなぜ池田大作のような下劣な人の回りにあれだけの人が集められるのか、それもオウムと同じ様に医者もいるし科学者もいるし東大出の人もいる。下々のものだったらわかるがそれなりに社会的地位もある人もいる。見識のある人もいる。それはオ-ムの問題と通じている。何がそのエネルギ-を生み出しているのか?その不気味さは何なのか?それはとても池田大作だけでそんなことできるはずがない、それはヒットラ-とナチスとにているのだ。いづれにしろ社会改革して理想社会を目指そうとしたときすでにその時宗教はない、宗教はあくまで心の内面の問題である。それはたとえ金持ちでも貧乏人でも同じである。心の内面の罪の問題である。外面的にどうであれ基本的にはそうである。
金持ちと貧乏人がいて金持ちからなら金などいくら盗んでもいい、殺してもいいんだとなるのがマルクス主義になる一面があったのだ。宗教的にみればやはりそれは罪になる。でも地主階級とか搾取されていた農民からすれば割り切れないものがあった。それは深い恨みとして今も残っている。今でもそういう貧富の差の問題は継続している。では金持ちは搾取者で全部悪いのかとなるとそうでもない、金持ちといってもやはり巨額の金持ちは別である。ある家が富んでいる理由は何かとなる。そこが問題になる。人間はみんな最初から豊ではない、努力したからその家が富んでいるということもある。先祖のおかげで富んでいることもある。そういう人たちを恨み不正だとするのは問題である。
農家でも草分けという農家が相馬藩では越中からの移民は最初は条件の悪い所で働かされた。でも努力して相馬の地にねづいたのである。最初からどこでも豊かな人はいないのである。最初はみんな草分けという所に入って働くほかないのである。それを今はそういう最初から裕福な人を不公平だとなる。最初から努力もしないのに同じにしろと言っている。


社会を変えれば世界を変えれば理想社会が生まれなどと宗教は説かない、そういう説いている時点でカルトなのである。だから極端化すればオ-ムのようになる。社会を変えるために悪人を一掃しなければならない、そのためには悪人はポアしてもよい、殺してもよいとなる。殺人の一線を越えたのは仲間を殺してからであった。必ず内部でそういうことがカルトでは起こる。ある意味で共産革命などもカルトである。共産党でもだから武闘でしか政権はとれないと暴力革命を一時容認していたのである。毛沢東は銃口から革命は生まれるといっているから武闘である。共産党は今も中国ではそうである。だから天安門事件が起きた。社会革命を目指すものはすでにカルトなのである。創価だって権力に執着するから武闘だって辞さないということはあった。カルトは共通して同じ体質をもっている。警察や官僚にも司法にもいる外務省もにいるし宮中まで入ってきて工作していた。一人一人が自分はそうでないにしても一票入れることはすでに加担しているのだ。そしてマスコミもこの巨大権力にとりこまれているのは東電の原発事故と同じである。全く同じことをしている。新聞社に聖教新聞をすらせあらゆる権力をとるための工作を許している。社会を変えるとは権力を手中にするということである。これが最大のカルトの特徴なのである。オ-ムはそれを露骨にしただけである。もちろんカルトは正義を人を救いたいとか人に尽くすのだという独りよがりの考えでやんている人もいる。悪気がないといえばない人もいる。でもそれもカルトなのである。現実的に社会革命で権力を得て利益にあづかりたいという願望のために活動している。日蓮宗はその教義自体カルト的だ、カルトになりやすいというのもある。日蓮宗だけが国を救うなどと言うことはない、そこが狂信的になる。

正直この社会を変えることなど理想社会にするなど不可能である。むしろ「欲で滅びる」とかノアの洪水で滅びるとか今回の大津波がきて文明自体が滅びるというのが現実的である。つまりカルトをなくしたりできないということである。民主主義からナチスが生まれたように政治家になった人が下劣ないいかげんな民衆のために歪めれたとう言っているのは面白い。政治家をだめにしているのは勝手なことばかり言ってい一票をもっている大衆の方だったのである。


●政治家だった人がいう、選挙のためには勝手な大衆にへつらうほかない


精神異常者の諸相
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hatigoro/ESSAY-broken11abnormal.htm


「選挙」なる妖怪相手に取らなきゃならない。
  そんな「選挙」に勝つためにゃ
  運動しなければならない。
  自己ピーアールしなければならない。
  従って「選挙」に勝つには
  己の本当の資質を裏切らなければならない。


H 目的のためには手段を選ばず


  民主主義の世の中と
  言われるからには仕方がない。
  とにかく議員となって威張るには
  選挙と言う名の洗礼を
  受けねばならない以上には
  何が何でも勝たねばならぬ。
  見知らぬ民には握手で熱意を示そう。
  情にもろい民には泣いても見せよう。
  たかりにくる民には金で選ばせよう。
  腹が立っている民には土下座もしよう。
  そのために晒した恥など目ではない。
  そのために使った金など目ではない。
  ひとたびバッジを手にしたからは
  見返り間違いないのだから。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hatigoro/POEM-aku09.htm


政治をどうのこうのというけどその政治家を選ぶものがこうなんだよ、そんな勝手が通るのか?
そういう勝手な要求をするから政治家もそれなりの政治家になっているんだよ、だから社会を変えるなど絶望的なんだよ、お前の欲望を満たすために政治家いる、お前の欲望が消えない限り社会は変わらないんだよ、これは逆説的だけど面白いな、お前らちょっとは賢くなれよ、欲を少しでも減らしてみろ、要求ばかりしたって社会はよくならないんだよ・・・だからカルトもなくならない、みんな
小池田大作だからヒットラ-だからなくならないんだよ、われなる内なるヒットラ-なんだよ、この人も言っていることも一理ある。人間の悪の側面がサタン的ものがこの世を支配しているから社会は変わらないんだよ・・・・

大衆こそ最大の妖怪なんだよ、だから政治家も妖怪になっているしカルトの長も巨大な麻原や池田大作のような妖怪になっているんだよ、誰がこの巨大な妖怪を作り出しているのか?それをよくよく考えてみろ・・・お前たちもみんなこの妖怪にのみこまれることがわかるだろう・・原発事故でもわかったろう。社会とは権力ですべて動く、権力はいろいろある。数も権力だ。、武力も権力だ・・・知識も権力だ、技術も権力だ・・この人は政治家になったから具体的にわかったということである。
そして一番怖いのは正常な普通の人の狂気なんだよ、オ-ムでわかるだろう。宗教のもとに正義のために人類を救うために大量殺人にさえなるしなったんだよ、それは歴史で証明されている。
オ-ムは必ずも特殊じゃない、現実にあったことであり今も巨大な勢力としてあるしこれからもオ-ムのようなことがおおがかりで国家規模で起こる。原発事故もそうだったんだよ、安全神話にさからうものはポアされるんだよ、抹殺されていたんだよ・・・そうしているうちに日本自体原発で滅亡することだってあるんだ・・・そうなるのは妖怪なる大衆のせいということもあるんだよ、指導者だけじゃないからな・・同調するのは・・・



人間はすべて狂気的存在である。
劣等感も欲望も狂気に導く
個々の狂気があり集団化すると最悪である
誰も狂気をとめられない
戦争も集団的狂気のため
原発の安全神話も狂気的だった
集団の狂気は誰ももはやとめられない
狂気を作り出すのは人間の心であり思想である
そのゆがんだ心から狂気が起きてくる
だから思想が心の問題が大事なのである
posted by 老鶯 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

木蔭、夏野、藤の花 (草原化した夏野、麦畑もあった)


木蔭、夏野、藤の花

(草原化した夏野、麦畑もあった)


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一面に黄の花まぶし夏野かな


風吹かれ夏野に鳥やとびたちぬ


a bird
free flight in the breeze
in the summer field


(藤の花)


木蔭なす坂道下る城下町風にそよゆる藤の花かな


藤の花そよゆれ静か揚羽舞い遠くに去りぬ一時の夢


朝静か木蔭にそいて行く道に風にそよゆる藤の花かな




池の岸黄の花映えて紅睡蓮二輪咲き遊ぶあめんぼうかな


この道の木蔭の深く鶯の声のひびきて家そ隠れぬ


家一軒夏野にありて山脈の望みてここに見晴らしよしも


木蔭より木蔭に移り休らいぬ公園に舞ふ黒揚羽かな


青々と麦の畑に風そよぎ燕交差し飛びかいにけり

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 紫 藤 樹    唐.李白


紫 藤 掛 曇 木, 紫藤、曇木に掛かり、
花 蔓 宜 陽 春。 花蔓は陽春に宜し。 
密 葉 隠 歌 鳥, 密葉、歌鳥を隠し、
香 風 留 美 人。 香風は美人を留む。



相馬市の病院から下る道は情緒がある。相馬市の感じは原町とはずいぶん違う。今日は原町に行ったけど藤の花がここでも咲いていた。池には紅い睡蓮も二輪咲いていた。木蔭がなんとも気持ちがいい。木蔭がなぜ気持ちがいいのか、ただ家の建物の影だとそれほどでもない、木蔭は木は生きていると詩に書いたけどまさに木は生きている、その生き物の影だから気持ちいいのである。単に涼しいというだけではない、風は葉にそよぐし木は何かを語り木は人間のように親しいものなのである。
人間は年とともに自然と深く交わるようになる。木蔭は本当にいいもんだなとつくづく思う。


夏野というときまさにこの辺は水田が草原になってしまった!
このことを何度も書いたけど不思議としかいいようがない。まさに夏野なのである。ただ相馬市だと一面に夏の黄の花が咲いている所があった。そこは減反して野になったところだった。ここはまだそうして一面に花咲くようにはなっていない、いづれ放置していればそうなる。夏野というときそれは水田ではない、まさに北海道の景色なのだ。だからかえって夏野も気持ちいいとなる。鳥のように自由に飛んでゆきたいとなる。そして麦の畑があった。これも青々として気持ちいいと思った。水田とはまた違ったものである。回りに水田がないということは感覚的に相当違っている。ただ農家にしてみれば水田がなければ実りもない。


麦の栽培と米を作る水田はまるで違ったものである。田んぼは水の管理に手間をとる。麦はそういうことがないからあまり共同性を育まないともいえる。他にも麦を作ることは文化そのものが違ったものになったとあり水田と麦では全く別なものなのである。水田が日本の文化を作ってきたから水田がないということは北海道であり北海道的感覚になってしまうのである。ただ燕でも雲雀でも草原の方が本来あっていたのかもしれない、ただ水田には虫が多いから餌がすくない、燕の数も少なくなる。

ともかく夏野は気持ちがいい、夏野は人間の心を自由にする、自分はほど自由もめたものはいなかった。それは学校のときからはじまった。学校には全くなじめなかった。大学は自由だったから良かった。でも自由すぎて悪かったということもあった。仕事は流れ作業のアルバイトしたのが悪かった。ロボットにされたのでさらに仕事自体嫌になった。それから幸運にも仕事せずにすんだのである。
でも人間には仕事は必要である。農業でも実際してみればそれ自体生きがいである。そういう仕事は金のことをぬきにすればボランティアでもしたいものだろう。仕事は実際は与えられるものであり自ら見いだすものである。ここ五年間は介護と家事が仕事なのである。これも結構大変なのである。執事というのが仕事になったことがわかる。一切の家のことをやること自体仕事なのだ。
仕事は金をもらうだけにするものでない、仕事をやっていると生きがいを感じる、何か力がわいてくるというのが仕事である。だから力をそぐような仕事はしない方がいいとなる。そういう贅沢は言っていられないにしろ仕事は本来そういうものでこそ仕事なのだ。仕事しないと家事でもしないとぼける恐怖がある。身内で退職してからなまけものになり家事もしなかった結果ぼけた。女性でも仕事がないと危険である。生きがいも脳も働かなくなる。


インタ-ネットで無料でしているのも仕事である。相当書いてきたから書く力がついた。人間文章を書けば書くほど書く力がつく、人間は仕事があっていればその仕事にのめりこむようになる。それが本当の仕事である。ただインタ-ネットの仕事は認められないことが問題である。一冊の本を出した方が認められたように思えるだろう。本は別にパソコンで作れるみたいだ。だから整理して自分で作れる。冊子のようなものは作れる。インタ-ネットは知的作業がパソコン上でみんなできる。いくらでも書いて出せるということが今までないものなのだ。

今日は新田川の辺りの公園から回り道して木蔭の森の道を帰ってきた。この辺は回りはまだ自然があり木蔭の道が多い。別に放射能とそれは関係ないのである。食糧にするものがないということは言えるが環境自体はそれほど変わらないのである。ただ草原化したことは大きな変化だったし湿地帯化してもくる。北海道のようになってしまうということである。


 

2012年05月28日

藤の花に今日は雷雨(継母のこと)


藤の花に今日は雷雨(継母のこと)




藤咲きて今日は轟く雷の音仮設に一年暮らす人かな

白藤の咲きにし下に静かなる白きあやめや雨しととふる


今にして情あればよかりしに継母眠る悲しかりけり


継母とて優しくあれば母なりき亡きにし人は何もなしえじ



昨日はいい天気だったけど今日はまた雷雨だった。仮設暮らしももう一年になっている。
藤の花というとき何か穏やかなかんじするけどその藤の花にも雷が鳴る。
仮設暮らしは落ち着かないだろう。やはり大きな家に住んでいた人がいるから大きな家がいい、自分の家は昔風で八畳間があり広い廊下がありゆったりしている。姉が死んで二階は一人だから悠々している。家はやはり大事なんだよ、家にはいろいろな思い出がつまっているんだよ、姉が死んでも何が残したかというとこの家なんだよ、この家も実際は自分は十分に住んでいなかった。一番広い八畳間がこの家の中心だったのだ。人間の思い出は家と共にあることが多い、その家から離されることは特に老人には辛いものとなるんだよ、警戒区域の浪江の人が自殺した。ス-パ-を経営していた六十二歳の人だった、この年齢がかなり影響している。若い人はまだ自殺していない、老人はその土地と一体化してくるから故郷であれ家から離れることが辛いんだよ・・・・



最近になって継母が食料品を送ってきたり、妙に親切にしてくる。
私はもう恨んではいないけど、やっぱり差別や意地悪をされた事は忘れる事ができない


許せる日がくれば、どんなに楽かとも思いますが、

ふとした瞬間に、つい先日のように思い出してしまい心が痛む事がまだあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411608014


継母のことだけどその話を聞かされているからずいぶんひどいことしたのだなと思ってその話しが忘れられない、聞いただけでも忘れられないのだ。なぜもっとやさしくしなかったのだろうと墓参りするとき間接的関係でしかないのに思う。「本当の母親だったらそんなことをしないのにな・・・」
子供のときひどくいじめられたのである。その女性は性格がきつい人だったのである。今だからそのことを語れる。その人はあとで老人ホ-ムに入り目が見えなくなった。それでいじめた母を呼んで母が世話しにいった。そして最期に死ぬとき(すまないな・・」と言って死んだのである。
やはりいじめたことが心に残っていたんだろうな・・・・やっぱり優しくしない人は死ぬとき反省するんだよ・・・でも死んでしまいばもうやさしくできないんだよ・・・なぜもっとやさしくできなかったのかと思う・・・人間はつくづく愛がない、愛されない人が多い、それは肉親でも同じである。その愛されないということが人間を歪めることになる。人間の問題はもうすでに子供の頃からはじまっている。愛されない人は犯罪者になりやすいしまともに育ちにくいということがある。

継母というのは昔から一つの人間のテ-マだから話しが伝説も残っている。普遍的人間のテ-マである。人間はいじめられたことは簡単には忘れられないよ、特に子供のときだったらそうだよな・・・

でもそういうことは他でも結構今でもある、継母ということで劣等感もっている人もいる。でもやさしくすれば別に関係ないんだよ、何かそのことが悲しい、死んだらもうやさしくできないしいじめられたことも心に傷として残る。だから心から手をあわせるということもしにくい、なぜやさしくしてあげられなかったのか・・・死んだ人に対して思う、死んだからといって人間はすべて終わるわけじゃない、こうしてその人のしたことが他者に影響して残ってゆくんだよ、だから女性でも何か子供でも愛さない人はのちのち犯罪者を作ってゆくということがある、愛されないということが恨みとなり心がゆがんでいる人たちが多いのである。犯罪者はいろいろあっても愛されるということがない人が多いだろう。ということはその親や回りの人の責任があるとなる。人間はいくら豊になってもそういうことが変わらない、貧乏でも愛情をそそげるしそういうふうに育っている人をみている。
今にして思うとその人は一応ばあちゃんになる人だった。自分はその人のことをほとんど思ったことがなかった。ただそういう話を聞いているからその女性のことをこんなふうに思い墓参りしているのである。


人間は死んで終わりではない、墓参りすれば必ずそこに眠っている人を思う、その人のしたことを思う、その人がどういう人だったか思う、でも死んだ人はもう何もできないんだよ、だから死んだ時点から人生を考えるというのもいいことなんだよ、死んだらもう何もできなくなる、愛することも優しくすることもできくなるんだよ、後悔してももうどうにもならない、何もできなくなるんだよ・・

私はもう恨んではいないけど、やっぱり差別や意地悪をされた事は忘れる事ができない


許せる日がくれば、どんなに楽かとも思いますが、

ふとした瞬間に、つい先日のように思い出してしまい心が痛む事がまだあります。


こうしてここでは生きているひとだけどいづれ死んでもその傷は残る、心痛むことはつづくのだからそういうふうに人間はつくづく罪深いものだと思うのである。罪はその人一人で終わるわけではない、そうしたことは他者に影響しつづけるんだよ・・・・

2012年05月29日

仙台へ行く (名取から仙台空港へ-津浪の跡)


仙台へ行く

(名取から仙台空港へ-津浪の跡)

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夏菊や六号線を走りぬく


空港に海風吹くや夏着かな


夏の海飛行機飛びたつ外国へ


涼しさや中庭の花風にゆる


中庭の夏菊ゆれて喫茶店


ルピナスの中庭に咲く都会かな


仙台や木蔭に鳩や青葉かな


仙台の若葉や長く影なして風にそよぎて我が歩みけり


新しき本三冊ほど我が買いて青葉の影の通りゆくかな


仙台の喫茶店に休み鳩あゆみ青葉の写る窓の広しも

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今日仙台に行く途中、名取から仙台空港に津浪の跡を見に行った。空港線にのるのは初めてだった。仙台空港は海がすぐ近くで見えていた。あんなに近いと思わなかった。結構離れていたと思っていた。すぐ海が近くであり松林があり貞山堀が見える。そこはみな津浪で流された。大量の松も流された。松林になっていると海はみえにくくなる。でもあそこは高いから海が見える。
ともかくテレビだけごと必ず錯覚を生んでいるのだ。だから実地にその現場に立たないと見えないのである。津浪も現場に立ってみることである。そこで人間の五感が働き納得する。テレビの画面からだと何か錯覚を生んでいる。あれだけ海が近いとするともっと被害が大きくても不思議ではない、
自動車とか飛行機が流されたけど空港の建物自体は大きいから二階に逃げれば助かった。
それにしてもあんなに近いとは思わなかった。

仙台の空港からは沖縄に行っただけである。外国には行っていない、二三万高くつく、でも電車のことを入れればほぼ同じだったのである。名取の市街から仙台の方を見たら名取と仙台はつながっていた。もう完全に仙台圏内でありびっしりと家がたてこんでいる。あれを見たらあそこには住みたくないと思った。家がふえすぎたのである。仙台はさらに家が集中してくる。

仙台の駅前の中庭のあるところはいい、いかにも都会らしいくつろぎの空間を演出している。
やはり仙台には一か月に一回くらいは来るべきである。ただバスで二回のりかえたり今は二時間以上かかる。何か不便になってしまったのである。青葉の季節であり本を買ったりと買い物をした。

 
 

2012年05月31日

夢みたものは……立原道造の詩より (飯館村を想いて・・)

 

夢みたものは……立原道造の詩より

(飯館村を想いて・・)
 


夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
立原道造


幸福は失われ 愛も失われ 散り散りに
村はもうなく 村人は帰ってこない
いつしか森におおわれるのか 鳥は住んでいる
石は残っている、村人の帰るのを待って


しかしいつの日になるのだろう 村人が帰るのは
森におおわれ 村人の記憶もうすれるや
村で暮らしていた日々が 脳裏に鮮やかに蘇る
牛と暮らしていた日々が なつかしく蘇る


森はさらに鬱蒼として 風にさやぎ鎮まる
人の住まない村で 森は生きつづける
森はここに棲んだ 村人のことを忘れる
森は太古の 静寂の日にもどる


されど村に暮らした日 それは長い
人の思いは たやすくは消えないだろう
森の中の石に わたしは座っていた
いつまでも村の人も その石に座りたかった


忘れな草や 忘れずの石やそこにあれ
先祖代々の村人よ またここに暮らさむ
汝らの土地こそ その森と地なれ
汝らの眠る場所 汝らの奥津城


深々と呼吸せし 踏みしめし土地
森に風はそよぎ鳴り 鳥も鳴きぬ
一本の道の辺の樹 夕日さし暮る
村人を待ちてそ 淋しく立ちぬれ


夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある


わたしは山なみのこちらに 久しく住むもの
そして山なみのあちらの 村を思いしもの
山の隔たつも かしこに深き思いあるもの
一つの幸福 一つの愛 村にもどるべしかな


飯館村は相馬藩の山中郷だから相馬藩であり江戸時代は野馬追いにもでていた。浜通りの方から郷士が移り住んだ。境目付が多いから伊達藩の境として防御のために移り住んだ経緯がある。葛尾(かつろう)村も相馬藩内であった。馬の飼料の草など供給していたし炭も作っていた。葛尾(かつろう)村で草鞋を作り野馬追いのためにも作った。草鞋は現金収入にもなった。ともかく草鞋は靴と同じであったから貴重だった。草鞋はいたみやすいからいくつもの草鞋をもって旅をした。草鞋の需要が大きかった。


飯館村の状況として今でも寒い所であり最近でも米がとれないときがあった。高原の寒冷地帯だから飢饉の時があった。だから飢饉の碑が今でも残っている。そういう農業には悪条件でも人は住んだ。山林とかの資源があり炭焼きをしていたときは豊かなにる人もでてきた。江戸時代は塩の道の中継地点として相馬藩の役所があり六十人くらい勤めていた。それだけ塩の道の中継点として重要な地域だった。そこから山木屋を通り二本松まで運んだ歴史の道があった。

最近では牛の村となっていた。でも牛は一頭百万とかで東電が買い上げとかもう飯館村で牛を飼ったり農業をつづけることはむずかしいのかもしれない、もともと条件が悪いし高齢化の問題もある。

ただ最近外部から農業をしたいという人が移り住んでいた。環境がいいのでそこで暮らしたいという若い人があり若い人が環境のいいところで子育てしたいということかあった。若い人が愛着をもっていたという。「飯館村は負けない-岩波新書」を読んで知った。時代的には必ずしもすべて都会志向というのではない、若い人でも田舎志向になっている時代でもあった。時代の要望は変わる。
老人だけの限界集落は金がかかるだけだら効率悪いから廃棄すべきだという都会の人の一方的な意見はどうかなとも思う。時代が変わり見直されるときが来るとそういう村がなくなることは大損失だったともなる。

六千人も住んでいた村がなくなるということは今まであったのか?それがどういうことなのかイメ-ジしにくいしそこに住んでいる人たちも未だにどうしていいのかとまどっている。飯館村だけではない、避難区域になった市町村がそうである。将来を描けないから浪江町でも六十二歳のス-パ-経営の人が一時帰宅で絶望して自殺した。田舎と都会の違いは、土地への家への愛着があることなのだ。

代々住んだ人もいるし例え二代住んでいても人はその家とか土地に愛着をもつ、特に農家の人は代々土地を受け継いできた。その土地を開墾したり苦労して育ててきた。それが失われることが辛いのである。人間はやはり何であれそこに長く住むと愛着が生まれてくる。家でも女性が嫁いだ家に長くなると愛着がでてくる。だから女に家が嫁だということをつくづく感じる。病気で寝ていてもちょっとだけまだ台所で食器を洗ったりしている。そのまな板も古くなっている。すでに嫁いだ家に六十年とかたっているのだ。そして未だに嫁いだ家で勤めている。家でも一代だってそうだし村が作られた時間は長いし長い時間中でしか信頼と共同は作られない。そこが都会と田舎の根本的な違いなのだ。

村がなくなるということは住んでいた人だけではなくよそに嫁いだ人も帰る実家がないとか田舎がなくなったということでなげているのもわかる。ただ自然は以前と同じ様に変わらず美しいといっていた人がいた。山菜取りなどはできないにしろ自然は前と変わりない美しさを保っているのである。

木が枯れたり花が咲かなくなったりはしていないのである。だから一見見たとき何も変わらないじゃないかと見てしまうのである。

たまたま読んだ立原道造の詩が何か今の状況とびったりしていた。山脈の向こう側に飯館村がある。まさにこの詩とひったりなのである。何か現実的に商売とかでかかわらないにしろ飯館村にはしょっちゅう行っていた。精神的には深い結びつきを感じる村だったのである。前は栃窪から大倉村の坂を越えた所にあの広い道はなかった。あそこに小川が流れ道もなく森になっていたのである。だから余計原始的な状態だった。あそこに道を作ったことでその原始の自然は失われた。そしてまた今や人が住まないとなると原初の状態にもどるのか?しかしそうはならない、人間が一旦住んだ所は人間化した自然なのである。石も樹も人間化する。あそこにあった石に座ったことがあった。その石はないにしろそれは一度人間が自然にかかわったら人間化したものとなる。人間化したものとして語られつづけるのだ。だから百年後であれいつか人はもどってくる。一旦人が住んだらそこが原野になったり元の自然には還られない、そう見えてもやはり人間的なものがつきまとってゆく、人間化したものとして語られつづけるのである。


夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある


今村民が思っているのはこのことではないか?村が一つにもどる幸福、一つの愛で結ばれる村、それは今や夢みているもとなっている不思議である。人間は何か必ず喪失する、愛する人との死別もあり喪失する、でも村自体がなくなるということはイメ-ジすらできなかった。今ねがっているものはまさに今まであった村がもどることなのである。

posted by 老鶯 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村