2012年04月25日

桜咲く浜街道を相馬市まで行く (地元からの報道の意味は何なのか?)

 

桜咲く浜街道を相馬市まで行く

(地元からの報道の意味は何なのか?)


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パノラマ写真

鹿島区横手古墳群と枝垂桜


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街道に枝垂桜や蔵の家


街道に枝垂桜や古墳群


薬師堂参道の道花の影


相馬へと松並木や落椿


外堀の大町までや柳かな


六万石城の朝かな蛙鳴く


六万石お掘りにたまる花の屑


哀しき跡に偲びぬ夕雲雀


朝静か川の面写る桜かな薬師堂にそ参る人なし


大町に柳芽吹きぬそよそよと朝の風にそゆれてしだれぬ


濁りたる堀に写れる桜花その色濃くも城下町暮る


朝静か城跡に散る桜かな君主にまみえず社残りぬ


城跡に行き交う人や花は散りまたあわめやも離るる人かな


哀しきや妻の面影偲ぶかな津浪の跡に春はめぐれど


三百年つづく相馬の城の跡花散りあわれ集う人かな

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今日は朝晴れていたから相馬の方に行った。やはり日立木の薬師堂のあるところは情緒がある。立谷川に桜が写っていた。医者は特に病院勤務の医者は土着性がないと問題にした。職業には意外と土着性が必要なのかもしれない、土着性は人間の本能としてある。その土地に石や樹のように根付き生活する。人間も生物だからそういう心性をもつのが普通である。動物はトロピズム-本能によっていきている。それは本能的に土着性をもっているということである。江戸時代はもちろん戦前とか戦後十年くらいは農家が中心だから言われなくても土着性は自然と人間はもっていたのである。自給自足だとすると人間は生活そのものがその土地と一体化していた。そういう土着性とから遊離してアイディンティティが失われてきたのが現代なのである。このアイディンティティが失われたことが文明人の病ともなっているのだ。


今は薬師堂といっても病気が直るように祈っても効き目はない、でもこうした薬師堂とかは何の用もなくなったのだろうか?実際はそうでもないのかもしれない、昔からあったものには何らか人間にとって意味があったから残っているのだ。そういうものでも時代が変われば用無きものになる。でも人間自体が変わっていない、病気に効能がないにしろ薬師堂というのは今は癒しとして効能があるのかもしれない、見直されるかもしれない、病気には病気自体を直すことは不可欠である。それとともに病気のときは癒しが要求される。この癒しは軽視される。医者はただ体だけをみる。看護師は確かに癒しの役割がある。医者は癒してくれるような人はまれである。なぜ医者が傲慢になるのかといえば常に弱者になったとき医者に行く、そこで弱者として医者と向き合うことになる。だからそこですでに医者と患者は上下関係ができてしまうのである。あなたは弱い人欠陥人間になった人、私は直す人、患者は医者に頼る人となってしまう。そこに人間としての平等の関係はなくなってしまう。だから癒しもないのである。

癒しというとき薬師堂であれ神社などがパワ-スポットとしてもてはやされるが神社でなくても場には場の力が働く、必ず場を変えれば気分が変わるからである。ただ癒しを求めるとき、賽銭などを入れて何かを得ようとすると癒しはなくなる。その賽銭には人間の欲がこびりついているのだ。これだけ賽銭を入れたのだから見返りがあるべきだとなるのが人間である。そういうふうに神に対応すること自体間違っているのだ。癒しはだからそうした欲を求めないときかえってやってくる。
今なら桜にいやされるし春だから自然に癒される。自然にはそもそも癒しの機能が自ずとあるのだ。
日立木の薬師堂から松並木を経て相馬の城に入る。落椿がにあっている。城跡には桜が満開であり
朝静かに写している。そしてすでに花は散り始めている。城跡には相馬六万石の要であることは変わらない。三百年つづいた相馬藩の要として相馬神社が残っている。

それはcommon mental ,holly and centered placeになる。相馬藩として集権する場が相馬藩の城跡であり相馬神社になりあそこから相馬野馬追いの出陣式が行われる。そこにそういう歴史的パワ-が秘められていることは確かである。ただそれは相馬藩内に生活している人しかなかなか感じないだろう。それも長く生活していないと感じない、実際は何代も生活してきた人、江戸時代から主君に仕えていた武家の人、野馬追いに出る人は一番感じていることである。そういう歴史的場は江戸時代に作られた藩にある。だから会津なら会津の城が中心となる。そこが一つの世界の中心なのである。
だから原発事故でそうした何百年もつづいた千年もつづいた歴史の場を失ったり住めなくなったりすることがイメ-ジすらできなかった。そうした長い時間で積み重ねられた歴史をのアイディンティティを失うことがどれほど重大なことか認識していない、幸い今回の原発事故は相馬藩の余(夜)の森で起こった。中心からは離れていた。でもその影響は大きすぎた。

東京辺りの人や関西の人が面白がって早く福島県から避難しろ、もう住めないんだといって面白がっているけど人間は歴史的に時間でそういうふうにして長く住んだところから簡単に離れられるのか?

そうすると人間の根源的アイディンティティを失うことになる。もちろん新しいアイディンティティ求めて移り住むことは可能である。それでもそのアイディンティティを作るには長い時間がかかる。会津に移り住んで会津人のようになるには長い時間がかかる。一代だけではできないほど長い時間がかかるのである。

外からの報道と一地域からの報道は違っている。福島県の新聞やテレビすらその報道するものは違っていた。インタ-ネットはプログは実は一つの報道機関、メデアを個人的にもったものだという自覚をした。地元から報道することは何を意味しているのかわからない面があった。本を出すこととこうして毎日報道のようなことをしているのとは違っている。地元から報道することは時間が途切れなく継続していることなのだ。全国でも福島県ですら一時的なものとして途切れることがありうる。
しかし地元に住んでいる人の違いは時間は津浪であれ原発事故であれ継続したものとしてある。途切れることはないのだ。他からなら一時的な興味としてあとは忘れることもできるが地元では津浪の跡は消えず残っているしその被害者もここで生活している。それは延々と継続している。一代では終わらず継続した時間を生きるのが地元なのである。特にインタ-ネットで報道の主体となったときそれを感じたのである。

亡き妻に法螺貝を鳴らして去年もあえて出陣した人がいた。その津浪の跡は以前として何も変わりはない、土台しか残っていない、新しい家は一部町内に建ったが海岸沿いには建たないだろう。
ここでは津浪の被害の悲しみもつづいているし放射能被害もこれからつづいている問題なのである。外の人は忘れることができても地元の人は継続して悲しみ苦しむことになる。これは神戸の地震時は他人事であり最初だけ注意したのとにている。遠いから関心が一時的なものとして終わったのである。地元が被害にあえば一時的ではない延々とつづく問題としてここでその重荷をそれぞれ負うことになり共同で負うことになるのだ。


哀しきや妻の面影偲ぶかな津浪の跡に春はめぐれど


簡単に人は長年暮らした人のことを忘れられないだろう。ともかく継続した時間を生きているのが地元であり外からかかわるときは一時的なものとして終わり安いのである。そして記録するというだけでも意味がある。今までは地元の人でもメデアをもっていないから発言もできないし記録ということもできない。記録として日々残されていることだけでも意味がある。こんなに大惨事になると大きな記録の作業をしていることがわかったからだ。郷土史の基本は記録にもあった。400年前の慶長地震と津浪のことは一行しか記録されていないから忘れられていたのである。記録は歴史を残す基本的な仕事なのである。

鎮魂の野馬追い
http://musubu.sblo.jp/article/47599444.html

相馬市の長屋風共同住宅完成 (相馬市の放射線量は意外と高いのでは?)


相馬市の長屋風共同住宅完成

(相馬市の放射線量は意外と高いのでは?)

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ここは共同の食堂

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●共同生活の住宅だった


相馬市長が、仮設住宅について、予想される「孤独死」を防止するために、「長屋」方式によって、共同生活が営めるようなものにするよう提唱している。
お風呂も、共同浴場を併設することを求めている。


阪神大震災の時、その後、仮設住宅において、多くの「孤独死」が見られた。実は、四川大震災の時は、中国は、阪神大震災の教訓に学んで、仮設住宅に共同浴場を設け、被災者相互のコミュニケーションの確保に意を配り、「孤独死」を防いだ。


立谷秀清・相馬市長さんは、新しい仮設住宅を日夜考案中です。
医師として、また病院・介護施設の経営者としての知恵が活きます。
「今後の目標は孤独死、自殺を出さないことだ!」と断言されます。

阪神大震災の時も同じことが言われました。
しかし、多くの2次犠牲者が出ました。
今回は、規模があまりにも甚大なので相当な対策が必要です。

立谷秀清さんは、井戸端会議ができる長屋を考案しました。
比較的元気な単身高齢者が暮らす長屋です。
食事は、原則、皆で集まってします。

大型浴槽での入浴も。
1ユニットで、12人が暮らします。
「立谷S−12型被災高齢者共助生活住宅」の設計図を見ました。


設計趣旨は

1 夕食は一堂に会して摂る
2 共通ランドリースペースに「井戸端」を作る
3 ランドリースペースの外側に「濡れ縁」を設ける
4 16.5uの畳コーナーを設け団欒の場とする
5 全館ユニバーサルデザインとする
6 全館バリアフリーとする
7 手摺付きの大型浴槽を1ケ配備する
8 ボランテイア対応スペースを設ける
9 来客対応の客間を設ける
10 共助スペースは、災害時の支援拠点とする
http://www.nagaoclinic.or.jp/doctorblog/nagao/2011/05/post-1533.html


部屋はスペ-スが二つある。実際は一間になる。ホテルのような部屋割りになっている。真ん中に
共同の食堂があり大型浴槽があるから個室には風呂はついていないのか、これは孤独死をさけるためだとあるから一人暮らしの老人の共同住宅である。馬場野にありコジュウケイが鳴いていたように山際だから環境はいい。でもこれは明かに共同生活でありプライバシ-はそれほど保てないかもしれない、共同生活になってしまう。食堂が真ん中にありそこで毎日みんなで食事するとなるとそうなる。個室はあるにしてもホテルの部屋のような感じになる。仮設住宅よりはいいにしても共同生活になる。老人ホ-ムでも共同生活だから共同生活に向いていない人は暮らしにくいとなるが共同だから孤立せずにすむし一人暮らしの人にとっては心強い。老人の一人暮らしはいろいろ不安になるのである。部屋数は思った以上少ない、一つの建物で12人では少ない、二棟建てていたがそれでも24名くらいしかないとなるとみんなが入れるとは限らない。


これもあくまでも災害のための住宅として市が用意したのである。相馬市の道の駅は曲屋風だとか何か伝統的に工夫している。相馬市では津浪の被害が大きいから家がなくなってもう家を建てられない人が多数でているから仮設ではない、住みつく住居を必要とされる。これはあくまでも一人暮らし用であり夫婦でもそういう施設が必要になっている。でも二人用となるとさらに大がかり建物となる。一間で二人ならいいが二人になるとやはり一人用とはなりにくい。普通のアパ-トでも二間あるのがこの辺では普通である。でもこの共有住宅で二間作るとかなり大きな建物になってしまう。この長屋風住宅は外から見ても相当大きく見えた。さらに大きくなったら費用も相当にかかる。見た感じだと庭なんかもないしやはり一軒家がいいとはなる。


庭の空間が作られていないのだ。そこまで贅沢はできなかったとなる。一軒一軒にはなっていない、ホテルの個室みたいだからそうなる。家は狭い庭でもあるのとないのでは心に影響する。田舎で広い庭をもって田畑をもって暮らしている人が多いのだからあのようなホテルのような部屋だと閉塞感がある。マンションやアパ-ト暮らしになったような人たちもそれを感じているだろう。まず理想的だったのは飯館村の家だったのである。一軒一軒が森に隠れるようにしてあった。隣との間は離れているしみんな広い庭をもっていたのである。あそこは住環境としては理想的だったのである。

 

これはアメリカの会社の援助で作られた・

間取り

http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/kouei_jyuutaku_pdf/kihon_keikaku.pdf

六畳と四畳がある、二間だと余裕がうまれる。一間だと窮屈になる





●相馬市の放射線量は意外と高いのでは?


相馬市の放射線量は思った以上高かった。イオンの前で道で0・5あり道端の土で0・7とかあり
市内で0・4とか道端の土で0・7とかなっていた。相馬神社でも0・5とかなっているのは高い。
南相馬市の原町区では普通は道で0・2くらいである。鹿島区でもそうである。ただ場所によって違っている。鹿島区でも寺内0・5になってる。原町区でも高い所はある。放射線量は平均していないのだ。相馬市はそれなりに高いからなぜ普通に耕作しているのかわからない、原町区や鹿島区より高い所がそれなりに多いのだ。これが山上とか玉野とかになるとさらに高いし住めない地域になってくる。玉野で自殺した酪農家の人は妻と子供がフィリンピンに帰ったことにあった。補償地域になっていなかった。そういう個人的事情と原発事故が重なって自殺に追い込まれたのだ。津島にも中国人妻が夫に東京で暮らしたいとナタで襲ったことには驚いた。外国人の女性がそうした辺鄙な所に嫁に来ているのだ。


・丸森町 1.05
・角田市 0.51
・山元町 0.38


丸森町はこれくらいなのか?角田市が意外と高い、相馬市なみである。この辺は余り話題にならない。南相馬市意外で南相馬市より高い所があるのだ。そこは賠償の範囲内にならなかったりする。
丸森では妊婦や子供に20万円補償するとかなった。丸森町は本当はもっと高くなっているだろう。
なぜなら飯館村のすぐ隣なのだからこれくらいの放射線量とは思えない。道で1・05としたとき山では道の脇の土では三倍くらいになるから3にはなる。宮城県は全国的に放射能の話題にならない、それで損している面はある。相馬市の隣の山元町でも高い、相馬市で0・5なのだからこのくらいあるのがわかる。放射線量はぱらつきが意外と大きい。警戒区域内でも少ない所は少ないし人が住んでもいい所があるのだ。ただ近くに高い所があれば影響するから全体的に放射線量は計らねばならない。
いづれにしろ相馬市では普通に田畑を耕作できるのに南相馬市では相馬市より低い放射線量なのにできないことが納得いかない、20キロ圏内とか30キロ圏内で区切ったことがこういう問題を起こさせているのだ。30キロ圏内でもばらつきがあり30キロ圏外でもばらつきがあるのが放射線量だったのである。

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0・48



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イオンの前


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相馬市に入る橋の手前

アスファルトの道と道端の土や草むら


相馬市の放射線量
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/housyasei_bussitu/jyosenkeikaku_1_.PDF

posted by 老鶯 at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連